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2012.07.29

誰が弱者か?

 2ちゃんねるのまとめサイトだろうか、「どっちが弱者ですか?」(参照)というネタが上がっていた。ネタだというのは一目見ればわかるが、この絵はちょっと奇妙な後味を残す。誰が弱者か?という難問の、どこかしら本質を突いているからだろう。

 5人の人がいる。左から。

 (a)貯金4000万円の働かなくても年金生活の老人。
 (b)年収300万円の疲れ切ったブラック会社員。
 (c)年収250万円の派遣社員。
 (d)年収200万円のフリーター。
 (e)旦那が年収1000万円の専業鬼女。

 もちろん、ネタ元の「あなたの優しさで席をゆずりましょう」というときは、妊婦(e)や老人(a)に席を譲ろうという話だったのだが、これを「弱者」に問題をすり替えたとき、譲られるべき老人(a)も妊婦(e)も社会的な「強者」ではないのかというアイロニーである。
 もちろん、とまた言うが、この局面では座っている権利を持っている人が身体的な安逸の権利を持つ強者であって、身体的な安逸を望む弱者は、貯金がいくらあろうが老人であり、旦那の稼ぎがいくらよかろうが妊婦である。この局面でその権利はカネでは買えない。とすると、このことはこのネタの考案者の逆説になっていることがわかる。つまり、社会的な強者は、あらゆる場面で強者でもないということだ。
 しかし、と思う。カネで買えないのか? 貯金4000万円の働かなくても年金生活の老人(a)や旦那が年収1000万円の専業鬼女(e)は、座る場所もない電車を交通手段に使わず、カネを使ってタクシーを使えば、当面の問題は解決するし、そうしたカネを使うこと、消費は他面においてタクシー産業の生産になり、それが経済を潤すなら、この社会的な弱者に回るカネにもなるのではないか。
 あるいは、とさらに思う。貯金4000万円の働かなくても年金生活の老人(a)や旦那が年収1000万円の専業鬼女(e)は、他の空いている時間帯が選べるのではないか。そうすることで逆に弱者に権利を譲ることができるのではないか。そうだなあ、それって、満員電車にベビーカーを乗せるなという問題にも似ている。
 さて、問題はなんだろう?
 ごく簡単にいえば、こうした局面はネタというか問題性を問いかけるトリックであって、問題自身は、年収300万円の疲れ切ったブラック会社員(b)、年収250万円の派遣社員(c)、年収200万円のフリーター(d)といった社会的な弱者を社会的にどうすべきかということであり、さらに言えば、そうした問題が社会問題であるのに、席を譲るといった個人の倫理の問題にすり替えたりそちらを突出させるのではなく、社会に問え、ということだ。
 それはそうだと思う。
 そしてこれらの社会的弱者をどうするかといえば、それは普通に政治的な課題でもあるのだろう。
 それは例えば、昨日の朝日新聞社説「最低賃金―底上げは社会全体で」(参照)にも通じる。


 賃金が安く、雇用が不安定なワーキングプアが増えれば、結局、生活保護費はふくらむ。
 こんな悪循環から脱出するためにも、最低賃金は引き上げていきたい。
 ただ、低い賃金で働く人が多い中小・零細企業ばかりにコストを負わせるのは酷だろう。社会全体で取り組むべきだ。
 経済構造を変えて、まともな賃金を払えるような付加価値の高い雇用をつくる。そこへ労働者を移していくために、職業訓練の機会を用意し、その間の生活を保障する。
 雇用の拡大が見込まれる医療や介護の分野では、きちんと生活できる賃金が払えるよう、税や保険料の投入を増やすことも迫られよう。
 非正社員と正社員の待遇格差も是正する。そのために、正社員が既得権を手放すことになるかもしれない。
 いずれにせよ、国民全体で負担を分かち合わなければならない。私たち一人ひとりにかかわる問題として、最低賃金をとらえ直そう。

 「賃金が安く、雇用が不安定なワーキングプア」の問題を解決するには、朝日新聞的には、「付加価値の高い雇用をつく」り、「そこへ労働者を移していくために、職業訓練の機会を用意し、その間の生活を保障する」というのだ。
 一見正解のようだが、「付加価値の高い雇用をつく」りというあたりで、社会主義の失敗がよく理解されていない。成長産業が何かは大筋で市場が決めることであって、計画経済では基本的に対応はできない。しかもそのために「税や保険料の投入を増やすことも迫られよう」とすれば、ますますその問題を悪化させてしまう。
 朝日新聞の提言はもう一つある。「非正社員と正社員の待遇格差も是正する。そのために、正社員が既得権を手放す」というのだ。それはとても大切だと思うし、よい提言である。ただ、そのことは「国民全体で負担を分かち合わなければならない。私たち一人ひとりにかかわる問題として、最低賃金をとらえ直そう」ということにはつながらない。
 冒頭のネタにあるようなブラック企業の社員も本来はその会社を逃げるべきなのだから非正社員のようなもの。なので、正社員の待遇格差も是正するという政策課題は明確にある。
 しかし、それが現在の政権からはもうまったく見えない。
 経済学的に見るなら、朝日新聞社説は話が逆になっている。

