「恋愛は性欲とは違って、唯一の相手を求める」と武者小路実篤先生はおっしゃるが
僕くらいの年になると恋愛とか性欲とか卒業間近になるとも思われている。世間を眺めるとそうでもない。中原棋聖とかもそうでもなかった。みんな、いずれ、人生の卒業まで引きずるのかもしれないが、先日、武者小路実篤の言葉と称するものをツイッターで見かけて、少し考え込んだ。
武者小路実篤先生といえば、仲良きことは美しきかなというお言葉が、なすときゅうりの絵に、意味深長に添えた色紙が有名だが、他のお言葉も残しているようだ。こういうお言葉だった。
恋愛は性欲とは違って、唯一の相手を求める。性欲だらけなら結婚は不必要だ。性欲は相手を尊敬しない。
武者小路実篤
武者小路実篤先生が本当にそんなことを言ったのだろうか。武者小路実篤先生の、時代を先取りした喪男ぶりと転じてのご乱行の数々を知っている文学愛好家だと、くっくくく、苦笑で腹痛ぇ、とか言いそうな感じはするけど。
ググってみると、ばふぉばふぉとこのお言葉が出てくるが正確な出典はわからない。「人生論」かもしれない。武者小路実篤先生の人生論かあ。懐かしい。私も読んだことがあるが、すっかり忘れている。岩波新書の赤版だったと思う。そうみたいだ(参照)。とはいえ、このお言葉の出典を自分で確認したわけではないので、自分としては不確か情報ではある。
それはそれとして、このお言葉を読んで、これは逆じゃないかと思ったのだった。逆というのは、つまり、こう。
性欲は恋愛とは違って、唯一の相手を求める。恋愛だらけなら結婚は不必要だ。恋愛は相手を尊敬しない。
どう?
ふつーじゃね、とか思いませんか。
恋愛が唯一の相手を求めないのは、これを純粋にモデル化した二次元嫁な人々を見てもそう思いませんか。いや、二次元嫁な人々を馬鹿にすんな、唯一の相手を求めてるんだ、とおっしゃる? おっしゃるとでも?
恋愛だらけなら結婚は不必要だというのも、すでにご実践されているアラフォーやアラフィフティのおばさまが、ごろごろとサンダーストームのようにいらっしゃるのでは?
問題があるとすると、恋愛は相手を尊敬しないということか。尊敬すると恋愛に萌えるじゃないですかぁ、とか、おっとそこのキミ、そーゆー意味じゃないよ。恋愛には相手への敬意が込められているかというと、まあ、それはそうなんじゃないかという気はするな。だ・が・な。
じゃあ、武者小路バージョンのように、「性欲は相手を尊敬しない」かというと、そこが微妙な感じがする。これはつまり、「性欲は恋愛とは違って、唯一の相手を求める」というテーゼとも関係する。
「性欲は唯一の相手を求める」というのは、自明なんじゃないかと思う。
問題はこの「唯一性」にある。プラトンの「饗宴」で描かれるエロスのように、より好ましいものは、至上というイデアをもつに違いないからだ。イエス・キリストも、強欲な商人を称えた。天の御国は良い真珠を捜している商人のようなものだ。すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は行って持ち物を全部売り払ってそれを買う、と。その欲望が性欲と異なるものでもない。
そういう意味だと、唯一性というのは、イデアであったり天の御国であったりとして、この浮き世にはありえぬがゆえ、人生は彷徨するばかりと言えないこともない。
それでも、唯一性が個人の肉体の限界と同値であるなら、肉体を越えるまでは、自己の身体がこの身体一つである限界に見合った、性の「唯一性」に至るのではないか。
いや、むずかしいこといいたいわけではない。「性欲は唯一の相手を求める」というのは、唯一の相手を求めるときに性欲が開花されるということではないか、と。
もうちょっと言う、というか、別の視点になる。武者小路バージョンだと、恋愛が精神性、として捉えられているのではないかと思うが、それは逆で、性欲のほうが精神的なもの、もっと言うと、霊的なものではないか。
こうも言い換えてみたい。恋愛というのは意識の作用である。その起源は意識の外にあり、人は「汝は恋愛している」と意識に告げられてから意識を介して行動する。性欲はむしろその外来の根にある。性欲は自我を越えさせる精神性の起源……そうです、バタイユがヘーゲルを借りてうだうだ議論するあのエロス論ですよ。
私たちは意識を自分だと思っている。そして意識によって肉体を縁取り、その舞台の上で恋愛とかを演じているが、その本来の姿は、性欲によって肉体を越えていくことにある。私たちは、肉体という唯一性と交換するための唯一性を与えられると信じて生きている。自分とは、つまるところ、この肉体だと思っているからだ。
ま、めんどくさい話はどうでもいいけど、性欲が唯一の相手を求めるということが真理のようにどかしら直観しているから、恋愛や愛情にいつも嘘くささが付きまとうし、性欲というのをおとしめるようにした人間はその内奥から崩壊してしまう。
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コメント
要するにfinalvent氏のいつもの性的コンプレックス開陳エントリーですよね。
氏がなにかと性について語りたがるのは宗教について語りたがることと同じ構造だと思います。
読者には関係のない氏の個人的なエッセイとして読ませていただいております。
この人苦しそうだなあと。実存全開だあああ。
投稿: 日曜日 | 2012.07.01 11:49
気になる人がいるんですね(*^-^)
投稿: hto | 2012.07.02 12:40
村上春樹の小説を読んでいると、わりと出てきますよね。台風の目に巻き込まれるような恋愛(と性欲)の表現。
あれを書いてる意味がやっと腑に落ちた気がしました。
村上春樹も大概誤解されて批判されたりネタにされたりですが、受難ありつつもぜひ掘り下げて欲しいテーマですね。この辺は。
投稿: neko | 2012.07.03 02:06