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2011.08.27

Kindle(キンドル)を買った

 Kindle(キンドル)を購入してみた。Kindleはアマゾンが販売している電子書籍閲覧用の装置である(参照)。電子ブックリーダーとも言う。日本でもソニーなどが同種の装置を販売している(参照)。結論からすると、買ってよかった。大変に便利な装置である。

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【米国特別価格】
Amazon kindle3 WiFi
 ツイッターでフォローしている人が、先日Kindle(キンドル)を買い、満足しているという話を見かけた。そうなのかと思い、ドル円相場を見て、それと8月という月にはちょっとした思い入れもあって、やはり買おうと決めたのだった。
 それまで購入をためらっていたのには理由がある。それほど英書を読むわけでもない。英書もペーパーバック(粗製本)で買えばよい。わざわざ電子書籍で読むことはない。そうしたことが一点。
 ためらっていたもう一点は、iPad2を買ってそのアプリケーションとしてのKindleでけっこう満足していたことだった。性能的には、タッチ操作ができるiPad2アプリケーションのKindleのほうが、装置としてのKindleよりもよいかもしれない。
 iPad2には標準でAppleの電子書籍用アプリケーションとしてiBookもあり、これも便利だった。ちなみに、こちらのほうはちょっとした作業を加えると、英書を読むとき隠し機能の英和辞書が利用できるようになる。
 iBookとkindleのどちらのアプリケーションを使い分けるかというなかで、さらに装置としてのKindleがあっても使わないのではないかという思いもあった。もちろん、Kindle用の電子ブックは米アマゾンで購入できるが、Appleは日本向けには電子書籍の販売をしていない(配布されているのは無料の古典のみ)。コンテンツの点では圧倒的にKindleが有利である。しかも、Kindleとして購入した電子書籍は、iPad2やiPhoneのkindleのアプリケーションでも読むことができる。
 私にとってKindleの何がよかったのか。三点ある。一つ目は軽いということだ。軽いというのは決定的だった。iPad2もさほど重たいものではないが、一時間も手にしていると、年のせいか翌日腕に奇妙なコリができて数日痛かった。落としてはいけないという緊張感もあって力を入れすぎる面もあるだろう。iPad2はデスクにおいて使えばよいではないかという意見もあるだろうが、軽いKindleを使ってみて思ったのは、これなら普通に文庫本やペーパーバックのような感覚で手軽に読めるということだ。サイズ的にも手のひらに収まり、操作性もよい。
 二点目はバッテリー(電源)の保ちがよいこと。スマートフォンを使っていてなにが一番嫌かというとバッテリー消費が激しいことだ。これではまともにアプリケーションも使えない。必然的に予備バッテリーも持ち歩くことになる。その点で電子辞書などはバッテリー消費が少ないが、白黒表示のKindleにもそうしたメリットがあるとはわかっていた。実際に使ってみると数日バッテリー管理をしなくて済むのは、とても自然だ。読みかけの本をそのまま放置しておいてもなんの問題もない。コネクタもスマートフォンと同じUSBなのでアダプターが増えるわけでもない。
 三点目は読みやすいということ。電子ペーパー(E Ink)を使っているので液晶画面のようなぎらつきがなく、普通に紙に印字されたように読める。目の疲労も少ない。カラー表示はできず白黒表示のみだが階調があり意外なほど写真もきれいだ。スクリーンセーバーの写真が洒落ていて美しい。電子ペーパーについての個人的な印象に過ぎないのかもしれないが、ページ切り替えのときの、瞬時の暗転はソニーリーダーよりも自然だった。前ページの焼けも少ない。Kindleはこの表示部分だけでもかなりのクオリティーがあるようだ。なるほど漫画の自炊本(手製で作成する電子書籍)が流行るわけだ。
 購入してみてわかったその他のメリットもある。意外と日本語が読みやすい。書体がゴチックしかなく、しかも横書きなので、およそ書籍として読めるものではないなと当初から断念していたが、青空Kindleという無料サービスで青空文庫の書籍をPDF形式に変換すると、明朝系の書体で縦書きで読める。ルビも付く(若干これには問題もある)。試しに、「渋江抽斎」をKindleで読んでみたが、読んでいるうちにKindleを使っていることすら忘れる快適さである。もちろん印刷表示に近いPDF形式なので、「i文庫」アプリケーションで読むような辞書との連携はできない点は不便だ。ちょっと調べながら読みたいと思い、結局「渋江抽斎」については注釈の多い文庫本でさらに再読した。この話は別途エントリーに書きたいと思っている。
 Kindleにはブラウザーの機能もあり、機能的には遜色はないが、表示が白黒であるのとWi-Fi回線でも動作が低速だ。現状実験的機能とされているのも理解できる。カーソルしか使えないので操作性もよくない。
 そういえば当初、Kindle購入で、Wi-Fi版にするか、携帯電話のような3G回線付きの版にするか悩んだ。3G回線が無料で使えるというのは大きな魅力に思えたからだ。しかし、ブラウザーの機能が弱いのであれば、外出でも情報閲覧はスマートフォンに任せたほうがよい。
 ではなぜ3G回線のサービスがあるのか。Kindleを購入して使ってみたら、あっさりわかった。これは新聞のためである。読者がどこに居ても新聞を配送できるようにするには、3G回線を付けておくほうがよいという長期的な経営判断なのだろう。
 おまけの機能という点では、音声読み上げ機能(音読)も予想したよりよい。かなり自然に聞こえる。読み上げ機能の操作性はよくないが、さほど操作性が必要となる機能でもない。ちなみに、読み上げ時に、Aaボタンを押すと、読み上げの声を女性にしたり、速度が設定しなおせる。
 もう一ランク上の使いこなしということになるだろうが、Calibreというフリーソフトの併用も便利だった。パソコン内の電子書籍とKindleの管理が一元化できる。いわば、電子書籍向けのiTunesのようなもので、iBook用に作成したEpubの書籍もKindleのmobi形式に簡単に変換できた。そのほか、簡易な電子書籍も作成できる。
 話が散漫になってきたので、二点、余談で終える。辞書はさすがに英辞郎が優れていた。時計の機能がないと探していたら、Menuキーを押せば表示されるのであった。


