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2012.03.31

沖縄海兵隊メモ

 今週の日本版ニューズウィーク(4.4)の表紙に大きく「普天間と日本」とあり、沖縄の基地問題を扱っていた。その下には「海兵隊をめぐる勘違い」とある。沖縄の基地問題というより、在沖海兵隊についての話題が基本である。私にとっては目新しい知見はなかったが、確認としてブログにメモしておいてもよいように思われた。

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Newsweek (ニューズウィーク日本版)
2012年 4/4号 [雑誌]
 記事はジャーナリストのカーク・スピッツアー(Kirk Spitzer)氏によるもで、英語のタイトルは「Time to Pack up?」となっていた。私の記憶ではこの記事を英語版のNewsweekで読んだことはない。ざっと検索しても見当たらない。むしろ基本的な主張と取材は、今年1月同氏がTimeに寄稿した「Marines on Okinawa: Time to Leave?」(参照)と同じなので、日本版の編集者が「Time誌のこのネタで行こう!」とやってしまったような印象がある。
 最初にこの話題のもっとも基本的な枠組みを、私なりに説明したほうがよいのではないかと思うのでつらつらと書いてみる。
 沖縄で展開されている反米基地闘争的な運動だと、いろいろなご事情から「米軍基地」として雑駁に捉えられているが、米軍には4軍(正確にはCoast Guardを入れて5軍)、陸・海・空に海兵隊があり、その差の認識が重要になる。海兵隊は、"Marine Corps"ということから沖縄では「マリーン」とも呼ばれることもある。
 問題となっている普天間こと普天間基地、つまり普天間飛行場だが、これは海兵隊に所属している。飛行場だからといって空軍にではない。対して通称嘉手納基地こと嘉手納飛行場は、空軍に所属するが、ここには海軍駐機場もあり海軍にも関係がする。
 日本軍や自衛隊の構成から陸・海・空の3軍は理解しやすいが、海兵隊は理解しにくいかもしれない。イメージとしては海軍の歩兵と言ってもよいのかもしれないが、海軍の組織ではない。海軍と分離されている由来には、いろいろと歴史があるが、日本では事実上、軍事の歴史がタブー化されているので世界史などで教えられていないように見える。
 海兵隊の働きだが、これもイメージだと言ってよいのだろうが、その兵を船で運び敵地に上陸させ、いわば肉弾で戦闘させる。米軍が他国で戦闘するときはこれがもっとも重要になるし、沖縄戦でも熾烈な戦闘に当たった。
 話が多少飛躍するが、沖縄戦で海兵隊は辛勝した。そこで海兵隊にとって沖縄という土地は日米戦争の記念トロフィー的な意味が付与されてしまっている。記念だから手放したくないという心理がある。
 また、マッチョな組織でもあり、退役兵も米国社会的にその線で敬意をもって受け入れられ、さらにそこから政治的なロビー組織も形成し、政治に対して強い力を持っている。さすがに太平洋戦争が終了して半世紀以上の時が流れ、沖縄戦経験を持つ退役者も減ってきたが、沖縄はベトナム戦争のときも拠点だったので、そのあたりで青春の思い出を持つ人は少なくない。
 余談が伸びてしまうが、海兵隊が起こした事件として沖縄少女暴行事件に少し触れておく。私は当時、沖縄で暮らしていた。当然。この事件は沖縄で大きな事件として報道されていたが、日本本土側の反応は鈍かった。それが国際的ともいえる大々的な問題に発展したのは、米国でこれを問題視して日本本土側に反映されたためだった。なぜ米国で大問題になったかというと、あまり報道されない二点があった。一つは、建前上海兵隊員は英雄の卵なのでそんな不名誉は断じてならないということだった。もう一つは、私が当時インターネットでニュースや掲示板などを見てわかったのだが、この問題には人種問題や海兵隊内部の問題が関係していた。その暗部が露呈してしまったというパニックでもあった。
 話戻して、海兵隊というのはそういう性質のものなので、実戦となれば当然隊員を上陸させるための揚陸艦が重要になるのだが、それが沖縄には配備されていない。在沖海兵隊には緊急事態を想定した即戦力はない。であれば沖縄に常時多数の海兵隊員を配備しておく必要もない(台湾有事に備えた少数の特別任務はありえる)。
 ではなぜ多数の在沖海兵隊員がいるかというと、基本的に訓練場となっているためである。さらに10万円くらいで雇われている若い海兵隊員にとっては、フロリダみたいにすごしやすくて、そのほかいろいろ特典のある沖縄は魅力な場所になっている。なお、市街地近辺で実弾がぶっ放せる訓練場だったのは、沖縄は米統治時代、日本ではなかったことに由来する。
 加えて、普天間飛行場の由来。沖縄戦後、米国によって住民を追い払って建設されたものとされているが、間違いではないのだが、その目的は日本本土攻撃に備えるためだったので、その目的が終了してからは、市街地でもあり撤廃の方向だった。また建設時では陸軍に所属していたが、その後空軍に移管され、空軍での統合・整理の対象となっていた。このあたりはまだ秘史に関連するかもしれないが。
 この間、普天間飛行場が撤廃されず息を吹き返したのは、朝鮮戦争による影響である。1956年に岐阜県と山梨県にあった海兵隊基地を沖縄に移したためだ。なぜ移したかというと、日本国内では反米基地運動が盛んだったので、当時日本ではない沖縄に移転すればよいということだった。その理屈からすれば、沖縄が本土復帰した時点で、いったん、岐阜県と山梨県とはいかないにせよ、本土側に戻すべきだったのかもしれない。だが、この時点ですでにベトナム戦争での利用に組み込まれていた。
 簡単な前振りのはずが長くなってしまったが、具体的な戦闘能力という点のみで見れは沖縄海兵隊の意義はそれほどない。また、実際の戦闘ということでは空軍の嘉手納基地が重要になり、沖縄の米軍問題としていっしょくたには議論できない。
 さて、ニューズウィークの記事。
 基本線として国防総省系シンクタンク、アジア太平洋安全保障センターのジェフリー・ホーナング准教授の個人的な見解として、「沖縄から海兵隊を移転させたら、日本かアメリカの安全保障が損なわれるか。そうは思わない。そろそろ(海兵隊を動かしても)いい頃だろう」というコメントを引いている。ちなみに、これは先のTime誌記事にもそっくりある。
 この見解だが、単純に受け取るのではなく、国防総省あたりの観測気球的な思惑だとまず理解したほうがよい。が、その後の経緯、つまり普天間問題と在日米軍再配置問題の切り離しの動向を見ていると、背後には海兵隊の見直し論は潜んでいるのだろう。
 記事中の数値だが、在沖海兵隊員は1万4000人。うち早期展開可能な要員が半数。主力戦闘部隊となる第31海兵遠征部隊の兵力は2200人。

 海兵遠征軍は通常、2個師団以上の地上部隊や支援部隊を指揮するようにできている。例えば、91年の湾岸戦争で、第1海兵遠征軍は10万人超規模の海兵隊を指揮した。だが沖縄の第3海兵遠征隊の指揮下にある兵力は数千人程度だ。海兵隊は厳密な数字を示さないが、ほぼその全員が情報収集や通信、エンジニアリング、医療、人事などの支援任務に就いている。

 先の揚陸艦の話も関係する点では。

 さらに、沖縄駐留継続論の論拠の少なくとも一部は、もはや時代遅れになっている。朝鮮戦争やベトナム戦争の時代は、米本土からアジアに部隊を運ぶ手段が船舶だったので、沖縄に基地があるおかげで移動時間を大幅に節約できた。沖縄の基地は、戦闘を支える準備拠点としても大きな機能を果たした。
 しかし今日では、中継地を経ずに長距離輸送機で戦闘地帯に部隊を直接送り込むのが一般的だ。


 抑止効果の面で、沖縄に海兵隊を残す必要はあるのだろうか。「何に対する抑止力なのか。もし中国を念頭に置くのであれば(沖縄の海兵隊がいなくなっても)海軍の第7艦隊がいる。北朝鮮に対しては在韓米軍がいる」とホーナングは言う。

 このあたりは、実際に米軍がどのような対中軍事シナリオを持っているかによる。だが、この点についてはウィキリークスで暴露されたのだが、日本が民主党政権になってから米国側としては、日本側に対応できる責任者が不在になったから公開できないとしている。
 またベトナム戦争の時代はジャングル域での戦闘訓練として似た環境の沖縄が重視されていた面もあるが、そのあたりも変化しつつある。

 そもそも、部隊が沖縄に駐留していてもアジアの戦闘地域に迅速に展開できる保証はない。この10年間で何千人もの沖縄駐留海兵隊員がアフガニスタンに派遣されたが、ほとんどの隊員はその前に、訓練のためにカリフォルニア州の基地にいったん連れていかれた。沖縄で行える訓練に制約があるからだ。
 カリフォルニアの基地で数週間の訓練を積んだ兵士たちは、沖縄を経由せず、輸送機で直接現地入りした。沖縄の基地に駐留していることで時間を節約できるどころか、むしろ遠回りを強いられたのだ。

 同記事はそうした点から、沖縄海兵隊の不要論というあたりを面白おかしく展開している。そのため、配備予定のオスプレイの意味合いなどの考察は含まれていない。
 この問題は、いろいろと錯綜している部分がある。また多分に政治的な側面が大きい。雑誌記事レベルの知識で議論を展開していもなかなか現実には対応できないし、民主党政権の失敗でしみじみと理解できた部分も大きい。
 
 

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2012.03.29

4月から新社会人になる皆さんへ

 あまり多くはないと思うのですが、というかほとんどいなんじゃないかとも思うのですが、このブログの読者の方のなかに、もしかしたら、来週から新社会人になるという人もいるかもしれないと思って、今日は、それらのかたへ「贈る言葉」を書いてみます。自分が社会人になったばかりのころを思い出し、そのころ、何を言われてたらよかったかな、と考えながら。


1 社会人とは家計を営む人だと理解しましょう
 社会人とはなんでしょう。社会を構成している人という意味なら、赤ちゃんも社会人ということになりますが、ちょっと違いますよね。ではなにかというと、実際的には「仕事をして世間様からお金を貰っている人」と定義してよいと思います。
 じゃあ、「専業主婦は社会人じゃないの?」という疑問がすぐに起きるかもしれません。でも、その夫と家計を分担しているという意味で、専業主婦も社会人としてよいでしょう。
 いきなり脇道にそれるようですが、ここがけっこう重要なことなのです。「お金を貰う」ということは「家計を営む」ということだからです。
 「家計を営む」ということはどういうことでしょう。衣食住を自分の失費としてやりくりすることですが、そうした物品が購入できるお店(市場)が保証されているのは、「公(おおやけ)」「公共」というものが前提となります。その具体的な部分には市町村や国家があります。こうした「公」を維持するために、社会人は一定の貢献をしなければなりませんし、そのための支払いが「納税」ということになります。
 社会人というのは、だから、働いて、お金を貰って、家計を営んで、納税する人ということです。うひゃあ、とんでもないものになってしまいましたね。
 でも家計を営むのは、納税が目的ではありません。あなたの人生を実現するという意味もあります。人生を実現するというのは、衣食住を維持し、家庭を営むということです。
 むずかしいのは、この家庭というのは、伴侶を見つけて子供を産み育てるということとは限らないことです。一人静かに老いて死んでいくというのも家庭の一つのありかたですし、そういう多様な人々の家庭も尊重することが社会人に求められることです。


2 働くということは分業だからよいサービスを提供しましょう
 社会人とは「仕事をして世間様からお金を貰っている人」と定義しました。「え? 世間様って何? 食えるの?」と思う人もいるかもしれません。いや、そう思ってますよね。
 世間様というのは、簡単にいうと、泥棒をしないということです。
 人は衣食住がないと生きられません。それをお金や物品交換で(公共が支える市場を通して)入手しないといけません。
 でも、なぜ? 欲しいものがあれば、泥棒すればいいじゃないですか、となぜならないのでしょうか。
 こっそりここだけの話ですが、世の中がひどくなって、生きるためには盗み以外ないじゃないかと追い詰められたら、泥棒だってやるんです。泥棒しなければ生きられないなら、泥棒することから社会を定義し、そこから「公」を作り変えなければいけないということです。ちょっと話が進みすぎましたね。
 まあ、泥棒はいけません。盗まれる側になってみてもわかるでしょ。
 互いに泥棒はしないようにしよう、と暗黙に合意しあっているのが世間様ということです。
 そしてそれは同時に、お金や物を使って交換しないと生きてけないよ、ということですから、つまり、人が働くというのは分業だということです。
 自給自足のほうがいいじゃないかと思う人もいるかもしれません。自給自足の仲間を作って社会から孤立しちゃったほうが楽じゃないか、と。まあ、そうかもしれません。でも、それって、社会人じゃないっていうことなのでした。話を続けましょう。
 社会人は分業をします。分業とは自分が生きていくための物を得るために、自分ができるサービスや物を他の人に提供するということです。他の人(世間様)に役立つと評価されると、お金がもらえるというわけです。
 お金持ちになろうというなら、世間様に多くのサービスを提供しないといけないわけです。それだけのサービスを与えることができる人は、社会にとって大きなメリットなのですから、お金持ちが多い社会のほうが、よい社会もありそうです。あれ? なんか違う?
 不当なお金儲けはしないほうがいいでしょ、ということですかね。詐欺とかの犯罪を、そりゃいけないよという世間様は、そこでは規則として機能しているわけです。


