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2012.05.19

[書評]毒婦。木嶋佳苗100日裁判傍聴記(北原みのり)

 本屋で見かけてぱらっと手にしてから、連続不審死事件の木嶋佳苗被告(37)がどういう人間だったのか、事件に関わる事実と裁判の具体的な情景はどのようなものだったのだろうか、という、いわば週刊誌的な関心を今頃になってもち、読んでみた。
 1974年生まれの木嶋被告を、1970年生まれと年代の近い女性として筆者、北原みのりがどう描くのかというのにも関心をもった。書籍は「週刊朝日」の連載を元にしたらしく、読みやすく書かれ、実際さっと読み終えることができた。書籍としては、面白いとしかいいようがない。

cover
毒婦。
木嶋佳苗100日裁判傍聴記
 で、木嶋被告はどうだったのか? 事件はどうだったか? それ以前に、筆者北原みのりはどう彼女を見たか?
 答えは出てないと言っていい。著者北原は大きな不可解な謎に直面して呆然と立ち尽くしている。無理して大衆受けのする結論みたいなところから引っ張るのではなく、同じ時代を生きた女性としてどう理解できるのかと懸命にアプローチをして、わからないと踏みとどまっている。その筆致に共感できる。
 それゆえに、事件の真相といった部分についてはあまり踏み込んで書かれていない。証拠がないといわれたこの事件で、著者は木嶋が犯人なのかという問いは極力抑制している。その仕掛けによって木嶋という女性をなんとか浮かび上がらせようともしている。
 きちんと描写されればされるほど、木嶋被告という女性は謎である。著者北原が繰り返し言うように共感できない。裁判に現れる木嶋被告は、そのプロセスの大半で罪悪感のかけらも示さない。無罪だ、冤罪だとと絶叫するふうもない。もちろん起訴されている犯行は否定しているのだが、その否定の言明は常識的に見ても支離滅裂なものだし、裁判で取り出される彼女の過去の言行は嘘だらけである。だが、嘘を指摘されても木嶋被告は別段困るわけでもない。何か問題でも?といったふうである。
 犯行は別にしても、木嶋被告は、多数の男性からカネをせびり、ゆえにその心をもて遊ぶ。性関係を多数もちながらも、そこに情感はない。むしろ、彼女は上質な性行為を提供したのだから多額の対価を得るのは当然だし、対価はどのようにでも付けていいのだとしている。
 木嶋被告は男性にそもそも関心がないのかというと、そうでもない。本命に近い男性もいるにはいる。だが、およそ常人に想定される、愛情や情感というものはない。なんなのだろうか、この怪物的な人物は、と奇っ怪に思う。
 と同時に、そうして謎の人物として描かれてみると、そもそも他者というのはそういうものだよ、愛情というものはそういうものだよと、何かが私の脳裏につぶやく。
 私が過去に見た女性――性関係もそもそも恋愛関係もないけど、それなりに会話したり、仕事をしたり、同じ場を過ごしたりした女性たち――も、他者としての本質という点で、木嶋被告となんら変わらないなと思える人がいく人もいた。
 他者というのはそういうものだし、女性というのはそういうものだと私は思ったし、思ってもいる。
 他者としての彼女たちから見える男性は、木嶋被告がする次の描写と変わらない。そこに描かれる薄汚い男は私と変わりない。木嶋佳苗被告は後この事件で死ぬことになる寺田さん(当時53)の家に泊まりに行く。

 佳苗によると、約束の時間から30分遅れて帰宅した寺田さんは「待たせたね」の一言もなく、段ボールを持とうともせず、「オジサンの匂い」がしたという。また、部屋に入ると寺田さんはすぐに着替えたが、ワードローブのスーツは全て古くさくて、センスのないものばかりだった。佳苗が料理を始めると、寺田さんはなぜか下半身だけシャワーを浴び、無言のまま書斎でパソコンを始めた。佳苗がお風呂場をのぞくと、床や壁には赤カビ黒カビがこびりつき、シャンプーのボトルがぬめっていた。これまでも寺田さんの家を訪れるたびに注意してきたのに、塩や油などが冷蔵庫に入っていて、冷凍庫に入れたほうがいいとアドバイスしたはずの食パンが冷蔵庫に入っていた。
 佳苗が容赦なく、冷静な視線で寺田さんを観察する様子が浮かび上がる。

