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2012.02.29

[書評]無一文から億万長者となりアメリカンドリームをかなえたヨシダソース創業者ビジネス7つの法則(吉田潤喜)

 タイトルで釣ろうするブログの記事くらい長くて、うんざりするような書名だが、ようするに、「ヨシダのタレ」の吉田さんが説くビジネス教訓書、書名のとおり、無一文から億万長者となりアメリカンドリームをかなえた成功物語、と思っていた。読んでみると、若干違う。いや、けっこう違うかもしれない。どっちにしても、この人は本当にすごい人なんだというのがじわじわと来る。

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無一文から億万長者となり
アメリカンドリームをかなえた
ヨシダソース創業者
ビジネス7つの法則
 「イチローの次に有名な日本人」と言われる吉田潤喜なのだそうだから、あらためて紹介する必要もないのかもしれないし、ご本人のサイトでもサクセスストーリーが甘くこってりと語られている(参照)。1949年、京都に在日コリアン7人兄弟の末子として生まれ、それで差別もされた。父親はカメラマンだが稼ぎもそこそこ。母親が焼き肉屋など各種商売をして子どもたちを育てた。4歳のとき彼は、姉とふざけあってか右目に針が刺さり失明した。本人いわく「片目のチョーセン人」。それだけで大きなハンデを負った人生の始まり。少年時代はグレもしたらしい。でも「こんちくちょう、今に見とれ」でやってきたとのこと。
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ヨシダグルメのたれ
お試しセットボトル
 1969年、東京オリンピックを見て米国に憧れ、単身渡米。そして不法就労者となった。まさに無一文。空手ができるので米国で空手道場でしのぐ。そこで空手の弟子たちに母から教わった焼肉のタレをプレゼントに配ったら評判がよい。かくして「ヨシダグルメのたれ」のビジネス化で億万長者、ブラボー、アメリカンドリームということだが、本書を読むと、ただの一発屋のサクセスストーリーではない。実際のところ、ヨシダさんは各種ビジネス手がけるヨシダグループの総帥でもあり、まさに米国を代表する普通のビジネスマンである。
 現在ではMBA相手にビジネスも教えているそうだ。彼はビジネスについてこう問いかける。

「一台のバスがあるとしよう。このバスを目的地まで動かさなければいけないとき、あなたはまずどんな行動に出るか?」

 彼の答えは、「とっとと動かしたろか!」。
 禅問答のようにも聞こえる。MBAクラスの学生はその答えをくだらないと思うらしい。そこでヨシダさんは話を展開し、起業家の本質である起業家精神(entrepreneurship)を示していく。

こういうことはMBAクラスでは教えてくれない。あれはこうやったら成功(失敗)するというただの統計学やからな。

 そこをすぱっと見抜いている。


 じんとくる逸話もいろいろ書かれている。
 不法就労時代に結婚して娘が生まれて4日目、ようすがおかしい。黄疸で生死五分五分という状態。「誰かのために命を捨てられると思ったのはこのときが初めてだった」と彼は言う。病院で5人の専門家が24時間体制5日付き添い、ようやく赤ちゃんは快方に向かうのだが、同時に、保険に入っていない彼はどれだけ支払いができるかと悩む。一生かけて返せるかとも思ったそうだ。が、請求書は250ドル。病院ではそういう人のための寄金があった。これを吉田さんは恩と思い、今では小児がんなどへの慈善事業もしている。
 アメリカンドリームというと、「無一文から億万長者」への成功というふうに考えがちだが、そうではなく、多くの人に夢を与えるような慈善家になることである。その意味で、絵に描いたようなアメリカンドリームが描かれている。

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2012.02.25

ポップアップトースターを買った

 ポップアップトースターが壊れた。思い出してみると東京に引っ越したときに買ったのだから、もう9年前。引っ越し荷物にオーブントースターを入れる必要なんてないなと捨てて来たものの、東京生活を始めるとやっぱりトースターはあったほうがいいかと悩んだ。たまたまダイエーに行ったら2千円くらいのたぶん中国製のポップアップトースターがあって、これでもいいんじゃないかと買ったのだった。もっと性能のいいトースターがあるのは知っているし、知人はGEのを使っていた。GEのはいいなとも思っていた。使っていない夜には翼を装着してもいいのだし。
 なんでもいいやと思って買ったポップアップトースターなのに9年も保った。それなりに優れものだったのだろうか。そういえば数年前一度壊れて解体して修理したことがあった。仕組みは簡単だったから今回も本気出せば直せるかとも思って解体したものの、なんとなく気力が抜けた。買い換えてもいいんじゃないか。悪魔がつぶやいたのだった。
 さてと、どれにするか。アマゾンを見て思った。家電屋にもダイエーにも行かなかった(たぶんダイエーには売ってない気がした)。まずオーブントースターは要らない。オーブンもあるしロースター(参照)もある。ロースターでパンのトーストできるのか。思ってやってみた。できないものでもないが、実用性は低そうな気がした。
 やっぱし、ポップアップトースターだろ。そしてポップアップトースターなんて最低価格のでいいことは9年間が実証している……ちょっと待て。悪魔が耳をひっぱる。高機能なのとか、おしゃれなのとかも、いいんじゃないか。
 私が誘惑に弱い人間であることは私を愛そうとした数名の女性以外知らない。煩悶し懊悩した挙げ句T-FALのポップアップトースターを買った。ピンクの。かわいいの。小さくて軽い。

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T-falポップアップトースター
アプレシアシュガーピンク
 自分で食べるパンは自分で焼く。もう人生の半分くらいそうしている。手作りなのでイングリッシュブレッドというか山高のパンになる。これをスライスしてトースターで焼くのだが背があって以前のトースターでも全部は入りきらなかった。T-FALのポップアップトースターだと口の長さがさらに短くて入らないんじゃないかと懸念したが、予想通り入らない。立てて入れても頭が出る。さてどうしたものか。
 半分に切るか。ここで疑問がわく。これ、普通の市販の食パンでも入らないんじゃないか。セブンイレブンに行って食パンを買ってきて入れてみる。ぎりぎり。ちょっと押し込む感じ。微妙なサイズ。でも口の幅はあって6枚切りが余裕で入る。うーむ。とりあえずトーストしてみますか。焼き色は中くらいでと。口を上からのぞいてみてわかったのだが、中ではスライスしたパンが傾かないように両脇から支えるようにもなっていた。
 ポップアップトースターといっても昔の漫画のように飛び出すわけでもなく、しばらくするとかしょっと焼き上がる。囓ってみると、かりっとよく焼けている。なるほどね。9年間の間に進歩したのは情報機器だけでもないのだ。自分で作ったパンもトーストしてみる。これもかりっといい感じ。けっこううまくて感動もする。
 ベーグルもトーストできるんじゃないかと思って、冷凍してあるベーグルを半割にしてやってみる。いい感じにかりっと焼き上がる。かなりうまい。面白い。スーパーマーケットまで行ってイングリッシュマフィンも買ってトーストしてみる。これもいい感じ。トーストできるのは食パンに限らないわけか。欧米だと普通にそういうもんか。付属の金具をつけるとクロワッサンの温めもできるらしい。へええ、おフランス。
 
 

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2012.02.23

iPhoneアプリゲーム アレキサンドリア大絵巻

 ちょっとした出来心でiPhone用ゲーム「アレキサンドリア大絵巻」をやっていたら、ずぼっと嵌ってしまった。最初は何が面白いんだろこのゲーム、とか疑問に思っていたが、すでにずぼずぼ。私は主にiPadでギリシア軍をやっている。現状アレキサンドリアまで到達した。
 発売元のSEGAでは、ゲームの種類をTCG型対戦ディフェンスストラテジーゲームアプリとか呼んでいるらしい。


「ディフェンスストラテジー」の意味はよくわからないが、対戦モードでなければ、防御(ディフェンス)が基本になるからだろうか。他方、「TCG型」というのはわかる。トレーディングゲームみたいになっているからだ。兵力を示す各種のカードを組み合わせて攻めたり防御したりする。カードの購入も別途できるようだ(買ってないのでよくわからない)。

 カードは戦場が進むことや各戦場でのレベルが上がってくると、種類が増えてくる。10枚以上になってくると、だんだんゲームの意味がわかってくる。
 歩兵なら歩兵で対抗できるが、歩兵では馬車には対抗できない。カードで示される兵にはいろいろ種類がある。槍兵とか弓兵とか槍投げ兵とか投石兵とかボクサーとか。それぞれの属性が違うので、上手に組み合わせないと勝てない。遠くから投げてくる槍兵をどうやって倒すのか最初わからなかったが、ぎりぎりまで引き寄せてから至近距離で剣兵で倒せばいい。騎馬は馬の脚切り剣で倒せる。そんな感じ。コツがわかってくるとパズル的な要素もあって面白い。(画像は無料版のエジプト軍)
 戦闘は基本的に横5列で同時並行的に進む(つねに5つの戦場がある)。兵力のカードは盤上に載せると動き出す。列の移動はタッチして行う。王は最後に攻めてくる兵の列に自動的に移動して最後まで戦う。王は兵を支援する必殺技を持っているが自身は通常兵と同じくらいの力なので、王が戦いだすときはたいてはもう負けになる。。

 なかなか見た目も美しい。見ればすぐにわかるし、ゲーム名からもわかるように、古代絵巻風のデザインが面白い。古代エジプトの壁画と古代ギリシャの壷絵から想像されたものだ。動きもよい。ただ、ギリシャとエジプトが戦うというのはちょっといかがなものかという感じもしないでもないが。
 知っている人は知っているだろうけどこのゲーム、実は第二弾で、第一弾は「源平大戦絵巻」だった。こちらはまだやっていない。やろうかどうか迷っているうちに、アレキサンドリア大絵巻が出たので、つい、というのがきっかけだった。
 両方やっている人の話だと、アレキサンドリア大絵巻のほうが面白いよとのこと。まあ、趣味もあるんだろうけど。ちなみに、Bluetoothで対戦もやらないかと誘われているが、ようやく兵の組み合わせがわかってきたばかりなので、しばらく見合わせ。
 Android版はないらしい。海外からも購入できるだろうから評判はどうか見たがよくわからない。ざっと見ていくと、"Alexandria Blood Show"という言葉が見つかる。言われてみれば、血が噴き出すシーンが多い。絵巻物風デザインなので残虐性は薄められているが、まあ、あまり趣味のよいものではない。嫌な人はオプションで設定が変更できる。
 
 

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2012.02.22

現下のフォークランド問題が示唆すること

 南大西洋上のフォークランド諸島の領有権を巡る英国とアルゼンチンの対立が国際問題化しているが、国内報道を見ているとそれほど目立っているわけではない。遠い国の話だからというのもあるし、その意味がよく理解されていないというせいもあるだろう。
 フォークランド諸島では1982年、領有権を巡って軍事衝突が起きた。「フォークランド紛争」と日本では呼ばれているが、英語で"Falklands War"というように普通に「戦争」であり、双方で千人近い戦死者を出したものだった。
 現在の対立はいわばその30周年記念と言えないこともない。深刻な事態になるかといえば、軍事衝突はあるかもしれないが、軍事力の差から、つまり英国が最終的には十分な抑止力を持っていることから、大問題へと発展するとの見方は少ないようだ。
 「フォークランド紛争」はいろいろな意味で興味深い。この地域の争いは、油田といった資源問題を含むことに加え、現代の西側自由主義諸国間でも領土紛争で戦争が起こりうることを示している。日本からすれば双方が憲法で戦争放棄をすればよさそうなものだが、現実の国際社会ではそうした潮流はない。
 今回のフォークランド問題再燃はその背景を探ると日本にとっても、なかなか示唆的な部分がある。考え方によっては示唆を超えているかもしれない。雑誌「ディプロマット」は「オバマのフォークランドの失敗」(参照)として論じていた。四点にまとめられている。

1 軍事弱体は挑発的である
 紛争地域では一方の軍事力が低下すると、挑発となる。他方が軍事行動に出やすくなる。
 フォークランドを巡る今回の英国とアルゼンチンの対立も、キャメロン英首相が陸海軍の大幅削減を打ち出した際にアルゼンチンが挑発的に出た。特に英空母の退役がアルゼンチンを挑発した。
 日本では、鳩山元首相のように首相になってから抑止力を学ぶ人もいるが、現在の世界を見つめているだけでもそれを学べる機会はある。

2. 米国は同盟国として頼りない
 英米の軍事同盟はかつては強固だった。英国は国内世論を押し切っても、米国が始めたイラク戦争やアフガニスタン戦争に参加した。オバマ政権以降、同盟は弱体化している。
 今回のフォークランドを巡る問題では、クリントン米国務長官は対立する二国間で話合うことが望ましいと述べ、英国を支持しなかった。英国の保守高級紙テレグラフはこれを「フォークランド問題でオバマ政権は英国を背中からナイフで刺した(Obama administration knifed Britain in the back again over the Falklands)」と表現した。
 自国民の血を流してまで米国との同盟を維持してきた英国でも、オバマ政権の時代では背中からナイフを刺される。

3. 法の支配・民主主義・民族自決推進の失敗
 現在のフォークランド諸島の住民3200人はこの地に175年も暮らしていて、現在のアルゼンチン国民の祖先の多くがアルゼンチンの地に住み着いた以降より長い。当然、フォークランド諸島住民の多数は英国領であることを望んでいる。それは法の支配・民主主義・民族自決の原則を前提にしている。
 米国はこの、法の支配・民主主義・民族自決といった価値を世界に推進しようとしてきた。だが、オバマ政権がフォークランド問題に関与しないとしたことで、これらの価値の放棄したことになった。
 このことからさらに懸念される波及として南シナ海の問題がある。


For example, the complex web of territorial claims in the South China Sea, similarly, requires that no party try to unilaterally impose its will on smaller neighbors. The question is what sort of precedent the South Atlantic crisis sets for this similarly tense dispute in the Pacific.

