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2012.06.12

非カルケドン派とキリスト教王国

 あまり読む人もなさそうなキリスト教史のような話を連ねていくのもなんだなが、あるところまで書いたら自分のなかで終わるだろうとも思っていたが、だいたい終わり、一区切りかなという感じもしたが、朝方ぼんやりと、なぜ非カルケドン派はカルケドン会議を認めなかったのかとつらつら考えていて、そうだ、そのとおりではないか、と気がついた。そうだ、そのまま「非カルケドン派はカルケドン会議を認めなかった」ということ。何となく、公会議で非カルケドン派が排斥されたかのように思っていた。その思い込みは何から来たか。「東ローマ帝国」という詐術である。
 カルケドン会議は、ローマ皇帝マルキアヌス(Marcianus)が召集し、コンスタンチノープル総主教アナトリオス(Anatolios)が主導した。このあたり通説はどうなっているかと、ウィキペディアを見ると、「東ローマ皇帝マルキアヌス(Marcianus)によって召集され」と無造作に「東ローマ皇帝」とある。英語はどうかと見ると、"the emperor Marcian"は文脈上「東ローマ帝国(Eastern Roman Empire )」に参照されていた。同じである。私は「東ローマ帝国」というものは存在しなかったと考えている。当然「ビザンチン帝国」だの「西ローマ帝国」だのも存在しない。これらはある歴史観から創作された歴史術語に過ぎない。もちろんその歴史観を採用してもよいが、私はそれは近代西欧による偏見の反映に過ぎないと考えている。存在したのはローマ帝国だけで、その統治で大きく西側の財産管理権が分離してその部分が早々に滅亡したと見ている。
 ローマ帝国は一貫してローマ帝国だった。7世紀に入ってもヘラクレイオス(Ἡράκλειος)までは皇帝尊称も公用語も変化はなかった。そもそもローマ帝国というように「帝国」とされているが、元来は共有財産(res publica)の管理権とそれに付随する市民権であった。
 ウィキペディアなどに採用されている西欧的な史観では、「東ローマ帝国」はコンスタンティヌス1世(272-337)から始まるとしている。理由はコンスタンチノープル遷都なのであろうが、歴史的には遷都と呼べるような実態はなく、皇帝が居住するのは、わずか一年間の皇帝ではあったがテオドシウス1世(347-395)からである。にもかかわらずコンスタンティヌス1世が称賛されるのは背景があるのだろう。おそらく彼がローマ帝国をキリスト教化したということではないか。実際に彼がしたのはキリスト教の認可にすぎないのに。
 と考えていて、わかったのだが、コンスタンティヌス1世称賛は、実質的には彼が初めて「公会議」を招集したことによるのではないか。これによって、ローマ帝国と関連付けられた「正しいキリスト教」が成立する。別の言い方をすると、ローマ帝国の統治の手法をキリスト教に導入するということである。目的は、ローマ帝国が地上を支配する王国であり、これを天国を支配するキリスト教と結合させることだ。第一公会議である第1ニカイア公会議では、アタナシウスによる三一教義が採択されたが、これは、天国の神=父、地上の皇帝=子、そして加えておそらく市民支配=聖霊といった暗喩が込められていた。権威はすべて「父」に帰することなり、キリスト教帝国としてのローマ帝国が完成する。
 ギリシア語を公用語にしたヘラクレイオス以降のローマ帝国では、皇帝尊称は、古来の皇帝尊称に「バシレイウス(Βασιλεύς)」が優先する。このあたりの話はキリスト教を知らないとわからないかもしれないなと、ふと気になってウィキペディアを見るとこの項目に以下の話が書かれている。


古代ローマ帝国後期においては「インペラトル、カエサル、フラウィウス、アウグストゥス」が皇帝の称号であり、初期の東ローマ帝国でもそれが引き継がれていた。ギリシア語版の勅令でも「アウトクラトール(支配者の意。インペラトルに相当)、カイサル、フフラウィオス」や「アウグストス(ないしは、同じ意味のギリシア語であるセバストス)」と記されていた。

ところが629年にサーサーン朝に勝利して首都コンスタンティノポリスヘ凱旋した皇帝ヘラクレイオス(在位:610年 - 641年)は、「キリスト信者のバシレウス」とだけ名乗った。のちに「アウトクラトール、カイサル、フラウィオス、セバストス(またはアウグストス)」といった伝統的な称号も復活し、併記されるようになった[1]が、以後これが東ローマ帝国における皇帝の称号として定着することになった。

当時、ゲルマン民族などの侵入によってラテン語使用地域の大半はローマ帝国の支配領域から離れてしまっており、新設された官位などもギリシア語の名称を使用するようになっていたことなどから、このことは帝国の公用語のギリシア語化、「ローマ帝国のギリシア化」を象徴するものとされているが、具体的になぜこの時期にヘラクレイオスが急に称号を変えた(即位時には伝統的な称号を使用していた)のかは定かではない。一説によればそれまで「バシレウス」は「諸王の王(シャーハンシャー、ギリシャ語では「バシレウス・バシレオーン」)」と称していたサーサーン朝の君主をさす用語であったものだったが、サーサーン朝を降したことによってヘラクレイオスが新たな「諸王の王」であると宣言した、とも言われている。

