ぴょんぴょん
僕の前に座った女の子にメニューを手渡すと、彼女はいろいろと見て迷い、結局ザルうどんにしたようだった。僕はカレーにしていた。注文が終わるとほかにすることがなく、僕はぼんやりしていた。彼女はケータイを見ていた。メールのチェックだろう。ケータイには緑色の、柔らかな直径3センチほどの玉がついていた。
最初にカレーが来た。それからザルうどんが来た。なんとなく目が会ったので、「うどん、コシがありますか?」ときいてみた。やっぱりうどんにすべきだったかなと思っていたのだった。
けげんそうな顔というのではなかったけど、彼女は何を問われているのかわからないようだったので、「固いですか」と付け加えた。
「ええ」と彼女は言う。
「うどん、好きなんですか」
「ええ」
会話はそこで終わるはずだった。彼女が僕に「カレー、好きですか」ときくことはないだろう。まあ、そのとおり。
ふとした間があってから、彼女は「名古屋のうどんが好きなんですよ」と言った。名古屋?
文脈がよくわからなかった。「きしめん?」ときいてみた。「いえ、普通のうどんです」。
普通?
いや、そんなことを問い返してもなんだなと思って、うなづいてからカレーを食べながら、このカレーだって普通といえば普通だなと思った。そう思っているあいだ、僕の目は彼女のケータイについている、あの柔らかそうな緑の玉を見ていたのだろう。「何か変ですか」と彼女は言ったのは、私の目線を追ったのかもしれない。
「それ、なんですか?」と僕は緑玉を指さした。彼女のほうが、え?という顔をして、まるで初めてそこに緑玉が存在することに気がついたみたいだった。
「それ触ってみていいですか」と言った自分に自分で驚いたが、彼女はケータイをもって、それを僕の前にぶらんとぶら下げたので、手を伸ばして親指と人差し指でつまむように触ってみた。たしかに柔らかい。二度ほどつまんで、つい、ぴょんぴょんと言ってしまい、目に突然砂が入ったように後悔した。
ぴょんぴょんはないだろ。ぴょんぴょんは。
「ありがとう」と僕は言って、カレーに専念することにした。幸い、彼女は微笑んでいるふうでもある。
彼女はうどんを食べているのだが、あまり見ないようにした。僕はといえば、頭のなかで、ぴょんぴょんとまだ言っている。指の感触が残っている。ああ、あれだと思う。あれだ。あれはなんと言うのだろうと考えて、われを失っているのを彼女が、落とし物これですよ、みたいな顔で見ていることに気がつき、ぴょんぴょん、と口をつく。なんてこった。
「なにが、ぴょんぴょんなんですか」
「蛙、です」
「蛙?」
「緑の蛙」
話が成立しない。カレーの味もよくわからなくなってきた。
「蛙のおもちゃなんですよ」
「蛙のおもちゃ?」
もう絶望的な気分。
「ゴムでできた蛙のおもちゃなんですよ」
「それが?」と彼女はくちごもる。
「蛙のおもちゃに、そのしっぽみたいがあって、それに、そのやわらかい玉みたいのがあって、それを摘むと、蛙の足がぴょんぴょんとするんです」
それで通じるわけないだろ。「そのお、緑の玉がポンプになっていて、そこからこう空気を送ると、蛙の足に空気が入って、その、ぴょんぴょんと」
「はい」と彼女は小さい声で言って、ケータイについている緑の玉をあらためて見る。
「あ、いえ、それに空気が入っていると思っているわけではないし、それにケータイが蛙だと思っているわけでもないんですよ。ただ、なんか、似ているなと思って」
「そうなんですか」
「ええ」と僕は言って、なんとなく照れ笑いして、この場を終わりにしたいと神に祈る。ついでにこのまま世界が終わってもいい。
それを察してか、またうどんとカレーの世界が始まり、そして終わる。
では、と言って、すべてが終わるはずだったのに、彼女は「さっきの話のおもちゃ、おもしろいんですか?」ときいた。
「あ、おもしろいということでもないんですよ」 何を話しているのだ僕は。
「ぴょんぴょんと跳ねるんですよね」
「ええ」と僕は答えるのだけど、どうも何かが間違っている。
「ひとつ、きいていいですか」と彼女は言う。外人なら、シュアとかオフコースとか答えるところだが、「ええ」と間抜けに答える。で、ご質問は?とは言わない。
「蛙とそのポンプは細いパイプのようなものでつながっているのですよね」