例えば、多岐にわたる領土主張がある南シナ海でも同様に、どの勢力であれ弱小隣国に一方的な強制をするべきではない。問題は、南大西洋の危機が、同様に緊張した太平洋の対立にどのような先例をもたらすかである。

4. 経済制裁は裏目に出る
 フォークランド問題の文脈で見ると、アルゼンチンが自国ナショナリズムの視点からフォークランドを経済的に締め付けると、アルゼンチン自身が困難になる。つまり裏目になる。他国の資源開発参入を阻止し、観光業にも影響するからである。もっとも、ナショナリズムに覆われているときは長期的な経済利益はあまり考慮されないものだ。

 まとめも振るっている。


Whatever the outcome of the current crisis over the Falklands, the Obama Administration’s failure to back America’s key ally and its policy of significantly cutting American defenses sends the wrong message that will be heard far beyond the waters of the South Atlantic.

フォークランドを巡る現在の危機がどのような結果になろうとも、米国オバマ政権がその主要同盟国支援に失敗したことと、米軍大幅削減政策は、間違ったメッセージとして南大西洋を越えるだろう。


 日本を含めた状況でこの指摘を翻案するなら、現下フォークランド問題への米国オバマ政権の対応が、南シナ海の紛争に関わる米国同盟国に強い影響を与えることになる。その影響を見て日本近海の領有権問題の行く末が想像できるようになる。
 
 


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2012.02.21

光市母子殺害事件元少年の死刑

 1999年に起きた山口県光市母子殺害事件で、強姦致死などの罪に問われた元少年の死刑が20日、最高裁で確定した。元少年は犯行当時、死刑が認められる年齢である18歳を超えていたものの、満18歳を1か月超えたばかりで、その点でも死刑が妥当かなどを含め、死刑の基準についても長く議論が続いていた。
 検察は死刑求刑したが、1審の山口地裁は無期懲役とした。地裁判決要旨を引用したい(読売新聞2000/3/22より)。


 主文
 被告人を無期懲役に処する。
 (罪となるべき事実)
 【第一】 被告人は、平成十一年四月十四日午後二時三十分ごろ、山口県光市室積沖田四番の本村洋方において、同人の妻本村弥生(当時二十三歳)を乱暴しようと企てたが、同女が大声を出して激しく抵抗したため、同女を殺害した上で目的を遂げようと決意し、頸部を両手で強く締め付けて殺害、乱暴した。
 【第二】 同日午後三時ごろ、前記方において長女本村夕夏(当時生後十一か月)が激しく泣き続けたため、聞き付けた付近住民が駆け付けるなどして第一の犯行が発覚することを恐れ、泣きやまない同児に激昂して、居間において同児を床に叩きつけるなどした上、首に紐を巻き、締め付けて窒息死させた。
 【第三】 第二記載の日時場所において、本村弥生管理の現金約三百円及び地域振興券約六枚(額面合計約六千円)等在中の財布一個(物品時価合計約一万七千七百円相当)を窃取したものである。
 (量刑の理由)
 一 本件は、被告人が排水検査を装って被害者ら方を訪問し、同所において主婦を乱暴しようとするも、激しい抵抗にあったことから、同女を殺害して乱暴しようと考えて同女を殺害して乱暴した上、その傍らで泣き叫んでいた生後十一か月の乳児を殺害し、右主婦の管理にかかる財布等を窃取したという事案である。
 なお被告人は、当公判廷において、被害者ら方を訪問するまでは乱暴の犯意はなかった旨供述するが、不自然かつ不合理であり採用できない。
 二 被告人は、自己の性欲の赴くままに判示第一の犯行に及び、その傍らで泣き叫んでいた乳児を右犯行の発覚を免れるためなどの理由で判示第二の犯行に及んだものであり、誠に身勝手かつ自己中心的なその犯行動機に酌量の余地は全くない。
 そして、その犯行態様は、極めて冷酷かつ残忍であり、非人間的行為であるといわざるを得ない。また、被告人は犯行後その発覚を遅らせるために、遺体を隠匿したり、罪証隠滅のため自己の指紋の付いた物品を投棄したり、窃取した地域振興券を使用する等犯行後の情状も極めて悪い。
 他方、本件各犯行当時、被害主婦は二十三歳の若さであり、被害児はわずか生後十一か月であり、何らの落ち度もなく、幸福な家庭を築いていた被害者らの無念さは筆舌に尽くし難いものであり、遺族が本件各犯行によって被った悲嘆、怒り、絶望感は察するに余りある。当公判廷において証言した右主婦の夫及び実母がいずれもこぞって峻烈な被害感情を表し、被告人を死刑に処してほしいと強く要求しているのは、至極当然であるところ、これに対し、慰藉の措置は全く講じられていない。
 さらに、本件各犯行は、平日の白昼に集合団地の一室で発生した凄惨な事件であって、マスコミにも「光市母子殺人事件」として大きく取り上げられ、近隣住民に与えた恐怖感や、一般社会に与えた不安感、衝撃は計り知れないものがある。
 三 しかしながら、最高裁判所昭和五十八年七月八日第二小法廷判決が判示したところにしたがって本件を検討すると、被害者らの殺害は事前に周到に計画されたものでなく、被告人には前科がなく犯罪的傾向が顕著であるとはいえず、当時十八歳と三十日の少年であり、内面が未熟でありなお発育過程の途上にある。
 そして、被告人の実母が中学時代に自殺した等その家庭環境が不遇で成育環境において同情すべきものがあり、それが本件各犯行を犯すような性格、行動傾向を形成するについて影響した面が否定できないことに加え、捜査段階において一貫して本件各犯行を認め、当公判廷において示した遺族に対する謝罪の言葉は必ずしも十分なものとはいい難いが、被告人質問や最終陳述の際に被害者らに思いを致し涙を浮かべた様子からすると、一応の反省の情の顕れと評価でき、被告人の中にはなお人間性の一端が残っており、矯正教育による改善更生の可能性がないとはいい難い。
 四 以上によれば、本件は誠に重大悪質な事案ではあるが、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないとまではいえず、被告人に対しては無期懲役をもって、矯正による罪の償いをさせるのが相当である。

 私はこの地裁判決で概ねよいのではないかと考えていた。理由は、死刑の基準となる通称「永山基準」の妥当な解釈だと思われたからだ。地裁判決では「最高裁判所昭和五十八年七月八日第二小法廷判決が判示したところ」とされている部分である。
 永山基準では、1968年、当時19歳の少年が起こしたの連続射殺事件で最高裁が判決で示したもので、(1)犯罪の性質、(2)犯行の動機、(3)犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性、(4)結果の重大性、特に殺害された被害者の数、(5)遺族の被害感情、(6)社会的影響、(7)被告の年齢、(8)前科、(9)犯行後の情状、の9項目を考慮し、やむを得ない場合に死刑が許されるとした。
 「無期懲役」とする地裁判決を高裁も支持し、少年に更生の可能性を指摘した。が、2006年、最高裁は「計画性のなさや少年だったことを理由にした死刑回避は、不当で破棄しなければ著しく正義に反する」として審理を広島高裁に差し戻し、2008年控訴審で死刑判決となり、今回最高裁は上告を棄却して、死刑を確定した。
 ここで疑問を投げかけてみたい。当初の地裁・高裁の「永山基準」の解釈は間違っていたのか、それとも今回「永山基準」が事実上改訂されたのか。
 差し戻し時に最高裁が「少年であることは死刑を回避すべき決定的事情ではない」としていること、また、20日の最高裁第一小法廷が「犯行時少年だったことなどを十分考慮しても、死刑はやむを得ない」(参照)としていることから、「永山基準」は今回事実上改訂されたとしてよいだろう。昨日、日本で死刑の基準が変更されたのである。
 なぜ死刑の基準が変わってしまったのか。
 20日の最高裁第一小法廷では「何ら落ち度のない被害者の命を奪った冷酷・残虐で非人間的な犯行。心からの反省もうかがえず、遺族の被害感情も厳しい」「刑事責任はあまりにも重大で、死刑を是認せざるをえない」とされたが、この言明に日本国民の支持が暗黙裡に織り込まれていると見てよい。残忍非道なら死刑を是認せざるを得ないとする現在の日本国民の意思に、最高裁が法を調節したものだろう。今後こうした刑事事件は裁判員裁判の対象となり、日本国民の死刑についての意思が露出してくるが、それに先回りして調節したものでもあるだろう。
 法がそんな改変をしてもよいものか、というなら、まさにハーバード大学マイケル・サンデル教授がコミュニティの価値観を尊重して「これからの『正義』の話」をしたように、正義とはこうした日本国民の文化・歴史的な価値観の反映になるものである。その点からするなら、コミュニティの価値観から正義が改変されても当然だと言えるだろう。
 私はというと、今回の「永山基準」の改訂は間違っていると思う。死刑は廃止の方向に思索していくべきだからだ。しかし死刑廃止論については今回の判決とは直接関係はないので立ち入らない。
 この事件での、死刑という量刑について考えたいのだが、そこが間違っていると考えている。地裁判決が示した少年法の主旨への配慮は重要だろうと思う。この点で、今回宮川光治裁判官が死刑判決では極めて異例となる反対意見として「死刑判決を破棄し、改めて審理を高裁に差し戻すべきだ」「年齢に比べ精神的成熟度が低く幼い状態だったとうかがわれ、死刑回避の事情に該当し得る」述べたことに賛成したい。
 後は余談に近い。この事件の事実関係の認識において、結果的には残虐非道になったものの、その計画性という点でも私は疑問が残っている。
 法が裁くのは、悪なる意思である。「法という一般意思」が「罰に値する悪なる意思」に向き合うのが裁判である。精神異常者や少年が裁けないのは、そこに意思がないからであり、「悪なる意思」は計画性によって表れる。だが、最高裁の判断では、「計画性のなさや少年だったことを理由にした死刑回避は、不当で破棄しなければ著しく正義に反する」として計画性を重視しなかった。これは間違いだと私は思う。
 今回の裁判でいえば、先に要旨を引用した地裁でも高裁でも、事実関係は争われなかった。おそらく、「永山基準」で無期懲役になるとの弁護側の甘い想定で裁判が進められたためだろう。差し戻しをした最高裁も地裁・高裁の事実関係は確定としていた。
 だが、控訴審では事実関係は審理しなおされ、この時点でいくつか事実関係の問題点が見えてきた。事件の全貌は見えてこなかったが、犯罪の計画性という点では、この事件は「悪なる意思」の表れというより、人間らしい残虐さと偶然性という印象をもった。
 
 

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2012.02.20

米国では、30歳以下の女性の出産は婚外子が多い

 一昨日のエントリー「新米パパ(Old New Dads)」で、40歳過ぎて子供を持つ男性が増えてきたという話を書いたが、40過ぎ男性のお相手女性はというと8歳ほど若いことが多い。40歳を過ぎた再婚男と30歳を少し過ぎた女性といったところ。日本でもそういう傾向はあるだろう。こうした話と直接関連しているわけでもないが、米国だと30歳未満の女性の出産では婚外子が多いらしい。18日付けのニューヨークタイムズに「30歳未満の女性では、大半の出産は婚外」(参照)という記事があり、興味深いものだった。
 米国はプロテスタントのキリスト教文化的な気風が強く、かつては婚外子の出産は違法のように見なされていた(余談だがアマゾンのベソス社長は母が10代のときの婚外子)。この50年間で社会は変化し、30歳未満の女性では嫡出子より婚外子の出産が上回った。結婚しないで子供を産む20代の女性が普通になったと言ってもよい。
 全体的に見るなら成婚者の出産が59%だが、30歳未満の女性に限定すると60%強が婚外子出産となる(2009年)。しかし若い世代に全体的な傾向かというとそうでもなく、大卒者に限定すると結婚してから子供を出産していることが多い。若い世代では学歴の有無が婚外子を決める側面がある。こうした状況から「結婚は贅沢品」との指摘もある。
 なぜ20代女性の婚外子出産が増えたのか。直感的にわかるようでわからない。日本ではそういう傾向が目立っていないから先進国全体の傾向でもない。もっとも日本の場合は中絶が重要な意味を持っているかもしれないが。
 米国の若年層の婚外子出産増加にはそれなりの理由はありそうだ。平均給与の減少によるものか。格差社会の影響か。婚外子でも安心して出産できる社会的セイフティネットの充実か。セイフティネットの充実という場合は、成婚が増えるのではなく、未婚で婚外子が増えるという考え方である。婚外子のほうが食糧提供などの補助が厚い。
 ニューヨークタイムズ記事では統計提示の後、具体的な事例を挙げて婚外子増加の理由を考察している。結婚できないのは貧困が原因であることが多いが、あらためて婚外子の出産の理由はというと、それほど明確な推測に至れない。
 事例を読むと、日本人的な印象にすぎないかもしれないが、婚外子を産むと決断する若い米人女性たちには中絶の選択は第一に上がっていないようだ。米国では中絶の権利が声高に叫ばれているので、日本より産まない自由が社会に浸透しているのかと思っていたが、こうした事例からは、産む自由が問われているようだった。また、婚外子を持つ若いカップルの三分の二は子供が10歳未満で別れる。早晩別れると理解して婚外子を出産している女性も多いだろう。子連れの30代女性と再婚する男性も珍しくはないだろう。
 30歳未満女性の婚外子出産には人種の差が存在する。黒人では73%、ラティーノで53%、白人は29%。人種的な格差あるいは人種的な文化差のようだが、増加率で見ると白人が多い。人種差による経済格差の間接的な影響はあるとしても単純ではない。婚外子もまた普通の出産とする社会的セイフティネットの浸透速度の差かもしれない。
 出生率が低下していく日本だとこうした問題は、国の人口問題やあるいは結婚できない若者の問題といった文脈で議論されがちだが、ニューヨークタイムズ記事に、考えようによっては、気になる指摘があった。「家族というのはもはや父母・夫婦といった社会的な役割を演じるものではなく、より個人の満足や自己達成となっている」というものだ。個人の生き方という文脈が前面に出てくる。
 日本はその点でどうだろうか。少し古い話だが女性の結婚について「勝ち組」と「負け組」を分けるという話題があった。結婚を勝ち負けと見る見方だった。これが現状はどうだろうか。「負け」ではなく「勝ち」の多様性として、「結婚もして社会的にも成功」と「結婚はしないが社会的には成功」に置き換えられつつあるように見える。特に社会的な正義や成功といった文脈で語られるとき、暗黙に「結婚はしないが社会的に成功」が鼓舞されていく傾向、あるいはその枠組みに疲労していくようすが日本に見えつつあるように思える。
 日本では、生き方が問われているようでいながら、婚外子を自由に産むという空気はない。あればもっと増えているだろう。米国のように30歳以下の女性の出産で婚外子が増えてくることは、社会的な成功や結婚よりも、婚外子であろうが子供を産むという生き方の、自由な選択結果として受け止めてよさそうだ。
 
