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2012.01.22

[書評]円高の正体(安達誠司)

 日本はなぜ円高なのか。ずっと円高基調が続いているので疑問に思わなかったり、欧米での金融危機との関連で考える人もいるだろう。だが、円高のもっとも基本的な要因は何か、またそれがどういう意味を持つのかと考えるなら、本書「円高の正体」(参照)の解説がわかりやすい。

cover
円高の正体
安達誠司
(光文社新書)
 なにより重要なことは、日本の円高という現象がデフレの別相であることも明らかにしている点だ。その意味では本書の書名は「デフレの正体」と言ってもよいだろう。その書名をもって広く読まれた別の書籍の主張(人口減少によるとする主張)が間違っていることも示されている。
 本書は円高の仕組みを解説するだけに留まらず、日本にとって「良い円高」なるものが存在しないということを詳しく説明した後、円高の別相であるデフレの解消のための金融緩和政策に日本銀行が強く志向することも求めている。
 その点では、本書はいわゆるリフレ派と呼ばれる立場の主張を、新書の形式で手短に述べた冊子であり、従来からリフレ派の考え方に馴染んでいる人にとっては特段に目新しい主張はないと言ってもよいだろう。むしろなぜここまでデフレの正体と対処方法が描き出されてきたのに、日本の政治は機能しないのだろうかと暗澹たる気分を確認することにもなる読者もいるだろう。
 本書は円高の基本解説、その意味、さらに対処提言という一貫した主張で構成され、それは扉の「あと28.8兆円――」という一言のつぶやきに象徴されている。具体的に章を追ってみよう。
 「第1章 為替とは何か?」は、円高・円安といった為替のごく基本を扱っている。著者のエコノミストらしい現場の感覚がうかがわれるのは、銀行の為替業務の実態が為替差益を狙ったものであることを明記しているあたりだ。銀行以外の為替のプレーヤーも基本的に為替差益を最大にするように市場に参加している。
 「第2章 円高・円安とは何か?」と「第3章「良い円高」論のウソ」は連続して、円高・円安の基本をもとに、日本国の全体からすれば「良い円高」なるものは存在しないということを、「良い円高」論を排し、実際に日本が円高時に国民総生産が衰退する歴史事例を含めて説明している。
 俗論の例では、ヘッジファンドによる日本の通貨アタックまたキャピタルフライト(日本から資産が逃げる)も言及され、それらが起こりえないこともわかりやすく説明している。
 本書らしい議論が展開されるのは、「第4章 為替レートはどのように動くのか?」以降であり、経済学や為替の基本をある程度理解している人ならこの章から読み始めてもよい。本書は、通貨レートは長期的にその国の購買力平価に比例するとして、では短期的な変動は何によるかということで、マネタリーベース(中央銀行が供給するお金)から作成されたソロスチャートを提示していく。
 為替変動は長期的にはソロスチャートに沿っているとしても、2002年から2007年では、為替変動はソロスチャートでは説明できないとされてきた。この問題について著者は「修正ソロスチャート」を提示する。このあたりが本書で一番面白く感じられた。
 修正前のソロスチャートがはずれたかに見えたのは、著者によれば、量的緩和と銀行の投資意欲が整合しなかったことが原因だとしている。そこで銀行が資金として投資に回さない部分として法定準備金を想定し、そこを差し引くことでソロスチャートを修正すると為替変動と整合するようになったとしている。
 これはどういう現象か。著者は、中央銀行が断固たる意志をもって量的緩和を続けるというメッセージがあれば、銀行もインフレを予想し、その予想インフレによって投資が活性化すると見ている。予想インフレ率によって為替が左右され、そのことは同時に日本を衰退させるデフレを解消させるという議論になる。そしてこの予想インフレ率を変えることができるのは、中央銀行である日本銀行だけであるという議論が続く。
 「第5章 為替レートは何が動かすのか?」はさらに中央銀行と予想インフレ率の議論を深化させていく。この問題について、著者の考えが正しいことは、むしろリーマンショック以降の米国の中央銀行の金融政策によってほぼ証明されたと私は見ている。
 「第6章 円高の正体、そしてデフレの"真の"正体」では、具体的に日本のデフレを治療するために、マッカラム・ルールから具体的な数値として、名目2%成長のために、28.8兆円の追加が必要になるとしている。これにより為替も1ドル95円になるとしている。さらに78.8兆円の追加で名目4%成長となり日本はかつての成長を取り戻すとも主張している。これもおそらく正しいだろう。
 本書は最後に、リフレ派の反論としてよく見られる議論である「量的緩和はデフレ脱却には無効」論を排していくが、この議論はさほど新味のあるものではない。かくして本書はさらなるマネタリーベースの拡大を提言して終わる。
 私の感想だが、以上の議論は概ね正しいだろうと考える。だが、ではなぜこうしたリフレ派の議論が実際の政策に反映されず、なおデフレのどん底に突き落とすような増税に邁進する政権が存在し、また、少なからぬマスコミが増税を志向しているのだろうか。端的に言えば、こうしたリフレ派の議論には、本書にまだ語られていない弱点があるのではないか。本書からはそれるが、この機に少し述べてみたい。
 まず日銀が恐怖を抱えていることがあるだろう。2%から4%のインフレは団塊世代から上の世代にはパニックを引き起こすだろうと私は想像する。私は団塊世代の次の世代だが、あの高度成長期のインフレの時代の世相を知っているので経験的に理解できる。そのパニックからもたらされる怨嗟を日銀と政府が引き受けることはむずかしいだろう。
 次にデフレ解消を好まない層が政治力を持っている現実がある。インフレは結果としては増税と同じ働きをするうえ、実質的な富の再配分をもたらす。簡単にいえば、現在持てる者は減少させられるに等しい。つまり日本の資産の多くを握っている層にとってはデメリットもある。全体からすれば「良いデフレ」などありえないのにデフレによってメリット受ける層があり(箪笥にカネを置くだけで実質増えていく)、これが明確に現在の政治体制と結びついている。この層は、一つは先にも述べた高齢者世代であり、もう一つは社会不安から守られ所定の給与が維持される階層である。ごく簡単に言えば、公務員と労組の強い大企業、政治団体などであり、これらがまさに現在の民主党政権を担っている(自民党でも同様の部分がある)。
 さらに本書に直結する面で言えば、量的緩和だけで銀行の投資意欲を導くというとき、その議論のベースには本来なら日本が達成できる成長率の前提があり、それはそれで正しいのだが、それでも全体的に人口減少による需要減少、また生産減に結びつく労働者人口が減少していくなか、政府は積極的に公的投資から需要を掘り起こす必要もあるだろう。震災後の現下の状況を考慮するなら、国家による公的投資が効果的に推進されなくてはならない。無駄を省くことよりも将来の利得となる公共投資に政策をシフトするほうが重要なのだが、その具体性を現在の政府は持つことができない。
 以上のような問題を、まさに政治的な課題としていくには、高齢者や保護された労働者層に対して国民統合の視点から一定の痛みを理解してもらうこと、また並行して公共投資の倫理とルールも形成していくことが重要になる。その政治課題が前面に現れることになる。
 
