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2011.01.29

エジプト暴動は軍部のチキンゲーム

 チュニジアの暴動から飛び火したかに見えるエジプトの暴動だが、これはおそらく、民主化とはあまり関係のない軍部のチキンゲームだろうし、緩和なクーデターと言ってもよいだろう。
 エジプトの暴動で、近年の事態ですぐに連想されるのは、2008年のそれである。食糧高騰によって政府公営販売所の食品販売価格と市場価格の乖離が起こり、民衆が公営販売所に殺到して、暴動となった。死者は10人以上も出た。
 同年はムバラク大統領が80歳になる記念の年でもあり、とりあえずの反体制派が中心となり、大統領の誕生日にストライキを計画した。このおりも、インターネットが活用されものだった。もっともエジプトでは強権政治が続き、かつチュニジアのように中産階級が厚くないことから、反政府勢力は運動の核とはなりえない。形の上では国際原子力機関(IAEA)事務局長エルバラダイ氏が帰国し民主化を語ったが、当面の動向として彼の支持層はないに等しい。
 また、当初エジプト内務省は暴動の当てこすりもあってだろうが、昨年11月の総選挙で政権と対立したムスリム同胞団に非難の矢を向けたが、ガーディアンが指摘するように「非合法」の同集団は初期段階では主要な役割はしていなかった(参照)。その後の関わりは報じられているが、原理主義への誤解も目立つ。宗教的な連携から軍内部につながりが見えれば事態を変える可能性がないわけではないが、おそらく軍政規模による合理性が優るだろう。
 今回の事態も、基本的に3年前の暴動と本質的な違いはないかに見えるし、そう見れば、同じような結末を迎えるのではないかとも予想される。
 米国としてはすでにクリントン長官がすでにムバラク大統領を支持を表明し、彼が順当な対応を取っていると述べているが(参照)、米国はエジプトの不安定化を望んではない。おそらくイスラエルも表面上の対立とは裏腹にムバラク体制を支持していると思われる(参照)。
 背景として考えられるのは、暗黙裏に進む可能性のあるエジプトの核化の阻止に適切なダメージを与える程度で終わらせたいということだろう。また、アルカイダというとオサマ・ビンラディンがつい話題になるが、実動部隊を実質供給しているのはエジプトだとも言えるほど、エジプトの過激派勢力の潜在性は大きく、社会混乱は好ましいものではないというのも欧米の本音であろう。
 今回のエジプト暴動の特徴は、報道からはあまり見えてこないが、軍の指導性だろう。ムバラク大統領の独裁を象徴する息子ガマル・ムバラクの大統領世襲問題は国民から大きな反感を買い、すでにロンドンに逃亡している(参照)が、これはチュニジア大統領の亡命とは違い、もともとガマル氏の世襲を厭う軍部(参照)のシナリオだったと見てよい。さらに軍部としては、この秋に予定されている大統領選挙を早々に潰しておきたいということもあっただろう。フィナンシャルタイムズ社説「After Tunisia – the Egyptian challenge」(参照)がこう仄めかしているのがえぐい。


Egypt’s rulers must start planning now for an orderly succession to Mr Mubarak. The army may well see the need for it, and knows that even a pharaoh is ultimately the prisoner of his praetorians.

エジプト指導層は秩序だった、ムバラク氏継者選出計画を開始せねばならない。軍部もその必要性をよく理解していることだろうし、ファラオですら近衛兵の囚人となったことを知っている。


 しゃらっと物騒なことをフィナンシャルタイムズは言うものだなとも思うが、エジプトの軍部は米国からの支援金で実質成り立っているようなものなので、先のクリントン長官談話からしても、軍部と米国の手打ちは終了していることだろう。80歳を越え、健康に不安のあるムバラク大統領も呑んでいるに違いない。
 総じて見れば、今回のエジプトの暴動は民主化の高まりやツイッターなどの情報ツール革新がもたらしたものというより、新興国にありがちな軍部のクーデターを緩和に装ったものというくらいであろう。西側諸国としては、エルバラダイ氏を育ててエジプトの核化が阻止できればさらに御の字ということだが、とりあえずの仕込みで終わるのではないか。

