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2011.09.24

麻生太郎元首相いわく、「国会の会期を決めるのは立法府ですよ。与党・政府じゃないんだ」

 野田首相の訪米で開店休業の国会というのはしかたがないが、どうやら今国会会期の再延長はなく、9月の30日で閉めるとのことだ。どじょう内閣は泥にまみれて仕事をするんじゃなかったのか。しかも、国会の運営って行政府が決めることなのか?
 報道の確認から。23日時事「国会再延長せず=民主国対委員長」(参照)より。


 民主党の平野博文国対委員長は23日午後、自民党の逢沢一郎国対委員長が今国会会期の再延長を求めていることについて、「30日で閉めさせていただきたい」と述べ、応じない考えを明らかにした。同時に「今は2011年度第3次補正予算案の政党間協議を進めることに最大限のエネルギーを注くべきだ」として、本格的な震災復興策を盛り込む3次補正の編成に向け、自民、公明両党との早期の協議入りに期待を示した。和歌山市内で記者団の質問に答えた。(2011/09/23-21:02)

 かくして、与野党が通常国会で、次期臨時国会で成案を得ると合意した、野党提出の、(1)原子力事故調査委員会法案、(2)東日本大震災事業者再生支援機構法案(二重ローン救済法案)、(3)私立学校復旧助成法案、3法案に加え、国家公務員給与削減法案など次期国会に先送りという雲行きになった。
 まあ、低迷して、泥にまみれているのは自民党なので、なんとか民主党を攻めたいというのはあるだろうが、そのあたりを差し引いたとしても、せめて合意事項くらいはさっさと臨時国会で片を付けたらよいのではないか。
 と自民党を見ていると、麻生太郎元首相が、きちんと原則論を言っていた。党利党略部分を差し引いても、原則論は正しいと思われるし、そのあたり、麻生さんはマスコミに声が届かないという不信感を持っているようだから、ブログみたいなもので少し言及しておこうかね。

 先週金曜日の本会議でぇ、今国会のぉ延長がこの9月30日までと決まりました。きわめて短期間の延長なんですが、そもそも端から四日間で会期をぅいうところが間違っている、のは、はっきりしているんだと思いますが、何となく形として新しく内閣ができたにもかかわらず、本会議四日間だけで予算委員会もなく終わるという発想からしてそもそも間違っている、と私にはそう思います。

 今やんなくちゃいけないとよく言われているので、こ、与野党で合意している法案がぁだけでも、とにかくあれでしょお、に、原子力事故調査委員会設置法、これ間違いなく与野党合意、二重ローンなきあれも合意、それから私立学校補助のやつも合意、これみんな合意してんだよ。合意しているにもかかわらず委員会が開けない。おかしいじゃない、そのなんでマスコミは叩かんのかねこれ、理解ができねぇできない。で、これ何回約束を反故にするつもりかねとぉ私らは率直にそう思っているんですが。

 加えて台風、12、15号いずれも上陸やら何やらで、これの速やかな対応を求められておる。だからこぉ災害特区なんか、即やるべきなんではないのかねえ
 それをやらない理由が、え、なんだってぇ、予算委員会をやってない前にやるということはできない。だったらその後やりゃあいい。その前にいない、今総理いないときにやればいいやん。事は急いでんだから、と、いう発想が何で出ないし、向いてる方向が国民の方向に向いてない。またそれも叩かないからマスコミの方も、何かずれてますよ。僕にはそれしか考えられねえ、今の話は。

 あー、そういった意味で、あのぉ、国会やる気があるのかって僕がそう思って思っていたら、今度は官房長官なる人が出てきて、国会の、お、次の国会は、三次補正だけ、やれば、後はいいとか

 これは国会の開会を政府が要請する、というのはあっても、国会の会期を決めるのは、これは立法府ですよ。与党、政府じゃないんだから。行政府じゃありません。いつから国会の会期のえん、期間が立法府から行政府に移ったんだね

