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2012.07.04

[書評]だから女はめんどくさい(安彦麻理絵)

 「仕事とアタシ、どっちが大切?」と問われたことがあるだろうか。男性諸君。私は、この言葉どおりではないけど、すっげー、昔、似たような問いになんどか立ちすくんだことがある。以来、この問いにどう答えたらいいのかということに関心を持ち続け、本書、てか漫画集「だから女はめんどくさい(安彦麻理絵)」(参照)に答えが書いてあるというので、それだけでポチっと買いましたよ。なるほど。答えが書いてあった。

cover
だから女はめんどくさい
 答えは、というと、いやネタバレになるの知ってて書きますよ。その前に。
 「オマエに決まっているだろ」ブー。
 「仕事もオマエもどっちも大切なんだよ」ブー。
 では、正解。
 「さびしかったんだね、ゴメン」。
 なんじゃそれ。
 そんなの解答なのか?
 とか疑問に思っている時点で、この難問が解けなかったということを私は理解しましたよ。だめだわ、俺というか。
 あれだなと思った。ある禅の修行の話を思い出した。
 老師が修行僧に問う、「いかなるか、仏?」
 「仏とは、人々が正しく生きたいという願いであります」 バシっつ。老師、修行僧を警策っていうか木の棒で打つ。
 老師が修行僧に問う、「いかなるか、仏?」
 「仏とは、人が生まれ持った本来の心のありかたであります」 バシっつ。老師、修行僧を打つ。
 これを延々と繰り返す。修行僧、ついに黙り込む。老師がそれでも修行僧に問う、「言え、言え」。
 いかなる答えがあっても、バシっと、老師、修行僧を打つ。
 修行僧が音を上げて、「言っても打たれ、言わなくても打たれる、老師、答えは?」と言うと、老師さらに修行僧を打つ。
 どっすか、これ?
 答えを教えましょう。答えは、「逃げろ」。
 草履を頭に載っけて逃げたら、なおよし、というのがわかる人は禅を学びすぎて、それもなんだなあではあるけど。
 つまり、現実は、修行僧を老師が打っているだけ。言葉とか思いとかに迷い込んで現実が見えなくなっている。その現状を理解できないから、打たれ続けている。
 これって人生の根本的な錯誤の比喩なわけだよ。
 「仕事とアタシ、どっちが大切?」と女問う。
 「仕事」バシっつ。
 「オマエだよ」バシっつ。
 「今は大変なときなんだよ」バシっつ。
 同じでしょ。
 逃げるんですよ、答えは。
 逃げるというのは、まあ、そのままの意味でなければ、「さびしかったんだね、ゴメン」Hug!
 でだ。
 いやぁ、そんなのやってられんわと、思うわけですよ。
 でも、その前に、どうしてこういうことを「女」は言い出すのか、というのが、この漫画「だから女はめんどくさい」の本領発揮。なので、難問の答えがわかったら、ぽいというものでもない。(ちなみに、すべての女がそうだというわけじゃないから、「女」と括弧付けにしときますよ。)
 ちなみに、なんでこういうことになるのか。つまり、「仕事とアタシ、どっちが大切?」とか問うんじゃなくて、最初から「さみしかった」と言わないのか?
 これがわかると、本書の要諦はわかると思う。いや、偉そうに言ってしまってなんだが、ああ、そういうことなのかと、読みづらい漫画を読んで私は得心したのだった。
 それはなぜなのか?
 この漫画集は連載をまとめたものだけど、その第5話「意地の数だけ抱きしめて」にあるように、「女」には意地があるからだしプライドがあるから。
 男尊女卑的に言うのではないけど、「男」って普通に生きていると、意地とかプライドとかずたずたにされる過程を少年期から生きているようなもので、おかげで、意地やプライドって状況によって相対的だし、基本、平和がいいっすよね的な生き物になると思うのだが、女性はそのずたずたの過程の結果が違うのかもしれない。まあ、よくわからないが。ついでにいうと、男女と限らず、そういう、ずたずた過程を経ない人がネットで意地とかプライドを発揮しちゃうんじゃないか。
 逆にいうと、女にもてたいなら、その女のもっているプライドに沿ってあげればいいんじゃないか。
 で、第一歩はその女に対してはプライドを捨てるというか。もちろん、捨てるのはその女だけで、他には保っていないと、げー、こいつ最低とか見られるわけだが。
 で、と。
 その手のことをうだうだと考えさせる話が、この漫画集にてんこ盛り。いいですよ、これ。
 読後、二つ、心に残ったことがあるというか、感動した部分がある。
 一つは、これは作者安彦麻理絵さんのこだわりかもしれないけど、おセックス中に、えっとコンドームどこだっけと探しに行く男の後ろケツが萎えるということ。ほぉと思った。
 もう一つは、ちょっとした小説仕立ての独身三十代男女の物語。第14話「独身をこじらせた男女の話」である。
 飲み会で終電を逃して、39独身男のアパートに独身35女がしけこんで、男の趣味人生の部屋を見つめたり、酒飲み直したりして、そのまま、ことなく、男は床に寝落ち。ネタバレになってすまんが、ほいで、女のほうは、しかたないかとそのまま床に横になり、「ヒマならセックスでもすればいいのに」と一人思う。それで男を誘うわけでもなく、寝落ちで終わる。そんだけ。
 まあ、そんだけだから、三十代独身が続くということでもあるのだが、この「ヒマならセックスでもすればいいのに」をなにかどんと背中を押すのが団塊世代とかにはあったし、その後のバブル世代では、メディアの影響で、目的はセックスだぁ!の時代もあった。
 でも、今はもう、そういうのはないから、孤独とか自分とかに向き合うようになって、かくなり、と、あいはて。
 漫画集として見ると、各話は、総じて、ああ、古いなあという印象があった。雑誌連載初出は2007年らしい。もう5年も前になる。5年間で、このくらい古いっていう感じがするのも、すごい。というか、5年は長い月日のようにも思う。30代なら、特に。
 びっくりしたのだが、あとがきに、この5年間、最初作者37歳、今42歳の、この5年間に作者安彦麻理絵さんは3人の子供を産んで、4人の子を持つ母になったというのだ。長女はこの春中学生。その下に4歳と2歳の息子さん、8か月の女の子の赤ん坊。
 ほぇえ。事実は漫画よりも奇なりな感じがするが、もういちど、漫画集の全体をぱらっと見ていると、なんか、それは自然な感じがした。
 いや、もうあてずっぽうに言うのだけど、この漫画読んだ人は、なんとなく結婚して5年後に子供二人いても、なんかとても自然な感じがするんだよ。
 なんかご縁がありませんでしたねという30代くらいの人だったら、縁起ものだと思って、読むといいよ。
 
