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2012.03.29

4月から新社会人になる皆さんへ

 あまり多くはないと思うのですが、というかほとんどいなんじゃないかとも思うのですが、このブログの読者の方のなかに、もしかしたら、来週から新社会人になるという人もいるかもしれないと思って、今日は、それらのかたへ「贈る言葉」を書いてみます。自分が社会人になったばかりのころを思い出し、そのころ、何を言われてたらよかったかな、と考えながら。


1 社会人とは家計を営む人だと理解しましょう
 社会人とはなんでしょう。社会を構成している人という意味なら、赤ちゃんも社会人ということになりますが、ちょっと違いますよね。ではなにかというと、実際的には「仕事をして世間様からお金を貰っている人」と定義してよいと思います。
 じゃあ、「専業主婦は社会人じゃないの?」という疑問がすぐに起きるかもしれません。でも、その夫と家計を分担しているという意味で、専業主婦も社会人としてよいでしょう。
 いきなり脇道にそれるようですが、ここがけっこう重要なことなのです。「お金を貰う」ということは「家計を営む」ということだからです。
 「家計を営む」ということはどういうことでしょう。衣食住を自分の失費としてやりくりすることですが、そうした物品が購入できるお店(市場)が保証されているのは、「公(おおやけ)」「公共」というものが前提となります。その具体的な部分には市町村や国家があります。こうした「公」を維持するために、社会人は一定の貢献をしなければなりませんし、そのための支払いが「納税」ということになります。
 社会人というのは、だから、働いて、お金を貰って、家計を営んで、納税する人ということです。うひゃあ、とんでもないものになってしまいましたね。
 でも家計を営むのは、納税が目的ではありません。あなたの人生を実現するという意味もあります。人生を実現するというのは、衣食住を維持し、家庭を営むということです。
 むずかしいのは、この家庭というのは、伴侶を見つけて子供を産み育てるということとは限らないことです。一人静かに老いて死んでいくというのも家庭の一つのありかたですし、そういう多様な人々の家庭も尊重することが社会人に求められることです。


2 働くということは分業だからよいサービスを提供しましょう
 社会人とは「仕事をして世間様からお金を貰っている人」と定義しました。「え? 世間様って何? 食えるの?」と思う人もいるかもしれません。いや、そう思ってますよね。
 世間様というのは、簡単にいうと、泥棒をしないということです。
 人は衣食住がないと生きられません。それをお金や物品交換で(公共が支える市場を通して)入手しないといけません。
 でも、なぜ? 欲しいものがあれば、泥棒すればいいじゃないですか、となぜならないのでしょうか。
 こっそりここだけの話ですが、世の中がひどくなって、生きるためには盗み以外ないじゃないかと追い詰められたら、泥棒だってやるんです。泥棒しなければ生きられないなら、泥棒することから社会を定義し、そこから「公」を作り変えなければいけないということです。ちょっと話が進みすぎましたね。
 まあ、泥棒はいけません。盗まれる側になってみてもわかるでしょ。
 互いに泥棒はしないようにしよう、と暗黙に合意しあっているのが世間様ということです。
 そしてそれは同時に、お金や物を使って交換しないと生きてけないよ、ということですから、つまり、人が働くというのは分業だということです。
 自給自足のほうがいいじゃないかと思う人もいるかもしれません。自給自足の仲間を作って社会から孤立しちゃったほうが楽じゃないか、と。まあ、そうかもしれません。でも、それって、社会人じゃないっていうことなのでした。話を続けましょう。
 社会人は分業をします。分業とは自分が生きていくための物を得るために、自分ができるサービスや物を他の人に提供するということです。他の人(世間様)に役立つと評価されると、お金がもらえるというわけです。
 お金持ちになろうというなら、世間様に多くのサービスを提供しないといけないわけです。それだけのサービスを与えることができる人は、社会にとって大きなメリットなのですから、お金持ちが多い社会のほうが、よい社会もありそうです。あれ? なんか違う?
 不当なお金儲けはしないほうがいいでしょ、ということですかね。詐欺とかの犯罪を、そりゃいけないよという世間様は、そこでは規則として機能しているわけです。