3 公共のために貢献しましょう
 社会人は、「公」「公共」というものがあって成り立つものです。だから、「公」に一定の貢献が求められます。どんだけ?
 一番大切なことは、「公」が関わらない自分を持つことです。誰かがどれほど立派な正義を掲げようが、「そんなことは私には関係ないですよ」という、「私」という生活の部分を明確に意識することです。
 私が生きているのは、私のためであって、「公」のためではありません、一応ね。「一応」と限定するのはあとで説明しますね。
 そうして自分という「私」と「公」が区別できたら、そこからどれだけ「公」に貢献できるか考えましょう。なぜ?
 「公」に貢献することが、多様な家庭を支援する、つまり、あなたの隣人を助けるもっとも原理的な支えになるからです。
 公共のための貢献とはなんでしょう?
 家計から見れば納税です。ほかには?
 ちょっと意外かもしれないのですが、「公」に関わる一番の基本は「公」を制限するということです。正義や善を制限すると言ってもいいかもしません。
 正義や善を掲げてよい社会を作ることに、一種の快感が得られる一群の人がいるものです。それって一種の変態のような気がするのですが、まあとにかく、いるものです。そして彼らは一生懸命、正義や善を争います。
 普通の社会人は、それにはあんまり関係ありませんが、正義や善が「公」を乗っ取り、社会人の自由(代表が家計)を脅かすような怪物になることがあります。社会人としては、そういう怪物を作らないように、その権力を制限したほうがいいでしょう。
 そこで、権力に対抗するために最小限、権力に参加することが社会人に求められます。ありゃ、むずかしい話になってしまいました。
 でも簡単に言えます。簡単に言うと、政治と司法に関わるということです。具体的にはできるだけ選挙をすること陪審員になることです。
 繰り返しますが、よい社会を実現しようと意気込むよりも、「公」が怪物となって多くの人の自由を奪うことがないようにしような、というのが社会人の「公」への貢献の基本です。


4 社会人であることが強く問われる事態をたまに想像しよう
 すると、実際に社会人としてすることって、それほど多くはないんですね、となりそうです。
 そうです。そんなにありません。
 人生を楽しもうとか、自分で物事を考えようとか、まあ、そんなのは個人の自由の範囲の問題で、社会人として問われていることではありません。
 むずかしいのは、社会人として強く問われる事態があるときです。いや、こりゃまいったみたいな。
 3つ例を上げましょう。
 松本サリン事件という怖い事件がありました。オウム真理教という集団が松本で毒ガスをまいてその住民を殺害しようとした事件でしたが、当初はそう見られていませんでした。最初に毒ガスが撒かれていると河野義行さんというかたが気がつき、通報しました。それは社会人として公共への普通の貢献でもあったのですが、その先に恐ろしいことが起こりました。最初の通報者が犯人ではないかと警察は河野さんを疑い、マスコミもそれに従い、河野さんが犯人であるかのようになっていったのです。警察は河野さんの家宅捜索をして農薬を発見しました。河野さんの家から不審な煙を見たとの証言もありました。その農薬からサリンは製造できませんし、証言は間違いでしたが。河野さんは孤立しましたが、くじけませんでした。「公」が暴走しかかったときに、社会人はそれを阻止しなければなりません。その孤独な戦いを河野さんは社会人として強いられました。そういう事件がなければ、それほど社会から注目されることもない人生だったのではないかと思います。社会人であるということは、そういう理不尽な状況に追い込まれても、社会人として生きなければならないことがあるのです。
 二つ目の例は東北大震災のことです。4両編成の下り「石巻行きの快速電車」が野蒜駅を発車したとき震災が発生し、電車が止まりました。災害時のマニュアルどおり、車掌が50人ほどの乗客を3両目に集めて避難誘導しようとしました。しかし、ここで、この地域に暮らす一人の男性が避難をやめるように車掌と常客を説得しました。ほどなく大津波が押し寄せ、最寄りの指定避難所を覆いました。もし避難していたら常客の多数は死んでいたでしょう。ここに非常にむずかしい問題があります。「公」という観点からすれば、災害時のマニュアルに従うべきだったでしょう。しかし、その男性はそれが間違いであることに気がついたのです。「公」にとって正しいとされていることが、実際には「公」にとって明確に間違いであると確信できたとき、社会人はどうすべきでしょうか。必死に「公」に向かって声を上げ、説得をしなければなりません。いや、それを義務と思うべきかどうかもむずかしいところです。でも、こうした状況が、語り尽くされた「正義」を超えて社会人と「公」の関係の本質をあぶり出します。あなたがそうした場所に立たされることがあるかもしれません。
 三つ目の例は、ニューヨークの同時多発テロのときです。乗っ取られた飛行機がビルに突撃してとてつもない惨事となりました。4機の飛行機が乗っ取られたのですが、その一つユナイテッド航空93便では、乗客たちが命をかけて飛行機の奪還に乗り出しました。奪還には成功しませんでしたが、社会人たちは命をかけた戦いに繰り出したことは事実です。自分の命を救うという目的もあるでしょうが、自分たちが「公」と信じるものを守るために命がけの戦いをしたわけです。こうしたことをより延長して考えると、公務で命を失う人について、社会人がどう考えなければならないかが問われます。そしてそのことは、公のために死んだ人を追悼しようということにつながるでしょう。これもむずかしい問題です。
 社会人のみなさんの大半は、こうした難問に遭遇しないで一生が終わります。そして、そうですね、九割がたがは社会的に無名で終わるでしょう。普通の社会人というのはそういうものです。
 でも、そうした社会人の誰かは、「えええ?私がぁ?」と難問を突きつけられる状況になります。たまに想像はしてみましょう。そうした人を支援しましょう。
 というか、そういう無名の社会人が困難な状況のなかで「公」を支えてくれるおかげで、私たちは生きていけるわけです。みなさんの、誰かもそうなります。
 だから、いつも思うのです、ありがとう。
 
 

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2012.03.27

北朝鮮「人工衛星」打ち上げ問題の違和感

 来月に予定されている北朝鮮による「人工衛星」打ち上げ問題について、どうにももどかしい感じがするので、散漫になるかと思うが書いておきたい。もどかしいというのは、この問題をすっきり見渡せる視点が私の見る範囲では英米圏の報道にも見いだせないのに、遠目で見れば非常に明瞭な図柄が浮かび上がってくる奇っ怪さがあるからである。
 もどかしさにはいくつか違和感がある。まず感じられるのは、日本の市民に国防上の危機感が感じられないことだ。「そんなことはないだろう。報道を見ればNHKを筆頭に連日危機感を煽り立てているし、旧社会党残留濃度の高い民主党の政府も物々しい対応をしているではないか」というのはあるだろう。だが、日本市民として、いち生活者として、日本の安全が脅かされるといった空気は感じられない。そんな空気はないほうがましだというのはあるかもしれないが、日本市民は比較的安閑として構え、むしろ福島原発の放射能に危機感を感じているといった風情である。
 なぜなのか。「人工衛星」の落下物が日本領土内に落下する危険性があると言われても、さほどの危機感が日本の市民にないのは、おそらく、1998年、小渕内閣時代だったが、北朝鮮が通告無しに「人工衛星」テポドン1号を発射した事件のせいだろう。ミサイルは津軽海峡付近上空で日本列島をまたぐように飛び、第一段目は日本海にそして第二段目は太平洋に落下した。あのとき日本の市民は、事後になって知って大騒ぎをして、そしてそれからなーんだと内心思ったのではないか。つまり、慣れちゃったのである。今回の「人工衛星」の落下物については、さらに日本列島には落下しそうにもない。ほとんどの日本人が「関係ないじゃん」と思っているのではないだろうか。むしろ、政府の物々しい対応を違和感を持って見ているようにも、みえる。
 違和感というほどでもないが、1998年を思い出すとあのときは、ミサイルか「人工衛星」かという、率直にいえば愉快な議論があった。今回はない。あのとき国連安保理は、「ロケット推進による物体を打ち上げた行為に対し遺憾の意を示す」というジョークのような声明すら出した。が、今回は北朝鮮がどれほど「人工衛星」といってもミサイルでしょということになっている。人工衛星の技術はミサイルと同じだという話も出てくる。だったら日本の人工衛星はどうなのという話はこの文脈ではあまり聞かないが、まあでも、常識的に考えて、北朝鮮の「人工衛星」は普通にミサイルでしょ。
 違和感を列挙する。なぜ米国は騒いでいるのだろう。オバマ大統領は韓国まで出向いた。前回の北朝鮮のミサイルでもここまで騒ぐことはなかった。なぜなのか。大統領選挙で韓国系の票が欲しいというのを除いても、いくつか思うことがあるので、これも列挙すると、(1)北朝鮮の金王朝の新王には従来にないほどの危険性があること、(2)今回は非武装を理想とする平和主義の日本が脅かされるのではなく韓国領空を通過するので日本とは異なる韓国の国防意識を配慮したこと、(3)オバマ政権のヘマ、である。私は、そうこれは、オバマ政権のヘマの結果だと思っている。
 そういえばと、元外務相官僚天木直人さんのブログを見たら、案の定書いてあったが(参照)、米国はとうの昔に北朝鮮のミサイル発射方針を知っていたというのである。天木さんはこれをさも隠蔽された重要な情報だと見ているようだけど、いやそれ、わかってましたって。NHK解説委員ブログ「人工衛星"発射宣言の思惑」(参照)より。


先月の米朝協議で、北朝鮮は核実験やミサイル発射を一時凍結することを約束しました。アメリカはその見返りに栄養補助食品を支援することで合意しています。北朝鮮は、「アメリカと合意したのはミサイルの発射を凍結することであって、人工衛星を打ち上げるのは何ら問題ない」と言っていますが、アメリカだけでなく国際社会から反発を受けるのは当然、予想していたはずです。理解に苦しむところです。

 とはいえ曖昧に書かれていてわかりづらいし、他のネット上のソースがさっと見つからないが、この米朝協議で北朝鮮は「人工衛星を打ち上げるのは何ら問題ない」を米国と合意していたのだった。当然、これはミサイルだというのを米国もわかっていてこの協議を呑んだということである。
 その意味で、やるだろうなというのは米国側にはわかっていたし、実際にここまでこじらせたのは、端的に言えば、焦ったオバマ政権のヘマの一種だろう。もっともそれ以外に合理的な外交もなく、米国としても中国との何らかの手打ちの上で、ごっくんしたのかもしれないが。もうちょっと露骨にいうと、「人工衛星」かミサイルかの判定は実質米国が握っていたと言ってもいいのかもしれない。
 さて、いちばん大きな違和感。ミサイルのコースである。産経新聞「「衛星」発射 日本領空、通過の可能性 北、IMOに通報」(参照)の図を借りる。

 このコースを見て2つのことを思った。(1)どこを狙っているのか?、(2)この二段目落下地点の意味はなにか?
 1点目だが、狙いはオーストラリアである。むちゃくちゃな妄想と思う人も日本人にはいるかもしれないが、これ、普通にオーストラリアの人が見たらそう思うでしょと思って、オーストラリアの報道を見ると、普通にそう受け止めていた(参照)。
 ではなぜオーストラリアなのか。もちろん、米国の同盟国だからだし、時系列の文脈からすれば「極東ブログ:豪州米海兵隊駐留計画について」(参照)で触れたようにエアシーバトル(AirSea Battle)との関係があるだろう。
 2点目は、これはどう見てもあれでしょと思うのだが、その議論をメディアでもブログでも見かけないので不思議な感じがするし、であれば私の読み違いかもしれなが、それにしてもというのがあるので、まずこの図をご覧あれ。

 あらためて言うまでもなく第一列島線と第二列島線である。冷戦時代、西側が極東で共産主義を封じ込めるために引かれたものだが、近年では逆に中国はこれを突破することを軍事目的としている(参照)。
 今回の北朝鮮ミサイルの第二段目はこの第一列島線を意識するように落ちる。というか、明確に第一列島線が中国の軍事目的であることを表明している。
 え? 中国?
 違和感はそこだ。なぜ北朝鮮が中国の軍事戦略を先回って推進する必要があるのだろう。オーストラリアを狙うのも、これも対米国戦略と合致している。
 とすれば、このミサイル実験だが、(1)裏にいるのは中国、(2)北朝鮮が中国におもねっている、(3)米国が対中戦略で北朝鮮を陥れた、のどれかだろう。
 中国という文脈が出てくるなら、今回の実験を中国がどう見ているかだが、公式には、中国は北朝鮮のミサイル発射中止を要望している(参照)。現胡錦濤政権としては、北朝鮮の活動はご迷惑といったところだろう。ここまで露骨に東アジアの覇権を明示することは中国にもデメリットしかない。少なくとも、中国の国家規模の軍事戦略の一環に北朝鮮の核化とミサイルが組み込まれたということはなさそうだ。もっとも中国内の分子が北朝鮮と結んでいる可能性はある。
 するとどうなのか。基本線としては北朝鮮が中国に色目を使いながら軍事的な圧力をかけていると見てよいし、金王朝の新王にしてみると、先代を廃したとしても、その路線しかない。
 案外、オバマ政権はヘマしたわけでもなかったのかもしれない。
 最初から米国側で仕組んだということはないだろうが、北朝鮮にミサイル実験をさせることで、中国封じ込めの軍事体制をここで強化できるようになるからだ。少なくとも、沖縄の米軍基地を含め、日本を完全にその軍事体制に取り込む仕事がさくさくと進んでいるように見える。
 