 


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2012.02.19

ボードゲーム 「世界の七不思議:指導者たち (LEADERS)」多言語版

 今年の元旦にボードゲーム「世界の七不思議」(参照)のエントリを書いた。しばらくはこの基本セットだけで楽しめるだろうし、なんとか各都市でそれぞれ勝利してから拡張キットの「世界の七不思議:指導者たち (LEADERS)」(参照)を入れることにしようと思っていた。時期的には春頃かなと思っていた。でも、いろいろ手こずってもなかなか一位になれないハリカルナッソスでもようやく勝てたし(意図的に埋めとく戦法)、ギザとロドスでやることは機械的になってきたので、そろそろ拡張キットを入れる潮時かなと買ってみた。追加キットが重たいようなら、抜けばいいんだし、と。

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世界の七不思議:指導者たち
(LEADERS) 多言語版
 嵌った。たぶん、もう元の基本セットには戻らないだろう。プレーした感覚では、基本セットの三世代構成に、指導者カード選択がもう一世代入るような印象もあって、10分くらい延長する。基本セットの30分くらいのサクっとしたゲームが、10分くらい延長で少しねっとり感が出てくる。。が、重たい感じはない。元から指導者を入ってたゲームのように自然に感じられる。よく出来た追加でした。
 最初のコインが3から6にアップするのだけど(リーダー購入用だろう)、特に違和感はない。リーダーの機能も最初はいろいろ細かくあって、こんなの覚えられないよと面食らったが、例によってアイコンで表示されているので、いったん慣れればそれほど解説書を読むことはない。ベタな勝利点や科学のカードまんまやんかみたいな指導者もあって、その部分はつまらない追加だなと当初は思っていたが、いえいえ、実に微妙に勝負の行き先を変えるのでよく考えられている。
 基本セットでもそうだが、ともすればというかやり始めは、他のプレーヤーを無視して、しこしこ自分でカードを集めていくようなゲームにも見えるのだが(ドミニオンもそういうところがあるが)、しだいに手元のカードがどう他のプレーヤーに循環するかを計算するようになるし、他のプレーヤーの軍事化や科学化のタイミング、どの資源や手工芸品を産出するかとか、いろいろ周りを気にして見計るようになる。あれですね、経済学でいう市場を通したコミュニケーションみたいな感じ。
 この追加キットは多言語版というのだけど、ようするにリーダーの名前が英文字で書いてあるというだけで、説明書には日本語のものが入っている。日本人がやっていて違和感はない。ローマ字が読めるくらいの子供なら、英文字で指導者名が書いてあっても問題はないだろうし、指導者たちの肖像はわかりやすく描かれているので、名前がよくわからなくても顔とか姿でわかる。
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 新規に加わった愛人ギルドと愛人トークンというのも洒落めいていて面白い。総じて、世界史を舞台に指導者というと、おっさんばっかりのイメージがあるが、カードには女性も多い。できるだけ女性を多くしようとした配慮の感じもうかがわれる。
 都市のボードにはローマが加わる。コロシアムである。これじゃエイトワンダーではないかというのは野暮。ローマのボードは指導者を多用する。ローマらしいといえばローマらしい。
 当然だがゲームのメンツの腕も上がってくるので、科学化で80点とかいうことは難しくなるし、軍事化のメリットやデメリットも気になる。一次産品を生産するようになるか工業品でやっていくか、商業を発展させるかなど、戦法も複雑になる。無理に世界史とかに結びつける必要はないが、国家と歴史のダイナミズムの基本的なモデルにもなっている。
 得点計算は基本セットの計算に指導者得点を加えるため新規の集計用紙を使う。つまり、ますます集計作業がめんどくさい。ゲームをしながら、相手がどの程度勝っているのは直感的にはわかりにくくなる。そのあたりは、今後のボードゲームの課題でもあるんだろうな。
 
 

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2012.02.18

年取った新米パパ(Old New Dads)

 「女性の出産適齢期」が存在するかは議論のあるところだが、女性が高齢になると出産は困難になる。女性は年代が上がるにつれ出生率も下がる。それにどのような社会的現象が随伴するだろうか。基本に戻って、出産に至るまでの過程を考えると当然男性も関わるわけだが、その男性の実態はどうなのか。簡単に考えると、男性の場合は子供を持つのが困難になるまでの生物学的な年齢はかなり高いはずだ。先進国ではどのような傾向が見られるだろうか。

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Microtrends
 この話はどこかで読んだはずだと記憶を探り、「マイクロトレンド」(参照)を思い出した。本書は、現代社会の特徴的な社会現象について、「大きな潮流」つまり「メガトレンド」として見るより、少数に表現されるとする「小さな潮流」である「マイクロトレンド」の観点から書かれている。米国では2007年の出版時によく読まれた。
 現代という時代を考えると、社会は多層化されるため、たとえ少数であっても十分に社会的な意味を持ちうる。場合によってはその少数が強い社会的影響力を持つこともある。その少数の傾向のなかに変化の先行性が見られることもある。
 「マイクロトレンド」を再読してみようと書棚というか書籍山を崩したが発掘されず、英語版(参照)が出て来た。該当の話題は「年取った新米パパ(Old New Dads)」にある。
 マイクロトレンドでのこの話題だが、「年取った新米パパ(Old New Dads)」は「年取った新米ママ(Old New Moms)」に対応しているので、女性の高齢出産についての言及もある。「年取った」というのだから、どのあたりの年齢に焦点を当てているのか気になるところだが、本書では明確に40歳としていた。
 男性の場合はどのあたりの年齢だろうか。「マイクロトレンド」での話題では、いくつかの著名な「年取った新米パパ」が冒頭に例示されている。日本ではあまり有名ではないが米国では知らない人はないほど著名だったストーム・サーモンド上院議員(参照)、ロック歌手のミック・ジャガー、オペラ歌手のルチアーノ・パバロッティ、映画俳優・監督のチャーリー・チャップリン、メディア王ルパート・マードックである。ミック・ジャガーが新米パパとなったのは55歳。他は65歳を超える。マードックは70歳を超えていた。こうなると男性の場合は、成人以降死期に近いころまで子供を持つことが可能であるかような印象すらある。
 具体的に男性が父親となる年齢だが、米国の統計だと、1980年には50際以上で子供を持つ男性は23人に1人だったが、2002年には18人に1人となった。この間の年代別の増加率を見ると、40~44歳が32%増加と断トツに多く、45~49歳が21%増加、50~54歳が10%増加している。こうした傾向は米国以外に、イスラエル、オランダ、英国、ニュージーランドでも見られるとのことだ。

 なぜ、40歳過ぎの男性が新米パパとなるのか。ネットで有名な(あるいはネットでのみ有名な)社会学者や文学者を想像してみると即座に思いつく理由があるのだが、本書は3つの理由を挙げている。
 第一は、パートナーの高齢出産が増えたからである。単純に「年取った新米ママ」の随伴現象である。結婚して10年以上を経た、同年近い夫婦がともに40歳近くでようやく子供が持てるようになった、あるいは子供をもてるのはその時点だと考えたというものだろう。日本の場合はどうかという統計は知らないが、私の周りを見ても、男女ともに30代半ばで結婚し40代少し前に初子を持つケースはある。
 二点目は、離婚とある。米国の場合、成婚の半数は離婚に至る。そして離婚後の再婚は男性のほうが早い。かくして男性は再婚の夫となるのだが、本書では、8歳ほど若い妻を得た「改装パパ("Do-Over Dads")」と表現されている。このトレンドを反映して、40代半ばの男性の精管切除(パイプカット)復元も多いらしい。逆に言えば、30代前半くらいでパイプカットする男性が米人には多いのだろう。というか、私も米人からそういう話を聞いたことがある。こうした例からは、38歳くらいの男性が30歳ほどの女性と再婚するというのが基本的なモデルだろう。
 三つ目の理由は、生物学と成功の組み合わせ("a combination of biology and success")とある。ごく簡単にいうと、40代過ぎて社会的に成功した男性が若い女性を求める結果ということのようだ。
 年取った新米パパが出現する理由としては以上の三点だが、理由としてみれば常識の範囲内だが、とりわけ珍しい事例の説明というより、それが一定の人々の社会的傾向を描いているというほうが重要だろう。珍しいことではなくなったと言える。
 「マイクロトレンド」という書籍で面白いと思ったのは、著者マーク・ペン氏もまたこうした新米パパであるとさりげなく告白している点だ。彼は48歳のときにその時点の末子を持ち、本書執筆時には子供たちの年齢差は19歳から4歳となったらしい。家庭というものの幸福が長く続くようになったとも述べているが、そこも重要点であるだろう。私は今年55歳にもなるが、すでに子供が独立している同年代の女性がいる。彼女たちの場合は子供がいるという意味でのいわゆる家庭らしい家庭ではなくなりつつある。
 年取った新米パパについて、社会傾向として見るなら、著者はできるだけ価値観を廃して論じてはいるものの、私学に多いといったことからも、それ自体社会的な成功を反映しているだろうし、おそらく収入面での格差の反映でもあるのだろう。
 マイクロトレンドのこの項目の話題の最後では、こうした年取った新米パパのライフスタイルからくる政治的な要求が社会に浮かび上がってくるだろうとしている。いくら中年期に社会的に成功した男性とはいえ、子供が大学進学することには老人となり、費用などを十分に支援できなくなる可能性も高い。アイロニカルではあるが、格差的な傾向が生み出したライフスタイルが、より格差のない政治勢力となりうると見てよいのかもしれない。
 
 

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2012.02.17

卵子老化を巡る「もや」っとした思い

 バレンタインデーの日のNHKクローズアップ現代「産みたいのに産めない ~卵子老化の衝撃~」(参照)を見て、なんとも「もや」っとした印象をもった。その「もや」っとした感覚が何に由来するのかしばらく自問自答し模索した。思いがくっきりとまとまったわけではないが、少し書いてみたい。
 クローズアップ現代の話はタイトルから推測がつくように、卵子の老化と不妊を結びつけているものだった。卵子は精子と違い、生まれたときから一定数であり、年齢とともに減少しまた老化する。このため、一定の年代以降は受精しづらくなる。つまり、妊娠しづらくなる。ではその年代はいつか。線引きが難しい。番組でもそれについては微妙にぼかしていたようだった。ゲストの杉浦真弓・名古屋市立大学大学院教授はこう語っていた。


 20代の前半ですと6%の不妊症が、40代ですと、64%になります。ですから、やはり20代が一番妊娠しやすいというふうに考えられると思います。


 (卵子の老化が不妊の大きな要因になっていることを)社会が知らないんだと思います。
 まず日本では、生殖に関する教育を全くしてこなかった。高校の教科書にも、なかなかそういった不妊症ということばが出てこない、家族計画ということばは出てきますけれども。それから一般の人たちは通常、メディアを通じてそういった不妊の知識などを得ているんですけれど、芸能人の方々、例えば45歳で出産するというニュースが流れると、自分も45歳で出産できるというふうに誤解をされる方が多いと思います。避妊ですとか、性感染症のところが中心的になっている、そういう教育がされてきた結果かなと思います。