 おかしいでしょうが、ということを全然おかしいと思っていない人がマスコミの中にいるんですよ。

 だから書かない。だから、書かないから気がついていない、っていう人が多いんだと思うけど。明らかに、おかしいんであって、どこ見てやってんですかねっていうのが、率直な実感ですな。我々、私たちから見ていて。

 とにかくぅ、今月ぅ末の30日まで、って言うんだったら、臨時国会ってのは二回延長できます。通常国会とは違いますから。二回延長できるんだから、もう一回大幅に延長して、やるべき事はやったらいいんじゃないのぉ

 僕はそれが率直な、ぅっ、とこなんであって。これ懸案は今言ったけど、これ与野党合意してるやつだけでぇ、今それだけあるぐらいですから、他にもいっぱいあるんで、そういった意味では懸案は山積みだと思ってるんで、そういったのは全部やってく、予算もやる、三次補正もちろん、そういったのが全部やって、大幅に延長した上で、はいできがったらそれで、堂々と解散総選挙に問わないと。

 これ何時までたっても国会の運営が「いや、しぃ、変わりましたから」「いや新しい人ですから」「何とかですから」って言ったって、ずっと、俺たちだって毎回変わってたっていうのが続いたけれども、そんな事を言い訳にしたことは、一回もないよ。

 しかし今回はそれが堂々とまかり通って、誰もそれを言わないというほうが僕は異常だということを、是非多くの人に気がついてもらいたいものだと率直に思いますね。よろしくお願い申し上げて、ご挨拶に代えます。


 「自民党が」「民主党が」あるいは「麻生元首相が」とか、そのあたりはどうでもよい。
 民主主義の原則論として、国会の開会を政府が要請するというのはあっても、国会の会期を決めるのは立法府であり、与党または行政府ではないというのは、きちんとさせたほうがよい。
 国会議員がきちんと立法府の自覚をもって、仕事してくださいよ。
 
 

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2011.09.23

[書評]あなたが輝くとき(西村由紀江・sasaeru文庫)

 西村由紀江さんのピアノ曲は好きだが網羅的に聞いてはいない。以前になるが、気にはなっていて、1986年デビュー以降の作品の、2002年時点の当時のベストアルバム「西村由紀江BEST しあわせまでもう少し」(参照)を聞き込んだら、ほとんどの曲を知っていたことに驚いた。

cover
あなたが輝くとき
(西村由紀江・sasaeru文庫)
 ベスト曲の大半はテレビ番組などで使われていたのだろうが、テレビをほとんど見ない私でも知っていた。なじみやすい曲想と演奏で、どちらかといえばコマーシャリズム的なイージーリスニングのようでもあるが、聞いているうちに、明るい曲想は気分転換になるのと、遠く懐かしいとでもいうような、ある種の情感を喚起させられるのが不思議な魅力に思えた。この人の魂のコアにあるものはなんだろうかと思った。
 それは文章にそのまま表れるというものではない。彼女は音楽家なので、音楽のなかにしか表れないものだ。それでも、あの、下品極まりない猥雑な「モーツアルトの手紙」(参照)の文章からトリステという情感を読み出した小林秀雄のように(参照)、どこかに通底路もあるに違いない。松任谷由実の、本当は出版したくなった「ルージュの伝言」(参照)にも、こっそりとその天才の秘密が書き込まれている。饒舌ともいえる中村紘子も言葉にもひっそりと秘密は明かされている。
cover
あなたが輝くとき
西村由紀江
 西村由紀江のアルバム「あなたが輝くとき」(参照)にあわせて本書が出版されたとき、すぐに飛びつき、アルバムの曲にあわせて読んだ。下品な言い方になるが、期待以上の文章がそこにあり、驚きもした。
 文章と彼女の音楽は、予想以上にきれいに結びついていた。文章家ではないので、文章の表現は稚拙にも見える部分あるが、心情は率直に表現されていて、その部分で彼女らしいピアノの旋律が正確に連想される。
 当たり前といえばそうなのだが、話すことが苦手な子どもだったからピアノに向かったというのもよくわかった。そのまま、プロの音楽家となってからも、言葉を求められることのつらさもよく表現されていた。彼女のあの旋律が、そうした子ども時代の感性にも由来していることもわかった。
 プライベートに近い部分の話にも驚かされた。移籍にまつわるつらい話は、おそらく業界ではごく当たり前なのだろうが、つらかっただろうというのがよくわかる。その章の言葉にはしっかりとした重みがある。