「ええ、緑のビニールのパイプです。それで、こう、こっちから空気が送られて、ぴょんぴょんと」
「するとパイプの長さしか、蛙は跳べませんよね」
「そうですね、たしかに。たしかに、そうです」
「その場で、ぴょんぴょんとするだけですか」
「そういうことになりますね」
「おもしろいんですか?」
言われてみると、そんな蛙のおもちゃの何が面白いのかわからなくなってくる。
困惑した僕の顔を彼女は察して、「でも、おもしろいんですよね」ときく。
「ええ、ぴょんぴょんと」
「ぴょんぴょんと」と彼女が言う。
気まずいような沈黙が1秒くらいあってから、彼女は笑う。はははは、こりゃ僕も笑わないとしかたがない。死にたい。
「その蛙のおもちゃって、名前あるんですか」
「名前ですか。考えたこともないです。現在売っているかどうかもわからないです」
「そうですか。なにか残念な気持ちがしますね」
そして本当に残念な感じがして僕が沈み込むと、彼女は、ケータイのそれを、つまんで「ぴょんぴょん」と言った。私は笑った。
話はそれで終わり。僕に神様のお恵みを。
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コメント
ファイナルベント様ってなんだかとても可愛らしい方なんですね。
その蛙のおもちゃは弟が持っていて、私を怯えさせる為に使ったことを思い出しました。
弟は怖がる私の反応がとても面白かったみたいです。
世代が違うという事実は色んな場面で急に‘通じない’と言う現象でもってはっきりしますよね。
私がぴょんぴょんの中で一番驚いたのは、
ファイナルベント様と幸運にもお食事をご一緒された方がうどんを注文されたという事です。
麺類を異性の前で食べるという行為・・・
これもジェネレーションギャップというのなでしょうか
投稿: 桃乃 みーちゃん | 2012.03.11 05:40
いつも拝見させていただいています。失礼ですが、この話は、夢または創作ですよね。私は、50を越えてからやたらと厭な夢を見るのですが、どうすればこのような楽しい夢を見ることができるのかと。ご教示願えれば幸いです。
投稿: london_bitter | 2012.03.12 23:03
ええっと、もしかして鉄腕DASHのDASHガレージで国分太一がやってた、あの「おもちゃのカエル」ですか。「コロちゃん」とかいうネーミングで墨田区のゴム製品会社が作ってたとか言う.....
投稿: とおりすがりの | 2012.03.12 23:07
吉本隆明さんの名前はよく目にしていましたが、正直私は何も知らなくて。
今、こんなコメント書くのは、自分でもどうかと思いますが。
こちらを読ませて頂いたのですが、凄く面白くて、声にだして四回位笑ってしまいました。
あまりにも面白かったので、もう一度最初から読んで、また笑ってしまいました。
世界が終わらなくて良かった。
神様、ありがとうございます。
失礼しました。
投稿: コンコン | 2012.03.18 16:29
こんにちは。takapinoといいます。先日、尖閣問題のブログをYahooニュースで見まして、とてもおもしろいなあと過去のブログもいろいろ読ませてもらってます。
この話、とても好きなんですよね。中年男と女の子の心の交流が、というかかみ合ってなさぶりがなんともいえず微笑ましい。見ず知らずのおじさんが自分の携帯についているものを触って「ぴょんぴょん」なんか言えば、まあ普通はちょっと引きます(笑) この女の子はきっと素敵な人なんだろうなーと思ったのは、このヘンなおじさんを受け入れていくんですよね。「なにこのオヤジ」とはならない。僕がこの話に惹かれるのはここなんだろなと。なんか、言ってることも要領を得ず(笑)、全然かみ合ってないんだけどこのおじさんのことを受け入れようとしていく。最後の場面はとても印象深い。彼女が「ぴょんぴょん」と言って、「私は笑った」という場面。そのとき彼女はどんな表情でいたのか。それは書かれてない。しかし「私」の表情から彼女の表情が想像できる。僕はこの場面がとても好きなんです。
一読者として、ブログを毎日楽しみにしております。過去のものもできるだけ読んでみたいと思ってます。いろいろ大変なこともあるかと思いますがこれからも頑張ってください。
投稿: takapino | 2012.09.24 08:06