 木嶋被告からの話が事実であるかはわからないが、そう見えた像であることは間違いないし、53歳の寺田さんの風体や生活の感触は、同い年くらいの私と変わらない(余談だがなぜか私は老人臭はないようだが)。
 この冷ややかな視線のなかで、特にきついのは、食パンのくだりだ。「冷凍庫に入れたほうがいいとアドバイスしたはずの食パンが冷蔵庫に入っていた」という意味である。これは「ワードローブのスーツは全て古くさくて、センスのない」ではすまされない、なんとも愚劣なものを見る視線なのである。木嶋被告はパン作りにも熱心だったということもあるが、このように愚劣に見られた男性は、およそ感性というものはないと理解される。木嶋被告は感性のある対象としてこの男を見ていない。
 私もそういうふうに他者としての女性から見られてきた。そう見られる視線のなかで、その女性たちは私とって理解不能な他者でもあった。
 ただ違いもあると言えばある。木嶋被告はそうした他者と性交渉をして、対価を得た。対価を得ることで他者との「正しい」関わりを持つことができた。
 私の前に現れた他者たる女性たちはそういう関わりをしなかった。あるいは、私はそういう「正しい」関わりをしなかった。いや、私はただ、ある意味、恵まれていただけなのかもしれない。
 他者としての女性というのはそういうものだし、おそらく普通に婚姻関係のある男女でも、妻が夫に「冷凍庫に入れたほうがいいとアドバイスしたはずの食パンが冷蔵庫に入っていた」のを見たとき、そしてそれが繰り返されたとき、夫は妻の目から遠い他者に移されていく。
 他者というのはそういうものであり、そうなることを愛情といったものが押しとどめることはできない。そうであれば、木嶋被告は、普通に生きていたというだけではないのか。
 本書を読みながら、死に至ることになる大出嘉之さん(当時41)と自分と重ねてみることもあった。

 驚くべきスピードだった。佳苗が男性からお金を引き出していることは、もちろん知っていた。でも、これほどスピーディな荒技だったとは思わなかった。メールで徐々に信頼させ、少しずつお金を引き出した……とどこかで思っていたのだ。ところが佳苗は、太田さんからメールが来たその日のうちに、お金を要求し、セックスの話をするのである。
 実際、佳苗は大出さんと婚活サイトで出会った2日後に、大出さんの済む東京都千代田区のJR神田付近で会い、その8日後にセックスをし、翌日に470万円を受け取っている(佳苗は否認)。大出さんは税理士を目指していたこともあり、お金の管理にも厳しく、学生時代の友人との会食でも2千円以上は使わない倹約家だった。そういう男から、あっという間にお金を引き出したのだ。
 大出さんがこの世を去ったのは佳苗と出会ってから、23日後のことだった。このわずかな期間で、佳苗からは、大出さんの心を射貫くような熱いメールが怒濤のように日に何通も送られていた。

 私ならどうだろうと自分を大出さんと重ねあわす。「心を射貫くような熱いメールが怒濤のように日に何通も送られていた」らどうだろう?
 わからないというのが第一の答えで、次に自分という人間は奇妙に嫌な人間なのでそれによってその状況を免れるかもしれないとも思う。
 私は、私に向かってくる人に気をつかいながら疲れていく。私は男女の愛よりも人間の基本的な愛のようなものをおもてに立てて演じる偽善者であり、そのことでまた男女の愛情をすり減らすような人間なのである。
 私は木嶋被告のような女性との関係で、そのような奇妙な偽善者の劇を演じるのではないだろうか。そしてそういう薄気味悪い演技をする男である私と、大出さんを比べたとき、大出さんはどれほど純朴であろうかと思う。私は、たぶん、木嶋被告のようになにか、人間性が壊れている。
 車のなかで練炭の一酸化中毒で死んだ大出さんを、木嶋被告は自殺だと言った。大出さんの母はこう証言している。

 第8回公判の午後は、大出さんのお母さんが再び証言台に立った。「嘉之は照れて、にやにやしながら、出ていきました」とあらためて自殺を否定する証言をした。また、それより前の公判では、佳苗との旅行のために下着や靴下やシャツを母親がすべて用意したことや、大出さんが佳苗に会う前に、精力ドリンク「マカの元気」を2本買っていたことが検察側により明らかにされた。
 大出さん。男はバカですね。哀しいですね。
 きっとそんなふうに大出さんの肩を抱きたくなる男もいるだろう。

 肩を抱くことはないが、まあ、私も、そう思う。そして、そう書く著者北原のなかに木嶋被告と同じような女性の、ひんやりとしたものも感じる。
 女性である著者はこうも語る。