「どんなにイヤなことがあっても、ピアノが弾けなくなるわけではないし、曲が作れなくなるわけでもない。私が得てきた技術は、誰にも盗めない」
 辛いことがあるたび、自分に言い聞かせていた。それは、大きな強みとなって私を支えてくれたと思う。
「ピアノが天職なんですね」と羨ましがられるが、そんな簡単なものでもない。10年も20年も30年もかかって、はじめて「天職」と思えたのだ。蓄積は財産。それがあればこそ、リスクを冒してでも「きっといことがある」と、新しい世界に飛び込めた。

 書き写しながら、文章にライターの手が入っているなという臭いは感じられるが、心情は西村さんのそのものだろうと思った。むしろ、ライターの手が入っていたとしても気付かれなかったのは、「10年も20年も30年も」という表現の暗号的な意味合いだろう。デビュー25周年記念の「Smile Best」(参照)は、その蓄積の達成だし、このアルバムはベストアルバムでありながら、現在の彼女によって演奏しなおされていることもそうだ。そういえば「しあわせまでもう少し」も大半はその時点で演奏しなおされていた。
 新しい演奏のほうがよいと単純には言えないが、以前の演奏と比べて聞くと、ピアノの音の響きという点で、ぐっと引き込まれるものがある。「10年も20年も30年も」ということは具体的な音できちんと裏付けられるし、そのように彼女は生きて来た。
 技術の部分は本書にも書かれている。

「速く弾く」より「弱く弾く」方が難しいのと一緒で、「速く弾く」より「ゆっくり弾く」方が難しい。「ゆっくり」の究極といえば能。あの中腰、すり足の歩き方をマスターするには、たゆまぬ稽古による筋肉の鍛錬が不可欠だろう。ピアニストもまた、ゆっくりとした指の動きをコントロールするには、速く弾くときとは別の神経や筋肉が必要となる。

 それを頭で理解するのと、演奏に現れる差の感覚は異なる。意図してということではないのだろうが、西村さんが結果的に伝えている、ピアノの音というものの秘密である。
 この本では他に、ピアノ演奏家ならでは裏話や、彼女の多少意外にも思える、生い立ちに関わる話もある。知らなかったのだが、彼女は大阪出身で、大阪的な文化のなかで育ち、大阪人的な感性も持っている。テレビで鍾乳洞のレポーターをしていたという話もおもしろい。

そこに大阪からの観光客が何組もやってくるのだが、入るとみんな判で押したように同じことを言うのに気づいたのだ。
 まず入ると「暗っ」となり、2、3歩進むと「寒っ」、岩がぬれているので滑りそうになって「怖っ」、上から水滴が落ちてきて「冷たっ」と続く。その「暗っ」「寒っ」「怖っ」「冷たっ」というのが、くる人くる人、同じ順番で延々と繰り返されるので、おかしくてしょうがない。また、感情がこもったときには形容詞に「い」がつかないことも発見し、一人で満足した時間でもあった。

 「寒っ」という表現は先日のニュースでも話題なったが(参照)、彼女の感性はまたそれとは多少違う。子どものようにおもしろいなあという受容でもあり、それがまたあの明るい旋律にも通じている。
 
 
 

