人は誕生日に死ぬ確率が高い
人が23人ほど集まると同じ誕生日の人が二人いる確率は50パーセント。半々というところ。本当だと思いますか? これって科学的? あるいは数学的? いや、知っている人は知っているよくある話だが、知らないと、ちょっと奇妙に思いがち。そう思う理由は、自分の誕生日と同じ誕生日の人というふうに暗黙に想定してしまうからだ。ところで、人は誕生日に死ぬ確率が高い、というのはどうだろうか。本当だと思いますか? これって科学的? あるいは数学的?
スイスの統計学者が、1969年から2008年までの250万人を対象に統計処理したら、そういう結果になった。論文のタイトルは「死は誕生日を好む(Death has a preference for birthdays)」(参照)。いや、ほんと。これは冗談ではない。"This is not a joke."と、この話題を扱ったBBCも書いている(参照)。偽科学でもない。じゃあ、なんなの?
もちろん、科学的な事実だから、なんらかの科学的な説明を要する。あるいは科学的だからこそ、科学的に吟味したら非科学的あることがわかることもある。あるいは、「血液型がB型の人は自己チューな人が多い」みたいな血液型性格学のように、偽科学とかよく言われているけど、実際には日本人のように多数の人がそれを信じていると、自己予言のように統計的にその結果が出てしまうという奇妙なものかもしれない。……いや、これもその部類かな。
科学というのはまず仮説を考える。「人は誕生日に死ぬ確率が高い」なぜなんだろう。うーむ。そうだ。人は誕生日まで死ぬの我慢しているのではないか? 何歳まで生きたいものだとか、思うというのも理解できる。これが誕生日忌日仮説その1。
他にも思いつくことがあるぞ。誕生日というのはスペシャルデーだ。だから、何か普通の日と違う行動パターンをしがちで、それが死につながるんじゃないか。落とし穴を作っておいて、そこで自分が落ちて窒息しちゃうとか。仮説その2.
仮説1は却下されている。理由は、もし人が死ぬまで我慢しているというなら、日付の思い違いなども手伝って誕生日当日を中央として死亡の確率が前後の日に偏るはずだが、そういうデータはない。ただ、誕生日に、ころっと死ぬらしい。
仮説2はどうか? これも却下。これが当てはまるなら、事故死などが多いはずだが、そのデータもない。しかも、誕生日に死ぬリスクは事故や自殺よりも高い。
なんてこった。
何か合理的で科学的な説明はできないものか。
そうそう、あれがありそうだ。統計にありがちなこと。データの収集はそれでいいのか、である。つまり、死亡届を出すとき、誕生日の欄と書き間違えることが多いんじゃないの、ということである。
はっはっは、なーんだ。それでしょ。
それも仮説。検証されたわけではない。ただ、誕生日に死ぬ確率は、性別や年齢などの要素に左右されないことから、生体としての人間の特性と関係ないことで発生したとは見られるようだ。
書き間違え説が正しいのだろうか。科学的に考えるなら、書き間違いがその率で発生するという別の証拠が必要になる。しかも、その扱いがけっこう難しそうだ。というのは、そもそもこの問題は「人は誕生日に死ぬ確率が高い」なのだが、その検証の前提に「人の死は特定日に左右されない」という仮説を置くわけにいかない。
いや書き間違いじゃないぞ、その書き換えにインセンティブが存在するんじゃないか、という疑念もある。スイスで相続の税法がの変化がありその影響がありそうだというのである。
その話もへえと思うが、統計学者たるもの、そんな素人考えは考慮しないものだろうか。考慮はされているようだ。どうやら書き間違え説であっても、やはり4パーセントほど「人は誕生日に死ぬ確率が高い」。
どうして「人は誕生日に死ぬ確率が高い」のか?
答えは?
わからない。
| 固定リンク
「雑記」カテゴリの記事
- ただ恋があるだけかもしれない(2018.07.30)
- 死刑をなくすということ(2018.07.08)
- 『ごんぎつね』が嫌い(2018.07.03)
- あまのじゃく(2018.03.22)
- プルーム・テックを吸ってみた その5(2018.02.11)
コメント
野球という競技において、打者として打席に立つ回数が最も多くなるのは何番バッター?
という設問と、たぶん同じ。
だからもしもこの統計で
「人は誕生日の1日前に死ぬ確率が最も低い」
という数字があるのならば
答えは、上掲の「~何番バッター?」と同じとするのが
『最も確からしい』
です。
そりゃ、1番バッターと9番バッターとじゃ打席に立つ回数は顕著に違いがあらわれるでしょうて。
投稿: 千林豆ゴハン。 | 2012.07.27 19:59
あと、これは統計学者がおこなった調査なのですからこんな初歩的な処理上の誤ちをしでかしているとは思えませんが
「死産について、きちんと計数作業から弾かれていただろうか」
という疑問もすこしあります。
まさか妊娠20数週間目以降の胎児について、死産として施術をおこなった場合には誕生と同時に死亡という扱いにスイス国内のある州や県によっては相当数なっていた、とかはありませんよね?
