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2011.12.29

[書評]心から愛するただひとりの人(ローラ・リップマン)

 ローラ・リップマンの短編集「心から愛するただひとりの人」(参照)には、17編もの小編が四部構成で収録されている。ハヤカワ・ミステリ文庫であることからわかるように作品はどれも分類上は推理小説と言ってよく、大半の作品には犯罪や謎解き、探偵といった要素もある。だがミステリーを堪能するには短く、またそうした要素にあまり力点は置かれていない。読後の印象としては純文学に近い。

cover
現心から愛する
ただひとりの人
現短篇の名手たち6
 作品の随所に軽快なユーモアと絶妙な悪意の笑いが満ちていて、読書を堪能させる。
 作者リップマンの文章技量にも圧倒される。大半を訳している吉澤康子の文章も読みやすい。だが、小編を次から次へと読み進めることはできない。一編ごとに心の奥に響く。「愛とはなんだろうか」という照れくさい問題について、さらに気の重い、具体的な女性という存在感から、じりじりと再考が迫られる。現代中年女性の、現代中年女性による、現代中年女性のための作品群とでも言いたいのだが、中年男性読者である私の誤解であるかもしれない。
 第一部「野放図な女たち」は先行に配置されているものの全体構成上は「その他」という印象が強い。まずはリップマンのお手並み拝見という導入でもある。
 最初の掌編「クラック・コカイン・ダイエット(The Crack Cocaine Diet (Or: How to Lose a Lot of Weight and Change Your Life in Just One Weekend)」は強烈である。頭の悪そうな若い女性二人が痩せるためにコカインをやろうという、とんでもなく不道徳な話が、さらに不道徳に展開し、そんなのありかよというエンディングに至る。現代米国の若い世代の一面を描いたともいえるが、いやはやこれはクラっとするほど悪趣味だなという一品である。
 次の「彼が必要だったもの(What He Needed)」も趣味の悪い一品として満足できる。中年期に入る夫婦の物語だが、夫のダメさ加減が、私は男性としてだが、読みながら痛いのなんのって。物語のファンタジーは夫婦関係の洒落ではすまない部分がある。
 「拝啓<ペントハウス・フォーラム>さま(第一稿)( Dear Penthouse Forum (a First Draft))」は、おなかがよじれるほど爆笑物の趣味の悪さである。ペントハウス掲載を狙ったという設定の掌編ポルノという仮構が、見事な脱構築を実現している。短編集の前書きを寄せた作家ジョージ・P・ペレケーノスが「なんとかしてくれ、ローラ」とつぶやくのもわかる。ペントハウス的な世界をジョークで打ちのめすフェミニズムとしても読めるし、文学や文章技法についてのメタ文学にもなっている。
 軽妙な悪意とウィットの作品が続くので、少し構えて読んでしまいがちな「ベビーシッターのルール(The Babysitter’s Code)」は、しかし普通に文学作品と言ってよい。ベビーシッターの少女が見た、考えようによっては風変わりな体験談である。この作品は、推測だが、ミステリー掌編にしようとして途中で辞めたのではないだろうか。作品集全体に漂う、作者リップマンの他者を見つめる、ある冷ややか視線がよく表現されているし、女が家屋や妻の地位に執着する意識を文学的に透かしていく趣向もある。
 「知らない女(Hardly Knew Her)」もまた普通に文学作品である。読後、静かに涙がこみ上げてくる。1975年のダンドークという工業の町の、家庭的に悲惨な少女の生活と内面を描いている。少女の性の感触の違いはあるが、これは日本の1970年年代の工業の町にも通じるもので、懐かしい私の昭和の風景に近い。当然かもしれない。ローラ・リップマンは日本の学年言えば、私より一つ下。私の同級生でもある。
 ダンドークの町は、ローラ・リップマンがお得とするボルチモアの町に近く、この作品の少女は、他の作品の印象的な主人公の二人、探偵のテス・モナハンと娼婦エロイーズ・ルイスの原形にもなっている。短編集のオリジナルのタイトルが、この「Hardly Knew Her」を取っているのもそのせいではないだろうか。
 「魔性の女(Femme Fatale)」も趣味の悪い作品である。老人ポルノといったものがあるのかわからないが、かつての美女である主人公が68歳でヌードモデルになるという設定だ。美女だった女性が老人となってうらぶれていくといった通念を軽快に吹き飛ばして乾いた笑いを残す。
 「心から愛するただひとりの人( One True Love)」は、娼婦エロイーズ・ルイスの物語である。後書きで著者リップマン自身がエロイーズについて触れている。彼女は短編集を書きたいというより、中流階級や政治家などの世界に巣くう高級娼婦の中年女性を描きたかったのだろう。
 エロイーズは、悲惨な家庭に育ち、少女時代駆け落ちしたもののボルチモアでヤクザのスケとなり、路上の売春婦から犯罪的な決意をして高級娼婦として独り立ちした中年の女性である。平素はサッカーママを装っている。物語は、そうした彼女の二重生活を脅かす男との出会いとその対決を描く。ソープオペラ的と言えないこともない。
