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2011.12.30

沖縄そば

 沖縄そばについてナイチャーの私がとやかく言うこともないようにも思うけど、沖縄に八年暮らし、少なくとも三日に一度は食ってたものだったので、それなりに思い出はある。この時分に思い出したのは、沖縄では年越し蕎麦に沖縄そばを食べるからだ。
 沖縄では、沖縄そばのことを「すば」と言う。内地風に「そば」とも言う。とりわけ「沖縄そば」とは言わないように思うが、あちこち観光地化しているから、そうとも言い切れない。
 沖縄そばが「そば」と呼ばれているのは、起源が「支那そば」にあるかららしい。つまりラーメンと先祖を同じくする。大正時代の内地文化が本土化につられて沖縄に入ってきたものだろう。ちなみに、同じころの食文化の影響におでんがあるが、沖縄のおでんについてはまた別の機会に。
 沖縄そばの麺は、だからして、ラーメンの太麺と似ている。小麦粉にかんすいを加えて作る。ここで私は、あるオジー(初老男性)を思い出す。
 沖縄では各所で「一番うまいそば」というのが話題になるが、私が聞いたオジーはその父親の手打ちが一番うまかったと力説した。オジーの父親はシベリア帰還であったが、もしかすると帰還した時の父親の思い出と合わさっているのかもしれない(沖縄人がシベリア生活というのも難儀であったろうな)。
 オジー伝承・手打ち麺の作り方だが、かんすいは使わない。ガジュマルの木灰の上澄みをかんすいの代わりにする。現在では、この製法で作る沖縄そばを「木灰そば」と呼ぶことがある。麺は白い(中華麺が黄色くなるのは本来はかんすいのため。現在では着色)。歯触りがぷりっとして噛むとぷちっと切れて心地よい。麺も滋味深い。余談だが、沖縄の豆腐もにがりを使わない。海水をそのまま使うと当然にがり成分が含まれているからだ。
 オジーによる麺生地の裁断だが、うどんと同じである。伸ばして畳んで包丁でざくざくと切っていくのである。職人ではないからそう細くは切れない。それが沖縄そばが太い理由である。
 ちなみに私も手打ちをしたが、うどん同様(参照)、パスタマシンで作った。ガジュマルの木灰ではなくベーキングパウダーを少量使った。重曹でもよいが、ベーキングパウダーだとつるっと感が出る。塩は入れない。
 沖縄そばの麺を手打ちする人は現代では、ほとんどいない。沖縄のどのスーパーマーケットでも沖縄そばの麺が売られているので、それを買うことになる。買うにあたっては何かとどこのがうまいかという話題にもなる。普通に茹で麺が一キロとかで売っている(くっつかないように油がまぶされている)。大勢集まって食うことが多いし、余ったらそのまま冷蔵庫で数日保存できる。
 市販・沖縄そばの麺の形状は、うどん幅だがもう少し平たい。きしめんほど平べったい感じではない。それでも沖縄そばの麺が細くなったのは、この20年くらいの傾向のようだ。
 そば汁は、基本は豚ダシと鰹ダシである。豚ダシにはわけがある。そばに載せる三枚肉の煮た汁をダシとして使うのである。
 三枚肉とは皮付きバラ肉である。塊で買う。東坡肉やラフテーもそうだが、皮の部分がゼラチンっぽくてうまいのである。が、沖縄とても本物の三枚肉はそう手に入るものではない。沖縄の豚肉の多くはオランダとかからの輸入品が多く、皮なしの二枚肉になる。
 これを塊のまま水煮にする。小一時間煮る。沸騰したときにはアクを取る。スロークッカーとかだと煮るプロセスが簡単になるし、アクをとったらシャトルシェフに入れておいても、それなりに煮える。
 煮たロース塊は8ミリくらいにスライスして、醤油と砂糖で甘辛く味付けする。これが叉焼よろしく具になる。三枚肉ではなく、豚スペアリブにすると「そーきそば」になる。
 他の具では、かまぼこが欠かせない。これが内地ではあまり見かけない。方言でいう「かまぶく」は内地のかまぼこみたいな、プラスチック消しゴミみたいな感じはない。おでんの具の練り物や笹かまぼこなんかに近い。おそらく、沖縄のかまぼこは内地の昔の製法なのではないか。とりあえず、内地で作るなら笹かまぼこで代用する。
 具というのもなんだが、散らすネギも欠かせない。内地・関西のネギと同じで万能ネギである。きざんで載せる。他に、紅ショウガを載せることもある。ヒハツ(ヒハツモドキ)というコショウをかけたり、鷹の爪の泡盛漬けであるコーレーグースーを垂らすこともある。フーチバーを載せることもある。フーチバーはヨモギだが大きなスーパーでは野菜として売られている。内地のヨモギのように固くない。草餅の香りに近い。フーチバーを強調すると「フーチバーそば」になる。私の好物であった。
 汁の話に戻る。豚バラを煮た汁に鰹節を加える。荒削りを使う。これに塩で調味して漉してできあがり。鰹はできれば、鰹節を削る。沖縄だと、大型スーパーには鰹節とそれをセルフで削る機械が装備されている。そこで削ってきたのを使う。昆布ダシをさらに加えてもよい。沖縄は昆布消費が全国一と言われることもある(正確ではない)。
 かくして麺と汁と具が出来たのだが、まあ、こんな手間をかける現代沖縄人はあまりいない。どうするかというと、買ってきた麺に買ってきた汁を使うのである。薄めて使う汁が売っている。が、意外とできあいの汁は好まれず、もっと簡単に豚ダシ抜きで鰹節の汁だけで沖縄そばの汁にすることもある。具の三枚肉も出来合のが売られているのでそれを載せる。
 以上の話はネットなんかでもよく見かけるだろうが、沖縄そばの基本の基本はあまり見かけないように思う。いかにサーブするかということだ。観光客は出された沖縄そばしか食べないから、食べさせる側の基本を知らない人が意外と多い。といってもあらためて言うほどのことでもないかもしれないが、ラーメンやうどんとは、ちと違う。
 さて、具はある、そばもある(買ったのでもいい)、汁もある、とする。
 じゃ、丼に麺を入れ汁を入れ具を載せればいいのではないか。それはそうだが、そのままだと麺は冷えているし、丼も冷えている。麺は十分温まってこそ味わい深くなるものだ。
 まず汁を鍋で煮立てる。軽く沸騰させる。汁を一人分丼に注ぎ、一人分麺を入れ、しばし待つ。麺と丼を暖めるのである。そして冷えた汁だけを鍋に戻す。
 汁が鍋で再び煮立つのを待ち、煮立ったら、再び麺を持った丼にかける。具を載せる。うさがみそーれー。
 
 

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2011.12.29

[書評]心から愛するただひとりの人(ローラ・リップマン)

 ローラ・リップマンの短編集「心から愛するただひとりの人」(参照)には、17編もの小編が四部構成で収録されている。ハヤカワ・ミステリ文庫であることからわかるように作品はどれも分類上は推理小説と言ってよく、大半の作品には犯罪や謎解き、探偵といった要素もある。だがミステリーを堪能するには短く、またそうした要素にあまり力点は置かれていない。読後の印象としては純文学に近い。

cover
現心から愛する
ただひとりの人
現短篇の名手たち6
 作品の随所に軽快なユーモアと絶妙な悪意の笑いが満ちていて、読書を堪能させる。
 作者リップマンの文章技量にも圧倒される。大半を訳している吉澤康子の文章も読みやすい。だが、小編を次から次へと読み進めることはできない。一編ごとに心の奥に響く。「愛とはなんだろうか」という照れくさい問題について、さらに気の重い、具体的な女性という存在感から、じりじりと再考が迫られる。現代中年女性の、現代中年女性による、現代中年女性のための作品群とでも言いたいのだが、中年男性読者である私の誤解であるかもしれない。
 第一部「野放図な女たち」は先行に配置されているものの全体構成上は「その他」という印象が強い。まずはリップマンのお手並み拝見という導入でもある。
 最初の掌編「クラック・コカイン・ダイエット(The Crack Cocaine Diet (Or: How to Lose a Lot of Weight and Change Your Life in Just One Weekend)」は強烈である。頭の悪そうな若い女性二人が痩せるためにコカインをやろうという、とんでもなく不道徳な話が、さらに不道徳に展開し、そんなのありかよというエンディングに至る。現代米国の若い世代の一面を描いたともいえるが、いやはやこれはクラっとするほど悪趣味だなという一品である。
 次の「彼が必要だったもの(What He Needed)」も趣味の悪い一品として満足できる。中年期に入る夫婦の物語だが、夫のダメさ加減が、私は男性としてだが、読みながら痛いのなんのって。物語のファンタジーは夫婦関係の洒落ではすまない部分がある。
 「拝啓<ペントハウス・フォーラム>さま(第一稿)( Dear Penthouse Forum (a First Draft))」は、おなかがよじれるほど爆笑物の趣味の悪さである。ペントハウス掲載を狙ったという設定の掌編ポルノという仮構が、見事な脱構築を実現している。短編集の前書きを寄せた作家ジョージ・P・ペレケーノスが「なんとかしてくれ、ローラ」とつぶやくのもわかる。ペントハウス的な世界をジョークで打ちのめすフェミニズムとしても読めるし、文学や文章技法についてのメタ文学にもなっている。
 軽妙な悪意とウィットの作品が続くので、少し構えて読んでしまいがちな「ベビーシッターのルール(The Babysitter’s Code)」は、しかし普通に文学作品と言ってよい。ベビーシッターの少女が見た、考えようによっては風変わりな体験談である。この作品は、推測だが、ミステリー掌編にしようとして途中で辞めたのではないだろうか。作品集全体に漂う、作者リップマンの他者を見つめる、ある冷ややか視線がよく表現されているし、女が家屋や妻の地位に執着する意識を文学的に透かしていく趣向もある。
 「知らない女(Hardly Knew Her)」もまた普通に文学作品である。読後、静かに涙がこみ上げてくる。1975年のダンドークという工業の町の、家庭的に悲惨な少女の生活と内面を描いている。少女の性の感触の違いはあるが、これは日本の1970年年代の工業の町にも通じるもので、懐かしい私の昭和の風景に近い。当然かもしれない。ローラ・リップマンは日本の学年言えば、私より一つ下。私の同級生でもある。
 ダンドークの町は、ローラ・リップマンがお得とするボルチモアの町に近く、この作品の少女は、他の作品の印象的な主人公の二人、探偵のテス・モナハンと娼婦エロイーズ・ルイスの原形にもなっている。短編集のオリジナルのタイトルが、この「Hardly Knew Her」を取っているのもそのせいではないだろうか。
 「魔性の女(Femme Fatale)」も趣味の悪い作品である。老人ポルノといったものがあるのかわからないが、かつての美女である主人公が68歳でヌードモデルになるという設定だ。美女だった女性が老人となってうらぶれていくといった通念を軽快に吹き飛ばして乾いた笑いを残す。
 「心から愛するただひとりの人( One True Love)」は、娼婦エロイーズ・ルイスの物語である。後書きで著者リップマン自身がエロイーズについて触れている。彼女は短編集を書きたいというより、中流階級や政治家などの世界に巣くう高級娼婦の中年女性を描きたかったのだろう。
 エロイーズは、悲惨な家庭に育ち、少女時代駆け落ちしたもののボルチモアでヤクザのスケとなり、路上の売春婦から犯罪的な決意をして高級娼婦として独り立ちした中年の女性である。平素はサッカーママを装っている。物語は、そうした彼女の二重生活を脅かす男との出会いとその対決を描く。ソープオペラ的と言えないこともない。
 第二部「ほかの街。自分の街ではなく」はリップマンが描写を得意とするボルチモア以外の、荒れた町を描いている。こうした風合いで町を描くのは日本で言ったらなんだろうかと思い、はるき悦巳の「日の出食堂の青春」(参照)を連想した。
 「ポニーガール(Pony Girl)」は変な作品である。お祭りでポニーガールに扮する少女がとんでもない事件を起こす。残酷な童話的とも言えるし、カポーティを連想する部分もある。
 「ARMと女(A.R.M. and the Woman)」は、一言で言えば女が家(邸宅)と地域社会に固執する情念を犯罪という仕立てを通して描いている作品である。"A.R.M."は変動金利型住宅ローンのことだが、離婚で邸宅を失いかねない女性の妄念の比喩である。私など中年男性は女性に愛の幻想を抱きがちだが、同年代の女性にしてみると薄汚い夫などより、築き上げてきた邸宅というステータスは大きいのだろう。また現代米国において殺意を抱かせるまでの人間の欲望というのは、邸宅くらいなものかとも思う。
 「ミニバー(The Honor Bar)」は中年にさしかかる女の焦りを描いているとも言えるが、中年男が過去の女に未練を捨てきれずその幻想で別の女をアイルランド旅行に誘うという設定からは、中年男というものの惨めさもにじみ出ている。カネがあったら中年の男はこんなことをしそうなものだ。
 「不始末の始末(A Good Fuck Spoiled)」は、老境に入りつつある男が秘書の女に翻弄されていく過程を逆手に描いている。男なんてこんなものだろうなという、不倫をしたことがある女性なら嘆息を漏らしそうな後味がある。
 第三部「わたしの産んだ子がボルチモアの街を歩く」は、いよいよリップマンの本領、ボルチモアを描いていく。
 「お茶の子さいさい( Easy As A-B-C)」は、「ARMと女(A.R.M. and the Woman)」の変奏と言ってもよいかもしれない。この作品で邸宅に固執するのは男であるが、主人公の中年男のリアリティは、少なくとも中年男の私には、ない。作品としての価値は、ボルチモアの風景描写だろう。
 「ブラックアイドスーザン(Black-Eyed Susan)」は、移民的な結束の強い家族が町のお祭りで商売をするという設定である。競馬に町が沸き立ようすや、なにかにつけて商売ネタを探す一家の姿が微笑ましく、ウィリアム・サローヤンなども連想する。が、話はグロテスクで、ブラックアイドスーザンという花がその象徴となる。
 「ロパ・ビエハ(Ropa Vieja)」は、魅力的な女性探偵テス・モナハンを描いている。作品には悪趣味も文学趣味もない。高校生向けのバランスのよい探偵小説といった風情で、それはそれで面白い。「靴磨き屋の後悔(The Shoeshine Man's Regrets)」もテス・モナハンによる類似の趣向である。そして「偶然の探偵(The Accidental Detective)」は、モナハンへの仮想インタビュー。モナハン・シリーズのファン向けのサービスである。
 第四部は「女を怒らせると(Scratch a Woman)」の一品のみであり、中編に近い。いわゆる推理小説といった骨組みになっていて、それなりの趣向もあるが、その要素が面白いといった作品ではない。
 主人公は形式的には娼婦エロイーズで「心から愛するただひとりの人」の続編といった設定になっているが、実際の主人公はエロイーズの異母妹ミーガンを描いている。ミーガンはエロイーズのような悲惨な前半生を送った中年女性ではないが、子供が4人もいながら夫への愛情を失い、夫もまた妻への愛情を失っているに等しい状態にある。
 物語は、ミーガンのささくれた、主婦であることの絶望的な不満に溢れている。タイトルの"Scratch a Woman"は主婦ミーガンから見た不満の駆り立て意味している。
 作者リップマンはあとがきでミーガンを描くのに7年を要したというエピソードを披露している。いわゆる推理小説を描くというのなら、またボルチモア的な町を描くのなら、その技量だけでこなしてしまうだろうリップマンは、普通の主婦というものの内面に巣くう虚無を理解し表出するまでにそれだけの、自身の人生の重なりが必要だったのだろう。
 この作品では、他の作品のように邸宅と地域生活を維持するための、浅ましい中年女性の像は描かれているが、殺意はミーガンの日常の無意識にのみに依存している。ゆえに、世の中年男性はこうした顛末の人生を迎えてもなんら不思議でもないだろう。
 短編集「心から愛するただひとりの人」の全体を通して見ると、文学的な小品の完成度にも驚嘆するが、娼婦エロイーズについてはまだ不満のようなものは残る。もっと深い作品が可能なのではないか。
 エローズを主人公にしたどういう作品を求めているのかと私が問われるなら、おそらく、深い悲しみを超えた聖女という存在を描いてほしいのだ。
 