 言葉でははっきりしたメッセージはなかったが、グラフでは年代による不妊症の割合が表示された。

 グラフの印象からすると、34歳までは不妊症は15%ほどと少なく、35歳から39歳でそれが30%ほどに倍増し、40歳から44歳でさらに倍の64%となるようだ。不妊を避けるというなら、35歳までに妊娠するか、あるいは40歳までに妊娠するか、どちらか。その線引きが難しい。そしてそれ以前に、「不妊を避けるために出産年齢を人生の計画にすべきなのか」という難問が横たわる。冒頭に書いた、「もや」っとした思いの一つはそこに関わってくる。人生の計画として、妊娠の年齢を決められるものなのだろうか。
 先日のエントリー「米国の婚姻率減少の理由はなにか」(参照)で日本の初婚年齢は男性は30.5歳、女性は28.8歳という統計を紹介したが、英国の例を参考にしたり日本でも都市部に限定したりして見るなら、おおよそ現代日本の女性の初婚の中央値は30歳くらいなのではないだろうか。
 私の記憶では不妊の判定は婚姻後2年で、そして自然の状態だと2年周期で出産だったが、それに合わせると、日本の女性は30歳で結婚し、32歳・34歳あたりで二子を産むというモデルになるかと思う。そういうふうに「人生設計」するという社会学的なモデルが一つ成立するだろう。だとすれば、少子化を問題だと騒ぐ日本国家及び社会は、そのあたりを中心点に支援の政策を打ち出していくことになる。そういう支援が見えるかというと、特に見えないようには思う。
 クローズアップ現代でも、初婚40歳という年齢が暗黙に不妊の要因とされた文脈で、仕事に専念し40歳で結婚し不妊に悩む女性を紹介していたが、こういうケースはどう考えるべきなのか。
 番組にはなかったが番組ホームページのほうでは、「産みたい時に産める会社を」という見出しがあった。が、それに対応する番組の内容はなかったように思う。理念としては、「産みたい時に産める会社を」なのだろうが、ではどうしたらいいかという答えは、いろいろ模索し検討しても番組では見つからなかったのだろう。余談だが、クローズアップ現代の番組は模索して作成されている。もう語ってもいい時期だが、以前ブログがテーマになったときは途中までこのブログも取材の対象になっていた。が、最終時点で落とされた。その残存は番組背景のでの「極東ブログ」という表示に残った。
 さて、「産みたい時に産める会社を」ということが見出しには、どういう話があるのか。重要なので杉浦教授の話のその部分を引用したい。


 具体的に企業がどうするってことは、私には思いつかないんですけど、ただ、やはり妊娠には期限があるってことを知っていただく。
 まず、全く皆さん、知識ないわけですから、まず知っていただく、そこからやはり自分の所で働く女性、あるいは自分のおつきあいしている女性に対して、妊娠の期限を知ったところから、そして支えていくことができるのではないかなと思います。
 (不妊治療を受け始めた方は)すごくつらい思いをされてると思います。ですから、今の女性たちは一生懸命勉強して、学歴も手に入れ、そして仕事もいい仕事を手に入れるということをしてきたわけなんですけれど、努力ではどうしようもないことが、やはりあるんですね。人の生死など、コントロールできないことがある。やはり子どもは授かるんだという気持ちを少し持っていただく。そして例えば、自分を責める気持ちが強い方も多いんですけれど、決して自分を責めるようなことではないというふうに考えていただきたいと思います。
 まずやはり卵子の老化ということで、妊娠には適齢期が、適齢期ということば、あまり好きではないかもしれませんが、あるわけです。ですから、その時点で、今、自分の抱えてる仕事、キャリアと、どちらが本当に子どもが欲しい人にとって大切なのかということを、しっかり考えていただいて、自分で決めていただく。そうであれば、やはり自分であとで後悔することがないのかなというふうに思います。
 今から20代の方であれば、予防していくことができることだと思いますし、今、30代の方であれば今、どうするのかということを考えていただく機会になるのではないかなと思います。

 率直な私の印象は、何を主張されているのかわからなかった。
 個別の主張はわかるのだが、全体的に何が語られているのかわからない。だが、しいてキーワードとして取り上げるなら、「予防」だろう。「不妊が予防できる」という考え方だ。では、どのように「予防」するかというと、ある年代以前に妊娠しなさいということなのだろう。35歳まで、あるいは、40歳まで。
 そしてその文脈に「産みたい時に産める会社を」という見出しがどう整合するのか。整合していないように思える。
 クローズアップ現代を批判したわけではまったくない。おそらく番組制作過程でテーマと主張が見失われていったのだろう。あるいは、いくつかの主張がうまく整合的に語ることができない状態になってしまったのだろう。
 それでも、番組の全体からは、杉浦教授の指摘にもあるように、妊娠の最適な年齢期間が学校教育などを通して周知ではなかったという論点がありそうだ。
 それを主張として「女性と限らず、女性をパートナーとする男性も妊娠適齢の年代について正しい知識を持つべきだ」としてみる。背景には、これまでそれが周知ではなかったという前提がある。
 そうなのだろうか。番組ホームページには掲載されていないが、番組の冒頭にはその認識状況についてグラフの提示があった。

 ホームページでも言及がなく、またグラフについての説明も番組ではそれほどなかったように記憶している。だが、この認知度のグラフを眺めてみると、仮に適齢期の線引きが女性の40歳だとするなら、6割は正しい認識を持っているとして読み取ることができる。
 「妊娠適齢の年代について正しい知識を持つべきだ」という命題が適応されるなら、残り4割に相当すると言ってもよいだろう。
 だが、こうも言えるはずだ――不妊症の率36%を仮に許容なリスクのように認識するなら、45歳まで自然に妊娠できる――その認識が誤っているわけではない。そう見るなら、「妊娠適齢の年代について正しい知識を持つべきだ」という主張は成立しない。すでに日本社会は正しい認識を持っていると見てよいことになる。
 自分なりにここまでの「もや」とした思いをまとめてみると、「妊娠適齢の年代」は女性の35歳なのか40歳なのかはっきりと言うことはできないし、45歳についても不妊症のリスクのようなものを許容するなら、そもそも「妊娠適齢の年代」意識について、日本国民はすでに正しい認識を持っていることになる。
 ではそもそも問題はないのか。「もわ」っとした思いから、クローズアップ現代のこの番組放送後、2ちゃんねるに倖田來未さんの「羊水発言」を擁護する話題を見つけた。ライブドアのトピックにも上っていた。「倖田來未の「羊水発言」を擁護する声が続出」(参照)より。


 14日、NHK「クローズアップ現代」で放送された「産みたいのに産めない~卵子老化の衝撃~」は、これまで知られなかった「卵子の老化」と「女性が適齢期に産める社会」について考える内容となり、放送直後から大きな話題となった。
 すると、放送後のネット掲示板では、過去に歌手の倖田來未が行った「羊水は腐る」発言に触れ、再び議論が起こっている。倖田は2008年のニッポン放送「倖田來未のオールナイトニッポン」内で、「35歳をまわるとお母さんの羊水が腐ってくるんですよね」と発言したが、「高齢出産の女性に失礼」など抗議の声が続出し、その後プロモーション活動の全面自粛や、CM放送の中止という事態に追い込まれ、報道番組内では涙ながらに謝罪を行っている。
 今回の「クローズアップ現代」でテーマとなったのは、羊水ではなく卵子だったが、ネット掲示板では「倖田來未はある意味正しかったのでは?」「言い方は違うけど、羊水が腐るというのもあながち間違いではなかったな。(高齢出産に対する)警告という意味ではありだな」あど、倖田を擁護する声が相次いだのだ。

 倖田來未さんの「羊水が腐る」発言は冗談でなされたとはいえ、まったく科学的に間違っている。しかし、もとの発言の文脈は、子どもをもちたいとする知人が35歳以前に結婚でできてよかったということであり、不妊と高齢化という意図の文脈でとらえるなら、クローズアップ現代の番組のように卵子の老化を考えるとするなら、そう外れたものでもなかったことになる。「高齢出産の女性に失礼」など抗議の声は、「老化する卵子」であれば失礼にはならなかったか。
 私の印象では、倖田來未さんが、「卵子が老化する前に結婚できてよかった」と発言しても、やはり、「高齢出産の女性に失礼」な発言だっただろうと思う。
 それらを整合した社会的態度で考えるなら、市民は「妊娠適齢の年代」を認識しつつも、誰の妊娠の年代についても言及してはならないということになるだろう。
 その結果、その認識のソースは他者の発言から得られないということになり、すると、これは国家なり一般意思なりのようなものが伝える知識となるのだろう。誰もが関わり誰かが直接対応しえないという点で、よい比喩ではないがごみ処理のように公共性がありその公共性が人口政策として国家の施策に関わるまでのものならば。
 論理的な帰結のようだが、「妊娠適齢の年代」を語る国家意思というのは、なんとも気持ちの悪いものでもあり、どこかに理路の間違いがあるようにも思う。これも「もわ」っとした部分だ。
 この問題は日本だけの問題ではないので、米国ではどうなのかいくつか情報をあたってみた。実は、クローズアップ現代が掲げたグラフが国際的に見て正しいのか疑念もあった。結論からいうと、大きな差はない。
 意外にも思えたのが米国疾病対策センター(CDC)に、「生殖補助技術(ART: Assisted Reproductive Technology)」(参照)が存在し、各種の資料を提供していたことだった。ざっと調べてみたが、日本にこうした国家機関が存在するのか私にはわからない。
 ARTの2009年のレポートを見ると、不妊症治療の場合の、加齢していく卵子(緑の丸)と提供された卵子(青の四角)による妊娠率のグラフが示されている。

 このグラフから米国という国家が、市民の人生に対する指針、たとえば、「妊娠適齢の年代を考慮せよ」といった主張をしているわけではない。そうではなく、不妊の場合で、加齢を考慮する際、卵子提供を受けるという決断のための資料を提供している。
 別の言い方をすれば、市民が可能な人生の選択の幅を広げるための具体的な情報を米国国家は提供していると。
 おそらく、私たち日本人は、少子化し人口縮小していく日本という国家にあって、市民が「妊娠適齢の年代を考慮せよ」と国家に指導してもらうよりも、多様な人生の局面において多様な選択を可能にする知識の確かな源泉としての国家という装置の情報機能を求めていくべきなのではないか。
 
 

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2012.02.15

景気が低迷すると独身者は、減る

 景気が低迷すると独身者は、減る。そんな、まさか。日本は景気の低迷が続いているが、独身者が減っていく現象なんて見られない、はず。そうこれは米国の話。とはいえ、ふと思ったのだが、日本でも人口減少部分を補正すると景気の低迷で独身者は減ると案外言えるかもしれない。
 ネタ元はスレート「離婚で米国を救え」(参照)である。タイトルからわかるように景気低迷で独身者が減るのは、離婚が減るからというロジックだ。貧しいと離婚しづらいということ。米国だともっと露骨に、離婚で相手からカネがぶん取れないというのもある。だから未婚者が減るという話ではない。それだけで、なんかもうオチが見えてきたようだが、話を読んでみると二、三、へえと思うような部分もあった。余談だが、米国ではフィエスブックが原因で離婚が増えていると聞く。理由は不倫のチャンスが増えるから、というより、プライバシーだだ漏れで不倫相手ががっつりバレて訴訟がしやすいかららしい。話、戻して、と。
 先日「米国の婚姻率減少の理由はなにか」(参照)というエントリを書いたが、米国と限らず先進国では婚姻率が長期的に減少している。そもそも結婚する人が少なくなっているというわけだ。理由はなぜかと考察する以前に、それはそういうものなんじゃないかという印象が強い。だが、スレートの話ではこんな理屈がついていた。


For most of us, a happy marriage is a more appealing prospect than a life alone. But the divorce-recession link appears to indicate that in many cases affluence is an opportunity to escape or avoid unhappy partnerships. Under the circumstances, we should not be surprised that the relatively affluent America of 2012 includes more single people than the poorer America of 1962.

多くの人にとって幸福な結婚は独身より魅力があるものだが、離婚と景気後退の関連で見ると、豊かさはたいていの場合、不幸な夫婦関係から逃げる機会を示しているようだ。この関連からすると、貧しかった1962年の米国よりも多くの独身者が比較的豊かな2012年の米国にいるのは、驚くことでもない。


 結婚はうまく行けば幸福なのだろうが、そう行かないなら解消したいものだということであり、豊かになればなるほど、解消したほうがいいと選択する人が増える。
 そうだろうとは思うが、以前のエントリーを合わせてみると、結婚して幸せだという人は二人に一人くらいなもので、しかもそこに至るまでに紆余曲折ということもある。
 日本の場合を思うと、「独身イコール未婚」、さらに言うと「独身者は結婚できない人」というのがなんとはなしに前提になってしまい、結婚解消して独身という話題はそれほどは見かけない。どうだろうか。
 スレートの話ではその先に、景気が回復すれば、離婚者が増えて独身世帯が増え、世帯数も増加すると続く。
 ちょっと意外だったのは、現在米国ではどうやら世帯数は人口増加に比して頭打ちになっているらしい。別の言い方をすれば、米国の場合、少し景気回復すれば世帯増加にともなって消費が活発になるとも見られている。日本ではちょっとありえない。
 もう一点スレートの話で意外に思えたのは、貧困と独身を結びつける考え方は「保守派」とされていたことだ。日本だと「貧しいから独身が多い」「貧しいと結婚もできない」というのは保守の考え方とは言われてないように思えた。

It’s become commonplace in conservative rhetoric and writing to note that single life, especially for parents, is strongly associated with poverty and bad economic outcomes. This was the rationale for the Bush administration’s marriage promotion initiatives, it’s a frequent theme in David Brooks columns, and it’s a centerpiece of Charles Murray’s new book.