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2011.08.25

[書評]決断できない日本(ケビン・メア)

 メア氏の自著「決断できない日本(ケビン・メア)」(参照)が出版されると8月の頭ごろだったか聞いて、出版前にアマゾンに予約しておいたが、なぜか配送は遅れ、そのため読むのも遅れてしまった。書店に先に並ぶほうが早かった。アマゾンの予約が殺到していたのだろうか。
 本書に期待される話題といえば、まず、共同通信による「沖縄はゆすりの名人」報道についての本人弁であるが、もう一点、事前の報道で「米政府が福島第1原発事故直後、東京在住の米国人約9万人や在日米軍を避難させる最悪のシナリオを検討していた」(参照)というのも興味深くは思えた。

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決断できない日本 (文春新書)
ケビン・メア
 共同通信による「沖縄はゆすりの名人」報道についてだが、もとから発言の原資料は残されていないので真義の確認はできない。そのあたりをどのように弁じるかに関心を持った。結論から言えば、共同通信が問題視した講義の真相についてはわからない。だが、関連して二点わかったことがある。共同通信石山記者の立場と、発言の背景となるメア氏の基本的な沖縄観についてである。
 共同通信による「沖縄はゆすりの名人」報道については、「メア氏問題の背景: 極東ブログ」(参照)で言及した内容が本人から確認できたという意味で、私には驚くような情報はなかった。だが、あの時点で疑問に思った次の点については多少驚いた。私はこう書いた。

 以上の経緯からすると、先の共同通信編集委員石山永一郎氏の署名記事も、証言の信憑性や評価を考える上では、重要性の低い証言となる。「再取材」という点からはおそらく、石山氏と猿田氏、バイン准教授の事前の関連も疑われる。

 では、事前の関連はあったのか。
 証言とされるメモを作成した学生について、本書にはこのような話がある。

 学生たちは十二月十六日から約十三日間、東京および沖縄に行っています。学生たちが自ら書き込んだブログによると、来日してすぐに、彼らのうちの幾人かは、なんと私の記事を配信した共同通信の石山記者の東京・葛飾の自宅に泊まっていることがわかりました。

 該当のブログは現在削除されているらしいが、共同通信の石山記者邸で学生たちが供応を受けたことは事実であろうと思われる。
 それだけで、石山記者と学生の事前の関連はあったことになり、さらにそれを率いる猿田氏との関連も繋がる。猿田氏は石山記者のインターンであるとメア氏に述べている。
 私の判断からすれば、以上の点だけでも、共同通信石山記者はこの事態の関係者であって報道の立場としては不適切である。
 メア氏が疑問に思うのも当然であろう。本書にある「記者としての5つの倫理違反」より。