 

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2011.12.28

[書評]アレクサンドリアのフィロン入門(E.R.グッドイナフ)

 アレクサンドリアのフィロン( Φίλων ὁ Ἀλεξανδρεύς)は、紀元前25年頃に生まれ西暦45年から50年頃に死去したユダヤ人哲学者である。呼称からわかるように当時の大都市アレクサンドリアの人であり、数代前からローマ市民権を持つ富裕な名家に属していた。本書「アレクサンドリアのフィロン入門」を著したE.R.グッドイナフは、その家系を19世紀末欧州のロスチャイルド家に例えている。ただし、その家の富を管理したのはフィロンの兄弟(弟であろう)アレクサンドロスであった。

cover
アレクサンドリアの
フィロン入門
 フィロンの生存期間には、同じくユダヤ人のイエス・キリストの生涯が含まれる。イエスはフィロンを知っていたかもしれない。使徒行伝でヘロデ王(ヘロデ大王の孫)と呼ばれるアグリッパ1世が借財に苦しむおり、フィロンの兄弟であるアレクサンドロスは彼にかなりの金額を貸与しているし、フラウィウス・ヨセフスによれば、アレクサンドロスはエルサレム神殿の九門を飾る金銀の延べ板の寄進もしていた。当時のユダヤ人にはその家系は有名でもあっただろう。また、フィロンは後代からすればユダヤ人哲学者ではあるが、実際には家とアレクサンドリアのユダヤ人社会を支える政治家としての実務家でもあった。本書は、そうした政治家としてのフィロンもバランスよく描いており、歴史に関心を持つ人にも興味深いものだろう。
 フィロンからすれば、イエスについてはおそらく知らなかっただろう。だが、イエスの公生涯を記した福音書の一つ「ヨハネによる福音書」の冒頭は、異論もあるが、フィロンの哲学を反映したものと見る学者が多い。

初めに言があった(Ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος,)。言は主と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは。これによってできた。できたもののうち。一つとしてこれによらないものはなかった。この言は命であった。そしてこの命は人の光であった(ἐν αὐτῷ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων.)。光はやみの中で輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

 ロゴスの哲学が神学的な基本になっていることがわかる。フィロンのロゴス観はどうであったか。著者グッドイナフは本書でこう説明する。

(前略)一なる神は自身から流れを発する。その第一の現れがロゴスであり、最初の流出であるがゆえにもっとも神に似ている。(中略)ロゴスは神的な実在と存在の投影であるから、神と呼ばれうるものであり、ロゴスの働きはすべて神の業あるいは作品と呼ぶことができる。(中略)神は、たんに存在であるのみならず、他のあらゆるものの存在の原因、根源でなければならない。すなわち、何かの仕方で他と関係している「無関係な存在」が存在しなければならない。これを表現するために、古代の思想は光と支配力という二つの比喩に早くから目を向けた。フィロンもこれらを繰り返し用いている。

 グッドイナフによるフィロン哲学のこの解説は、直接的にはヨハネ福音書の文脈ではない。しかしそれが念頭にあることは展開から読み取れる。

さらにわれわれが、時には太陽光線と太陽とを同一視し、時には両者を明確に区別することがあるように、流れに対してフィロンがもっともよく用いる言葉であるロゴスも、それ自体一つの実体として語られ、神の子とすら呼ばれた一方で、ロゴスの低次の現れである支配力と創造力がロゴスから独立した存在として論じられることこもあった。このような言葉の揺れが、フィロンにおいてロゴスが人格であるか否かという問題に関する膨大な議論を引き起こした。

 著者グッドイナフの考察では、フィロンはロゴスそれ自体の実在性はないと考察しただろうとしながらも、こう続ける。

だが、彼の魂は神のロゴスの光線によって暖められていたので、しばしば彼はその光線のことをそれ自体のものとして人格化によって生き生きとしたものになりうると考えた。

 フィロンにおいてもロゴスを人格的に受け止める素地はあったとしてもよいだろう。ここでヨハネ福音書の神学がフィロンにおいて用意されていた。

後にキリスト教徒がロゴスをナザレのイエスというまさしく一個の人格と同一視し、その結果この人格の神への昇格が一神論に対して提起した形而上学的な難問に答えを出さなくてはならなくなったとき、古代世界はまったく新しい問題を提示されたのであった。

 著者グッドイナフはこの文脈の全体では抑制的ではあるが、その意味するところは、フィロン哲学から見えるヨハネ福音書のロゴス観は、必然的に三位一体論を導出することだ。しかも、その三一論は、その枠組みにおいてフィロンの哲学の構図に拠っている。
 グッドイナフはその後もできるだけ抑制的に説明するのだが、それでもフィロンは、キリスト教の根幹となる処女降誕からイエスの神性までも用意していたということが理解できる。フィロンは創世記をプラトン哲学で解き明かしながら、その創世神話やユダヤ伝説を神学に置き換えている。

 アムレで三人の男がアブラハムを訪れたとき、この体験は、アブラハムがついに神自身のもとにある三つの能力、つまり、ロゴスおよび創造力と支配力という二つの力の直視に到達したことを意味した。(中略)アブラハムは新たな能力をもってサラと交わった。彼は自らのうちに神的な種子をもつことによって、いまや男性となったからである。(中略)その結果、寓意的解釈の意図からすると、イサクは人間アブラハムの子ではなく、神の子であって、永遠の処女でもある知恵(ソフィア)あるいは徳から生まれたということになった。

 さらにこの神人であるイサクはより完成した形態として、フィロンの神学では「モーセ」に結実する。

モーセの結婚はイサクの場合と同じく知恵(ソフィア)との合一であり、またこの合一が神と知恵との合一と同じであることも示された。


だから『モーセの生涯』では、モーセは、異教徒に向けに、救済者・王という当時の考え方によって描かれている。彼は完全なる王、立法者、祭司、預言者である。モーセの王権は宇宙的であった。

 モーセはフィロンにとって神のロゴスでもあった。つまり、キリスト教の誕生はフィロン神学の「モーセ」を「イエス」に置き換えることを待つばかりでもあった。ユダヤ教はフィロンのなかでこのような枠組みの達成を得ていたのである。

 このようなユダヤ教から新しいキリスト教への前進に必要とされたのは、ただ次の二つことだけであった。第一に、モーセよりも偉大な者が到来したことがキリスト教徒によって主張された。

 以上のように、フィロンの哲学・神学はキリスト教の誕生に結びつけて読むことが可能だが、これは当然だが、誤解を生みやすい。フィロン哲学・神学が直接的にキリスト教なりヨハネ福音書を生み出したかのように見えてしまう。そうではない。
 著者グッドイナフが抑制的に語り、かつ留意を促すのは、フィロンは独創的な哲学者ではなかったという点である。フィロンは多くの著作を残しているという点で貴重であり、現代人からすれば奇妙にも思えるがその論旨は明快だが、プラトン主義から逸脱する部分はなく、おそらく当時のヘレニズム世界の思想において、凡庸ともいえる二流の哲学の意味合いしかなかった。
 同時に、よくキリスト教はヘブライズムとヘレニズムという二潮流から生まれたと言われるが、フィロンについては、ヘブライズムの、特にヘブライ語によるラビ伝承などの知的な伝承はほぼなかった。あえて単純化すれば、ギリシア語に訳された旧約聖書であるセプチュアギンタ(七十人訳)と凡庸なプラトン主義を、哲学好きな爺さんが自分の趣味でこっそりと著作にしていたにすぎない。
 実はこのことが逆にフィロンの意味を大きく高めることになる。というのは、当時のギリシア語圏のユダヤ人は、フィロンのように思考し信仰観を持っていたとも推測されるからだ。その意味では、ヨハネ福音書はフィロン哲学から生まれたのではなく、フィロンの背景から生まれたと見てもよいだろう。
 また、当時のギリシア語圏のユダヤ人の代表にはもう一人の巨人、パウロが存在する。パウロも概ねフィロンと同じような哲学・神学観を持っていたと推測される。本書には言及されていないが、「ガラテヤ人への手紙」でパウロはハガルの物語を比喩として挙げているのだが、その手法はまさにフィロンの創世記解釈と同型である。おそらく、パウロがフィロンの著作を読んでいたというより、フィロンのような寓意的解釈はギリシア語圏のユダヤ人の主流であったのだろう。その意味で、フィロンの神学は、パウロ神学を補足してもいる。
 本書「アレクサンドリアのフィロン入門」の書籍としての話に戻す。本書は1962年にオリジナル「Introduction to Philo Judaeus」(参照)として出版され、日本では1994年に翻訳された。それだけでも、かなり古い書籍であり、その間のフィロン研究を反映していないとも言える。さらに、本書の初版は1940年であり、その学問的な骨格はさらに古い。オリジナルが、「Philo Judaeus」としてユダヤ人が強調され、またユダヤ人への理解を深めるような配慮が説明の各所に見られるのも戦時の状況の反映でもあるかもしれない。
 このエントリーでは私の関心範囲を強調したが、書籍はあくまでフィロンの入門書というのが原義にあり、これからフィロンの膨大な著作を読み解く人への案内書の役割をしている。フィロンの著作は日本語で翻訳されたものがあるか私は知らないが、英語への翻訳であればインターネットで、無料でほぼ網羅的に読むことができる(参照)。
 
 

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2011.12.26

ボコ・ハラムによるナイジェリアの教会テロ

 ナイジェリアの首都アブジャ近郊のマダラとジョス、北部のカノ、北東部のダマトゥルとガダキの5地方のキリスト教会へ爆弾によるテロ攻撃があり、現在の報道では40人が死亡した(参照)。一連のテロはイスラム過激派「ボコ・ハラム(Boko Haram)」が犯行声明を出しており、ナイジェリア当局もボコ・ハラムによるものと見ている。
 ボコ・ハラムは、現地の言葉で「西洋教育は冒涜」とされている。イスラム教のシャーリア法の厳格な実現を目指し、キリスト教を敵視している。ナイジェリアはイスラム教徒とキリスト教徒が人口をほぼ二分している。
 ボコ・ハラムによる教会テロは昨年のクリスマスイブにもあり、また8月には国連機関を狙ったテロ、11月にも教会は警察を狙ったテロもあった。今回のテロも想定外であったとは言い難い。日本の外務省も12月14日付けで「ナイジェリア:イスラム過激派組織「ボコ・ハラム」によるテロ攻撃の広がり」(参照)を公開していた。ナイジェリア政府も軍を投入してボコ・ハラムの取り締まりを強化していたが、昨日の事態になった。
 ボコ・ハラムの問題は、米国内では、米国の安全保障上の問題としても提起されていた。11月30日付けの下院国土安全保障委員会の広報「Homeland Security Committee Report Details Emerging Homeland Threat Posed by Africa-Based Terrorist Organization, Boko Haram」(参照)に概要があり、アルカイダ系の組織と同類とする指摘がある。だが、アルカイダとの直接の繋がりについては、「下着爆弾犯」といったテロの類似性はあるものの、現状では不明である。
 同委員会の報告書「BOKO HARAM: Emerging Threat to the U.S. Homeland」(参照PDF)にはより詳細が記されている。これを読むとわかるのだが、ボコ・ハラムの脅威の本質は、ナイジェリアが、今後も期待されるアフリカ最大の産油国石油産出国であることだ。


As a member of the Organization of the Petroleum Exporting Countries (OPEC), Nigeria has proven that it can flex its economic muscle and impact global oil production. In short, disruptions to Nigerian oil production can impact domestic refining in the United States and affect global oil markets.

