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2012.04.08

ジェファーソン聖書

 米国のティーパーティ(茶会党)は日本では右派・保守派として見なされ、日本でリベラルと称する人たちが攻撃の対象とすることも多いようだが、ティーパーティ(Tea Party)は、1773年のボストン茶会事件(Boston Tea Party)に由来したもので、その史実を見ていくと、もしかすると日本でリベラルと称する人には、歴史的な背景をよく理解していない人もいるのかもしれない、と思うことがある。
 ボストン茶会事件は1773年12月16日、当時英国の植民地だった現在の米国、マサチューセッツ州ボストンで、英国議会による植民地の紅茶関税を規定する茶法(Tea Act)に反対した現地の人々が、示威行動として、ボストン港停泊中の英国東インド会社の商船に侵入して船荷の紅茶箱をボストン湾に投棄した事件である。英国は東インド会社の紅茶関税を排することで紅茶輸出の拡大を望んでいたが、ボストンの貿易商(実質は密貿易)には不利益となるものだった。
 茶法は直接重税を課すものないが重税と同じ効果を持つことから、現在のティーパーティは「税金はすでに十分取られている(Taxed Enough Already)」の略として、国税強化への反発のシンボルともしている。
 ボストン茶会事件が歴史的に重視されるのは、米国独立の大きな要因となったからだった。英国はこれを機にボストンを軍政下に治めたが、植民地側が反発して自治権(市民による市政権)を主張するようになった。翌年1775年、ボストン郊外レキシントン・コンコードで英国軍と、自治権を主張することで市民となり武装した民兵が衝突した。傭兵もいた。これが1783年まで続く独立戦争となった。余談だが、「米国独立戦争」は現在の英語では"American Revolutionary War"、つまり「市民革命」として理解されている。その意味でフランス革命などに並ぶものして米国では理解されている。
 独立戦争・市民革命には、市民という意識を鼓舞するためには大義やシンボルが重要になる。それは市民=民兵に命をかけさせるため大義である。市民に対して受容な事項として、あたかも教育勅語や戦陣訓のように朗唱させる必要がある。その目的で起草されたのが独立宣言である。1776年7月4日、大陸会議(the Continental Congress)によって採択された。そこで7月4日が独立記念日となる。
 なんだか世界史の講義のようになり、「日本に関係ないっす」の声が聞こえそうだが、毒皿気分でちょっと独立宣言を読んでみよう。


We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty, and the pursuit of Happiness.

我々にとってこの真理は自明である。つまり、人は生まれながらにして平等であり、侵されることのない権利が天から与えられている。それには、生命、自由、幸福の追求がある。

That to secure these rights, Governments are instituted among Men, deriving their just powers from the consent of the governed, That whenever any Form of Government becomes destructive of these ends, it is the Right of the People to alter or to abolish it, and to institute new Government, laying its foundation on such principles and organizing its powers in such form, as to them shall seem most likely to effect their Safety and Happiness.

この権利を守るために国民は政府を設置するのだから、政治の権力というものは、支配される側の国民の同意に基づいている。それゆえ、どのような形であれ、政府が国民の権利を守るという目的に反するなら、国民は政府を変更し、廃止し、新しい政府を樹立する権利を持つのである。新しい政府の樹立は、国民の安全と幸福が最大になるような形で、権力機構を構成されることになる。


 意訳っぽい、あるいは誤訳かもしれないが、大意はそんなところ。
 すぐに気がつくように、これは福沢諭吉の「学問のすゝめ」と日本国憲法前文の論理と同じである。逆にいえば、米国独立宣言の精神が、明治時代の大ベストセラー「学問のすゝめ」を作り、その理解の下地で米国占領軍が「日本国憲法」を作ったのである。日本人の民主主義と国家の基盤の直接的な源泉が、ここにあると言ってよい。
 米国の現在のティーパーティもこの厳格な権力への警戒意識をもった独立宣言を理念としているという意味で、文脈上日本国憲法の理念とも通じるところが大きい。日本国憲法が日本のリベラルとって重要なら、米国のティーパーティとも通じるというものだ。
 さて、この独立宣言文を書いたのが、トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)である。第3代米国大統領でもある。ティーパーティに支持されるジェファーソンの思想が米国を作り、敗戦国日本の国家の仮構を作り出した。ちなみに、米語の発音だと「ジェファスン」になる。
 ではジェファーソンという人は、どんな人だったのか? どうしてこんなこと考えたのか? その精神的な支柱というのはなんだったのか?
 ジェファーソンは1743年4月13日、現在のバージニア州オールバーマール郡シャドウェルで農園主の息子(10人兄弟の3番目)として生まれた。9歳のとき、長老派が経営する学校に通い、ラテン語、ギリシャ語、フランス語など語学に加え、乗馬や博物学を学び、15歳には著名な教師のもとで博物学など諸学を学んだ。16歳でウィリアム・アンド・メアリー大学に入学し、ここでジョン・ロック(John Locke)、フランシス・ベーコン(Francis Bacon)、アイザック・ニュートン(Isaac Newton)など英国経験論の影響を受けた。卒業後は、弁護士となり、政治家となった。
 政治家なんだから、当時の政治の中心課題である独立問題に関わり、独立宣言を書いても不思議はないようだが、なぜ彼が書いたのかというと、このあたりずばりと記した参考文献はないようだ。そこで私は考えるのだが、ようするにジェファーソンは、英国の当代風の教養があったからではないだろうか。
 すると、ジェファーソンの思想といっても、当時の自然思想や博物学、啓蒙主義といったものにすっぽり含まれ、それほど深い特殊な思想背景があったわけでもないだろう。当代きっての教養人ではあったが、オリジナリティのないという点では凡庸な人だったのではないだろうか。
 いや、凡庸な人間というのは、なにか凡庸を迫るべき大きな精神的な重圧のようなものを負っているものである。ジェファーソンのように、ただの凡庸とも思えない人物には、なにかがありそうなものだと見ていく。まず、自身が記したとされる墓碑銘が気になる。自画自賛がこのあたりに噴出していそうだ。

