[書評]男はなぜ急に女にフラれるのか?(姫野友美)
先日ツイッターで「青春ってどうして青なんだろう?」というつぶやきを見かけた。現代で「青春」なんていう古語を使う人はないんじゃないか。というか、ポスト団塊世代の僕が若い頃ですら「青春」ってなんか自分より年が上の、団塊世代が使う、ねちょっとしたイヤな感じの言葉だった。
でもま、なぜ「青」なのかというと、人生を四季に例えると、若い時代は「春」で、春は陰陽五行の考え方では「青」になるから、それをくっつけて「青春」。じゃ「夏」はというと「赤」だから赤夏、じゃなくて朱夏。朱に交わるわけよ。同様にお次が「白秋」、そして「玄冬」となる。
かくして青春・朱夏・白秋・玄冬だが、高松塚古墳の壁画じゃないけど、風水の四神、青龍・朱雀・玄武・白虎にも対応している。朱雀といえば平安京など都の南門・朱雀門が連想されるが、朱雀は南を司る。白虎といえば白虎隊とか連想するがこれは西側の担当。
ぐぐれば出て来そうな話をだらっと書いてしまったが、「青春」の時に「青春」なんて思いもしなかったが、今まさに白秋・玄冬という年になると、青春ってなんだったかなとは思う。そしてその思いの中核になるのが、なんで俺、ふられたんだろ?という疑問である。そんなことないっすか?
もし人生において悩まなければならない難問があるとすれば、今生きるか死ぬかだ、みたいにカミュは「シーシュポスの神話」(参照)で書いていたけど、カミュがこれ書いたの20代。若いよ。だから46歳で死んじゃうんだよ。ってこともないし、けっこうイケメンじゃんなカミュにしてみると、なんで俺、ふられたんだろ?というのはそれほど人生の難問の部類には入らなかったのだろう。
この難問。難問なんかじゃねーよ。鏡を見ろよ。歴然。といった解答もあるだろう。その他、女にもいろいろご都合があったんだろう。いいんじゃないか。本日は大安なり。女の気持ちを大切にして自由にしてやれよ。俺なんかといたって幸せになれるわけないしさ。てな解答もあるかと思う。納得したいわけですよ、なんか理由を付けて。
でも、年ふるごとにどこか納得できない。縒りを戻したいとか、青春を返せみたいなファンタジーに浸るわけではない。なんか、こう、数学的に、というか、原理がわかれば誰もが納得する解というのを、私が見逃して今日まで生きてきたんじゃないかという感じがしてならない。ユークリッドの原論(参照)をきちんと読むと、応用問題に「男はなぜ急に女にフラれるのか?」とか載ってるじゃないか。
男が女に交わり、同じ側の愛情の思いをπより小さくするならば、この二人の関係は限りなく延長されるとπより小さい愛のある側において交わることから、「男はなぜ急に女にフラれるのか?」の解が導かれる、とか。
男はなぜ急に女にフラれるのか? |
つまらない本ということはない。アマゾンの読者評に「多くの男性と女性との気持ちがすれ違っている現代においては、適切なアドバイスをしている」というのがあるけど、たしかに、へえと思うことが多々あった。女にとってメールは「会話」、男にとっては「手紙」というのもそうなんだろうなと思った。そして私が若い頃、電子メールなんてものがなくてよかったなあと思った(ちなみに私が電子メールを使うようになったのは27歳)。
ネタバレになるのを恐れるので、読んでみようその本という人は以下読まないほうがいいかもしれない。
でさ、究極の難問、「男はなぜ急に女にフラれるのか?」だが、本書はどのように解答しているのか。
本書の説明だと、男の脳はザルのようにその時その時の思いが流れてしまうが、女の脳はバケツのように不満の感情を溜め込み、それがある一定値になって溢れ出すと、「別れましょう」と突然言うのだそうだ。だから、ザル脳の男にしてみると、その状況からいくら理由を考えても、一定値にまで溜め込んだ蓄積がわからないというわけだ。
なるほどねと思う。そうかとも思う。不満貯めてたんだろうなというのも、言われてみると思い当たらないでもない。
ただ、それ、ちょっと違うかなという印象もある。そう思って読み進めると、「女が別れを切り出すのはすべて計算ずく?」という章があり、そこには、「孕む性」である女の脳は、妊娠・出産・育児の期間は稼げないという前提で、オスに経済的な支援を求める。よって、甲斐性のない男と見切られたら、サドゥンデス、別れましょうとなるらしい。ほぉ。別解。これもまた、思い出すとずきずきと来るものがある。
女は不満を貯めていたし、男の将来性ががないのを見切ったと言われると、こりゃまったお恥ずかしい、くらいしか返答できないのだが、さて、それだけでもしっくりこない。さらに読み進むとこんな話もある。
お互いに自尊心が満たされない不満を抱え、自分の欲求ばかりを主張していては、どんどんズレが広がってしまうに違いない。そして、このままズレていっては、もう自尊心を保つことができないとどちらかが感じたとき、「別れ話」が持ち上がるのではないだろうか。
つまり、別れるか、別れないということも、男と女の脳がその自尊心をどれだけ保てるかにかかっているのではないかと思うのである。
これは不満バケツ説や将来見切り説よりも、ずんと胸に響く。「その男ゾルバ」(参照)の根幹的テーマである。女には自尊心があるんだよ。男より強いんだよ。自尊心のためには男を捨てちゃうんだよ。(でも、別れ話が持ち上がるあとは、男も女も自尊心なんてなんじゃらほの世界に突入してぼろぼろになるもんだがなあ。)
というわけで、読んでいろいろ学ぶところもあったけど、根幹の問題はわからなかった。女が「孕む性」・「産み育てる性」で、男が「種をばら蒔く性」というのも、自分なんかにしてみると、ポカーンという感じはした。そういう男女がいるのは知っているけど、大半はそうでもないと思う、自分、関係ないし。
「男はなぜ急に女にフラれるのか?」 いやいや、そういう局面で苦い思いをするのは、女だってそうじゃないかというのもあるかもしれない。
そうかもしれないな。
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