 

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2012.03.26

トゥールーズのユダヤ人学校連続銃撃事件

 フランスのトゥールーズの住宅地にあるユダヤ人学校で19日、連続銃撃事件が起こり、教師1人と生徒3人が射殺された。狙われた対象からユダヤ人迫害かとも見られていたが、アルジェリア系の23歳のフランス人である容疑者モハメド・メラ(Mohamed Merah)は、自身を国際テロ組織アルカイダに所属していると主張した、とされている。
 この事件には事後から見ると前段があった。11日、フランス陸軍空挺部隊の軍人が至近距離から拳銃で殺害された。その際、容疑者は「お前は俺の兄弟たち(同胞)を殺した。今度は俺がお前を殺す」と叫んだとされている(参照)。また、15日、モントーバン空挺部隊の軍人3人が至近距離から拳銃で撃たれ、2人が死亡した。
 3つの事件では同一の銃で同様な殺害手法をとり、犯行に同一と見られるスクーターを使っていることから、同一犯であると見られ、そのことから逆に、トゥールーズのユダヤ人学校連続銃撃事件を反ユダヤ主義によるとする見方が後退し、一部ではオスロ事件と同じ文脈で見ようとする人もいないではないが、概ねイスラム過激派が関連したテロの文脈で見られるようになった。
 フランス警察は、容疑者が利用していたパソコンのIPアドレスから住居のアパートを割り出し、21日、包囲後に捕獲を目指して突入した。が、失敗し、32時間にわたる包囲戦の後、メラ容疑者を射殺した。
 22日、アルカイダが声明発表に利用するホームページで「ジュンド・アル・ハリーファ(Jund al-Khilafah)」は、「このフランス人はシオニストの十字軍の基礎を揺るがす作戦を実行した。われわれがこれらの作戦を実行した」「(イスラエルの)罪が、罰を免れることはない」との犯行声明を発表した(参照)。
 モハメド・メラ容疑者が射殺されたことで司法による事件解明は不可能となったが、この青年は当局にとって未知な人物ではなかった。彼は少年時代から窃盗もあり服役もしていた。アフガニスタンのカンダハルで逮捕され投獄後フランスに送還されたこともある(参照)。米国ではテロ防止を理由に航空機への搭乗を禁じる「No Fly List(商業航空機搭乗禁止リスト)」にも上がっていた(参照)。
 さて、この事件をどう見るか?
 この事件をどう見るかについて、さまざまな意見がある。先にも述べたように、反ユダヤ主義、オスロ事件でよく語られたヘイトクライム、若者暴動などにも見られるフランス社会の病理、さらには、こうした犯罪を抑制できなかったフランス当局及びサルコジ大統領の手落ち(ちなみにこの視点はフランスでは右派の視点)、などなど。
 意見は多様に見えるが、簡単に言えば、論者がそれぞれ自分の都合のよい政治的な文脈に引き寄せて、対立者をバッシングするためのネタにしているだけとしてよいだろう。特に、今年はフランス大統領選挙があるのでその文脈になんとか持ち込みたいというのは、同情できないでもない。
 私はどう見るかといえば、当初、大方の見方のように反ユダヤ主義かなと懸念したが(参照)、全体像が見えるにつれ、これは普通のイスラム過激派のテロであると思った。
 騒がれたのは、トゥールーズの閑静な住宅地といった地域で発生したため、普通のフランス人としては、1995年のリヨン地下鉄テロ(参照)を思い起こさせる、我が身に起こる惨事可能性のように思えたからだろう。
 だが実際の犯罪だけを取り出してみれば、イラクではよく起こっていることだし、「アラブの春」と称されるエジプトで進行中のキリスト教徒殺害(参照)にも似ている。英国でもテロは起きた。現在の世界なら、治安の状況によってはどこでも起こりうる事件の一例ではないか。米国では2月に自爆テロ未遂もあった(参照)。2009年のノースウエスト航空機の爆破未遂事件のウマル・ファルーク・アブドルムタラブ(Umar Farouk Abdulmutallab)容疑者も事件時には23歳の若者だった。
 今回の事件で気になる点はといえばむしろ、そのメディア性ではなかったか。メラ容疑者は犯行時にその模様を動画として記録するための装置を持っていた。sengoku38氏のようにYouTubeにアップロードとまではいかないにせよ、インターネットに公開するつもりでいたのだろう。
 正義を掲げた残虐を多くの人とメディアを通して分かち合いたかったのだろうし、それが望めるものと確信もしていただろう。そこには明確な狂気の姿があり、捏造までしてツイッターなどで残虐な物語を流す人々との狂気のグラデーションが存在する。
 
 

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2012.03.21

薄煕来・前重慶市党委書記の失脚

 薄煕来・前重慶市党委書記の失脚には謎が多く全体像が見えないなか、中国共産党内の権力闘争ではないのだといった面白い意見も出てくる時期となった。そろそろ自分の視点で素描しておきたい。
 薄氏は、次期の中国共産党最高指導部・政治局常務委員会入りが有力視されていたこともあり、その失脚は単純に考えれば、中国にありがちな熾烈な権力闘争の一環にすぎない。であればその対立の構図はどうなっているかと考えるのが常道ではあるが、その前段に今回の事件を振り返っておきたい。
 発端は王立軍・重慶市副市長兼公安局長が2月2日に突然解任されたことだが(形式上は辞任)、それが実際上の発端となるのは奇っ怪な騒ぎが続いたことにある。2月6日、王氏は上司にあたる薄氏のベンツで重慶を脱出し成都にある米国総領事館に駆け込んだ。米国は王を保護しなかったが、亡命が迫られるほどの危機があっていたと見てよい。それはなぜかという問題がここで提起される。この点は最後に触れようと思う。
 その後、王氏については表向きは、過労による休職となったが、収賄や職権乱用などの疑惑が持たれているとの報道が出る。こうした疑惑なるものは中国場合、原因なのか結果なのかよくわからない。政治的に失脚となると後から理由付けに悪人とされるものである。阿Qの論理と同じで処罰されたのはきっと阿Qが罪を犯していたに相違ないからである。
 かくして王氏の指導的な位置にある薄氏に焦点があたる。3月9日、薄氏はメディアの取材に応じ王氏の事件について任命責任を認めた。この時点で薄氏の失脚は確定した。実際の「解任」は3月15日だった。
 通常なら、王氏の事件も薄氏失脚を狙う勢力によるものだったと見てよい。だとすると、どのような対立の構図だったか。この時点の話題では、薄氏は太子党(高級幹部師弟)であり追い込んだのは共産主義青年団(共青団)だという見方が有力だった。胡錦濤国家主席は共青団の出身なので現政権からの権力闘争の構図としても見られた。2月12日付け香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストは王氏の後任に共青団の重慶市江津区共産党委員会の関海祥書記が任命されるとも見ていた(参照)が、予想通りとなり、この対立構図の見立てを裏付けるように報道された(参照)。
 さらに14日閉幕の全人代後、温家宝首相は記者会見で「現在の重慶市の党委員会と市政府は反省し、事件から教訓をくみ取らなければならない」と述べ、一連の事件の関係者を厳しく批判したことも、現政権側の権力闘争の勝利といった構図で読まれた。共同の報道もこうした構図に乗っている。15日「重慶市トップの薄熙来氏を解任 中国共産党、副市長事件受け」(参照)より。


中国共産党は重慶市トップの薄熙来党委員会書記(62)を解任し、後任に張徳江副首相(65)を充てる人事を決めた。国営通信の新華社が15日伝えた。側近だった王立軍副市長の米総領事館駆け込み事件を受けた更迭とみられる。
 薄氏は、重慶市で高い経済成長率や治安の改善などの実績を挙げ、秋の第18回党大会での最高指導部入りが有力視されていたが、今回の解任でその望みが事実上断たれる情勢になった。王氏の解任も決まった。
 薄氏は最高指導部入りが有力視された候補の中で「太子党」(高級幹部の子弟)の代表的な存在だった。同じ太子党で次期最高指導者に内定している習近平国家副主席にとっても打撃。

 日本の報道を見ていて面白いと感じるのは、憶測がなければ、重要なのは後任であり、後任がどのような背景を持つかということが報道されなければならないのに、そこが抜ける。こういう面白い情報の抜けかたは、事件の本質のしっぽに関係していることが多い。さて張徳江副首相はどのような権力の構図にあるのか。
 張氏は江沢民派なのである。
 事件全体をブラックボックスと見るなら、太子党から江沢民派が出てきたことになる。これがもっとも大きな構図である。ここをどう見るかが今回の事件のポイントになるはずだ。
 NHKはこの点について、専門家の分析として次のように伝えた。16日「中国 最高指導部巡る駆け引き激化か」(参照)より。

香港在住で中国政治の専門家の林和立氏は、「この問題の背景には、習近平国家副主席に近いとされる『太子党』と、胡錦涛国家主席につながる共産党の青年組織である『共産主義青年団』との間の勢力争いがある。薄氏の後任として、重慶市のトップになった張徳江氏は、今回、解任された薄氏とも同じ江沢民前国家主席に近いと言われる人物で、同じ系列の人物を後任に据えることで重慶市の混乱の拡大を防ぎたいとのねらいがあるものとみられる。また、アメリカ総領事館に駆け込んだ王立軍氏は、薄氏に関する汚職などの証拠も持っていると言われており、今後、薄氏まで調べが及ぶ可能性もある。今回、重慶市の書記を解任されたことで、薄氏が秋の党大会で最高指導部入りする可能性はなくなったとみている」と話しています。

 妥当な見解でもあり妥協的な見解でもある。NHK報道が十分に伝えていないようでもあるが、張氏を「同じ系列の人物」としているのは、「江沢民前国家主席に近い」としながらも太子党とも見ることもできるからだ。そこを強調するなら、ブラックボックスの入出力は太子党で等価にも見える。
 このあたりが微妙に日本国内報道の限界かもしれない。ワシントンポストはずかずかと踏み込んでいた。「A purge in China」(参照)より。

Mr. Bo’s defeat does seem to be good news for proponents of restructuring state-owned companies, a reform that government planners have identified as essential to sustaining economic growth in the next two decades.

次の20年間の経済成長維持に国営企業構造改革を提唱する人にとっては、薄氏の敗退は朗報にも聞こえる。

But the pro-statist faction associated with the Chongqing leader hardly seems to have been vanquished. His successor, Vice Premier Zhang Dejiang, is an alumnus of Kim Il Sung University who is believed to hold similar views.

だが、重慶指導者に関連した国家統制派が敗退したようには見えない。彼の後任である張徳江副首相は、類似の政治観を持つ金日成大学の卒業者である。


 ワシントンポスト以外の欧米メディアも、張氏が江沢民派である点に注目している。薄氏を追い込んだのが共青団であったとしても、この権力闘争の内側では、この間、共青団と江沢民派とでは妥協が存在していたと見てよいだろう。張は65歳と高齢で実質的な権力維持は難しいことも妥協の要因として作用しただろう。
 私の推測に過ぎないが、温家宝が薄氏に引導を渡した記者会見で「文化大革命の過ちと封建的な影響は完全には払拭できていない。政治改革を成功させないと歴史的悲劇を繰り返す恐れもある」(参照)として異例とも思える「文化大革命」への忌避感を打ち出したのも、国家統制的な勢力を抱えた江沢民派への牽制に聞こえる。
 もちろん温氏が「文化大革命」を持ち出したのは、直接的には、王氏による「打黒」(闇社会を打撃)の際、薄氏が「唱紅」(毛沢東時代の革命歌を歌う)で大衆を煽ったことによるものである。
 ここで全体構図をもう一度見直してみよう。
 気になるのは、事件の事実上の発端ともなる、王氏が米国に保護を求めたという謎である。
 王氏は生命の危機を感じたのだろう。そのような脅威を与えるのは誰かと考えるなら、彼が戦っていた闇社会である。そしてそれが米国なら救済してくれるかもしれないというのは、中国国家の暴力装置への不審もあっただろう。それは彼の亡命騒ぎの前段の解任との関連があるようにも見える。
 ところでなぜ王はそこまでして「打黒」を推進したのか。
 中国人の基底的な行動は利害であり、利害のための仁義である。王氏に別段正義感があるわけでもないだろう。利害を土台にした薄氏への忠誠である。
 ここで疑問が当然起きる。父親の代から中国社会に寄生している太子党の薄氏がなぜ、その構造の改革を求めるのだろう。別の言い方をするなら、それは共青団のやりそうなことだ。
 そのあたりで、薄氏にとっての利害は共青団への色目だったのではないかと連想される。そして、それを江沢民派の老人達の好む「唱紅」でまぶして両者のバランスを取ったのではないか。中国人は権力構造にあるとき、白黒を付けない。できるだけ灰色にする。
 当然ながら、敵対する両者の間で名声を得ようとする行為は、ある程度知恵の回る人間なら、不審そのものであり、両者を敵にする。
 今回の事件は、そうした色目の蝙蝠が自滅したということで、依然背景には、江沢民派の力があるということではないか。
 そして、次期最高権力者である習近平氏は薄氏と同型の蝙蝠である点に絶妙の面白さがある。中国人御得意の三十六計二十六・指桑罵槐を思えば、槐が薄氏で、桑が習氏であるかもしれない。
 