HERE WAS BURIED THOMAS JEFFERSON
AUTHOR OF THE DECLARATION OF AMERICAN INDEPENDENCE
OF THE STATUTE OF VIRGINIA FOR RELIGIOUS FREEDOM
AND FATHER OF THE UNIVERSITY OF VIRGINIA

ここにトーマス・ジェファーソンは埋葬されている
米国独立宣言の作者にして
信教の自由のためのバージニアの法の作者
そしてバージニア大学の父


 どうやら、ご本人としては、「RELIGIOUS FREEDOM」(信教の自由)を重んじたというのが人生の功績だったと思っているようだ。
 まあ、信教の自由は、英国経験論の影響を受けた人間なら当然の意識であるが、米国独立宣言文を含めて、ジェファーソンにはどことなく宗教っぽいねっとり感がある。彼は、いったい宗教というものをどう考えていたのだろうか。ニュートンのようにユニテリアンで、そしてなにか変な宗教観を実はもったのではないか?
 あった。「ジェファーソン聖書(Jefferson bible)」である。ジェファーソンは、既存の聖書を切り貼りして自分の聖書というのをこっそり作っていたのである。
 といっても聖書全体にわたる作業ではなく、新約聖書の福音書についてである。4つの異なる福音書がそれぞれ別個にイエス・キリストを描く状態と、どれもに奇跡が含まれているということが、英国経験論として許せなかったのだろう、とてつもなく。

 福音書を統合しようという情念の原形は、福音書の調和・統合をもたらした「ディアテッサロン(Diatessaron )」の作者タティアノス(Tatianos)が有名である。彼は、ユスティノス(Justinos)の弟子筋の、2世紀のシリア生まれの神学者で、現在の四福音書構成を作った、同時代のエイレナイオスの敵対勢力だった。
 そのためタティアノスは異端(Encratites)ともされた。ちなみに、ユスティノスの神学はフィロンの系譜にあると言ってもよく、その意味でタティアノスの思想が異端なのかは再吟味が必要かもしれない。この話題は、「ディアテッサロン」を組み込んだ「ペシッタ聖書(Peshitta)」にも関連する。
 いずれにしても、そうした統合福音書を作成しようという情熱は、正典を軽視するということで異端の特徴とも言える。
 ジェファーソンとそのジェファーソン聖書も異端なのではないだろうか? ジェファーソン聖書にはいったい何が書かれているのだろうか?。
 内容は、ジェファーソンが設立したバージニア大学から公開されている(参照)。タイトルは「The Life and Morals of Jesus of Nazareth(ナザレのイエスの生涯と教え)」である。


CHAPTER 1
1: And it came to pass in those days, that there went out a decree from Caesar Augustus, that all the world should be taxed.
そしてその時代、全世界に課税せよとの勅令が皇帝アウグストから出された。

2: (And this taxing was first made when Cyrenius was governor of Syria.)
そしてこの課税当初、クレオニがシリアの総督であった時代に実施された。

3: And all went to be taxed, every one into his own city.
そして、だれもが課税のために、それぞれ自分の町に行った。

4: And Joseph also went up from Galilee, out of the city of Nazareth, into Judaea, unto the city of David, which is called Bethlehem; (because he was of the house and lineage of David:)
ヨセフも、ガリレアの町ナザレを出て、ユダヤのダビデの町であるベツレヘムに行った(ヨセフはダビデの家系であったから。)

5: To be taxed with Mary his espoused wife, being great with child.
彼は、子供を宿した正妻のマリアともに課税されるためであった。

6: And so it was, that, while they were there, the days were accomplished that she should be delivered.
そして、彼らがそこにいる頃、マリアは出産日となった。

7: And she brought forth her firstborn son, and wrapped him in swaddling clothes, and laid him in a manger; because there was no room for them in the inn.
そして彼女は初子の男の子を産み、布でぐるぐる巻きにして飼い葉おけに横たえた。宿には空き部屋がなかったからだった。

