« 誰が弱者か? | トップページ | ブルガス空港バス爆破テロの背景 »

2012.07.30

「君は今という時間、不可避の選択をしますかね」

 人生を振り返って、あのとき、これしか選択できなかったということがある。客観的に考えるなら、他の選択もあった。しかし、その可能な選択をしていたら、今の自分ではない。まあ、そこまではいいとしよう。
 今の自分が不幸だとする。その不幸の原因はあの選択にあったと考えるのが合理的だったとする。幸福であるためには、あの選択は間違っていたということになる。そういうこともある。
 そこで悔やむならつらい悔恨でもあるのだが、問題として難しいわけではない。難しいのは、不幸であっても、あの選択の上に生きて来た自分というがまさに自分なのだという自覚だ。これがやっかい。
 この問題でいつも思う挿話がある。「長崎先生」という人の人生だ。歴史に残る有名な人ではないと思う。明治30年頃の生まれではないかと思う。ちなみにグーグルとかで関連キーワードらしいもので検索しても特に情報はなかった。
 「長崎先生」は小樽教会の牧師だった。廃娼運動で逃げてきた女性を若い日の「長崎先生」はかくまったため、暴漢に殴打され聴覚を失い、その結果、職を失ったという。牧師を辞めることになったということだと思う。
 廃娼運動についてちょっと補足すると、と思ったが、意外と難しい。事典的には、売春婦公認制度を廃止の法整備を目ざす運動ということ。現代では当たり前のようだが長い運動の歴史がある。主体となったのは、この運動が世界的に展開されていたのと並行した近代主義者やキリスト教徒などあった。1886年(明治19年)に英国が世界初として公娼制度を廃止し、北欧国がこれに続いた。日本ではキリスト教派の救世軍が熱心に活動し、遊郭街で救世軍に逃れよとするチラシをまいた。
 「長崎先生」が救世軍だったか、あるいは彼のもとに逃げ込んだ女性が「長崎先生」を救世軍と思ったか、救世軍以外のキリスト教として「長崎先生」がこの運動に携わっていたかはわからない。私の印象では、逃げた女性は牧師さんならなんとかなると単純に思っていただけで、「長崎先生」としてもそういう当時の通念を普通に受け止めたくらいの偶然のことではなかったかと思う。
 聴覚を失い、職を失った「長崎先生」と夫人は、その後、彼らを支援してくる人に炭などを売って糊口を凌いだが、「長崎先生」の最期は踏切事故だった。聴覚のない彼は警報が聞こえなかったからである。
 「長崎先生」の人生とは何か?
 彼の元に逃げ込んだ売春婦の女性をかくまわなければ、暴漢に殴打されることもなく、聴覚を失うこともなく、そうであれば、職も失わず、踏切事故死もなかった。
 「長崎先生」にとって売春婦の女性をかくまわないという選択はあったか。牧師という手前、そんな選択はできないことだったかもしれないし、かくまうときは気安かったのかもしれない。どうだろうか。たぶん、「長崎先生」にとって売春婦の女性をかくまうことは自然な行為であり、同時に避けがたい行為でもあっただろう。他の選択はなかっただろう。
 暴漢に殴打されても聴覚を失うというのには偶然という要素も大きい。だが、「長崎先生」とっては、そうなっても違和感はないと思っていただろうし、おそらくそれによって殺害されることになっても、なんらためらうことはなかっただろう。
 これはさらっと聞くと倫理的な美談か、あるいは、牧師さんという宗教者にありがちな例に過ぎないようにも思うし、まあ、それはそうだろう。普通の人はそんな信仰はもたないし、そんな強い信仰は別の面で恐ろしいものだ。
 で、私にとって話の要点は、「長崎先生」って偉いすぎて自分とは関係ないとうことではなく、一つの生き方のなかには、選択に見えて避けがたい道があるということだ。
 それしか生きる道がないよ、ということだ。悲壮であるかもしれないし、諦観であるかもしれないが、いずれにせよ、自分が自分なら一つしか道がない。
 それが自分の欺瞞かもしれないということはある。そこまで自分というものに拘らなくてもいい。人は自分に拘って、英雄気取りで不可避の道を生きてみせることもある。あるいは、内心、躊躇したり、動揺したり、後悔したりする。
 でも、それが過ぎ去ってみると、自分のなかで、これは避けがたい道だったなという自覚に沈んでくるものがある。後悔に彩られていても、今の自分が生きるという前提をなしているとき、まあ、これ以外に生きる道なんてなかったじゃないか、あはは、みたいな部分がある。
 「長崎先生」にしてみれば、傍から見たら、不運で不幸だったかもしれないが、ごく普通の人生というだけだったかもしれない。
 さて、ネタバレというほどでもないが、「長崎先生」の話は、山本七平の「静かなる細き声」に出てくる。彼は「長崎先生」の人生をこう見た。