 

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2012.03.16

吉本隆明が亡くなった

 吉本隆明が亡くなった。未明に地震があり、あの震源はどこだったんだろうと思ってテレビの音声を聞いているときに、訃報を聞いた。
 まあ、お年だからなと思った。糖尿病を抱えヘビースモーカーで87歳というのは大往生の部類ではないか。彼の死についてはかねて理解している以上のことはないなと思って、ぼうっとしていたら、自然に涙が出て来た。ツイッターにも吉本の死のことは書くまいと思ったが、堰を切ったように連投してしまった。
 僕は吉本さんに個人的に会うことはなかった。知人が吉本さんの本の編集などをしていたので会うこともできないものでなかったけど、まあいいかと思っていた。自分が若い頃、自暴自棄になって自分の学んだことをすべて放り出したいと思ってプログラマーになって、ヴェイユのひそみもあって工場でファームウエアのアセンブラプログラムとかしているとき、吉本さんの本の、宮沢賢治に触れたところで、知識人は知性を罪責と思い自分を滅ぼしたいと願うものだがそれはダメだ、というようなことが書かれてたのを読み、それではっとして人生の転機になった。それが救いのようなものだったかどうかは、わからないけど。
 大学院にいた頃、教授の指示もあって反核ビラを撒いたことがある。世界から核兵器をなくそう、それがどんなにいいことかと思ったが、奇妙な違和感にぶつかり、それだけが原因ではないが、さまざまな青春の蹉跌といったものに遭遇した。その中心にある違和感のようなものは、その後、吉本さんの「反核異論」(参照)で心に形を作るようになった。吉本隆明の本を読むようになったのは、20代の後半、80年代半ばだったと思う。
 パソコン通信を通して知り合った全共闘世代のかたから、その時代のことを伺い、そしてその時代に生きていた吉本隆明の姿も知った。雑誌・試行は新宿の紀伊国屋でも販売しているので毎号買っては読んだ。それから、どんどんと吉本隆明に傾倒した。たぶん、団塊世代的な吉本隆明への傾倒の、いちばんしっぽにあるのが私ではないかと思う。自負とかではぜんぜんなく、時代的な文脈で理解できた最後ということ。
 吉本隆明がどういう人だったか。友だちの奥さんをかっさらって、60年代安保闘争で拘置所にぶちこまれ、70年代には昼寝をしていたという人。戦後、おまえさんはなにをしていたのかと問われたら、二人の娘をせいっぱい育てていたという以上はないな、と言った人。買い物かごをさげて、近所のスーパーでほうれん草をかっておひたしにし、味の素をふって醤油をかけるのが旨いという人。そういう人だった。そういう人であることの意味を問いかける人だった。
 吉本隆明が格闘した思想家は、親鸞と夏目漱石を上げることも可能かもしれないが、なによりマルクスであったと思う。吉本隆明という人は思想的にはコジェーヴにも近いヘーゲリアンで現代でいうなら、フランシス・フクヤマに近い。だからその根から分かれたフコーを早期に共感から注目もしていた。しかし、なんといっても吉本さんの中心にあるのはマルクスである。千年に一度しかこの世界にあらわれないといった巨匠とも彼は評した。
 吉本隆明が仮に戦後最大の思想家だとしても、千年に一度しかこの世界にあらわれないといった巨匠にかなうものではない。では、その巨匠の生涯というものは何か。吉本隆明は、「市井の片隅に生き死にした人物の生涯とべつにかわりはない」とした(参照)。


市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。


市井の片隅に生き死にした人物のほうが、判断の蓄積や、生涯にであったことの累積について、けっして単純でもなければ劣っているわけでもない。これは、じつはわたしたちがかんがえているよりもずっと怖ろしいことである。

 吉本隆明という人はその恐ろしさをずっと表現しつづけた。奥さんの和子さんは、そうした夫を、あなたの背中で悪魔の翼がばたばたと音を立てていると言った。そのとおりだろう。その和子さんがなぜ隆明を選んだのかというと、あの人は立ち小便をしない人だから、とも言った。同じことかもしれない。
 千年に一度しかこの世界にあらわれないといった巨匠も戦後最大の思想家も市井の片隅に生き死にした人物と変わるものではない、ということはどういうことなのか。
 そこから吉本隆明特有の難解さが始まる。彼の難解さには、東工大出の化学屋さんでニートになって遠山啓のもとでカントールを学びなおしたような、鳩山由紀夫風理系頭のせいもあるが、思想というものを、その人の自立に問い詰める本質的な難解さもある。

人間が知識――それはここでとりあげる人物の云いかたをかりれば人間の意識の唯一の行為である――を獲得するにつれてその知識が歴史のなかで累積され、実現して、また記述の歴史にかえるといったことは必然の経路である。

 彼がカール・マルクスについて述べたその評は、そのまま彼の後の親鸞像に繋がっていく。知識がどこまでも高度化する往相が意味を持つのは、歴史の、無数の市井の片隅に生き死にした人物に帰る還相にある。余談だが、吉本さんの頭ではこれは化学のイメージで描かれているだろう。
 思想家というのは、愚かなものでもある。が、幻想としての価値もあるのではないか。悪魔の翼をばたばたとはためかせて。

そして、これをみとめれば、知識について関与せず生き死にした市井の無数の人物よりも、知識に関与し、記述の歴史に登場したものは価値があり、またなみはずれて関与したものは、なみはずれて価値あるものであると幻想することも、人間にとって必然であるといえる。しかし、この種の認識はあくまでも幻想の領域に属している。幻想の領域から、現実の領域へとはせくだるとき、じつはこういった判断がなりたたないことがすぐにわかる。

 思想がどのように現実への小道を降るかが思想というものの課題である。ヒッキーが歌う「山は登ったら降りるものよ」である。吉本隆明は親鸞に触れ、それは人が渾身の生涯をたどれば不可避の一本道として現れるとした(参照)。ヒッキーなら「自分を認めるカレッジ・私の内なるパッセージ」である。
 だが、その道を避けるのが知と呼ばれるものであり、生半可なインテリが夢想する知の擬制であり、市井への道を閉ざすことで形成された王国であり、知識人ぶって罵倒をコメントしまくる臣民が集う。
 吉本隆明は、そうした風景に、柄谷行人や浅田彰、蓮実重彦、中沢新一らを置いた。前三人については、くずれインテリが崇拝するにふさわしい三馬鹿トリオと言った。それは吉本という食い詰め江戸っ子のユーモアでもあり、蓮実は苦笑しつつも、うっすら畏れた。
 吉本隆明の著作は、多少なりともアカデミズムに触れ学んだものには、田舎素人の馬鹿丸出しに見えるものだ。が、それゆえに馬鹿と呼ぶものは馬鹿なんだということくらい蓮実は賢かったのかもしれない。中沢はその後、糸井重里の実質的な仲介で吉本派に転向し、吉本自身もそれを受け入れていたが、あれは、老醜というものだな。
 宮台真司が出て来たときは、本当の馬鹿というものが現れたと吉本は言った。反面、福田和也は肯定的に評価した。いや、その馬鹿度は同じではないかと私はうっすらと思ったが、ネットの社会だといろいろご信者様の活動も盛んだし、私は吉本さんの芸風を継げるわけでもないので、しだいに口をつぐむことにした。
 吉本さんは、80年代、急に知識人化したビートたけしを横目で見つつ、トークバトルでもしてみませんかと編集者に問われ、もう少し話芸を磨いてからと言っていたが、そこは年には勝てない部分があった。吉本さんの罵倒芸は、からからと快活に市井の人を笑わせるものがあり、それ自体が彼の思想の健全性でもあったのだが。
 あのころ吉本さんは、吉本25時というイベントもやってみた。まあ、失敗でしょ。僕は行かなかったけど、行った知人に吉本、どうだったときいたら、ボートピープルみたいに舞台のわきでお山座りをしているのがよかったよと言っていた。いいかも。いやいいな。その横にじっと座っていたいものだ。
 死というものを問い詰めた吉本さんだが、現実的には死は無だと言っていた。幻想としてはそうでもないのかもしれない。
 ありがとう、吉本さん。倶会一処。
 
 

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2012.03.15

日米欧がレアアースで中国をWTO提訴、え?

 日本、米国、欧州連合(EU)が13日、共同して中国のレアアース(希土類)輸出を不当に制限について世界貿易機関(WTO)に提訴(紛争解決手続き)をした。中国が設定したレアアースの輸出税で各国企業が貿易上の不利な扱いを受けているというのである。
 中国を国際ルールに載せるためにいろいろな手を打ってますというポーズが米国に必要なんだろうなと聞き流していたら、朝日新聞を除いて大手紙がこの問題を社説で扱っていて、むしろそのことに驚いた。
 ざっと各紙社説を見ておこう。読売新聞社説「レアアース提訴 中国はWTOルールの順守を」(参照)より。


 レアアースは、ハイブリッド車や省エネ家電のモーターなどに不可欠な材料で、中国が世界生産の9割を占めている。
 中国は2010年からレアアースの輸出規制を強化し続けている。「環境と資源保護のため」と主張するが、自国企業に有利なように資源の囲い込みを狙っているのは明らかである。
 輸出規制で需給が逼迫した結果、レアアース価格が急騰している。日本や米欧企業の生産に支障が出ているのは問題だ。
 中国の輸出規制を放置すれば、企業生産への悪影響が一段と広がる。他の新興国などでも保護貿易主義の台頭を誘発しかねない。

 中国のレアアース規制で世界の企業に支障があるとしているが、よく読むと問題は「レアアース価格が急騰」であることは押さえている。

 今回の提訴を主導したのは、今秋の大統領選で再選を目指すオバマ米大統領である。
 大統領は、製造業復活や雇用拡大を掲げている。最大の貿易赤字国である中国との公正な競争のルール作りを訴え、選挙戦で主導権を握りたい考えだろう。

 背景に米国大統領選があるとの指摘だが、妥当なところだろう。
 毎日新聞社説「中国WTO提訴へ レアアースの確保急げ」(参照)の基本線は読売新聞社説と同じ。

 政府は中国政府に対し、改善を求めてきたが、変化の兆しはない。こうした情勢の中、政府が問題をWTOに持ち込んだことは、国際的な紛争処理ルールにのっとって、公正で透明性の高い解決を目指すものとして評価したい。
 もっとも、今回は米国の政治的思惑も拭いきれない。対中貿易赤字が膨らむ米国では、中国の経済政策に対する不満が高まっている。大統領選を控えるオバマ政権は、中国に対する強硬姿勢を示す必要があったと思われる。

 危機管理の文脈から中国依存への転換も指摘されている。

 尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件が起きた10年秋には、2カ月にわたって対日輸出がストップし、レアアースが外交カードに使われたとされる事態も起きた。レアアースは、付加価値の高いハイテク製品で活性化を目指す国内製造業の命運を握るものともいえるだけに、中国依存一辺倒からの脱却を急ぐ必要もある。
 商社などが、カザフスタンやベトナム、インド、オーストラリアなどでレアアースの資源確保を進めつつある。政府の支援で後押しする必要があるだろう。代替技術の開発や家電製品からの資源回収などにも一段と力を入れてほしい。

 常識的な議論に見えるが、その実情を背景にしているわけではない。
 産経新聞社説「中国とWTO 規範破りに厳しい対応を」(参照)は産経らしい風味があるというくらいで他紙と主張の方向に違いもないので省略し、日経新聞社説「圧力と対話で中国に譲歩促せ」(参照)だが、基本は同種の主張であるものの、外交上の問題を注視している。

日本が中国をWTO提訴するのは初めてで、対中通商政策の転換点ともいえる。日米欧が共同歩調をとったことで中国への圧力は格段に高まった。国際ルールを使い、案件ごとに是非を問う今回の判断は正しい。
 ただ、圧力だけでは問題は解決できない。日本にとって大切なのは資源の安定確保だ。WTOでの議論とともに、中国との対話も並行して進める必要がある。

 面白いのは実質ダブルスタンダードを勧めている点である。

 米中の間には経済政策について幅広く話し合う、米中戦略経済対話の枠組みがある。それに比べ、日本と中国とのパイプは不十分だ。表舞台で高めた圧力を背景に、政府は中国から譲歩を引き出す対話を深めてほしい。

 以上、今日まで沈黙している朝日新聞を除き、大手紙社説間で大きな意見の相違はない。中国を国際ルールに載せようという点と米国の外交戦略の一環であるという点である。別の言い方をすれば、資源問題ではないというのが明瞭な形ではないものの押さえられている。
 比較にフィナンシャルタイムズ社説「レアアースについての誇張された脅威(The overstated fear for rare earths)」(参照)を読むと、レアアースだから稀少というイメージに反して、希少性の問題とは言い難いことを明言している。

China’s market dominance has less to do with the rarity of these minerals - they are not all that rare - than with better standards elsewhere having made Chinese supplies particularly attractive. Other countries and companies are belatedly developing new sources of rare earths.