①まず石山記者は東京在住であり、ワシントンにオフィスがない以上、猿田氏が石山記者のインターンであるとは考えにくい。なぜ沖縄旅行のリーダーであり弁護士の猿田氏がインターンと称して石山記者の取材を受けてくれと依頼してきたのか。
②記事のもとになった「発言録」を後に書くことになる学生たちを自宅に泊め食事で接待するなどということをしていいのか。双方の信頼性、客観性を損なうものではないか。
③なぜ石山記者は、自分の家に学生たちを泊めながら彼らの沖縄観察については何も触れずに、私に最初の取材依頼をしてきたのか。また私と直接会ったときには学生たちがつくったという「発言録」についてまったく触れなかったのはなぜか。アリバイづくりの取材ではないか。

 メア氏の意見は除き、事実と見られる部分だけ抜き出して考察しても、今回の報道にはかなりの問題があることはほぼ確実だろう。
 しかしこの問題だが、当初共同通信が配信したとき、他のメディアが採用するかためらい、空気が醸成されてから追従して扱い出したズレがあり、他メディアとしても実は内情の仕組みを知っていたのではないかと私は想像している。
 そしてその後の経緯についても、実際には各種メディア内でこっそりとあの失点についてはこれ以上言及しないという暗黙の合意があるようにも見える。この問題はメア氏がいくら弁明しても日本のメディア的な動きはもうないだろう。
 このことは、しかし、実際のメア氏の発言がどのようなものであったのかということとは独立している。では、それはどのようなものだったのか。本書に説明される背景から窺える部分がある。
 「怠惰でゴーヤーも栽培できない」についてが一例になる。この点について、背景となる彼の沖縄観を述べて、枠組みからの反論を提供している。

 同様に「怠惰でゴーヤーも栽培できない」と発言したとする報道も完全に間違いです。
 私の説明は、学生からの「補助金の影響」についての質問に答えたものです。わかりやすい例としてゴーヤーを挙げました。亜熱帯の沖縄に赴任するとき、マンゴーやパパイヤといった果物や野菜がたくさん食べられると楽しみにしていましたが、行ってみると亜熱帯の果実はほとんどなくサトウキビばかりでした。なぜなら、サトウキビ栽培には補助金が出る。地元名産のはずのゴーヤーも沖縄では栽培量が足らず、ときには宮崎などから取り寄せていると沖縄の知人から聞きました。台湾や東南アジアと比べて価格競争力がない沖縄でサトウキビを栽培するのは、補助金がついているからでしょう。これも補助金システムの悪影響ではないでしょうか。
 農業に補助金が出るのはアメリカでも同じです。沖縄の方々が怠惰ゆえにゴーヤーを作ることが出来ないなどと私が言うはずもないことはおわかりいただけると思います。

 「発言録」に唐突にゴーヤーが登場する理由を考察すれば、沖縄人の怠惰を議論したものではなく、補助金の仕組みの議論であったことは想定できる。その点を差別的な発言として共同通信が暴露報道するのであれば、もう少し丁寧な手法が必要であっただろう。
 ただし、沖縄については、おそらくメア氏より詳しい私にしてみると、この説明にもいろいろと問題はある。そもそもサトウキビに補助金が付いているのは、米軍統治下での行政府の伝統があり、そのあたりはおそらくメア氏も理解していないだろう。
 本書で期待していたもう一点の「福島第1原発事故直後、東京在住の米国人約9万人や在日米軍を避難させる最悪のシナリオ」についてだが、この話の真相はメア氏の述べるところが正しいように思われる。理由は、このこのシナリオの存在はすでにNHK報道でもなされていることなので信憑性が高いこと、また、今回の事態でコーディネータとして米側タスクフォースに参加していたメア氏の日本観(「二人の息子と娘一人」の「二つの祖国」)から氏が十分に反論しただろうことも、本書の全体の主張から調和的であることからだ。
 私の驚きは、むしろ次の点だった。

 だが、タスクフォース発足早々、最初の不気味な情報が飛び込んできました。それはワシントン時間の三月十一日深夜(日本時間十二日午後)のことで、「東京電力から『在日米軍のヘリは真水を大量に運べないか』という問い合わせが駐日米国大使館にあった」との情報が寄せられたのでした。
 この時点では福島第一原発の現状に関する確たる情報は入っていませんでした。後に判明しるように、既に炉心溶融(メルトダウン)を起こしていた原子炉一号機格納容器の開放(ベント)をめぐって状況が錯綜していた時期に、東電は真水の大量搬送の可能性を探っていたことになります。


 この情報は、東電が原子炉冷却のための海水注入を躊躇していることをも示していました。海水注入は原子炉を傷め、最終的に廃炉を余儀なくします。福島第一原発事故の稚拙な初動対応は今後、多角的に検証されるでしょうが、事故発生直後、東電は廃炉を想定せず、あくまで原子炉を温存しようと考え、一刻一秒を争う待ったなしの局面で、真水を求めて右往左往し、貴重な時間を費やしていた疑いは否定できないのではないでしょうか。
 そして案の定、真水をめぐる情報が流れた数時間後、一号機は轟音とともに水素爆発を起こし、建屋の上部は骨組みだけの無残な姿に変わり果てていました。

