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2012.03.12

今年の3月11日に思ったこと

 昨日は東日本大震災から1年という日だった。振り返って自分はどう思うのかというと、これがまったくわからない。亡くなったかたへ黙祷などもしない。黙祷というのがどういう意味があるのかもよくわからない。なにかの集会で黙祷しましょうと言われたら、特に否定もしないし、ほかの人がするようなしぐさをする。心は空っぽのまま。そういうことは他にもある。日の丸が飾ってあっても君が代が流れていても、さほど関心を引かない。そうする人がいても、あるいは反発する人がいても、まあ、いいんじゃいのくらい。
 自分の心が幼いからだと思うのだが、震災については、まずもって恐怖の映像が心を去らない。風化もしない。メディアを通して見ているのに、自分の最期となる瞬間が訪れてきたようにリアルに想像してしまう。
 NHKニュースの報道だったが、自動車に閉じ込められて洪水に流されていく人がいた。あれ、あの人、このまま死んじゃうんじゃないのか、ええ?と恐怖に思って見ていた。たまたまそのときツイッターしていたら、同じことを思う人がいて、やはりそう感じるよねとも思った。あのとき、映像があのまま切り替わったけど、あの人、生き延びたんだろうか。これで自分は死ぬのかと絶望して死んだんじゃないだろうか。そういう最期というのは、自分も含めて、人間の人生の真相みたいなものなんだろう。
 ざっくり言っていいのかわからないが、自分はこれだけの災害をどう理解していいかまったくわからず、ただ呆然としてしまう。とりあえず、自分は生きているのだから、生きていくというくらいでしかない。どこかでたぶん、ぶつんと終わるのだろうとは思う。災害か病気か事故か。
 大災害の大きさがよくわからないと言ったものの、よくわからないというのは、死が迫るありかたであって、その観点から見ると、災害というのはそれほど特徴的なことではないのではないかとも思っている。この感覚はあまり他人に通じないので、言っても詮無いかもしれない。
 先日、7日だったらしいが、タレントの山口美江さんが一人亡くなった。51歳とのこと。私より少し若いが私の世代の人。私は山口さんにさほど関心はなかったが、それでもずっと記憶に残っている。芸能界を引退して、アルツハイマーで寝たきりの父親を独り身で介護していたらしい。母親は彼女が16歳のときに白血病死んでいる。そして今度は山口さん自身が孤独のなかで亡くなった。死因は、今ニュースを見直すと心不全とある。事件性はないらしい。
 不幸な人生だったか。それは本人でないとわからないものだし、自分の人生を幸福と見るか不幸と見るかというのは、案外本人の認識の問題であったり、自由意思による選択の問題だったりする。
 ただ自分と年代が近いし、そのくらいの年代差の嫁さんを貰っている人が多いので、同じくらいの年代の女性で恋愛して別れた女性のこともふと連想する。あるいはそういう女性のこととして幻想する。山口さんは、個人的にはまったく知らないが、世代的には自分と若いころ恋愛とかしていても、完璧に不思議ということはないような幻想もあるからだろう。
 自分がかつて愛して、でもなんか別れた女性が、そういう末路であったとする。それはどういうことなんだろうと考える。妄想と言えば妄想だし、自分に関係ないよという話でもある。基本的に言うなら、あるいは原則的に言うなら、みなさんお幸せにお暮らしくださいねとは思う。そして、その幸せというのは、結婚して子供があって、社会的にステータスを得てということだろうか。
 タレントの清水由貴子さんのことも思い出す。彼女も自分と同世代のタレントだった。明るい笑顔はずっと覚えている。2009年、ちょっと調べると4月20日だったが、父親の墓前で自殺した。彼女もたしか未婚で、母親の介護をしていた。なんとも割り切れないような感じだけが残った。
 芋づる式に他の人も連想はするのだけど、そうしたなんとも理不尽に見える死についても、自分はいつも呆然と立ち尽くす。ただ、自分とその人たちとの距離感だけが、呆然を曖昧にする。
 その曖昧とした呆然の、霞んだ霧の向こうに何万人も、理不尽な死に遭遇した死者がいる。おーい、こっちこっち、と呼ばれているようにも思う。
 黙祷、あるいは哀悼。よくわからない。ご冥福、というのはなんか違うような気がする。自分とその霧に冥界の境のようなものはないし、冥福というその幸福が見えずに祈るしかないほど自分は隔絶されているようにも思えない。
 
 

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コメント

管理人さんの言っている事はリバタリアン的だと思います。多分、山口さんも。リバタリアンはリバタリアンの哲学を持ってないと苦しい気がします。名前を出すのもどうかと思いますが、例えば拉致事件の横田さんや肉親の不幸を経験した人等はリバタリアン的な人が多いと思います。こういう人達は弱者への思いやりのある方達が多い様に感じます。

投稿: ヒロ | 2012.03.13 06:19

うまく表現できませんが共感できる感想でした。世界(日本)には耐えられない不幸が山とあります。今回の悲劇は不幸だとは思いますが基本的には自然災害に起因しています(原発を除けば)。家族の問題、自殺の問題、民族間の殺し合いの問題、私にはそのような人為的な問題の方がずっと暗く感じられてなりません。率直な感情です。

投稿: ボンボン太郎 | 2012.03.14 19:35

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