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2011.09.22

小坂明子の「Pianish」と「Pianade」

 「小坂明子」という名前を聞いて、「ああ、あの少女か」と思う人は多分、昭和32年生まれの私と同年代か、それより上の世代だろう。彼女も昭和32年生まれだが、1月生まれなので私より学年は一つ上になる。まあでも同い年。同じ時代を生きた人。「明子」という名前は巨人の星の「星明子」を連想させる。声は白石冬美。チャコちゃん。私以外の人にとってみるとどうでもいいことだが、私の初恋の人の名前でもある。姓は知らない。
 小坂明子のデビューは1974年。その年の紅白歌合戦にも出演している。17歳である。朝イチレポーター篠山輝信のお母さんのデビュー年齢で見るなら、普通にアイドルといった年齢でもあるが、前年の世界歌謡祭最優秀グランプリを16歳で受賞というのは衝撃的だった。作詞作曲も彼女自身である。天才と言っていい。その曲「あなた」は一世を風靡し、誰もが、世界の中心で「あなたぁ~」と絶叫した。ここは昭和33年生まれのしりあがり寿のイラストが欲しいところ。


もしも私が家を建てたなら
小さな家を建てたでしょう
大きな窓と小さなドアと
部屋には古い暖炉があるのよ

真赤なバラと白いパンジー
小犬の横には、あなた、あなた
あなたがいて欲しい
それが私の夢だったのよ
いとしいあなたは、今どこに


 宅建のCMソングなのか、小犬の横に恋人を並べる、ジョン・ファウルズ的な世界なのかよくわからない。たぶん、チッチとサリーの世界というのが当時を知るものの証言である。水森亜土の世界というのも許す。

ブルーの絨毯、敷きつめて
楽しく笑って暮らすのよ
家の外では坊やが遊び
坊やの横には、あなた、あなた
あなたがいて欲しい
それが二人の望みだったのよ
いとしいあなたは、今どこに

そして私はレースを編むのよ
私の横には、私の横には、あなた、あなた
あなたがいて欲しい


 怖すぎるだろ、それ。逃げるだろう、男、フツー。
 おちゃらけはさておき、そして、描かれた詩の世界も1970年代。欧米でもビートルズの甘ったるい歌謡曲がべちょべちょ流れていた時代。しかし、そのピアノの旋律は、美しいものだった。
 その後彼女は、1982年「あきらめないで―小坂明子のやせる本」(参照)がベストセラーになり、それはそうだろうという世間の声と、彼女自身のヨーヨーな日々もあった。が、そのあたりから、普通に作曲家となって成熟していたらしい。セーラームーンのアニメソングなども作ったらしい。が、私はよく知らない。
 才能というものの一つの安定的な帰結であるかもしれないとも思っていたが、私は同年の親近感を超えて、気になることがあった。簡単に言えば、おちゃらけでなく言えば、「あなた」の絶叫は暗いのである。メロディは美しさよりも不安なのである。本当の才能というものが抱え込む、魔的な深淵のようなものが、そんな成熟なんぞで片が付くものか。
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Pianish
 それは2006年の「Pianish」(参照)に静かに覚醒していた。小坂明子のピアノ曲アルバムである。ジャンルとしてはニューエージになるだろう。ここに「あなた」のピアノ曲が収録され、それはiTunesでの販売を通して、世界のニューエージ・ピアノでも高く評価された。
 正確に言えば、それは1970年代の「あなた」ではない。よくある、サザンオールスターズや宇多田ヒカルの曲のピアノ・アレンジ曲のようなものではない。もちろん、旋律は活かされているから、聞きながらつい歌詞に引き込まれ、それはエレガントなメロディに流されていくのだが、人の声を誘った歌は、聴いたことのないピアノの旋律のなかに溶け込んでしまう。別の曲なのか、これがそもそも小坂明子という天才の本質なのか、戸惑っていると、最後のリフレインで、ピアノの響きではあるが「あなた」の絶叫がある。なぜ、この人は絶叫するのか?
 答えは、同アルバムの「Dark Clouds」にある。タイトルに暗示される、暗雲らしい不安な、そしてある意味でニューエージ・ピアノ曲らしい手法のなかから、ラフマニノフ的な展開が出現し、能「井筒」の怨霊のように舞始める。ああ、これだ。懐かしくゲドの影に出会うような戦慄がよぎる。おそらくこの曲は、もっと壮大な曲に自らを変化させたいという呻きのなかで、しかし、短く静かに悲しく終わる。北斗の拳のトキの命の悲しみのような何か。
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Pianade
 その悲しみを均衡させるような静寂はアルバム全体を覆い、その部分は後続の「Pianade」に継がれていく。「Dark Clouds」にあった深淵は、このアルバムの「春雷」に少し現れるが、舞おうとはしない。そこでワキのようなギターが入る。総じて、音楽的には「Pianade」が優れていると言えるだろうが、何かがまた消えてしまう。
 この世ならざるものに焦がれて人生を翻弄されてしまうしかない人にとって、偽装されたオアシスのような作品群のなかで、静かさに悲しみとして敗退する光景として、「初恋」も切ない。タイトルからして、ツルゲーネフ的な初恋のイメージに潤色されている戦慄だが、深淵のほつれが見える。たぶん、「あなた」という絶叫の隠喩は、あらかじめ失われた初恋として啓示された何かであったのだろう。
 
