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2011.04.30

米国大統領はなぜアイルランド詣でをするのか

 5月の23日か24日、オバマ米大統領はアイルランドを訪問することになっている。表立った政治的な理由ではなく、表敬訪問に近い。彼の母アン・ダナム(Stanley Ann Dunham )さんのご先祖様が、2007年のことだが、アイルランドの出身だとわかり、この年のセントパトリックス・デー(聖パトリックの祝日)に大統領選挙候補者だった彼が訪問したいきさつもある。祝日の由来になる聖パトリックは、アイルランドにキリスト教を広めた聖人である。
 話のネタ元は、26日付けのBBC記事「Why are US presidents so keen to be Irish?(米国大統領はなぜアイルランド人でありたがるのか)」(参照)によるもの。つられて調べてみると、オバマ大統領の祖先がアイルランド人という話は、ご先祖情報のAncestry.comが2007年に発表したものらしい。同年にはワシントンポスト「Tiny Irish Village Is Latest Place to Claim Obama as Its Own」(参照)でも取り上げられている。話の基点は、オバマ大統領の"great-great-great-grandfather"というからお祖父さんのお祖父さんということだろうか。1850年、アイルランド中部マニーゴール(Moneygall)村の靴屋の倅、フルマス・カーニー(Fulmuth Kearney)青年19歳が米国に旅立った。といってもすでに母方の親族は米国にいたのでそれを頼ったのだった。


マニーゴール(Moneygall)

 一族が米国に移住していた理由は、1845年から1852年にわたるジャガイモ飢饉(Potato Famine)である。当時ヨーロッパ全土で発生したジャガイモの疫病でアイルランド人の食糧が窮乏した。アイルランドでは麦も栽培していたが、年貢や商品としてイギリス(ブリテン島)に輸出されていた。
 当時アイルランドの支配階級はイギリス、ブリテン島にいたせいあり、多大な餓死者がアイルランドに出ても救済策は取られなかった。結果、人口の20%が餓死・病死し、10%から20%が国外へ脱出した。オバマ大統領の祖先カーニー青年もその一人だったのである。
 単純に引き算するとカーニーさんの生まれは1831年となる。この年に生まれた人のリストを見ると、マクスウェルの方程式のマックスウェルや数学者のデデキントがいる。孝明天皇が生まれた年でもあった。明治天皇のお父さんである。坂本龍馬はというと、1836年生まれなんで、だいたい同じ時代と見ていいのかもしれない。
 BBC記事の焦点は表題からもわかるように、少なからぬ米国大統領がアイルランドに祖先の国としての関心を強く持つのはなぜなのかということだ。
 理由としては、選挙でカトリック教徒の票が欲しいからだというのがあるらしい。言うまでもなく、アイルランド人にはカトリック教徒が多い。アイルランドの伝統や文化を尊重するからではないのだと識者のコメントも載せている。
 票が目当てでない例もあるともしている。ケネディ大統領とレーガン大統領、およびクリントン大統領が挙げられている。ケネディはアイルランド系アメリカ人として初の大統領なのでそれなりにわかりやすい。レーガンも父方がアイルランド系でカトリック教徒だった。が、後、母方のプロテスタントに改宗している。実際のところ現在のアイルランド系アメリカ人のカトリック教徒はプロテスタントより少なく、BBCの識者の説明はあっているんだろうかと疑問に思わないでもない。クリントンについてはBBCはアイルランド系に明確な証拠はないともしている。
 カトリック票が目当てとせず単純にアイルランド系の票が目当てと見てもよいのかもしれない。米国でアイルランド系を自認する人口は4400万人、これにスコットランド系アイルランド人(Scottish-Irish)が600万から700万人いる。単純に合算するとアイルランド系は5000万人となる。票の狙い目にはなりそうだ。
 ここでやっかいというのもなんだが興味深いのが、スコットランド系アイルランド人と仮に訳した"Scottish-Irish"の存在である。BBCの記事では、こう描かれている。


Most of the early presidents' Irish connections were to Tyrone and Antrim, through the protestants who came from Ulster in the early 19th Century and settled largely in the south and west.

米国の初期大統領ではアイルランド系といっても関連があるのは北アイルランドのティローンとアントリムであり、彼らは19世紀初頭に北アイルランドのアルスター地方から来て、多くは南部と西部に定住したプロテスタントによるものだ。

They later labelled themselves as Scots-Irish, to distinguish themselves from the poor Catholics fleeing the potato famine in the decades following the 1840s.

