« 2011年4月10日 - 2011年4月16日 | トップページ | 2011年4月24日 - 2011年4月30日 »

2011.04.23

[書評]「古文」で身につく、ほんものの日本語(鳥光宏)

 現代日本語と古語を結びつけてやさしく解説した書籍があるといいと常々思っていてので、本書「「古文」で身につく、ほんものの日本語(鳥光宏)」(参照)を書店で見かけたとき、手に取り捲り、買ってみた。どういう感じなのかと読み出したが、ちょっと微妙である。自分の思い入れがズレた分で批判してしまうのはよくないが、この著者の知識ならばもう少しシンプル(簡素)に、かつプラクティカル(実用的)に、このテーマが書けそうな気はした。

cover
「古文」で身につく、
ほんものの日本語
鳥光宏
 「はじめに」で枕草子でも有名な表現「いとおかし」があり、この「いと」を数年前の流行語「チョー」に対比して説明していた。面白い趣向だと思った。清少納言の「いとおかし」はたしかに「チョーグッド」みたいな印象もある。また、「これは知りたることぞかし」の「ぞかし」は現代の「だよね」と比較されている。この対比も現代人にはわかりやすい。
 古語と現代語は違うものだが、言語の機能としては等価な部分もある。こういうシンプルな機能対比があると、古文も親しみやすくなるだろう。ただし本書では、それは前口上的な挿話に終わり、本論に継承もなく方法論的にも意識されていない。
 擬古文といってもよいと思うが、近代古文の話題も興味深かった。例としては、「蛍の光」の「あけてぞけさは、わかれゆく」が挙げられている。著者は予備校教師らしく、高校生にこの意味を問うのだが、現代の高校生はわからないようだ。
 そういえばと私も高校生時代を思い出す。私は高校一年生のときに、ひょんなことから百人一首はもとより斎藤茂吉「万葉秀歌」をそらんじていた。それなりに古文はよくわかる部類で、この「あけてぞけさは、わかれゆく」も意味はわかっていた。ゆえに、友だちをからかったりもしたことがあった。こんな感じ。
 「あけてぞけさは」に出てくる「ぞけさ」というのは、ムーミンに出てくるニョロニョロみたいなやつでさ、これが列を成しているのだが、門を開けるとそこから左右に別れていくんだよ。そういえば、浦島太郎の歌には五番まであって、四番に「帰ってみれば、怖い蟹」というのがあるんだ。巨大蟹の恐怖ってな話。余談の多い本書につられた。いや、それが悪いわけではけしてない。
 古文が現代人にとって、ちんぷんかんぷんという状況が露出してしまうのは、本書の結果的な指摘のように、文部省唱歌あたりだろう。こうした近代の擬古文には、鷗外の「舞姫」もある。私が愛唱していた讃美歌もそうだ。これは通称大正訳聖書の関連もあるのだろう。あの時代、つまり明治・大正時代の古語は、当時の人にとっても、古めかしさの修辞だった。当時ですら特殊な文章だった。
 修辞にすぎないが、この近代擬古文を経由すると枕草子といったいわゆる古文に接近しやすくなる。いきなり平安朝の古文を文法として提示するより、変遷の中間点として、唱歌や讃美歌など明治・大正時代の近代擬古文を学んでおくよいのではないか。候文なども併せて教えておくとよいと思う。
 落語にも似た展開で書かれている本書だが、現代語で過去を示すとされている「た」の話も面白かった。例えば、ホテルの予約で「二泊でよろしかったでしょうか?」というあの「た」のことだ。本書にはないが、スケジュール表を見て「明日、テストがあった」とかもこの「た」の部類だ。
 本書は、この「た」はなんだろうと問いかけ、考察している。現代日本語文法をある程度学んだ人にとっては、「明日、テストがあった」の「た」はさして不思議なものでもないが、本書ではこれを古文の「き」「けり」「つ」「たり」との機能対比をしている。
 機能論からさらに、実際にこの現代語の「た」の来歴はなにかという考察もある。著者は「た」について機能的には「き」と見ているが、「き」の音変化ではないとしている。機能的な考察と形態の構造変化の議論が錯綜している部分もあるが、「たり」の「り」が抜けて「た」ができたとしている。同様に、「だったけ?」の「け」は「けり」の由来しとしている。
 こうしたこと、つまり、「た」が「たり」に由来するということは常識として知られているだろうか? そうでもないように思うし、現代語がどのような変遷で古語に関連するかという知識はあまり教えられていないように思える。本書には含まれていないが、現代語で「なになにです」というときの「です」や「である」・「だ」の由来も学んだ人は少ないに違いない。
 言葉の時代変遷の感覚というのが重視されなくなったのはいつからなのか。いつの時代でもそういうものなのか。
 たまにNHKの朝ドラ「おひさま」を見るが、戦前の女子高校生が「お便所」と言っていたり、戦前の中学生が「ものすごくがんばっている」と言ったりしている。あの時代の経験者やそうした時代の言葉を読んでそれなりに言葉の時代変遷の感覚があれば、脳髄に鐘声響くところではないか。
 「ものすごく」に触れて「とても」という言葉も戦後にできたのではないかとツイートしたところ、「吾輩は猫である」に「もう少し召し上ってご覧にならないと、とても善い薬か悪い薬かわかりますまい」という用例がありますよと指摘されて、ちょっと微笑んだ。有無を問うなら有というほかはあるまい。
 本書後半の三分の一は、センター試験や大学入試における古文の位置づけの議論になっている。受験勉強にとんと縁が遠い人間になってしまった自分としては、こういう世界があるのかと驚きもした。簡単にいえば入試で点差が付くのは古文ということらしい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011.04.22

