年取った新米パパ(Old New Dads)
「女性の出産適齢期」が存在するかは議論のあるところだが、女性が高齢になると出産は困難になる。女性は年代が上がるにつれ出生率も下がる。それにどのような社会的現象が随伴するだろうか。基本に戻って、出産に至るまでの過程を考えると当然男性も関わるわけだが、その男性の実態はどうなのか。簡単に考えると、男性の場合は子供を持つのが困難になるまでの生物学的な年齢はかなり高いはずだ。先進国ではどのような傾向が見られるだろうか。
![]() Microtrends |
現代という時代を考えると、社会は多層化されるため、たとえ少数であっても十分に社会的な意味を持ちうる。場合によってはその少数が強い社会的影響力を持つこともある。その少数の傾向のなかに変化の先行性が見られることもある。
「マイクロトレンド」を再読してみようと書棚というか書籍山を崩したが発掘されず、英語版(参照)が出て来た。該当の話題は「年取った新米パパ(Old New Dads)」にある。
マイクロトレンドでのこの話題だが、「年取った新米パパ(Old New Dads)」は「年取った新米ママ(Old New Moms)」に対応しているので、女性の高齢出産についての言及もある。「年取った」というのだから、どのあたりの年齢に焦点を当てているのか気になるところだが、本書では明確に40歳としていた。
男性の場合はどのあたりの年齢だろうか。「マイクロトレンド」での話題では、いくつかの著名な「年取った新米パパ」が冒頭に例示されている。日本ではあまり有名ではないが米国では知らない人はないほど著名だったストーム・サーモンド上院議員(参照)、ロック歌手のミック・ジャガー、オペラ歌手のルチアーノ・パバロッティ、映画俳優・監督のチャーリー・チャップリン、メディア王ルパート・マードックである。ミック・ジャガーが新米パパとなったのは55歳。他は65歳を超える。マードックは70歳を超えていた。こうなると男性の場合は、成人以降死期に近いころまで子供を持つことが可能であるかような印象すらある。
具体的に男性が父親となる年齢だが、米国の統計だと、1980年には50際以上で子供を持つ男性は23人に1人だったが、2002年には18人に1人となった。この間の年代別の増加率を見ると、40~44歳が32%増加と断トツに多く、45~49歳が21%増加、50~54歳が10%増加している。こうした傾向は米国以外に、イスラエル、オランダ、英国、ニュージーランドでも見られるとのことだ。
なぜ、40歳過ぎの男性が新米パパとなるのか。ネットで有名な(あるいはネットでのみ有名な)社会学者や文学者を想像してみると即座に思いつく理由があるのだが、本書は3つの理由を挙げている。
第一は、パートナーの高齢出産が増えたからである。単純に「年取った新米ママ」の随伴現象である。結婚して10年以上を経た、同年近い夫婦がともに40歳近くでようやく子供が持てるようになった、あるいは子供をもてるのはその時点だと考えたというものだろう。日本の場合はどうかという統計は知らないが、私の周りを見ても、男女ともに30代半ばで結婚し40代少し前に初子を持つケースはある。
二点目は、離婚とある。米国の場合、成婚の半数は離婚に至る。そして離婚後の再婚は男性のほうが早い。かくして男性は再婚の夫となるのだが、本書では、8歳ほど若い妻を得た「改装パパ("Do-Over Dads")」と表現されている。このトレンドを反映して、40代半ばの男性の精管切除(パイプカット)復元も多いらしい。逆に言えば、30代前半くらいでパイプカットする男性が米人には多いのだろう。というか、私も米人からそういう話を聞いたことがある。こうした例からは、38歳くらいの男性が30歳ほどの女性と再婚するというのが基本的なモデルだろう。
三つ目の理由は、生物学と成功の組み合わせ("a combination of biology and success")とある。ごく簡単にいうと、40代過ぎて社会的に成功した男性が若い女性を求める結果ということのようだ。
年取った新米パパが出現する理由としては以上の三点だが、理由としてみれば常識の範囲内だが、とりわけ珍しい事例の説明というより、それが一定の人々の社会的傾向を描いているというほうが重要だろう。珍しいことではなくなったと言える。
「マイクロトレンド」という書籍で面白いと思ったのは、著者マーク・ペン氏もまたこうした新米パパであるとさりげなく告白している点だ。彼は48歳のときにその時点の末子を持ち、本書執筆時には子供たちの年齢差は19歳から4歳となったらしい。家庭というものの幸福が長く続くようになったとも述べているが、そこも重要点であるだろう。私は今年55歳にもなるが、すでに子供が独立している同年代の女性がいる。彼女たちの場合は子供がいるという意味でのいわゆる家庭らしい家庭ではなくなりつつある。
年取った新米パパについて、社会傾向として見るなら、著者はできるだけ価値観を廃して論じてはいるものの、私学に多いといったことからも、それ自体社会的な成功を反映しているだろうし、おそらく収入面での格差の反映でもあるのだろう。
マイクロトレンドのこの項目の話題の最後では、こうした年取った新米パパのライフスタイルからくる政治的な要求が社会に浮かび上がってくるだろうとしている。いくら中年期に社会的に成功した男性とはいえ、子供が大学進学することには老人となり、費用などを十分に支援できなくなる可能性も高い。アイロニカルではあるが、格差的な傾向が生み出したライフスタイルが、より格差のない政治勢力となりうると見てよいのかもしれない。
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