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2011.03.26

ニューヨークタイムズが掲載した福島原発の放射線量グラフを眺める

 福島原発事故関連で多少気になることがあるので、備忘のために記載しておきたい。話題は、15日に実施された福島第一原発2号機の蒸気放出とその後についてである。
 このところ野菜や水道水への放射性物質汚染が話題になっているが、これはいつどのように発生したのだろうか。何度となく繰り返される原子炉の圧力調整による蒸気放出や使用済み核燃料などが疑われる。実際にはどうだったのだろうか。
 原発外部の放射線量について、経時的に見やすくまとめているニューヨークタイムズの「Radiation at Fukushima Daiichi」(参照)のグラフを見ると、第一原発の正門付近における放射線量で、15日と16日にかけて3度ほど、かなり高い山があることがわかる。この時点でかなりの放射性物質が放出されたのだろうと推測される。これはなんだったったかと過去のニュースを振り返って見て、いくつか疑問が湧いた。

 グラフ情報の由来だが、「Sources: Tepco; International Atomic Energy Agency; Federal Aviation Administration; Nuclear Regulatory Commission」とある。東京電力、IAEA(国際原子力機関)、米国連邦航空局、米国原子力規制委員会の4者である。東電は日本企業でデータは公開されているはずだ。IAEAのデータは日本政府から送付されたものだろう。表紙が話題となったAERA最新号の記事を見ると、そのデータは国内には公開されていないとのこと。軽い疑問ではあるが、この2者だけで15日から16日かけての放射線量の増加がわかったのだろうか。別の言い方をすれば、米国側の情報である米国連邦航空局及び米国原子力規制委員会の情報はグラフのどこに反映されているのだろうか。それらはよくわからないが、4者の情報を総合したグラフという点で精度は高いのではないだろうか。
 気になる15日から16日の放射線量の増加だが、対応する事態としてまず想起されるのは、2号機の問題とそれによって施した圧力調節だろう。記事を見ていくと15日1時34分付けの朝日新聞「2号機、高濃度放射性物質を放出 福島第一原発」(参照)が報じている。


 東日本大震災で被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所(福島県大熊町、双葉町)の2号機で14日、原子炉内の水位が低下、燃料棒全体が水から露出して空だき状態になり、炉心溶融が否定できない状態になった。いったんは回復したが再度露出し、蒸気を排出する弁も閉まって水を補給しにくくなった。格納容器内の圧力を下げ、海水を注入できるようにするため、15日午前0時過ぎ、放射性物質を高濃度に含む蒸気の外気への放出に踏み切った。

 14日に2号機が危機的な状況になり、その深夜15日午前0時に蒸気放出を行ったということである。結果はどうであったか。

 枝野幸男官房長官は同日午後9時すぎの記者会見で、燃料棒が露出した1~3号機の炉心溶融について「可能性は高い。三つとも」と述べた。
 午後9時37分には第一原発の正門付近の放射線量が1時間あたり3130マイクロシーベルトと、これまでの最高を記録した。
 15日午前0時には、10キロ南にある第二原発でも、放射線の量が1時間あたり113マイクロシーベルトに上昇した。放出の影響とみられるという。
 14日午前に起きた3号機の爆発で経済産業省原子力安全・保安院は一時、20キロ圏内に残っていた住民に建物内への避難を要請したが、周辺の放射線量のデータに大きな変化は確認されなかった。東電によると、自衛隊員4人を含む11人が負傷し、うち6人について放射性物質の付着を確認した。

 この記事を振り返って考えるとよくわからない点がある。14日の夜9時に枝野官房長官が会見を行った頃は、第一原発の正門付近は3130μシーベルトである。この時点では放出は行われていない。
 15日午前0時には、10キロメートル南の第二原発で113μシーベルトであったとして、この放出影響を記事は伝えているのだが、第一原発の正門付近については語られていない。
 同事態について3月15日2時38分の読売新聞記事「福島第一2号機、燃料棒すべて露出…冷却水消失」(参照)は、14日午後11時からの動向としてこう伝えている。

 その後、水位は回復したが、同日午後11時ごろ、原子炉の冷却水が再びなくなり、燃料棒が完全に露出した状態になった。原子炉から格納容器に蒸気を逃がす二つの弁が完全に閉まり、原子炉内の蒸気圧力が上昇し、海水の注入ができなくなった。
 東電は、15日午前0時2分から格納容器内の蒸気を外部に放出する新たな弁を開けた。この弁から外部に放出する蒸気には、原子炉内から直接出た蒸気が含まれており、これまでに放出された蒸気より放射能が高い。

 この記事には放射線についての言及はない。
 2号機はどうなったのだろうか。気になる記事があった。16日22時19分付け読売新聞記事「危険の兆候か、2号機の圧力なぜ急低下」(参照)である。

 2号機の原子炉は、今回の地震で緊急停止して以来、炉内の燃料を冷やす冷却水の不足が復旧できていない。2度にわたって冷却水を失い、燃料体すべてが露出したこともある。15日朝の爆発で、原子炉本体である「圧力容器」を覆う「格納容器」が損傷した可能性もある。過熱と冷却水不足で炉心溶融が懸念される1~3号機のなかで、もっとも深刻な原子炉ともいえる。
 2号機の圧力容器内の圧力は、15日午後から下がり始め、同日午前の約3気圧(大気圧の3倍)から、16日には大気圧のレベルにまで落ちた。格納容器も、15日午前まで大気圧の7倍程度を維持していたが、午後から急激に下がり始め、16日には大気圧を下回る数値を示した。
 圧力低下の原因としてまず考えられるのは、圧力容器、格納容器ともに密閉性が破れたことだ。すき間を開けた窓のように、内と外とで空気などの行き来が自由になる。東京電力は、少なくとも格納容器については、気密が破れた可能性があるとみている。
 だが、この場合は、大気圧と同じになったところで減圧は止まるはずだ。格納容器内の圧力が大気圧より低いのなら、格納容器はまだ気密を保っているとも考えられる。しかし、それは格納容器の損傷が指摘されていることと矛盾する。格納容器、あるいは両方の圧力計が壊れている可能性もある。
 もう一つは、連日の冷却水注入の努力が効いて、両容器内の温度が下がり、内圧が一気に下がった可能性だ。だが、依然として冷却水の量は少なく、圧力容器や格納容器の気密が保たれたまま圧力が急に下がったとは考えにくい。
(2011年3月16日22時19分 読売新聞)

 振り返ってみるとこれもよくわからない記事である。事態がそもそもわからないということが前提になるが、深夜の蒸気放出に言及していないのは奇妙な印象を与える。2号機について記事から窺える、おそらく確かなことは、16日になって「内部圧力が急激に低下した」ということと15日の朝に爆発があったことだ。
 これをニューヨークタイムズのグラフに付き合わせて見る前に、過去を振り返ってみてもう一点、奇妙な記事を見つけた。21日付けの産経新聞記事「東電、蒸気放出の実施日を訂正」(参照)である。

 東京電力は21日、福島第1原発2号機で原子炉格納容器内の放射性物質を含む蒸気を外に逃がした操作について、実施したのは15日午前0時からの数分間だったと発表、「16日から17日にかけて実施した」との20日の説明を訂正した。
 格納容器につながる「圧力抑制プール」内の水を通さずに蒸気を直接逃がすため、放射性物質をより多く放出する方法だった。