April is Month of the Military Child

 米軍は3月11日に発生した東日本大震災の救援活動として「トモダチ作戦(Operation Tomodachi)を実施した。大きな援助であった。海上から空母など19隻、航空機は約140機、人員は1万8千人ほどが投入されたという。作業のようすは写真サイトflickr (参照)で見ることができる。
 作戦は、3月中は震災被害地の救援・捜索活動が中心だったが、4月に入り福島第一原発の危機事態懸念への対応が重視され、4月5日までには米海兵隊放射能等対処専門部隊(CBIRF)の約150人が横田基地に待機した。が、特殊部隊は来週には帰国予定とのことだ。米国原子力規制委員会(NRC)情報と付き合わせるに、おそらく2号炉崩壊による現場の惨事の可能性は低いと見られるということだろう。
 北沢防衛相は昨日、メイバス米海軍長官に「大きな協力に感謝する」と謝意を伝えたが、日本のいち市民としても感謝したい。そして、その家族にも感謝したい。
 4月は米国では、軍人の子どもの月とされている。"April is Month of the Military Child"とも言われる。"Month of the Military Child"に定訳語があるのか探したがわからなかった。米人の大半は知っているが日本ではあまり知られていないのかもしれない。
 国防総省のサイトには今年も専用のホームページが設置されている(参照)。

There are 1.7 million American children and youth under 18 with a parent serving in the military and about 900,000 with one or both parents deployed multiple times.

軍役に服している親には、170万人の子どもと18未満の青年がおり、90万人は両親または片親が数度にわたる作戦に従事しています。

April is designated as the Month of the Military Child, underscoring the important role military children play in the armed forces community. The Month of the Military Child is an opportunity to recognize military children and youth for their heroism, character, courage, sacrifices and continued resilience.

4月は、軍人を親とする子どもが軍のコミュニティで果している重要な役割を強調して、軍人の子ども月間とされています。軍人の子ども月間は、軍人の子どもと青年の勇敢さ、献身、持続的な回復力を認識する機会です。


 生死をかけて国家のために働いている軍人を親に持ち、また親元から引き離されていることもある子どもたちがいる。この子どもたちもまた、軍人と同じように国家に仕えているということを社会的に理解し、称賛しようという主旨である。
 昨年のメッセージだが、オバマ大統領夫人とバイデン副大統領夫人も動画でその主旨のメッセージを出していた。

 日本人の感覚からするとこうしたメッセージは一種の軍国主義のように感じられないでもないが、この取り組みは、むしろ特殊な境遇に置かれた子どもたちの心のサポートとしても受け止められている。
 軍人の子どもにそれだけの精神的なサポートが必要なのかというのも、日本人にはわかりづらい面があるが、月間の活動の一環として実施されている子供たちへのサプライズ(驚き)訪問の映像を見ると、その内面が忍ばれる。

 ちなみに、映像の最後に出てくる聖書の句のようなものは、聖書ではなくモルモン教の聖典の句。ミックスを作成した人はモルモン教徒でその観点から、親子の絆を強調したいという意図はあったのだろう。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2011.04.19