なお、本来「王」を示すバシレウスが皇帝を示す用語に変わったことから東ローマ帝国では他国の王を示す言葉として、ヨーロッパ諸国の王には「レークス」(ラテン語の "rex" 由来か)、アジア系民族には「カガノス」(可汗由来か)が使用されたという[2]。[3]


 ここを書いた人はキリスト教に詳しくないのだろう。というのは、これは「主の祈り」からすぐにわかることなのである。

Πάτερ ἡμῶν ὁ ἐν τοῖς οὐρανοῖς·
ἁγιασθήτω τὸ ὄνομά σου·
ἐλθέτω ἡ βασιλεία σου·
γενηθήτω τὸ θέλημά σου,·
ὡς ἐν οὐρανῷ καὶ ἐπὶ γῆς·

 ただし日本語訳だと多少わかりづらい。

天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ

 この「み国」が「バシレイア」であり、その王が「バシレウス」なのである。キリスト教の考え方では、天の王国の王(バシレイウス)が父=神であり、この王国が「地にも」及べ、ということで、天の王国の父と合意した地の王としての「バシレイウス」が希求される。これがキリスト教ローマ帝国である。日本人にはこじつけた考え方にも聞こえるかもしれないが、日々主の祈りをギリシア語で唱えていた当時のローマ帝国の市民には、ごく当たり前の感覚だっただろう。
 こうしたキリスト教帝国の端緒となったのがコンスタンティヌス1世であり、その天と地の整合として、つまりキリスト教帝国の権威の顕現として「公会議」が仕組まれていった。だが、コンスタンティヌス1世の時代ではまだ権威の意識は各総主教座には認知されていなかったのではないだろうか。
 話が冒頭に戻るが、「非カルケドン派」と後にされた神学者らにしてみると、神観・神学は多様にあり、神学的な正さからの理解と承認はあっても、それが地の王国であるキリスト教帝国の権威によって認可されるという事態はそもそも理解できなかったのではないか。ごく簡単にいえば、「非カルケドン派」にしてみると「公会議」と称するカルケドン会議の人々は「単性説か両性説かだけで議論するなんてキリスト教がわかってないなあ」ということだったのではないか。カルケドン会議のその後を追ってみると、合性説の扱いが微妙になっていく。
 両性説問題はカルケドン会議(451)で神学的な決着がついたとは言いがたいことから、ほぼ100年後「第2コンスタンティノポリス会議」(553)に蒸し返しが起こる。ここでは「三章問題(τρία κεφάλαια)」として三つの問題が議論されたが、この過程で合性説の厳密化が提示された。これがコプト教会などが持つ合性説とほぼ同じ形に見える。この議論が深まれば「非カルケドン派」が合理的に正統に回帰した可能性もあるだろう。しかし、そうならなかった。理由は「非カルケドン派」の多い地域がイスラム圏化し、政治的に分離していったためである。
 余談だが、イスラム圏を創始したムハンマド(Muhammad Ibn `Abd Allāh Ibn `Abd al-Muttalib)(570頃-632)はアラム語を母語とし、砂漠の教父のように黙想を信仰に取り入れていた。610年頃、マッカ郊外のヒラー山の洞窟で黙想していると、かつてイエス・キリストの誕生を告げた天使ガブリエルが現れた。驚いたムハンマドは、15歳年上の、以前雇い主だったが今では嫁となったハディージャに相談すると、彼女は従兄弟のキリスト教僧ワラカ・イブン・ナウファル(Waraka ibn Nawfal)に相談した。こうした逸話から推測するとムハンマドも砂漠の教父に根を持つキリスト教徒だったのだろう。
 

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コメント

今回の記事を書いてくださってありがとうございます。

私は、イスラム教は、「キリスト教」である、もしかしたら、真正のキリスト教かもしれない、とも思っています。

ビザンチン帝国という言い方が不適切であれば、ローマ帝国のギリシャ・エジプト版図が、アラビア半島の宗教事情に強烈な影響を与えたことは確かだろうと思います。

そのあたりの事情と、マホメットとイスラームの誕生の歴史的連鎖にもっと光を当てていただけるとありがたいと思います。

キリスト教とイスラム教についてのそのあたりのかかわりは、マホメットと同時代に、中国で鳩摩羅什漢訳仏典を駆使して天台智者大師がインド大乗仏教とは異質な中国大乗仏教を生み出した過程とアナログな部分があると思います。

天台がインド仏教からはひどく異質な中国仏教を生み出したことが、のちの禅宗やチベットの中観派につながっていきます。そして、天台宗が玄奘のもたらした唯識にいったん打ち倒されることで、ペルシャから西の宗教史とインダス川東岸から東の宗教史は、ひどく異質な歩みをすることになり、それは、ルターの宗教改革の(部分的)成功と、王陽明の結果としての挫折にまで連なるのだと思うのです。