中国の市場支配は、これらの鉱物資源の稀少性に関連しているというより、他所にはましな基準があるせいで特段に中国の供給に旨味があることに関連している。これらの資源は稀少ではない。他国と企業は遅ればせながらレアアースの新資源を開発している。


 レアアースは、ようするに中国品が安いから中国に集中していたわけで、安さの原因は環境規制の緩さにある。
 フィナンシャルタイムズとしては、今回提訴受けて中国が規制強化を弁明にしたが、あながち外れているわけでもないとも指摘している。それでも貿易ルール上は問題がないわけでもないから、提訴もよいだろうと展開して、日本の大手紙と似たような主張に落としている。ただし、米国大統領選といった読みについては言及していない。
 話はそれだけのことだが、ちょっと面白い指摘もあった。

Weak demand from stagnating economies has put downward pressure on prices. Last year, buyers of China’s rare earths did not use up the available export quotas.

経済停滞による需要弱化は価格の下方圧力をもたらしている。昨年の、中国のレアアース購入者は、入手可能な輸出割当てを使い切っていない。


 例外もあるのではないかとは思うが、フィナンシャルタイムズが指摘しているように、現実はレアアースが入手できないと騒ぐほどことはなく、むしろ逆に、世界経済の停滞で資源価格の低下が問題になっていた。
 とすると、逆に見ることも可能だろう。価格維持のために、中国は市場と需要を見つつ規制を強化しているのはないか。
 レアアースと限らず、世界経済停滞による需要弱化は石油などにも及んでいるはずで、石油危機も多分に同種の演出がありそうだ。
 
 

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2012.03.14

アルファブロガー・アワードの終わり

 アルファブロガー・アワード2011の会合の案内をマルチメールで徳力さんからいただいて、こっそり参加してみたい気がしていた。隠れてという意識はない。ブログも形式上匿名でやっているけど隠れていたいという意図ではない。初代ASCII-NETでsigopもしてたしNiftyでsyopもしててネット歴が長く、そのころのハンドルを少し変えたみたいなつもりでいた。あのころは20代から30代でもありオフ会とかもよく出ていた。IPの仕組みもわかるのでネットに匿名もないだろとも思っていた。アルファブロガー・アワード2011については、一つの終わりの風景を傍観してみたい気がしていた。少し悩んだがその日、地域の会合があってそっちを優先した。
 「極東ブログ」という名前は冗談だった。自分のイメージとしては鉄人28号的なレトロな昭和のイメージと欧米への距離感を込めたものだが、ネーミングだけで右翼だと思っている人が多いようだった。私は吉本隆明に傾倒したせいもあり戦後左翼の偽善を嫌悪しているせいかいわゆる反リベラル的な主張が多いのだが、そうした戦後が消失したせいか、私を右翼だ保守だと思う人もいるようだった。ブログの世界というのは、そういうものだった。つまり、よくは読まれないのだ。
 それと、ブログというのは、ちょっと精神に問題のある人を引き寄せてしまう仕組みでもあるんじゃないかというのと、そういう仕組みにいずれにせよ関係している自分の精神の歪みのようなものも感じた。率直に言うなら、自分のブログは自分の成長というか生き方においては見事な失敗だったし、その責任は自分にあると思っている。
 アルファブロガー・アワードの初回に選出されたとき、まあ、そういうものですかという感じと、こっそりと、じゃあ、アルファブロガーというものになってみますかという思いがあった。ブログが大衆化していけば、大宅壮一がテレビ文化を予見したように、いずれくだらないものになるだろうというのはわかっていた。Niftyの掲示板から2ちゃんねるの掲示板の変化は大衆化ともに避けがたい。
 では、ウォルフレンが推奨したようなインナーなコミュニティあるいは旧態依然の知的組織みたいなものがあればいいのではないか、というのもあるだろう。それでもせっかっくだし、ブログというメディアがなんであるか、そしてブロガーというのはなんであるか。それを自分の活動から定義してみようではないかとも思った。ソクラテスがいなければ「哲学者」も「哲学」も定義できない、というほどでもないけど。
 ちょっと気取った言い方をすれば、ブログなんて糞ばかり、ブロガーなんて馬鹿ばかりという人がいずれぞろぞろ出てくるのだから、そういう人の前に立ちはだかるようなブログとブロガーはできないものだろうかと思った。既存のメディアや知の制度というものに対立するなにかの知的存在ではありたいと思った。
 有名になろうとも思わないし、これでビジネスにする気はさらさらなかった。もともとそういう器の人間でもない。でも、ブロガーというのになれるんじゃないか。そんな感じ。
 その結果についてはよくわからない。結果というのは、単純な話、世の中の評価のことだし、世の中というのは、消費社会にあっては消費の仕組みとして整合したものでないといけない。いや、だとすれば、これも見事な失敗だった。他のアルファブロガーさんのように本を出してみますかなんていうオファーはなにもなかった。(いや、一つ文庫の後書きを書いた)。
 では、アルファブロガーなんて、いいことがひとつもなかったかというと、それもよくわからない。よく、読まれなかったし、消費社会との整合は失敗した、として、では、読まれなかったか、というと、これは小林秀雄が言ったことだが青年は隠れるし読者は必ず存在する。その惧れのような手応えはあった。戦時に吉本隆明が決心したこととして、世の中の変化ときには声を出そうというのがあったが、世界が日本が大きな転機を迎えたとき、一人の人間として、独立した声を出してみようとは思った。私という人間はそうした声をじっと聞いて生きて来たせいもあるし。隠れた青年が本当に隠れていたというのも一興かと。
 民主主義の国家がどうあるべきか。いろいろな議論はあるだろうけど、絶対的な条件は、そこに複数の声があることだと思う。複数の声というのは、異なる複数の声であって、数の多寡ではない。数の多寡を問うような世論の空気が醸され、熟議に見えるものがどれほど「正義」を掲げてもただいずれかのイデオロギー派の従属を問うだけになったら、そうじゃないんだよ、僕はこう思うんだよ、という声を上げなくてならない、というのが市民の務めだろう。私という隣人があなたという市民と暮らしているという声を上げなくていけない。
 そしてできるだけ、その声を残しておくことも重要だと思う。ブログの記事は参照可能に蓄積して、それ自体が社会の精神的な豊かさなっていけばいいと思う。自分のブログについては、まあ、いろいろ考えたのだけど、僕が死んだら、このブログはココログの有料コースで維持されているので、閉鎖して記録も消えるだろうし、そのことの未練みたいのは特にない。
 現在の自分という点で考えると、アルファブロガー・アワードの頃の気負いみたいなものはない。終わった感はある。ブログも、市民の声というより、ちょっと変わった隣人のぼやきみたいなものでもいいかと思っている。もともとブロガーなんていうのが大したものであっていいわけもないだし。さて、うどんでも食いに行くかな。


 
 

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2012.03.12

今年の3月11日に思ったこと

 昨日は東日本大震災から1年という日だった。振り返って自分はどう思うのかというと、これがまったくわからない。亡くなったかたへ黙祷などもしない。黙祷というのがどういう意味があるのかもよくわからない。なにかの集会で黙祷しましょうと言われたら、特に否定もしないし、ほかの人がするようなしぐさをする。心は空っぽのまま。そういうことは他にもある。日の丸が飾ってあっても君が代が流れていても、さほど関心を引かない。そうする人がいても、あるいは反発する人がいても、まあ、いいんじゃいのくらい。
 自分の心が幼いからだと思うのだが、震災については、まずもって恐怖の映像が心を去らない。風化もしない。メディアを通して見ているのに、自分の最期となる瞬間が訪れてきたようにリアルに想像してしまう。
 NHKニュースの報道だったが、自動車に閉じ込められて洪水に流されていく人がいた。あれ、あの人、このまま死んじゃうんじゃないのか、ええ?と恐怖に思って見ていた。たまたまそのときツイッターしていたら、同じことを思う人がいて、やはりそう感じるよねとも思った。あのとき、映像があのまま切り替わったけど、あの人、生き延びたんだろうか。これで自分は死ぬのかと絶望して死んだんじゃないだろうか。そういう最期というのは、自分も含めて、人間の人生の真相みたいなものなんだろう。
 ざっくり言っていいのかわからないが、自分はこれだけの災害をどう理解していいかまったくわからず、ただ呆然としてしまう。とりあえず、自分は生きているのだから、生きていくというくらいでしかない。どこかでたぶん、ぶつんと終わるのだろうとは思う。災害か病気か事故か。
 大災害の大きさがよくわからないと言ったものの、よくわからないというのは、死が迫るありかたであって、その観点から見ると、災害というのはそれほど特徴的なことではないのではないかとも思っている。この感覚はあまり他人に通じないので、言っても詮無いかもしれない。
 先日、7日だったらしいが、タレントの山口美江さんが一人亡くなった。51歳とのこと。私より少し若いが私の世代の人。私は山口さんにさほど関心はなかったが、それでもずっと記憶に残っている。芸能界を引退して、アルツハイマーで寝たきりの父親を独り身で介護していたらしい。母親は彼女が16歳のときに白血病死んでいる。そして今度は山口さん自身が孤独のなかで亡くなった。死因は、今ニュースを見直すと心不全とある。事件性はないらしい。
 不幸な人生だったか。それは本人でないとわからないものだし、自分の人生を幸福と見るか不幸と見るかというのは、案外本人の認識の問題であったり、自由意思による選択の問題だったりする。
 ただ自分と年代が近いし、そのくらいの年代差の嫁さんを貰っている人が多いので、同じくらいの年代の女性で恋愛して別れた女性のこともふと連想する。あるいはそういう女性のこととして幻想する。山口さんは、個人的にはまったく知らないが、世代的には自分と若いころ恋愛とかしていても、完璧に不思議ということはないような幻想もあるからだろう。
 自分がかつて愛して、でもなんか別れた女性が、そういう末路であったとする。それはどういうことなんだろうと考える。妄想と言えば妄想だし、自分に関係ないよという話でもある。基本的に言うなら、あるいは原則的に言うなら、みなさんお幸せにお暮らしくださいねとは思う。そして、その幸せというのは、結婚して子供があって、社会的にステータスを得てということだろうか。
 タレントの清水由貴子さんのことも思い出す。彼女も自分と同世代のタレントだった。明るい笑顔はずっと覚えている。2009年、ちょっと調べると4月20日だったが、父親の墓前で自殺した。彼女もたしか未婚で、母親の介護をしていた。なんとも割り切れないような感じだけが残った。
 芋づる式に他の人も連想はするのだけど、そうしたなんとも理不尽に見える死についても、自分はいつも呆然と立ち尽くす。ただ、自分とその人たちとの距離感だけが、呆然を曖昧にする。
 その曖昧とした呆然の、霞んだ霧の向こうに何万人も、理不尽な死に遭遇した死者がいる。おーい、こっちこっち、と呼ばれているようにも思う。
 黙祷、あるいは哀悼。よくわからない。ご冥福、というのはなんか違うような気がする。自分とその霧に冥界の境のようなものはないし、冥福というその幸福が見えずに祈るしかないほど自分は隔絶されているようにも思えない。
 
 