独身生活者が(特に親の場合)貧困や経済状況に強く関連しているという指摘が保守派の言論によく見られるようになった。このことが、ブッシュ政権時代、結婚推進政策の理由でもあり、デイヴィッド・ブルックが頻繁に取り上げるテーマでもあり、チャールズ・マリーの新著の主張でもある。


 「貧しいから結婚もできない、だから貧困を解消をせよ」という主張は、日本だと進歩派や左派によく見られる言論だが、考えてみると、それって保守派の考え方ではあるな。進歩派ならむしろ「貧困を解消し、離婚しやすい社会にせよ」だろうか。
 米国の保守派的な主張が日本だとどうして左派の主張のように感じられるのだろうか。よくわからないが、日本の左派的な主張というのを冷静に取り出してみると国際的には保守派の主張になっていたというのは面白い現象ではある。
 
 

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2012.02.13

[書評]超常現象の科学 なぜ人は幽霊が見えるのか(リチャード・ワイズマン)

 「超常現象」という言葉を聞いただけで眉をしかめ、身を引く人もいるだろう。占い、幽霊、超能力者、念力、体外離脱、霊媒……ちょっとご勘弁な話題である。なぜなら、そんなものは存在しないからだ。
 本書「超常現象の科学 なぜ人は幽霊が見えるのか」(参照)の著者リチャード・ワイズマンもそういう一人だった。彼はずっとこう考えていた――超常現象はパーティの話題としては受け取るが事実無根――と。ではなぜ彼が超常現象をテーマにした本を書いたのか。科学的世界観を普及させたかったのか。偽科学批判をしたかったのか。必ずしもそうではない。

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超常現象の科学
なぜ人は幽霊が見えるのか
 ふとしたきっかけで彼は、超常現象が存在するかを調べるより、人がなぜこうした不思議な体験をするのか、その心理的な理由が知りたい、と考えるようになった。それは脳の問題なのではないか。
 超常現象が存在するかどうかという科学議論については「超常現象を科学にした男――J.B.ラインの挑戦」(参照)など別書にまかせるとして、超常現象があったと経験する人が存在することは確かである。多くの人が超常現象を信じてしまうという現象は確実に存在する。そのほうが興味深い。調べていくと人間の脳の問題でもあることがわかる。本書は「超常現象」を受け止める人間の脳の不思議を扱った書籍である。
 別の言い方をすると、人が、占い、幽霊、超能力者、念力、体外離脱、霊媒といった超常現象を信じてしまうのは、その人の科学リテラシーが低いからだ(もちろん低いのだが)と責め立てるより、そう信じてしまう心理的理由、あるいは脳機能的な理由を明らかにしたほうが、社会的にも有益だとわかる。「水に向かってきれいな心で語りかけるときれいな氷の結晶ができる」と信じている人に、「そんなことは科学的にありえないし、信じているのは科学を理解しない愚かな人なのだ」と主張するより、本書「第7章 予知能力の真偽」で解き明かされているように、信じたい物を人は見てしまうという脳の仕組みを理解し、その理解から奇妙な信念を持つ人を共感したうえで、場合によっては脳の仕組みにそってその信念を解くように接したほうがいいだろう。
 それを広義の狂信性の解体というなら、本書「第6章 マインドコントロール」には特に有益な知見に溢れている。この章を読みながら私は、そこにオウム真理教への言及がないにもかかわらず、日本で起きたオウム真理教事件について、理系の青年たちがなぜあの奇妙な、超常現象を主張する宗教に没入していったのかという理解を深めることができた。あの時代に本書があれば日本社会もかなり防御的だっただろうとも思った。あの事件から15年以上が経過し、日本社会にまた奇妙なカルトの芽が見えつつある現在、本書はこうした脱・超常現象心理の視点からより多くの人に読まれるといいのではないか。
 堅苦しい社会的価値の話を抜きにしても、本書は愉快な本である。例えば、「第1章 占い師のバケの皮をはぐ」はその見出し通り、占い師のバケの皮をはぐ事例が詳細に語られているのだが、その過程は逆に即席占い師になるための要点とも読める。パーティとかその他の場で、ちょっとした占い師になるためのエッセンスがぎゅっとまとめられているのだ。この章だけで占い師の秘伝書といった趣がある。
 同様に「第3章 念力のトリック」を読めば、スプーン曲げができるようになる。ちょっとやってみたくもなる。受けること間違いなし。いやいや、そのネタでバカ受けできるのはもはや40代後半以降かもしれない。1972年、ユリ・ゲラーがテレビのワイドショーでスプーン曲げを実演し、これを見た少年たちが”超能力に目覚めて”全国でスプーンを曲げ出したものだ。あの騒ぎの顛末を知っているからこそ愉快なネタになる。
 いや、ちょっと待て。現在の若い人が、目の前で、曲がれ曲がれと言うやスプーンが曲がるといった現象を見ると、ころっと信じてしまうことはないだろうか。世の中は、本書を楽しんで読めるだけの知性を持つ人ばかりではない。
 昔のことを思い出して「第4章 霊媒師のからくり」を読むと別の懸念もよぎる。本書は翻訳書なのでシンプルに「ウィジャボード」の使い方として説明しているが、私の読み落としでなければ本書に注記されてなかったようだが、これは日本でいう「こっくりさん」である。40代後半以降なら知っているだろう。「こっくりさん」で集団ヒステリー事件が起きたことがあった(参照)。大人がパーティーゲームの余興でやるならいいが、中学生以下が不用意に行うと場合によっては危険な集団心理状態に陥りかねない。
 潜在的な危険性をいうなら「第2章 幽体離脱の真実」も同様かもしれない。幽体離脱体験が心理学的に十分説明が付くことは村上宣寛著「心理学で何がわかるか」(参照)にも記されているように心理学に関心ある人には熟知でもある。またこの現象のベースとなる、疑似身体感覚の応用は重篤な脳梗塞から奇跡的な回復をした栗本慎一郎の、氏自身の考案のリハビリ手法(参照)にも描かれている。問題は同章に幽体離脱体験を導く簡素な手法が書かれていることだ。本書には言及はないがこの手法は、実際に幽体離脱があった主張したロバート・モンロー著「体外への旅」(参照)の手法とかなり類似している(おそらくモンローの書籍からこの分野の研究が開始されたためだろう)。モンローの書籍の反応を思うと、人によっては超常現象体験を起こす可能性がある。
 本書はこの手法について、「実験を恐れないこと――いつでも簡単に自分の体に戻れることをお忘れなく。体外離脱のこつを覚えたら、あなたは思うがまま世界中を飛び回ることができる――想像力が続くかぎり、温室効果ガスをまき散らす心配もなしに」と軽妙に語っている。だが、モンローの体験談を読むと、これには人の生活を変容させかねない恐怖が伴うことが推測される。
 ここで奇妙な逆説を思う。モンローはその恐怖と体験の意味を深化させ、晩年には実質的な体外離脱を否定し、体験の意味合いについて思考するようになった(参照)。むしろそれはワイズマンの元来の意図に近い。
 幽体離脱体験と限らず、なぜこのようなこと――超常現象ではなく、超常現象の意味受容――が、人の心に起きるのだろうか。それはもちろん本書でワイズマンが主張するように、人間の脳がそのようにできているからなのだが、ではもう一歩進めて、なぜ人間の脳はそのようにできているのか。そう問うなら、各人の実存の了解過程に関与しているからもしれないという疑念が起きる。
 現象学者フッサールは、人間が生きている世界は数値計量化される物理学的な世界ではなく、質感を伴った経験によって生きられる世界だとして、これを生世界(Lebenswelt)とした。人間の脳は生世界を生み出す装置でもあり、その装置には、日常的な体験から、死を先駆してまで生きる意味(あるいは死の意味)として超常現象体験を待機する仕組みも備わっているのかもしれない。
 ワイズマンは脳が幻想を生み出すプロセスで、ベンジャミン・リベットによる脳と意識のギャップについても言及し、脳が意識に先んじて動くことを示している。本書には、これを詳しく示した、リベット著「マインド・タイム 脳と意識の時間」(参照)の参照はないようだったが、この主張の含意は大きい。
 ワイズマンはリベットの実験から、人間の脳が意識に先行する事象ついて、無意識の役割が大きいと了解しているが、その意味合いについて、つまり超常現象体験受容の意味構造についての思索の深化はしていない。だが、意識に先行して幻想を生み出す脳の仕組みは、人間経験の意味受容に先見的な枠組みがあることも意味している。もしかすると、死の恐怖というのは、超常現象体験によって乗り越えるための仕組みの部分なのかもしれない。
 リベットの実験、つまり本書でも述べられているように超常現象的な知覚は意識や知識に先行して発生する。現象学がその方法論で示したように、事後検証や他者の検証を含まない直接的な個人経験においては、通常現象と超常現象といった差違はなく、同じく所与の経験となる。
 このことは、超常現象体験が体験者自身によって否定される契機も要請するだろう。多くの人はカルト的な生活をまっとうすることはできない。では、その否定契機はどのように到来するのか。一般的には「科学的にありえない」という知識によるのだが、おそらくその知識は脳において宗教信仰と同型だろう(参照)。
 現実の私たちの生活では、超常現象体験は、科学によるとされる信念・通念で否定されるよりも、個人の内奥に留まる傾向がある。多数の人は、超常現象体験をしてもそれを他者との開示にそれほど積極的ではない。おそらく私たちの個人体験の認識は、他者を含めた事後検証に対して、他者への信頼も保有するという、ある種の社会機能で抑制されているのだろう。別の言い方をすれば、超常現象体験という非日常性の認識の裂け目が個人に生じても、その人は、その体験と他者と信頼し共存していく社会との宥和を計る。
 そう考えるなら、超常現象体験が社会に広まったり、それを元にしたカルトが発生する時代は、他者への信頼の揺らぐ時代でもあることがわかる。であればなおさらのこと、超常現象といったものへの否定は、いわゆる頭ごなしの科学教育より、人が他者と信頼を形成していく仕組みが重要になる。
 本書は、超常現象を頭ごなしに否定したりちゃかしたりする書籍として読まれるより、人間の脳はそういうものなんだよといったん受容し、多様な信念を持つ他者への許容と共存のための道具として読まれるほうがいいだろう。
 
 


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2012.02.11

イランを巡る不明瞭な状況

 イランを巡る不明瞭な状況を解き明かすことは難しいが、日本ではあまり見かけない話題もあり、簡単にだがそろそろ触れておいたほうがよさそうに思えてきた。話題のきっかけは1月11日の、イラン科学者モスタファ・アフマディロシャン(Mostafa Ahmadi Roshan)氏の暗殺である。
 翌日のAFP「イラン核科学者が爆弾攻撃で死亡、政府「イスラエルと米国の仕業」」(参照)より。


 イランのファルス(Fars)通信などによると、首都テヘラン(Tehran)で11日、自動車爆弾攻撃があり、核科学者のモスタファ・アフマディロシャン(Mostafa Ahmadi Roshan)氏(32)が死亡した。
 テヘラン東部にある大学の前で、同氏が乗る車にバイクの2人組が近づき、車にマグネット式の爆弾を仕掛けて爆発させたという。この攻撃でアフマディロシャン氏と車を運転していたボディーガードが死亡、1人が負傷した。

 イラン側はこの暗殺にイスラエルと米国が関与していると見ていた。1月13日付け読売新聞「イラン核施設幹部暗殺「CIAとモサドが関与」」(参照)より。

イランの最高指導者ハメネイ師は12日、同国核施設幹部の暗殺事件について、米中央情報局(CIA)とイスラエル情報機関モサドが支援したと明言した。
 国営通信が伝えた。ハメネイ発言は、事件に米国やイスラエルの関与があったとイランが結論づけたことを意味し、イランと米国の対立は一層深まりそうだ。
 ハメネイ師は、中部ナタンツにある核施設幹部だったとされる核科学者モスタファ・アフマディロシャン氏が11日、首都で爆殺された事件を受け、同氏の遺族へのメッセージを発表、この中で、「このテロ事件の首謀者はCIAやモサドの支援を受けて犯行を実行した」と述べた。

 イラン側の主張に裏付けとなる証拠が挙がっているかについては、他の報道からも読み解けない。
 問題は、この、イランが主張する、イラン科学者への暗殺が単発的なものではないという点である。先のAFP記事はこう伝えている。

■過去にも同様の手口で3人死亡
 アフマディロシャン氏は、出身大学のウェブサイトによると、ナタンツ(Natanz)のウラン濃縮施設の副所長を務めていた。
 イランでは、2010年と11年にも、同様の手口による攻撃で科学者3人が殺害される事件が発生している。このうち2人は核活動に従事していた。

 また、1月12日ブルームバーグ「イランの核科学者が爆死-政府はイスラエルの犯行と非難」(参照)より。

米国やイスラエルがイランに対し核開発の中止を求める中、同国の核科学者が標的となった事件は少なくとも3件目。


米国務省のヌーランド報道官は11日にワシントンで、「善良な市民に対するいかなる暗殺行為および攻撃も非難する」とのコメントを発表。イスラエル外務省のパルモール報道官は電話で、報道に関するコメントはないと語った。

 真相はわからないという状況が続き、実際のところまだ確定的なことがいえる状況ではないが、NBCが8日、関連の興味深い報道「Israel teams with terror group to kill Iran's nuclear scientists, U.S. officials tell NBC News」(参照)をした。

Deadly attacks on Iranian nuclear scientists are being carried out by an Iranian dissident group that is financed, trained and armed by Israel’s secret service, U.S. officials tell NBC News, confirming charges leveled by Iran’s leaders.

イスラエルのシークレットサービスはイラン反体制派に資金提供、訓練、武装を実施しているが、イランの原子物理学者への致死的な攻撃は、このイラン反体制派によって実行されたと、米国高官はNBCに語った。これはイラン指導者からの嫌疑を確認するものでもあった。

The group, the People’s Mujahedin of Iran, has long been designated as a terrorist group by the United States, accused of killing American servicemen and contractors in the 1970s and supporting the takeover of the U.S. Embassy in Tehran before breaking with the Iranian mullahs in 1980.

このイスラム人民戦士機構は、米国からテロリスト集団として従来から指定され、1970年代に米軍人と請負人を殺害し、イラン宗教指導者と断絶する以前の1980年、テヘランの米国大使館乗っ取りを支援したことで告発されている。

The attacks, which have killed five Iranian nuclear scientists since 2007 and may have destroyed a missile research and development site, have been carried out in dramatic fashion, with motorcycle-borne assailants often attaching small magnetic bombs to the exterior of the victims’ cars.

