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2012.07.07

じゃあ、今日は、イジメの話をしよう。

 じゃあ、今日は、イジメの話をしよう。あ、そこでぐったりしている男子、たぶん、君が想像している話をはちょっと違うと思うよ。「「しがらみ」を科学する」(参照)という本にある話をちょっとアレンジしただけなんだけどね。
 まず、30人のクラスを想定しよう。ちょうど、このクラスと同じだ。そこで3人グループが1人の生徒にイジメをしていて、残り26人はイジメが発生していることを知っているとしよう。こういう状況があったとき、どうするかな?
 またぐったりしないって。みんなでイジメを無くしましょうとかいうお説教じゃないんだ。数字に注意を払ってほしいんだ。
 この設定でイジメを傍観している生徒数は……26人。この26人は、イジメの状況をどう考えているだろうか? おれもイジメに参加したい、と思うかな。まあ、それはないとしよう。でも、おれには関係ないし、って思う人は当然いるだろう。そういうとき君たちならどうかな? はい、そこの男子。
 「僕ですかぁ……。イジメをやめましょう、とか答えるといいんですよね」
 そっちの女子はどうかな。
 「私ぃ……ビミョー」
 いい答えが続くね。ちょっと答えづらいというのが本当のところだ。イジメを無くしましょうなんて言わされる教育ってなんか嘘臭いし、そんなことしてもイジメがさっぱり納まらないというのが現実だ。マスコミはなんどもなんどもこの話題でお祭り騒ぎをするけど改善しない。こりゃもうぐったりするしかない。でも今日の話は、そうじゃない。
 イジメが発生しているとき、26人の傍観者の頭のなかでは何が起きているだろうか? イジメってよくないよな、とは思うだろうね。でも、自分1人でイジメグループを抑え込むなんてできなし、ヘタすりゃ自分がイジメの対象になりかねないっていうふうにも思うだろう。1人で行動するのはやだなと思うわけだ。どうかな、こっちの女子。
 「ええ、そうです」
 すると、明確に意識しなくても、何人かイジメ阻止の仲間がいたら、イジメ阻止派に参加してもいいかなとも思うわけだよね。どうかな、こっちの男子。
 「言われてみると、そうですね。反原発デモに何万人参加したとか言っている人は、デモ参加者が多いことで賛同者を増やしたいんですよね、というかそれが目的だったりして」
 その話は置いといて。
 生徒は、何人くらいイジメ阻止の生徒がいるかなと周りを見渡して、頭の中で「イジメやめよう想定人数」を勘定するんだ。あいつは正義感強いから、マル。あいつは他人に関心ないから、バツ。あいつは意外と協力的だから、マル……14人かあ、とかね。
 ここまではいいかな? いいみたいだね。勘定して「イジメやめよう想定人数」が出たとき、これを「イジメやめよう行動基準数」と比較しはじめるんだ。誰もがそういう行動基準数を持っている。そしてある生徒の頭のなかの想定人数行動基準数を越えたら、その生徒はイジメ阻止の行動が開始できる。
 「先生ぇ、そんな数、考えていません」
 たしかにそういう言葉や具体的な数値でそう考えているわけではないよ。でも、このイジメの状況はそういうふうにモデルとして理解できるんじゃないかという話なんだ。そこはどうかな。さっきまでぐったりしていた男子、どうかな?
 「わかりますよ。理系ですから。話はどうなるんですか?」
 じゃ、このモデルで話を考えよう。26人の生徒の頭のなかにぞれぞれの想定人数行動基準数がある。イジメなんか自分には全然関係ないですという傍観者だと行動基準数はマックスだ。でも、みんな、そういうわけではない。10人であったり、13人であったり、16人であったり、生徒によって違う。
 さて、ここからは算数。
 ある生徒の頭のなかで想定人数行動基準数を越えたら、イジメ阻止の行動が開始できる。この生徒たちをイジメ阻止派としよう。行動や発言で自分は阻止派ですと表現した生徒が14人現れたとしてみよう。このクラスのモデルはこうなる。

  ・イジメを受けている……1人
  ・イジメをしている……3人
  ・イジメ阻止派……14人
  ・傍観者……12人

 傍観者は内心イジメを阻止したいとも思っているけど、この状況では阻止派に転じていない。このため傍観者はイジメ継続に機能してしまう。これが12人いる。これにイジメをしている3人を加えると15人になり、結局15人がイジメ継続を支持してしまう。ここまでわかったかな?
 「イジメをやめさせようという人が14人だけど、イジメを継続する人が15人っていうことですよね。この状況では、それぞれの生徒が同じ影響力をもっているなら、イジメは止まらないというわけですよね」
 そのとおり。はい、そこの女子。
 「イジメの状況を変えるには、各人の行動基準数を下げるといいんじゃないですか」
 それもそうだ。だけど、その話の前に、現状のモデルをもう一度見直してみると面白いことがわかる。重要なのは、イジメ阻止派の頭の中の算数だ。イジメ阻止派14人の頭のなかでは、「イジメやめよう想定人数」は、いくつだろうか?
 「14人以下でしょう」
 そう。そこで「イジメやめよう想定人数」がちょうど14人だった生徒はこの状況を見てどう思うだろうか。はい、そこの男子。
 「やべー、イジメ継続派が15人じゃあっちのほうが1人分多くて勝てないじゃん。傍観者のほうがクール、って思うかもしれないです」
 そう。すると、そう思う人は「イジメやめよう行動基準数」を上げて傍観者へと脱落してしまう可能性が高い。この脱落現象は連鎖していくっていうこともわかるよね。
 「わかります。最後に残されたら自分がイジメの対象になる。やべーと思ったら逃げて傍観者になったほうが安全。民主党の崩壊と同じです」
 民主党の話は置いといて。脱落者が連鎖するというのはわかるよね。そして、脱落者が連鎖するとこのクラスのイジメはひどいことになっていくわけだ。
 ではどうしたらイジメを阻止できただろう。
 「さっき言いましたけど、各人の行動基準数を下げるといいんじゃないですか」
 そうだ。でもどのくらいの人数がどのくらい下げるといいだろうか。そこが重要なんだ。仮に1人が行動基準数を1だけ下げて阻止派が1人増えたとしよう。ここで注意してほしいんだけど、たった1人の生徒の頭のなかで行動基準数がちょっとだけ下がったという些細な違いが起きたら全体はどうなるかということなんだ。この些細な変化でクラスのモデルはこうなる。