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2012.03.10

ぴょんぴょん

 僕の前に座った女の子にメニューを手渡すと、彼女はいろいろと見て迷い、結局ザルうどんにしたようだった。僕はカレーにしていた。注文が終わるとほかにすることがなく、僕はぼんやりしていた。彼女はケータイを見ていた。メールのチェックだろう。ケータイには緑色の、柔らかな直径3センチほどの玉がついていた。
 最初にカレーが来た。それからザルうどんが来た。なんとなく目が会ったので、「うどん、コシがありますか?」ときいてみた。やっぱりうどんにすべきだったかなと思っていたのだった。
 けげんそうな顔というのではなかったけど、彼女は何を問われているのかわからないようだったので、「固いですか」と付け加えた。
 「ええ」と彼女は言う。
 「うどん、好きなんですか」
 「ええ」
 会話はそこで終わるはずだった。彼女が僕に「カレー、好きですか」ときくことはないだろう。まあ、そのとおり。
 ふとした間があってから、彼女は「名古屋のうどんが好きなんですよ」と言った。名古屋?
 文脈がよくわからなかった。「きしめん?」ときいてみた。「いえ、普通のうどんです」。
 普通?
 いや、そんなことを問い返してもなんだなと思って、うなづいてからカレーを食べながら、このカレーだって普通といえば普通だなと思った。そう思っているあいだ、僕の目は彼女のケータイについている、あの柔らかそうな緑の玉を見ていたのだろう。「何か変ですか」と彼女は言ったのは、私の目線を追ったのかもしれない。
 「それ、なんですか?」と僕は緑玉を指さした。彼女のほうが、え?という顔をして、まるで初めてそこに緑玉が存在することに気がついたみたいだった。
 「それ触ってみていいですか」と言った自分に自分で驚いたが、彼女はケータイをもって、それを僕の前にぶらんとぶら下げたので、手を伸ばして親指と人差し指でつまむように触ってみた。たしかに柔らかい。二度ほどつまんで、つい、ぴょんぴょんと言ってしまい、目に突然砂が入ったように後悔した。
 ぴょんぴょんはないだろ。ぴょんぴょんは。
 「ありがとう」と僕は言って、カレーに専念することにした。幸い、彼女は微笑んでいるふうでもある。
 彼女はうどんを食べているのだが、あまり見ないようにした。僕はといえば、頭のなかで、ぴょんぴょんとまだ言っている。指の感触が残っている。ああ、あれだと思う。あれだ。あれはなんと言うのだろうと考えて、われを失っているのを彼女が、落とし物これですよ、みたいな顔で見ていることに気がつき、ぴょんぴょん、と口をつく。なんてこった。
 「なにが、ぴょんぴょんなんですか」
 「蛙、です」
 「蛙?」
 「緑の蛙」
 話が成立しない。カレーの味もよくわからなくなってきた。
 「蛙のおもちゃなんですよ」
 「蛙のおもちゃ?」
 もう絶望的な気分。
 「ゴムでできた蛙のおもちゃなんですよ」
 「それが?」と彼女はくちごもる。
 「蛙のおもちゃに、そのしっぽみたいがあって、それに、そのやわらかい玉みたいのがあって、それを摘むと、蛙の足がぴょんぴょんとするんです」
 それで通じるわけないだろ。「そのお、緑の玉がポンプになっていて、そこからこう空気を送ると、蛙の足に空気が入って、その、ぴょんぴょんと」
 「はい」と彼女は小さい声で言って、ケータイについている緑の玉をあらためて見る。
 「あ、いえ、それに空気が入っていると思っているわけではないし、それにケータイが蛙だと思っているわけでもないんですよ。ただ、なんか、似ているなと思って」
 「そうなんですか」
 「ええ」と僕は言って、なんとなく照れ笑いして、この場を終わりにしたいと神に祈る。ついでにこのまま世界が終わってもいい。
 それを察してか、またうどんとカレーの世界が始まり、そして終わる。
 では、と言って、すべてが終わるはずだったのに、彼女は「さっきの話のおもちゃ、おもしろいんですか?」ときいた。
 「あ、おもしろいということでもないんですよ」 何を話しているのだ僕は。
 「ぴょんぴょんと跳ねるんですよね」
 「ええ」と僕は答えるのだけど、どうも何かが間違っている。
 「ひとつ、きいていいですか」と彼女は言う。外人なら、シュアとかオフコースとか答えるところだが、「ええ」と間抜けに答える。で、ご質問は?とは言わない。
 「蛙とそのポンプは細いパイプのようなものでつながっているのですよね」
 「ええ、緑のビニールのパイプです。それで、こう、こっちから空気が送られて、ぴょんぴょんと」
 「するとパイプの長さしか、蛙は跳べませんよね」
 「そうですね、たしかに。たしかに、そうです」
 「その場で、ぴょんぴょんとするだけですか」
 「そういうことになりますね」
 「おもしろいんですか?」
 言われてみると、そんな蛙のおもちゃの何が面白いのかわからなくなってくる。
 困惑した僕の顔を彼女は察して、「でも、おもしろいんですよね」ときく。
 「ええ、ぴょんぴょんと」
 「ぴょんぴょんと」と彼女が言う。
 気まずいような沈黙が1秒くらいあってから、彼女は笑う。はははは、こりゃ僕も笑わないとしかたがない。死にたい。
 「その蛙のおもちゃって、名前あるんですか」
 「名前ですか。考えたこともないです。現在売っているかどうかもわからないです」
 「そうですか。なにか残念な気持ちがしますね」
 そして本当に残念な感じがして僕が沈み込むと、彼女は、ケータイのそれを、つまんで「ぴょんぴょん」と言った。私は笑った。
 話はそれで終わり。僕に神様のお恵みを。
 
 

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2012.03.09

[書評]Living With the Himalayan Masters: ヒマラヤの師匠と暮らした日々(Swami Rama: スワミ・ラマ)

 米国では有名なヨガ行者スワミ・ラマ(Swami Rama)だが、あまり関心を持ってこなかった。ビートルズやミア・ファロー、カート・ヴォネガットの先妻などがかぶれたTM(超越瞑想)のマハリシ・マヘーシュ(Maharishi Mahesh)や、あのヘンテコ衣装とかでもオウム真理教に影響を与えたかに見えるバグワン・シュリ・ラジニーシのような類型ではないかと私は思い込んでいたのだった。ニューエージ思想に関連したインド思想は敬遠していた。
 反面、ラーマ・クリシュナ(Ramakrishna Paramhansa)やラマナ・マハルシ(Ramana Maharshi)、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ(Swami Vivekananda)、オーロビンド・ゴーシュ(Aurobindo Ghose)などそれ以前から日本読まれてきたインド思想家の著作・言行録などは特に違和感もなく読めるものは読んできた。
 その中間的とも言えるパラマハンサ・ヨガナンダ(Paramahansa Yogananda)の著作では「あるヨギの自叙伝」(参照)が面白いと思ったし、コルカタを旅行したときは、ラーマ・クリシュナとパラマハンサ・ヨガナンダのゆかりの地の訪問した。関係者にお会いもした。
 とはいえこうしたインド神秘思想みたいなものに、全般的には一定線以上心惹かれることもなかった。しいて言えばジッドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)はかなり傾倒したし、ヨガはB.K.S.アイアンガー(B.K.S. Iyengar)のメソッドを米人から学んだりしていた。

cover
Living With
the Himalayan Masters
Swami Rama
 スワミ・ラマについてはちょっと先入観で誤解していたかなという反省もあって、彼自身の自伝ともいえる「Living With the Himalayan Masters: ヒマラヤの師匠と暮らした日々」(参照)を読んでみた。当初、有名な本だから古書に翻訳があるだろうと思って探したが、どうもなさそうだった。ついで調べてみると意外にも、スワミ・ラマの本の翻訳というのが見当たらない。クリシュナムルティの本の翻訳も少なかったころを思うと、いずれ出てくるのかもしれないが、あまりの少なさに不思議な感じもした。
 本書だが、なるほど面白い本だった。書名のとおり「Living With the Himalayan Masters: ヒマラヤの師匠と暮らした日々」が描かれている。基本となる話は、スワミ・ラマが少年から一人前のヨガ行者となるまでの物語である。読んでみると、日本人からすれば、ヨガの行者というより、お寺のお坊さんと小僧さんの日常というイメージに近い。寺に預けられたやんちゃ小僧がお坊さんになる物語でもあり、一休さんみたいな逸話も出てくる。
 ヒマラヤ地方の自然や暮らしなども描かれていて、それらも興味深い。もちろんと言うべきなのだろうが、聖者や奇蹟の話もいろいろ出てくる。サイババみたいな聖者はヒマラヤにはいろいろいるようだ。
 小僧が師匠のもとで学ぶ話で、しかもヒマラヤ、というと、チョギャム・トゥルンパ(Chogyam Trungpa)の「チベットに生まれて―或る活仏の苦難の半生」(参照)を連想する。神秘思想がどのように僧院で指導されているのか、その教育システムはどうだろうか、とも関心を持った。が、そうした面は本書には、あまり描かれていない。むしろ、小僧がお師匠様から言われていろいろ旅して、あちこちの聖者に会って学んだという話が多い。言葉や書物による指導ではなく、聖人と一対一に学んでいくといくのが「知」のシステムとなっているようだ。そうした点では、グルジェフの「注目すべき人々との出会い」(参照)にも似ているし、たぶん、グルジェフもこうした僧院や聖者との遭遇はあったのだろう。
 スワミ・ラマのお師匠さんが、どこそこの師匠に学べ、とかいうとき、師匠同士はどうも「知」のネットワークを形成しているようにも見える。そしてそのネットワークは聖人とも関連がありそうだった。無名の聖人から、ラマナ・マハルシやオーロビンドなどもグラデーションのように描かれていたし、マハトマ・ガンジーもそのグラデーションに収まっている。
 本書を読みながら懐かしく思ったのは、パラマハンサ・ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」にも出てくるババジである。スワミ・ラマの師匠の師匠に関係しているらしいが、はっきりとは読み取れない。コルカタ地方を基点とした聖者伝説が曖昧に書かれているのかもしれない。つまりというべきなのか、マハー・アヴァターババジ(Mahavatar Baba)と同一視されているようでもある。たぶん、パラマハンサ・ヨガナンダの系譜の分岐点であるラハリ・マハサヤ(Lahiri Mahasaya)との関係もあるのだろう。
 本書の最終部では、スワミ・ラマが師匠から指示され、師匠の師匠に会いにチベットに向かうという話がある。なぜ師匠の師匠がインドではなくチベットにいるのか、というのがよくわからないが、読みながらテオス・バーナード(Theos Casimir Bernard)のことも思い出した。
 1906年生まれの米人バーナードは、1936年にインドに行ってヨガを学ぶのだが、短期間でハタ・ヨガを習得した後、その師匠からこれ以上の技法はチベットで学べと言われ、現在では紅茶でも有名なシッキムから、その地方のラマのつてでチベットの僧院に入り、そこで高度なヨガを学ぶのだが、年代からすると、スワミ・ラマ小僧時代と重なる。地域も当然関連している。
 バーナードはその後、米人初のチベット仏教徒となるも紛争に巻き込まれて死ぬが、スワミ・ラマの本書でも、彼がスパイに間違われて身を危うくする話がある。おとぎ話のような物語が、リアルな歴史と接触する興味深い部分でもある。
 そういえば、日本人初のヨガ行者中村天風が縁あって、ヒマラヤ、カンチェンジュンガで修行したのは1912年である。天風は師匠をカリアッパ聖人としているが、彼のヨガもスワミ・ラマのヨガに近いものがある。修行を脚色して描いた「ヨーガに生きる―中村天風とカリアッパ師の歩み」(参照)には共通点も多いように思えた。が、こちらの本は案外、スワミ・ラマの本などをネタにしていないとも限らないだろう。
 本書の世界、インドの神秘思想、というといかにもインド的な、ヒンズー教の神話や古代仏教が論敵とした外道思想などを連想するが、キリスト教もけっこう出てくる。どうやら近世以降のヒンズー教的な世界はキリスト教と融合している部分がある。読みながら「なんじゃ、これは」という奇妙な印象も持ったが、歴史を振り返っても、インドと近世西洋キリスト教の関係は深い。そういえば、パラマハンサ・ヨガナンダの師匠でもあるスワミ・ユクテスワ・ギリ(Yukteswar Giri)も「聖なる科学―真理の科学的解説」(参照)でインド哲学と聖書の神秘の融合を説いていた。
 インド神秘思想とキリスト教の融合といえば、よくあるシンクレティズムではないかと思いつつ、スワミ・ラマのヒマラヤ山中での洞穴暮らしや洞穴僧院などの記述を読んでいると、意外と初期キリスト教のほうがこれらに近いものだったのかもしれないと思えてくる。ギョレメ岩窟教会などの実際は、こうしたヒマラヤ隠者たちと類似していたのかもしれない。
 本書は、スワミ・ラマの思い出話を散漫に詰め込んだという印象があり、実際の自伝の代替にはならない。スワミ・ラマは晩年セクハラ問題で訴訟を受けたり、また青年期に結婚していて子供もあったらしいことが伝えられているが、後者については本書にその仄めかしとも思えるような記述もあった。彼は30代まで、そしてたぶん結婚のころまでは、ヨガ行者というより学僧に近かったのではないか。南インドで古典の講師もしていた。彼はハタヨガに近いこともするのだが、どうもその体系で身体を鍛えたというよりボディビルもしていたようだ。もっともプロティンを取っていたわけでもなく、筋肉もりもりというものでもなそうだ。

