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2012.02.01

[書評]ベンジャミン・バトン 数奇な人生(F・スコット・フィッツジェラルド)

 映画の「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を見たので、ついでに原作も読んでみた。原文は著作権が切れてネットに転がっているが、邦訳が読みやすいので探した。角川文庫(参照)とイースト・プレスの(参照)があった。さては「夜はやさし」(参照)のように角川版の訳が古いのだろうなと思ったが、双方、映画をきっかけに訳出されたようだ。では文庫でと角川ので読んだ。短編である。文庫のページにして50ページ。翻訳で読むにはさして難しいところもない。

cover
ベンジャミン・バトン
数奇な人生 (角川文庫)
 原作は映画とは随分違っていた。これが原作とも言いづらい、というくらいに違うと言ってよいのではないか。似ているといえば単に、老人として生まれて人生を過ごすにつれ次第に若返り、最後赤ん坊として死ぬという原作の着想くらいか。それを映像的に表現したくて映画が別途できましたという印象もある。
 ただよく読むと、奇想の設定だけではなく、恋愛や結婚の相手との年齢の、しだいに広がりゆく乖離みたいな人間心理の部分は原作を特徴付けているし、その関係性への視線は映画も共有しているという点からすると、やはり原作でもあるのだろう。
 原作では主人公のほうでは、1860年に生まれるとすぐ70歳に見える、言葉もしゃべる老人としてベンジャミン・バトンとして存在する。どのようにして大きな身体の老人が生まれたのかという説明は一切ない。もともと奇想がベースの短編なので、そうした不合理が作品の瑕疵となっているわけでもない。
 実父にしてみると子供がその父くらい老いているという、奇妙なユーモアの情景を描きたかった作品だとも言える。ベンジャミンは若返り続け、最終的には孫と同年齢になっていく。そこでも肉親の世代というものの、奇妙なアイロニーが描き出されてる。
 さてこの奇想と描写が面白いのかというというと、今ひとつよくわからないというのが率直な印象だった。ファンタジー作品といえばそうであり、人の想像力を刺激する文学ともいえるのだが、奇妙な違和感も残す。もしかするとその違和感が、映画のような別の作品を生み出してみたいという動機にもなっていたのかもしれない。
 そういえば、と思い出すことがあった。私も30歳ころちょっとしたSF短編を書いたことがある。アダムという不死の青年の物語である。父親が遺伝子研究で不死の遺伝子操作を自分の赤ん坊で実験したという話だった。思い出すと、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」に似ている。この作品を知っていたわけではないが、私が書いた物語でも、アダムが何度目かの妻と別れていくシーンがあった。そういう奇想を書いてみたいというのは、比較的当たり前の心理なのかもしれない。
cover
ベンジャミン・バトン
数奇な人生
 映画(参照)のほうはというと、普通に面白かったし感動もした。脚本もよく練られていた。第一次世界戦後の移りゆく世界を、CGを駆使した描いた映像も美しかった。このあたり、映画「ラフマニノフ ある愛の調べ」(参照)の時代描写のチープさとはわけが違うなと思った。ちなみに、こちらの映画は、ロシアの映像とミリアム・セホンという女優がよかった。エフゲニー・ツィガノフはメドベージェフみたいな短身なのでラフマニノフのイメージには合わなかったが。
 ベンジャミン・バトンの映画だが、ある一定の年代以上の人なら、あのノスタルジックな映像に自分の人生をつい重ねて見てしまうだろう。特に60年代から70年代っぽい自由を謳歌したベンジャミンの映像は自身の青春に重ねて胸にじんとくるものがあるだろう。興行としてはそのあたりを狙ったのかもしれない。
 映画のベンジャミンは、1918年、第一次世界大戦終結の年に生まれる。原作者のフィッツジェラルドは1896年の生まれなので、年代設定はむしろ、映画の現在から時代の風景に合わせて逆算されたのではないか。なお、原作のベンジャミン・バトンが死ぬのは1930年ごろでそれに合わせたふうでもない。
 原作の町はボルチモア(参照)だが映画はニューオーリーンズとなっている。古い時代をノスタルジックに撮影しやすいというのもあるだろうが、そのため、黒人の育ての母という設定や2005年8月のハリケーン・カトリーナが物語の軸として浮かび上がる。映画の最後の洪水はベンジャミンの思い出が歴史の彼方に消えていくことを暗示している。
 映画のベンジャミンの船乗りという設定、そして手紙で綴る愛というのは、ニューオーリーンズの連想も相まって、ラフカディオ・ハーン(参照)を連想させるものがあった。船乗りが人生という、あの次代のある男たちの生き方を表しているのだろう。これも余談だが、もう20年も前だがギリシャを旅したおり、船乗りで神戸とか行っていたというギリシャ人の老人の話を聞いたことがある。日本の演歌でもそういう情景が詩情でもあった。
 登場する女性も時代に関連付けた印象がある。ベンジャミンの幼なじみであり、生涯の恋人でもある、バレリーナのデイジー・フラーだが年代的にマリア・トールチーフ(参照)のイメージがあるだろう。なお原作ではベンジャミンの妻の名はヒルデガルドだが、映画でデイジーとなったのは「グレート・ギャツビー」(参照)の暗示があるのかもしれない。また、ベンジャミンの最初の恋人でエリザベス・アボットはべたにガートルード・エダリー(参照)の偽歴史といった趣がある。
 原作のほうは読後奇妙な印象が残るが、映画のほうは最後のまとめにいろいろな人の人生の総体がテーマであることをまとめていてわかりやすく、それはそれで感動的でもあった。が、個人的には、若い日の恋愛というのを、人は人生の終末に向けてどう考えるものだろうかと心に宿題のようなものを残した。
 
 

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コメント

そういえば「飛ぶ夢をしばらく見ない」という映画がむかしありましたなぁ。これも奇妙な味わいが印象に残っていますが。

投稿: nanoshi | 2012.02.06 12:59

こんにちは。僕も映画を観たことがきっかけで原作を読みました。映画との違いに少々戸惑いましたが、おっしゃるとおり「恋愛や結婚の相手との年齢の、しだいに広がりゆく乖離みたいな人間心理の部分」は、共通したテーマになっていますね。また、フィッツジェラルドの文体の美しさに惹かれて、他の作品も読んでみたくなりました。

投稿: ETCマンツーマン英会話 | 2012.11.24 20:10

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