 今年中には報告書がとりまとめられるが、デフレ傾向を反映して保護費が引き下げられる可能性が高い。
 その動きに連動し、最低賃金を抑えようという考え方では、デフレを加速させかねない。賃金が低迷すれば、人々は低価格志向を強め、それが人件費をさらに押し下げる圧力になる。

 デフレは実質的な賃金を押し上げているから、その面でも、固定給のある正社員は守られているし強者である。デフレを解消することで、実質的な賃金を下げることで雇用が促進される。
 具体的な経済状況からすれば、デフレの圧力が掛かるのは非正社員なのだから経済構造的に非正社員が弱者だとは言える。
 しかしこうした考えも、朝日新聞のみならず、現在の政権には可能性が見えない。
 現実を考えると、お先真っ暗だなあという印象ばかり先に立つ。
 弱者はいつまでも弱者なのか。
 個人の倫理なりの面で考えるなら、まさに個人の価値観になる。
 そこで私はどう考えているかというと、弱者というのは偶然だろうなと思っている。
 先のネタ絵の5人しても、誰がそのポジションにあるということは、ただの偶然の采配に過ぎないのではないかと思う。
 むしろカネで解決できる問題に還元することが、弱者という偶然の構造を変えるための解決手段なのだから、モラルに問うより、カネに還元する社会構造が望まれるのではないか。
 貧富や労働という文脈では、経済の問題なのだから、経済の弱者は救済可能に思える。だから政治理念もあるのだろう。
 が、ここで個人の価値観に戻ると、弱者が偶然の産物であるということはもっと深刻な問題なのではないか。
 端的にいうと、人の美醜という問題がある。
 強者・弱者という文脈でいうなら、イケメンとブサメンと言ったところだろうか。人の美醜というのは、強者・弱者に深く関係していて、整形して解消できるという問題でもない。
 こういう問題というのは、いったいなんなんだろうか? 
 哲学で存在や認識を問うなんてことより、よっぽど本質的な課題ではないのか?
 「そうだよ」と言い切ってみせたのが、私の知る限り思想家吉本隆明だけだった。へえ、やっぱりそうかと思ったものだった。人の美醜というのは愛情という個別の人間の距離の関係においては無化されうるが、それでも本質的な問題として残るというふうに彼は言い切った。
 そうなのだろう。
 美醜ばかりではない。頭がいい悪いといったことも、おそらく同じように、やすやすとは解消されない根の深い問題だろう。
 強者・弱者であることが偶然だということを合わせると、およそ個人に帰する権利のようなものは存在しないことになる。むしろ、そういうことになっているから、「努力」によって自己なるものを獲得しようと人はもがくのだろう。
 だが、「努力」で獲得したものが自分だとも、やはり問い詰めていけば、言えないように思う。努力もまた偶然の産出に近いのではないか。
 すると、何が自分なのか? 偶然ではない自分の固有性というのは何なのか?
 これも吉本隆明は実質的に解いていた。この問いの文脈ではないが、人が生きるというのは、それしかないという不可避の道を辿ることだというのだ。
 それをちょっと無理矢理に先の文脈に乗せるなら、強者・弱者の偶然性を生きて、それ以外にはないというあり方を見出せるなら、それはその人の固有性になるということだろう。そこで、おそらく強者・弱者の偶然性は消失するだろう。
 これは奇妙に神学的な問題かもしれない。強者にせよ弱者にせよ、その偶然性がもたらす課題を不可避のものとして受容していく過程にしか、自己の固有性は得られないということだ。
 強者が幸せな人生を送る。弱者が不幸な人生を送る。しかし、どちらもその人生の不可避性に行き当たらなければ、そもそもその人の固有性などないのだから、幸・不幸には偶然的な意味しかない。
 ざらっと書いたが、また、吉本隆明がなぜそう考えたのかという背景を辿るのを省略したので、まるで宗教みたいだが、概ね、人の存在というのはそういうふうに出来ている。
 じゃあ、どうせいと?
 それを自分だけが答えるしかない。そのなかで、弱者も不幸も意味を失うのだろう。
 社会的に弱者であり、他者からは不幸に見えるし、社会的にも不幸というべき状態でも、これだけが自分の人生であったという不可避性にあれば、そこから、弱者の意味も、不幸の意味も剥落する。
 
