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2012.01.06

「○○○は絶対反対」主義の蔓延をどうしたものかな

 ブログのエントリーで正月、「年頭にあたり云々」みたいな話題もありかなあと思いはしたが、書いても詮無しという感じがしたのと、危機煽ったり嘘臭い希望を語ったり、ありがちな世代間闘争とか消費税云々とかいうお決まりのお題をこなしたりとかにもうんざりしたのでゲームばっかりしていた。とはいえ、お節やお雑煮を食い過ぎて伏せりながら、いろいろ思うことはあった。一つは「○○○は絶対反対」主義の蔓延をどうしたものかな、と。
 昔もそうだったといえばそうかもしれないが、小泉政権のあたりから、「○○○は絶対反対」という人が多くなったような気がする。たぶん、昔からあるのだろうけどネットの利用者が拡がることで目に付くことも多くなったのではないか。
 以前の話だが沖縄で暮らしたころ、久茂地「りうぼう」で買い物をすると向かいの県庁の前でよく反戦運動とかの座り込みやデモを見かけたものだったが、妙に小規模なものだと思うことが多かった。たぶん定例会のようにやっているのだろうし、それがいい悪いとかいうものではない。だが、あれをテレビや報道写真を通して見ると、それなりに反対運動らしい絵柄に仕上がっていた。へえと思ったものだ。揶揄しているのではないよ。メディアを通すと「絵」ができるものだなと思ったのだった。
 その絵を描くメディアの機能が現在ではインターネットも分担しているということではないかな。ツイッター世論とか。ブログのコメント欄のご熱心なかたとか。
 別の言い方をすれば、少数派の意見をある程度自動的に抑制したりマスメディアで取りあげたてネタにしたりして、それなりに世論っぽいものを作り上げてきた――つまりそれもまた幻想ではあるのだろうけど――ということだったのだろう。メディアの変遷でその産出も変化してきたのだろう。繰り返すけど別にそれがいい悪いといったことでもない。
 形式としては「○○○は絶対反対」という形式が多いなとは思う。そして、率直に言って、その形式だとそれだけで、うへぇうんざりと思うようになった。
 TTP絶対反対。原発絶対反対。消費税アップ絶対反対。八ッ場ダム再開絶対反対。女性天皇絶対反対。歴史修正主義絶対反対。偽科学絶対反対。社会格差絶対反対。米国覇権主義絶対反対。中国覇権主義絶対反対。などなど。
 思うのは、それらは、絶対反対な「私」というのを各人が主張したいのだろうということ。いや主張というより、昆虫が特定の状況で仲間や異性を呼ぶために独自の臭いを発するように、仲間がここにいるというシグナルを発するという機能が「絶対反対」なのではないか。ツイッターとか見ていると特に昆虫の世界みたいだし。
 「絶対反対主義」になると言説というか言葉というものが、「オマエも絶対反対なんだろうな?」という審問にしかならなくなる。言葉が相手に「踏み絵」として提出され「さあ、踏むや否や」というキリシタン狩りという江戸時代の状況になっていく。踏んだら、あるいは「絶対反対主義」の絶対に抵触しそうな意見を言おうものなら、罵倒・中傷の嵐になってくる。
 もう言葉が内容伝達や議論として機能しないのだからそうなると黙るしかない。それだけの覚悟をしても発言するのが言論の自由なんだというのもあるかもしれないが、まあ、私のような小心者には無理。
 そもそも民主主義というのは、それを成立させる前提に対しては厳格な規定はあるものの(暴力で言論を封じてはダメだよとか)、基本的に利害対立を前提にして、どう妥協を図るかということが課題になるものだ。民事事件なんかも同じと言っていいのではないか。判決という正義よりも示談が求められる。だから「絶対反対主義」ではなく、反対条件を提示してそこから話合っていかなくてはいけないと思うのだが、なんとも、どうにもならないご時世になった。
 この「絶対反対主義」という、率直に言うと一種の精神病理がどうして蔓延してしまったのか。先にシグナルと書いたけど、基本的にシグナルとしてしか機能しないし、そのシグナルの機能は昆虫みたいに「群れること」。人が基本的な社会連帯を失って孤独になっているということの裏返しなのだろう。
 人間なんて誰しも突き詰めれば孤独なものだし、その上で「人はみな一人では生きていけないものだから♪」みたいなところで妥協する。妥協が社会制度でもあるわけで、その妥協で「自分の孤独も腹八部」みたいに我慢するものだが、そういうのが難しくなってしまった。
 もう一つはルサンチマンだろう。怨恨。嫉妬と言ってもいいのかもしれない。自分と同じような能力のある人間が偶然ラッキーなポジションにいると、それを見て、社会は間違っていると思うのもしかたない。それも一定の条件で諦める類のもののようには思われる。諦められないというのは、その相手への憎悪(ルサンチマン)があり、連帯の欠落というのも、やはり孤独や連帯の欠如ということだろうか。
 実際のところ「絶対反対主義」の主張者がそれを満たしたとしても、さほどその個人にメリットはない。それが満たされないと世界の終わりのようにパニックを起こすのかもしれないし、それなりに多少社会パニックが起きるということもあるかもしれないが、だからといって「絶対反対主義」の人が特別ということはない。
 「じゃ、どうすんの」というのも正月つらつらと考えた。
 「承認」ということかな。孤独のシグナルというのは、承認欲求のシグナルでもあるのだろうし、日常的な承認が得られないことで「絶対反対主義」にドツボってしまったのだろう。
 地域社会やそれを少し超えたところで、各個人が上手に妥協的な承認を得るような制度というのが、これからの日本に求めらるのではないかと思う。あるいは、承認欲求が「絶対反対主義」みたいなうるさいものにならないようにするとか。プチ承認ゲームとか言ってもいいかもしれない。
 具体的にというなら、あまり商売っ気をださないでリアルと関連があるソーシャルゲームみたいのがよいのではないか。あるいは、そういうソーシャルゲーム的な要素を含んだコマース(商法)みたいなものもあるかもしれない。
 考えてみると、ブログなんかもそうしたプチ承認ゲームではあるんで、このブログなんかも、日本のブログ論壇とかいうより、「絶対反対主義」者さんがお熱を上げないように、プチ承認ゲームのぷちぷちしたところにすっこんでいるほうがいいだろうな、とか、思った。
 どや?(プチ承認)
 