追記
 後の資料にもなると思われるので、2月14日の時論公論 「"エジプト革命"の衝撃」(参照)を引用しておきたい。


そして、ムバラク氏に引導を渡し、その権限を引き継いだのは、エジプト軍の最高評議会、すなわち、タンタウイ国防相と陸・海・空軍のトップからなる最高意思決定政権ナンバー・ツーの副大統領ではなく、軍の最高評議会への大統領権限の移譲は、法律で定められたものではなく、いわば、超法規的な措置です。


まず、ムバラク氏によって副大統領に指名されていたスレイマン氏は、現在の肩書きがどうなっているかも不明で、次の大統領になる目はなくなったという見方が有力です。


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2011.01.28

菅さん、子ども手当を白紙にすることから始めたらどう

 昨日、一部だが菅首相の国会答弁を見た。生彩がなかった。小学校でイジメにあってしょげながらうつむいて教科書を音読している子供のような印象だった。過去の首相もそんなもんだといえばそうだが、菅さんの場合はさらにひどいのではないか。
 これも昨日だが、米格付け会社のスタンダード・アンド・プアーズが日本国債の長期格付けを引き下げた。失笑を買うようなことするなあ、S&P。日本国債の格付け下げても意味ないと思うが、さて、僕らの菅首相。官邸で記者団に答えるに、「そういうことに疎いので、(コメントは)改めてにさせてほしい」(参照)と。そうだろう、経済には疎そうだし、と思うが、2002年には公式サイトこう言っていたものだった(参照)。


2002年5月31日 00:00 :
 日本の国債に対するムーディーズの格付けが二段階下がった。景気回復が見込めず財政悪化に歯止めがかからないと見られた結果。日本の国債はほとんどが日本国内で消化されその多くは銀行が買っている。通常なら格付けが下がれば国債も下がるのだが銀行は資金運用先が国債以外に無いため、国債の価格が下がらないという奇妙なことになっている。外国に資金が流出し始めれば一挙に国債は暴落する恐れがある。能天気な総理や財務大臣には分かっているのだろうか。

 苦笑・失笑以前に、ひゅるるるぅっていうか、寒くもの悲しいごんぎつねみたいな感じがしてしまう。
 失言の部類ではないのかもしれないが、たちあがれ日本を離党した与謝野馨氏を経済財政担当相起用したことでも、「社会保障改革に高い見識と志を持っている方だ。責任者として内閣に三顧の礼を持ってお迎えした」というのだが、三顧の礼かよ。
 辞書を見るに、「真心から礼儀を尽くして、すぐれた人材を招くこと。また、目上の人が、ある人物を信任して手厚く迎えること。▽「顧」は訪ねる、訪れること」(参照)なので、そりゃ菅首相が目上だわな、くらいなものだが、この言葉は言うまでもなく三国志から。隠棲していた諸葛亮こと諸葛孔明を軍師に迎えるべく蜀の劉備が訪ねたが、孔明は身を隠して会えず、再訪しても会えず、ようやく三度目に会い、お迎えできたという話である。
 あー、与謝野さんの場合、違うんじゃないか。彼はうずうずしていて、北沢さんのお声を待って、ほいほい民主党にくっついたんでしょ。こういのを三顧の礼というのか。
 前振りはこのくらい。
 与謝野氏の経済財政担当相起用はどう考えてもおかしい。どう菅首相が繕うのか(参照)。