1840年代以降数十年にわたるジャガイモ飢饉から逃げきた貧しいカトリック教徒と区別するために、彼らは後に、スコットランド系アイルランド人(Scottish-Irish)と自称した。


 簡単に言っていいのかわからないが、ジャガイモ飢饉以前に北アイルランドから移民してきた人は、後の貧民と間違われないように、別のルーツ名を示したということなのだろう。当然だが、これにはプロテスタント(長老派・カルバン派系)とカトリックという宗教の対立もあっただろう。
 彼らは、その故地からアルスター・スコッツ(Ulster-Scots)ともいう呼称もある(参照)。これだとアイルランド人ではないスコットランド人だという含みが強くなる。では、いつ彼らがスコットランドから北アイルランドにやってきたかというと、17世紀に遡り、当時の植民地であるアイルランドに入植した。このあたりのさらなる背景はややこしいといえばややこしいが、現代の北アイルランドの問題にまで根を張っている。
 話を少し戻して、アイルランド系といっても、ジャガイモ飢饉による移民ではなく、むしろ米国のエスタブリッシュメントであるアルスター・スコッツは、アイルランド系と言っていいのかというと、従来はアイルランド系には含まれなかったようだが、BBCの記事の動向でもわかるが、最近ではそうだとも見なされつつあるようだ。
 もっともアルスター・スコッツに色目を使って米国大統領がアイルランド詣でをするということでもないのは訪問先でもわかる。

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2011.04.28

[書評]夏彦の影法師―手帳50冊の置土産(山本伊吾)

 コラムニストの、と呼んでよいのかためらうが山本夏彦氏が亡くなったのは21世紀になってから。正確には「夏彦の影法師―手帳50冊の置土産(山本伊吾)」(参照)にあるように、2002年(平成14年)10月23日午前3時50分。未明であった。87歳。彼の好きな享年でいうと88だろうか。米寿。沖縄ならトーカチ。長寿の部類であることは間違いないが、その年の彼の活躍を見るともっと生きていそうにも思えた。生涯記したメモ帳にはその月の13日に「ゲラ出る。間に合う」とあり、最後まで物を書く人であった。