石油輸出国機構(OPEC)のメンバーとして、ナイジェリアは、経済力を高め、世界の石油生産に影響を与えることを明らかにしてきた。手短に言えば、ナイジェリアの石油生産が中断されれば、米国内の精製にも影響し、世界の石油市場に影響する。


 またしてもこの構図が出てくる。この構図が、リビアとシリアを分かつものでもあった。リビアには石油があり、シリアにはない。
 ボコ・ハラムが宗教的な理由からテロを散発することはナイジェリア国内を不安定化するが、石油施設に手を出さないかぎり西側社会が大きく関与することはないとも言えるだろう。
 
 

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2011.12.25

湯たんぽ

 まさか自分が湯たんぽを愛用するようになるとは思わなかった。きっかけは、コンビニの雑誌売り場で「ニームのあったか湯たんぽ ちょっぴりポップなドット柄」(参照)というのをたまたま見かけ、これ、かわいいんじゃないかなと衝動買いしてしまったことだ。率直に言うのだけど、それだけの理由だった。

cover
ニームのあったか湯たんぽ
ちょっぴりポップな
ドット柄<湯たんぽ付き>
 雑誌コーナーで売られているのだから、シリコンスチーマー(参照)のときみたいに、冊子のようなものが箱に入っているんだろうなという期待があった。が、なかった。湯たんぽが入っていただけだったのである。いや、そうでもないか。どうやら、これ、湯たんぽカバーが本体で、湯たんぽのほうがおまけみたいな扱いのようでもある。
 どんなものか。使い方とサイズは箱に記してあるとおり。外箱から、本体のだいたいのサイズはわかるし、寸法も記載されているだけど、こういうのは現物を手に取ってみないとなかなかわからない。で、どうか。かわいい、やはり。
 買ってから知ったのだが、他にボーダー柄(参照)とギンガムチェック柄(参照)がある。でも、最初にこの二つを見てたら買わなかったのではないかな。やはり、ちょっぴりポップなドット柄というのがよい。赤地に小さい白の、均質で整列した水玉模様。これがもしサイズ不揃いの白玉だと草間彌生的になってしまう。
 さてこれ、湯たんぽである。ゴムでできている。はあ。これって私が子供のころよく見かけた水枕みたいなものだ。素材はゴムだからして、ゴム臭い。
 湯たんぽなのだから湯を入れるわけだが、説明を見ると沸騰した湯はだめだとある。そりゃそうだろう。危ない。私も子供のころブリキの純正湯たんぽを使ったものだが、沸騰した湯を入れた。扱い上、火傷の危険性みたいのはあったものだ。
 この湯たんぽの初期湯温は60度から70度くらいがよいらしい。そのくらいだと扱っているときに火傷の危険性も少ないだろう。湯量は最大で0.8リットル。
 さてと、どう温度を測るか。と説明書きを読むと、沸騰した湯量と同等の量の水で薄めるといいらしい。へえと思って、キッチン用のメジャーカップに400mlの水を入れ、これをヤカンで沸かして、沸いたら等量の水をヤカンにざっと入れる。そしてこれをゴム湯たんぽに入れ、キャップを閉める。
 意外と重たい。0.8リットルほどの水だから、ゴム湯たんぽとか併せて1キログラムくらいにはなる。iPadより重いんだから、重たいなという感じ。ちなみに、0.8リットル満杯に入れるのはあまりお薦めされない。0.6リットルくらいがいい。
 で、どうか。いやはやこれは、しあわせ~のぬくもりである。じんわり暖かい。膝にのっけていると、こりゃええわという感じである。椅子の背において腰を温めていても、じわーんとくる。どういう理由なのかわからないが、電熱系の熱とは体感がずいぶん違う。
 もう寝具にも持ち込むしかない。抱いて寝るのである。いや気持ちええわ。と、気に入ったのだが、熱がじんわり持つのはピーク2時間くらい。あと2時間くらいはほのかに暖かい。せいぜいもって4時間。つまり、朝には冷えている。でも、カバーはフリースなんで触って冷たくもないし、湯たんぽはゴム製なんで、ぽにょんとしていて、それほど違和感はない。
 これはこれでいいかなと思ったのだが。ゴム臭がちとなというのと(使っているとそれほど気にならなくなる)、フリースが傷みやすそうというのと、もうちょっとサイズが大きくてもいいかと思った。類似品もあるのんじゃないかと調べたら、いや知らなかったのだけど、ドイツ製のFashyというのが定番なのですね。
cover
fashy MOTTAINAI
カシミヤ湯たんぽ
2.0L ベビーブルー O33725
 Fashyにも0.8リットルタイプがあるが、2リットルタイプもある。ただ、2リットル満杯には入れないらしい。まあ、いいか。
 こちらのお値段は、ゴム製品の二倍くらい。素材の価格かな。並行輸入品だとややお安いのもあるみたいだなと思っていただが、たまたま、ショッピング先で、カシミヤのカバーを見かけてしまった。見かけたどころじゃなくて、触ってしまった。やっぱカシミヤだよ。僕はセーターもこれだし。触っていて幸せ。これにした。
 Fashyの湯たんぽに湯を入れる。ゴム素材ではないのでゴム臭くはない。けど、なんかプラスチック臭みたいのはあるが、数回使っていると気にならなくなる。湯温の持ちはゴム製とあまり変わりない。カシミヤのさわり心地はいいけど、湯たんぽカバーとしては、ちとゆるい。でもこれでいいやという感じ。
 湯たんぽをさっと使うというとき、湯を沸かすのがめんどうといえば面倒なので、専用の魔法瓶とか用意してもよいかなとも思った。
cover
免疫力アップ!
「湯たんぽ」で「冷え性」が治る
低体温が万病のもと
(だいわ文庫)
 ついでに、湯たんぽって健康器具にもなるんじゃないかと思ったら、そのような趣向の本もある。よく読まれていそうなのと思って「免疫力アップ! 「湯たんぽ」で「冷え性」が治る 低体温が万病のもと」(参照)というのを読む。医学的には安保徹理論である。「体温免疫力―安保徹の新理論!」(参照)みたいのがベース。なのでちょっとなという感じはするのだけど、湯たんぽの使い方としては、へえと思うことなどもあったので、過信しすぎなければそれはそれなりのという感じだった。
 
 

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2011.12.24

finalvent's Christmas Story 6

 教会付属の幼稚園でクリスマス会を開くのであなたにサンタクロースをやってほしいと、ルツから電話があった。大崎のホテルから12月下旬の東京の夜景を見下ろしながら、仙台に暮らすようになっていた彼女のことを思った。
 今年もKFFサンタクロース協会の仕事は断ったが、12月に入ってマリーから「フクシマに行ってみませんか」とメールがあった。「ご関心があるのでは」とも。援助活動ですかと返信で訊くと、投資のための資料作成だという。視察団に加わり、後日、電子会議で意見を述べることになる。
 成田に向かい、そこで一泊した。集まった視察団八人は翌朝、日本政府から認可されている地域を小型のバスで回った。車窓から見えるのは退屈な風景ばかりだった。街があっても映画のセットのようだった。二日目は東京の下町を見て回わった。まとまらない印象を抱えたままホテルに戻ったところだった。
 仙台に行くことにした。調査団には私的な滞在に変更すると伝え、早朝の新幹線に乗った。仙台駅に待つルツは、てっきり修道女の姿とばかり思い込んでいたが、若者のような白いダウンジャケットを着て微笑んでいた。ハワイで会ったのは8年前になるが60歳近い女性には見えない。私が不審げな表情をしていたのだろう、「修道女にはならなかったの」と言った。理由はきかなかった。
 幼稚園のクリスマス会は楽しかった。これが本当のサンタクロースというものだ。ホーホーホー。災害よりもサンタクロースとの出会いが子供の記憶に残ってほしいと願った。
 クリスマス会を終え、報道で見たような被災地も見ておきたいとルツに言うと、その予定でしたと彼女は答えた。やってきた自動車は大柄で黒髪の40代くらいの女性が運転していた。同僚のリサとルツが紹介した。
 仙台駅前から海岸方向に進む。しばらくは日本のどの地方でも変わらない雑然とした風景が続いたが、大きく歪んだガードレールが現れてから、遠望に目をやると置き去りにされた自動車が点在しているのがわかった。荒廃していた。アフリカの戦場も連想した。ため息をつくとリサは後部座席の私を気にしたのか鏡で見ていた。
 二時間ほど被災地を見て回り、ホテルの喫茶室で震災のことを聞いた。ルツは自分のことはあまり語らなかったが、生きていることが理解できないような日々が続いたと言うのが固いもののように響いた。
 話が一段落つくと、リサはルツにメリークリスマスと言って写真集を渡した。二人も久しぶりの再会だったらしい。ルツは写真集を開き、嬉しそうに眺め始めた。私が気にするそぶりをすると写真が見えるように向きを変えた。海辺の花樹の写真だった。
 糸状の花弁が合歓の花のように、ブラシのように集まっている。色は深紅。4メートルほどの樹木全体が赤く見える写真もある。花の接写には白黒でネズミが写っているものがある。写真集はむしろ花とネズミがのテーマのようだ。ルツは楽しそうに見ている。
 「クリスマス・ツリー」とルツがつぶやくと、リサは私に「ニュージーランド・クリスマス・ツリー。ポフツカワ。クリスマスのころに咲きます」と説明した。
 リサはそのまま帰った。私とルツは夕食をともにし、その夜を一緒に過ごした。そうする予定ではなかったが、過ごす時間を贈り物のように思った。細く引き締まったルツの体を抱きすくめると少女のような声で言った。
 ――ネズミは夜になるとクリスマス・ツリーの花の蜜を吸いに来るの。わたしを生きている花だと思えるなら蜜を吸ってください。メリークリスマス――
 
 