 ――比例に当選してその後離党した大江議員について、当時総理が「離党と共に辞職すべきだ」と発言しながらも、今回与謝野氏を起用したことに野党から批判が相次いでいますが、総理は「改革という大義において起用した」と答えました。具体的にあの時と今回の与謝野氏のケースとの違いは何か教えてください。
「私のなかでは、社会保障と税の一体化というのは、本当に、どなたが総理になっても、どなたが内閣を担当しても、ほんとに避けて通れない大きな課題ですから、そういうものを進めていくうえで、それに対する見識や志をもってのぞもうとしている、そういう存在が与謝野さんだと思ったんです。そういう意味は大きい。そういうことです」

 政治家なら普通、国政の志は持つものだが、問題はどういう志を持つかということ。そしてそれを政党である民主党は掲げてやってきたはずなのだが。毎日新聞「菅首相:年金改革「白紙で議論」 代表質問で」(参照)より。

 菅直人首相は27日の衆院代表質問で、年金制度改革に関し「ある意味で白紙の中で、あらゆる提案を議論の場に載せて検討したい」と述べ、民主党案にこだわらない考えを示した。

 菅首相が「ある意味で」と言い出したら、どういうことになるかについては、以前、「菅新首相会見から、「ある意味」を抜き出してみた: 極東ブログ」(参照)に書いたが、ようするに「なにをおっしゃっているのかわかりません」ウサギになってしまう。
 民主党は、政権取ったら、年金制度改革は白紙にするということなのだろうか。
 考えてみれば、後期高齢者医療制度も実質、麻生政権のまま引き継いだ。高速道路無料化はお笑いとなった。八ッ場ダムについてはもう触れないのではないか。高校無料化ってなんかメリットがあったのか、以前から補助厚かったのに。
 挙げ句の果ては環太平洋経済連携協定(TPP)推進を言い出した。菅さん、どこまで自滅が好きなんだろう。TPPにはメリットとデメリットがあり、メリットを得るにはデメリットへの対応の合意ができてからでないと無理に決まっている。
 ここまでなにもかも白紙にするなら、もう一番変てこな政策となってしまった子ども手当を廃止にすることから始めたらよいのでないか。
 こういうとなんだが、私は、民主党の子ども手当という政策自体は悪いものではないと思う。ネーミングが変で、どうやら民主党員も結局理解してなかったようだが、あのウルトラ頭脳の鳩山さんは理解していた。これは、出生率を増やすとか、子供の成育環境をどうたらというのではなく、高齢者層を中心に所得移転を強制的に行うということだ。未就労の子供に所得を与えると理解してもいい。
 だからと言うべきなのだが、子ども手当は規模がでかくなくては意味がないし、必然的に税制も根本的に変革する必要があった。所得移転なんだから当然高齢者層を中心に増税となる。国民からカネをむしり取って再配分するということだ。
 だが、これはもう民主党政権の最初から頓挫。地方自治の児童手当を食うに至っては本末転倒。そして、残るは増税だけ。与謝野さんに至っては、子ども手当も消費税でというお考えのもよう(参照)。
 このまま民主党がつっ走れば、ただ増税だけが残り、所得再配分にはならない。日本経済の宿痾は高齢者がカネを溜め込んでいることなのに。そしてそれをじっくり時限爆弾になるように温めている。
 菅首相、すでに形骸化してしまった子ども手当をやめるべきでしょう。
 実際、できるわけもないのだし。与野党の合意というなら、まずそこを土俵にしていけばいいのではないか。

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2011.01.25

1リットルジュースを購入する際に「ストローはお使いなりますか」と聞かれる問題について

 世の中はそれと気づかぬ間に変わっていくものだ。白髪頭とか禿頭のように人生の半ばにじわじわと押し寄せる変化ではない。ふと小石につまづくようなもの。ありゃと思った刹那、蒼天がかすかに揺らぐ。おっとっとと六方を踏む。初めてじゃない。先日もちょっと、けっつまづいたっけ。そんな感じ。最初はさして気にも留めない。
 看板のように妙に大きな月が浮かんでいる夕刻、コンビニでいつのも買い物をしたとき、たぶん新しいアルバイトなのだ、その少女が内気そうにうつむいて、「ストローはお使いなりますか」と僕にきいたときも、さして気に留めなかった。それが1リットルジュースに適用されるものであるなんて思いもよらなかったからだ。若い日に告げられた愛に気づかなかったように。
 二度目には、はてと思った。三度目には、はてなと思った。それはもしかして、1リットルジュースに使うストローということなのだろうか。