cover
夏彦の影法師
手帳50冊の置土産
 本書は彼のご長男が書いたもの。伊吾氏、1946年生まれ。本書にもあるが新潮社の写真誌フォーカスの編集長をされていた。その地位にはなんとなく父親の七光りもありそうにも思えたものだが、そういうことはまったくない。では父譲りの文才であったかというと、そこもストレートに結びつくものではない。が、本書を読んでみると、ああ、これは夏彦さんの息子さんでしかないという、ひんやりとしたしかし強い意志が感じられる。
 本書が出たのは2003年9月。一周忌に合わせるという趣向もあったのかもしれない。副題に「手帳50冊の置土産」とあるように、ほぼ生涯にわたって書かれた彼の手帳をもとに書かれている。
 夏彦氏がなくなって10年もして本書を読む、つまり、彼の残した手帳を読んで思うことのひとつは、簡素に書かれたメモ帳から見える時代である。特に「第五章 意外で愉快な交友録」に顕著だが、彼の全盛であったころ、昭和の後年から彼の晩年までの幅広い交友関係の話は興味深い。一件偏屈にも見える夏彦翁には芸能界・文芸界から政界にいたるまで幅広い交友があり、そこから、ああいう時代だったなというのが時代の息吹として見通すことができる。バブルの風景の裏側という部分もある。あの時代を生きた人なら、本書のここを再読することは独特の感興をもたらすだろう。巻末には索引として「山本夏彦が出会った人たち」もまとめられているが、これだけでも簡素ながら歴史資料になるだろう。
 「無想庵物語」(参照)を名作と見る私にとって圧巻だったのは、「第二章 「戦前」という時代」に描かれている20歳の夏彦氏の姿だった。読めばわかるように、平成どん詰まりの現代でもこういう青年は多い。「こういう」というのは、なんとか文筆をもって職としたいと悪戦苦闘する姿である。
 夏彦青年は20歳にしてルソーのエミールの翻訳などもして出版社に売っていたりもするし、仏文のままその当時の現代小説なども読んでいた。村上春樹の青年時代ともわずかだが重なる部分もある。そうした才能を自覚しつつも、オナニーと特異な性欲、そして入り組んだ恋愛に懊悩する日々も描かれている。「第九章 恋に似たもの」にもその姿はある。
 言うまでもない。彼はその青春の記録を「無想庵物語」の続として残したのだろう。であれば、彼が公案のごとく残した少年の日々、フランス生活時代の、二度の自殺についても、なんらかのヒントが本書に描かれているかと期待する。しかし私は読み取れなかった。私の読解力が足りないのかもしれないが、息子の伊吾さんも、夏彦氏の愛読者がそこを気にしているのを了解しつつ、うまく解明できていないようだ。こうした問題は、いわさきちひろの評伝を飯沢匡が書いたように、第三者でないと無理なのかもしれない。私には到底その力量はない。
 この本を私が読んだのは最近である。夏彦氏が亡くなったとき、読もうか読むまいか悩んでいてやめたのだった。その思いはうまく言葉になってこない。愛読書の作家への幻想が破られたりあるいは過度に美化されてるのを恐れるというのとも違うが、当時ざっと書店で捲ったおり、なんか違うなと思った。また、本書の結果的な売りでもあるが、彼の隠された恋についても、うまく受け止められなかった。
 この年になって読んでも、「第九章 恋に似たもの」に描かれている、彼の伴侶を亡くしてのちの恋について、どちらかというと困惑を感じる。80過ぎた爺さんが色恋に没頭し、どちらかといえば女に翻弄されている姿がある。なんなのだろうこれはと思う。まったくわからないではない。老という時期が見えつつある自分にとっては、うああ人生の苦闘はまだ続くのかと背筋凍るものがある。
 山本夏彦氏は、有名なコラムニストとして好好爺たる笑顔と老練な修辞を操る文章家としての背後に、ずっと少年の詩人の心を持ちづけた人である。少年の恋を持ちづけたと言ってもいい。誰だって少年のときはそういう傾向があると、さらりと好好爺たる笑顔にだまされる愛読者が多いが、夏彦氏は怪物なのである。自覚もしていたのだろう。だから、この自身の恋の残骸のすべてを残したのだろう。本書は、結果的に描いているが、文章というものへの偏愛をも残した。彼は自嘲とは異なり売文家ではなかった。「「豆朝日新聞」始末」(参照)の挿話のように匿名でも書き続けていた。ブロガーにも近い人でもあった。
 本書を読みながら、夏彦氏の理解が深まったかと言えば、そうでもない。本書に描かれている夏彦像は微妙に、その愛読者の理想像に幻想を供している。微妙にというのは、伊吾氏はビジネスマンとしてまた家庭人としての夏彦氏もバランス良く描いている。が、怪物の怪物足る部分については筆を控えている印象がある。
 「第七章 理解なき妻」を読めば彼が愛妻家であったことを疑うべくもない。そのなれそめはどのようなものであったかは、おそらくビジネスマンや家庭人としての実務家的な性質の延長ではなかったか。しかし、そうではないものを、この怪物は秘めていただろうと私は疑っている。

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2011.04.27

[書評]完本・文語文(山本夏彦)

 このところ文語について考えることが多く、ふと、ああそうか、と思うことがある。例えば、ネットで有名な神戸女学院大学名誉教授の内田樹先生のお名前。「樹」を「たつる」と読ませる。人名はいかように読ませようとご勝手なのだが、所以はあろう。なにゆえ? 手元の広辞苑を引くと、「樹」の読みには「〔音〕ジュ(呉)〔訓〕き・うえる・たてる」とある。訓に「たてる」があるので、さてはこれを古語にすれば「たつる」であろうなと想像は付くってなのはググレカスみたいな現代人であって、普通はあれを思い出す。


朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ

 教育勅語である。
 訓ずるに、「ちんおもーに、わがこーそこーそ・くにをはじむること・こーえんに・とくをたつること・しんこーなり」である。
 して「樹」とて何を「たつる」かといえば、德である。人徳である。現代語訳すると、かく。

 私の記憶がたしかなれば、私のご先祖様が日本国を開始したのはすげー昔でさ、どうやって国を開闢したかというと、武力とかじゃなくて、人徳によるもので、その人徳たるや、軽くスプーンを曲げちゃうくらいどーんとすごいもんなんだぜ。