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2011.12.23

山田うどんの煮込みソースカツ丼

 「山田うどん」(チェーン店名)があるからといってそこが埼玉とはかぎらない。だが、そこが東京であれ神奈川であれ千葉であれ、とても埼玉みたいなところだ。山田うどんの店内に入り、「埼玉県人、挙手っ!」と呼びかけたら、みんな手を上げる。
 山田うどんに入るのは三年ぶりくらいだ。カウンター席に座る。頼むのは、うどんだろ。やはり、うどんだろ。なにせ山田うどんだ。いや、山田うどん通ならみんな知っているが、うどんを食べに山田うどんに来るわけではない。でも、うどんかな。
 メニューを見ると、11月のお薦めは辛味噌と煮込みソースカツ丼とある。11月? 埼玉はまだ11月なのだ。ま、いいや。辛味噌は辛そうで食べられないが、煮込みソースカツ丼なら……え? 煮込みソースカツ丼って何?
 言葉から連想できるものはある。「煮込みソースカツ丼」だから、カツをソースで煮込んでどんぶりご飯に載せたものでは、あるまいか。「きつねラーメン」ならラーメンにお揚げが載っているし、「カレー天ぷらうどん」ならカレーうどんのなかに海老天が入っているのだ。当然。
 とはいえ煮込みソースカツ丼とは何か? メニューに解説がある。ソースベースのタレで煮込んだ、一味違う山田オリジナルメニュー!ぜひご賞味ください、だと。じゃ、食わないわけにいかないだろ。
 写真を見ると、ソースカツ丼が卵でとじてあるみたいだ。どんぶりのふちには鳥の糞みたいなものもついている。辛子?
 店員のお姉さんが来る。20代だろうか。埼玉らしくふっくらとしたやさしさが感じられるのだが、それはさておき。「この、煮込みソースカツ丼ください」と言うと「セットは何になさいますか」と問われた。はて? 困った顔をしているとお姉さんは壁を指して「うどんかおそばがお選びできます」と言う。
 煮込みソースカツ丼はうどんと一緒に食うものだったのか。知らなかった。まあ、うどんは残せばいいやと思って、ふとメニューを見ると、単品というのがあった。「単品でもいいんですか?」 「はい……」と不安げなおねえさん。そういう客は初めてなんだろうな。でも「じゃ、単品で」
 おねえさんはまだ少し困ったような表情をしている。店長から客にはうどんを食わせるようにというノルマでもあるのだろうか。違った。「カツを揚げるのにお時間がかかりますがよろしいでしょうか」と言う。「いいですよ」と答えたとき自分は暢気な異邦人なのだと知る。
 ぼんやり店内を見渡す。私は人生で半年ほど埼玉に住んでいたことがある。山田うどんを食ったことがあるというのと同じ意味だ。山田うどんのカウンターで青春を語り合った友だちもいた、と、回想シーンで場をつなぐことなく、三分もしないで煮込みソースカツ丼が出てくる。別に待たせてないじゃん。
 オレンジ色のたくわんと、スープが付いてくる。スープ? やたらとネギのスライスが入っているから中華風かなと、飲んでみると、山田うどんのうどんの汁を薄めたものである。
 さて、煮込みソースカツ丼を食う。卵は完璧に火が入って白身すら凝固しているのだが、それすらもこってりと、ソースで煮込まれている。カットされたカツの手前のパーツを取りあげると、カツの衣はじっくりべっとりソースを吸っている。
 カツなのかこれ? 疑問にも思うが、それ以外のものではない。本当にカツなのかこれと疑念を抱えつつ食う。ソースのお味は、とんかつソースかな、これ。つまり、ソースです。ソースかけ過ぎたタコ焼きとかソース焼きそば食っている感じ。
 それでもカツだから豚肉はというと、固っ。こりゃ固いな。「かつや」のくにゃっとしたアメリカンポークとはわけが違う。噛みしめる噛みしめる。昭和な豚肉が強烈なソースとともに口に拡がる。年寄りは食えないんじゃないかと店内を見ると、平均年齢は60歳。でも、カツ丼食っているの俺だけみたい。
 それにしても、なんでソースで煮込んじゃったんだろうか。ソースで煮込むといっても、煮込みハンバーグみたいにドミグラソースじゃないんだよ。とんかつソースみたいの。お好み焼きにべたべた塗るようなやつ。
 ソースカツ丼なら、「かつや」にだってあるし、あれはまあ、ソースカツ丼だよな。どう見ても。そして「かつや」なら、普通に卵で閉じたカツ丼もある。「かつや」は店によって、とじた卵が生っぽかったりはするけども。しかし、それらを統合して、煮込みソースカツ丼というものはどうなんだろうか。わからん。と考えつつ噛みつつ、メニューを見直したら普通のカツ丼もあった。値段は同じ。580円。
 べっとりカツ、もうひと切れを、がっしがっし噛みしめながら食う。食ったことによって生じるどんぶり上部のカツの欠落によって、どんぶり内のご飯が見えるかと思いきや、何? いやご飯は見えるのだが、茶色。なんというのか、これ、ソース茶漬け? 炒めたタマネギとご飯がどっぷりとソースに浸かっている。
 べちゃっとした焼きそば食っている感じでソース漬けのご飯を食う。ご飯はソース味。ソース漬けのカツを食う。カツはソース味。もうひたすら、ソース味。このまま食えるのかとふと、盆を見ると、鳥の糞みたいなものは小皿に載っていて、辛子でした。辛子でアクセント。
 ソース味カツ、ソース味ごはん、辛子ピリリ、ソース味カツ、ソース味ごはん、オレンジたくわんポリポリ、ソース味カツ、ソース味ごはん……。その繰り返しで飽きるかと思ったが、ふと我に返ると、食い尽くしていた。
 俺は、「かつや」のカツ丼の小でもご飯残しちゃうんだが、たいらげちゃったよ。えっへんと思って壁を見ると、うどんとそばの写真。ああ、それも食ってこそ、山田うどん、一人前なんだろうな。いや、プラス50円で大盛りにもできますとある。ああああ、無理。埼玉、すごすぎる。
 カツ丼食ったというより、とんかつソースをビンの半分くらいごくごく飲み干したような満足感。もし、それを、満足感というなら。(のどが渇いて、マクドに寄ってコーヒーを飲んだ。140円。いつ値上げしたんだ?)
 
 

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2011.12.22

北朝鮮崩壊時の最悪のシナリオとは

 北朝鮮の金正日・総書記が死去したことで、「北朝鮮崩壊時の最悪のシナリオとは」といったお題をメディアでよく見かけた。吉例大喜利といったネタでもあるのかもしれない。
 ネタの形式は決まっている。できるだけ不安をかき立てるが現状は安定が見込まれる、といったものだ。不安の演出の妙味が評点になるが、このネタ、すでに出し尽くした感もあり、どれも想定内でそれほど面白くはなかった。が、一点、そう来たかと呻るものがあった。
 まずはいかにもネタ臭いものから見るとすると、まんまやんけのタイトルは産経系Zakzak「北朝鮮“最悪シナリオ”…軍暴走で“核のボタン”大丈夫か」(参照)である。軍部の若手将校が暴発してクーデターが発生するかもしれないというのだ。二.二六事件の歴史をもつ日本にはわかりやすいお話なのかな。


 北朝鮮情勢に詳しい「コリア・レポート」の辺真一氏は「政権委譲が済んでから亡くなった金日成主席のときとはワケが違う。金総書記は、正恩氏が『軍部の掌握』を済ませる前に死んでしまった。独裁体制を失ったことでクーデターが起こる危険性も出てきた」と話す。

 どういうからくりで?

 金総書記の死去に伴い、北朝鮮は、(1)正恩氏と後見人である金総書記の義弟、張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長を中心としたロイヤルファミリー(2)朝鮮人民軍の首脳陣(3)朝鮮労働党-のトロイカによる集団指導体制に移行するとみられる。
 この過程で、辺氏は「三つどもえの権力闘争が起こり、最終的に人民軍が実権を掌握することになる」と推測。そのうえで「既得権を握った軍首脳に反発した若手将校が決起。韓国で朴正煕政権が倒れたときと同様の軍事クーデターに発展する可能性がある」と警告する。

 わかりますか。私はよくわからない。
 三集団が権力闘争するというのは仮説としていいとしても、さらにその一つの権力である軍が権力を掌握するのもいいとしてもだ、なんでこの構図で若手が反発するのかわからない。Zakzakさんの書き方が拙いだけかもしれないが。
 構図的に見るなら、軍が国家権力を掌握できない場合、軍が割れて他の権力集団に迎合した分派でも出るというのだろうか。
 こっそり言うと、軍の若手の造反の可能性が懸念されているのは現下のエジプトの情勢のほうなのだが、ひどい状態になっているわりに日本のメディアもネットもあまり関心はないようだが。
 お次。

 軍事評論家の世良光弘氏は「すぐにクーデターが起きることはないだろうが、(金総書記死去で)軍内部の統制が緩むのは必至だ」といい、こう続ける。
 「軍内部では食料さえまともに配給されていない状況で、厚遇されている一部の高官以外の軍人には不満が鬱積している。統制を保てるのはせいぜい2~3カ月では。その後の情勢は不透明で、春先に大規模な反乱が起きてもおかしくはない。警戒が必要だ」

 軍の統制が弱まり、経済的に不満をもった分子が反乱するというのだ。どうだろか。そもそも軍に属しているだけで北朝鮮は恵まれた階級なのだが。
 お次はクーデターはないよ説。

 アジア情勢に詳しいジャーナリストの富坂聰氏は「金総書記の死亡情報の出方が非常に統制されていた。重要情報が従来では考えられない速さで発表され、他国に情報が漏れることもなかった。体制が弱体化していれば、完璧にことは運ばなかった。北朝鮮は金総書記の個人支配という段階を超えて、堅固な官僚組織を構築している可能性がある」と指摘する。

 すでに北朝鮮内では権力が掌握されているから問題はないよというのである。その証拠に金正日死去の情報もきちんと統制されたではないかと。そう言われてみるとそうかもしれない。
 もひとつ。

 北の軍事情勢に詳しい早稲田大学アジア研究所客員教授の惠谷治氏も、暴発の可能性について「危険性は少ない」と分析する。
 惠谷氏によると、朝鮮人民軍はロシア製の戦闘機約500機、国産戦車2000~3000台を所有するが、「戦闘機は型落ちで現代戦に耐えうるものはほとんどなく、戦闘員も『半軍半農』で使い物にならない。

 それもよく言われることだが、昨年の延坪島砲撃は、北朝鮮軍がやるきになればソウルに大砲の弾が届くということではなかったか。でも、惠氏はそこはスルーして核に話を移す。たしかに、そっちが問題ではある。

核は最終手段で、他国に戦争を仕掛けるのは非現実的。(政権委譲で)指揮系統が再構築されるまで、半年から1年はかかる。政権は軍の掌握を第一義に考えるため、この間は諜報活動も小康状態になるはず」という。

 これも左翼さんとかにもよく見られる北朝鮮安全論だが、実は論点はそこにはない。
 この手の話で似たようなものに、元駐タイ大使・岡崎久彦氏「北の権力継承の読み方と安定度」(参照)もある。

 金正恩氏の名が出てきた後は、観測気球説、時期尚早説、失脚説などが飛び交ったが、恐らくは、全ては流説であって、北朝鮮の中枢、とりわけ軍では、一貫して、08年10月21日の路線を粛々として実行してきたといえると思う。
 とすると、今回の継承は金正日氏の意向の下に、3年前から一貫して準備されてきた路線であり、まして、実力者である軍の支持があるのであるから、当面、後継体制が揺らぐことはなく、政権交代が北朝鮮の政局、政治に及ぼす影響はあまりないと判断される。

 呉克烈の動向や延坪島砲撃などを考慮するとそう暢気な話でもないし、張成沢と軍の関係も単純でもないだろうと思うが、張については後続文脈でも言及してもいる。
 ネタ話はさておき、岡崎氏も重要な指摘をしている。北朝鮮の核を巡る米中の関係である。実際のところ、問題の焦点はここにある。余談だが、先日のエントリ-「金正日・朝鮮民主主義人民共和国・総書記、死去: 極東ブログ」(参照)も、書き方が悪いせいもあるが誤読した人もいたようだ。暗殺が主題ではなく、北朝鮮の核化の国家意志が問題であり、独裁者に見られた金親子もその従属機関に過ぎないのではないか、ということだった。
 さて、岡崎氏の指摘だが。

 他方、最近の東アジアにおける「対中統一戦線」の結成という情勢の下で、中国の戦略家が将来の米中対決を視野の一部に入れていることは間違いない。その場合、中朝国境を流れる鴨緑江まで米韓の勢力が及ぶことは中国としては避けたいであろう。そうなると、中国は国際的に評判の悪い北朝鮮との親密化に躊躇(ちゅうちょ)は感じつつも、北朝鮮に対する影響力確保は、国家戦略上の要請となってくる。
 筆者の個人的感触としては、将来、北朝鮮が崩壊するような場合に、中国は、核施設の安全確保、あるいは難民の流入阻止などの口実はあろうが、北朝鮮の少なくとも北部は占領してなかなか引かないのではないかと感じている。

 要点は、北朝鮮という国家が崩壊することや難民ということもだが、中国が北朝鮮の核管理に乗り出すということだ。
 北朝鮮の不安な核が中国管理下に入るならよいことではないかと言えるし、この点について米中間で極秘に合意が進んでいると私は見ていた。2008年だがその話題が漏れたことがある。読売新聞(2008年9月12日)「金総書記の容体重く、米中が体制崩壊後を協議…米報道」(参照)より。

 【ワシントン=宮崎健雄】米FOXテレビ(電子版)は11日、米政府高官の話として、「脳卒中」を起こしたとされる北朝鮮の金正日総書記(66)の容体は、回復途上にあるとする韓国政府の発表よりも悪く、米国と中国は非公式に体制崩壊後の対応を協議していると伝えた。
 高官は同テレビに対し、金総書記は死に近いわけではないようだが、韓国政府の発表は受け入れられないと発言。現在は北朝鮮が不安定化する兆候はないものの、金総書記には定まった後継者がいないため、政権を退く場合、円滑に権力が移行される可能性は高くないという。

 体制崩壊後の対応が金正恩氏の擁立を意味することになったと言えないでもないが、実際のところ、体制崩壊後の対応とは核管理である。
 これがどうやら頓挫していたようだ。長い前振りになってしまったが、冒頭呻ったのはそこであった。フィナンシャルタイムズ「Death of a tyrant」(参照)にぞっとする話がある。

But, more importantly, there is a need for international co-ordination if the situation spins out of control. Beijing once rejected Washington’s efforts to prepare a joint contingency plan should the regime collapse. But efforts to open a dialogue must be renewed. Seoul, Washington and Tokyo may have different strategic aims for the region to those of Beijing, which would not want reunification under a democratic South Korea. But instability in a nuclear-armed country is in no one’s interests.