 
 

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2011.09.19

キャサリン・マリー・チャールトン(Catherine Marie Charlton)のピアノ曲

 ピアノ曲が好きな人は多い。私もそう。クラシックやジャズ以外に、いわゆるニューエージと言われるジャンルのピアノ曲もけっこう好きで、明確にジャンル分けできない曲想もいいと思っている。最近キャサリン・マリー・チャールトン(Catherine Marie Charlton)の曲をよく聞くので、ご紹介。

cover
Undershore
Catherine Marie Charlton
 一番気に入っているのは、「Undershore」(参照)。iTunesでも購入できる。
 ベスト曲は、タイトルにもなっている、オープニングの"Undershore"。瞑想的で複雑で情熱的。能に使えそうな幻想性もある。サビはラベルのガスパールやショパンのプレリュード嬰ハ短調のような、この世ならざる存在者の快楽的な失墜感もある。
 2曲目の異国風な"The Lonely Cobbler"や、パーカッションが導入される3曲目の"Moon Twist"も"Undershore"と同じコンセプトから引き込まれる。"Asymptote"では、メロディアスな具象性と数学的な抽象性の交錯も美しい。アルバムのエンディングは"Undershore"にパーカッションとフルートを入れてアレンジした"Undershore Flow"で、幽玄の余韻がある。
 ただ、このアルバムはジョージ・ウィンストン(George Winston)的ないわゆるニューエージ・ピアノのイメージで聞いているとちょっと違和感があるかもしれない。その点で、普通に聞きやすい曲は、なじみ深いメロディーをモチーフにした"Shenandoah"だろう。癒しの音楽のようにも聞くことができる。まずこの一曲だけ切り出して聞いてもいい。
cover
River Dawn:
Piano Meditations
Catherine Marie Charlton
 6曲目の"River Dawn"は、彼女の以前のアルバム"River Dawn"によるもの。このアルバムは副題にピアノ瞑想とあるように、彼女の瞑想的な作品。
 "River Dawn"のモチーフはアルバム"Undershore"に含まれている曲が短い分だけ、くっきりとしているが、アルバムのほうでは、このモチーフで1時間にわたる演奏が続く。
 瞑想ということもあって、"Undershore"のような情熱は抑えられているが、離散的な部分は、ジョン・ケージ(John Cage)の初期作品「In a Landscape」(参照)に似た印象もある。もちろんチャールトンは、ケージのような音楽的な実験といった作風はなく、いかにもニューエージ・ピアノ曲的な心地よさでもある。即興的な演奏ミスではないかとも思えるような不協和音も面白い。
 同アルバムは、脳波に影響すると言われるバイノーラル音を入れたバージョンもある(参照)。
 と、書いてみたものの、チャールトンについてはピアノ音楽以外にはあまり知らない。彼女自身のサイト(参照)に、各種情報があるにはあるのだが、それ以外の客観的な情報はわからない。
 背景としては、クラッシックからジャズに進んだ人のようでもあり、なるほどその双方の技法はよくわかる。が、そのいずれでもないピアノ曲になっている。
 10月に新しいアルバムが出るらしく、プレビューも聞くことができる。聞き込んでいないのでよくわからないが、期待している。
 
 
 

音楽は"Moon Twist"

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