アルファブロガー・アワードの終わり
アルファブロガー・アワード2011の会合の案内をマルチメールで徳力さんからいただいて、こっそり参加してみたい気がしていた。隠れてという意識はない。ブログも形式上匿名でやっているけど隠れていたいという意図ではない。初代ASCII-NETでsigopもしてたしNiftyでsyopもしててネット歴が長く、そのころのハンドルを少し変えたみたいなつもりでいた。あのころは20代から30代でもありオフ会とかもよく出ていた。IPの仕組みもわかるのでネットに匿名もないだろとも思っていた。アルファブロガー・アワード2011については、一つの終わりの風景を傍観してみたい気がしていた。少し悩んだがその日、地域の会合があってそっちを優先した。
「極東ブログ」という名前は冗談だった。自分のイメージとしては鉄人28号的なレトロな昭和のイメージと欧米への距離感を込めたものだが、ネーミングだけで右翼だと思っている人が多いようだった。私は吉本隆明に傾倒したせいもあり戦後左翼の偽善を嫌悪しているせいかいわゆる反リベラル的な主張が多いのだが、そうした戦後が消失したせいか、私を右翼だ保守だと思う人もいるようだった。ブログの世界というのは、そういうものだった。つまり、よくは読まれないのだ。
それと、ブログというのは、ちょっと精神に問題のある人を引き寄せてしまう仕組みでもあるんじゃないかというのと、そういう仕組みにいずれにせよ関係している自分の精神の歪みのようなものも感じた。率直に言うなら、自分のブログは自分の成長というか生き方においては見事な失敗だったし、その責任は自分にあると思っている。
アルファブロガー・アワードの初回に選出されたとき、まあ、そういうものですかという感じと、こっそりと、じゃあ、アルファブロガーというものになってみますかという思いがあった。ブログが大衆化していけば、大宅壮一がテレビ文化を予見したように、いずれくだらないものになるだろうというのはわかっていた。Niftyの掲示板から2ちゃんねるの掲示板の変化は大衆化ともに避けがたい。
では、ウォルフレンが推奨したようなインナーなコミュニティあるいは旧態依然の知的組織みたいなものがあればいいのではないか、というのもあるだろう。それでもせっかっくだし、ブログというメディアがなんであるか、そしてブロガーというのはなんであるか。それを自分の活動から定義してみようではないかとも思った。ソクラテスがいなければ「哲学者」も「哲学」も定義できない、というほどでもないけど。
ちょっと気取った言い方をすれば、ブログなんて糞ばかり、ブロガーなんて馬鹿ばかりという人がいずれぞろぞろ出てくるのだから、そういう人の前に立ちはだかるようなブログとブロガーはできないものだろうかと思った。既存のメディアや知の制度というものに対立するなにかの知的存在ではありたいと思った。
有名になろうとも思わないし、これでビジネスにする気はさらさらなかった。もともとそういう器の人間でもない。でも、ブロガーというのになれるんじゃないか。そんな感じ。
その結果についてはよくわからない。結果というのは、単純な話、世の中の評価のことだし、世の中というのは、消費社会にあっては消費の仕組みとして整合したものでないといけない。いや、だとすれば、これも見事な失敗だった。他のアルファブロガーさんのように本を出してみますかなんていうオファーはなにもなかった。(いや、一つ文庫の後書きを書いた)。
では、アルファブロガーなんて、いいことがひとつもなかったかというと、それもよくわからない。よく、読まれなかったし、消費社会との整合は失敗した、として、では、読まれなかったか、というと、これは小林秀雄が言ったことだが青年は隠れるし読者は必ず存在する。その惧れのような手応えはあった。戦時に吉本隆明が決心したこととして、世の中の変化ときには声を出そうというのがあったが、世界が日本が大きな転機を迎えたとき、一人の人間として、独立した声を出してみようとは思った。私という人間はそうした声をじっと聞いて生きて来たせいもあるし。隠れた青年が本当に隠れていたというのも一興かと。
民主主義の国家がどうあるべきか。いろいろな議論はあるだろうけど、絶対的な条件は、そこに複数の声があることだと思う。複数の声というのは、異なる複数の声であって、数の多寡ではない。数の多寡を問うような世論の空気が醸され、熟議に見えるものがどれほど「正義」を掲げてもただいずれかのイデオロギー派の従属を問うだけになったら、そうじゃないんだよ、僕はこう思うんだよ、という声を上げなくてならない、というのが市民の務めだろう。私という隣人があなたという市民と暮らしているという声を上げなくていけない。
そしてできるだけ、その声を残しておくことも重要だと思う。ブログの記事は参照可能に蓄積して、それ自体が社会の精神的な豊かさなっていけばいいと思う。自分のブログについては、まあ、いろいろ考えたのだけど、僕が死んだら、このブログはココログの有料コースで維持されているので、閉鎖して記録も消えるだろうし、そのことの未練みたいのは特にない。
現在の自分という点で考えると、アルファブロガー・アワードの頃の気負いみたいなものはない。終わった感はある。ブログも、市民の声というより、ちょっと変わった隣人のぼやきみたいなものでもいいかと思っている。もともとブロガーなんていうのが大したものであっていいわけもないだし。さて、うどんでも食いに行くかな。
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コメント
> 私を右翼だ保守だと思う人もいるようだった。
姿勢を正して国家を議論せずとも良いと言う姿勢から
ニュートラルからリベラル気味だと思っていた.