しかしより重要なことは、状況が制御不能状態であれば、国際協調の必要がある。米政府が労して提案した、北朝鮮崩壊時の合同緊急計画の準備を中国政府は拒絶した経緯がある。だが、対話は再開される必要がある。韓国による民主化再統合を望まない中国政府は、韓国政府、米政府および日本政府とは、この地域において異なる戦略を持つかもしれない。だが、核武装された国家の不安定はどの国の国益にもならない。


 フィナンシャルタイムズが正しければ、北朝鮮崩壊時の核管理において米中間の協調体制はできていない。中国は統一朝鮮も望んでいないとしている。
 これがどういう問題を起こしうるか。

The nightmare scenario is not the collapse of the Kim dynasty, but a clash of US and Chinese troops as they rush across the border to secure the country’s nuclear facilities. Avoiding such an outcome should be the priority.

悪夢のシナリオは金王朝の崩壊ではない。この国が保有する核施設の確保を巡り米軍と中国軍が越境して衝突することである。この結果を避けることが優先事項なのである。


 問題は、北朝鮮の崩壊よりも、それをきっかけとする米軍と中国軍の、核施設を巡る衝突だというのだ。
 中国はこの問題に折れることはないだろうから、実質的には米国が上手に北朝鮮から手を引く状況を作り出すことが重要なのかもしれない。
 
 

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2011.12.19

金正日・朝鮮民主主義人民共和国・総書記、死去

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日・総書記が死去した。北朝鮮の朝鮮中央テレビ報道によれば、17日8時30分、恒例の現地視察に向かう列車内で心筋梗塞を起こし、心原性ショックを併発して死去したとのこと。69歳だった。金正日氏は、核保有国を宣言し、核兵器及び弾道ミサイルの開発を推進し、韓国や日本に脅威を与える北朝鮮の最高指導者でもあった。その死は近隣諸国から世界にも大きな波紋を投げかけることになる。
 想定外の死であったと言えるだろうか。金氏は心臓や腎臓に疾患を抱えたうえ、糖尿病も患っていた。2008年8月には脳卒中で倒れ、死去が噂されもした。しかし翌2009年7月8日には金日成主席追悼大会出席の映像が報道され、存命ということになった。
 映像からは後遺症が見られ、米政府はこの時点で氏の余命は一年の可能性があると見ていた(参照)。その推測が確かであれば、2010年に寿命が尽きるかとも思えるが、2011年の今年、彼は中国やロシア訪問などもこなしていて、在韓米軍高官も金氏の健康状態は以前より改善しているとの見方を示していた(参照)。
 呼応するように、来年2012年は、故金日成主席生誕百年祭、さらに、金正日総書記の誕生日とされる2月16日には出生地とされる、白頭山の密営で「金総書記をたたえる国際大会」も計画されていた(参照)。
 こうした流れを見ると、健康に不安を抱えながらも、少なくとも北朝鮮政権内の一部では、金氏の死は想定されていない、突然の事態であったとも言える。まるで暗殺でもされたかのように。
 暗殺の可能性はあるだろうか。現状ではそれを臭わせる具体的な情報はない。だが、符牒のように思えないこともない背景もある。まず彼の父、金日成氏の死が想起される。
 1994年7月8日の金日成氏の死が暗示的である。金日成氏の死は公式には暗殺だとはされていない。だが、疑念が消え去ったわけではない。死因は執務中の過労からくる心筋梗塞と報じられた。以前から心疾患を抱え、82歳の高齢でもあることから、いつ死んでも不自然ではないとも言える。だが、過労の背景となる外交には重要な意味があった。
 1994年、北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)を脱退し、プルトニウム生成可能な黒鉛炉と核開発を継続するとしたことに米国は怒り、北朝鮮空爆が検討された。戦争となっても不思議でもなく、ソウル市民避難も進められた。この危機を回避すべく、当時のビル・クリントン大統領の使者としてジミー・カーター元大統領が金日成氏と交渉し、米朝枠組み合意を結んだ。表面的には危機は脱したが、その合意終結時に金日成氏は急死したのである。
 後日の結果からすれば、米朝枠組み合意を北朝鮮は反故にしている。最初から履行する意志もなかったと見られる。とすれば、合意に加わった金日成氏を排除する政治的な理由がなかった言えるだろうか。
 金日成の急死が想起されるのは、今回の金正日氏の死にも似たような背景があるからだ。
 2日前の17日、北朝鮮は米国からの食糧提供の見返りに、核兵器開発に繋がるウラン濃縮停止の合意に達していた。産経新聞記事「北、「食糧」見返りにウラン濃縮停止 米朝暫定合意と韓国通信社報道」(参照)より。


 【ソウル=加藤達也】韓国の通信社、聯合ニュースは17日、米国が北朝鮮に対し、ビスケットなどの栄養補助食品を支援することで両国が暫定合意したと伝えた。外交筋の話として、支援総量は毎月2万トンずつ計24万トンになるとしている。また北朝鮮側は食糧支援の代わりに、6カ国協議再開の前提として日米韓が要求しているウラン濃縮停止などの事前措置の履行を受け入れたとも報じている。
 米朝は15、16の両日、北京で接触し、乳幼児の栄養支援の方法や配分状況の監視手段などについて協議した。聯合ニュースは、北朝鮮が米国側監視要員30~50人の受け入れを認めたもようだとしている。
 来週にも米朝は核問題に関する高官協議を開くとの見方があり、来年2月に6カ国協議が再開されるとの観測も出ている。ただ、北朝鮮が事前措置を日米韓の要求通りに履行するかどうかについて、6カ国協議筋の間には懐疑的な見方が根強い。協議筋は「北朝鮮の出方を中長期で慎重に見極める方針を放棄していない」としている。

 産経新聞以外に、同じく聯合ニュースを元にしているがAPも「N. Korea 'agrees to suspend uranium enrichment'」(参照)で報道している。AP報道によれば、この、食糧見返りによるウラン濃縮停止は、今週の木曜日・金曜日に北京での米中北朝鮮会議でアナウンスされることになっていた。
 16日付け毎日新聞「北朝鮮・核問題:ウラン濃縮、北朝鮮が中断受諾を示唆 先月、米専門家訪問団に」(参照)では、同内容を関係者筋として報道していた。また16日の時事「22日ごろ北京で米朝会談=北朝鮮、ウラン濃縮中断など譲歩―聯合ニュース」(参照)では米側の見通しも伝えていた。

韓国の聯合ニュースは16日、外交筋の話として、北京で22日ごろに核問題をめぐる米朝会談が行われる見通しだと伝えた。北朝鮮が米国に対し、ウラン濃縮活動の中断など日米韓が6カ国協議再開に先立ち履行するよう求めていた事前措置について、受け入れる用意があるとの意向を示したという。19日に米国が発表するとしている。
 米朝会談は7、10月に行われたが、事前措置について双方の溝が埋まらなかった。同ニュースは、今回の米朝会談では、北朝鮮が寧辺のウラン濃縮活動を中断し、これを検証するための国際原子力機関(IAEA)査察団の復帰を受け入れることで合意する可能性が高いとしており、この通りならば、6カ国協議再開に向けた大きな前進となる。同ニュースは、実務的調整を経た上で、6カ国協議は来年2月ごろに再開されるとの見通しを伝えている。 

 核開発停止に繋がる合意が実質結ばれたその日、17日に金正日氏は消えた。彼の父・金日成の急死と同じ構図が浮かび上がる。
 金親子の暗殺の可能性については現状では疑念に留まるが、金正日氏の急死がウラン濃縮活動停止合意の叛意に結びつくなら、この奇っ怪な構図はより鮮明になる。
 今後だが、北朝鮮の新体制がウラン濃縮活動停止の合意をどう扱うかで、その権力の構図も浮かび上がってくる。北朝鮮内部の権力構図の推定は、この合意の履行を注視して後に想定したほうがよいだろう。
 
 

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2011.12.18

帰ってきたプーチン

 ロシアで4日、下院選挙(定数450)が実施された。日本の衆議院に相当するロシア下院は比例代表制をとっている。今回の選挙では7政党の争いとなり、7%以上の得票率を得た政党に議席が与えられる。注目は、来年3月実施の次期大統領選挙に立候補を表明した、プーチン(Vladimir Putin)現首相率いる与党・統一ロシアへの、ロシア国民の評価であった。大統領が確実視されているプーチン氏による、来年以降ロシア体制を占うものとして見られたのである。
 結果はというと、与党・統一ロシア党の得票率は49.5%とわずかだが50%に達せず、前回下院選と比較すると14%減となったため、日本や西側の報道ではプーチン与党の大きな敗北と報道された。ロシア通の石川一洋NHK解説委員ですら、「『プーチン氏はロシア国民のナショナルリーダー・国民的指導者であるという』プーチン神話が終わったと言えます」とまで述べていた(参照)。エコノミストも「見えてきたひび割れ(The cracks appear)」(参照参照)として「こうした事態は、1999年末にプーチン氏が初めて権力の座について以来、政権に生じた最大のひび割れとなっている」と述べた。
 プーチン氏は弱体化したのか。
 まず正確に下院での統一ロシアの勢力を勢力を見ておきたい。前回に比べると77議席を失いはしたが。238議席数を得ている。定数450だから単独で過半数は維持できる数である。対する野党勢力だが、二大政党的な野党は存在しない。第2の政党はロシア共産党の議席数は92。前回に比べて35議席増やしたが、プーチン与党の半分にも満たない。第3の公正ロシアは63議席、第4のロシア自民党は56。共産党が頭ひとつ伸びているかに見えるものの、プーチン与党からすれば野党はドングリの背比べでしかなく、むしろ、ロシア市民の野党支持は散漫な状態であることが浮かび上がる。大局的に見るなら、統一ロシアは下院過半数を維持できており、ロシアにさほどの変化があったわけでもない。
 当然ながら、来年3月の大統領選についても概ね今回の下院選挙の動向が見られることだろう。第一回の投票で過半数を超え、一回の投票で決まるといったかつてのような圧勝は難しいかもしれないが、いずれプーチン氏に落ち着くだろう。
 とはいえ、プーチン与党にとって今回の下院選挙が予想外の苦戦でなかったかといえば、そうとも言えない。石川NHK解説委員も指摘していたが、ブログやソーシャルメディアによる反プーチン・反統一ロシア活動の盛り上がりは異様な印象があった。統一ロシアを「ペテン師と泥棒の政党」と呼ぶビデオがインターネットで流された。人気ブログは「統一ロシア以外に投票しよう」と呼びかけた。こうした影響による反対運動が都市部を中心に盛り上がった。
 いうまでもなくこれは「アラブの春」と呼ばれる中東・アフリカ争乱や米国暴動、米国金融街選挙運動いったものの真似事・流行病のようなものであった。安易な否定性に飛びつく若者らしさでもある。だが、安易な否定性からは何も生まれない。どのような政治の理念を対話のなかで組み上げていくべきかという視点と活動が本来なら求められるものである。
 選挙後、都市部では反プーチン集会や反政府デモも起きたが、プーチン首相自身は動じることもなく、若者が政治姿勢を明瞭にして喜ばしいと評価した。「プーチン露首相、反政府デモを「若者の自己表現は喜ばしい」」(参照)より。


 このデモについて、プーチン首相は「テレビで見たが、大勢の若者たちが元気に自分たちの意見を主張しているのを見て、喜ばしく思った」と語った。また、こうした行為について「極めて当たり前のことだ。法の範囲内で行動している限りはね」と釘を指した上で、「今後も、おおいに続けてほしいものだ」と付け加えた。
 モスクワ(Moscow)で10日に行われた反プーチン集会には数万人が集まり、1991年のソ連崩壊前後の混乱期以降では、最大規模の抗議行動となった。
 反プーチン集会の参加者たちは抗議の象徴として白いリボンを身に着けていたが、プーチン首相は当初「エイズ撲滅の集会だと思った」という。「失礼ながら、(白いリボンが)コンドームを変な風に折り曲げたように見えたのでね。だが、よく見たら違った。最初は、彼らは健康なライフスタイルを訴えているんだなと思った」と語った。

 プーチン氏にしてみればデモ活動は治安に問題を起こさない範囲のごく普通な市民の活動として見ていた。が、批判もないわけでもなかった。

 その一方で、首相は抗議者らを糾弾する姿勢も見せた。「私にはわかっている。あの学生たちは、お金をもらってデモに参加しているんだ。いくばくかの金銭を稼げるのは、いいことだがね」と述べるなど、反政府デモの参加者らは買収されているとの見方を示し、一般市民は野党の圧力に負けて反政府デモに参加して自分をおとしめるべきではないと訴えた

 AFP報道だけ見ていると、プーチン氏は若者の行動を根拠なくおとしめるかのように聞こえもするし、ざっと見渡しところ、なぜプーチン氏がこのように述べたかについて解説しているメディアはなかったように思われた。しかし、まったく根拠のない発言ではなかった。米国はロシア下院選挙に口出しならぬカネ出しはしていたのである。「米大統領府 ロシア議会選挙支援への支出情報を確認」(参照)より。