 本書の最終部では、ヒマラヤに戻ってヨガ修行を再開し、修行の集大成として、11か月の洞穴閉じ込め修行がある。すさまじい修行で、こういう逸話のパロディをオウム真理教もやっていたのだろう。
 その後、彼はお師匠様の命令でドイツや日本、米国に派遣される。ほぼ無一文で世界に放り出されるという話だ。米国に拠点を作るための足がかりで日本で半年過ごしてもいた。その日本での仮拠点は"Mahikari"(真光)だった。
 真光側の受け入れ担当は"Yokadasan"とある。「よかださん」とは不可解だが真光の指導者とあるので、岡田光玉のことだろう。スワミ・ラマの話では岡田がヒマラヤ聖者の幻視をしたらしいのだが、いずれにせよ、スワミ・ラマの師匠と岡田光玉とは繋がりがあったらしい。岡田側でそれらしい聖者を求めていたのか、それ以前からの繋がりかはわからない。岡田は戦中ベトナムにはいたがインドとのコネクションはなさそうなので、戦後の岡田の活動だろう。
 岡田の「世界真光文明教団」の成立は1963年。スワミ・ラマが来日したのは、1969年になる。その後も、スワミ・ラマと真光の関係は続いたようだ。岡田の仲介もあってから、カトリックとの接点もあり、スワミ・ラマは上智大学で講演などもしていた。

cover
次元の超越者スワミジ
ヒマラヤ聖者の教え
(超知ライブラリー)
 1970年代に彼は米国で活動を広げるのだが、その話は本書にはない。当然といえば当然だが、と思っていたら、「次元の超越者スワミジ―ヒマラヤ聖者の教え (超知ライブラリー)」(参照)という翻訳書があった。書名を見るとちょっと引くし、帯に「聖者について学べる格好のテキスト――船井幸雄」とあると、これは手を出すタイプの本ではないなと思ってしまうが、内容は普通に、スワミ・ラマが米国に来た2年後、1972年から弟子となったジャスティン・オブライエンによる、スワミ・ラマの回想録である。
 つまり、「Living With the Himalayan Masters: ヒマラヤの師匠と暮らした日々」の続編として読めてしまう。本書は、さすがにスワミ・ラマのお弟子というだけあって、スワミ・ラマの書籍のような奇蹟溢れる愉快なトーンで書かれている。すっかり心酔者の視点である。文学的な面白さはなく、そのまま読むとトンデモ本という印象もある。が、同時にスワミ・ラマの、テニスを愛好するといった近代人らしいようすも描かれている。
 こちらの本も面白いかといえば面白いし、スワミ・ラマとメンニンガー財団との関わりなども興味深い。こちらにも真光との関わりが描かれている。というところで思ったのだが、スワミ・ラマは真光と関係があるために逆に日本ではさほど紹介されなかったり、運動にもならなかったのかもしれない。
 あるいはそうではないかもしれない。
cover
Path of Fire and Light
 というのは、スワミ・ラマはヨガの行者だし、現代人からすればオカルトにも近い神秘思想を持っているのだが、彼自身は明瞭に科学も意識していた。米国では布教をしていたという面もあるが、それでカルト的な教団を作り上げるというよりは、科学実験に参加している。実際のところ、バイオフィードバック理論の大半はスワミ・ラマに依存している部分がありそうだ。
 スワミ・ラマに関連する興味から、実際に彼がどのような思想をもっていたのか、どのような教説を展開していたのかも関心をもったので、ついでに、「Path of Fire and Light(火と光の道)」(参照)とその続編の「Path of Fire and Light Volume 2」(参照)も読んでみた。
 「Path of Fire and Light」は、主にプラナヤマ(呼吸法)の解説だが、冒頭にこの本は上級者向けなので指導者なくして実践しないようにと注意があった。そこでどんな高度なプラナヤマが説明されているかと思うが、技法としては日本で流布されているヨガの本を大きく超えるものではなく、B.K.S.アイアンガー「ヨガ呼吸・瞑想百科」(参照)でカバーされている。が、説明についてはなるほどと思えるタントラ(密教)身体学的な観点が維持されていて、技法の意味がわかりやすい。ただし注意されているように、指導者なくこれらのプラナヤマを修行するのは危険だろうなとは思った。
cover
Path of Fire and Light
Volume 2
 「Path of Fire and Light Volume 2」は、読んでみるとまったく違った種類の書籍だった。スワミ・ラマが自分の学校で行った講義を文字化したといったもので、こちらはプラナヤマ技法にはまったく触れず、マントラや瞑想の意味について触れたあと、ヨガ・ニドラとしてシャヴァヤトラなどの簡易な修行を説明していた。こちらのほうが初心者向けとは言えるが、マントラなどはやはり指導者を前提としているので、技法的な側面にはあまり立ち入っていない。
 スワミ・ラマがこれらを教えたというのはわかるが、そのスクール(学派)でないとわからないことが多い。もうちょっとなんとかならないものかと、スワミ・ラマ系のヨガの入門書「Moving Inward The Journey to Meditation:内面に向かう。瞑想への旅(Rolf Sovik)」(参照)を読むと初心者向けの実践がやさしく書かれていた。というか、ここまで読んでみて、なんとなく全体像がわかるように思えた。
 わかってどうよ、オカルトなんか意味ないじゃんといえばそれまでだが、十万遍・百万遍念仏の意味やら、葬式の道具となってしまったお数珠だがその修行上の使い方などもタントラの文脈で理解してみると、昔の日本人なら普通に知っていた修行だったのだろうと思えて、じんとくるものはあった。


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2012.03.06

[書評]めまいについての二冊の新書

 人はなぜ病気になるのか。病気をもたらす実体が明らかになれば対処も可能になるので、近代医学はそれを細菌やウイルスとして突き止めていった(真菌の毒性については伝染性がないことで研究が遅れた)。
 ウイルスによる疾患も多く解明されてきたが、まだまだ未知な部分もある。さらにウイルスという実体が原因とは考えづらい病気も多い。例えば、癌によってはウイルスによって発症することもあるが、基本的に遺伝子の変異から起きる。また発生した癌を身体から排除しきれないという点では、免疫の問題とも言える。
 めまいという疾患については因果関係がさらに複雑になる。細菌やウイルスといった実体が関係していないわけでもないが関与は少ないようにも見える。遺伝子変化や免疫の問題ともいいがたい。しかし、日常多くの人が遭遇する病気でもあり、一般書も多く書かれている。病気とは何かという観点も含めて、比較的最近の知見を含んでいると思われるめまいについての二冊の新書を読んだ感想のようなものを記してみたい。

cover
めまいの正体
 一冊目は「めまいの正体(神崎仁)」参照)である。2004年の刊行だがまだ絶版にはなっていない。読み継がれているかあまり売れなかったかだが、前者ではないかという印象はある。帯に「それは生活全体の赤信号!」とあるように、生活習慣によってめまいがコントロールできることが主旨になっている。本文を読むと「めまいのかなりの部分は生活習慣病である」とまで書かれている。全体の構成もその主旨によっている。

第1章 セルフコントロールをめざして
第2章 めまいを起こすからだの仕組み
第3章 四つの誘因ここにご注意!
第4章 はじめようセルフコントロール
第5章 セルフコントロール可能なめまい
第6章 セルフコントロールできないめまい
第7章 生命にとって危険なめまい
第8章 リハビリテーションと自己評価

 著者はこの分野の専門家ではあるが、肥満や高血圧といった生活習慣に関連深い病気とめまいが同種の範疇に入るのか素人でも疑問に思うだろう。標準的な医療書「メルクマニュアル」(参照)を参照しても、めまいが生活習慣によるといった知見は見当たらないように思える。が、仔細に読み直してみると重篤な病気が原因となるのは5%とあり、そこから類推すると、大半のめまいは生活習慣によると言ってもよいのかもしれない。
 本書では、6章と7章といった後半部でセルフコントロールできないめまいを扱うが、全体としては、めまいをコントロールするための生活習慣の提言となっている。3章では、めまいの要因として、睡眠・血圧・脳循環・ストレスを取り上げている。4章ではこれをコントロールする生活習慣が論じられる。
 読んでいて正直なところ奇異に感じられるのは、それらはめまいというより、普通に「健康」という問題なのではないか。問題設定が正確とはいえないのではないかということだ。「睡眠・血圧・脳循環・ストレスといった生活習慣が問題なのです」の主題には「鬱病」や「肥満」、「心疾患」なども含まれそうに思える。
 また巻末の付録に顕著なのだが、めまいについて、個人の性格と関連した、実質的には「心身症」と見ているようだ。

附録1 何かを受診するか
附録2 めまいの診療手順
附録3 心理検査 ①エゴグラム、②CMI・うつ病質問票、③STAI検査法
附録4 自律訓練法
附録5 認知療法

 率直なところ一種の疑似科学の領域に近い印象ももった。もちろん、睡眠・血圧・脳循環・ストレスを管理するのは健康によいのだから、よいではないかと言えないことはない。
cover
薬も手術もいらない
めまい・メニエール病治療
 二冊目「薬も手術もいらない めまい・メニエール病治療(高橋正紘)」参照)は今年の1月の刊行で、先の文春新書の書籍から6年が経過し、別の著者ではあるが、同じテーマがどのように扱われているか関心をもって読んだ。結論からすると、文春新書と同じく、生活習慣を問題としている。

 めまいやメニエール病の原因の多くは、実は日常生活のひずみにあり、いわば生活習慣病なのです。ですから生活習慣を正さない限り、根本的な解決や治療はありません。

 率直なところ、それでは文春新書に加えて読むほどの意味はないとも思われた。が、本書では、実際の治療にあたってきた著者の現場感覚のようなものが興味を引いた。

 長らく大学でバランスや揺らぎの研究をしてきた私が、専門知識を患者さんに還元し、さらに研究を深めたいとめまい専門クリニックを開設したのは2006年5月です。以来5年間に、約3000人の患者さんを診察し、治療にあたるなかで、さらにめまいに対する理解が深まり、治療に確信が深まってきました。

 特にメニエール病に焦点を当てている。

 メニエール病の人の内耳には「内リンパ水腫」、つまり水ぶくれの状態ができていることはわかっていますが、なぜそれができるのか、まだ解明されていません。1974年(昭和49)年に厚生省特定疾患(難病)の一つに指定され、専門家によるメニエール病調査研究班が発足、以来40年近く研究が続けられていますが、わからないことがあまりにも多い病気です。


 メニエール病治療の現状は惨憺たるものです。現在盛んに行われている治療では、残念ながらメニエール病は治りませんし、それどころか副作用や後遺症を残すことすらあります。特に、私は次の3点に大きな疑問を持っています。
 第一は、無効な薬が何の疑問も持たれずに、20年以上も使い続けられていること。
 第二は、一時的な効果しか得られない手術が、一部の医療機関では、ひんぱんに実施されていること。
 第三は、後遺症のリスクの高い治療が、安易に実施されていること。

 ざっと読むと、標準的な医学に挑戦するトンデモ医学といった印象があっても不思議ではないが、本書は多数の臨床経験に加え、医学的な基礎をもって書かれていて、これらの疑問の正当性には説得力がある。
 実際の治療だが、書名のように「薬も手術もいらない」として生活習慣の改善が提起されている。内容は、文春新書よりも一歩進めて、有酸素運動も提起している。帯に「めまいは寝てても治らない」「3000人の患者を『ウォーキング』で治した!!」とあるように、有酸素運動として「ウォーキング」が指示されている。だが、実際の治療の説明を読むと通常のウォーキングよりも負荷は高いように思える。
 私の読後の印象だが、本書は臨床を考える上で非常に興味深い事例が多く、その治療法も実績を積み上げつつあることは理解できる。だが、医学的な説明としては納得しづらい面もあった。先にも述べたように、問題設定が明確ではなく、一般的な心身症に還元されているのではないか。また、指示される有酸素運動の効果は、うつ病などにも効果的なのではないか。そうであるなら、疾患の特定がまだ十分にできていないのではないかと思われた。
 生活習慣をあらため運動を生活に取り入れることは健康維持によいことに異論はない。またそれによって治療効果が得られるならよいことだ。ただ、メニエール病の病変が内リンパ水腫であるという点からは単純にヘルペスウイルスのようなウイルスが関与しているのではないだろうかとの疑念は残る。
 
 

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2012.03.03

パズルタイム:野田首相と谷垣自民党総裁の極秘会談

 パズルタイムの始まりだ。野田首相と谷垣自民党総裁の極秘会談はあったのか? あったとすれば誰が何を目的にしたものか? さあ、命がけのパズルタイムを楽しもうぜ!
 第一問、極秘会談はあったのか?
 あったとすれば、時間と場所が特定される。そして、その時間に野田ちゃんと谷垣さんが同席していないとするアリバイが成立すれば、会談はそもそもなかったことになる。まず報道から見ていこう。
 2月29日、日経新聞掲載「首相と谷垣氏、25日に極秘会談の情報 両氏否定」(参照)より。


 野田佳彦首相と自民党の谷垣禎一総裁が先週末の25日昼に会談していたとの情報が29日、与野党内で流れた。同日の政府・民主三役会議に出席した党幹部によると、藤村修官房長官は「外(向け)には会っていないということだ」と説明した。
 首相は25日に国会近くのホテル内の日本料理店で藤村長官と約1時間昼食をともにしたが、その間、谷垣氏と極秘に会っていたというものだ。

 1日、産経新聞「野田-谷垣、週末極秘会談 話し合い解散模索か?」(参照)より。

 野田佳彦首相が、自民党の谷垣禎一総裁と週末の25日に首相公邸でひそかに会談していたことが29日、分かった。複数の関係者が明らかにした。

 2日、FNN「野田政権発足から半年 野田首相、自民・谷垣総裁の極秘会談めぐり政界には波紋」(参照)より。

2月25日午後1時前、野田首相は東京・虎ノ門のホテルを出た。この日、公式には、ホテル内の日本料理店で藤村官房長官と食事をしたとされていた。ところが、ホテルを出る直前、野田首相は、ひそかに谷垣総裁と会談していた。

 他、報道を見ても、会談場所とされているのは、(1)ホテルオークラ内日本料理店、(2)首相公邸、(3)ホテルオークラ内のどこか、の3説のようだ。
 なぜ、ホテルオークラと首相公邸がキーワードになるのかというと、25日の野田ちゃんの公式記録から逆に推定されているためだ。
 1日、読売新聞「密談の成果?消費増税で息ピタリ…議場どよめく」(参照)より。

 首相は25日、東京・虎ノ門のホテルオークラ内にある日本料理店で藤村官房長官と昼食を取るために外出した以外、首相公邸で過ごしていたとされる。

 番記者証言より(参照)。

総理番31)野田首相は都内の料亭で、手塚首相補佐官、蓮舫前行政刷新相と食事中です。開始からまもなく2時間半。外は雨は止んだものの、かなり冷えます。

 1日、時事「首相と谷垣氏、極秘会談情報=両者とも否定」(参照)より。

 首相は25日昼、このホテルにある日本料理店で、藤村修官房長官と約1時間会食したことになっている。谷垣氏との会談がこの間に行われたとの観測が、29日に浮上。ただ、首相は同日夜、首相公邸前で記者団に「会ってません」と否定し、谷垣氏も党本部で記者団に「全くなし」と打ち消した。
 一方、民主党幹部によると、29日の政府・民主三役会議で藤村長官は「外(向け)には会っていないということだ」と説明したという。