 産経新聞記事が伝えるところでは、21日になるまで東電は14日から15日への深夜の蒸気放出を正確に説明していなかったというのだ。さっと読むと、よほどの勘違いか情報の隠蔽のような印象も受けるが、先に朝日新聞記事と読売新聞記事でも言及があったように、14日から15日深夜の蒸気放出は衆知のことなので、東電側のミスと考えるのが妥当のようにも思われる。
 むしろこの記事が正しければぞっとするのだが、「「圧力抑制プール」内の水を通さずに蒸気を直接逃がすため、放射性物質をより多く放出する方法」ということで、ドライベントだったということだ。ドライベントについては、20日、保安員から3号機への実施の可能性があるとアナウンスされたものの、実施が見送られ、まだ実施されていないと私は記憶していた。産経新聞記事が正しければ、ドライベントはすでに14日から15日深夜に実施されていたことになるし、それに伴って多量の放射性物質が放出されたと見てよさそうでもある。
 ここでニューヨークタイムズのグラフを再度眺めると、14日から15日にかけては特段の変化はない。グラフをよく見ると、14日の午後10頃に正門付近で4ミリシーベルト/時の山がある。ドライベントの前の放出であろう。あるいは実際のドライベントはこの時刻になされのかもしれない。
 15日の突出した山の直前には「Explosion at Reactor No.2」と記されている。これは災害対策本部の情報(参照PDF)を見ると「15日06:10 異常音発生」とある、日本時間15日午前6時の2号機の爆発である。
 この15日の正門での突出した放射線量のピークは12ミリシーベルトに及んでいる。これには「Fire near Reactor No.4」とも書かれているので、4号機の使用済み燃料プール火災の影響もあるかもしれない。
 続く、グラフ上15日から16日の大きな2つのピークにはキャプションはない。大きな事象としては2号機の爆発と4号機の使用済み燃料プール火災が想定されるのではないだろうか。どちらの影響が強いかはグラフからは読み取れない。明確に報告されていない事象があったのかもしれない。
 その後、これらの突出したピークは収まっているかに見える。あるいは記載されていないのかもしれない。その後は、4ミリシーベルトほどの本部(main office)の放射線量のグラフが続く。この連山の冒頭には「Militerary helicopters dumps seawater on Reactor No.3」とある。3号機の使用済み燃料プールへの放水が関連しているという印象は受ける。

追記(2011.3.30)
 グラフの読み方を間違えていたのでそれに合わせて本文を訂正した。当初時刻が日本での事象とずれているように思えたので米国時間で書かれているかと思ったが、各事象の時刻と突き合わせてみると日本時間で描かれてと見てよさそうだ。

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2011.03.25

[書評]慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話(岡崎正尚)

 今日、小林竜司被告(26)の死刑が確定した。NHKでは「大学生リンチ殺人」と報じていたが、他の報道やウィキペディアでは「東大阪集団暴行殺人事件」(参照)とも呼ばれてもいる。2006年6月19日、東大阪大学学生ら2人が小林被告が主導するとされる集団からリンチを受け、生き埋めによって殺害された事件である。

cover
慈悲と天秤
死刑囚・小林竜司との対話
岡崎正尚著作
 小林被告は1審・2審でも死刑となり上告していたが、今日、最高裁判所第2小法廷で上告が退けられ、死刑が確定した。千葉勝美裁判長は「ショベルカーで穴を掘り、2人を生き埋めにした残虐非道な犯行で、死刑はやむを得ない」と述べた(参照)。
 本書「慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話(岡崎正尚)」(参照)は、副題にあるように、その小林竜司被告との対話を元に、日本大学法科大学院在学中の岡崎正尚氏が描いた作品である。岡崎氏は1985年生まれで、生年からすると小林竜司被告と同い年であろう。本書を、私は不思議な友情の物語として読んだ。不思議というのは、死刑囚と弁護士を目指す同い年の二人が法を介して向き合う友情という意味ではない。法という国家の仕組みをどこかしら二人が越えていく姿を結果的に描き出している点だ。
 著者岡崎氏はこの事件について、小林被告が死刑に相当するだろうかという疑念を持ちながら、2009年から小林氏に接しはじめ、文通や面談を通して交流を深めていく。そこには誰が読んでもある友情の成立を見るだろうし、その友情から著者岡崎氏が小林被告に対して、言い方は悪いが肩入れし、なんとかその死刑を阻止できたらと願うようになることを知る。なんとか死刑を阻止したいという思いが本書に溢れている。
 だがそれは、私がこの種類の本で心に留めた広津和郎氏や伊佐千尋氏の手法とは違う。冤罪を証明としているのではなく減刑を目的としているから違うというのではない。むしろ、その減刑への理路は、これも厳しい言い方になるかもしれないが、いち読者としての私から見ても失敗している。岡崎氏もそこにだけ主眼を置いているのでもない。むしろ、同年近い青年同士の、ある曖昧に見える交流から、自分の友だちを殺さないで欲しいという心情の物語となっていく。
 その心情に共感できるだろうか。私は本書を読みながら、ふたつのせめぎ合いを感じた。
 ひとつは、読みながら、拙い言い方ではあるが、落ちこぼれダメ人間として内省される岡崎氏への共感の軸をどう受け止めるべきかということである。本書は、「死刑囚・小林竜司との対話」でありながら、著者岡崎青年の青年の彷徨と蹉跌の物語でもあり、読み方によってはかなりくどい自分語りが開陳されていく。しかもそれが死刑囚への心情への接近の手法のようにもなっている。
 こうした自己意識の持ち方は、私自身にはかなり近い心性があるので、強い牽引力とそして当然といっても言いのだが、そこから離反する青春の敗残経験からの忌避感がある。私は青年ではなく、青年の心情を捨てて生きてたのだからこんな物語には共感しがたいという思いがあり、同時にそこに潜む虚偽感にも気がつき、心が痛む。読みながら、岡崎氏の状況や心情に自分の青春を重ねざるを得ないし、また彼らの交流から開示される小林被告の青年的な内面にも私の心は共感し痛むことになる。私が青年であれば、岡崎氏のように小林被告に友情を感得し、その独自な潔癖さを自分のものとして受け取って懊悩するだろう。
 つまり、そこなのだ。岡崎氏のこの奇妙な接近法によって描かれるのは、潔癖な青年の持つある自罰的な自滅的な絶望なのだ。
 それはある種の自殺にも見え、その構図のなかでは正義面した国家の死刑という制度が、その自殺の幇助にすら見えてくる。私の中で、ほぼ死にかけていた内面の青年が語り出す、そうやっておまえだって精神的に自殺してきたじゃないか、正義に荷担して殺すというのが国家というものではないか、と。
 もうひとつは、端的なところ、私はだまされているのではないかという疑念である。よろしい、小林被告も著者岡崎氏も純粋な人間である。罪は罪だが状況にあっては誰も犯しうるものだと私は心情的に納得しそうになる。そうなのか? 世界の光は本当にそのように照らされているのか? 端的に言えば、小林被告は死刑を言い渡されたから小猫になったが、事件を顧みればわかるように、そして千葉勝美最高裁裁判長が言うように、いくら改悛しても、犯した罪は残虐極まりない。単純に死刑が相当というだけの話ではないのか。
 どのような事件だったのか。
 本書では事件をなんども多面的に描くのだが、その核心は微妙に読み取りづらい。それはこの事件そのものが持つ奇妙さにもよっている。
 発端は青春にありがちな痴情と暴力である。A男の彼女が、別のB男とメールのやりとりをしていた。A男は、彼女を取られたとB男を憎み、とっちめようと仲間で暴行を加えた。よくある話である。この事件の発端では、この暴行に恐喝が加わった。カネを出さないと暴力団によって海に沈めるか山に埋めるというのである。
 B男こと徳満への暴行・恐喝に、徳満の友人である佐藤も巻き込まれた。そのことが、小林被告がこの事件に関与するきっかけとなった。
 困惑した佐藤は、友人の廣畑に電話をかけ、廣畑はこの話を、佐藤の親友である小林に伝えた。小林は当初暴力団が背後にある事件に関わることはできないと、佐藤に対して警察に被害届を出すように説得し、佐藤も警察に被害届を出した。ここで大人が入って終われば、陳腐な痛い青春の物語であった。
 だが、廣畑は報復を考えた。カネを払うと見せかけて、A男に仕返しをしてやれということである。これに小林も加わることになり、おびき出してA男に暴行を加え、埋めた。その後さらに暴力団とつながりがあるとみられたA男の友人C男も埋めて殺した。裁判の結果からすると、小林主導の殺害事件となった。
 事件の人間関係の読み取りを私は間違えているかもしれないが、いずれにせよ、小林は親友の危機にのめり込んでいったことは確かで、その心情と犯行を、著者岡崎氏は突き詰めようとしている。
 だが、そこは私には率直に言って、本書が十分な説明になっているとは言い難い。なぜ、小林被告が犯行の主導であったかは別としても殺害に関与しているのは確かで、その犯罪は犯罪として、現行の法では死刑は相当なのではないか。そこの判断がもうひとつのせめぎあいになるところだ。
 小林がどのように主導したかは、もちろん裁判のプロセスとしては描かれている。しかし、本書を読むとわかるが、小林はそれを是認しているわけではない。殺人をしたのは事実なのだからその罪をすべて引き受けて死ぬというだけの態度である。本書を読むことで、逆になぜこの小林被告がこの陰惨な事件を引き起こしたのか、その内面の核は理解しづらくなる。
 本書は最後に、この事件が3年ほど遅れ、裁判員裁判であれば、小林被告が死刑ではなく、無期懲役の判決ではなかったかと問いけている。
 その問いかけについてであれば、私には疑問はない。私が裁判員であれば小林被告に死刑を求めない。私が死刑廃止論者になったからではない。この判決を私は間違っていると思う。どこが間違っているのか。主犯の認定を含め十分な審議がなされず、死刑という名目で、青年特有の、ある種の絶望からくる自殺を幇助したような形になっているのは、大人として間違いだと思うからだ。

