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2011.12.01

[書評]リアル・シンデレラ(姫野カオルコ)

 シンデレラの物語はいろいろバリエーションがある。基本は継母と姉に虐待された娘シンデレラ(灰かぶり)が魔法使いに会い、魔法の力を借りて、魔法の馬車に乗り、王室の舞踏会に行き、王子に見初められ探され、幸せになったというオトギ話である。

cover
リアル・シンデレラ
姫野カオルコ
 現実にはありえないが、現実ならどうか。その含みが姫野カオルコの「リアル・シンデレラ」(参照)という書名にある。が、この小説もまたオトギ話である。魔法使いに会い、魔法の力を借りて魔法の馬車に乗る。「幸せ」にもなる。王室舞踏会で見初められたかはわからないが、熱心に探索される。
 物語の展開には入念に仕上げられたミステリーの趣向もあり、読み進めるにつれ、ぞくぞくと秘密に肉薄し、最後の、ある種どんでん返しに驚愕した後、冒頭から再読を強いられる。
 リアル・シンデレラは倉島泉(くらしま・せん)という、1950年4月生まれの女性である。「二十歳の原点」(参照)の高野悦子が1949年の1月生まれだから、その一つ下。高野は関西の学生運動のただ中にいたが、倉島泉は長野県諏訪の温泉宿の娘で、高校生時代には郷士の家庭に私淑して躾を得たとしても、あの時代の大学生ではない。二人の立ち位置は異なるのだが、泉の背景には高野悦子と共通する時代の息遣いが濃く出ている。1960年代から1970年代の風景を知る人には、胸がきゅんとするような逸話にも溢れている。ナッチャコのラジオ番組や「スカイセンサー5800」など。
 話は、姫野カオルコ本人が暗示されるライター業の「筆者」が、編集プロダクションを経営する団塊世代の矢作俊作から、現代版シンデレラ書籍編集という仕事の話のついでで、半ば仕事として倉島泉という人の人生を調べてほしいと頼まれることから始まる。「シンデレラ」の話で矢作は、彼の人生に深く影響を残した倉島泉のことを思い出したのである。泉は彼の友人の親族でもあった。
 物語は「筆者」によるドキュメンタリーを模して展開する。泉を知る人々に「筆者」はインタビューし、各種の伝言のなかから、多角的に泉という人の人生を描き出す。
 泉はシンデレラに模されるつらい子供時代を過ごしていることが明らかになるが、知るほどに泉という人は、謎の人物であり、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンのような聖女のようでもある。「筆者」もまたその人生に引き込まれていく。
 物語の場である長野県・諏訪の、いかにも田舎社会と人間関係も興味深い。私の両親は長野県人なので、あの空気はわかる。泉も行ったという小諸の動物園などは目に浮かんでくる。
 作品には明示的に描かれていないが、おぼっちゃま潤一が進学したのは明治学院大学だろう。長野県人ならうんざりするほど叩き込まれる郷土の文豪・島崎藤村のゆかりの大学である。
 さては作者姫野も長野県人だったかと思ったが、滋賀県の人だった。この詳細な長野県文化の知識は、編集者からのサポートによるものだろう。諏訪にならんで登場する松本という町もこの物語で主要な意味を持つが、今も残るあの風景の描写も生き生きと展開され、思い出深い。
 倉島泉という人は、どのような人生を送ったのか。
 客観的にあるいは結果的に見れば、幼年期から少女期、シンデレラのように親や姉妹から虐待されたに等しいニグレクトに置かれた。その後も、郷士のおぼっちゃま潤一との縁談もあったが、潤一は婚約者もあった妹と東京の矢作を当てにして駆け落ちする。残された泉は、妹の婚約者だった男を当てがわれ、諏訪の温泉旅館を取り仕切るものの、その夫は旅館の女中に寝取られる。あの時代の田舎によくある話である。
 泉はつらい少女期を過ごして青年になっても踏んだり蹴ったりの状況だが、彼女はそれをいっこうに不幸とはしない。旅館さえも奪ったに等しい女将も、泉について「なぜ」と疑問に問わざるを得ない。泉は深い陰謀でも隠しているのか。隠された恋人でもいるのか。
 女中上がりの若女将はそこで、やくざ社会にも関係していた小口という若い放浪者を使い、泉の素行を丹念に調査させる。物語では、泉の平素の生活が深く探索される。が、何もない。泉は傍から見れば踏んだり蹴ったりの人生だが、独り身の人生をひっそりと自適に生きていただけだった。なぜ? なぜ、そんなことが可能だったのか。
 ここで物語はじわじわと読者の首に匕首を押しつける。幸せとはなんですか? あなたは幸せですか。読者を含めて、大半の俗人は、泉を結果的に虐待するような世俗の社会側にいてうごめいているものだ。そんな私たちでも、「ふと、そういえば」と誰もが、多少なり泉のような人生を送った人のことを思い出す。あの不幸そうに見えた、あの人の人生はなんだったのだろう。
 泉の人生の謎は、ある意味で最終部で解かれる。が、その存在の根底、どうしようもない人間存在の孤独のようなものは、解かれていない。それどころか、泉の深淵な孤独の生涯は、取り巻く人々の頽落した存在を露骨に暴き出す。女の醜悪さが漫画のように露呈する部分もある。この快楽と汚辱に満ちた私たちの人生とは何なのだろうか。
 読後、感動もしたが私はこの難問に苦悶した。泉は、夏目漱石「こころ」の「お嬢さん」の無私にも似ている。折口信夫「死者の書」の中将姫にも似ている、とまず補助線を引く。
 いや、泉はシンデレラというより中将姫に似ているかもしれない。そう思い至るとき、「死者の書」の死霊が姫に向ける性的な欲望のことを思いだし、呆然とする。
 「リアル・シンデレラ」の装幀にはポール・デルヴォー(Paul Delvaux)のChrysis(参照)が使われている。デルヴォーの絵を装幀に使って欲しいとしたのは作者・姫野のようだが、Chrysisのこのカットはデザイナーが本書をよく読み取った証でもある。
 泉には、人々を俗世にくくりつけるエロスが失われていたが、エロスそのものが失われていたわけではなく、死霊が欲望するような裸体も有していた。
 姫野カオルは「リアル・シンデレラ」の倉島泉について、巧みに、ある意味では、幸福な洒落を饒舌に語ったが、死霊の性の欲望については文学的な無意識から暗喩的に描くに留めている。だが、ここが文学としての本質だろう。


Chrysis  - Paul Delvaux - WikiPaintings.org

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