 人の生涯はさまざまであろう。外面的には、幸運な人もいようし、不運な人もいるであろう。しかし晩年になってみれば、おそらくその人の外面的な運不運に関係ないものが、一言でいえば、振り返って生涯に何の悔いもない「恵まれた生涯か否か」が、自ずとその人に表れてくるのであろう。そしてそれは、求めれば与えられるのでり、その人の幸不幸とは結局それだけであろうと思う。

 若い日にこれを当時の雑誌連載で読んだ私は、深く胸打たれもしたが、「晩年になってみれば」まで生きられた人はそれだけで幸せってもんじゃないか。それって、生存バイアスってもんじゃね、みたいに思った。ブログの記事に罵倒コメントを付けるようなことを思ったのである。
 この話を書いた山本七平は当時60歳で、まあ、晩年に近いという思いはあったのかもしれない。自分も生きていたらあと5年で60歳になるということに、びっくらこいちゃうんだが、晩年を意識してよいお年頃になってきた。
 結局、そんな年まで自分も生きられたんじゃないか、ラッキーと思うし、ラッキーというのは、生涯という何かが、ずずずんと沈んでくるようになった。
 ただ、それも欺瞞だろうな。
 生きられた人間だからラッキーということにすぎないからだ。
 どこまで生きられたらラッキーなのかというと、逆にそういう、なんであれ自分というものを受け取れるようになったということなのだろう。
 そうでない人生もある。
 最初からそうでない人生だってある。
 その意味は何かというと、さっぱりわからないから、「晩年になれば人生は……」という思いは欺瞞である、Q.E.D.と思う。
 それでも、この問題に背後に潜むなにかは、実は、晩年や人生などどうでもよく、「君は今という時間、不可避の選択をしますかね」と問いかけているには違いない。
 
 なにか「君は今という時間、不可避の選択をしますかね」
 わたし「不可避だったら選択じゃないでしょ」
 なにか「これしかないという選択はないんですか」
 わたし「今日はちょっと暑いんでご勘弁」
 なにか「じゃ、また明日ということで」
 わたし「そういうことで、ここはひとつ」
 
 

|

« 誰が弱者か? | トップページ | ブルガス空港バス爆破テロの背景 »

「雑記」カテゴリの記事

コメント

最後の一段落は、先生は今自分として生きてないって意味なの?それも自分なのではないの?

投稿: Tammy | 2012.07.31 17:08

>わたし「今日はちょっと暑いんでご勘弁」
>なにか「じゃ、また明日ということで」
>わたし「そういうことで、ここはひとつ」

香厳和尚曰く(人が木に登って口で枝を咥えて手足を離してぶら下がっているとき、下の人が「達磨がインドからやってきた真意は何か」と聞いた。答えなければその質問を避けたことになるし答えれば木から落ちる。どうしたらよいか。)

この文章は有名なので何なのかは書かない。
で、これについてネットであーだこーだ書いている人が何人もいるが、一人として正解はない。皆、間違っている。なぜ間違っているかというと、例えば、答えねばならないから口を離すと答えれば、「落ちてしまった後、達磨がやってきた真意を言え」とか、手で木につかまって答えるという人には「では、木につかまった状態で達磨がやってきた真意を答えてみよ」とかいくらでも変形が効くからだ。

で、だ。一度、咥えた状態で木にぶら下がってほうがいい。そしたら、「暑いから勘弁」とか、「また明日」とか、言い訳しなくなるから。

投稿: F.Nakajima | 2012.07.31 21:03

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「君は今という時間、不可避の選択をしますかね」:

« 誰が弱者か? | トップページ | ブルガス空港バス爆破テロの背景 »