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2011.03.24

東京都水道の放射性物質汚染

 東京都の水道の放射性物質汚染が明らかになり、大きな事件と認識された。世の中を見つめるブログとしても渦中から記録しておきたい。
 昨日東京都は、葛飾区にある金町浄水場水道水から1kgあたり210ベクレルの放射性ヨウ素を検出したと発表した。この量は、今回泥縄式ではあるが設けられた国の安全基準からすると、乳児の飲み水について2倍を越えるため、東京都23区と多摩地域5市で乳児に水道水を与えることを控えるように呼びかけた。これを受けて夕方5時過ぎの枝野幸男官房長官の会見でも言及された(参照)。


 そうしたなかで本日、東京の上水場の一部から、一般的には基準値には達してないが、乳児の摂取を考慮した場合には摂取を控えることが望ましいという基準値を超えた、210ベクレル/キログラム、乳児の水道水摂取基準は100ベクレル/キログラムなので、これをこえる数値がモニタリングされた。この基準値は、長期にわたり摂取した場合でも健康影響が生じないよう設定されたもの。たまたま数回、あるいは数日こうした数値を超えたものを摂取しても、直ちにはもとより、将来にわたっても健康への影響が出る可能性はない、そういった非常に安全性の高い水準を設定している。そうしたなかであるけども、こうした状況は残念ながら一定期間続くことが想定されているなかにあっては、特に乳児の健康に万が一にも影響を与えることのないようにという万全の措置として、粉ミルクをつくる際、調整する際に水道水を使わないことが望ましいということをお願いしたもの。念のため、大人や普通の子どもが飲用する分には全く基準値以下で問題ないし、生活用水としての利用もこれまで通りで問題はない。なお、この乳児を抱えている家庭のみなさんが困らないよう、現在国と東京都水道局の間で対応策を協議しているところだ。

 今回の水道の放射性物質汚染は小規模とはいえるが社会パニックとなり都内のミネラルウォーターは売り切れた。浄水器についても同様なのではないだろうか。
 実際問題として、乳児を抱えている家庭はどう対応したよいのだろうか。東京都側からはすでに「代替となる飲用水が確保できない場合には、摂取しても差し支えありません」という指針が出されていたが、枝野官房長官の会見からは対応策は明確には見えなかった。そのため、さらに社会不安が増長されたようにも見えた。長くなるが、関連部分をすべて引用しておこう。ここから乳児を抱えた家庭が対応できただろうか。

 ――数値は今後上がっていくか。ほかの首都圏、他で出てくるか。
 今まさに、原発の状況がご承知の通りだから、健康に影響を与えるような事態になってないように、それをしっかり把握するよう各方面、様々な分野でモニタリングを精力的に進めて頂いているところ。これは様々な要因が合わさって実際に基準値を超える数字が出る、出てこないなどがある。一概に距離だけで判定できるものではない。従って、いま水道の水について出ているのは、昨日報告した福島県の一部と東京の今回の上水場だが、それ以外のところもしっかりとモニタリングしている。万が一にも予測しないような数値の上昇があれば、しっかりと把握して対応できるように備えている。
 ――具体的にどれくらい飲んだら影響があるのか。
 具体的な詳細は、専門家のみなさんの詳細で科学的な説明を、厚労省になるかと思うが、報告させ尋ねてもらえば。基本的にこの基準値は、この数値・基準値の放射線量を持ったものを1年間、通常の使用で飲料に使った場合であっても人体に影響を与えないという線で、非常に安全を考慮した数値でつくっている。そういったレベルに達するまでは、少なくとも問題はない。
 ――使用自粛呼びかけというが、国が東京都に何らかの措置をとりうるのか。
 様々な現在各地で行っているモニターとか、放医研(放射線医学総合研究所)など始めとして専門家についても、当然東京都も直接専門家と相談していると思う。放医研や原子力安全委など国の関係の専門家のみなさんの知見とかさまざまな点で協力すべきところは協力して、都の水道局において万全の措置を頂けるような態勢をつくりたい。
 ――乳幼児家庭の対策は。すでに水の買いだめが始まっているが、どうする。
 具体策は、これは東京都水道局と相談しているが、主体的には東京都で最終的に判断される。最終的に都の方で決定したら、都の方から報告されるのが筋かなと思っている。水などの買いだめは、ぜひ被災地に宮城とか岩手のみなさん始め、いま飲料水を災害の結果として確保して送っているのに、いろいろなみなさんにお力ぞえ頂いて、ご尽力頂いている状況なので、ぜひ必要な分を超えて買い求めるのは、そうしたみなさんのためにも自粛をしてもらえたらありがたいと思う。
 ――一定期間想定されるというのは、原発がこういう現状である限りは当分続くということか。
 可能性の問題であり、何度も申し上げている通り、気象条件などに大きく影響される。原子力発電所の状況、状態についても、今後できるだけ冷却を安定させ、これを安定的に冷却をし続けるということで事態の収束をはかるべく努力をしているところだが、それにあわせて原子力発電所から外に出る放射性物質の量をいかにモニタリングし、なおかつ抑えていくかも、冷却が安定的に進んでいく中では、やっていかなければならない。ただこれについては、いつごろどうなっていくかは、今あまり予断をもって申し上げられる状況にはないので、できるだけそれを急いで原子力発電所から放射性物質が外に出る状況をできるだけ少なくして押さえ込んでいくということに、少なくとも一定の期間はかかるということが、私から申し上げられる今の段階でのことだと思っている。

 会見にはいちおう、「たまたま数回、あるいは数日こうした数値を超えたものを摂取しても、直ちにはもとより、将来にわたっても健康への影響が出る可能性はない」とはあり、ここから乳児に摂取させてもよいと読み取ることができるが、明瞭とは言い難いのではないか。
 この間、安全な水を求める話題はツイッターでも飛び交った。煮沸すればよいという意見が一時、専門家から出たが、これは誤りでもあった。
 都側はペットボトルで安全な水を提供するとの対応をした(参照)が、国との協調ではなく石原慎太郎都知事の決断であったようだ。
 今日になって、汚染値は79ベクレルとなり規制値を下回ったため、東京都は1歳未満の乳児を対象にした水道水の摂取制限を解除したが(参照)、汚染発生の元と見られる福島原発の状態によっては今後またこうした事態にはなりうるだろう。
 今回の問題だが、前日の22日の時点で福島県では発生していた。「福島第1原発:水道水からヨウ素 乳児へのミルク禁止通知」(参照)より。

 厚生労働省は22日、福島県内の5市町の水道水で国の基準を超える放射性ヨウ素が検出されたとして、水道水で粉ミルクを溶かしたり、乳児に飲ませないよう対象自治体に通知した。今回の震災で乳児向けの飲用水についての規制は初めて。
 対象となったのは▽伊達市(1キログラム当たり120ベクレル・21日)▽郡山市(同150ベクレル・21日)▽田村市(同348ベクレル・17日、161ベクレル・19日)▽南相馬市(同220ベクレル・21日)▽川俣町(同293ベクレル・18日、同130ベクレル・21日)。政府の原子力災害対策本部が財団法人・日本分析センターなどに依頼し、16~19日に6カ所、21日に77カ所で採取して調べた。