2007年以来、5人のイランの原子物理学者を殺害し、ミサイル研究開発場を破壊したとみられる攻撃は、劇場的に実行されている。よくある手口は、オートバイに乗った襲撃者が、犠牲者の自動車外部に小型時期爆弾を設置することだ。

U.S. officials, speaking on condition of anonymity, said the Obama administration is aware of the assassination campaign but has no direct involvement.

オバマ政権はこの暗殺活動を知っているが、直接的には関与していないと、匿名を条件に話す米国高官は語った。


 現状では真偽が確かめられないが、NBC報道によれば、2007年以来、5人のイランの原子物理学者が、イスラエル諜報機関支援したイラン内反対派によって暗殺され、オバマ政権は直接関与していないものの認知している、ということになる。おそらく、米国高官がそのように認識しているという点までは真実であろう。
 ではそのような、まさに陰謀と言ってもよい事態が進展しているのだろうか。そう考えても妥当なようだ。1月11日付けテレグラフ「The undeclared war on Iran is heating up」(参照)の推論は説得的だろう。

The assassination of another Iranian nuclear scientist in Tehran is further evidence that an undeclared war is being waged to prevent the ayatollahs from acquiring nuclear weapons. Mostafa Ahmadi-Roshan, a university professor who also worked as deputy director at the Natanz uranium enrichment facility, is the fifth Iranian scientist to be assassinated since 2007.

テヘランでまた原子物理学者の暗殺されたことは、シーア派指導者が核兵器獲得を阻むための、宣戦布告のない戦争が遂行されているという証拠を重ねるものである。ナランツのウラニウム濃縮施設副所長でもある大学教授、モスタファ・アフマディロシャンは、2007年以降に暗殺された5番目のイランの科学者である。

In addition, Iran’s nuclear programme has suffered serious damage from the Stuxnet computer virus, while mysterious explosions have occurred at two military bases, one of which killed the senior officer responsible for developing Iran’s ballistic missile programme.

加えて、イランの原子力計画はスタクスネット・コンピューター・ウイルスで重大な被害を被っており、2つの軍事基地で謎の爆発が起きたことで、イラン弾道ミサイルプログラム開発責任者の高官一名が殺害された。

It is highly unlikely that these events are unrelated, and the sophistication of the attacks suggests they are being carried out by agents working for Western or Israeli intelligence.

これらの事態が無関係だとはありえない。精巧な攻撃は、それが西側またはイスラエル諜報機関で働いている工作員によることを示唆している。


 証拠はない。だから、憶測にすぎないと言うことはできる。また、NBCのリーク報道もなんらかの意図による可能性もあるだろう。だが、一連の暗殺の背後にイスラエルを想定しないというのは、あまり合理的ではないだろう。
 だが、そうだとするなら、これはまさに"an undeclared war"(宣戦布告なき戦争)と呼びうるものになる。この状況を西側諸国は、それは憶測にすぎないとして看過していくのだろうか。現状としては、そうならざるを得ない。
 というのも、この延長にあるのは、イスラエルによるイランへの空爆であり、その遅延には非人道的な暗殺もやむなしという事実上の是認がある。
 イスラエルによるイラン空爆については、そのストーリーがもはや常識を逸したものではないことは、出川展恒NHK解説委員の時論公論「イスラエル先制攻撃はあるのか?」(参照)からもうかがえる。

 イスラエルには、慎重論もあるものの、ネタニヤフ首相やバラク国防相は、「核を持ったイランとの平和共存は不可能」と考えているうえ、「残された時間はわずか」と見ているようです。
 「イランは1年以内に核兵器を製造できるようになる」という情報があるうえ、濃縮ウランが地下の施設に移されれば、攻撃で破壊できなくなると懸念しており、そうなる前に、限定的な攻撃を、数日間行い、国連の主導で停戦に持ち込むシナリオを想定していると言うことです。

 この読みはかなり正確だろう。つまり、濃縮ウラン施設が地下に施設される時期に、過去の事例のように、限定的な空爆がなされる可能性は高い。
 出川解説委員は言及していないが、全体の流れから私はもう一つのシナリオもありうると考えている。
イラン国内の争乱の醸成である。現状、イラン国内は外側で見ているより不安定な状況にある。11日付け毎日新聞「イラン:権力闘争激化 反大統領派、体制変革を警戒」(参照)より。

 緊張緩和の動きと並行するように、イラン内政は混迷を深める。国営放送によると、反大統領派は今月7日、近く大統領を呼び、経済政策などの「不正」を問うことを決めた。反大統領派の先頭に立つラリジャニ議長は「大統領は国会を軽視している」と再三批判。大統領への喚問が実現すればイスラム革命(79年)以来初めてで、国会選挙を控えた大統領派のイメージダウンが狙いだ。
 イラン政界は、改革派が力を失う中、保守派内が大統領派と反大統領派に分裂。反大統領派はさらにラリジャニ議長らのグループや、革命防衛隊のレザイ元最高司令官らのグループに分かれ、綱引きを展開する。
 石油や天然ガスが豊富なこの国で、政界の関心は対外関係より莫大(ばくだい)な利権に向く。利権確保は政界の主導権と裏表の関係だ。

 こうしたイラン内の分裂に乗じて、イランの体制転覆までの争乱はないとしても、アフマディネジャド大統領派を失墜させるような争乱の誘発はありそうに思える。
 
 

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2012.02.10

バーレーン、2012年2月

 深刻化するシリアのデモ弾圧の中止を求める安保理決議案が、拒否権を持つ常任理事国の二国、ロシアと中国によって否決された。これで国連としてのシリア対応は不可能になり、有志連合を形成する構想が現在模索されている(参照)。有志連合とはいっても、当面の目的は食糧や医薬品などの人道支援となり、軍事的な介入にならないだろう。
 国家による深刻なデモ弾圧という点ではシリアと同じで、しかも日本ではほとんどニュースとして見かけないのが、バーレーンである。日本語でバーレーン関連のニュースを検索するとF1レースやサッカーが多く、デモを弾圧しているニュースはほとんど見当たらない。
 昨年は日本でも、「アラブの春」の一環として報道されたバーレーンの争乱(参照)だったが、その後どうなったか。二つの面で深刻化している。
 現状だが、弾圧による最初の死者を出した昨年2月14日の「怒りの日」(参照)から一周年を記念し、デモ活動が盛り上がっている(参照)。アルジャジーラの報道もYouTubeで見ることができる。

 日本の外務省もこの現状を熟知していて、9日付け「バーレーン:2月14日に向けた治安情勢(注意喚起)」(参照)を出している。


2月14日は,2011年の反政府大規模デモ活動の発生から,ちょうど1年を迎えます。同日の前後には,シーア派の反政府政治団体である「ウィファーク」がバーレーン当局の許可を得てデモ集会を予定しています。また,非合法妨害活動を行っているグループも,当日に向けて様々な反政府活動を呼び掛けており,特に「旧真珠広場」に向かってデモ行進を行う可能性もあり,注意が必要です。
 過激なグループが,タイヤを燃やす等の非合法妨害活動が各地で活発化する可能性もあり,デモ集会が行われる地区周辺では,一時的に道路封鎖されたり,交通渋滞が発生するおそれがある他,デモ参加者と治安部隊との間で小競り合いが発生することも予想されます。

 ただし、外務省の情報に「当局は治安維持活動を強化させており,デモ等が2011年のような大きな混乱に繋がる可能性は低いと思われます」とあるように、大きな混乱は想定されていない。逆にいえば、それだけ弾圧が強い状態にある。
 つまり深刻化の一面は、現状を含めバーレーン政府によるデモ弾圧緩和の兆候が見られないことだ。
 この点ではシリアの現状と同じだと言える。また、少数が多数を弾圧しているという構図もシリアとバーレーンは同じである。
 ではなぜシリア問題は国際問題となり、バーレーン問題はさほど話題にならないのか。また日本ではさしたる報道もないのか。理由の一端は、弾圧の規模があるだろう。シリアでは弾圧による死者が7000人を超えているが、バーレーンでは40人ほどと見られてる。
 深刻化の別面は、米国を筆頭に西側社会およびアラブ連合のダブルスタンダード(ダブスタ)が露呈してきていることだ。単純な話、なぜシリアの反抗勢力に西側が荷担し、バーレーンのそれにはないのか。
 これは実際的にはごく簡単な理由である。バーレーンには米国の第五艦隊司令部(ホルムズ海峡への対応が含まれる)があること、弾圧している少数派はサウジアラビアと関係が深く、弾圧される多数派が親イランのシーア派が多いことだ。単純に見れば、西側諸国は親イラン派のシリア現政権には厳しくあたり、親イラン派のバーレーンのデモには目をつぶっているという状態である。
 しかし、「アラブの春」が名目上であれ民主化という看板を添えていることや米国を含め西側のシリア政府への批判が人道を名目にしているのなら、現状のバーレーンへの対応は見事なダブスタにしかならない。9日ロサンゼルスタイムズ「Bahrain should stop prosecuting protesters, U.S. envoy says」(参照)もそう見ていた。

Bahrain is a sensitive spot for the United States: It has long been an ally against Iran, but police crackdowns there have spurred charges that the U.S. has a double standard on human rights.

バーレーンは米国にとってセンシティブな場所である。そこは、対イランの同盟国だが、米国が人権についてダブルスタンダードを持っていると非難されてきた警察弾圧がある。


 米国がこの状況の認識をまったく持っていないということではない。9日付けでマイケル・ポスナー米国国務次官補は人道的見地からバーレーンへの非難を述べていた(参照)。また、1月27日米国国務省声明(参照)では、バーレーンが改革されるまで米国による武器売却を控えるとしている。

Question: Has the State Department sent a revised Bahrain arms sale package to Congress?

質問: バーレーン向け武器売却包括案を議会に送ったか?

Answer: We are maintaining a pause on most security assistance for Bahrain pending further progress on reform.

回答: 改革のさらなる進展まで、私たちは、バーレーン向けの安全保障援助の大半を休止している。


 この質疑には、オバマ政権らしいダブスタの背景がある。7日付けワシントンポスト「U.S. must bring pressure to bear on Bahrain」(参照)が指摘していた。

The United States has exceptional influence in Bahrain, in part because the U.S. Navy’s 5th Fleet is based there. But the Obama administration has mostly refrained from using that influence. It tried to go forward with a $53 million arms sales package last year until it met stiff resistance in Congress.

米国はバーレーンに例外的な影響力を持っている。一つには、米国がそこに第五艦隊を置いているからだ。しかし、オバマ政権はたいていの場合、その影響力の行使を控えてきた。この政権は昨年、議会での強固な抵抗に遭うまで、5300万ドルの武器販売を推進しようとしていた。


 オバマ政権は、バーレーンがこうした状況にありながら、議会の抵抗がなければバーレーンに向けて武器販売を実施しようとしていたのだった。それが「休止」しているという意味である。
 ということは、議会抵抗前にもオバマ政権は武器売却を進めていたということでもあった。このことは、先の質疑にこう続くことからもわかる。

During the last two weeks, representatives from the State Department and Department of Defense briefed appropriate Congressional staff on our intention to release some previously notified equipment needed for Bahrain’s external defense and support of Fifth Fleet operations.

この二週間、国務省と国防総省からの代表者は適切な議会スタッフに向けて、バーレーンの対外防衛と第五艦隊支援に必要であるとして、事前通知した備品提供についての私たちの意図の概要説明をした。



This isn’t a new sale nor are we using a legal loophole. The items that we briefed to Congress were notified and cleared by the Hill previously or are not large enough to require Congressional notification.

これは新規販売ではないし、私たちは法の抜け穴も使っていない。私たちが議会に概要説明した品目は事前に議会に届けて問題なしとされたものか、あるいは議会通知を要するほど大きくはなかったものである。


 つまり、共和党多数の議会から突き上げがあってから、民主党から出たオバマ大統領の政権はバーレーンへの武器売却を見直した。また議会に指摘されるまでは、違法ではないということで、昨年来バーレーンでのデモ弾圧下でもこっそりと開始していたのだった。
 繰り返すが、デモを弾圧しているバーレーンへ、共和党多数の議会が抵抗を表明しなければ、民主党オバマ大統領の政権はこっそりと武器売却を続けていた。
 米国はダブスタだが、民主党のオバマ大統領の政権のダブスタには見事なものがある。
 
 

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2012.02.07

アフガニスタン戦争、西側諸国敗戦のお知らせ

 公式には言われていないし、非公式に言うのは少し早いという印象もないわけではないだが、全体動向からしてもう確定と見てよいだろう、「アフガニスタン戦争、西側諸国敗戦のお知らせ」である。負けましたね。
 大本営風味の西側報道を見ていても、おや?と疑問に思うような話が増えてきた。たとえば4日付けNHK「アフガン 民間犠牲者が過去最悪に」(参照)では、表題通り最悪の現状を告げている。


 アフガニスタンで去年1年間に戦闘やテロに巻き込まれて死亡した民間人の数は3000人を超え、2001年にアメリカが軍事作戦を始めて以来最悪となりました。
 これは、国連アフガニスタン支援団が4日発表したもので、アフガニスタンで去年1年間に戦闘やテロに巻き込まれて死亡した民間人は3021人で、前の年に比べて231人増えました。2001年の同時多発テロ事件を受けてアメリカがアフガニスタンで軍事作戦を始めて以来、最悪の犠牲者の数です。

 どうして最悪の事態になったのか。

 全体の77%に当たる2332人が、タリバンなどの反政府武装勢力によるテロや攻撃が原因で死亡し、このうち、道路などに仕掛けられた爆弾が女性や子どもなど最も多くの人の命を奪ったと国連は指摘しています。
 一方、アフガニスタンの治安部隊や国際部隊の攻撃に巻き込まれて死亡した民間人の数は全体の14%に当たる410人で、前の年より若干減ったものの、空爆による犠牲者が増えているとして、国際部隊に対して対策を取るよう強く求めています。