3 公共のために貢献しましょう
 社会人は、「公」「公共」というものがあって成り立つものです。だから、「公」に一定の貢献が求められます。どんだけ?
 一番大切なことは、「公」が関わらない自分を持つことです。誰かがどれほど立派な正義を掲げようが、「そんなことは私には関係ないですよ」という、「私」という生活の部分を明確に意識することです。
 私が生きているのは、私のためであって、「公」のためではありません、一応ね。「一応」と限定するのはあとで説明しますね。
 そうして自分という「私」と「公」が区別できたら、そこからどれだけ「公」に貢献できるか考えましょう。なぜ?
 「公」に貢献することが、多様な家庭を支援する、つまり、あなたの隣人を助けるもっとも原理的な支えになるからです。
 公共のための貢献とはなんでしょう?
 家計から見れば納税です。ほかには?
 ちょっと意外かもしれないのですが、「公」に関わる一番の基本は「公」を制限するということです。正義や善を制限すると言ってもいいかもしません。
 正義や善を掲げてよい社会を作ることに、一種の快感が得られる一群の人がいるものです。それって一種の変態のような気がするのですが、まあとにかく、いるものです。そして彼らは一生懸命、正義や善を争います。
 普通の社会人は、それにはあんまり関係ありませんが、正義や善が「公」を乗っ取り、社会人の自由(代表が家計)を脅かすような怪物になることがあります。社会人としては、そういう怪物を作らないように、その権力を制限したほうがいいでしょう。
 そこで、権力に対抗するために最小限、権力に参加することが社会人に求められます。ありゃ、むずかしい話になってしまいました。
 でも簡単に言えます。簡単に言うと、政治と司法に関わるということです。具体的にはできるだけ選挙をすること陪審員になることです。
 繰り返しますが、よい社会を実現しようと意気込むよりも、「公」が怪物となって多くの人の自由を奪うことがないようにしような、というのが社会人の「公」への貢献の基本です。


4 社会人であることが強く問われる事態をたまに想像しよう
 すると、実際に社会人としてすることって、それほど多くはないんですね、となりそうです。
 そうです。そんなにありません。
 人生を楽しもうとか、自分で物事を考えようとか、まあ、そんなのは個人の自由の範囲の問題で、社会人として問われていることではありません。
 むずかしいのは、社会人として強く問われる事態があるときです。いや、こりゃまいったみたいな。
 3つ例を上げましょう。
 松本サリン事件という怖い事件がありました。オウム真理教という集団が松本で毒ガスをまいてその住民を殺害しようとした事件でしたが、当初はそう見られていませんでした。最初に毒ガスが撒かれていると河野義行さんというかたが気がつき、通報しました。それは社会人として公共への普通の貢献でもあったのですが、その先に恐ろしいことが起こりました。最初の通報者が犯人ではないかと警察は河野さんを疑い、マスコミもそれに従い、河野さんが犯人であるかのようになっていったのです。警察は河野さんの家宅捜索をして農薬を発見しました。河野さんの家から不審な煙を見たとの証言もありました。その農薬からサリンは製造できませんし、証言は間違いでしたが。河野さんは孤立しましたが、くじけませんでした。「公」が暴走しかかったときに、社会人はそれを阻止しなければなりません。その孤独な戦いを河野さんは社会人として強いられました。そういう事件がなければ、それほど社会から注目されることもない人生だったのではないかと思います。社会人であるということは、そういう理不尽な状況に追い込まれても、社会人として生きなければならないことがあるのです。
 二つ目の例は東北大震災のことです。4両編成の下り「石巻行きの快速電車」が野蒜駅を発車したとき震災が発生し、電車が止まりました。災害時のマニュアルどおり、車掌が50人ほどの乗客を3両目に集めて避難誘導しようとしました。しかし、ここで、この地域に暮らす一人の男性が避難をやめるように車掌と常客を説得しました。ほどなく大津波が押し寄せ、最寄りの指定避難所を覆いました。もし避難していたら常客の多数は死んでいたでしょう。ここに非常にむずかしい問題があります。「公」という観点からすれば、災害時のマニュアルに従うべきだったでしょう。しかし、その男性はそれが間違いであることに気がついたのです。「公」にとって正しいとされていることが、実際には「公」にとって明確に間違いであると確信できたとき、社会人はどうすべきでしょうか。必死に「公」に向かって声を上げ、説得をしなければなりません。いや、それを義務と思うべきかどうかもむずかしいところです。でも、こうした状況が、語り尽くされた「正義」を超えて社会人と「公」の関係の本質をあぶり出します。あなたがそうした場所に立たされることがあるかもしれません。
 三つ目の例は、ニューヨークの同時多発テロのときです。乗っ取られた飛行機がビルに突撃してとてつもない惨事となりました。4機の飛行機が乗っ取られたのですが、その一つユナイテッド航空93便では、乗客たちが命をかけて飛行機の奪還に乗り出しました。奪還には成功しませんでしたが、社会人たちは命をかけた戦いに繰り出したことは事実です。自分の命を救うという目的もあるでしょうが、自分たちが「公」と信じるものを守るために命がけの戦いをしたわけです。こうしたことをより延長して考えると、公務で命を失う人について、社会人がどう考えなければならないかが問われます。そしてそのことは、公のために死んだ人を追悼しようということにつながるでしょう。これもむずかしい問題です。
 社会人のみなさんの大半は、こうした難問に遭遇しないで一生が終わります。そして、そうですね、九割がたがは社会的に無名で終わるでしょう。普通の社会人というのはそういうものです。
 でも、そうした社会人の誰かは、「えええ?私がぁ?」と難問を突きつけられる状況になります。たまに想像はしてみましょう。そうした人を支援しましょう。
 というか、そういう無名の社会人が困難な状況のなかで「公」を支えてくれるおかげで、私たちは生きていけるわけです。みなさんの、誰かもそうなります。
 だから、いつも思うのです、ありがとう。
 