 当然東京での事態も国側でも前日から想定してはいただろうが、対応がまずかった面は否定しづらい。
 今回の泥縄式基準だが、興味深い背景がある。
 まず、東京都水道局の今回の正式な報告「第17報 水道水の放射能測定結果について」(参照)を見ておこう。

平成23年3月23日
水道局
 このたび、東京都水道局金町浄水場の浄水(水道水)から、下表のとおり、食品衛生法に基づく乳児の飲用に関する暫定的な指標値100Bq/キログラム(※乳児による水道水の摂取に係る対応について[平成23年3月21日健水発第2号厚生労働省健康局水道課長通知])を超過する濃度の放射性ヨウ素が測定されました。※別紙(PDF形式:103KB)参照
 23区及び一部の多摩地域の都民の皆さまには、乳児による水道水の摂取を控えて頂くように、お願いいたします。
 なお、この数値は、長期にわたり摂取した場合の健康影響を考慮して設定されたものであり、代替となる飲用水が確保できない場合には、摂取しても差し支えありません。
 今後も、濃度の変動を引き続き監視し、公表してまいります。

 東京都水道局からの報告は定期的になされている。そこで問題が発生する以前になる、17日の「第11報」(参照)を比較として見ると、次のように記載されている。

平成23年3月17日
水道局
 東京都水道局で測定した水道水の放射能の測定結果をお知らせします。
 当局では、これまでも放射能の測定を毎年実施してきましたが、福島第一原子力発電所において放射性物質漏洩事故が発生したことから、臨時に測定を行いました。その結果、当局がお客さまにお届けする水道水の放射能の測定値は、これまで測定してきたレベルと同程度であり、問題はありません。
 なお、今後も継続して測定を行い、結果をホームページでお知らせします。
測定結果の概要
 測定結果はいずれも、人が一生涯にわたって水道水を飲み続けても健康影響が生じないレベルを示しているWHO飲料水水質ガイドライン(第3版)の値注1を下回っています(解説を参照)。

 この「人が一生涯にわたって水道水を飲み続けても健康影響が生じないレベルを示しているWHO飲料水水質ガイドライン(第3版)」の値ついてだが、注は次のとおりである。

(注1) WHO飲料水水質ガイドラインの値は、全α放射能では0.5Bq/リットル、全β放射能では1Bq/リットルです。
(注2) 金町浄水場における過去20年間の測定値は、0.0~0.5Bq/リットルです。
(注) Bq(ベクレル)/リットルとは、水1リットル中の放射性物質が放射線を出す能力を表す単位です。

 その後にかなり詳しい解説がある。

解説
 わが国では、放射能に関する水道水質基準等は定められていません。
 ただし、放射性物質漏洩事故等が発生した場合、緊急時モニタリングが実施されるエリア(今回の場合は福島県)については、関係地方公共団体の原子力防災担当部局が中心となって緊急時モニタリングが実施されます。原子力安全委員会により示された指標値を超える飲食物が見つかった場合は、政府の原子力災害対策本部が摂取制限の実施等を検討する仕組みになっています。
 一方、当局が放射能に関して水道水の安全性の評価の根拠としているWHO飲料水水質ガイドラインは、世界保健機関(WHO)が定めたもので、一生涯にわたって水道水を飲み続けても健康影響が生じないレベルを示しており、各国の水質基準等の参考にされています。
 本ガイドラインは、福島県のような緊急時には適用されるものではなく、当局の水道施設など、平常時として浄水処理を実施している日常の運転条件に適用するものとされています。
 ガイドラインでは、まず、全放射能(全α及び全β放射能)を繰り返して測定し、その値が、全α放射能では0.5Bq/リットル、全β放射能では1Bq/リットルを超える場合に限って、個々の放射性核種について分析を行うべきであるとされています(下図参照)。

 いろいろと興味深いことがわかる。
 まず、日本には、放射能に関する水道水質基準が存在していないことである。次に、関連しているが、放射性物質漏洩事故等が発生した場合は、「原子力安全委員会により示された指標値」が検討されて、「政府の原子力災害対策本部が摂取制限の実施等を検討する」ということで、今回の事態になった。「原子力安全委員会により示された指標値」もまた、今回泥縄式に作られたものであったようだ。
 が、この設定値も国際的な基準を満たしていることになっているらしい。WHO(世界保健機関)が22日に発表した大震災に関する報告書「Japan earthquake and tsunami Situation Report No. 13(SITREP NO 13)」(参照)によれば、基準の10倍の厳しさがあるように見える。

The Nuclear Safety Commission of Japan, a unit of the Government of Japan established the guideline value for restriction of intake of drinking water as:

日本政府の部署である日本原子力安全委員会は、飲料水の摂取の制限に以下の指針値を確立した。

I-131* 300Bq/kg
Cesium-134, -137* 200Bq/kg

ヨウ素131 300 Bq/kg
セシウム134,137 200 Bq/kg

* MHLW advised that materials exceeding 100 Bq/kg are not used in milk supplied for use in powdered baby formula or for direct drinking to baby.

厚生労働省は、100 Bq/kgを越える物質は、乳児用粉ミルクへの使用や乳児への直接飲料としてのミルク補給に使用しないよう示唆した。

It should also be noted that the Japanese guideline value is an order lower than the internationally agreed Operational Intervention Levels (OIL's) for I-131 (3,000 Bq/kg), Cs-134 (1,000 Bq/kg) and Cs-137 (2,000 Bq/kg). Iodine-131 is not a significant source of radiation because of its low specific activity (ref. IAEA General Safety Guide No. 2: http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/Pub1467_web.pdf)

日本の指針値は国際的に承認された、ヨウ素131(3,000 Bq/kg)、セシウム134(1,000 Bq/kg)、セシウム137 (2,000 Bq/kg)である作業介入レベル(OIL)より一桁小さい。ヨウ素131は低い比放射能特定ゆえ、重要な放射線源にはならない。( IAEA General Safety Guide No. 2 を参照。)


 10倍もの厳しさの原点となっているのは、作業介入レベル(OIL)とのことである。
 そこで、この資料の1つとなる「原子力あるいは放射線緊急事態におけるモニタリングの一般的手順(IAEA-TECDOC-1092)」(参照PDF)を参照し、「表VI 原子炉事故における作業介入レベル」を見ると、「大地沈着物中の目印となる放射性核種濃度」で「ミルクと水」を見ると、ヨウ素131では、OIL6で、2kBq/m2となっている。単位はベクレル/平方メートルなので該当するのだろうか。OIL8では、0.1kBq/kgとなって。これは、1キログラム辺り100ベクレルということである。
 私が資料の読み方を間違っているのかもしれないし、参照すべき文献が違うのかもしれないが、この文書から作業介入レベル(OIL)から見てると、基準となる3000 Bq/kgは見当たらない。
 原子力安全委員会第15回原子力施設等防災専門部会の「平成18年度原子力安全委員会委託事業 「緊急事態対応判断基準等に関する調査」について」(参照PDF)を見ると、「飲食物摂取制限の介入レベル」の表に「飲料水、牛乳・乳製品:ヨウ素:、セシウム: 300 Bq/kg」とあり、出典は「防災指針」となっている。基本は「ほとんどいつでも正当化されるレベル:年回避実効線量10mSv(1食品あたり)」とのことらしい。こちらの資料の結論から見ると、今回の300 Bq/kgは妥当のようにも見える。この出典となる防災指針はわからないが、平成22年8月改定・原子力安全委員会「原子力施設等の防災対策について」(参照PDF)には、「飲食物摂取制限に関する指標」の飲料水・牛乳について、「3×10^2 Bq/kg以上」とあり整合はしている。放射性ヨウ素については興味深い記述もあった。