 タリバンが弱体化したようすもないことや、惨状がすでに昨年から続いていたことがわかる。ではどうするのか、という先の暗示も報道にある。

 アフガニスタン情勢を巡っては、アメリカ政府が水面下でタリバンと接触を重ね、和平に向けた糸口を探ろうとしていますが、タリバンは対話に応じる姿勢を示す一方で、アフガニスタン国内で依然テロや攻撃を繰り返していて、今回の国連の報告は治安が一段と悪化している現状を浮き彫りにしています。

 この話だが、常識をもって読み返すと、あるいは太平洋戦争末期の日本を例として思い出してもわかることだが、「和平に向けた糸口を探ろう」という「和平」とは「終戦協定」という意味である。タリバンが優勢なので、敗戦側の西側諸国が終戦の条件を探しているというのが現状である。つまり西側諸国はアフガニスタン戦争で敗北したのである。
 このことは先日の、アフガニスタン駐留海兵隊たちがタリバン戦闘員の遺体に放尿する映像の流出事件の後日経過からも顕著だった。13日付け毎日新聞「アフガン:遺体に放尿 米高官、相次いで批判 和平交渉への悪影響懸念」(参照)より。

アフガニスタン駐留米軍兵士とみられる男たちが旧支配勢力タリバン戦闘員の遺体に放尿する映像が流出した問題で、オバマ米政権の高官から12日、兵士らの行為を非難する発言が相次いだ。アフガン安定化に向けタリバンとの和平交渉再開を準備している米政権は、反米感情の悪化に危機感を強めている。

 重要なことは映像の内容ではなく、「タリバンとの和平交渉再開を準備している米政権」という背景で流出したことだった。
 もちろん映像内容からはタリバンに対する米国の侮蔑と受け止められてもしかたがないので、報道時にはタリバンと米国がさらに緊張するかとも見られていた。しかし、タリバンはそのように反応はしなかった。それどころかタリバンと米国の交渉はこの機に前進した。同日毎日新聞「アフガン:遺体に放尿「罪のほんの一例」 タリバン「米対話に影響せず」」(参照)より。

 アフガニスタン駐留米軍の複数の兵士が旧支配勢力タリバンの戦闘員の遺体に小便をかける映像が流出した問題について、タリバンのムジャヒド報道官は12日、「米兵が過去10年間にアフガン人に対して犯してきた罪のほんの一例に過ぎない」と切り捨て、近く再開が伝えられている米国との対話には影響しないとの見解を示した。AFP通信などが伝えた。

 するとあの映像の流出元はタリバン側であるとは想定しづらいし、交渉にあたっている部分の米政府側でもないだろう。いずれにせよ流出をしかけた勢力が失敗したと見てよい。
 その後、タリバンと米国の交渉は前進した。23日付けNHK「米 タリバンとの交渉働きかけへ」(参照)では、タリバンと米国の交渉窓口の成立を伝えている。

 アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンが中東のカタールに窓口となる事務所を開設する見通しとなったことを受け、アメリカ政府の高官は、アフガニスタン政府とタリバンとの和平交渉につながるよう働きかけていく考えを明らかにしました。
 アフガニスタンを訪れているアメリカのグロスマン特別代表は、カルザイ大統領らと会談したあと22日、記者会見に臨みました。
 この中で、グロスマン特別代表は「アメリカとアフガニスタンの両政府は和平プロセスを進めていく」と述べ、反政府武装勢力タリバンとの対話を通じてアフガニスタンの和平を目指す立場を改めて示しました。
 そのうえで、アメリカとタリバンとの水面下での対話の結果、タリバンがカタールに事務所を開設する見通しになったことについて、「事務所の開設は和平に向けたアフガニスタン人どうしの対話の促進につながらなければならない」と述べ、アフガニスタン政府とタリバンとの和平交渉につながるようアメリカとして働きかけていく考えを示しました。
 一方で、タリバン側が求めているアメリカ軍のグアンタナモ収容所に収容されている幹部の釈放について、グロスマン特別代表は「まだ決まっていない」と述べ、タリバン側の要求に応じるかどうかは、明らかにしませんでした。

 具体的な協議も開始されたとの報道もある。30日付けAFP「タリバンと米国、和平交渉に向けてカタールで協議」(参照)より。

 アフガニスタンの旧支配勢力タリバン(Taliban)が、10年におよぶ米国との戦争を終結する和平交渉に向けた米国側との協議を、カタールで始めたことが明らかになった。
 元タリバン幹部のマウラビ・カラムジン(Mawlavi Qalamuddin)氏が29日、AFPに語ったところによると、タリバンと米国側は交渉の前段階としての信頼醸成を図っており、このプロセスにはしばらく時間がかかるという。

 この報道はタリバン側からは否定されているようだ(参照)。
 どたばたと実質的な終戦協定へ向けた動きが進んだのは、北大西洋条約機構(NATO)が、それぞれの国内事情から白旗を掲げていた要因が大きい。簡単にいえば、フランスも米国がどちらも今年の大統領選で、アフガニスタン戦争の戦死者累積に耐えきれなくなってきた。
 4日付けNHK「NATO アフガン撤退方針を確認」(参照)より。

 NATOの国防相会議は2日、ブリュッセルにある本部で始まり、初日は、アフガニスタン情勢について協議が行われました。NATO加盟国は、再来年2014年末までにすべての治安権限をアフガニスタン側に移譲することで合意していましたが、フランスのサルコジ大統領が27日、計画を1年前倒しして来年2013年末までに部隊を撤退させる方針を示し、アメリカのパネッタ国防長官も1日、来年半ばにも軍事作戦を終了させる方針を示しました。

 同報道ではそれでも、当初どおり「2014年末までに権限移譲を完了」させるという方針は堅持されたが、実際の軍事力の裏付けはないに等しいことはパネッタ国防長官が言明している(参照)。
 さらにこの文脈で1日、BBCがNATO内部報告書のリークを行った(参照参照)。リークの重要点は、パキスタン3軍統合情報部(ISI)がタリバンを支援しているというものだ。もっともこの指摘はすでに国際的に想定されていたので驚きで迎えられたというものでもないが、パキスタンが問題に深く関わっている以上、アフガニスタンの問題として切り離し、従来のようにな軍事態勢で解決できるものでもないことも明らかになった。
 アフガニスタン戦争は「オバマの戦争」(参照)でもあった。その失態の兆候はマクリスタル司令官の事実上の更迭で暗示されていた(参照)。
 イラク戦争もアフガニスタン戦争も開始したのはブッシュ元大統領であり、日本のジャーナリズムやネットの議論では、戦争を開始させたブッシュが諸悪の根源のように言われている。しかし、第一期のオバマ政権時代を振り返るなら、イラクを再び混乱に落とし込み、アフガニスタン戦争を敗戦に導いたのは、オバマ大統領ではないのかと思われるが、そうした議論は見かけない。
 
 

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2012.02.06

[書評]ドミニオンへの招待2012(ホビージャパン編)

 買おうか迷ったのだけど、まあいいかと思ってなんとなく予約しといた「ドミニオンへの招待2012(ホビージャパン編)」(参照)が先日届いて、ざっくり読んでみたが、いいんじゃないの、これ。前回の「ドミニオンへの招待」(参照)がなんというか、よくあるグルメ本みたいに評者の主観まとめで、げんなりしていたので、今度はどうなんだろと懸念していたのだったけど。

cover
ドミニオンへの招待2012
 ドミニオンについては以前「ドイツのボードゲーム史上初の三冠を獲得したドミニオンはなるほど面白かった」(参照)というエントリーを書いたことがあるが、以降もぼちぼちと楽しんでいる。ドミニオンは基本セット(参照)だけでも十分遊べるし、なによりこの基本をやらないことには話にならない。
 次が「陰謀」(参照)だがこれもけっこう面白い。基本セットと混ぜて使うこともできるし、混ぜて使ったほうが面白いかもしれない。がちでお薦め。
 「基本」と「陰謀」はそれぞれ単独でも遊べるが、以降のドミニオンは、この2つのどっちかを持っていないと遊べない、という拡張セットになる。そこで第三弾は「海辺」(参照)だが、いろいろな意見はあると思うけど、マットやトークンなど小物が導入されているせいもあってその分ドミニオンぽくない。これはちょっと別次元のゲームっぽい発展だなという印象。僕は、好きですよ。海賊船が好きすぎる。
 問題は「錬金術」(参照)だ。この手の趣向が好みの私としてはホイホイと手を出したのだが、今までの貨幣に加えてポーションという価値システムが入ってきて、これがなんつうか混乱するんだよ。この拡張は、なし、じゃないかなと悩んだ。
 そして「繁栄」(参照)は説明読んだだけで、めげた。「属州」よりも価値の高い勝利点カード「植民地」に「金貨」よりも価値の高い財宝「白金貨」かよ。たしかに、手持ち12点で属州を買うときのトホホ感はあるんだが、これも錬金術のポーションみたいに混ぜづらいし。
 自分のドミニオン人生もここもまでかと思って、「収穫祭」(参照)についても、「褒賞」カードとか見てためらっていた。拡張していくのがトレーディングカードっぽいのかもしれないが、なんかシステム的に美しくない感じがするんだよ。
cover
ドミニオン「異郷」
 と・こ・ろ・が、「異郷」(参照)は、いいんじゃないかと思って買ってやってみると、よい、です。カード獲得時の即時効果というのが導入されてはいるけど、それほど違和感はないし、「基本」「陰謀」との相性もいい。ヒャッハー面白いんじゃね、ドミニオン、という感じです。
 ということもあって、このあたりでこれまでのドミニオンを振り返るという意味合いもあって「ドミニオンへの招待2012」を読んでみた、と、こういうわけですね、つまり。
 本の内容だけど、ほとんどがこれまでのカードの説明。で、この説明が、けっこう、よい。さすがゲームやりこんでいるという、ガッツリ感があって。ただ、この組み合わせはいいとかいうお節介な説明はちと微妙な感じがしないでもないけど、しかしあれですね、結局、もうもう、ドミニオンの定石みたいのはあるんで、しかたないのかもしれない。
 カードの基本解説に加え、お薦めサプライ例も掲載されていて、ほぉと思ったのは、「繁栄」に着目している部分もありというあたりか。あと、書籍として面白いのは、戦略の解説。ページ数的には少ないのだけど、そうそうとかうなずいてしまった。今後、この手の戦略本が出てくるんじゃないか。
 ドミニオン選手権のレポートも面白かった。話は知っていたのだけど、世界大会で日本代表が優勝しちゃったわけですよ。なでしこジャパンとか、「日本女性が世界最強なのは当然だろ」くらいにしか思っていない私でも、すごいな日本、とか思いましたね。日本の未来がなんたらとか暗い顔して、偉そうな正論ほざいてないで、みなさん、ドミニオンでもやったほうがいいですぜ。
 そういえば、iPhoneアプリにドミニオンがあって、無料。しょーもないなあ偽物、と思っていたら、どうも偽物ともいいがたい雰囲気。正確なところはわからないけど、ちょっと触ってみるかなと触ってみた。ぽちり。基本だけなんだど、なかなかよく出来ていて驚いた。iPadでもできますね。ドミニオンって四人以下でやると煮詰まって面白くねーと思ったけど、iPadで対戦というのは、なんかジンラミーでもやっている雰囲気で悪くはないです。このアプリ、いずれ正式版が出るなら買うし、他の拡張も入れてくれるといいなと思った。あ、当然、表記は英語ですが、やってて特に問題はないですよ。
 
 

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2012.02.03

「最先端技術に基づく原子力災害解析(SOARCA)」についての報道

 昨日に続いてという意味合いはないのだろうが、原子力と人間の健康に関連する報道がその翌日のロイター(英文)にもあり、これもざっと見た範囲では日本で報道されていなかったようなので拾っておこう。該当記事は「Nuclear accidents pose little risk to health: NRC」(参照)である。表題は「原子力発電所事故には健康へのリスクはほとんどない」ということで、米国原子力規制委員会(NRC: Nuclear Regulatory Commission)の報告書発表によるものである。


The risk to public health from a severe nuclear power plant accident in the United States is "very small" because reactor operators should have time to prevent core damage and reduce the release of radioactive materials, U.S. nuclear regulators said in a study on Wednesday.

深刻な原子力発電所事故による地域住民への健康リスクは、原子炉操作員が炉心損傷を防ぎ、放射性物質の放出を減少させる時間があるので、「とても小さい」と米国原子力規制委員は水曜日の研究報告で述べた。


 このロイター報道を読んだときの私の率直な印象は、まさかその逆の事例が福島原発事故ではないかというものだった。どういう経緯からそのような研究報告が出てくるのか疑問に思えた。記事を読むと、そうした読者の疑問は想定されているらしく冒頭から福島原発事故への言及がある。

The study comes almost a year after the disaster in Japan in March when an earthquake and tsunami damaged the Fukushima Daiichi nuclear power plant, causing reactor fuel meltdowns and radiation releases.

該当研究報告が発表されたのは、日本の3月の地震と津波による福島第一原子力発電所災害が発生してからほぼ一年が経過してのことだった。この事故では原子炉燃料メルトダウンと放射性物質放出が起きた。

"Successful implementation of existing mitigation measures can prevent reactor core damage or delay or reduce offsite releases of radioactive material," the U.S. Nuclear Regulatory Commission said in the study.