リビア・ステイルメイト

 リビアの現状について中間的なメモを記す時期になった。現状は、オバマ米大統領の言葉を借りれば、「ステイルメイト」である。ステイルメイトはひと言で言えば、行き詰まり・膠着状態である。リビアは現状、手ひどい行き詰まりになった。そしてその意味をそろそろ考察すべき時期でもある。
 「ステイルメイト」という言葉は元はチェスの用語で、まだチェックメイト(王手)にはなっていないものの、相手の番で王の齣をどう動かしても自動的にチェックメイトになる状態である。
 そこまで追い詰めたらチェックメイトと同じでよいではないかという印象もあるかもしれないが、言わば相手に自殺にしか選択を残さないという状況に導いた点で、相手を倒すことに失敗している。追い詰めた側も下手を打ったことになり、チェスのゲームは引き分けになる。
 オバマ大統領による「ステイルメイト」の言明は、3日前のAP通信へのインタビューにある。「The Associated Press: Text of Obama's interview with the AP」(参照)にある。


So what we've been able to do is to set up a no-fly zone, set up an arms embargo, keep Gadhafi's regime on its heels, make it difficult for them to resupply. And you now have a stalemate on the ground militarily, but Gadhafi is still getting squeezed in all kinds of other ways.

従って私たちにできたことは、飛行禁止区域の設立であり、武器禁輸の設定であり、カダフィー政権を後退させ、その再度の補給を困難にすることだった。そして今や、みんな地上戦においてステイルメイトになったが、カダフィーはその他の手段全部で締め付けられている。


 米国大統領なので弱音を上げるということはないが、現状がステイルメイトであることは認めている。ただし、この言葉は原文を読むとわかるようにAP通信の質問に含まれていたものであり、事態のキーワードとしてジャーナリズム側から用意されてはいたものだった。
 16日付けワシントンポスト社説「The Libya stalemate(リビアのステイルメイト)」(参照)は、案の定、このキーワードで切り出している。

THE CONTRADICTIONS at the heart of U.S. policy in Libya are becoming more acute. On Friday President Obama joined the leaders of Britain and France in declaring that the NATO air campaign, which was launched in the name of protecting civilians, will continue for as long as dictator Moammar Gaddafi remains in power.

対リビア米国政策の核心にある矛盾がいっそう深刻になりつつある。金曜日、オバマ米大統領は、市民保護の名目で開始した北大西洋条約機構(NATO)による空爆を、独裁者アマル・カダフィが権力の座にある限り継続するとの宣言で、英仏指導者に加わった。

Yet in an interview he gave to the Associated Press the same day, Mr. Obama acknowledged that the war between rebels and Mr. Gaddafi’s forces is stalemated, 10 days after U.S. ground attack aircraft were pulled from the operation on his orders.

しかし、同日AP通信によるインタビューでオバマ氏は、彼の命令で実施された米空軍地上攻撃開始後10日となって、反政府勢力とカダフィーの軍はステイルメイトの状態にあると認めた。


 オバマ大統領はステイルメイトの状態をどうしようとするのか。ワシントンポストは矛盾(THE CONTRADICTIONS)で表現している。内実はこうである。

Let’s see if we can sum this up: Mr. Obama is insisting that NATO’s air operation, already four weeks old, cannot end until Mr. Gaddafi is forced from office — but he refuses to use American forces to break the military stalemate. If his real aim were to plunge NATO into a political crisis, or to exhaust the air forces and military budgets of Britain and France — which are doing most of the bombing — this would be a brilliant strategy. As it is, it is impossible to understand.

要約してみようではないか。オバマ氏は、すでに4週間を経過しているが、カダフィ氏が政権離脱を余儀なくされるまで、NATOによる空軍活動は終了できないと主張している。しかし、彼は、軍事的なステイルメイトを打開するために米軍を使うことは拒絶する。彼の真の目的が、NATOを政治的危機に陥らせることか、あるいは英仏軍の軍事予算を使い果たすことなら、見事な作戦となるだろう。そうであるなら、了解不可能である。


 真実を描写するだけでも強烈な皮肉にしかならない。この事態は、文脈は異なるが、オバマ大統領の言葉を借りれば、「おまえら俺たちを馬鹿だと思ってんのか?(You think we're Stupid?)」(参照)ということろだろう。
 はたして「馬鹿」はオバマ大統領か、糾弾するワシントンポストか。ワシントンポストは何を望んでいるのか。

We believed that Mr. Obama was right to support NATO’s intervention in Libya not only because of the risk that Mr. Gaddafi would carry out massacres but because defeating the dictator is crucial to the larger cause of democratic change in the Middle East.