 メア氏は東電の右往左往を問題視しているが、この事態で重要なのは、この東電から駐日米国大使館に入った情報がどうやら菅政権側には入っていなかったように見えることだ。「だから、福島の事故でも、官邸や経産省にもたいした情報は入っていなかったのだろうと私は睨んでいました」とメア氏も推測している。

 これは笑い話ではありません。未曾有の危機に際して情報を吸い上げる国家のパイプが目詰まりを起こしているという由々しい事態が日本を襲っていたのです。

 私のあの時点で日本政府は消えていたのだろうと考えている。
 関連した情報についても、当時このブログで想定した内容がほぼ裏付けられるように同書で描かれていることにも既視感があった。余談だが、次の箇所は、このブログを氏か氏の関係者が閲覧したのではないかとも興味深く思った(参照)。れいのヘリコプターによる撒水について。

 その後、「二階から目薬」といううまい言い回しが日本語にあることを知りましたが、海水投下作戦はその効果のほどはともかく、何かをやっているということを誇示せんがための、政治主導の象徴的な作戦だったと思います。

 さて、本書の評価だが、このブログとの関連もあり、当初の興味の部分から述べてきたが、通して一冊の著作としてみると、これらの論点はさほど重要ではない。むしろ、表題にある「決断できない日本」という根幹の問題について、わかりやすく総合的に解説されている点のほうに価値がある。日本という国がどういう状況に置かれているのかという問いに対して、高校生でもわかる答えの一例がここに書かれていると言ってもよいだろう。ただし、私と同じ意見ではないのは当然のことだが。
 そうした日本の根幹的な問題をどう考えたらよいのか。例えば次のような例ですらあまり日本では問われていないし、問われるときは奇妙なイデオロギーに着色されてしまう。

 最近、中国商務部は、息のかかった企業を通じて沖縄の不動産や土地を活発に購入しています。中国が日本各地の土地を買い漁っているという実態が次第に分かってきていますが、沖縄もそのターゲットになっていることは要注意です。私が沖縄米国総領事在任当時、中国が沖縄で総領事館を開く可能性を日本政府に打診したが、幸い断られました。何のために中国が沖縄で総領事館を開きたいかという点は想像にお任せします。

 私もこの状況について多少知っているが、多少の部分でメア氏の認識と異なる部分もある。
 本書については、日本のあり方についてメア氏がどう問うているのかということを論点にして、それについて私がどのように異論を持つかということが、エントリーの内容であるべきだろうが、率直に言って、メア氏関連のエントリーをできるだけ公平に書こうとしてもかなりのバッシングを受けてきたので辟易としている。これ以上の言及は気が進まない。
 それでも、共同通信報道やその他の日本観といったことをすべて抜きにして、今回の大震災の「トモダチ作戦」において、氏が尽力してくれたことには微塵の疑念もない。
 ありがとう、メアさん。

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2011.08.24

トリポリ陥落の印象

 リビア、トリポリの攻略は見事なものだった。ここまでエレガントな展開になると予想もしていなかった。そう思うと同時に、これはいったいどういうことなんだろうかという疑問も残った。
 私の印象からすれば、これは「トロイの木馬」である。もちろん古典的な意味のそれではない。市街を安全に見せかけた状態で、外見、兵力とは見えないような偽装部隊を城壁の内部に引き入れて、夜陰に乗じて発動させたのだろう。トリポリの市民に見せかけたフランスや英国の特殊工作部隊だっただろう。種明かしの一部は、ガーディアンの「Battle for Tripoli: pivotal victory in the mountains helped big push」(参照)やテレグラフの「Libya: how 'Operation Mermaid Dawn', the move to take Tripoli, unfolded」(参照)などから窺える。国内の孫引き報道としては、テレグラフを引いた産経新聞「「参加せよ」議長の一声が蜂起の合図 英紙報道」(参照)がある。