 かくして王宮土階三等なれど徳樹るによって民草鼓腹撃壌となったかどうかよくわからんが戦後の風景はそんな感じ。
 さては内田樹先生、生まれは戦前かと思いきや、昭和25年生。ばっちり戦後である。なにゆえ戦後に教育勅語のおぼっちゃんなのか、お父上が戦時中政府機関たる満鉄員で戦後なりとも懐かしや戦前の徳だったか、わからない。
 「樹 たつる」さんが他にござっしゃるかとぐぐってみると、茅ヶ崎警察署長に藤井樹さん54歳がおられる。戦後も戦後、内田先生よりお若い。てか、俺よりひとつ上。さて私の同級生に「樹くん」っていたかなあ。さらにぐぐるに沖縄にやはり私と同年代の賀数樹さんがいらっしゃる。昭和30年代に流行る名前か。思うに徳を樹るより、高度成長に国をたつるであろうか。
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完本・文語文 (文春文庫): 山本 夏彦
 余談大杉。
 この手の話といえば、山本夏彦翁である。死ぬの大好きの本願を達せられ8年。それなりによく読んだものだが、失敬、「無想庵物語」(参照)を除けば翁の手すさびならんと、沖縄より転居のおりに多くを捨て、いまさらになって慌てふためいて古書を買いあさる始末。
 「完本・文語文」ももはやあるまいと書棚を崩しみるもいたずらなりとてアマゾンを見るに、幸いにや文庫ありけむ、ぽちり。「完本・文語文」(参照)は今や掌に収まる。それもよし、なにより爺さんの話というのはよい。死んだ人の話というのも格別なり。
 表題の「完本・文語文」の「完本」は、翁の文語についてのエッセイなどをあれこれ収録しましたという以上はなく、翁にありがちな寄せては返す波の音のごとき挿話が散乱してくどい。十年前に読んだときは、くどいぜ爺さんと思ったが、いや読み返すにくどさは地味ならぬ滋味というもの。いやいや、逆だ。翁はいつまでも少年の詩人の心で一葉に恋心のようなものを抱いていたことがじんわりとわかり、そこは一葉の生涯も併せてしんみりとくるところだった。
 本書絶版ならんやとぐぐりしとき、「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」ブログに同書の評ありていわく。

 国語としての日本語を考えるなら、夏彦翁に訊け。

 とのこと。素直だね。
 僕は再読して夏彦さん、若すぎるよなと思った。
 文語は江戸の雅文を明治に擬古的に再現した若い文学の文体であって、日本の伝統でもなんでもない。いやさすがにそこまではいいすぎかと思うが、近代ナショナリズムが西欧のロマン主義を受容しやすく構築した偽物であって、翁が批判するその後の岩波語が科学的社会主義の受容のための偽物構築物であるのさして変わるものではない。
 むしろ読み返して、擬古文というもののその若々しさに圧倒された。かく屁理屈をこねながらも尊敬の念は湧く。擬古文をものした人々は当時の普通の教養人であり、この教養たるやたしかに古典を吸収するインターフェースともなりえたものだろう。すごいな。
 話が飛ぶのだが、私事、40代の半ば、矮小なる人生の危機のおりに岩波文庫ワイド番の正法眼蔵随聞記(参照)を噛みしめるように読んだものだった。懐奘編とはあるが面山本である。面山和尚が生涯をかけて編纂し明和6年(1769年)に刷ったものである。つまり江戸の本であり、江戸の言葉で記されるがゆえ、道元師の謦咳とは言い難きものである。別途水野弥穂子先生校訂の長円寺本も所有していたが、仮名書きゆえもあらんかと思うが読みづらかった。読むには面山本が向いていた。これは道元師の肉声ではあるまいと思いつつも、師の声は江戸の写本を通して聞こえるようにも思えたものである。言葉とはこういうものか。
 岩波文庫面山本の初版は昭和4年。解説の中村元によれば当時道元ブームがあり、岩波書店はそれを商機としたらしい。中村の労はその訓にある。現在の仏教学からすればいからなむかと疑問に思える点もあるが、中村は当時の禅師によくあたっていた。それもまた古典であり、それもまた言葉というもの。
 山本翁の書に戻るなら、日本語の破壊は明治に始まり、核家族化をもって完成したとのことだ。その完成の曙にておぎゃあの声を上げたのが私である。末法にて54歳となる。拙き頭脳にてほそぞぼと古典を読む。擬古文もまた好む。

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2011.04.26

[書評]移行化石の発見(ブライアン・スウィーテク)

 わかっている人からは失笑を買うだろうが、ちょっとしたクイズを出してみたい。人間がサルから進化したとして、次のようなイラストをよく見かけるものだが、さて、このイラストで一番変なところはどこだろうか?

