[書評]孤独のグルメ【新装版】(久住昌之・著、谷口ジロー・画 )
中年男の孤食を描いた漫画「孤独のグルメ」(参照)が電子ブックで売っていた。電子ブックでこの漫画を読むとどうなんだろうかという素朴な興味と、通して読んだことはなかったなという思いがあって、買って読んだ。泣けたというのとは違う、胸にずんとくる感慨があった。中年男の孤食というものの、いわくいいがたい微妙な心情をよく描いていることもだが、私自身生きてそして食ってきたあの時代が絵の一コマ一コマにそのままにあったのだった。
孤独のグルメ 【新装版】 |
だが結果として、たくまずしてというべきか、一人の中年の男の像を、普遍的な男というものの本質から照らしながら、上手に描いている。表題の「孤独」に偽りはない。見知らぬ町で、その町の見知らぬ人間として、彼は物語に立たされる。中年男というのは、そうやってこの世の中に立ち尽くすものである。
主人公・井之頭五郎は酒を飲まない。それだけでもグルメといった、うんざりしたうんちくから解放される思いがする。甘物が好きだが菓子職人がどうたらとも言わない。そしてこれはいいなと思うのは、やたらと煙草を吸うことだ。食事を終えたら普通に煙草を一服。そこに何かもう失われた時代を見る。この物語、現在テレビドラマ化されているらしいが、煙草のシーンはあるだろうか。
読み進めながら、これは私の世代の話だなとも思った。団塊世代の次の世代。原作の久住昌之が1958年生まれで私と同級生といってもいいくらいなせいもある。物語の時代は1995年止まり。オウム事件と阪神大震災が変えてしまう前の日本の風景だと言ってもいい。が、その変移はかつて東京オリンピックが変えたそれほどドラスティックではない。むしろ、この物語に銀座の変容の一話もあるが、なだらかな変化の途中を描いているともいえる。現在でもなお探せば同じ風景もあるだろう。
1995年の風景のなかで井之頭五郎は何歳くらいか。私は37歳だった。その感じからすると5歳くらい年上には見える。私より10歳年上の谷口ジローの自意識と所作が五郎の年齢設定に反映しているように思う。
物語の時間の4年前、五郎がパリで女優と過ごしたときの回想シーンがひとつある。女優の同棲への焦りは、あの時代の女の30歳くらいを反映しているのだろう。それにすれ違う五郎はあの時代の30代後半にさしかかるといったところだろう。そしてパリの回想風景が群馬県高崎の風景に切り替わるあたりに、中年男というものの存在の絶妙の苦みと味わいがある。他にも、新幹線のなかで若い見知らぬ女の隣席ではた迷惑なシュウマイを食っている自分の存在にズレというものを思うあたりも、ああ、そうだよ、おまえは俺、とかも思う。(もちろん、五郎と私はかなり違ってもいるのに。)
ただ懐かしく胸に迫る風景もある。西荻の自然食屋ふうな店は満月洞である。私はプラサード書店で「The Fourth Way」とか買って夕飯を食った。あるいはホビット村のイベントのあとに、また待晨堂で時間を費やした帰りに飯を食った。酒も飲んだ。紅乙女が好みだった。友だちもいた。ヒッピーくずれのいつもの米人もいた。あの店内の段差も覚えている。
江ノ島の魚見亭では、ちょうど五郎の座っていたところに私も座って、失われた青春を思って暮れゆく海を見ていた。石神井公園も懐かしい。板橋区大山町にも懐かしい思い出がある。大阪市北区も思い出すことがある。どうしてこうも思い出が詰まっているのか、この漫画、と不思議なくらいだ。たぶん、そうした不思議さに打たれるのは私だけではないだろう。
電子ブックとしてはどうか。iPadで最初起動したときアプリがiPhoneアプリサイズだったので、これはしまったと思った。二倍サイズにすると絵がぼけるのだろうと諦念していたが、さにはあらず。ボケもせず、漫画として読むにちょうど解像度になった。iPadで読むのにちょうどよい。しいて欲を言えば、背景色を白からもう少し柔らかいものにしたいくらい。
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コメント
タバコのシーンありますよ~<テレビ
投稿: | 2012.01.13 17:28