 23日付英紙デーリー・テレグラフによると、英情報局秘密情報部(MI6)は反体制派組織「国民評議会」と10週間前に合意した攻略作戦を入念に点検。反体制派はトリポリに武器や通信機器を密輸して臨時集積所に隠す一方、戦闘に慣れた兵士を潜入させた。
 作戦が始まったのはイスラム教のラマダン(断食月)真っ最中の20日朝。英空軍の攻撃機トーネードなどがカダフィ大佐の本拠地である市内の通信施設や秘密情報本部を空爆。同日夕に国民評議会のアブドルジャリル議長がカタールのリビア向けテレビ放送に出演し、「イベントに参加せよ」と呼びかけ、これが一斉蜂起の合図となった。
 午後8時ごろ、潜入していた反体制派勢力が中心部のモスク(イスラム教の礼拝所)を占拠、スピーカーで「カダフィ大佐を打倒せよ」と叫び続けた。携帯電話のテキストメッセージでも市内の反カダフィ派に決起を呼びかけた。
 カダフィ派部隊はその日、トリポリ西48キロのザーウィヤで反体制派と戦闘中だった。首都で突然、反体制派が蜂起したことにカダフィ大佐は虚をつかれ、体制の崩壊を早めることになったとみられる。

 テレグラフ記事はさも種明かしふうに描いているが、ガーディアン記事のほうはさほど明確ではない。印象だが、伏せておくべき活動があるのだろうし、その理由は国連決議の範囲や他の独裁主義国への対応もあるだろう。もっとも、具体的にどのようにトリポリが制圧されたかという手順についてはいずれ解明されることだろう。
 米国側からは上空からの情報が提供されたようだ。結果からすれば、それらが非常に巧妙に機能したとしか言えないし、その意味では、先日のビンラーディン師暗殺の拡大版のようでもある。
 国際メディアへの広報も巧妙だった。すでに報道があった時点でトリポリは陥落していたかのようだった。これは本当なのだろうかという疑念を各種の映像が打ち消していったが、ある種のエンタテインメント感には後味の悪さも残った。
 いずれにせよ瞬時にカダフィ体制は崩落した。復活ももうないだろうと思われる。各国の高級紙の社説も今後のリビア体制について話題を転じている。テーマは、表向きはリビアの民主化ということだが、内実はイラクと同じように石油資源の問題がある。毎日新聞「リビア:「中露の原油利権排除」 支援なしで反体制派」(参照)がその部分を報じている。また韓国が早々にリビアでのオイルビジネスに乗り出したことをCNN「Korea stakes claim in post-Ghadafi Libya」(参照)などが伝えている。
 さて、一応、リビアのお話としてはそういうことだ。「アラブの春」というお話に仕立てられないわけでもない。それはそれとして、心にひっかかることが二点ある。
 一つは、結果からすれば誤報だったが、カダフィ大佐の次男で後継候補と見られてきたセイフイスラム氏が反体制派側に拘束されたというニュースである。CNN「リビア反体制派「カダフィ大佐の息子2人を拘束」」(参照)で確認しておこう。

トリポリ(CNN) リビアの最高指導者カダフィ大佐の打倒を目指す反体制派は22日までに、カダフィ大佐の次男で有力後継候補のセイフイスラム氏と、三男で元サッカー選手のサアディ氏を拘束したと発表した。政権側からのコメントはなく、真偽は確認されていない。
 東部ベンガジで結成された反体制派組織「国民評議会」の幹部は21日深夜、首都トリポリでセイフイスラム氏を拘束したと発表。続いて22日早朝、西部の反体制派報道官が同氏の拘束を確認するとともに、サアディ氏も拘束されたと述べた。
 同報道官はさらに、反体制派がトリポリ市街の大半を掌握し、政権側支持者らの集会の場となっていた中心部の「緑の広場」まで進攻したと述べた。
 セイフイスラム氏は20日夜、反体制派がトリポリを掌握しつつあるとの報道を一蹴していた。
 カダフィ大佐も同日、2度にわたる演説で、反体制派を「帝国主義者への協力者」「裏切り者」と非難。トリポリで起きているのは「ごく少数のグループ」による戦闘だとの主張を繰り返した。
 北大西洋条約機構(NATO)のラスムセン事務総長は声明で「カダフィ政権は明らかに崩壊しつつある」と述べ、「カダフィ大佐は自国民との戦いに勝てないことを一刻も早く認めるべきだ」と強調した。
 トリポリ市内には21日夜の時点で、銃声や爆発音が響いていた。外国人記者らが滞在するホテルの近くでも激しい銃撃戦があった。

