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2012.07.24

米国で一番優れた先生

 教育問題にはあまり関心がない。正確に言うと「日本の教育問題」に関心がない。そう思う理由はシンプル極まりない。教育は元来国家のセクターではないからである。
 教育が国家のセクターになったのは、歴史的に見れば、義務教育は皆兵のため、高度教育は官吏養成のためだった。こうした近代国家の、必然とも言える動向をむげに否定はしない。現代では「皆兵」は軍事的な意味ではなく経済的な意味に転換し、生産力向上の「皆兵化」の意味もあるだろう。いずれにしても、ようするに国家のためであるという点は変わりない。
 だが教育というのは、それ以前には、人が自由になるための技芸であり、なにから自由化といえば、国家的な権力から精神を自由にするためのものであった。その部分こそは変わらず教育の本質だろうと思う。まあ、そういうこと。そういうことであれば、あまり「公」に教育のあり方を議論するのは矛盾している。
 とはいえ、昨日東京新聞社説「教員養成改革 「修士レベル」は要らない」(参照)を読んで、しばし物思いにふけった。この社説の是非ではない。また現在の日本国が推進している「修士レベル」の教員の必要性というものでもない。ちょっといわくいいがたい思いであった。
 きっかけにその社説の要点だが、「子どもへの愛情や信頼、そして教育への情熱を欠いては先生の仕事は務まらない。それは大学院で学んだからといって備わる資質や能力ではない」ということらしい。それもそうだろうと思うが、では「子どもへの愛情や信頼」「教育への情熱」をもった教師はどのように生まれるかというと、社説の議論はあいまいである。文脈からは「先生は教壇に立ってこそ鍛えられるのだ」ということから、教師としての経験によるとしたいのだろう。
 このことについて私は若い頃それなりに考えて、特にクリシュナムルティというインド生まれの教育思想家の影響を受けたのだが、ようするに、教育の必要性を心から痛感する人はその場で教師となる、ということだった。情熱を持った教師が生まれれば学校は自然に生じるとも。20世紀半ばのインドの文脈の議論らしいと言えないこともないし、日本も同程度の社会制度の時代はそうして私塾ができたものだった。現代、しかも日本のような社会ではどうかというと、諸論あってもしかたないだろう。
 だが、と思う。それでも教師は社会のなかの自由な個人から生まれるということは原則ではないかと今でも思う。簡単に言えば、「先生は社会の実相から情熱を得た人だ」と。そんな人が現代にいるのか?と問うなら、私はいるだろうと信じている。
 この手の話はいつもその程度で終わる。この陳腐なエンドポイントに達して動けないからだ。だがこのときは、もうひとつ思ったことがあった。メルマガのネタにしようか思って、米国の「全米最優秀教員選出(National Teacher of the Year Program)」とのことをちょっと調べていたのだった。
 そのころ、朝方、ぼけっと英語ニュースを聞いていたら、全米最優秀教員に選ばれた教員がホワイト・ハウスで、オバマ大統領に招かれて表彰されるという話があった。今年は誰だろ。科目はなんだろ。とつられて思った。
 「全米最優秀教員選出」とは何か。米国教育界でもっとも名誉ある教師を選出する制度である。1952年から実施されている。実施主体は全米州教育長協議会(CCSSO: The Council of Chief State School Officers)で、公立の、幼稚園、小学校、中学校、高校の300万人余の教員中から最優秀者を選び出し、ホワイトハウスで顕彰する。まあ、そういうこと。戦前の日本みたいな印象もないではない。全米で一番優秀な先生というのだから、さぞかしご立派な先生なんだろう。ご老人か?と思っても不思議ではない。
 違うのである。全然違うのである。今年は特に若い女性だった。中学校の国語の先生。レベッカ・メルウォキ(Rebecca Mieliwocki)先生。正確な年齢はわからないけど見た感じまだ30代な感じ。なぜそんな若い先生が全米で一番優秀な先生なんだろうか。
 表彰式のようすはユーチューブに上がっている。オバマ大統領が最初ユーモラスに教師とはみたいな説明をしている、それはね。

 オバマさんの話によると、メルウォキ先生の両親はともに教師だったとのこと。先生の子どもは先生になるというのは日本でもよくあるので、そんなものかと思っていると、そうではない。彼女は最初から教師になったわけではなかった。州立の科学芸術大学を卒業して弁護士になろうとしていた。その後、出版、フラワーデザイン、イベント企画の仕事に就き、それから教師になった。中途の転職組といった感じ、それだけ社会を見渡して教師になった人だった。それはとてもいいじゃないかと私は思ったのだった。社会人経験者が、やっぱり自分は教師をやりたいんだという人が、教師になるというのがいいと思う。
 そういえばと「全米最優秀教員選出」のプロセスもざっと眺めて、ああ、あれかと思った。あれ、というのは、小さなグループが集まって大きなグループになってさらにそれから州の単位となって、そこから私たちのヒーローやヒロインを米国全体に問おうという、あのノリ。大統領選と同じだ。
 選出というと、日本のようになにか足を引っ張り合っても競い合うのではない(米国でも足の引っ張り合いはあるだろうけど)。みんなが信頼できる地元のヒーローやヒロインを見つけたいという情熱を共有していくお祭りだ。そこから今年はメルウォキ先生が出て来た。
 徹頭徹尾、州が基本である。公教育といっても地方自治の教育が基本なのである。そしてそれは、連邦政府に対して、地方として教育の矜持を示す手段でもある。日本のように、70歳過ぎた教員組合上がりのご老体を参議院のボスに据えるのが教師の夢というのではないのである。
 メルウォキ先生のように各州から、また各階層から選ばれた先生が地方の教育の現場を踏まえて、国家に対して教育の提言を重ねていく。すごいなと思う。
 もちろん、それで日本の教育と米国の教育のどっちが優れているかという話に短絡できるわけではない。それに日本人だと、いろいろ米国の教育事情に悪口も言いたいだろうけど。
 
 

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「社会」カテゴリの記事

コメント

国家を越えた普遍的な社会なぞありません.
従って, 国家と国民の繁栄を目標としない
教育は存在し得ないし, 我々は国民の生活を
保障してもらう担保として税金を払うのだから,
その様な教育に国税を使う理由もないと思う.

投稿: ちび・むぎ・みみ・はな | 2012.07.25 16:52

国家を超えた普遍的な社会は無いのかも知れません。
しかし、全ての社会で国家を社会的な目的の中心に据える必要は無いでしょう。
国家が統治する事と、国家を目的にする事は違います。

ちび・むぎ・みみ・はな さんへ。

投稿: | 2012.07.27 05:01

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