 米国は、米国務省の「ロシア議会選挙プロセス支援」への支出に関する情報を確認した。米国のカーニー大統領報道官が9日、ブリーフィングで述べた。
 これより先、米国務省のトナー報道官はイタル・タス通信に対し、米国はロシアの議会選挙に900万ドル以上を費やしたと伝えていた。
 カーニー大統領報道官は、これらの支出はロシアにおける野党グループへの援助、すなわちロシアの内政問題への介入を意味しているのかとの質問に対し、そのプログラムの詳細については知らないとこたえ、米国は「世界中の民主主義を支援する」活動をしていると指摘した。
 これより先、ロシアのプーチン首相は、ロシア情勢の不安定化を試みたとして米国務省を非難した。プーチン首相は、主権国家の選挙プロセスへ外国からの資金が注入されることは許しがたいものだとの考えを表した。

 このロシア側の報道はふかしだろうか? そうではない。米国のカーニー大統領報道官による9日のブリーフィング(参照)には、その発言が存在する。関連の質疑応答からはそれ以上の支出も疑われる。プーチン氏の発言にはそれなりの裏があった。
 他の面でもプーチン氏の言動には興味深い情報察知がある。リビアのカダフィ殺害についての米国関与の内情も知っていた。「ロシア首相、カダフィ殺害に米国が関与と批判」(参照)より。

 モスクワ(CNN) ロシアのプーチン首相は15日、国営テレビに出演し、米軍機がリビアのカダフィ大佐殺害に関与したと非難した。
 番組内でプーチン首相は、マケイン米上院議員が「首相はカダフィ大佐と同じ運命をたどるだろう」と述べたとされる件について質問され、こう答えた。
 「これが民主主義だろうか。米軍機を含む無人爆撃機がカダフィ大佐の車列を攻撃し、その場にいるはずのない特殊部隊が、いわゆる反政府勢力や民兵を無線で呼び寄せた。そして捜査も裁判もなしにカダフィ大佐は殺された」
 パネッタ米国防長官はカダフィ大佐の死の翌日、米軍などの無人機がカダフィ大佐の車列を攻撃したことは認めているが、地上部隊の参戦は否定している。

 プーチン氏の公正・正義についての感性が正しいことは、国際刑事裁判所もまたカダフィ大佐の殺害を戦争犯罪の可能性があると見ている(参照)ことからでもわかる。
 プーチン氏擁護のような論調になってきたが、実際のところは西側が批判するように、下院選挙が十分に公正であったとは言い難い。だが、不正は地域的に見ると、その異常ともいえる支持率からも主にタタルスタン、チェチェン、ダゲスタンなど民族共和国に偏向して起きていることだと見てもよいだろう。
 対する都市部の支持率は、西側の梃子入れもあってか、また昨今の反抗の流れもあってか、かなり低い。首都モスクワでは46%、サンクトペテルブルクは32%である。これらは別段ロシア政府側から隠蔽されることもなかった。すでにメドベージェフ現大統領が不正調査支持を出したが、実際のところ都市部では、不正も結果を覆すというほどにはひどくはないと思われる。
 もともと今回の都市部における反感は、歴史的な動向から見るなら、プーチン氏と与党が導いた成功の、逆説的な反映であったとも言える。一定の所得を獲得した中間層ならではの不満である。現地の住民インタビューなども聞いてみると、不満はあるものの体制の転覆まで望んでいるロシア市民はほとんどいない。
 ロシアの問題はむしろ、非都市部である民族共和国にあると見てよいだろう。言うまでもなく、ロシアの地方行政は民主主義によるものではなく、中央からの任命によるものなので、与党と国家が一体になって独裁的な不正に関与していると見てよい。
 このことはプーチン与党の権力が地方に依存しているということでもあり、民族共和国への強権をもって支持を取り付けているとも言えるが、独立国家共同体の動向から察すると実態はおそらく逆で、地方への強権なくしてはロシアが国家として立ちゆかない危機感を反映していると見たほうがよい。加えて、これらの地域は他国との国境や海域で接しており、外交も微妙な采配が求められる。
 私の印象にすぎないが、特にこの部分、民族共和国や隣接国の政治面において、メドベージェフ現大統領は失敗していた。日本ではあまり報道が見られなかったが、メドベージェフ氏は米国のオバマ大統領と個人的な信頼関係を形成しすぎたし、日本に対しても強攻策と取られないかねないヘマをしていた。ロシアの国是からすればこれらは逆でなければならない。プーチン氏としてはメドベージェフ氏の稚拙さを見てられないという苛立ちもあっただろう。
 今後のプーチン体制で問題となるのは、今回の下院選挙でも見られたように中間層への不満対処もだが、より大きな論点としては、プーチン氏をここまでの成功に導いた基本政策でもあるエネルギーの支配が立ちゆかないことにある。ごく単純に言えば、石油や天然ガスが一定以上の価格を維持していなければ、この基本政策は維持されない。だが見通しは暗い。Newsweek記事「In Decline, Putin's Russia Is On Its Way to Global Irrelevance」(参照)は重要な指摘をしている。

Putin used to think Russia’s vast reserves of natural gas and oil–24 and 6 percent of the global total, respectively–entitled him to act like a global Don Corleone, making offers that trembling energy importers couldn’t refuse. News just in: there is so much untapped oil and refining capacity in North America that the U.S. is about to become a net exporter of petroleum products for the first time in 62 years. And by 2017 Kurdish and Caucasian natural gas should be flowing to Europe via Turkey’s Nabucco pipeline, ending the stranglehold of Russia’s Gazprom on the EU market.

ロシアは全地球規模で見て24%の天然ガスと6%の原油という膨大な資源を有しているから世界規模のドン・コルレオーネにもなれるとプーチンは考えたものだった。エネルギー輸入国が拒絶できないように震え上がらせたのである。だがここで最新のニュース。北米には実掘削の原油と精製能力があるり、米国は62年ぶりに石油製品についての純輸出国に変わる。さらに、2017年までに、クルドとコーカサス地域の天然ガスはトルコのナブッコ・パイプラインによって欧州に提供できるので、ガスプロムによる欧州締め付けは終了する。


 よって、プーチン氏のエネルギー戦略はもう通用しなくなるというのだ。
 重要な指摘ではあるが、事態は逆になるだろう。ロシアは隣国との宥和を通してエネルギー供給を計ることで自国の安全保障を維持する方向に向かうだろうし、さらにロシア国内のエネルギー生産効率を高めようと産業の育成を計ることになるだろう。
 むしろこの指摘は別の意味を持つように思われる。つまり、米国はエネルギー政策としては、南米への原油依存が減り、より自国中心的になるだろうし、中東原油の重要性はアジア発展を通して米国の利益に繋がるものと見られるようになるだろう。
 大筋として暗い方向性はないが、すべて明るい方向でもない。ナブッコ・パイプラインはより危険な存在ともなりうる。これはロシアの関与が想定されているというより、トルコを含めこの地域的な問題が深く関与することになるからだ。
 
 


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2011.12.16

オバマ米大統領によるイラク戦争終結宣言の背景

 オバマ米大統領がイラク戦争の終結を宣言して正規兵を撤退させたものの、米国シビリアン1700人とその保護の民間軍事会社・武装要員5000人は常駐させた(参照)。イラクはどうなるのか。オバマ米大統領によるイラク戦争終結宣言の背景について、最近の動向から見ていこう。
 一番気になるのは、10月下旬にイラク政府が公表した大粛清である。
 故フセイン大統領を支えた当時の政権与党バース党員や同体制時の軍人615人が逮捕された。ニューヨークタイムズ報道によれば(参照)、理由は、在イラクの旧バース党員がクーデターを目論んでいるとの情報をリビア暫定政権指導部から得たからとされている。だが、クーデター計画を裏付ける証拠は提示されていない。同報道にもあるように口実に過ぎないだろう。
 何の口実かといえば、スンニ派の弾圧である。
 逮捕者の大半はスンニ派と見られる。スンニ派に対立するシーア派のマリキ首相が、米軍撤退を機にシーア派の政治勢力強化を図ろうとしたものである。しかも、たれこんだとされるリビア暫定政権指導部もシーア派である。シーア派はイラン政府とも繋がりがあると見てよいだろ。
 マリキ首相は突然、変貌したわけではない。イラクの旧軍隊を解体した後、米国ブッシュ政権が関与する時代ではイラクの国内宥和を推進すべくバース党員にも雇用機会を与える立法がなされた。だが、米国がオバマ政権に変わるのと併行して、骨抜きにされていった。スンニ派の政治参加も停滞し、同時にシーア派の強化がなされてきた。いわば今回の粛清はその仕上げと言えるものだった。
 9月26日にHuman Security Gatewayが発表した「Failing Oversight: Iraq's Unchecked Government」(参照PDF)からは、イラク政府は近年、腐敗を防げず権威主義的な傾向にあり、公共サービスも低下しているとしている。皮肉なことにこれらは、イラク戦争後の混乱や暴力によるものではなく、むしろ安定によってもたらされたようだ。
 こうした状況下でなぜオバマ大統領は軍の撤退を実施したか。オバマ政権の公約でもあり、次期大統領選のための口実だから当然と思う向きもあるだろう。そこが難しい。
 現実的に見れば、イラク政府も米国政府も内部で分裂した状態の悪しき帰結であった。ワシントンポスト「An end to the Iraq war? Only for the U.S.」(参照)が内情を伝えている。表面的には米国とイラクは協調しているように繕っているが内実は異なるとして。


In fact, both governments were internally divided. The majority of Iraqi leaders sought a continued U.S. troop presence as a check on Iran and a guarantor of a strong alliance — just like other American allies in the Persian Gulf.

実際は、両政府は内部分裂していた。イラク指導層は、ペルシャ湾沿岸の米国同盟国同様、イランを監視し同盟の証として米軍の駐留継続の道を模索していた。

But Mr. Maliki found it hard to face down the Iranian-backed party in his government; he eventually brokered a bad compromise under which Iraq proposed that U.S. training forces remain but be denied the legal immunity the Pentagon insists on elsewhere in the world.

しかしマリキ氏は、政権内のイラン支持派と対決するのは困難だと見るや、たちの悪い妥協に至った。つまり、米国要員による軍指導員は残留させるが、米軍た各国で地位協定として結んでいる免責特権は認めないというのである。

That gave Mr. Obama a ready reason to side with White House advisers who had argued against a stay-on force all along.

マリキ氏の妥協案は、駐留に反対してきた政権顧問を利する理由をオバマ氏に与えた。

U.S. military commanders, with an eye on Iran, had planned for a troop contingent of up to 18,000. But civilian aides argued that U.S. and Iraqi security forces have demonstrated the ability to maintain control even as U.S. forces have pulled back; that Iraqis have resisted Iranian meddling and will continue to do so; and that the political system now works well enough to prevent a return to the sectarian warfare that raged before 2007.

米軍司令部は、イラン監視もあって、1万8000人の駐留を計画していたのだった。しかし、政権内の文民側は、米軍撤退後も、米国とイラクの治安部隊で統制可能であると主張した。イラクはこれまでもイランに抵抗してきたし今後も抵抗するだろう。イラクの政治体制も機能し、2007年以前に猛威を振るった宗派間闘争は防げるだろうというのである。


 つまり、オバマ政権が公約だからイラク撤退したというより、イラク政権も米政権も意見対立があり、その妥協の産物として今回の撤退となったわけで、むしろ、要点は撤退よりも、米国シビリアン1700人とその保護の民間軍事会社・武装要員5000人の常駐にある。
 オバマ政権内の文民側の予想のように推移するかといえば、すでに言及したように、すでに逆の動向にある。イラク内の宗派間闘争が進行し、さらにイランを中心とするシーア派勢力の影響力がリビアなどを経由して浸透しつつある。
 先のワシントンポストは今回の撤退に疑念を寄せている。

The next year or two will show whether that calculation is correct. In the meantime Mr. Obama will surely boast on the campaign trail, as he did Friday at the White House, that he has fulfilled his 2008 pledge “to bring the war in Iraq to a responsible end.” End it will, for Americans if not for Iraqis; as for “responsible,” count us among the doubters.