 

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「雑記」カテゴリの記事

コメント

finalventさんは「他者承認の渇望による自己不安」みたいな社会学的論評は嫌っているのだと思ってた。
「そういうのは(ある種先天的な)精神疾患の類で、そういう患者を管理することの方が現実的であり、今やるべきことなのだ」、のように。
今回の議論を前提にして、例えば加藤智大の事件とかも、やっぱりただの精神病で片付けてしまうのかどうか、気になります。

投稿: ウェブ非掲載希望 | 2012.01.06 11:03

そういう人は、「赤ちゃん」なだけでしょ。赤ちゃんには、あやし方があるだけで・・・。ま、理性的な赤ちゃんも多いけどw

投稿: | 2012.01.06 11:53

絶対反対と叫ぶのは、単に交渉を有利にするための場合が多いのでは?こう叫ぶ時は現状不利な場合が多く、頑張っても削減位しか期待出来ない。だとすると、少しでも有利な結果を引き出すために、極力反対側に引っ張るという考え。
となると、本心では絶対反対にはさほどこだわってない場合が多いのかもしれないと思いました。

投稿: | 2012.01.06 12:50

野田総理のように「進退をかけて」
消費税アップ/TPP参加と言うのは
「絶対反対の」範疇に入れるのかな?

投稿: ちび・むぎ・みみ・はな | 2012.01.06 16:23

愛情不足で問題を抱えているゆえに関心を持ってもらおうと問題行動を起こす青少年?
特別な配慮を要求する中高年?
拒否権の行使をちらつかせてプレゼンス確認させる大国?