 その後、セイフイスラム氏は市街に姿を現した。同じくCNN「カダフィ大佐次男、報道陣の前に姿現す「父は市内に」」(参照)より。

(CNN) 反体制派に拘束されたと伝えられたリビアの最高指導者カダフィ大佐の次男、セイフイスラム6 件氏(39)が22日夜から23日にかけ、首都トリポリで報道陣の前に姿を現した。
 セイフイスラム氏は父カダフィ大佐の所在について、姉妹数人とともにトリポリ市内にいると説明。セイフイスラム氏は反体制派の首都進攻について、カダフィ大佐の支持派が「あのネズミどもとギャング集団の背骨をへし折った」と公言。政府軍は「トリポリは無事だと人々に納得させる」と強気の姿勢を見せた。
 セイフイスラム氏については反体制派が先に身柄を拘束したと発表し、人道に対する罪の容疑で同氏を手配している国際刑事裁判所(ICC)が引き渡しを求める意向だと伝えられていた。しかしICCの逮捕状について尋ねられたセイフイスラム氏は、「ICCなどくたばれ」と吐き捨てた。
 さらに、自分の拘束が伝えられたのは反体制派のまやかしだと話し、自分はずっと部隊を連れてトリポリ市内を移動していたと主張した。

 何があったのか。3つの可能性が考えられる。(1)単なる誤報、(2)意図的な誤報、(3)誤報ではなかった。
 単なる誤報という可能性がないわけではない。だが、このトロイの木馬型の作戦では広報機関を初期に狙っているし、そこから情報が流されたという点で、作戦の一環としての意図性が疑える。そうであれば作戦とどのような関連があったのだろうか。
 誤報ではないとすると、逃亡したか、あるいはなんらかの陰謀論的なストーリーも考えられる。例えば、カダフィ側とトロイの木馬部隊にはなんらかの取引があったのではないか、など。
 この疑念はもう一つの疑念に関連する。当のカダフィ大佐はなぜ捕まらないのか。英仏の特殊部隊が指導した鮮やかな作戦なのに、なぜこの瑕疵があるのか。
 疑問に思うのは、私は当初、この戦争のエレガントな解決は、カダフィ大佐の暗殺か捕獲であろうと思っていたことがある。象徴たるカダフィ大佐が、ビンラディン師のように消えてしまえば、事態は収拾しやすいはずだと。
 ところが現実はその逆になった。案外、特殊部隊が練り上げた作戦は、当初からカダフィ大佐を暗殺しないことになっていたのではないか。
 それとも、早々にカダフィ大佐が捕獲されましたという報道が入るのだろうか。


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2011.08.23

朝日新聞「住民検査で初の1ミリシーベルト超検出」という記事の不可解さ

 不可解なことであるが些細な話とも言える。気になったのでメモがてらに書いておきたい。話題は、福島県南相馬市実施した住民の内部被曝検査についての報道である。
 気になったのは、13日付け朝日新聞「住民検査で初の1ミリシーベルト超検出 南相馬の男性」(参照)である。気になる部分は太字にしてみた。


2011年8月13日20時55分
 福島県南相馬市が住民の内部被曝(ひばく)を調べたところ、60代の男性1人から1ミリシーベルトを超える数値が検出されたことが分かった。市立総合病院が13日発表した。住民の検査で1ミリシーベルト以上の内部被曝が明らかになったのは初めて。
 今回はホールボディーカウンターと呼ばれる機器を使い、体内に取り込まれた放射性セシウムなどによる将来にわたる被曝量を評価した
。放射性物質の量が半分になる期間は、セシウム137では尿や便などに混じって排泄(はいせつ)される分も考えると0~1歳児で9日間、31歳以上で89日。放射性物質は現時点では相当減っていると見られている。
 調査は放射線量が高い地区で暮らしている16歳以上の569人と、原発事故時に市内に在校していた6~15歳の小中学生330人が対象。同病院によると、1.02ミリシーベルトが測定された60代男性は3月12日、水を確保するために山中に滞在していたという。

 さらっと読んで、年間で1ミリシーベルトを超える内部被曝となると、国が定めている1年間の線量限度を超えるので、懸念される事態ではないかと思う人もいるかもしれない。記事のトーンとしては、そういうふうに読まれてもしかたがない。
 実際はどういう事態なのか。同じニュースについて、同日の産経新聞記事「1人が内部被曝1ミリシーベルト超 南相馬市が900人調査「緊急治療必要なし」」(参照)は、こう伝えているので比較してみたい。比較として注目する部分は太字にしてみた。

 福島県南相馬市は、小中学生を含む市民約900人の内部被曝(ひばく)検査で、体内に取り込まれた放射性セシウムによる被曝線量が今後50年間の換算で1ミリシーベルトをわずかに超えた人が1人いたものの、ほとんどの人は0.1ミリシーベルト以下だったとの調査結果を13日、まとめた。
 一般人の1年間の線量限度は1ミリシーベルトで、「50年間で1ミリシーベルト」はこれを大きく下回る。南相馬市は「現時点では日常生活に伴う内部被曝量は少ない」としている。
 福島県民の内部被曝検査は浪江町や飯舘村などで先行実施され、測定した放射線医学総合研究所(千葉市)の公表分では、これまで1ミリシーベルトを超えた人はいない。
 南相馬市の検査を受けたのは、市内で空間放射線量が比較的高い特定避難勧奨地点に住む15~91歳の男女569人と、市内の小中学生330人。東日本大震災後に市外へ避難し、その後戻った住民も含まれる。