私たちは、オバマ氏がNATOによるリビア介入を義としたのは、カダフィ氏が虐殺を実施する危険性があるからだけでなく、独裁者を打ち倒すことが中東の民主主義化という大義に決定的であるからだ。


 日本ではあまり批判の声が上がらないようなので、日本市民のちんけなブロガーが小さな感想を述べてみたいと思うのだが、おいおい、そこまでベタに言うものなのかね。それではベタベタにイラク戦争ではないか。中東の独裁者を倒すことが民主化なら、なぜリビアだけなのか。そもそも独裁者を打ち倒すことが民主化というなら、日本の隣国みたいに、自国民を餓死させて核兵器で他国威嚇す独裁者とか、どうなんだろう。それこそ、絵に描いたダブスタではないのか。
 まあ、そのことをオバマ大統領なりに理解しているのだろう。
 これは同時に国際法の危機なのではないか。
 同日のガーディアン社説「International law: Regime unchanged」(参照)はそこに焦点を当てていた。

The deeper anxiety is that the perception of mission creep will retard the greatest struggle of the lot – for international relations governed by the rule of law. Faltering advances have been made over the years since the second world war, as yesterday's conviction of two Croats for war crimes underlined, but progress was greatly set back by Iraq.

より深い懸念は、終わりの見えない展開(ミッションクリープ)の感覚が、法の支配の下にある国際関係にとって最大の困難を妨害することだ。戦争犯罪として強調された2名のクロアチア人の有罪判決が出たことで、第2次世界大戦以降、躓きながらも進歩してきたが、その進展はイラクによって大きく後退した。

The three leaders' careful drafting might have satisfied their own lawyers, but if critics at home and abroad feel caught out by the small print that can only undermine the campaign's legitimacy. Three Conservative and two Labour MPs yesterday demanded a recall of parliament, arguing that policy had moved on significantly without the Commons having a say.

米英仏3国の指導者による慎重な立案は自国弁護士を満足させるかもしれないが、自国や海外の批判者が細字で書かれた部分を見破った感触を得るなら、軍事活動の合法性を蝕むだけのことになる。昨日、保守党の三名と労働党の二名の議員は、下院の発言なしに政策が重大な事態になったとして、議会リコールの要求を出した。

If similar resentment takes hold in the sceptical capitals which ultimately acquiesced in the unopposed security council vote, then a fragile consensus will shatter.

最終的には国連安全保障理事会で拒否権行使なしで黙認した、懐疑的な諸国政府が、同様の憤慨を持つなら、そのときに、脆弱なコンセンサスは吹き飛ぶだろう。


 米英仏の合意には詳細において疑念を抱かせる部分があり、その点への懸念が広がれば、実質的なカダフィー政権攻撃の合法性が疑われる事態になりうる。そしてその事は、国連安全保障理事会が維持しようとする国際法自体も疑念に晒されることになる。

The current attorney general would do well to remember the damage done during the Iraq affair, when dubious interpretations of resolution 1441 were used to license the course the superpower was already set on. This created the sense that the UN's role was a fraud.

現法務長官はイラク事態に成された損傷を思い出すべきだ。あの時、国連安保理決議1441の疑わしい解釈は超大国が準備していた方針にお墨付きを与えた。このことで、国連の役割は詐欺の片棒担ぎであるという意識を醸成した。

Whether it has been right or wrong on Libya, it has proved capable of shared resolve, and shown it can have teeth. The new language of regime change may leave the council descending into accusations of bad faith – and the planet slipping back into a more lawless world.

リビアについて安保理決議の是非がなんであれ、支持された決議は有効になり、効力を持つことになった。政権転換なる新語は、安保理を悪意の告発に陥れるかもしれない。そして世界もまた、より無法な状態に陥るかもしれない。


 文学的風味の名文というか、頭大丈夫ですかガーディアン先生といった趣向ではあるが、リビアの混乱はまさに国連安保理決議1441の問題であり、それは国連安保理の存在から、世界の国際法のあり方を問い直すという問題になっているという、大枠の指摘は正しいだろう。
 そして、日本はどうすべきかと平時なら問われるところだろう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2011年4月10日 - 2011年4月16日 | トップページ | 2011年4月24日 - 2011年4月30日 »