 正解はこれだというのが確実にあるわけではない。が、まず、このイラストは何を語っているのだろうかと考えてみたい。
 もちろん、サル(類人猿)からヒト(ホモ・サピエンス)が進化したのだとか、神様が猿と人間をそれぞれ別に創造したのではない(創造論は間違っている)といったとかの主旨も読み取ろうとすれば読める。ヒトは現存の類人猿からこのイラストのように直線的に変化したわけではないとも言えるだろう。
 それよりもこのイラストの意図として、ヒトがなぜヒトであるのかということについて、直立二足歩行に焦点を置いていることに注目したい。
 つまり、こう問いかけてみたいのだ。このイラストが暗示するように、進化によってヒトは現存の類人猿のような不完全な歩行から直立二足歩行に変化したのだろうか。
 そう問い直されたら、どう答えるだろうか。現在わかっている科学的な知見からすると、そこに疑念がある。
 チンパンジーとゴリラの不完全な二足歩行はナックル歩行(knuckle walking)と呼ばれている。イラストの左から二番目がわかりやすいが、彼らは手の甲を曲げてその関節(knuckle)をひきずるように歩く。

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移行化石の発見
ブライアン・スウィーテク
 ところが1990年代に発掘され、長く研究され、2009年10月のサイエンス誌で特集となった、約440万年前の最古のヒト族と見られるアルディピテクス・ラミドゥス(Ardipithecus ramidus)、通称「アルディ」は、その解剖学的構造特徴などから、ナックル歩行ではなく、直立歩行していたと考えられている。
 逆にナックル歩行をするゴリラやチンパンジーの解剖学的な構造からもわかる。ナックル歩行はヒトとの共通祖先から分離後の独自の進化の結果であるようだ。つまり、ゴリラやチンパンジーのナックル歩行はそれ自体が進化の結果であって、直立歩行への中間的な意味合いはない。イラストが変なのはそこだ。ヒトは最初から直立二足歩行をしていたのである。
 しかし、と疑問に思う人もいるかもしれない。アルディの祖先もナックル歩行していたのではないだろうか? 本書「移行化石の発見(ブライアン・スウィーテク)」(参照)ではアルディについてこう考察している。

 その手首や骨盤に、現生ののチンパンジーやゴリラに見られるようなナックル歩行への適応は見られなかったが、樹上生活に適応していた彼らは、それゆえに地上に降りても二本足で歩けたのかもしれない。(中略)おそらく彼らは、こうした小さな違いのために、地上では両手両足をついて歩くよりもまっすぐ立って歩いたほうが楽だったので、直立二足歩行を選択したのだ。

 定説には至っていないが、人間における直立歩行は、ナックル歩行から変化したのではなく、突然現れたものだと言えそうだ。
 では、アルディの直立二足歩行をもって人間たる直立歩行となったのだろうか。本書はそこにも独自の注意を促している。人間の祖先には結びつかない直立二足歩行の類人猿がいた可能性を指摘し、進化というもののについての本質的な考え方への示唆を促している。

(前略)二足歩行の特徴をもつ類人猿の化石が見つかっても、ただちにそれを初期の人類と認めることはできないのだ。化石生物全般に言えることだが、共通する特徴から種と種の関係をたどるには、注意深く比較する必要があり、どのグループでも、初期のメンバーが、後世のメンバーに見られる決定的な特徴を備えていないということは十分ありうるのだ。

 では、ヒトはどこで見分けられるのだろうか?

