アフマディネジャド大統領のアブムサ島訪問について
イランのアフマディネジャド大統領がアブムサ島を訪問した。この件について、ざっと調べた程度ではあるが、毎日新聞を除いて日本ではほとんど報道がなかったようだった。しかし、現在の中東問題の大きな構図を考えていく上で重要な問題を含んでいると思えるのでブログで拾っておきたい。
例外的とも言える毎日新聞記事だが、22日付けの「ペルシャ湾:3島の領有権巡り イランと湾岸諸国対立」(参照)である。冒頭は以下のとおり、簡素にまとめられていて読みやすい。
【テヘラン鵜塚健】ペルシャ湾に浮かぶアブムサ島、大トンブ島、小トンブ島の3島の領有権を巡り、イランと湾岸諸国との対立が過熱している。イランのアフマディネジャド大統領が今月11日にアブムサ島を訪問したことに、領有権を主張するアラブ首長国連邦(UAE)が強く反発。サウジアラビアなど6カ国で作る湾岸協力会議(GCC)がUAEに加勢してイランを非難し、地域の新たな火種になっている。
基本の問題構図は、イランとアラブ首長国連邦(UAE)の領土を巡る対立である。アブムサ島、大トンブ島、小トンブ島という小さな3島の領有権の争いなので、東アジアや南米などにもある、よくあるタイプの領土問題のようにも見える。
問題の基本構図から発展している部分がある。UAE側にサウジアラビアなど6カ国で作る湾岸協力会議(GCC: Gulf Cooperation Council、サウジアラビア、クウェート、バーレーン、カタール、UAE、オマーン)が荷担していることだ。結論の一部を先回りしていうと、この構図で重要になるのはイランとサウジアラビアの対立である。
問題のもうひとつの側面は、毎日新聞記事にも言及があるが、この3島がホルムズ海峡に近いことだ。イランがこのところちらつかせているホルムズ海峡封鎖との関連がある。
アフマディネジャド大統領のアブムサ島訪問について日本で、ほとんど報道されていない理由はよくわからない。全体構図の理解が難しいのかもしれない。背景知識も多少こみ入っている。なぜアブムサ島、大トンブ島、小トンブ島に領有権問題があるのか。どのような経緯を辿っていたのか。毎日新聞記事には簡素に言及している。
アブムサ島は、英国撤退後の71年からイランが実効支配。しかし、同年に独立したUAEがその後、他の近隣2島も含めた領有権を主張した。以降、論争が続くが、本格的な衝突はなかった。
少し補足する。
この3島は元来ペルシャ帝国の領土だったものを英国が1908年に支配下に置いた。この際、現在のUAEの地域も英国の支配域に含まれた。第2次世界大戦後、世界各地の英国植民地が独立したが、アブムサ島も1960年代に英国管理下のシャールジャに移管された。1968年に英国がペルシャ湾域の支配放棄を宣言すると、パーレビ皇帝(日本では国王と呼ばれる)を頂くイラン帝国がアブムサ島に軍を派遣し、実効支配に及んだ。
1971年、アブムサ島についてイラン帝国とシャールジャは英国仲介の下、シャールジャが島民管理をするもののイラク軍の駐留も是認する協定を結んだ(参照)。この時点では領有権は曖昧な状態だったが、シャールジャが英国支配からUAEとして独立した後、1974年以降はUAEも領有権(共同管理)を主張した。アブムサ島は石油を産出するうえ、地理的にもホルムズ海峡支配の点で戦略的な位置にあるため、注目される。
1979年のイラン革命で成立したイラン・イスラム共和国は、1992年、自国領土と宣言し、アブムサ島からUAE系の住民を追放した。この話題は現在と異なり、日本のメディアでも随分と報道されたものだった。
なぜイランがこの時期に強行に出たのかについては議論が分かれるが、1991年に終えた湾岸戦後、GCCがエジプトとシリアを主軸とする「湾岸平和維持軍」創設の構想していたので、これにイランが対抗したものだろう。サウジを筆頭とするGCCとイランとの対立という構図は今回も再現されている。
ここで毎日新聞記事に戻る。先の引用は次のように続く。
しかし、大統領がアブムサ島を訪問したため、UAE政府は在UAEイラン大使を呼んで抗議。UAEが加盟するGCCは17日、外相会議を開き「イランの行為を、GCC全体に対する侵略行為とみなす」とする非難声明を出した。
同記事ではこうも指摘している。
イランとGCCは、反体制派への弾圧を続けるシリアのアサド政権に対する是非や、バーレーンの反政府デモを巡る立場でも対立。3島の領有問題が加わり、さらに対立が深まりそうだ。
そう見ることもできる。だが、今回のアフマディネジャド大統領のアブムサ島を訪問は、「さらに対立が深まり」というような追加的な対立ではない。
GCCがシリア問題を論じる会議日程に合わせて、いわばサウジ向けにイランがこのパフォーマンスを行ったと見るほうが自然だろう(参照)。
つまり、シリア問題へのGCCの取り組みに対抗して危機を煽る意味があった。するとそのメッセージ性が重要になる。
実はシリアでの実質内戦に近い状況は、サウジとイランの代理戦争の様相をもっていることが今回の件からもわかる。
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