« 一川保夫防衛相は穏便にひっこめたほうがよさそう | トップページ | [書評]さむらいウィリアム 三浦按針の生きた時代(ジャイルズ・ミルトン) »

2011.12.04

[書評]河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙(河北新報社)

 今年はどんな年だったかといえば、東日本大震災の年だったと言うほかはない。NHKニュースに流れる災害報道の映像は見ていた。そのくらいは見るようにした。
 かつて大伴家持の晩年を偲んで一人旅して回った多賀城市の惨状は、胸抉られる思いがした。あまりの圧倒的な惨事に心がついて行けなくなった。自分について言えば、少し日が経って以降、震災についてはあまり考えないようにしていた。逃げていた。

cover
河北新報のいちばん長い日
震災下の地元紙
 そうもいかない。震災を少しづつ考えようと思ったとき、まず言葉が欲しいとも思った。映像やニュースではなく、その経験のただ中にいた、人間の言葉が欲しい、と。それが、この「河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙(河北新報社)」(参照)にはあった。
 書名「河北新報のいちばん長い日」は第1章の章題でもある。3月11日の、その当日から、奇跡的と言ってもよいだろう、翌日の朝刊を作り上げる12日の未明までの河北新報の活動がドキュメンタリータッチで描かれている。
 その冒頭は皮肉にも、あの日の午後1時、震災など想像もできない時刻、翌日の朝刊のトップの話題はないかと思いあぐねていた報道部デスクの述懐から始まる。そうなのだろう。平穏な日々、新聞社はなにが話題だろうかと気を配っている。だが、デスクはその思いに「のちに激しく後悔することなる」。想像だにできないことが起きた。
 惨状が真に迫るのは、河北新報社をも襲う激しい地震のさなか、誰も叫び声を上げなかったことだ。「人間は本当の恐怖を感じ取ると言葉を失うものだ」と記されている。壮絶な体験がつづく。その災害のなかで不可能と思えるような困難のなかで、新聞を発行しようと同社が一丸となっていく。
 私は無神経に思う、そんな惨状で命がけで新聞を作る意義があるだろうか、と。無理なら無理として、しばし休刊すればいいのではないか。私は、そんな程度の人間であり、本書を読みながら恥じることになる。
 同社は停電にはなったが、自動発電装置は稼働した。報道部の素材管理システムと整理部の組版システムは被害があるものの使える。輪転機も無事だった。だが、組版基本サーバーは倒壊し、自社では新聞が発行できない。
 そこで新潟日報との非常時の協定(号外は2ページ、朝刊は8ページまで組版が依頼できる)を活かして新聞の作成に取りかかることになる。そういう非常時対策があったのかということに無知な私は驚きもした。
 かくして当日夜の号外、そして朝刊ができあがる。1897年創刊以来、休刊日を除いて一日も休むことなかった河北新報が続く。そのことの意味は、東京在の私などには想像しがたいが、地元では大きな支えになっていたのだと知る。
 3月12日以降続く現地の取材のようすは凄惨という他はない。映像やニュース報道とは異なり、人間の目を通して見られた地獄のような情景が、人の思いを介して言葉になっていく。読者はそれを言葉として読み取りながら、理解していく。どれほど情報技術が発達しようが、そこに変わりないだろう。であれば、新聞記者、特にその地域に生きる記者たちの基本的な仕事には変わりがあろうはずがない。新聞というのはすごいものだなと素直に思う。
 河北新報の「河北」の名称は、「白河以北一山百文」(白河の関より北には一山が百文の価値しかない荒れ地)という、明治維新の際の薩長からの侮蔑を逆手に取った独立心を表している。と同時に、白河という地名が一つの目安になると言ってもよい。私は西行や芭蕉を偲んで白河の関へ一人旅したことがある。南湖公園で一人寂しくボートにも乗った。福島県の思い出である。
 震災は福島原発事故も引き起こした。河北新報も地元紙として取材にあたる。福島には11人の記者がいる。そのようすを描いた「第6章 福島原発のトラウマ」は記者の当事者としての、息を飲む描写が続く。記者はその場を去るべきなのか。当初、社は避難指示を出す。
 中島記者は15日に福島に戻る決意をする。28歳の女性・菊池記者は、いったんは故郷、佐渡に避難したが、19日に福島に戻ってくる。記者として悩むその間の日々の記録も本書に記されている。
 危険を冒しても現場に居たい。新聞記者魂ではあるが、それだけにまとめることのできない心情が言葉として本書には滲んでいる。記者の思いが、その後の福島原発報道の背後に裏打ちされていく。
 第9章は「地方紙とは、報道とは」と題されているが、この章だけではなく、本書全体が、未曾有の危機のなかで、まさに「地方紙とは、報道とは」が問われたことを示している。
 地方がどうあるべきか。地方の再生はどうするか。そうしたいかにも明瞭な問いかけには答えとなる各種の議論があるものだ。だが、答えなどあまり意味はない。
 地方が生きているということは、その人々の生活を写し取り伝える基本機能なくして成立しない。当たり前のことと言えばそうだが、その当たり前は、命がけの仕事ともなりうる。そこまでの使命感を支えるもの、それを信じられることが大きな意味を持つ。
 
 

|

« 一川保夫防衛相は穏便にひっこめたほうがよさそう | トップページ | [書評]さむらいウィリアム 三浦按針の生きた時代(ジャイルズ・ミルトン) »

「書評」カテゴリの記事

コメント

新潟新報 → 新潟日報

投稿: | 2011.12.06 14:02

誤記、ご指摘ありがとうございます。訂正しました。

投稿: finalvent | 2011.12.06 17:04

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: [書評]河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙(河北新報社):

« 一川保夫防衛相は穏便にひっこめたほうがよさそう | トップページ | [書評]さむらいウィリアム 三浦按針の生きた時代(ジャイルズ・ミルトン) »