簡単に言えば、人類と類人猿を明確に分ける唯一の特徴はないということで、直立二足歩行にばかりこだわっていると、真実は明らかになるどころか、ますます見えにくくなってしまう。

 ここまでくると、興味深い主張ではあるものの、異論もあるだろう。私も「人類と類人猿を明確に分ける唯一の特徴はない」とする考えには、ノアム・チョムスキー同様とまでは言えないが、それほど賛成しない。
 以上のアルディを巡る話は「第9章 ネアンデルタールが隣人だった頃」に含まれている。最初にこれを紹介したのは、本書がかなり最新の進化論研究を扱っていることと、そこに見られる多様性に配慮している特徴が、色濃く表れているからだ。
 同様の趣向で興味深いのは、「第4章 羽毛を生やした恐竜」だろう。ここでは、鳥が恐竜から進化した話が歴史的に系統立って説明されている。
 「え?鳥が恐竜から進化しただって?」と思う人や、それが珍説のように思える人は本書を読んだほうがよいだろう。私の世代のように学校で始祖鳥が鳥の祖先ではないかといったふうに教えられていた世代にも、本書は再学習に向いている。
 「序章 「ザ・リンク」はリンクではなかった」では、「ザ・リンク」(参照)への批判から、本書の主要テーマである、従来「ミッシング・リンク」(Missing-link:失われた鎖)と呼ばれていた仮説的存在、つまり、進化論が正しいなら進化の途中的な形態である化石について触れていく。現在ではこれは「移行化石」(Transitional fossil)と呼ばれていて、本書の邦題にも採用されている。その点から言うなら、進化論の最大の弱点と言われてきた移行化石について、本書は、現状がわかる総まとめにもなっている。総じて、本書は正統派進化論の最新の教科書といった趣向があり、高校生や大学生、さらには科学を学び直したい大人にとって、進化論の入門書になる。
 進化論に関心のある人にとってみると、本書は冒頭ドーキンス(Clinton Richard Dawkins)をからかっているように、グールド(Stephen Jay Gould)の考えかたである断続平衡説(Punctuated equilibrium)に近いことがわかるだろう。だが、本書はこの一連の論争に参戦するというより、むしろそこを移行化石によって温和に補っていく印象を受ける。
 さらに本書をよく読むなら、本書の隠されたテーマは諸処に顔を出す「収斂進化」(Convergent evolution)であることに感づかれる人もいるだろうし、オリジナルタイトル「Written in Stone: Evolution, the Fossil Record, and Our Place in Nature」(参照)にある「自然における人間の位置」にもその暗喩がある。それは「終章 進化は必然か偶然か」ではこう描かれている。

 人間のような生物はこれまで地球上に存在しなかったし、われわれが消えれば、ふたたび現れることはないだろう。人間の歴史が偶然の積み重ねであったことを思えば、わたしたちはじつに驚くべき存在なのだ。もし自分たちについて知りたいと願うのであれば、その歴史を理解しなければならない。わたしたちは年月と偶然から生まれた生き物なのだ。

 本書で確か一個所ジャック・モノーへの言及があったが、私などの世代には懐かしい「偶然と必然」(参照)の基調でもある。
 人類はそのような偶然の存在なのだろうか。
 そうではないのかもしれないというのが、本書には直接は登場しない「収斂進化」を援用したサイモン・コンウェイ・モリス(Simon Conway Morris)の議論で、この点については、訳者の後書きで、著者の別の指摘からモリスは「神の存在を信じる科学者」とされ、創造論者と混同されているように見える。それが著者の意図か訳者の混同かはよくわからない。
 本書は「収斂進化」を限定して扱いながら、その事実は案外、モリスの主張に近いものを結果的に逆説的に導いてしまっているのかもしれないと少し意地悪にも私は読んだ。

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2011.04.24

[書評]天皇はなぜ万世一系なのか(本郷和人)

 「天皇はなぜ万世一系なのか」という問いかけは魅力的だし、新書表紙の半分を覆うほど広い帯にある「世襲か、実力主義か」というキャッチフレーズも本書のガイドライン的に添えられたものだろう。結論からいうと、若干だが、ほぉと驚く意外な答えが書かれてはいる。そういう考えもあるのかな、というものだ。同時に多少がっかりもする。おそらくこの問いに魅せられた人に納得がいくというものでもないだろう。もちろん納得のいく答えがあったとして、それがどれほど真理を射貫いているかは別として。

cover
天皇はなぜ
万世一系なのか
本郷和人
 帯にはさらに「皇室、貴族、武士、高級官僚の出世と人事から、「日本権力構造」最大の謎に迫る」とあり、これも補助的なフレーズなのだが、すでに天皇の問題が日本権力構造という一般構造に吸着されていることが伺われ、どうやら本書のテーマは先の問いに焦点化していないか、散漫なのではないかという印象を与えてしまう。読後の感想としても、日本史に興味のある人にとっては堪えられない面白さを持ちつつも、考察が深められていない断片集には思えた。
 スポイラー(ネタバレ)になるがあえて、表題の問いの答えをストレートに抜き出してみよう。著者には、誤解させないでくれよというものではあるかもしれないが。