 問題となる福島県南相馬市の60代男性は、内部被曝1ミリシーベルトであるが、これは「50年間の換算で」ということである。一般人の1年間の線量限度である1ミリシーベルトを大きく下回る。産経新聞の記事にも強調されているように、ニュースの意味としては、緊急に懸念される内部被曝はなかったということになる。先の朝日新聞記事のトーンとは逆である。
 先の朝日新聞記事は、朝日新聞にありがちなミスリードなのだろうか。単なる勘違いではないと思われるのは、元になると思われる同日の署名記事「住民検査で初の1ミリシーベルト超検出 南相馬の男性」(参照)の追記的な部分についてである。前半は先の記事と同じ。

2011年8月13日20時55分
 福島県南相馬市が住民の内部被曝(ひばく)を調べたところ、60代の男性1人から1ミリシーベルトを超える数値が検出されたことが分かった。市立総合病院が13日発表した。住民の検査で1ミリシーベルト以上の内部被曝が明らかになったのは初めて。
 今回はホールボディーカウンターと呼ばれる機器を使い、体内に取り込まれた放射性セシウムなどによる将来にわたる被曝量を評価した。放射性物質の量が半分になる期間は、セシウム137では尿や便などに混じって排泄(はいせつ)される分も考えると0~1歳児で9日間、31歳以上で89日。放射性物質は現時点では相当減っていると見られている。
 調査は放射線量が高い地区で暮らしている16歳以上の569人と、原発事故時に市内に在校していた6~15歳の小中学生330人が対象。同病院によると、1.02ミリシーベルトが測定された60代男性は3月12日、水を確保するために山中に滞在していたという。

 小中学生の検査では2人から最大0.41ミリシーベルトが検出された以外は全員が測定可能な数値を下回っていた。16歳以上では98%にあたる561人が0.5ミリシーベルト未満だった。
 桜井勝延市長は「1ミリシーベルトを超えた人は事故当日の外出状況の影響が大きい。ほかの人の数値は想像よりかなり少ない量で、安心できるレベルだ」と話した。
 放射線影響研究所顧問の錬石(ねりいし)和男さんは「一般の人が年間に浴びる線量限度(1ミリシーベルト)を少し超えた程度で、身体影響はほとんど問題にならない。がんの発生や染色体の異常が現れる数字ではない」と話している。(木原貴之、鈴木彩子)

 署名記事では、錬石和男・放射線影響研究所顧問のコメントを加えているが、このコメントでは、「一般の人が年間に浴びる線量限度(1ミリシーベルト)を少し超えた程度」とあり、このコメントを加えることで、逆に前半の内部被曝が年間のような印象を与える修辞なってしまっている。
 あるいは、朝日新聞は、「50年間の換算」ということと「1年間」の差違がそもそも理解できていないのであろうか。ちなみに、この誤解はありがちとも言えるもので毎日新聞記事「記者の目:内部被ばくだけの数値明示を=小島正美」(参照)が参考になる。
 朝日新聞がこの程度のことを理解してないのでは困ったものだが、ありえないことでもない。そう思っているうちに、ふと奇妙なことに気がついた。同記事のはてなブックマークに該当記事の自動クリップの痕跡があるのだが、これが現在掲載されている記事と異なるのである。このような痕跡(参照)がある。

印刷 関連トピックス原子力発電所  福島県南相馬市が住民の内部被曝(ひばく)を調べたところ、60代の男性1人から1ミリシーベルトを超える数値が検出されたことが分かった。市立総合病院が13日発表した。ホールボディーカウンターと呼ばれる機器を使い、体内に取り込んだ放射性セシウムによる内部被曝の将来にわたる総量を50年換算(成人)で評価したもの。住民の検査で1ミリシーベルト以上の内部被曝が明らかになったのは初めて。  放射線量が高い地区で暮らしている16歳以上の569人と、原発事故時に市内に在校していた6〜15... > このページを見る
最終更新時間: 2011年08月13日21時43分