投稿: enneagram | 2012.06.13 05:24

ムハンマドの所属したクライシュ族はマニ教徒が多かったと言う説があります。
「最後の預言者」という概念もマニ教から輸入されたものです。
ですから非カルケドン派キリスト教→マニ教→ムハンマドと考えた方が良いと思います。

投稿: | 2012.06.13 09:04

 何を以てキリスト教の本流と見なすべきかにより(なにしろ黙示録執筆の時点ですでに教会は7つに分裂しています)本当のキリスト教とはなんであるかは大きく異なるので、そのような点ではこの記事は面白い考えだと思います。(例えばカトリックローマ教会はペテロの鍵、早々と消されたエルサレム教会は「主の弟」ヤコブの血統が正当性の根拠となっているわけですが)
 私はそもそもキリスト教自体が(と言うよりもそれの母体となったグノーシス運動自体が)ディオゲネスの犬儒派の影響を多分に受けているのではないかと思います。この観点から考えるとマニ教が最も犬儒派=キリスト教的とかんがえられるものながらその法統が絶えてしまったため、時点として現存する宗教の中で最もキリスト教的なものはイスラム、次点でマニ教徒であったアウグスティヌスやイスラムを参考にしたスコラ学派を孫引きした現在のキリスト教、という考えもありだと思います。

 ところで、ディオゲネスからはずれてしまうのですが、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で知られるマックス=ウェーバーはキリスト教、ユダヤ教、道教、儒教、ヒンズー教、仏教と筆を進めたものの、志半ばにしてイスラムについてのまとまった著作はついに発表できなかったことが知られていますが、それ以前の著作でのいくつかの言説の中でイスラム=「宿命論的な予定説」と述べています。これはキリスト教においては比較的初期から萌芽があった予定説が意識されアウフヘーベンされた概念といえます。これを歪曲と見なすか、発展と見なすかによってもあるいは……?

投稿: | 2012.06.15 00:05

…と言うより、ローマ=カトリックとその亜流のプロテスタントをキリスト教の本流と考えるのが、サイードの指摘するオリエンタリズムの本性ではないのか。
イエスの教えのアラム語的土着性は、「アッバ」に始まり「アッバ」に終わっている。パウロのラテン的世界の読みなおしが、西欧的キリスト教分派の成立につながった。一種の新興キリスト教が、本流顔しているわけ。

投稿: 小林幸哉 | 2012.06.16 20:35

失礼します。御一読をお願いします。
間違っているところがあったらご指摘ください。
一部のキリスト教関係者が嫌がらせ行為をしています。止める様に言って下さい。
聞く耳を持たないキリスト教聖職者の方が結構居ります。自分の説教だけ聞けということなんでしょうが、聞く耳も持ってください、受信欄を持たなかったり、受信したのに受信拒否の処理をしたり、コンピューター・ウイルスを送信したり、コンピューター上のいかがわしい行為をしたり・・と。
.
題:キリスト教の神は光を創り、男を創り・・
 キリスト教は、キリスト教の神は光を創り、男を創り、
その男の骨から女を創り、地を這う動物などを創った神だ
・・という。
 そして、何でもできる神なのだと言うのだが・・、
 その神の国は創っていないという。
 肝心の神の国ではないか・・と、言うなかれ。
 だから、その穴(けつ)ふきのために・・、
 キリスト教徒は・・、
 「その神の国・御国を来たらせたまえ」と祈らねばなら
ないという。
 もともと創らなかった神へ祈るという矛盾なんだが・・
 ??・・
 そして、キリスト教は言う、
 「神の国は神の支配が及んでいるところです」・・と。
 神の国への神の支配は及んでいるのだが・・地上に神は
創らなかったから、キリスト教徒が祈らねばならないとい
う。地上と言わず、天と言わず何でも作った神なのだが
 何でも創ったキリスト教の神は、及ばないところがある
という。
 宇宙創造は嘘だったのか? 
 神の意志で創らなかったのなら、キリスト教徒がいくら
祈ったって出来る訳がない・・
 そういう、矛盾の中に・・信仰が形作られているのが・・
キリスト教。
 キリスト教には『論理矛盾』があちこちに・・、
 びっくりするくらいある。バカバカしい宗教である。
 優秀な人材が、キリスト教に人生を奪われているが・・、
 この優秀な人材が・・人類に寄与する正業に就いたなら
ば、人類は本当により良くなり、幸せになると思う。
 ダーウィンは、キリスト教聖職者になれば、研究時間が
多く取れると、安易な職業のキリスト教聖職者に就いたと
いう話しはあるが・・。
 何もせず、安易のままなら勿体(もったい)ない。
 ほとんどのキリスト教聖職者は、この様な時間の使い方
をしているのだろう。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

投稿: 高木康行 | 2014.08.03 02:24

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