 しかし不思議だったのは、男性たちが次々に亡くなっているのに、この事件からは、全くといってほど、凄惨な暴力のにおいがしなかったことだ。亡くなった男性たちは皆、佳苗に恋をしていた。そして練炭が焚かれる中、一酸化酸素中毒で眠るように亡くなったと言われている。亡くなった晩に、佳苗がつくったビーフシチューを食べていた男性もいた。絶望や恐怖や諦観の中、死を迎えたのではないことは、残されたものの救いであると共に、「殺人」の悲惨さを薄れさせた。

 大出さんは、その死を迎えることになる晩、木嶋被告のビーフシチューを食べ、うっとりと愛の夢を見ながら死んでいったのではないか。
 本書を読んだ後、私は悪夢を見た。
 内容は覚えていないが、女性との性交渉があるという夢ではなく、愛もなく、木嶋被告のような女性と対立するような夢だった。私はいらだち苦悩していた。目覚めてから、自分の本性の、愛情の欠落に唖然する感触も残った。
 それで君ならその女性に会っても殺されなかったわけかい?と問われるなら、不幸という形が生なら、そうなのかもしれないと答える。
 木嶋被告という人間が何者であるかは本書を読んでも皆目わからなかった。ただ、自分の本質が奇妙に映し出される機会ではあった。
 その像から見える自分の薄汚さを、たとえば木嶋被告はおカネを出せばサービスとして私に愛情の夢を提供してくれるだろうかとも問い、そうもいくまいとすれば、彼女は自分を選ばないだろうとも思った。
 著者北原は、木嶋被告がどのように男性を選んだのかと問いながら、背丈が重要ではなかったか、と問う部分がある。それはある決定的な洞察を持っている。もちろん、背の低い男性でも暴力は振るうし、とてつもない暴力沙汰になることはある、が、それでも、ある動物的な暴力性は抑制される。
 著者は問うていないが、小さい男性を選び出すとことと、木嶋被告の肥満は釣り合っていたのではないかとも思った。言葉ではなかなか語れない、奇妙に生物的な次元での、奇妙な市場のチャネルがあったのではないか。そうしたよくわからない生物的なチャネルは、実は、愛情という虚構の本質なのではないか。
 地裁判決が出たあと、木嶋被告は朝日新聞に手記を発表する。本書は「週刊朝日」に連載され「朝日新聞出版」で出されたこともあり、著者北原は抑制的ではあるが、この手記にある決定的な違和感を嗅ぎつけている。そこに、おそらく控訴審への問題も秘められているように思えた。
 
 

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コメント

いつも、けちばかりつけて申し訳ないですが。
人は育った環境でや社会システムによって悪人にも善人にもなりえる。ただそれでけの事ではないかと思います。光市母子殺害事件のルポと対極をなす本だと思います。被告の様な女性は確かにいると思いますが、少数派だと個人的には思います。

投稿: ヒロ | 2012.05.19 19:57

オレオレ詐欺にひっかかった老人が
孤独な生活の中で話し相手になってくれた犯人を許したくなる
みたいな話ですよね。

罪は消えない。

投稿: とし | 2012.05.20 13:40

本稿の「拘り方」に非常に共感できると同時に、共感したことの必然的帰結として「憂鬱」になりました。

投稿: ボンボン太郎 | 2012.05.20 22:36

悪人や善人にヒトがなるきっかけが落とし穴みたく存在してしまっている冗談みたいなこの世界が、現存してしまっているヒトの世なのでしょうかね?自分が未来永劫自分が悪人にはならないと思えるヒトは幸せなのかも.....

投稿: motonigw | 2012.05.22 00:27

この文章の主語を「鳩山総理」に置き換えて
全文改竄できそうだぜ〜w

投稿: 通りすがり | 2012.05.23 09:02

女性の被告は、保護されるだけだから、キジマカナエなりに、自白も供述もしているけど、恩赦の後に、困るんです。本人が。

投稿: 大内 子寿恵 | 2012.05.25 13:06

木嶋佳苗は、社会に、「異形」を受け入れる体制を作ることを求めているのだと思う。http://butapyon.blogspot.jp/2012/05/1002.html

投稿: ぶたぴょん | 2012.06.13 02:33

北原みのりのトークショーを見たが、
被害者男性を自業自得と言わんばかりに卑下する言動で、
女尊男卑の思想が強すぎる。
女性からの共感は得られるかもしれないが、
とても客観性があるとは思えない。

投稿: 福尊 | 2012.06.23 12:49

>>同じ時代を生きた女性としてどう理解できるのかと懸命にアプローチをして

ここからして陳腐としか言いようがない
犯罪を起こすような人間は昔からいて
世代とか時代とか関係ないわけで
とはいえこんなトンデモ本買う馬鹿がいる時点で
著者と出版社は成功してるよな

投稿: | 2012.11.09 23:21

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