放射性ヨウ素について
ICRP Publication 63 等の国際的動向を踏まえ、甲状腺(等価)線量50mSv/年を基礎として、飲料水、牛乳・乳製品及び野菜類(根菜、芋類を除く。)の3つの食品カテゴリーについて指標を策定した。なお、3つの食品カテゴリー以外の穀類、肉類等を除いたのは、放射性ヨウ素は半減期が短く、これらの食品においては、食品中への蓄積や人体への移行の程度が小さいからである。
3つの食品カテゴリーに関する摂取制限指標を算定するに当たっては、まず、3つの食品カテゴリー以外の食品の摂取を考慮して、50mSv/年の2/3を基準とし、これを3つの食品カテゴリーに均等に1/3ずつ割り当てた。次に我が国における食品の摂取量を考慮して、それぞれの甲状腺(等価)線量に相当する各食品カテゴリー毎の摂取制限指標(単位摂取量当たりの放射能)を算出した。

 意外とざっくりと、飲料水・牛乳・乳製品及び野菜類の3つで50mSv/年の2/3を分けましたということのようだ。これって科学的な根拠となるのか疑問がないといえば嘘になる。
 しかし、今回の規制根拠を疑うほどのことはない。それでも一歩踏み込んでなぜそれが安全基準なのかということはわかりづらい印象を持った。また、こういう問題は、わかりやすいまとめがあるほうがよいのではないのかとも思った。もしそういう文書があれば、読んでみたい。

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2011.03.22

[書評]日本改革宣言(東国原英夫)

 11日の地震のとき、ちょうど東国原英夫前宮崎県知事による、コンビニ販売の書籍「日本改革宣言」を読んでいた。東国原氏、というか私にはいまだに「そのまんま東さん」という感じなので、東さんと呼ぶかな。東さんは、14日に都知事選への出馬を発表するとのことだったように記憶している。が、発表はなく断念されたか延期された。この大災害を考慮し、別の機会を選ぼうとされたのではないかと個人的には思っていたが、ツイッターなどを見ると石原都知事が4選出馬を表明したので尻込みしたという話もあり、意外にも思ったが、そういう見方もあるのかもしれない。結局、先ほど、立候補された。
 震災前になるが、私は今回の都知事選では石原さんには投票しないつもりでいた。大きな権力を持つ要職に4選なんてするものじゃないし、まして当選したら80歳を越える。輿石東参議院議員じゃあるまいし、80歳まで政治家なんかすることはないだろうと思っていた。
 私が今回の選挙で石原氏を支持していないことくらい、エントリー「石原慎太郎・東京都知事によるとされる「天罰」発言のこと: 極東ブログ」(参照)を読めば普通にわかってもらえるだろうとも思っていた。が、意外にもそうでもない。フェースブックの向こうをはって「これはひどい」ボタンで有名な、はてなブックマークをちらと見るとこんな感じである。


sandayuu これはひどい, 石原慎太郎 こういう風に延々と屁理屈を展開させないと擁護できない時点でどうしようもない。 2011/03/20
hgt 頑張って擁護 2011/03/19
dj19 石原慎太郎 どう擁護したって、”津波で「日本人の心の垢」を「押し流す」必要がある”という愚民視した発言は消えないし、ポピュリズム政治家の代表格である石原がポピュリズムを批判したつもりになっているというのも痛いねぇ 2011/03/19
kanose 不思議 finalventさんって、関心がないと言いながら、擁護すること多いよねー 2011/03/19

 いやあ、どこをどう読むとあのエントリーで石原知事擁護になるのだろう。
 私が言いたかったのは、この御仁、従来から延々と強力失言マシンなんだから、いくら季節柄とはいえ、今回のこんな低レベルの言葉狩りみたいなバッシングしても意味ないし、こんなレベルの言葉狩りしても石原都知事批判にはなってないでしょ、くだらないなあ、ということだったのだが。わからないものなのかな。
 あるいは、石原都知事の「天罰」失言でバッシングの人々に同調してバッシングしないと、バッシングの矛先は同調しない人に向かうということなのか。だったら、それってファシズムじゃないのか。
 震災以降のネットの言論を見ていてもそういう、ファシズム的な傾向が感じられて気持ち悪い。例えば、個別の発言者をデマゴーグ見立てて、寄って集ってバッシングして屠ろうとする傾向がある。これは、その屠り候補にしばしば上る自分としても、実に気持ち悪いものだ。
 開かれたネットなのだから、デマがあれば個別に指摘すればいいし、デマばっかり流すデマゴーグがいるなら、にこやかに無視すればいいだろう。なのにそれができないのは、バッシングの側に参加していないと、こんどは自分がバッシングされるんじゃないかという恐怖が支配しているからではないか。
 また、これこれの発言者の発言は信頼できるといったリストを掲げているネットの御教祖様も出現する。それって仕組みだけみれば、妄信の宗教ではないか。震災や原発事故で不安に駆られてしまうのはわからないではないが、こういう心理的傾向は怖いものだと思う。
 と、話がそれてしまったが、私としては、都知事選に石原氏は外していたので、では誰に投票するかなと、そういう候補のなかの一人として、そのまんま東さんをちょっと考えなおすかなというしだいだった。で、どうか。
 率直なところ悩んでいる。
 この大震災で私は、政局はいったんモラトリアムにすべきだと考えている。国政でいうなら、民主党政権でよいし菅首相でよい。政府があれば御の字の部類。同じ理屈でいうなら、都知事選も延期するのがよいだろうと考えている。
 しかしそれができないなら、とりあえず向こう1年くらいは石原都知事の継続でもいいだろうし、と。なので都知事選が活発になり、その空気に不穏なものを感じたらモラトリアムの意味で石原知事に投票するかもしれないと、考えあぐねている。一回当選したら1年で済むわけもないのが困ったことだが。
 と、また話がそれたが、本書「日本改革宣言」はどうだったか。
 だまされたとは言わないが、都知事選の話はまったく出てこない。というか、これを読む限り、地方分権の話はあるものの、基本線としては国政が意識されている。書名「日本改革宣言」のとおりである。東さん、衆院に出るのが願望なのではないかと思ったほどだ。

 だが、困難だとわかっていても人は、やらなければならない時には、行動を起こさなければならない。このままでは、この国は衰微衰退していくだけだ。現状維持は衰退を意味する。残された猶予は少ない。
 私もそのために、微力ながら、尽力したい。
 世の中も社会も政権与党も変わっていく中で、行政、霞ヶ関だけが変わらないのはやはり異常だ。この国をよくするために、旧来の仕組みや枠組みを早急に変えなければならないというのが私の考えだ。


(前略)日本はこのまま行けば近い将来、確実に崩壊するからだ。この10~20年で国の活力を示す指数は軒並み下がってきている。特に今後の10年、15年が国家存亡の鍵を握ることになるだろう。

 都知事に彼を推す人たちはいるのかもしれないけど、彼自身は地方行政よりも国政に意識が向いているのではないか。
 こういうと悪いけど、それで都知事選挙に出るなら、宮崎県知事はある意味で政治家としての通過点のキャリアなので、都知事もまた同様に通過点のキャリアにして、ペログリ田中さんみたいに国政に挑みたいということなのだろうか。私は基本的に、東さんを支持しているわけでもないので、よくわからないところだ。
 本書での東さんの主張だが、僕の印象では、今は懐かしい在りし日の民主党の主張である。合掌。小沢一郎さんの懐メロ「日本改造計画」とさして変わらない。官僚支配をただしして政治主導にする。私もこの考え方を90年代から支持してきたので、その意味では東さんの言いたいことのは、すらすらと理解できるように思えた。
 で、今や、その夢の残骸を見ている。私は、ブログでも記してきたが、政権交代の前からこの残骸は見えた。それでも、ここまでひどいとは思わなかったし、鳩山前首相があれほどの天才的な人だとも想定しなかった。
 かつての民主党理念、あるいは、小沢さん本人がもう語らなくなった、あの規制緩和・構造改革・減税を掲げてきた小沢イズムと言ってもよいかもしれないが、その理念が今の日本に必要だろうか。率直なところ、これも私にはよくわからない。
 ただ少なくとも東さんの財政タカ派的な考えには賛同しがたい。