 報道の経緯からは、首相公邸説が薄れホテルオークラ説に変わっているように見える。
 また、報道経緯からわかることは、記者たちが極秘会談をかぎつけたのは29日で、会談があったとされる25日から4日が経過していることだ。その間は、記者たちにも極秘であったか、箝口令が敷かれていたか、あるいは記者にもおもてにできない理由があったかだが、疑念はあっても確証はなかったのではないか。
 記者たちが疑念をもっていた可能性があるは、時事報道では「約1時間会食」とあるが番記者は「開始からまもなく2時間半」としており、会食後が不審に長いようすがうかがわれるからだ。ただし、首相動静では2時間半とはなっていない(参照)。

 午前8時現在、公邸。朝の来客なし。
 午前11時46分、公邸発。同50分、東京・虎ノ門のホテルオークラ着。同ホテル内の日本料理店「山里」で藤村修官房長官と会食。
 午後0時47分、同所発。同53分、公邸着。
 午後1時55分から同2時16分まで、サッカー日本女子ユース東北選抜メンバーらによる表敬。藤村官房長官同席。
 26日午前0時現在、公邸。来客なし。(了)

 首相公邸説であれば「朝の来客なし」で隠したかということになるが、それも想定しにくい。食事後の首相公邸会談も想定しづらいので、極秘会談があるならこの時間帯が疑われるのは筋が通っている。
 谷垣自民党総裁のアリバイだが、これがはっきりしない。「谷垣禎一総裁 定例記者会見」(参照)より。A回答は谷垣氏。

Q 党内でも総裁が会われていないという事をはっきりさせて欲しいと言う声がありまして、例えばその29日の正午前後に、どちらで何をなさっておられたか、ここでお示し頂く事はお願いできますか。
A 我が家に居ました。
Q そうしますと、正午前後でなくて、25日はずっと…
A なんか今の話を聞きますとね、被疑者の取り調べの様ですが、私が責任を持って、お会いした事は無いと、申し上げている。私はそれだけで十分だと思います。それ以上この問題について、どこで何日アリバイを示せと言う事には、お答え致しませんし、する必要も無いと思います。

 ここでアリバイが立証されれば、25日極秘会談説は消えるのだが、以上のように消えない。疑念は確実に残る。よって、第二問に進めることができる。
 第二問、誰が何を目的にしたものか?
 会談なので、(1)申し出者、(2)申し出者の思惑、(3)仲介者、(4)仲介者の思惑、がある。申し出者が仲介者であることもある。
 申し出者は、(1)野田首相、(2)谷垣自民党総裁、(3)その他。ただし、仲介者はその他の誰かと重なるだろう。
 現状、報道を見ると、財務省仲介説が出ている。2日、テレ朝「“野田・谷垣極秘会談”財務省幹部らが仲介」(参照)より。

 党首討論の4日前、先月25日に行われた野田総理大臣と自民党の谷垣総裁の極秘会談は、財務省の幹部らが仲介していたことが明らかになりました。
 関係者によりますと、野田総理と谷垣総裁はともに財務大臣経験者で、消費税の増税による財政再建という方向性についてはおおむね同じ考えです。このため、消費税の増税による財政再建を目指す財務省の幹部らが間に入り、極秘会談を実現させたということです。会談では、消費税増税法案の成立を前提に総選挙を行う「話し合い解散」についても話し合われた模様です。ただ、2人とも依然として極秘会談は否定しています。

 実際のところ、申し出者が、野田首相または谷垣自民党総裁であっても、仲介者が必要であり、かつ仲介者の同意と思惑が前面に立つことになる。そこで、野田首相かまたは谷垣自民党総裁が申し出者であったかという考察より、両者が仲介によって得られるインセンティブ(意欲刺激)を重視して考察してよいだろう。
 そしてこれは、かなり明白に、(1)膠着した政局の打開、(2)消費税増税大連立、(3)両者の敵対者の排除、というあたりになる。
 3の排除に主眼を置くなら、民主党内の造反勢力である小沢グループ、自民党内の反谷垣派ということになるだろう。
 1と2は重なるところが多い。なんとなれば、膠着した政局の打開の目的は消費税増税大連立だからだ。
 素直に考えていけば、極秘会談の目的は消費税増税大連立と見てよいだろうし、それに賛同して仲介する勢力が財務省であるとする説は簡素に成立する。
 しかし、テレ朝報道からわかることは、仲介者が財務省だということではなく、「仲介者が財務省だ」と証言する関係者の存在だけである。そこから考えれば、この関係者は、財務省陰謀説を唱えることでメリットを得る存在だと言える。
 まとめると、確実に言えることは、財務省陰謀説を唱えることでメリットをえる関係者が「極秘会談」に関係しているということだ。
 さてパズルを解いていこう。
 解法のキューは「極秘会談」のすっぱぬきを実施した人物・勢力である。その人物・勢力があぶり出せれば、今回の「極秘会談」の全貌が見える。現状ではそこがわからないが、財務省陰謀説を唱える関係者との関係は深いだろう。
 ここで解法の補助線を一つ引く。
 「極秘会談」と言われて騒がれているが、そもそも「極秘会談」なるものが成立するだろうか? 実際にすっぱ抜かれているわけだが、誰かがすっぱぬけば極秘にはならない。
 ということは、野田ちゃんと谷垣さんは「極秘」性を信用したのか? あるいは「極秘」がいずれすっぱ抜かれるリスクを想定したのか? 
 ここからは私の心証である。
 野田ちゃんも谷垣さんも、腹心がなく、極秘会談をもちたいとするインセンティブは、先に述べたように存在する(大増税)。だが、「極秘」が暴露されれば、両者がダメージを受けることは確実で、それのリスクとインセンティブとのバランスが二人に想定されていただろう。
 インセンティブが強いのは、野田ちゃんだろうと、とりあえず仮定してみる。増税に責任を持つ与党指導者だからだし、かつ与党に裏切りの可能性を抱えている長でもあるからだ。加えて野田ちゃんは「正心誠意」でなんとかなるという単純な人なんでその手のまんじゅうを食うことはあるだろう。
 野田ちゃんに財務省が支援することも想像しやすい。とすると、その線で財務省が谷垣さんに声をかけたと考えてもよいが、では谷垣さんはそこでインセンティブが強いというバランス結果を出したか。
 谷垣さんにも「極秘会談」のインセンティブはあるが、リスクも高い。むしろ、事後、アリバイを問われてあたふたするあたりからは、愛すべき脇の甘さが感じられるし、さらにこれは、嵌められたという印象を持っているのではないかとすら思える。
 私の印象だが、谷垣さんは結果的に嵌められたのだろう。会談が決裂したというより、嵌められたようなまずい事態に直面してあたふたしたのではないか。谷垣さんは「極秘会談」が成立すると考える野田ちゃんほど単純な人とも思えない。また、あとですっぱ抜いてマスコミのバカ騒ぎを仕掛けるほどの悪人でもない。
 ツイッターらしい愉快な関連話題もある(参照)。

河野太郎‏ @konotarogomame
谷垣総裁がホテルオークラで、野田総理とあったのかどうかを話題にしていたら、おもむろに石原幹事長がポケットからホテルオークラのクッキーを取り出して配り始めた! twitpic.com/8qhcqg

 河野氏、および石原氏の思惑がはっきりと読み取れないが、ある種の滑稽さは感じられるし、それは自民党での、谷垣さんの支援の弱さに関係したものだ。
 陰謀めいた話を考えるとき、証言の吟味に加え、俯瞰的に「誰がその利益を得るのか?」という視点もはずせない。
 今回の「極秘会談」だが、本当に「極秘」なんてものがあると信じられる前提なら、財務省の陰謀論あたりが一番成立しそうだが、おそらくそれはナイーブすぎるだろう。
 暴露が前提だと考え、そしてその構図で誰がメリットを受け、誰が一番ダメージを受けたのか、そう見直してみる。
 ダメージを受けた人ははっきりしている、谷垣さんだろうし、谷垣自民党である。ということは、谷垣さんをおとしめ、谷垣自民党にダメージを与えることでメリットをえる勢力が、今回の陰謀めいた話の裏にいると想定するのが一番自然だ。
 選択肢で見ていくなら、それは民主党内の造反分子か、自民党内の造反分子だろう。後者が今回の陰謀劇を滑稽に見ていることは河野氏のツイッターから窺えるが、逆にその滑稽さは首謀的でないことの裏返しである。
 そう考えていくなら、残るのは、民主党内の造反分子であり、その筆頭に疑われるのは、誠に残念ながら、小沢グループだろう。
 ただ、そこが当初からこのバカ騒ぎを計画していたというより、財務省と野田ちゃんの軽薄な動き、そして脇の甘い谷垣さんの滑稽な踊りを横目で見て、「極秘」なんて想定するお子ちゃまに一泡吹かせてやろうとしたくらいが真相なのではないか。陰謀を茶番にしてくれたなら、GJ!
 
 

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2012.03.02

ウォーキングには心拍計付き時計を

 適度な運動が健康によいと言われているが適度にするには心拍数の管理が重要になる。ジョギングでも身体への負荷を調整するためにハートレートモニター(参照)を使う人が多い。私もPOLAR(ポラール)のを使っていた。が、いちいち胸バンドをするのが大げさに思えてくる。また、心拍数を管理しながらのエクササイズにと先日「カラダトレーナー」(参照)を買って使ってみた話は書いたが、小うるさいメッセージや安っぽいデザインにはいまいち感もある。ウォーキングとかなら、もっと簡便な心拍計付き時計が欲しいな。
 ウォーキングを健康のためにする人は多い。歩けば気分転換で健康にいいのだが、そういう心理的な効果だけではなく、身体的な健康維持として有酸素運動にするなら適度に心拍数に上げる必要があり、それだとちょっと競歩に近いウォーキングになる。ウォーキングも負荷の調整が意外と難しい。心拍計を見ながら適切な負荷をかけることが重要になる。
 当初、心拍計付き時計はmioモーション(参照)かと思っていが、基本機能が同じでやたら安いSOLUSというのを知って、どうなんだろこれと悩んだ。ごく基本機能だけでいいのでとりあえず買ってみた。正確には、SOLUS Leisure 800(レジャー 800)ホワイト(参照)という機種。結論から言うと、いいですよ、意外に。

cover
SOLUS Leisure 800)ホワイト
 使い方だが、心拍数が知りたいときに、表示板の金属リングに指で触れると、数秒して心拍数が表示される。基本はそれだけ。腕の血管血流を赤外線か何かでモニターしているようだ。以前は指で触れるだけで計測するタニタの安価な電子脈拍計というのを使っていたが今ではもう売ってない。あれを時計に組み込んだんだろうなという印象。
 注意したいのは、POLARみたいに常時心拍数を計測しているわけではないので、表示板のリングに指で触れるまでは心拍計測しないこと。ジョギングやウォーキングしていて、心拍上がりすぎたときに自動的に知らせてくれるわけではない。不便かなと思ったのだが使ってみると、これは慣れですね。ちょっと心拍上がったかなというときに計測すれば事は足りる。

 もう一点注意したいのは、計測までに多少時間がかかること。10秒くらいかかる。その間、まだかまだかと見つめることになるのだけど、これもまた慣れ。計測したいとき、リングに指を触れておけば、計測完了時に「ピッ」と音がするので、それを聞いてから見ればいい。慣れるとランニングでもウォーキングでも自然に対応できるようになる。
 ついでにもう一点注意したいのは、うまく計測できないことがある。冬場とか寒くて乾燥しているとうまくいかない。時計が人肌くらいになると計測ができるようになる。
 機能には、ストップウォッチとかラップ計測も含まれる。心拍数の上限下限の設定もできる。計測時に設定を越えていると「ピッ」が継続的に鳴る。便利な機能かというと、表示板を見なくても設定がわかるというメリットはあるし、その設定値内のだいたいの時間の累算もしてくれる。また、一定期間の消費カロリーの累算の機能もある。
 でも私の場合は基本機能だけで十分。これだけでも、特にエクササイズの時間が取れないときに、ちょっと街中を早歩きすて心拍数の調整ができる。通勤通学をウォーキングに充てると人にも、心拍数管理ができて便利ではないか。

cover
SOLUS Leisure 800 ピンク
 自分としてはこれでいいやという感じだが、買うときにデザインは気になった。ベルトにいろんな色が選べる。ピンクとかもある。これらはレディースで柄が付いている。無地はというと、白と黒だけ。黒かな白かな。iPadに合わせて白、というわけでもないけど、白にした。多少目立つ。でも、なんかおっさん臭くなくて気分がいい。
 ところでなんでmioと比べてこんな安いんだろうと疑問に思った。本社は香港らしい。中国製ということなのか。それとこれってmioのパクリじゃないかなと思うけど、べたなパクリでもないし、そもそも見た目は違う。心拍計付き時計ということで意匠の問題はないのだろう。
 余談だけど、イライラしていて沈静したいとき、心拍数を見つつ落ち着かせるといった用途にも使える。
 
 

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