「既存の緩和手段の実施が成功で原子炉損傷や現地外への放射性物質の拡散は削減できる」と米国原子力規制委員会は研究報告で述べている。


 簡素に書かれていて逆に意味が読み取りづらいが、ロイター報道としても福島原発事故を念頭においてこの記事を書いていることがわかる。その上で、既存の手法によって原発事故の被害は防げるとするNRCの報告書を報道している。
 NRCとしては、自分たちの規制監視下であれば、原発事故でも「成功した履行」によって住民への被害は十分に防げると研究報告書で述べたということでもある。日本側から見ると、福島原発事故で日本はどんだけドジを踏んでいたのかという結果としての含意もあるだろう。実際のところ、事故対策にあぐねた日本は、事故を深刻化させた後、実質米国のNRCの指導に入った。時間差ということを考えれば、もっと素早くNRCが対策に入ればより被害が低減できたという含みすらあるだろう。
 もう少しロイター報道を追ってみる。

The study found there was "essentially zero risk" to the public of early fatalities due to radiation exposure following a severe accident. The long-term risk of dying from cancer due to radiation exposure after an accident was less than one in a billion and less than the U.S. average risk of dying from other causes of cancer, which is about two in one thousand.

深刻な事故が引き起こす放射線被曝による初期死傷者という点では、「本質的にゼロリスク」であると該当研究報告は明らかにしている。事故後の放射線被曝による癌死の長期リスクは、十億分の一以下であり、他の癌原因による死亡リスク(千分の二)の平均値よりも少なかった。


 ロイター報道からは、含意として、これらのリスク計算が福島原発事故を踏まえているのか、福島原発事故は失敗した対処として例外になっているのかはわからない。気になったので少し調べてみた。
 該当の研究報告は"the State-of-the-Art Reactor Consequence Analyses (SOARCA)"(最先端技術に基づく原子力災害解析)である。NRC自身の報道を見ると"NRC SEEKS COMMENT ON REACTOR ACCIDENT CONSEQUENCE RESEARCH"(参照)である。つまりSOARCAについての発表である。SOARCAは現状、草案だが、コメントを求める最終段階に来ている。
 NRC報道を読むと、SOARCAでは福島原発事故についての議論も付録として収録されているとある。福島原発事故を踏まえての見解と概ね理解してもよさそうだ。
 ロイター以外の報道を探してみると、World Nuclear NewsというサイトにSOARCAについて「Low risk from major accident consequence」(参照)という記事があり、こちらを読むと、ロイター報道にある長期リスクが"the linear no-threshold (LNT) dose-response model"つまりLNTモデルを採用していることがわかる。
 現時点でSOARCA(最先端技術に基づく原子力災害解析)について日本での報道が見当たらないが、正式に公開された時点で、日本政府がどのような理解を示すのかは気になるところだ。
 
 

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2012.02.02

国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR)ウォルフガング・ワイス委員長の現時点でのコメント

 1日付けのロイター(英文)の科学記事で、国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR)のウォルフガング・ワイス委員長による、興味深いともいえるコメントを見かけたので、日本でどのように報道されているか、関連記事を探してみたが見つからなかった。日本人にしてみるとそれほどニュース価値の高い話でもないのかもしれないが、日本メディアでこぼした話を拾っておくのもブログの役割かもしれないし、気になるといえば気になる話題でもあるので触れておきたい。
 前段となる話題は探すと、U.S.FrontLineというサイトに共同ソースとして掲載されていた。「住民の放射線影響を調査 専門家会議、福島事故で」(参照)より。


 東京電力福島第1原発事故で放出された放射性物質が、同原発周辺の住民らの健康にどのような影響を与えたかを調査する各国の専門家による会議が30日、ウィーンで始まった。5月の国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR)定例会議に中間報告を、来年の国連総会に最終報告をそれぞれ提出する。
 会議は5日間で、約60人が参加。日本が提供した放射線量などの測定データを基に調査する。議長を務める同委員会のワイス委員長は「データについて、さらに着目すべき点を見つけたい。パズルのピースを集めるような作業だ」と述べた。

 会議の名称はこの報道には含まれていないが、この会議の中間報告に含まれることになる、福島原発事故についての周辺住民への健康影響評価が、いずれ国連としての公式な見解に繋がるのではないだろうか。
 該当会議は現在も進行中なので、5日間の日程後には日本でも関連報道が出てくるかもしれない。
 だがその前に昨日付でウォルフガング・ワイス委員長のコメントがロイターで報道されていた。「No big Fukushima health impact seen: U.N. body chairman(国連機関の議長によれば、福島では大きな健康影響は見られない)」(参照)である。

The health impact of last year's Fukushima nuclear disaster in Japan appears relatively small thanks partly to prompt evacuations, the chairman of a U.N. scientific body investigating the effects of radiation said on Tuesday.

日本の福島原発災害による健康への影響は、機敏な避難もあってか、比較的小さいと、該当放射線影響を調査している国連機関議長は火曜日に述べた。



"As far as the doses we have seen from the screening of the population ... they are very low," Weiss told Reuters. This was partly "due to the rapid evacuation and this worked very well."

「該当者のスクリーニングから私たちが見た用量に限定すれば、その用量は非常に少ない」とワイス委員長はロイターに語った。理由の一端は「迅速な避難と避難が良好だったことによる」とも語った。



"What we have seen in Chernobyl - people were dying from huge, high exposures, some of the workers were dying very soon - nothing along these lines has been reported so far (in Japan)," he said. "Up to now there were no acute immediate effects observed."

「私たちがチェルノブイリで見てきたものは、人々が大量で高い被曝によって死んでいったことや、短期間に死んだ作業員がいたことであったが、(日本では)これまで報告されたところからはそれに類したものはない。現在までのところ、急性の影響は報告されていない」と彼は語った。


 国連放射線影響科学委員会ワイス委員長のこれらのコメントは、日本から提出された現状までのデータを元にしているので、その点では特段の違和感はない。が、国連の権威有る委員会の委員長の談話としてロイター報道になっていることで、他国にもこの認識が伝わることだろう。なお、国連放射線影響科学委員会によるチェルノブイリ事故についての放射線の影響評価はすでに公表されていている(参照)。
 該当のロイター報道だが、ワイス委員長による次のコメントは別の意味で気になった。

"We are putting together a jigsaw puzzle, evaluating the exposures of the general public, of workers, and radiation effects, and looking for the missing pieces," Weiss said.

「私たちは、一般市民と作業員の被曝と放射線の影響の評価で、見つからないピースを探してはジグソーパズルを組み立てているところだ」と彼は語った。


 事故の影響が現状では比較的軽微と見ているワイス委員長ではあるが、当然のことながらまだ今回の事故による影響の全貌が明らかになったわけではないという限定についてここで言及している。
 気になったのは、しかし、「ジグソーパズル」の比喩である。この比喩は先ほどの共同での、ワイス委員長談話にも重なる。もしかすると、共同とロイターとは同じソースの記事なのかもしれない。だとすれば、共同はロイター報道がメインとした、影響の少なさという点を落としたことになる。
 ワイス委員長の今回の発言だが、昨年4月6日時点のロイター報道「福島原発事故、スリーマイルより「はるかに深刻」=国連委」(参照)を読み返すと大きな違いはないことに気がつく。参考までに引用してしておこう。

 [ウィーン 6日 ロイター] 国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR)のウォルフガング・ワイス委員長は6日、東京電力(9501.T: 株価, ニュース, レポート)福島第1原子力発電所の事故について、現時点の情報では、人体に深刻な被害をもたらすとは考えられないと語った。
 ワイス委員長は、環境への影響という観点から、この事故が1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故より環境への影響が小さいものの、1979年の米スリーマイルアイランド原発事故に比べると、環境への影響が「はるかに深刻」との見方を示した。
 一方、福島での事故による健康への被害については、「現在分かっていることからすると、(放射能)レベルが低いため皆無だ。食物においても、年間1ミリシーベルトや5ミリシーベルトなどと話題にされているが、この程度では健康への大きな影響はない」と説明。

 健康面での影響についてのワイス委員長の認識は、新しいデータが提出されても、昨年の4月時点からほとんど変化がなかったと見てよいのだろう。もっとも、正式な報告は先にも触れたように来年のことになる。
 
 

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2012.02.01

[書評]ベンジャミン・バトン 数奇な人生(F・スコット・フィッツジェラルド)

 映画の「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を見たので、ついでに原作も読んでみた。原文は著作権が切れてネットに転がっているが、邦訳が読みやすいので探した。角川文庫(参照)とイースト・プレスの(参照)があった。さては「夜はやさし」(参照)のように角川版の訳が古いのだろうなと思ったが、双方、映画をきっかけに訳出されたようだ。では文庫でと角川ので読んだ。短編である。文庫のページにして50ページ。翻訳で読むにはさして難しいところもない。

cover
ベンジャミン・バトン
数奇な人生 (角川文庫)
 原作は映画とは随分違っていた。これが原作とも言いづらい、というくらいに違うと言ってよいのではないか。似ているといえば単に、老人として生まれて人生を過ごすにつれ次第に若返り、最後赤ん坊として死ぬという原作の着想くらいか。それを映像的に表現したくて映画が別途できましたという印象もある。
 ただよく読むと、奇想の設定だけではなく、恋愛や結婚の相手との年齢の、しだいに広がりゆく乖離みたいな人間心理の部分は原作を特徴付けているし、その関係性への視線は映画も共有しているという点からすると、やはり原作でもあるのだろう。
 原作では主人公のほうでは、1860年に生まれるとすぐ70歳に見える、言葉もしゃべる老人としてベンジャミン・バトンとして存在する。どのようにして大きな身体の老人が生まれたのかという説明は一切ない。もともと奇想がベースの短編なので、そうした不合理が作品の瑕疵となっているわけでもない。
 実父にしてみると子供がその父くらい老いているという、奇妙なユーモアの情景を描きたかった作品だとも言える。ベンジャミンは若返り続け、最終的には孫と同年齢になっていく。そこでも肉親の世代というものの、奇妙なアイロニーが描き出されてる。
 さてこの奇想と描写が面白いのかというというと、今ひとつよくわからないというのが率直な印象だった。ファンタジー作品といえばそうであり、人の想像力を刺激する文学ともいえるのだが、奇妙な違和感も残す。もしかするとその違和感が、映画のような別の作品を生み出してみたいという動機にもなっていたのかもしれない。
 そういえば、と思い出すことがあった。私も30歳ころちょっとしたSF短編を書いたことがある。アダムという不死の青年の物語である。父親が遺伝子研究で不死の遺伝子操作を自分の赤ん坊で実験したという話だった。思い出すと、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」に似ている。この作品を知っていたわけではないが、私が書いた物語でも、アダムが何度目かの妻と別れていくシーンがあった。そういう奇想を書いてみたいというのは、比較的当たり前の心理なのかもしれない。
cover
ベンジャミン・バトン
数奇な人生
 映画(参照)のほうはというと、普通に面白かったし感動もした。脚本もよく練られていた。第一次世界戦後の移りゆく世界を、CGを駆使した描いた映像も美しかった。このあたり、映画「ラフマニノフ ある愛の調べ」(参照)の時代描写のチープさとはわけが違うなと思った。ちなみに、こちらの映画は、ロシアの映像とミリアム・セホンという女優がよかった。エフゲニー・ツィガノフはメドベージェフみたいな短身なのでラフマニノフのイメージには合わなかったが。
 ベンジャミン・バトンの映画だが、ある一定の年代以上の人なら、あのノスタルジックな映像に自分の人生をつい重ねて見てしまうだろう。特に60年代から70年代っぽい自由を謳歌したベンジャミンの映像は自身の青春に重ねて胸にじんとくるものがあるだろう。興行としてはそのあたりを狙ったのかもしれない。
 映画のベンジャミンは、1918年、第一次世界大戦終結の年に生まれる。原作者のフィッツジェラルドは1896年の生まれなので、年代設定はむしろ、映画の現在から時代の風景に合わせて逆算されたのではないか。なお、原作のベンジャミン・バトンが死ぬのは1930年ごろでそれに合わせたふうでもない。
 原作の町はボルチモア(参照)だが映画はニューオーリーンズとなっている。古い時代をノスタルジックに撮影しやすいというのもあるだろうが、そのため、黒人の育ての母という設定や2005年8月のハリケーン・カトリーナが物語の軸として浮かび上がる。映画の最後の洪水はベンジャミンの思い出が歴史の彼方に消えていくことを暗示している。
 映画のベンジャミンの船乗りという設定、そして手紙で綴る愛というのは、ニューオーリーンズの連想も相まって、ラフカディオ・ハーン(参照)を連想させるものがあった。船乗りが人生という、あの次代のある男たちの生き方を表しているのだろう。これも余談だが、もう20年も前だがギリシャを旅したおり、船乗りで神戸とか行っていたというギリシャ人の老人の話を聞いたことがある。日本の演歌でもそういう情景が詩情でもあった。
 登場する女性も時代に関連付けた印象がある。ベンジャミンの幼なじみであり、生涯の恋人でもある、バレリーナのデイジー・フラーだが年代的にマリア・トールチーフ(参照)のイメージがあるだろう。なお原作ではベンジャミンの妻の名はヒルデガルドだが、映画でデイジーとなったのは「グレート・ギャツビー」(参照)の暗示があるのかもしれない。また、ベンジャミンの最初の恋人でエリザベス・アボットはべたにガートルード・エダリー(参照)の偽歴史といった趣がある。
 原作のほうは読後奇妙な印象が残るが、映画のほうは最後のまとめにいろいろな人の人生の総体がテーマであることをまとめていてわかりやすく、それはそれで感動的でもあった。が、個人的には、若い日の恋愛というのを、人は人生の終末に向けてどう考えるものだろうかと心に宿題のようなものを残した。
 
 

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