世代の変化と共にニュートラルの位置も変化している.
年期の入った書き方からすれば, その内に,
リベラルブログだと思う人が増えてくるのではないか.
祇園精舎の鐘の音
投稿: ちび・むぎ・みみ・はな | 2012.03.14 19:13
精神的に問題がある人を引き寄せるのところで、グサッときましたが、finalventさんから学んだことはちゃんと自分の心に根付いていると思います。単なる知識でなしに、生きていくことへの態度とでもいうようなものです。ありがとうございます。
投稿: UT | 2012.03.14 21:35
いや、いいんじゃないですか?
ROMばっかりしてますけど、こんな隣人がいたらいいな、と思ってます。
意見が全然合わないわけじゃない、だけどまったく一緒じゃないし、教わることもある。読む本を教えてもらったりね。
アルファブロガーってのが終わったとしても、僕は最終弁当さんの書く文章嫌いじゃないし、書かれているときの「てらい」も嫌いじゃない。
まぁ弁当さん亡くなってもしらないからご焼香もできないけど、更新されなくなったら、あぁ一つ終わったなぁって思うと思う。
ご健勝であれ。
投稿: 今井 | 2012.03.15 00:28
高2くらいから社会人なりかけの今までコンスタントに読んでます。
吉本隆明とかの本を真正面から熟読する根気のない人間にとって、ブログを見ることは一つの知に対する向き合い方だったのかもしれません。岩波新書を読んで気取るような。予備校で知り合った友人と見てるブログが同じだったときには密かに喜んだものです。
高校の恩師はNIFTYからの人で、多くも少なくもない読者をかかえて今も書いてらっしゃいます。
社会的にどう、というより、ずっと書く人がいればずっと読む人がいるって程度のものじゃないかと。
ブログの「一時代」が終わってもブログという形式が続けばそれでいいだろうと。まとまった論考を読むにはちょうどいい形ですしね。
投稿: 青海苔 | 2012.03.15 02:26
貴方のブログとの出会いは、極最近のことで、
実は四半世紀も海外に住み帰国することなく来た私には、BBCやSKYのブログには慣れていても母国の日本のブログと言う発想が全くなかったのです。
ある日‘うどん’が食べたくなった私は(近所にうどん屋さんどころかうどんの麺を売っているスーパーも皆無)自分でも打てる簡単で、しかも本格的なコシのあるうどんの打ち方を検索して貴方のブログと(初めての日本人ブログ)出合ったわけです。
そのレシピと作り方は化学的で、明快、結果は美味しい手打ちうどんの出来上がり!
そしてその美味しい手打ちうどんに感動した私は貴方のブログのファンになったと言うわけです。
貴方の書評は分析が広範、多岐そして検証が入りと言ったもので、時にオヤ?と思ったり、そういう読み方・・とヒントを与えられたり・・私は貴方の物事(本でありうどんの作り方であり)を理解しそれを文章にして人に伝え続ける行為に感銘を受けずにいられません。どの世界の、どのような分野においても、先駆者というものは常に充分理解されなかったり茨の道を歩むものです・・
消費社会との整合は失敗・・とありましたが大衆に迎合しない貴方が尊い方であると却って思っています。
これからもお続けに成る限り読み続けさせて頂きます。
投稿: 桃乃 みーちゃん | 2012.03.17 04:24
読者に悪態をつきたくなる周期ってやつが
この界隈にもあるんじゃねえの?w
お年頃ってことはなさそうだしなw
投稿: 通りすがり | 2012.03.18 05:39
極東ブログが右翼!?
変化したくない主義(保守)<>変化したい主義(リベラル)という区分けで言えば明らかにリベラルであり、左翼ブログと思って読んでた私はいったい...
あまりの驚きに書き込ませていただきました
投稿: nobo-y | 2012.03.25 01:08