  ・イジメを受けている……1人
  ・イジメをしている……3人
  ・イジメ阻止派……15人
  ・傍観者……11人

 さっきのモデルとあまり違ってないように見えるよね。でもどうかな。
 「いえ、これは違います。イジメ継続派は傍観者とイジメをしている人を合わせて14人で、少数派に転じています。これだと、生徒が同じちからなら、イジメが阻止できます」
 そのとおり。イジメ阻止派15人に対して、イジメ継続派14人になるから、イジメ阻止の行動が勝って、イジメが抑え込まれることになる。しかも、このイジメ阻止派が多数になったことで、他の傍観者の想定人数と行動基準数の比が変わり、イジメ阻止がより多数になる連鎖が発生しやすくなるんだ。この2つのモデルを比較して、みんなはどう思うかな。
 「傍観者が悪いってもんじゃないんだなと思いました」
 「ほんの少しの違いで天国と地獄みたいな差になってしまうんですね」
 「みんなの行動基準数が小さいとイジメは発生しにくくなるけど、それだけを目標にしなくてもいいんだと思いました」
 そうなんだ。イジメはよくないと大騒ぎするんじゃなくて、全体構造のなかでイジメを抑制するような集団のバランスを見極めることが大切なんだ。
 「先生ぇ。そのバランスを見極めるっていうのは先生の仕事なんじゃないですか」
 うーむ、そのとおりだよ。イジメは特定のクラスに限定されるという問題ではなく、他のクラスの生徒全体で「イジメやめよう行動基準数」を見て、それぞれのクラスで抑制的になるようにクラス編成する必要があるんだ。また、行動基準数が高めな生徒と低い生徒の連帯を深めるような交流を促して、全体のバランスを変えるようにするとかも重要になる。こういうのは、全部先生の仕事でもあるんだよ。
 
 

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コメント

どう成されてこのお題?イジメとは、イジメをされてから叉はイジメを受けた側の立場になって初めて気付く行為。イジメを実際にしている側にはイジメとの認識は全く無し。価値観の違い生育歴環境の違いに大きなイジメか、そうでないか。が別れる部分かなぁ。因みに、私は無意識無条件で、イジメをするタイプですね。

投稿: 蟻んこが一番です! | 2012.07.07 21:06

文庫本「ゲーム理論」の解説を書かれたフェルナンド様なら、たぶんこういうことを書かれるだろうな、と事前に想定しながらタイトルをクリックして、やっぱりそうだよなと賛同しながら拝見していました。でも、今回のフェルナンド様の文章は、やっぱり何か間違っていると存じます。論理的には正しいですし、私自身もその通りだと思っています。でも、やっぱり何か間違っていると思います。それは内容ではなく、たぶん文章では表現しきれない「何か」だと思います。初めての投稿、失礼しました。

投稿: 時々拝見する読者 | 2012.07.08 00:55

前提として生徒みんながクラス全体のバランスをある程度知っている必要がありますよね。
あと、実際にはそのバランスはイジメを良くないと思うかどうかではなくクラス内のリーダーシップによって決まっていそうだと思います。

投稿: 鶏胸 | 2012.07.08 20:10

「長いものには巻かれろ」

投稿: せーき | 2012.07.10 13:22

この記事の結論を読むと先生の責任が非常に重く、負担の大きい仕事だと感じてしまいますね。
保護者同士および保護者と先生が密に連携できれば先生の負担を軽減することができると思いますが、保護者同士でしがらみが発生することもありますから厄介です。

投稿: | 2012.07.10 17:57

うーん、映画「大脱走」だったかな?

「くさった蜜柑は一所に集めよ」
分散していると、ほかの蜜柑も腐るから。

中学校の先生というのは、本当に大変な職業ですね。

くさった蜜柑を捨てたり、一所に集めることはなかなか出来ないのでしょうね。

グレシャムの法則が成り立たなければよいけれど。

投稿: val | 2012.07.11 23:03

仰っている事が正しいとして、学年全体で見た時に、「イジメやめよう行動基準数」が、クラス編成してもやめない基準を上回らない場合はどうされるんですか?その場合、行動基準数が高めな生徒と低い生徒の連帯を深めるような交流を促して、全体のバランスを変えるようにするになると思うのですが、結局はそのクラスで何らかの説明をしたり、価値観は一つじゃないと言う話をしないといじめられる側の言葉を受け入れる考え方を変えないといけないと思います。養老孟司の「唯脳論」のように、言葉の固定観念が強すぎるから、もっと世界は多義的なんだと教える事が大切なのでは無いでしょうか?

投稿: | 2012.07.17 08:20

http://tsulezule.tumblr.com/post/27300763813

投稿: いじめと社会的序列の関係 | 2012.07.21 06:18

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