 

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コメント

プライドについての下り、面白く拝読致しました。
プライドの融通、という点では女にもある、というか社会的にはむしろ下に見られるのに慣れているところがあると思いますが、「男女関係」という場面になると意地になってしまう傾向があるかと思います。
「男としてのプライド」「女としてのプライド」と並べてみると、前者が対社会や第三者に向かっているのに対し、前者は男女関係や家族的な内の方向に向かうことが一般的だからではないでしょうか。
そこで賭けられている価値というのは紙幣のようで、軽く譲ってしまうとインフレを起こして紙切れになってしまう、ということかもしれません。ただ、ほとんどの場合は当人もその時は意識化できていないし、単に不安なのだと思いますけれど(わたしはそうです)。
個人的には、変に意地になっても疲れるし、「男というものは面倒臭いこと(面倒臭い女)が本当にイヤなんだな」と悟って、肩肘はらなくなってから、夫婦喧嘩もなくなりました。
しょうもないことを書いてすいません。もう肩肘はる時代も過ぎた女でした。

投稿: 羊 | 2012.07.04 17:14

> コンドームどこだっけと探しに行く男の後ろケツが萎える

確かに現実に戻ってしまう
瞬間ではあるカモ。。。

逆に男側の萎える瞬間というので、
(人に聞いたのかテレビで見たのか忘れましたが)
パンツを脱がせようとしたときに
一瞬女が腰を浮かせる(脱ぎやすいようにね)
というのがありました。

わたしはこれを聞いて以来、
あまりサックリ脱がせられない
(でもちょっとがんばれば脱がせられる)
程度のポーズを取ることに
全神経を使ってます。

頭の中はエロとか欲望とかじゃなくて
演出手順でいっぱい(汗)。

だから縁遠いのかしら。。。

投稿: ゆき | 2012.07.04 20:14

これを思い出しました。
http://www.youtube.com/watch?v=bjUm4nmdZ6c&feature=relmfu
↑「プライドを捨てる」実践しているピースフルな男の物語です。

投稿: 天魔 | 2012.07.04 22:33

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