目論みどおりに進むかは来年か二年後にはわかるだろう。それまでの間、オバマ氏は、ホワイトハウスで金曜日で言ってのけたように、「イラク戦争に責任有る終結をもたらし」2008年の公約を実現したのだと自慢げに吹きまくるだろう。米国民には終結だろうがイラクの人々にはどうだろうか。「責任有る」を、われわれは疑っている。


 次期米国大統領が誰になるのか。現下、爆笑シリーズの共和党候補漫談で共和党が自滅していくなか、じわじわとオバマ再選の色が濃くなっていく。オバマさんが撒いた失策を、オバマさんが尻を拭くということになりそうな気配である。
 
 

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2011.12.15

コンゴ大統領選不正から内戦が誘発されるか

 「アラブの春」や「欧州危機」の話題に隠れて国内では報道されない、というほどことでもないが、コンゴの不穏な状態について、その内情についての報道は見かけない。ざっと見渡したところ、扱っているブログもなさそうだし、想定外の方向に展開する可能性もあるかもしれないのでメモしておきたい。
 コンゴの現状について日本国内報道がないわけではない。11日NHK「コンゴ 大統領選後混乱で4人死亡」(参照)より。


アフリカ中部のコンゴ民主共和国で、選挙管理委員会が現職の大統領の再選を発表したことに野党の支持者が反発し、治安部隊との衝突で、少なくとも4人が死亡しました。

 今回の事態だが、当面の話の発端は11月28日の大統領選挙の投票である。選挙管理委員会は12月9日、現職のカビラ大統領が49パーセントで1位、野党党首チセケディ氏が32パーセントで2位と発表したが、野党側は選管発表を受け入れず、一部が暴徒化した。野党側の不満の噴出というありがちな話にも思えるが、事態の本質はそれではない。もう少し追ってみよう。

ところが32パーセントの得票率で2位だった野党党首のチセケディ氏が選挙に不正があったとして結果を受け入れず、「自分こそが大統領だ」と主張し、混乱が広がっています。10日には、首都キンシャサで選挙結果に反発した野党の支持者が路上でタイヤを燃やしたり石を投げたりして治安部隊と衝突し、これまでに女性1人を含む4人が死亡しました。国際的な人権団体は、一部の投票所の票が開票されないまま投票結果が発表されるなど、不正があったと報告しており、今後、最高裁判所が選挙結果を承認するかどうか判断することになっています。

 当面の問題は、チセケディ氏が敗北を認めず、また現状では選挙の公正さに疑念があるということだ。
 選挙にどの程度の不正があったかが問われることになるし、NHKニュースの流れでは、その疑問は当面は最高裁判所待ちといった印象を与える。
 AFP「コンゴ民主共和国で現職大統領が再選、野党候補は不正を主張」(参照)報道も補足になる。

 最高裁は、12月17日まで選挙結果への不服申し立ての審理や選管が発表した選挙結果の点検を行った上で正式な当選者を宣言することになっているが、チセケディ氏は、最高裁は「カビラ氏の私的な機関」になっているとして不服申し立てはしないと述べた。カビラ大統領は選挙期間に入ってから、最高裁判事を7人から27人に増やしていた。

 NHKニュースの流れに戻ると、コンゴの大統領選挙は、とりあえず17日までは様子見となるはずであった。
 だが事態は国際問題化してきている。米国はこの選挙に不備があるとすでに声明を出した(参照)。
 いくつか疑問がわく。どうすれば選挙不備がただせるのか。米国は17日までの宣言にプレッシャーを与えたと見るべきか。米国を含め西側諸国はチセケディ氏側の言い分をのんだのか(コンゴの最高裁はカビラ氏の私的な機関だと認めたか)。そのあたりが現下問われている。
 仮に選挙結果が正せるとして、その結果を現職カビラ大統領が受け入れるのかという問題にもなる。
 それ以前に、この選挙の実態はどうだったのか。つまり、先日のロシア下院選挙のように不正があるにせよ、大筋は変わらないということなのか。
 実は、それ以前の前提があった。今回の大統領選挙は最初から茶番として実施されていたのだった。フィナンシャルタイムズ「Kabila’s charades cost Congo dearly」(参照)が手の内を明かしている。

Britain funded this charade with £31m, the European Union with €47m, and the UN with $110m. They have all raised concerns. But the international community does not favour Mr Tshisekedi. Instead it is ready to choose the option perceived as safest: supporting the status quo.

この茶番に英国は3100万ポンド、欧州連合(EU)は4700万ユーロ、国連は1億1千ドルを拠出した。これらの国は懸念を表明したが、この国際社会とやらはチセケディ氏を良しとしていたわけではない。それどころか、安全パイを選ぶことになっていた。つまり、現状維持である。


 そもそも不正選挙であっても、カビラ大統領を立て、内乱を誘発しないように抑え込むという筋書きであった。
 西側シナリオの背景には、近隣6か国の介入を招き1998年から5年間も続き、死者400万人も出した「アフリカ大戦」とも呼ばれる大規模な内戦を誘発するのは避けたいという思いがある。
 だが、この虚妄の安定を突いてこの間、中国がコンゴの資源獲得に乗り出し、民主化や富の再配分を妨げてきた。これも潜在的に大きな問題となっていた。
 つまり、西側の茶番筋書きが、米国の口出し後もそのまま維持されるのかが、現下の問題になっていると見てよいだろう。
 米国の思惑といえば、毎度ながら気になるのはワシントンポストだが、これが読みようによっては胡散臭い主張をすでに掲げていた。「Congo at risk」(参照)より。

Mr. Tshisekedi had promised that his followers’ reaction to a loss would mimic the Arab Spring revolts in northern Africa. More likely, the result of taking to the streets would be a bloody contest like those that followed disputed elections in Kenya and Ivory Coast. At worst, Congo’s multi-sided, transcontinental war could reignite.

チセケディ氏は、選挙敗北について彼の支持者の反応は「アラブの春」のようになると約束している。街頭活動の結果は、ケニヤやコートジボアール選挙に続く血みどろの闘争になる可能性が高い。最悪の場合、多勢力に分かれたアフリカ大戦が再燃しかねない。

The United Nations, which has 19,000 troops in Congo, should be prepared to act quickly to prevent a broader conflict, while Western governments and Congo’s neighbors should make clear to Mr. Kabila that excesses by his security forces will not be tolerated.

1万9000人の軍をコンゴに置いている国連は、より広い衝突を防止するよう迅速に行動する準備をすべきだし、他方、西側諸国とコンゴ隣国はカビラ氏に対して、その治安部隊の逸脱行為は許されないと明言すべきだ。

Congo’s election is already a political failure; the challenge now is to prevent it from triggering a humanitarian catastrophe.

コンゴ大統領選挙はすでに政治的な失敗である。現下の問題は、大規模な人道危機を引き起こさないようにすることだ。


 ご立派なことを述べているようだが、良く読むと、ようするに米国は当初の茶番シナリオはすでに失敗しているのだから、放棄せよということだ。そして明確には書かれていないが、カビラ大統領の失脚も想定されていると見てよいだろう。
 では、米国はコンゴの政権交代を操るのだろうか。
 普通に考えるなら無理だ。現状では、国連軍が米国の思惑で動くとも思われないし、リビア内戦のように裏方に回ってこっそり米国の実力を行使するようなことはできそうにはない。
 それでもどうも胡散臭い第二シナリオが展開しそうな雰囲気がある。
 
 

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2011.12.11

エジプト・クーデターの落としどころ

 「第二革命か」とも言われた11月下旬のエジプト、タハリール広場を主とする抗議運動はしぼみ、軍部のシナリオどおりに議会選挙が実施された。現状から今後の動向の関連をメモしておこう。
 議会選挙でイスラム政党が躍進することは予想通りのことだが、論点は軍部が権限移譲を行うかにある。
 単純な話、来年、軍部が権限移譲を行えば、この一連の争乱は結果的にクーデターとは言えないものに変貌する。軍部の権限移譲がなければ、歴史評価としてもただのクーデターで終わることになる。
 11月下旬の抗議運動は、そもそも軍部に支えられた暫定政府が、軍最高評議会の意向を受け、早々に独自に新憲法指針を出したことへの反発が発端であった。この指針では、軍予算について軍部に全決定権を持たせるとしていた。
 構図は選挙前の11月30日ワシントンポスト社説「Will Egypt’s generals respect the power of the vote?」(参照)が明快に描いている。


The full results of the vote won’t be known for some time, although well-organized Islamic parties, led by the Muslim Brotherhood, are widely expected to finish first. In the short term, the biggest winner will be Egypt’s ruling military council, which by staging an orderly and relatively free election in Cairo may have defused a new popular rebellion. Huge crowds that gathered in Tahrir Square last week and clashed bloodily with police and troops largely disappeared when the polls opened.

選挙結果は当分不明だろうが、ムスリム同胞団が率いる、組織化のよいイスラム政党が第一党になるだろう。しかし短期的には、最大の勝利者はエジプトを支配する軍事評議会となる。彼らは、通常手段で比較的自由な選挙をカイロで演出することで、新たな大衆抗議を沈静させてしまったかもしれない。投票が開始されるや、先週タハリール広場に集まり、警察や軍と血まみれになっても衝突した群衆の大半は消えた。


 11月下旬の抗議運動が失敗したことで、軍部による憲法指針は事実上確定した。

Facing charges both at home and abroad that it was subverting a promised transition to democracy, the generals can now claim that the process is back on course.

約束された民主化移行を反故としてきたとして国内外で批判されていたが、将軍たちは今や民主化プロセスに戻ったのだと主張できる。


 軍部の主張は本当か。この食わせ物のクーデター騒ぎがまだ継続しているだけなのか。
 ワシントンポスト社説は疑念を提示していた。軍部が民主化への権限移譲のプロセスにあると主張することに対して。

That claim could still prove deceptive. In addition to the more than 20 days of voting still to be managed, a successful election will require the military council to respect its results — which it has not yet committed to doing. The generals last week named a new prime minister — a 78-year-old veteran of the Mubarak regime — and have not yet agreed that the elected parliament will form its own cabinet.

この主張もまた欺瞞だと判明する可能性がある。選挙の成功は、20日以上かかる投票が管理されることに加え、軍事評議会が結果を尊重する必要がある。だが、軍事評議会はこの件について関与してこなかった。将軍たちは先週、ムバラク時代に経験がある78歳の新首相を任命したが、選出議員による議会が組閣することには同意していない。

They are also attempting to reverse a constitutional amendment, ratified by a popular vote just eight months ago, that gave the new parliament authority to select the members of a constitution-writing committee.

8か月前に一般投票で承認されたのだが、新憲法草案作成委員会選出の権限を新議会に与えるとする憲法改正を軍事評議会は覆そうと試みている。

Their aim, council chief Gen. Mohammed Hussein Tantawi baldly stated in a news conference Sunday, is to ensure that the military’s power remains unchallenged in the new political order, even after the promised handover of authority to an elected president in June.

軍部の目的は、軍事評議会のムハンマド・フセイン・タンタウィ将軍が日曜日の記者会見で言ってのけたように、来年6月に選出される大統領に権限が移譲された後も、政治の新体制において、軍部の権力が現状のまま確実に温存することにある。


 これこそ大がかりなクーデターの仕上げとも言えるものだ。
 現状についてだがウォールストリート・ジャーナル「イスラム政党の躍進で軍との関係複雑化=エジプト人民議会選挙」(参照)がわかりやすい。

 選挙管理委員会の4日の発表によると、サラフ主義(強硬なイスラム原理主義)の超保守派政党ヌール党が政治アナリストの予想を上回る24.4%の得票を獲得した。穏健なイスラム原理主義組織ムスリム同胞団系の自由公正党は、ほぼ予想通りの36.6%で、宗教色のないエジプト連合は13.4%にとどまった。この結果、イスラム系政党が得票率の60%超を確保した。イスラム政党有利の傾向は今後2回の投票でも続く見通しだ。
 アナリストによれば、新議会でイデオロギー上の対立が表面化すれば、議会が軍に対し強く当たれるかどうかについて、自由公正党が大きな責任を負うことになるとみられる。同党がサラフ主義政党とリベラル政党の相対立する要求をうまく吸収できれば、新議会は軍に強力に対抗できそうだ。


 軍最高評議会は、新議会が制定する新憲法で文民政府の決定から軍の予算や政治的立場を保護することを要求している。エジプト連合は自由公正党を嫌っているが、軍から議会への権限移行を望むならば、差し当たっては自由公正党と連携する必要性が出てこよう。

 イスラム政党が躍進したとはいえ、国民の一割のコプト教徒(キリスト教徒)を抱え、またイスラム色を脱したいとする世俗主義者も少なくないエジプトでは、国論をまとめることが基本的に難しい。そしてその困難さが与党に負わされることになり、与党が困難な妥協を求めることになる。
 問題はその妥協先はどういう方向に向くかということだ。別の言い方をすれば、イスラム政党が、暴力機関である軍部の独立性を奪取して、これを国家という暴力装置に収納する方向に動くかということになる。それには、当然ながら、軍部との対立構図を政治として描けるかにかかっている。
 無理だろうと私は思う。ウォールストリート・ジャーナルもその線で見ているようだ。

 しかし、イスラム諸政党は連立を組んで一致団結することには慎重。一方、リベラル諸政党は自由公正党とある程度距離を置く方針のため、軍最高評議会が議会を巧みに操る可能性もある。軍政の打倒を掲げるリベラル派は、ムスリム同胞団がここに来て軍に対し協調的な姿勢を見せていることに怒りを募らせている。

 ムスリム同胞団系の自由公正党が軍部と対立できるように政治の構成を取ることは困難であり、むしろ逆に与党が軍部と妥協・協調していく可能性が高い。このことは、先日の抗議活動でもすでに先行して見られた動向であった。
 11月下旬の抗議活動こそ革命の始まりかと見た、11月27日のNewsweek記事「Does Egypt's Real Revolution Start Now?(エジプトの真の革命が今始まったのか?)」(参照)は、クーデター政権完成の図柄をこう描いていた。

The high command, for its part, has worked hard to divide any potential opposition, trying to create what Prof. Robert Springborg, an expert on the Egyptian military at the U.S. Naval Postgraduate School, calls "a new political order in which it may agree to neither rule nor govern, but in which it in turn is neither ruled nor governed."