 先の記事と比べてほしいのだが、文章構成も先の記事とは異なっている。内容として決定的に異なっているのは、こちらの痕跡には「将来にわたる総量を50年換算(成人)で評価した」という明記が含まれている。
 ここから普通に推理されることは、はてなブックマークに残す痕跡が最初の記事で、その後、現在のバージョンに改訂されたということだ。しかし、現在表面的に残されている記事の時刻スタンプからは、はてなブックマーク痕跡のほうが新しいため、それは明瞭にはいえない。また、もしその推理が正しいなら、朝日新聞記事の時刻スタンプも改訂(改竄と言ってよいだろう)されていることになる。
 この問題が追及できるのはここまでだろうと思っていた。が、同記事がブログなどに引用されたものはないかと試しに調べてみると、阿修羅という掲示板に次の引用(参照)を見つけた。これははてなブックマーク痕跡と同一の文章であると思われる。

住民検査で初の1ミリシーベルト超検出 南相馬の男性 (朝日新聞) 
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/535.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 8 月 14 日 00:36:48: igsppGRN/E9PQ
住民検査で初の1ミリシーベルト超検出 南相馬の男性
http://www.asahi.com/national/update/0813/
TKY201108130355.html
2011年8月13日20時55分 朝日新聞
 福島県南相馬市が住民の内部被曝(ひばく)を調べたところ、60代の男性1人から1ミリシーベルトを超える数値が検出されたことが分かった。市立総合病院が13日発表した。ホールボディーカウンターと呼ばれる機器を使い、体内に取り込んだ放射性セシウムによる内部被曝の将来にわたる総量を50年換算(成人)で評価したもの。住民の検査で1ミリシーベルト以上の内部被曝が明らかになったのは初めて。
 放射線量が高い地区で暮らしている16歳以上の569人と、原発事故時に市内に在校していた6~15歳の小中学生330人が対象。同病院によると、1.02ミリシーベルトが測定された60代男性は3月12日、水を確保するために山中に滞在していたという。
 小中学生の検査では2人から最大0.41ミリシーベルトが検出された以外は全員が測定可能な数値を下回っていた。16歳以上では98%にあたる561人が0.5ミリシーベルト未満だった。

 はてなブックマークの痕跡と付き合わせて見ると、阿修羅という掲示板が朝日新聞記事を改竄している可能性はかなり低そうだ。この記事が原形であったかもしれない。そうであれば、2つの意味を持っている。(1)「50年換算(成人)で評価」という表現が意図的に削除された、(2)「2011年8月13日20時55分」というタイムスタンプは内容の改訂を意味していない。
 これはどういうことなのだろうか。普通に推理できることは、朝日新聞は内部被曝について無知であるというより、「50年換算(成人)で評価」という内容を除去することで、あたかも年間の内部被曝であるかのような印象を与えたかったのでないかということだ。この点については、先の署名記事の錬石和男・放射線影響研究所顧問のコメントの修辞とも調和しており、いっそう疑いを濃くする。
 ただし、タイムスタンプの謎はこれだけでは解けない。同朝日新聞記事をネタにした2チャンネルの掲示板にも引用があるが、そのタイムスタンプはさらに古く(参照)、現在のバージョンが記載されている。

住民検査で初の1ミリシーベルト超検出 南相馬の60代の男性 [08/13]
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1 ゴッドファッカーφ ★ 2011/08/13(土) 20:26:17.27 ID:???0
 福島県南相馬市が住民の内部被曝(ひばく)を調べたところ、60代の男性1人から1ミリシーベルトを 超える数値が検出されたことが分かった。市立総合病院が13日発表した。ホールボディーカウンターと 呼ばれる機器を使い、体内に取り込んだ放射性物質による内部被曝の総量を評価したもの。住民対象の 検査で、1ミリシーベルト以上の内部被曝が明らかになったのは初めて。
 放射線量が高い地区で暮らしている16歳以上の569人と、原発事故時に市内に在校していた6~15歳の 小中学生330人が対象。同病院によると、1.02ミリシーベルトが測定された60代男性は3月12日、 水を確保するために山中に滞在していたという。
 小中学生の検査では2人から最大0.41ミリシーベルトが検出された以外は全員が測定可能な数値を 下回っていた。16歳以上では98%にあたる561人が0.5ミリシーベルト未満だった。
▼asahi.com(朝日新聞社) [2011年8月13日20時15分]
http://www.asahi.com/national/update/0813/
TKY201108130355.html

 この情報も改竄されている可能性がゼロではないが低いと見てよいだろう。すると、該当朝日新聞記事の、私が追跡できる最古のタイムスタンプは「2011年8月13日20時15分」であり、この時点で現バージョンが存在していたことになる。これは阿修羅という掲示板のバージョンで追跡できる時刻より古い。いったん現在バージョンが出て、その後、「50年換算(成人)で評価」のバージョンが出たあと、現在バージョンに戻ったのだろうか。

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