投稿: | 2012.01.06 22:20

この論にはおおむね賛同。
「絶対賛成論者」も含めてね。絶対が付くと宗教になってしまいますぅ。それはそれで救われる人も多いとは思われまするが。
だいいち人の意見を良く聞いてコロコロ見解を変えなけりゃ、議論している意味が無いよね。ぷ
また、これは事実として、コロニー型生物としては「承認欲求」を否定するこたーできんわな。これは性欲のように存続に必須な欲望。素直に認めなされ。ぷ
しかしルサンチマンが欲望から出ているのだとしたら、これが結局は種族を滅ぼすのかもね。ども。

投稿: tamamusi | 2012.01.06 23:29

人と人とが直接相対して意見を交わせば
絶対何々って流れにはなりづらい

これもネット社会の現象の大きな特徴なんだろうね
ヤッパシ

深まらないねえ

投稿: | 2012.01.07 01:58

 今に始まった話ではないように思います。自衛隊絶対反対、国鉄民営化反対…
 もっとも、議論の余地すら許さじとする主張を、メディアが取り上げる頻度は高まったと思います。大きな物語が失われたのに、21~23時台の報道番組の枠は冷戦期のままで、尺を埋めんとすれば今様になるのでは。

 情報を受容する側の能力の問題だと思うので、ケセラセラであります。

投稿: kansatsusha | 2012.01.07 12:01

別に増加している感じはしないけどなあ。

http://www.google.com/trends?q=%E7%B5%B6%E5%AF%BE%2C%E5%8F%8D%E5%AF%BE&ctab=0&geo=all&date=all

という冗談はともかく、ディスコミュニケーションがあるからといって承認欲求不満の昆虫呼ばわりをするのはちょっと危険じゃないかと思いますよー。

まあ、おそらくかなり嫌な思いをされてのエントリーだと思いますが、がんばってください。

投稿: パキスタン・タリバン運動には反対 | 2012.01.07 12:11

交渉事で”絶対反対or賛成”論者になるのは、むしろ当たり前でしょ。

最初から「90%反対です」なんて言ったら、「じゃあ10%は賛成なんですね。譲歩してください」と言われるに決まってる。

そもそも、絶対反対だろうと、90%反対だろうと、最後は力関係でなるようにしかならない。

投稿: 革命烈士 | 2012.01.07 21:56

世の中の問題が複雑になり如何様にも考えられる時代背景が原因の一つではないでしょうか。
そうなると帰納的に考える事が難しくなり、自分にとって都合の良い事こそ正義であり正しい事であると思考停止状態に陥っている人が多くなっているのだとも思います。

投稿: ヒロ | 2012.01.07 23:30

はじめまして。興味深く拝見しました。
私見ですが↓

そのシグナルにも一定の効果はあると思いますね。実社会的にはつながりのない集団を形成するという点で。民主社会の力は数ですから、一般市民が政治的に意味を持つ単位まで集団を形成するスピードが速くなることに、ある程度の意味はあると感じます。
問題はおっしゃる通り、建設的な議論を呼ばない「絶対反対」がシグナルとして使われることなんでしょうね―。使い勝手がいいんでしょうけど。わかりやすいし、何より強いので。でも確かに、強敵で排他的で、うんざりします。自分の言った「絶対」にとらわれてしまうのでしょうね。
でも結局、ノイジーマイノリティの大量生成にしかなってないところが残念。
ネットでの合意形成のノウハウ、議論のノウハウが進化すればいいですね。
アメリカのウォール街占拠にその片鱗が見えませんか?

投稿: 不破 | 2012.01.10 12:19

「日本は絶対反対」も入れてください
もう「日本」の二文字と聞いたら発狂する人間が増えていると思います
取り上げてもらえないのもある意味あれなんですがw

投稿: アイアイ | 2012.01.11 22:58

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