 

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コメント

円高の理由なんて決まっているじゃないですか。

日銀が臆病で円を刷らないからですよ。

円をジャブジャブ垂れ流しにすれば、間違いなく円安になります。インフレにもなるでしょうけれど。

垂れ流した円は、中国で流通するはずですよ。中国は、人民元を切り上げなくてすみます。金利は高くしないといけなくなると思うけれど。

投稿: enneagram | 2012.01.22 11:31

財政投資の文句が出たのに

> 高齢者や保護された労働者層に対して国民統合の視点
> から一定の痛みを理解してもらうこと、

は理解できません. デフレの時に国が建設国債を発行
するに当たっては誰も「痛み」は感じないと思う.
不必要にストイックに考えるところにお年を感じる.

投稿: ちび・むぎ・みみ・はな | 2012.01.22 13:11

>円高の別相であるデフレの解消のための金融緩和政策に日本銀行が強く志向することも求めている。

志向とは・・?

投稿: | 2012.01.22 22:22

>まず日銀が恐怖を抱えていることがあるだろう。2%から4%のインフレは団塊世代から上の世代にはパニックを引き起こすだろうと私は想像する。

 そうはならないと思います。目先のことや自分のことだけを考えている人は別でしょうが。
 とくに団塊より上の世代は、自身の現役時代がインフレ・経済成長期だっただけに、私がデフレの何が問題かということを説明するとあっという間に理解してくれます。
 それに、この世代の人すべてに当てはまるわけでもないでしょうが、持ち家等があれば資産価値が上がる、預金があれば利率も上がる、年金等には物価スライド制が導入されている(但し、小泉時代の改悪は修正する必要がある)ことを知っているので、対処が可能であることも、それこそ経験によって理解しています。むしろ、インフレ期の経験がない若年層の方が慌てるかもしれません。
 まぁ、年率10%近い狂乱物価、あるいは特定の資源の枯渇(輸入停止でもよい)による特殊な状況にでもならない限り、大丈夫ではないでしょうか。
 ただ、インフレが資産価値等に反映されるには、タイムラグや地域性の問題があります。その手当てを政治的に間違えないようにする必要はあるでしょうね。

投稿: os | 2012.01.23 02:37

いま、岩波新書では、昨年12月に公刊された、大瀧雅之著「平成不況の本質」がけっこう売れている。
 大瀧氏は、ケインズ経済学の弱点である、ミクロ経済学との接続(ミクロ的基礎)について、確固たる理論枠組みを提示した。
 そこでは、リフレ派が「理論」とまで神聖化している「貨幣数量説」を明確に否定している。
 リフレ派の理論は、貨幣がもたらす市場不均衡を理論的に示すことができていないという弱さがあるようだ。
 大瀧教授の業績は、日本や世界の学会でも広く認められているらしく、どうも、日本のリフレ派では、だれも正面から批判できないもののようだ。大瀧氏は、日銀にも厳しいので、日銀のポチでもない。数学にも強い。
 ファイナルベント氏も一読されて、安達氏などの議論と比べてみてはどうか?

投稿: 元リフレ派 | 2012.01.25 01:04

通貨体制の崩壊は貿易収支の長年に渡る不均衡によって起こりえます。つまり為替レートは貿易収支が釣合うように本来であれば動くはずというのが正しいと思います。
インフレ、デフレの件は分野別に考えた方が良いと思います。つまり食料品、エネルギー等の生活固定費では日本は世界一のレベルで高くこれ以上の高騰が良いとは思えません。リフレ派は一体なにをインフレさせたいのか語る事は決してありません。これらは政財界がつるんだクローニーキャピタリズムの話であって、庶民にとって都合の良い経済学というのは残念ながら日本に殆どないのではないかと思います。リバタニアニズムはオーストリア学派として経済学としてもケインズとは全く違う解釈をします。ケインズ経済が悪いとは言いませんが、社会主義(国が国民を管理する)の経済学です。

投稿: ヒロ | 2012.01.28 10:57

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