投稿: 千林豆ゴハン。 | 2012.07.27 20:46
> 年齢などの要素に左右されない
死産の扱いは影響してなさそうですね。
投稿: 千林豆ゴハン。 | 2012.07.27 21:04
仮説1:生まれて即死亡する「死産」をカウントして統計処理しているから。
仮説2:神様がデスノートを考えて書くのが面倒になったから
* 【誕生日】19**年*月*日 【死亡日】60年後左に同じ
投稿: | 2012.07.27 22:19
身元は確認できるけれども死亡日を特定できない死体(孤独死とか、行方不明後白骨体として発見されたとか)については、死体が発見された日付を死亡日とするのではなく、その日から過去へと遡って最も死亡していたと推定される年の誕生日に死亡をしていたということにする実務上の慣例が、スイス国内のとある州や県には行政手続き的にじつは存在している、とか?
投稿: 千林豆ゴハン。 | 2012.07.27 23:05
少しも答えになっていないけれど、人は、新月のときと満月のときに出産が多いのだそうです。
たぶん、人は、新月と満月のときも死亡が多いと思います。
何か知らないけれど、誕生日が新月か満月だと、死ぬ確率が高いのではないでしょうか。
結局、答えにはなっていませんけれど。
投稿: enneagram | 2012.07.28 10:34
> 野球という競技において、打者として打席に立つ回数が最も多くなるのは何番バッター?
> という設問と、たぶん同じ。
私も一瞬この答えを思いついたのですが、たぶん間違いです。
一番バッターは打席に立つ回数は多くなるけど、
打率が高くなるとは限らない、というのと同じ。
投稿: akira | 2012.07.29 04:32
月齢は毎年同じ月日に同じものになる訳じゃないので。
投稿: ↑ | 2012.07.29 07:33
> 打率が高くなるとは限らない、というのと同じ。
わたし、「打率」の話して無い。
その喩えを引き合いに出すのでしたら、「人は誕生日に死ぬ確率が高い」仮説になぞらえるべきなのは、「野球の試合で一番最初に安打を放つ確率が最も高いのは何番バッター?」。
一番最初に安打を放つ、というのがわかりにくければもっと起こりにくい出来事たとえば「野球の試合で一番最初に死球を食らう(一番最初に四球による出塁をする、etc.)確立が最も高いのは何番バッター?」。
なぜなら、9人の打者のなかで1番バッターが最も多く打席に立つことが多くなる、から。
投稿: 千林豆ゴハン。 | 2012.07.29 12:12
ですので、もしも仮にですがむりやり打率という言葉をつかって今回の「人は誕生日に死ぬ確率が高い」仮説を説明をするのでしたら、いわば
「一番最初の安打率」という造語を拵えて擬えてあげないといけないのです。
「(安)打率」=個々の打者が放ったことがある安打の実総数
/個々の打者が実際に立ったことがある打席の実総数
「一番最初安打率」=一試合の中での一番最初の安打という安打を放った個々の打者の実総数
/実際に打席に立つという経験をした試合の、個々の打者の実試合総数
とりわけ分母が、まったく別の意味合いの数値を数えることになるんですよ。
投稿: 千林豆ゴハン。 | 2012.07.29 12:48
「誕生日に亡くなる人っているよね。」「親戚にいたよ。」「◯◯さん(有名人)もそうだったよ。」←(私は知りませんが)
そんな話しから「誕生日に亡くなる人が結構いる‥?」なんかそんな気がする、というような事だと思う。
それと、病気とかそろそろ寿命で、あまり長くはもたないと言われている場合に、家族や知り合いの励ましなどで言われていた時期を過ぎ、もしかしたら治るかもと互いに思い、「もうすぐ誕生日だね。(3ヵ月後位)皆でお祝いしようね。」と言われ、気持ちも明るくなり、誕生日を迎える事が出来てしまう。
そして誕生日をみんなに祝ってもらうと幸せな気持ちになって気が抜けてしまい、病気の場合は抑えられてたものが抑えられなくなり急変し‥。
こんな話よくあったような。ドラマの見すぎ?そんなに見てないけど。
私は、誕生日に死ぬ人が多いと思った事はないけど「暮れに亡くなる人」の方が多い気がする。そう思ってる人多いですよね??
長々、すいません。
投稿: | 2012.07.29 14:53