 

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コメント

権力者側が怠けてることから、目をそらさせるためのプロパガンダでしょ。

投稿: | 2012.07.29 18:43

福田恆存の「私の幸福論」を思い出した。
内容はたしか

醜くい人は美人と同じ扱いを社会に求めるな。社会には不平等・不公平は必ず存在する。
人は表向き生まれつきの美醜で人の価値を測る事を恥じるが、事実として美醜は他者への好き嫌いに関係する。
それを元に社会を恨むな。平等の理想論を唱えて社会を攻撃しても、傷つくのは自分自身である。


というもので。なんとも希望のないけど為になる話。

ちなみに結論としては

不公平は基本変わらない、変わるとしても徐々にである。だから、それを受け入れて気にしない心を養う事が幸福への道だ。

とか書いてあったかな。もっと頼りないニュアンスだったかもしれませんが。

不幸は仕方ないから不幸を受け入れて気にしない心持てというのはどうなんでしょうね。
40過ぎの闘病生活者には救いになるし、人生諦めてる人にとっても救いになるでしょうね。

しかしもし、若い人なら不幸を否定して欲しいと僕は思います。
生まれつきのブス、生まれつきのバカ、生まれつきの怠け者。
整形して勉強して努力の習慣をつければいいんじゃ・・・と思います。
もちろん、勉強と努力の習慣も生まれつきでしょう。本当の意味で努力のできない人は諦めた方がいい。
私が危惧するのは諦めなくていいと思われる人が諦めてしまう事です。悲観的宿命に甘えてしまう事です。

管理人さんの意図する所と福田恆存は微妙に
ズレるかも知れませんが、
諦めたら試合終了の世の中で、
諦めるのは結構大変な事だとおもいますね。

投稿: のの | 2012.07.29 20:39

話題に合った話ではないけれど、この世に生きている限り、居心地の悪さというのは、誰もが感じていると思います。

でも、あの世も、悪意が向けられるばかりで、居心地の悪いところですよ、きっと。だからみんなこんなこの世に生まれてくるんだろうし。

インターネットで、受信発信できれば、究極的な弱者ではありません。去勢されて、閉じ込められて、メシ食わされて、太ったら、殺されて、食われる、雄豚ほどに弱者に転落する人間は、先進国にはそれほど多くはありません。

生命は、基本的に、みんな無力といえば無力です。20種類のアミノ酸を使ってしか、道具らしい道具を作れないのだから。生物の神経のデータ処理能力とシリコン半導体のデータ処理能力では、格段の違いがあります。

弱者でいるのが悔しかったら、情緒的な反応をやめて、無生物の使い方が上手になることです。生身のホモ・サピエンスではやってのけられないことが、無生物を上手に利用するとできるようになります。人類の進歩とは、無生物の利用方法の向上とでも言い換えられるでしょう。スターリンや毛沢東みたいなやりかたで強者に成り上がるのは、あまり感心しません。

投稿: enneagram | 2012.07.30 06:22

弱者というのは、権益を常に奪われていますから
少しの権利に飛びついて決してそれを手放さない
というのは日頃から感じています。

放せば楽になるのにね。でも、それを放したら
二度と戻ってこない。。。と考えたら手放しき
れません。

これが社会の縮図だとすると
aの老人は定年した年金ぐらしのお年寄りで
国民年金が主な収入。
eの妊婦さんは、産休・育休まで取れたがいいが
復帰後には辞めさせられるOL。
二人とも座席に着きたいと思っているが
その席にはワーキングプアや派遣社員、
フリーターが座っている。というところですね。


投稿: akarukuikiyou | 2012.07.30 09:47

「命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。
この思想は宗教的である。だが、空想的ではない。
これは、社会改良家という大仰な不平家には大変難しい真理である。彼は、人間の本当の幸不幸のありかを尋ねようとした事は、決して無い。」と小林秀雄

投稿: | 2012.08.12 04:43

自分を弱者と思う人は、自分の栄達を諦めて、ひたすら奴隷使役を拒否し、個人的快楽を求め続ければよいのです。

弱者のあなたが無意味な希望を燃料に努力するたびに、あなたから搾取する上位者や社会は潤ってゆくのです。

本気で強者を否定するためには、弱者は絶対に強者のいかなる命令を受け入れてはなりません。

たとえ拷問されようとも死ぬまで非協力を貫くと良いのです。

それだけです。

投稿: 霊脈 | 2012.08.21 10:51

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