 第二部「ほかの街。自分の街ではなく」はリップマンが描写を得意とするボルチモア以外の、荒れた町を描いている。こうした風合いで町を描くのは日本で言ったらなんだろうかと思い、はるき悦巳の「日の出食堂の青春」(参照)を連想した。
 「ポニーガール(Pony Girl)」は変な作品である。お祭りでポニーガールに扮する少女がとんでもない事件を起こす。残酷な童話的とも言えるし、カポーティを連想する部分もある。
 「ARMと女(A.R.M. and the Woman)」は、一言で言えば女が家(邸宅)と地域社会に固執する情念を犯罪という仕立てを通して描いている作品である。"A.R.M."は変動金利型住宅ローンのことだが、離婚で邸宅を失いかねない女性の妄念の比喩である。私など中年男性は女性に愛の幻想を抱きがちだが、同年代の女性にしてみると薄汚い夫などより、築き上げてきた邸宅というステータスは大きいのだろう。また現代米国において殺意を抱かせるまでの人間の欲望というのは、邸宅くらいなものかとも思う。
 「ミニバー(The Honor Bar)」は中年にさしかかる女の焦りを描いているとも言えるが、中年男が過去の女に未練を捨てきれずその幻想で別の女をアイルランド旅行に誘うという設定からは、中年男というものの惨めさもにじみ出ている。カネがあったら中年の男はこんなことをしそうなものだ。
 「不始末の始末(A Good Fuck Spoiled)」は、老境に入りつつある男が秘書の女に翻弄されていく過程を逆手に描いている。男なんてこんなものだろうなという、不倫をしたことがある女性なら嘆息を漏らしそうな後味がある。
 第三部「わたしの産んだ子がボルチモアの街を歩く」は、いよいよリップマンの本領、ボルチモアを描いていく。
 「お茶の子さいさい( Easy As A-B-C)」は、「ARMと女(A.R.M. and the Woman)」の変奏と言ってもよいかもしれない。この作品で邸宅に固執するのは男であるが、主人公の中年男のリアリティは、少なくとも中年男の私には、ない。作品としての価値は、ボルチモアの風景描写だろう。
 「ブラックアイドスーザン(Black-Eyed Susan)」は、移民的な結束の強い家族が町のお祭りで商売をするという設定である。競馬に町が沸き立ようすや、なにかにつけて商売ネタを探す一家の姿が微笑ましく、ウィリアム・サローヤンなども連想する。が、話はグロテスクで、ブラックアイドスーザンという花がその象徴となる。
 「ロパ・ビエハ(Ropa Vieja)」は、魅力的な女性探偵テス・モナハンを描いている。作品には悪趣味も文学趣味もない。高校生向けのバランスのよい探偵小説といった風情で、それはそれで面白い。「靴磨き屋の後悔(The Shoeshine Man's Regrets)」もテス・モナハンによる類似の趣向である。そして「偶然の探偵(The Accidental Detective)」は、モナハンへの仮想インタビュー。モナハン・シリーズのファン向けのサービスである。
 第四部は「女を怒らせると(Scratch a Woman)」の一品のみであり、中編に近い。いわゆる推理小説といった骨組みになっていて、それなりの趣向もあるが、その要素が面白いといった作品ではない。
 主人公は形式的には娼婦エロイーズで「心から愛するただひとりの人」の続編といった設定になっているが、実際の主人公はエロイーズの異母妹ミーガンを描いている。ミーガンはエロイーズのような悲惨な前半生を送った中年女性ではないが、子供が4人もいながら夫への愛情を失い、夫もまた妻への愛情を失っているに等しい状態にある。
 物語は、ミーガンのささくれた、主婦であることの絶望的な不満に溢れている。タイトルの"Scratch a Woman"は主婦ミーガンから見た不満の駆り立て意味している。
 作者リップマンはあとがきでミーガンを描くのに7年を要したというエピソードを披露している。いわゆる推理小説を描くというのなら、またボルチモア的な町を描くのなら、その技量だけでこなしてしまうだろうリップマンは、普通の主婦というものの内面に巣くう虚無を理解し表出するまでにそれだけの、自身の人生の重なりが必要だったのだろう。
 この作品では、他の作品のように邸宅と地域生活を維持するための、浅ましい中年女性の像は描かれているが、殺意はミーガンの日常の無意識にのみに依存している。ゆえに、世の中年男性はこうした顛末の人生を迎えてもなんら不思議でもないだろう。
 短編集「心から愛するただひとりの人」の全体を通して見ると、文学的な小品の完成度にも驚嘆するが、娼婦エロイーズについてはまだ不満のようなものは残る。もっと深い作品が可能なのではないか。
 エローズを主人公にしたどういう作品を求めているのかと私が問われるなら、おそらく、深い悲しみを超えた聖女という存在を描いてほしいのだ。
 
 

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