 皇子は少なからず「いる」。かつ、皇室にまさる血は見当たらない。この条件下、皇位はきわめて自然に、皇室出身者によって受け継がれていった。そう考えるのが現実的であると思います。「高貴な血」へのこだわりは、特段にはなかったのではないか。なくとも、気がついたら連綿と繋がっていた、というのが実情だったのではないでしょうか。初めから計画された「万世一系」ではなく、結果としての「万世一系」ですね。

 別の言葉でいえば、ユーラシア大陸の歴史のように、王朝や民族の血統がジェノサイドで断絶させらるような過酷な事態がなく、一定の政治的な安定性を求める社会的な安定性が、結果的に天皇制を作ってしまった、ということ。ひと言でいえば「特に理由はない」となるだろう。
 万世一系に特段の理由はない、というのは、これはこれで面白い視点であり、若干ほぉと思わずにもいられない。
 そしてこれを原理に据えて女系天皇の議論も展開されており、同様の結論が導かれている。いわく、天皇家が男系に見えるのは、ただの結果論、特段の理由はない、というものだ。第一原理の曖昧さとは別にこちらの導出のほうはより説得力があるようにも読めた。
 さてこの議論を私はどう思うかというと、すまん、床屋談義だと思っている。面白いこというなあ、座布団一枚、である。
 もっとも、天皇家の血統が重視されていたとかいう陳腐な議論に固執しているわけではない。私の考えでは、天皇家というのは、近世以降は山城国の小領主にすぎない。家系が古いので古代についてお家の神話を持っているということだ。これは毛利家なんかも同じ。
 江戸時代という、明国滅亡の珍妙なイデオロギーが日本に土着化しなければ、ぜんまいざむらいの世界のように、天子様というのは普通に形式化・形骸化しただろうと考えている。天皇というのは、近世以降の日本が、日本国家の自覚とともに生み出した古代の幻想の仮想の相続人でしかないと思うのである。だから、これを中世にまで遡及・援用して一貫した日本と天皇というセットで考察することは、そもそも間違いなのではないのかと疑念に思っている。
 そうしてみると、本書で指摘される「日本権力構造」つまり、安定社会に置ける世襲制権力構造からは、天皇家とはいえども、小領主の家系のいち類型にすぎず、真田家なんかともさして変わらないようなものなのではないか。
 本書の基調に対して私が斜に構えてしまうのは、正直なところ、私が小林秀雄や山本七平、イザヤベンダサンといった多少異質な史観に傾倒している理由もある。彼らは、日本の近世の始まりを、明治というナショナリズム国家への思想的な基点としてみている。
 加えて私は沖縄暮らしで、実感として近世のない日本としての沖縄という感覚を得てきたため、むしろ中世までの日本における天皇=天子=貴種について別の視点を持っている。例を挙げれば、沖縄の王朝も源家の貴種を持っていることや、武家としての源家には貴種の幻想が付随していただろうことなどがある(頼朝・義経はジェノサイドされるはずだった)。これは武家に近い大塔宮の身体への聖物意識などもある。
 おそらく本書を読んだ歴史好きのなかには、本書の議論の特異な粗さのようなものを感じるだろう。が、では本書は雑な本なのかというえば、その対極で、よくまあこんなディテールを議論するなあという話がいろいろあって面白い。特に、宗教権力と王家(天皇家)の関連については、特別珍妙な議論ではないのだが、一般的には近代以降の独立した宗教範疇で語られがちなので、本書のような王権権力構造や世襲的な世俗権力の構図でさらりと描かれるのは示唆深いだろう。
 本書は、そうした知的興味をくすぐる快活な書籍であることに加え、おそらく編集側の意向だろうと思うが、著者本郷氏の自分語りが諸処に語られている。人によってはうざったく思えるかもしれないが、私などは、本郷さんって、奥さんも研究家でしたか、それはまた微妙な夫婦の会話の断片ですなあ、といったのような部分も面白かった。

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