 国の借金は後何年かで1000兆円を越える。現在国民の金融資産が1400兆円と言われているが、住宅ローンなどの借金や不動産等を差し引くとおよそ1000兆円になる。つまり、間もなく国と地方の借金が国民の個人の金融資産を越えるということになるのだ。今後、日本はどうなってしまうのか。

 残念ながらまったく同意できない。
 対称的な比較で言えば、舛添要一さんのツイッターの提言に私は同意する(参照)。

このデフレの時期に、震災復興のための増税はダメです。それよりも、20兆円規模の国債を日銀に引き受けさせたほうが効果があります。これは、国会の議決でできますので、全力をあげあす。日銀は反対するでしょうが、日本の命運がかかっています。

 とはいえ、東さんの本を読むとわかるが、彼はかなり頭の切れる人なので、きちんと筋立てていけば舛添さんの提言も理解できるだろう。震災で大きな衝撃を受けた日本について、どのような経済政策が必要なのかということも理解されるのではないか。その意味では、本書の限界でのみ東さんを理解するものではないだろう。
 本書が普通に書籍としておもしろいのは、彼の宮崎県知事時代の体験談である。入札改革、宮崎県品ブランドの普及、鶏インフルエンザ、そして口蹄疫。知事の側から見た興味深い話がある。読み応えがあるし、本人談の結果的な自慢話を差し引いても、この人の知事の手腕は大したものだと思わせる。その意味で、この人なら東京都知事の役はこなせるなという印象は得られる。
 私が本書で関心を持ったのは、しかし、まったく別で、同い年の男としての、共感と嫉妬と悔恨とそういうごちゃごちゃした文学的な思いである。
 嫉妬、と書いたが、同い年の女優、かとうかずこさんと結婚したことだ。コメディアンのくせして「なんとなく、クリスタル」の主役と結婚しやがってうらやましいぞということだ。「美女と野獣」とも言われたものだ。いや、それだけではない。きちんと美女をくどき落とせる男っていうのは偉いな、悔しいのぉと思った。1990年、当時、32歳の東さん、すでに前頭にはその未来も輝いていたんだぞ。
 なのでその離婚にはがっかりした。一男一女のパパだろう。かとうさんが「政治活動する人は生理的に受け付ず、一緒に居るのも嫌」というのがよくわかる。なのになぜ、歯を食いしばり、君は行くのか、というのが私の東さんへの関心のコアのひとつである。その話は、本書には書かれていない。(子供たちから尊敬される父になりたいんじゃないだろうか。)
 もうひとつの関心はいわゆる「淫行事件」である。1998年、東京都内イメクラが16歳の少女、つまり未成年の従業員を使っていたが、彼女がその客として、東さんを供述。東さんとしては、まさか相手が16歳とは知らずということで事情聴取で終わり、犯罪歴にはならなかった。妻のかとうは、まあ、許した。世間の目もあって、東は一年謹慎ということになったが、翌年、仲間の頭を蹴ったとして暴行容疑で書類送検されている。僕は、だめだこいつと思ったものだった。
 本書では通称「淫行事件」も触れられている。まあ、別段事件でもないのだが、世間の目もあって避けるわけにもいかないだろう。

 あの時、姉に電話をしたら「うちには高校生の娘がおるとよ! あんた、いい加減にせんね!」と、ものすごく怒られた。おふくろがその後ろで、声を殺して泣いているのがわかった。

 美人女優の奥さんがいて42歳にもなって16歳の娘さんと淫行というのは、洒落にもならないなと思うが、そう思う私なんぞはそんな甲斐性がないから世の誘惑から免れているだけだろう。己の卑小さを顧みれば責める気にもならないし、なんだかんだいっても、秀吉の妻みたいに奥さんが許している以上、男としてはたいしたもんじゃないかとも思う。
 東さんは、それが契機となり大学で勉強しなおして政治家になるということだが、私はなんとなく嘘くさい感じがしていたものだったが、本書を読んで、なるほどと、一種感動したエピソードがある。

 そして、謹慎期間中の1999年の大晦日、紅白歌合戦にまた、とんねるず率いる「野猿」が出演した。新しい形で紅白に出演し、ブラウン管狭しと大暴れする彼らのパフォーマンスを見ていると、「この人たちにはかなわない」と思った時のことが鮮明に頭に浮かんだ。
 だが、それはずっと頭の隅にあった小さい頃からのもうひとつの夢がぱっと大きくなった瞬間だった。
 お笑いの世界でかなわないと思う人がいるんだったら、自分は違う世界に活路を見出そう、このままひとつの夢を実現できないまま人生を終えたら必ず後悔する。そんなのは絶対に嫌だ。方向転換するなら今しかない。

 今ふと思ったのだが、43歳というのは後厄ではなかったかな。満年齢で数えるものでもないが、男の人生で、なにかがボキっと折れる時期でもある。私なんかもボキっと折れた。私の場合は、死ぬかとも思った。それを越えても折れつづけて、活路を見出すどころではなく、生きるのがやっとだった。だから、活路を見いだせるだけいいじゃないかと思うし、そこは東さんの偉いところでもあるし、それで成功するなら、天命というものだろうと素直に思う。
 人生のその、なんというのか負けたなあ俺はという山だか谷だか越えない人間に私は共感しない。頭のいい人もいる。強い人もいる。しかし、敗北の意味をきちんと人生に織り込めない人生には意味がないと思う。
 その点では、東さんに共感もしている。まあ、投票するかどうかは別だけどね。

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2011.03.21

枝野官房長官曰く、汚染ホウレンソウによる被曝はCTスキャン1回分の5分の1

 震災以降の枝野官房長官の会見はわかりやすく、聞き取りやすい。巷や海外で「枝野首相」と誤認とも洒落ともつかない呼称が出てきてしまうのもしかたないし、民主党の支持の高まりにも影響しているのかもしれない。ただ、多少だが気になった点があるのでメモしておきたい。
 気になったのは、枝野幸男官房長官の19日夕方の記者会見で、茨城県産ホウレンソウから食品衛生基準法上の暫定基準値を超える放射線量が検出されたと発表した、その説明の仕方についてである。正確な発言を見ておこう。朝日新聞「枝野官房長官の会見全文〈19日午後4時過ぎ〉」(参照)より。


 もう一点、ホウレンソウ、牛乳についての報告です。福島県内で採取された牛乳、そして茨城県内で採取されたホウレンソウの検体から、食品衛生法上の暫定基準値を超える放射線量が検出をされたという報告がありました。一つは、昨日の17時半ごろ、福島県の原子力センター福島支所の緊急時モニタリングにおいて、一農場から採取された原乳から食品衛生法上の暫定規制値を超える数値が検出されました。本日、午前11時、茨城県環境放射線監視センターの検査で、ホウレンソウ6検体から食品衛生法上の暫定規制値を超える数値が検出されたとの情報がもたらされました。
 このため、厚生労働省において、本日未明、福島県に対し、また本日昼、茨城県に対し、関係情報を調査の上、食品衛生法に基づき、当該検体の入手先、同一ロットの流通先の調査、結果によっては販売の禁止など、食品衛生法に基づく必要な措置を講じるよう依頼をしたところです。国としては、福島第一原子力発電所災害との関連を想定しつつ、原子力災害特別措置法の枠組みの下で、さらなる調査を行って参ります。その上で、その調査結果の分析、評価をしっかりと行い、一定地域の摂取制限や出荷規制などの対応が必要であるかどうか、必要であるとすればどの範囲とするかなどについて、早急に検討を出してまいりたいと考えております。

 ホウレンソウと牛乳から食品衛生法の基準を超える放射線量が検出されたということは問題であるが、その対処は明確に指示されているので、国民の健康には被害を与えない。また、国がきちんとした対処にあたれば、懸念される風評被害についても対応できるだろう。
 ではどの程度の放射線量であったかについて、枝野官房長官はこう説明している。