 

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コメント

終風さん、こんにちは、

オウムやテロの犯罪者も、”公”や、”正義”を信
じていたと思うんです。ただその正義は多くの人の
自由(生命)を奪うものだったと。

ユナイテッド航空の乗客や、河野さんとか、快速電
車のある男性のような正しい正義や善を行えるよう
に注意をしながら生きると言うことでしょうか。

正義や善は、とても難しいものなので何時も注意を
して間違わないようにします。

投稿: gin1245 | 2012.03.29 21:19

ここにはヴェント翁の本音が垣間見える。ちきりんさんのパロみたいだが「公」の本質が語られているのかな?冗談めかしてるけど、知識の量が質に転化することもあるなとたまには思うよ。ともあれ皮肉やパロディーでしか自分を語れないつうのも物悲しい。正論を思い切りぶっ放して、当たって砕けてほすい!って本稿の趣旨とは相反する感想ですた。しかし勝間さんやちきりんさんみたいなエエこと言いにも食傷気味な今日このごろ。ども。

投稿: tamamusi | 2012.03.29 22:22

南海地震で津波の来る県の公務員をやっています。東北の件を見ると、自分の命より人の命かなとは思うのですが、正直、いざその時にならないと、自分がどう行動するのかわかりません。未だ割り切りのできない問題ですが、この記事を頭の片隅に置いておこうと思います。こういう職業を選んだのは自分だし、仕方ないかな。

投稿: 山崎 | 2012.03.30 19:20

エントリ更新の時間的な順序を考えると、ちきりん女史の「4月から新社会人になる皆さんへ」を読んで、ベントさんも自分なりに思うところを書いたのでしょうか。

エントリのタイトルが全く同じなので、一種の当てこすりかなと思いつつ読み始めたのだけど、どうやらそうではないみたいですね。そこに、ベントさんの一種の屈折を感じますが。

ちきりん女史がジョブズの有名なスピーチを意識していたかどうか分かりませんが、ちきりん女史のエントリも、ベントさんのエントリも、今年大学、或いは高校を卒業し、新卒として就職する若者に読んで欲しい内容でした。

私が同じ趣旨で「4月から新社会人になる皆さんへ」を書いたらどうなるだろうかなと思いながら読み比べたのだけど、ちきりん女史の率直さとも、ベントさんのやや韜晦した書き方とも違うものになるでしょう。

そもそも、未来に希望を託している若者に、私が何かアドバイスできるだろうか。たぶん、できることはあるだろうけど、うまく文章化できないなと思いつつ、このエントリを読ませてもらいました。

投稿: ピンちゃん | 2012.03.31 00:38

何が世間様だよ
人様の最低限の生活すら保証できてないのにえらそうな態度とってんじゃねえ
もうみんなクソ社会に見切りをつけてるよ

投稿: nyo | 2012.03.31 03:52

そう思う人もいることを理解ください。「社会人」という呼び方おかしいです。おそらく日本だけの呼称だと思われます。私は、会社に属さない生き方をしておりますが、民間の経済研究所の雑誌記事を購入するときなどに顕著ですが、「そちら様は学生さんでしょうか社会人の方でしょうか?」とまず問われます。また、日本のホテルでは若干あやしげな半分ラブホテルのビジネスホテルまで勤務先を訪ねられたり書かされたりします。欧米ではそうさせるのは非常に珍しいです。アメリカのホテルでは、相当高級なところでも、政府職員割引等で宿泊しないかぎり、職場を問われることは皆無です。

「社会人」という呼び方、識者研究者の側からやめるというか拒否しませんか?同意を求めるものではありませんが、アメリカに長くいた私には非常に奇異な呼び方です。その呼び方が、「空気をよめよ」とささやいているようにさえ思えます。

1点反論というかあなた言っていることとやっていることが違うのではないかという点を指摘して終わりたいと思います。全然原発問題やがれき、そして復興問題取り上げていないじゃないですか?まさか審議会のお呼びがかからなくなっては困るというか小遣いがなくなると困るので黙っているのではないですか?

意見を表明してください。

投稿: 通りすがり | 2012.03.31 12:24

正論ですが、あんたが言うなという気もしますね。

問題は、日本ではマスコミの権力が強すぎて、せっかく有権者が投票で選んだ政治家をノイジーマイノリティの世論で失脚させてしまう。だから投票に行く気も失せてしまう。(それでも、私は投票していますが。)

あんたが、暴走を防ぐ相手は、政治権力でなく報道権力だと思いますよ。マスコミを小馬鹿にする割には、基本的にマスコミに甘い。むしろ日本の民主主義は報道権力を監視するネットの普及で始まったんでしょう。

投稿: YT | 2012.03.31 21:35

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受信: 2012.03.30 21:13

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