cover
新訳チェーホフ短篇集
 チェーホフの短編の牡蠣の話に出てくる少年のようにありったけの想像力を振り絞って、1リットルジュースにストローを挿した光景を思い浮かべる。いったい、この立体のどこにストローの穴があるのかと暗い寝具のなかでそれを探すような困難さを乗り越えて、想像する。一度想像さえすれば、セザンヌの静物画のような色合いになる。
 だが、それは空間に浮かびあがり、焼けた炭を恐れるセラピムのように誰もストローにくちを付けようとはしない。1リットルのジュースはマグリットが描く岩塊にも似てくる。それを見上げてる少年時代のダリは、くちびるはどうしたかと問いかける。マン・レイが写した天空に浮かぶ唇が、そっと開く。
 1リットルのオレンジジュースをストローでちゅーっと吸うことなんてあるのだろうか。それをあの少女が僕に提案していたのだろうか。暴力的で退屈な世界にとって必要な事象でもあるというのだろうか。わからない。ヘルミーネ、君どこに居るんだ?

1リットルジュースを購入の際に
「ストローはお使いなりますか」
と聞かれる問題について

 街路からスペイン風の小道に迷いながら僕はつぶやく。「1ℓのオレンジジュースを買うとき、ストローはお使いになりますかと聞かれるたびに、変な気持ちになる」
 世界は君に答える。「隣のデスクにいる女性は、1リットル紙パック茶にストロー刺して飲んでます。29年の人生で始めてそういう人を見ました(笑)」
 かっこ・わらい。笑ってよいのか。どこかで1リットル紙パックのお茶にストロー刺して飲んでいる女性がいる。ちゅーっと。そして彼女はフェルメールの絵を3Dメガネで見たように飛び出てくる。こんなこと簡単なんだから。これが現実なんだから。
 「1ℓストロー問題(w)は、Twitterで現実を知るだなあ」
 「コンビニで1リットルの飲み物買ってストローつけますかときかれだしたのは5年くらい前からのような気がします」
 もう随分前からそうなのだ。マグマ大使の手下となった人間モドキは町に溢れているし、恥ずかしがり屋のケムール人もスターバックスのソファにふんぞり返っている。それが現実。
 まさか、1リットルのオレンジジュースをストローで飲んだかどで告訴されるとは思わなかっただろう、ヨーゼフ・K。
 「そうじゃないんだ」
 問題は、1リットルのオレンジジュースをストローでちゅーっと飲むことじゃない。だったら、バーガーキングで渡されるバケツでペプシコーラーを飲んでいるやつらで監獄は溢れているはずだ。問題は、僕が、1リットルのオレンジジュースをストローでちゅーっと飲むんじゃないかと、問われていることなんだ。この僕が。
 いや自意識過剰すぎるのか。
 どう飲んだってオレンジジュースじゃないか。なにを悩んで来たのだ。
 今思えば、全く、己は、己の有っていた僅かばかりの才能を空費して了った訳だ。
 人生は何事をも為さぬには余りに長いが、1リットルのジュースをストローでちゅーっと飲み干すには余りに短いと困惑しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡すべてだったのだ。
 1リットルの牛乳パック開き、それを掴んでぐびぐびと飲むというなら違和感はない。松田優作だってやっていたじゃないか。ストローが問題だというのか。
 決心した。こんど彼女がストローを薦めてくれたら、この人生に諾と言うのだ。そして、あの立体にストローを挿してちゅーっと吸ってみるのだ。


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