 なお、今回検出された放射性物質濃度の牛乳を仮に日本人の平均摂取量で、一年間摂取し続けた場合の被曝(ひばく)線量はCTスキャン1回程度のものであり、ホウレンソウについても、日本人の年平均摂取量で一年間摂取したとして、CTスキャン1回分のさらに5分の1程度であるという報告を受けております。

 医療検査に用いられるCTスキャンは安全が確立されており、しかもその5分の1であればさらに安全であるという修辞で枝野官房長官が語られているのではないかと思う。
 これを聞いて私が困惑したのは、内部被曝と外部被曝が混乱しているのではないかということだった。ホウレンソウは、外部被曝を懸念するべき対象ではない。つまり、手に取って鑑賞したり鼻を近づけてその香りを嗅ぐといったものではなく、食べるものなので、被害があるとすれば内部被曝になる。実際、チェルノブイリ原発事故でも被害は汚染食品を介した内部被曝が問題であった。
 私の疑問は、内部被曝の安全性を、CTスキャンの被曝の量で比較するものだろうか?ということで、もしかすると、私が無知な愚問を抱いているのかもしれない。たとえば、内部被曝の危険性に換算して枝野官房長官が語られているのかもしれない。追記: 「実効線量係数」で換算されているらしい。本文追記及びコメント欄を参照のこと。
 ここで比較されているCTスキャン1回分の放射線量だが、ウォールストリートジャーナルによるシーベルトの説明報道では「6900マイクロSv(6.9ミリSv)程度」(参照)とあり、その5分の1であれば、1380μシーベルトつまり、1.38ミリシーベルトとなる。
 他方、産経新聞記事「放射能検出の生鮮品「影響ないレベル」 専門家、過剰反応戒める」(参照)ではこう解説されている。

 厚生労働省の発表では今回検出された放射性物質で最も高かったのは、茨城県高萩市のホウレンソウから検出されたヨウ素で、1キロあたり1万5020ベクレル。
 放射線医学総合研究所(千葉市)の吉田聡・環境放射線影響研究グループリーダーによると、このホウレンソウの数値を人体への影響を示す単位である「シーベルト」に換算した場合、0・24ミリシーベルトになる。
 人体に影響があるのは一度に100ミリシーベルトを受けたときとされており、小鉢一人前のホウレンソウを100グラムと仮定すると、今回のホウレンソウは4200人分を口にしないと人体に影響を及ぼさない計算になる。
 吉田リーダーは「妊婦や子供など、放射性物質の影響が大きいとされる人たちについても、摂取しても問題がないレベルだ」と冷静な対応を呼び掛けている。

 今回の汚染ホウレンソウをシーベルトに換算すると0.24ミリシーベルトとなるらしい。
 先ほどの単純な換算とは単純には整合しないように見える。また、CTスキャンにもいろいろあってウォールストリートジャーナルの例は枝野官房長官が比喩に使ったタイプとは違うのかもしれない。
 私が基本的な勘違いをしているのかもしれないが、吉田聡・環境放射線影響研究グループリーダーによる0.24ミリシーベルトの数値が正確で、CTスキャンという外部被曝の放射線量を内部被曝に換算しているのではないだろうか。
 であれば、枝野官房長官がCTスキャンという外部被曝の比喩を出してはきたものの、危険性の換算としては内部被曝が考慮されていると見てよかもしれない。
 そう考えると困惑の大半は解消されるが、仮にそうであったとして、もう1つ、困惑というのではないが気になることがあった。先の枝野官房長官の会見に続く。

 また、今回作りました暫定的な基準値というものでありますが、この暫定的基準値は、国際放射線防護委員会の勧告に基づき設定したものでございますが、当該物を一生、飲食し続けることを前提として、健康に人体に影響を及ぼす恐れのある数字として、設定をされた数字、これに基づいて、今回報告がなされ、より広範な調査、分析、評価を行う必要があるとしたものでございまして、ただちに皆さんの健康に影響を及ぼす数値ではないということについては十分理解を頂き、冷静な対応をお願いをしたいと思います。

 聞いていて疑問に思ったのは、先に「食品衛生法上の暫定基準値」として述べられた基準が、「今回作りました暫定的な基準値というものであります」とのことで、話を聞く限りでは、今回の問題が出て来たので、早急に基準を作ったかに聞こえることだ。そのあたりの真相はどうなのか、つまり、言い方はよくないが、この基準は泥縄式に作られたものなのか、疑問に思った。
 仮に泥縄式であったとしても、枝野官房長官が明言されているように、「国際放射線防護委員会の勧告に基づき設定」したとのことで、その基準はグローバルスタンダードなので、非科学的ものではないだろう。その意味で、仮に作成手順が泥縄式であっても基準自体は科学的に正確であると信頼してよいだろう。
 それはどのようなものか? すでに食品安全委員会から、3月16日作成、21日更新(第6報)として「東北地方太平洋沖地震の原子力発電所への影響と食品の安全性について」(参照)が公開され、解説されている。このなかで、基準値を超える食品を摂取した場合についての想定問答が掲載されていてわかりやすい。

2 放射性物質を含む食品の摂取による人体への影響は、内部被ばくによるものですが、原子力安全委員会は、国際放射線防護委員会(ICRP)が勧告した放射線防護の基準(例えば放射性セシウムの場合:実効線量5ミリシーベルト/年)をもとに指標を定めています。

 基準を放射性セシウムで5ミリシーベルト/年からすると、今回の汚染ホウレンソウが0.24ミリシーベルトとのことなので、20倍近い差がある。が、実際には放射性セシウムより、半減期の短い放射性ヨウ素が問題なので、実効線量50ミリシーベルト/年とその200倍になる(参照)。なので、実際には200倍と見てよいだろう。
 放射線量が累積されるとするとして(なおICRPでは半減期は考慮されているが、単純に累積するものではない)、今回のホウレンソウを100gとしてみると、1kgの10分の1なので、年回に2000回食べても安全ということになる。このほうれん草のおひたしを毎日食べても安全だということだろう。
 というところで、先の吉田聡・環境放射線影響研究グループリーダーの説明を思い出し、少しだが首をかしげた。再度引用する。

 人体に影響があるのは一度に100ミリシーベルトを受けたときとされており、小鉢一人前のホウレンソウを100グラムと仮定すると、今回のホウレンソウは4200人分を口にしないと人体に影響を及ぼさない計算になる。

 私の概算に基本的な間違いがあるのだろう。ここでは、基準は100ミリシーベルトで、よって、4200人分となっている。
 私が基本的な勘違いをしているのではないかとも思うが、そうではない部分では、端的なところ、吉田聡・環境放射線影響研究グループリーダーの説明では、人体に影響があるのは、「100ミリシーベルト」としているが、国際放射線防護委員会の勧告による基準では、放射性ヨウ素だと「50ミリシーベルト/年」なのでやはり倍の差がある。放射性ヨウ素に限定されないと倍になるのだろうか。
 あるいは、食品基準としては「50ミリシーベルト/年」ではあるが、その値と人体に影響が出る値は異なり、人体の影響というなら「100ミリシーベルト」ということなのだろう。とりあえず、そう考えるのが妥当なようではある。
 ここでどうも私が混乱しているのかもしれないが、関連して気になることはある。例えば毎日新聞「記者の目:福島第1原発の放射性物質漏出=斗ケ沢秀俊」(参照)を例にすると、被曝の安全性についてこう語られている。

 新聞やテレビの報道で、必ず出てくる言葉がある。「ただちに健康に影響するレベルではない」。この表現は科学的には正しい。私は知人に問われた。「ただちに影響しないということは、後で影響するかもしれないということでしょう」。実際には、合計の被ばく量が100ミリシーベルト以下では、将来がんになる確率が高まることはないとされる。

 また、今回福島原発作業員の被曝線量の改定でもこう語られていた。朝日新聞「福島第一原発の作業員、100ミリシーベルト超え始める」(参照)より。

 厚生労働省と経済産業省は15日、福島第一原発で緊急作業にあたる作業員の被曝線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げている。