8: And when eight days were accomplished for the circumcising of the child, his name was called JESUS.
そして、男の赤ちゃんにさずける割礼の8日となり、この子は「イエス」と名前が付けられた。


 つ、つまんない。
 というか、これは欽定訳聖書のルカによる福音書とまったく同じ。切り貼りしているから、オリジナルの聖書以上ことは原則として含まれていない。ジェファーソン聖書で重要なのは、彼がなにを削除したのかということだ。この部分でいえば、処女降誕の話をばっさり切り捨てたのだった。
 すると復活もないんじゃないか。そのとおり。エンディングはこうなっている。

61: Then took they the body of Jesus, and wound it in linen clothes with the spices, as the manner of the Jews is to bury.
それから彼らはイエスの遺体を受け、香料とともに亜麻布で巻いた。イエスを埋葬する儀礼であった。

62: Now in the place where he was crucified there was a garden; and in the garden a new sepulchre, wherein was never man yet laid.
彼が磔刑となった場所には庭があり、庭には、まだ誰も葬られてない新しい墓所があった。

63: There laid they Jesus,
そこにイエスを横たえた。

64: And rolled a great stone to the door of the sepulchre, and departed.
そして、巨石を墓所の入り口まで転がし、立ち去った。


 終わり。イエスは磔刑となり、共同墓所に埋葬されて、おしまい。え?
 復活はなし? なし。
 この部分は欽定訳ヨハネによる福音書とほぼ同じ。違うところもある。つまり、削除された部分がある。63の後の次の部分が削除されている。

therefore because of the Jews' preparation day; for the sepulchre was nigh at hand.
なぜならユダヤ人の準備の日だったからだ。墓所は近くにあったからでもあった。

 準備というのは「過越(Passover)」であり、共観福音書とは異なり、ヨハネによる福音書ではイエスの磔刑は、過越の犠牲の羊に模されて14日、過越の前日になる。この部分についてジェファーソンは、「復活に関連する話は削っちゃえ」としたというより、「共観福音書と合ってねーじゃん」と思ったのだろう。でも、共観福音書の文章は採用していない。
cover
The Jefferson Bible
Smithsonian Edition
 ジェファーソン聖書には、処女降誕も復活もない。他、奇跡もない。偽科学批判の人たちにもご納得の一冊ということになる。たぶん創造論も含まれていないのも、お得。ご購入は……これがマジで販売されているのである。スミソニアン博物館のお土産にもなっている(参照)。
 マジでこれを聖書の代用としている人もいるだろうし、米国議会の宣誓式でこれを使ったら……どうなると思いますか? 
 無問題。というのは、1904年には米国議会自身がこのジェファーソン聖書を出版し、新選出の議員のプレゼントとして配布していたのである。マジ!(参照)。
 ジェファーソンはいったいどういう宗教意識を持っていたのだろうか? ユニテリアンではないがそれに近いことは本人の証言がある(参照)。総じていえば、キリスト教風味の理神論宗教ということだろう。
 理神教、いいじゃないか(井之頭五郎の声で)。
 ただ、それはおそらくジェファーソンの秘密でもあった。こっそりとした背徳もあった。そもそも理神教なら聖書を必要とするわけもない。
 そう考えると、ジェファーソン聖書の意味はくっきりと見えてくる。処女降誕や復活や奇跡を否定せずにはいられなかったのである。理神を背徳として生きる人物は他にもいる。小説にも描かれている、イヴァン・ヒョードロヴィッチ・カラマーゾフとか。
 
 

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コメント

現代のTea Party は、独立戦争時のBoston Tea Party とはなんの思想的繋がりはありません。(wikipediaのtea party参照)むしろ、現代のTea Party の思想を例えるなら、橋下大阪市長の「船中八策」のほうが日本人にとって、より解りやすいと思います。

橋下市長の「船中八策」とは何か?単なる人気取りのためのプロパガンダに過ぎず、実現する可能性がゼロの政策が雑多に並べられているだけです。
Tea Partyとて同じことで、既成政党に不満を持つ過激な右派がやっている運動に過ぎません。その思想は確かに右翼思想ですが、参加者自体矛盾している思想を持っているものの集合です。

そうではなく、真正のジェファソニズムとは何かについては宮台真治の発言を参照してください。もっともこれが正しい解釈かというのは私は確かめていません。
http://www.business-plus.net/business/1005/132404.shtml

投稿: F.Nakajima | 2012.04.08 17:14

橋下氏の何故実施不可能な政策は他に意味があるのでしょう。憶測では書かない事にします。

彼らのやりたい事は地方主権ですよ。地方によって税金やサービス等はバラバラで結構。
税が高くサービスが悪い地域は夕張の様に人が逃げ出しますので行政に競争圧力が加わり、税を最小限におさえる事ができる。

破綻したくなのなら他に道はないでしょう。

投稿: ヒロ | 2012.04.10 05:31

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