 この場合の「100ミリシーベルト」は外部被曝である。
 もしかすると、吉田聡・環境放射線影響研究グループリーダーの説明にある「100ミリシーベルト」もこれ同様に外部被曝ということで、説明に混乱があるということはないのだろうか。よくわからない。
 もう一点、安全基準に対する考え方で吉田聡・環境放射線影響研究グループリーダーは「今回のホウレンソウは4200人分を口にしないと人体に影響を及ぼさない計算になる」と、1回につき何人分という説明がされているが、国際放射線防護委員会(ICRP)が勧告した放射線防護の基準は、例えば、「実効線量5ミリシーベルト/年」というように「年」が単位になっており、半減期は想定されていても、通年の摂取への視点なので、この点についても内部被曝の考え方からみてどうなのだろうかと違和感が残った。
 ブログではエントリにちょっとした間違いがあると、厳しく批判や罵倒を受けるものなので、納得できるご指摘があれば、記事に反映するなり、追記したいと思っている。

追記
 引用部に対する時間単位について推定を除いた。


追記(2011.3.22)
 コメント欄で有益な示唆をいただきました。ありがとうございます。
 ホウレンソウの内部被曝については、「実効線量係数」によって:


ヨウ素131を経口摂取した際の実効線量係数は1.6x10^-5(mSv/Bq)なので
15020(Bq/kg)x1.6x10^-5(mSv/Bq)=0.24032(mSv/kg)
という単純な計算です


日本人が1日に摂取するホウレンソウの量は平均約15グラムらしいので、
年間で約1.3mSvになりますね。
CTスキャン1回分の1/5ってのはこういう計算でしょう。

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2011.03.20

多国籍軍によるリビア攻撃が始まった、つまりイラク戦争2.0開始

 米英仏を中心とする多国籍軍は日本時間で20日の未明にリビアへの攻撃を開始した(参照)。戦争がまた始まった。作戦名は「オデッセイの夜明け(Odyssey Dawn)」。読売新聞は「新たな旅立ち」と訳していた。ポケモンだろそれ。
 日本の民主党政権もこの軍事行動を支持した(参照)。日本もまた戦争に荷担することになったわけである。すでに政権から離脱してしまった社民党だが、仮に依然政権に加わっていたらどうなっていただろうか、とわずかばかり空しく思った。イラク戦争の時には随分と反対していた人がいたが、そうした声はあまり聞かれないようには思った。
 リビアの情勢が「イラク戦争2.0」、つまりイラク戦争を多少修飾した程度の事態になることはすでにエントリに記した(参照)し、その通りの展開となったので特段に驚くべきことはない。中国とロシアは、リビアへの武力行使を容認した国連安保理決議の採決で棄権し、多国籍軍によるリビア攻撃に遺憾の意を表明した(参照)。
 こうなるでしょと予期していたものの、なぜまたイラク戦争2.0を開始しなければならないのかということは、イラク戦争の時と同様、私には今ひとつよくわからない。
 もちろんイラク戦争とは大きく違っている点もある。イラク戦争では、イラクと一緒に国連不正をやっていたフランス政府が米国の軍事行動から離反していたが、今回はフランスのほうが戦争ノリノリだった。この点、なぜなのかとツイッターで問われたが、よくわからない。もちろん、表向きは人道危機への対応であり、朝日新聞社説「リビア介入―市民の保護を最優先に」(参照)のようにイラク戦争を忘れてけろっとダブスタなことで済ませてもいいのかもしれないが、そうでもなければ、石油の問題、地中海・北アフリカ世界のパワーバランス、さらなる難民問題などの要因も思い浮かぶ。が、これといった決め手になるとも思えない。右派ルペン氏の娘マリー・ルペン氏に押されて強硬気取りのサルコジ大統領ということもないわけではないが、それが理由とも思えない。
 欧米各国の政治指導者は、リビアのカダフィー指導者との間に、ちょっと痛い青春の悔恨みたいなものがいろいろあるので、大人になったら大人らしくばっくれて見せているのかもしれないし、いろいろ隠蔽したいこともあるのかもしれないが、そんな陰謀論で説明できる話でもない。
 実をいうと、私は米国オバマ大統領なら、こんなべたなイラク戦争2.0に突っ込んで、ブッシュ前大統領と同じじゃねーかよといった行動を取らないではないかとも多少期待していた。が、オバマ大統領もイヤイヤながらも追い詰められたということなのだろうか。開戦でもごたくを述べていた。毎日新聞「リビア:空爆 米大統領、「我々が求めた結果ではない」(参照)より。


オバマ米大統領は訪問先のブラジル・ブラジリアで19日、声明を読み上げ、リビア国民を保護するため「米軍の限定的な軍事行動の開始を承認した。行動は始まった」と宣言した。また国民への攻撃をやめないカダフィ政権に対して、「行動には結果が伴う。それが連合国の大義だ」と述べ、国際社会の強い意志を主張した。
 大統領は軍事行動について、「米国や我々のパートナーが求めた結果ではない」とし、国連決議に盛り込まれた即時停戦に応じないカダフィ政権が招いたものだと指摘した。さらに「圧政者が自国民への情けは無用と言っているのに、手をこまねいているわけにはいかない」と語った。

 オバマ大統領が引いている理由というなら、若干わからないでもない。15日付けワシントンポスト「The United States watches as Moammar Gaddafi gains」(参照)に、なるほどねと思える話があった。

Possible interventions include not only a no-fly zone but also providing weapons to the rebels, offering inducements to Gaddafi loyalists to defect, jamming Libyan military radio transmissions or bombing Mr. Gaddafi’s tanks and artillery when they move east. Each option carries risks for the United States, and Mr. Obama’s caution is understandable.

可能な軍事介入は飛行禁止区域の設定に留まらず、反乱軍への武器供与や、カダフィー信奉者の離反促進の餌を与えることや、カダフィー派の軍が東に進行する際には、無線妨害をしたり、カダフィー派の戦車や大砲への爆撃することが含まれる。どの選択であっても、米国には危険が伴うし、オバマ氏の警告も理解できる。


 それはそうだ。なのになぜ米国はこの戦争に突っ込まなければならないのか。

On the other hand, Mr. Gaddafi’s military is weak, and many Libyans clearly are desperate for change. And a Gaddafi victory also carries risks for U.S. interests, as Mr. Obama himself has said. A sacking of Benghazi will be accompanied and followed by a horrific bloodbath.

他方、カダフィー氏の軍は弱く、多くのリビア人は明確な変化を希求している。しかも、カダフィー派が勝利すると、オバマ氏自身が言うように米国の国益は危機に直面する。ベンガジの奪取とその後には恐るべき大量殺戮が伴うだろう。


 そのあたりは朝日新聞社説みたいなダブスタなお話である。さらにこう続く。

A revitalized dictator is likely to be distinctly unfriendly to Western interests. And other despots will conclude that Mr. Gaddafi’s brand of merciless revenge brings better results than the Tunisian and Egyptian models of accommodating people’s yearning for freedom — and that American threats to the contrary can be discounted.

力を盛り返した独裁者は、明確に西側諸国の国益と非友好的になるだろう。さらに、人々が自由を求めること受容するチュニジアやエジプトのようなことになるよりは、無慈悲な報復というカダフィー氏の烙印がましな結果だと、その他の独裁者も結論づけるだろう。つまり、米国が独裁に反対するのだという脅しが軽視されることになる。


 率直なところ、その主張はイラク戦争のときのネオコンとどこか違いがあるのかわからない。しかし結局のところ、そうした、またこれかよという判断に押されてオバマ大統領がイラク戦争2.0を始めたということは、ブッシュ前大統領の開戦をも数学的帰納法みたいに証明しているようにも見える。
 私は、よくイラク戦争を支持した・ブッシュ前大統領を支持したとか誤解されたが、しかたがないなと思ったくらいで、支持してはいない。今回の新しい戦争でも同じで、なぜこの戦争をするのか、イラク戦争と同じではないか、しかたがないなというくらいにしか思わないし、支持もしない。
 ではどうするべきなのかと言えば、平和を求める可能なかぎりの努力をすべきだろう。日本国憲法にそう書いてあるし、そういう市民契約で成立した国家の国民なのだから。

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