最高司令部としては、軍に歯向かう政治勢力の分断に注力し、新体制を形成しようとしている。それは、エジプト軍の専門家ロバート・スプリングボーグ米国海軍大学院教授によれば、「支配も統治もしない代わりに、支配も統治もされない組織」である。


 エジプト国家内でありながら、独立した国家的な組織をエジプト軍部は求めているというのだ。

There’s widespread suspicion that the traditional leadership of the once-outlawed Muslim Brotherhood is willing to cut deals with the high command to protect the generals’ prerogatives as long as the way is cleared for the Brotherhood to win elections. In any case, senior Brotherhood officials have not supported the protests.

非合法だったムスリム同胞団の古参指導者は、ムスリム同胞団が選挙に勝つなら将軍らの特権を保護するとして、最高司令部と取引を快く結んだという疑惑が広まっている。いずれにせよ、ムスリム同胞団役員は今回の抗議活動を支援してこなかった。


 この軍隊を保持したまま、あたかも皇帝のような特権者となる、軍事評議会のムハンマド・フセイン・タンタウィ将軍とはどのような人物か。

Foreign officers who have worked with Tantawi often refer to him as "the CEO of Military Inc." He is not only the minister of defense, he is the minister of military production, a position that oversees factories making everything from tanks to pasta, building toll roads and resorts, using conscripts as labor, and raking in millions of dollars that are never accounted for in public.

タンタウィと働いたことがある外国軍人は彼のことを「軍隊会社のCEO」と呼んでいる。彼は防衛大臣だけではなく軍需生産大臣も兼ねていて、戦車からパスタまで製造、有料道路からリゾート施設まで建設、徴集兵を使役し、国民に報告責任のない数百万ドルを稼ぎだすのである。


 欧米や、そして日本でも独裁者ムバラク前大統領が「エジプト革命」によって民衆によって打ち倒されたと語られた。さてその後の、国民と隔離された富と権力を保持する軍事評議会タンタウィ将軍とどちらが高潔であるだろうか。
 
 

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2011.12.10

[書評]謎とき平清盛(本郷和人)

 来年のNHK大河ドラマ「平清盛」の時代考証に史学者の本郷和人氏が入ると聞いて、その趣向の書籍だろうと、とりあえず買ってみた。当たりだった。書籍としての構成、特に章構成はやや緩くも思えたが、随所にエキサイティングな話題がある。歴史愛好家にはたまらない一冊と言えるだろう。

cover
謎とき平清盛
本郷和人
(文春新書)
 本書を読み始めて何より「あっ」っと不意を突かれたのは、「平清盛」というのは天皇制の物語なのだということだ。言われてみれば当たり前でもある。親皇として表面的に対立した平将門などのほうが天皇制を外的に意識しやすいが、天皇制の内実を捉えるという点では「平清盛」はその特徴をよく表すことになる。
 おそらくだが、お茶の間的にはさほど違和感なく受け入れられてしまうだろうが、天皇家を「王家」として扱うのはNHK大河ドラマでは初めてのことになる。天皇家は王家で当たり前。皇室でも「天皇」でもないのである。そういう感覚がようやく日本国市民の常識に根付いていく。人生の半分を昭和の時代とする私などには隔世の感もある。
 本書は、史学的には権門体制論の枠組みの自壊にあるが、「平清盛」はそのもっとも特徴的な部分を解体的に描き出している。さらにその継続に本郷氏が専門とする鎌倉幕府の位置づけも明確にされる。つまり「平清盛」は幕府を開いたということだ。それだけ取りあげると奇矯な意見のようにも見えるが、かなり整合的に考察されている。上皇による権力の二元制が武家の体制を導くというあたりも納得させられる。藤原信西の評価も興味深い。
 先にもふれたが、新書という小冊子でありながら、構成はやや緩く、編集的な意匠から「巻」を導入している。たぶん各章は単独で読んでもさほど問題はないだろう。

巻の1 清盛の時代を知る
 第1章 史実とフィクションの間で
 第2章 大河ドラマの時代考証
 第3章 清盛、その出生の謎
 第4章 平家は武士か貴族か

巻の2 改革者・清盛は何を学んだか
 第5章 ライバル源氏、義朝と頼朝
 第6章 武力のめざめ、保元・平治の乱
 第7章 頂点に立つ平家幕府
 第8章 源平の戦いと清盛の死


 別の言い方をすれば、各章の独立性が高くそれぞれに興味深い。
 「第1章 史実とフィクションの間で」と「第2章 大河ドラマの時代考証」は、いわゆる史学と歴史物語の関係を、史学者としての立場から平易にまとめている。ごく当たり前の話でもあるが、本郷氏の歴史への情熱と愛情が読み取れて楽しい。
 「第3章 清盛、その出生の謎」だが、ようするに清盛御落胤を排するという話で、史学的には一つの合理的な見解ではある。だが、氏も自覚しているようにそれほどの議論になるものではない。そのせいか、お馴染み本郷恵子氏のコメントも登場して話を落としている。本書の枠に収まるとも思えないのでしかたがないが、私の率直な印象で言えば、これはこれでもっと深く議論されてよい問題ではないかと思う(落として済む話ではないでしょう、と)。
 「第4章 平家は武士か貴族か」は第3章の、清盛の武家の延長した議論になっていると同時に、平家のありかたをどう見るかという議論になる。本郷氏は武士として見ているという論だが、ドラマのもう一人の考証者・高橋昌明氏(参照)は貴族(公家)として見ていて、本郷氏の見解とは対立している。
 余談めくが私は平家というか清盛は広義に交易の王権としていわゆる権門体制論から外れたところに本質があるのではないかと思っている。つまり、いわゆる日本という国家の政治や軍事の権能ではなく、交易の調停としての権能がどうその後の歴史に継続するか、つまり「富」の視点のほうが、この時代の本質ではないか、と考えている。
 「第5章 ライバル源氏、義朝と頼朝」は、まさに本郷氏がNHK大河ドラマ「平清盛」の時代考証に関わるきっかけとなった源家を語っている部分である。本書のもっとも重要な部分でもあるが、残念なことにその考察はドラマにはほぼ反映されないらしい。東国武士団のエートスが、実質的に源家を排した北条レジームを決定し、室町幕府や各種の自律的共同体の「法」を形成していくので、その背景も興味深い。道元を支えた波多野氏も出てくる。
 「第6章 武力のめざめ、保元・平治の乱」から「第7章 頂点に立つ平家幕府」、さらに「第8章 源平の戦いと清盛の死」はいわば、平家幕府から鎌倉幕府への通史であり、崩壊の視点から権門体制論を描いている。読みながら、率直なところ、保元・平治の乱について、いわゆるありがちな権力闘争くらいに思いそれほど重要性を感じていなかったので、本書の考察は刺激的だった。
 この第6章から第8章は、自分でもまだ十分に消化できたとも思えないが、NHK大河ドラマ「平清盛」を見ながら一年くらいかけて考える課題にしたい。
 
 

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2011.12.09

鍋焼きうどん2.0

 頬に当たる小さな雨粒が冷たく、かすかに痛い。霙か。重たい色の空を見上げていると雪に変わっていくのがわかる。積もるなんてことはないだろうと思っているうちに、降り止む。ぞっとするほど寒い。遠くの森のコビトが朝会で鍋焼きうどんだと言う。ほんの一瞬。0.1秒。だが脳裏をよぎった幻想は後になって思えば悲劇の予告編だった。
 慣れないショッピングセンターを出てどこに車を停めたっけと人の気配のない駐車場を回っているうちに、道なりに続く住宅街の一軒が、こざっぱりとした新築の小料理屋に見える。こんなところに小料理屋があったかと思っているうちにショッピングセンター従業員が数名、店に入っていく。営業中。つられて店の前に向かい、戸口に立つと、うどん屋だった。手打ちうどん専門らしい。
 店主、よほどうどんが好きで脱サラでもしたのだろうか。期待もあって、うどんにするかと戸を開くと飲み屋のようなつくりの店内には七割がた客も埋まっている。常客の雰囲気。だったら、そんなに悪くもないだろう。
 勧められたカウンターに座りメニューを見ると、うどんしかない。グラム指定で四段階の注文ができる。よほど手打ちに拘っているのだろう。メニューの裏には天麩羅数点と、日本酒やビールなど酒がある。閉店は8時とのこと。
 鍋焼きうどんだなと自然に思う。が、鴨うどんというのも悪くない。五十は過ぎただろうが年のわからぬタイプの女がやってきて注文をきく。鴨うどんと言うと困惑したような顔でカウンターの向こうの店主らしき板前風の中年男に目を向ける。男は、鴨切れてましてすみませんと声を上げる。じゃ、鍋焼きうどん。
 店内には常連客の和やかな熱気がある。田舎の同窓会にも似ている。身内の人の恋愛だの行事の段取りだのという話題のようだ。山梨と埼玉と千葉を擦り潰して混ぜ合わせたような田舎の盛り上がり。もしかすると僕は、とんでもないところに来てしまったのかと少し不安になる。
 15分くらいだろうか。慣れない店ということもあり、ずいぶん待たされた気がしたが鍋焼きうどんが来る。二つ。一つは別の客。どうやら後の客の注文とまとめたようだ。
 鍋はというと、いわゆる鍋である。マンション住まいのアラフォー女が一人、ブログを書き終えて今晩はお鍋という感じの花柄デザイン。蓋は、してある。
 さて、これを手で掴んで開けろということか。熱くないのか。と、もう一人の鍋焼きうどんの客を見ると、ためらいもなく開けている。ではと蓋を摘むと、ひんやり。
 だが、鍋はぐつぐつと泡立ち沸騰していた。
 すぐに泡が引いてその姿を現す。
 え? これが鍋焼きうどん?
 なんと言っていいのかよくわからない。未知の大陸で未知の生物に出会ったときの驚きとでもいうのだろうか。未知とはいえ何かに似ているぞ、これは。そうだ、鍋焼きうどんに似ている。鍋に入っているのだから、鍋焼きうどんの一種だろう。理性は告げる。
 鍋の中央に落としたばかりの卵がある。最後に入れたのだろう、生のままだ。
 海老天は、と探すと、端っこに、かっぱえびせんを立体スキャナーでスキャンしてプラスチックで二倍にモデリングしたような、ぽってりとしたものがある。よく見ると小さな海老のしっぽが出ているので海老天ではあるのだろう。他に具は?
 生卵の横に三角形の小さなお揚げがある。煮た形跡はない。
 海老天らしきものの横に薄い蒲鉾のスライスが沈んでいる。小さな生椎茸の四分の一もある。どれも煮込んだ形跡はない。ホシはまだ遠くに行ってない。
 うどんの合間の野菜は、と見ると、白菜のざく切りである。これがざくざくとあり、白菜鍋にうどんを入れましたという風体。ネギはその陰で申し訳ないがここに置かせてくれと隠れている。
 これで全部なのか。全部だ。これ、鍋焼きうどん?
 店主、うどんの手打ちに人生を賭けて、うどんという料理には関心が向かったのだろうと僕は前向きに立ち直る。他の客だって美味しそうに食べているじゃないか。人生前向きでなくちゃ。うどんだろ、決戦は。
 うどんに箸を寄せる。何かおかしい。思わず箸を引く。こ、これ、うどん?
 うどんは熱いつゆのなかにあるのだが、固定されている。高校生のころ、美術の時間で木炭画を仕上げた後、表面を固めるスプレーを吹き付けた。なんかそれに類する溶剤で安定化の工夫でもされているのだろうか。そんなわけもあるまい。再度箸を入れ、うどんをつついて、よっこらせと持ち上げると、メキシコの山奥の薬草植物の根っこみたいものが出現する。いや、うどんだ、と私は自分に問いかける。うどんだ。うどんに会えたんだ。
 だが自然に沸き起こる、これ、うどんかよ? という自問に責め立てられる。うどんだ、うどんだ、うどんだ。そう信じなければ、この場の俺は、どうしたらいいんだ。別れ話を切り出した女の前で泣き崩れそうな俺が、ここにいる。
 呆然と、うどんのようなものを箸で摘み上げているうちに、熱気も薄れる。口を開き、口に運び込む。よく管理された工場の試運転。
 噛みしめる。ぐっちゃっ。
 なんだこの感触。
 歯ごたえもなければ、駅のホームの、立ち食い茹で置きうどんのような、へちょっ感でもない。これはまさに、うどん粉をシンプルに固めてみましたという何かだ。すいとん? いや、すいとんなら、もっとつるっとした感触がある。ほうとう? 本当? 駄洒落、考えてどうする。
 この、ぐっちゃっと踏み込んだら最後、歯を引き離さないモルディングの感覚は、歯医者で歯形を取るアレに近い。じゃ、五分ほどじっとしていてくださいねと歯科医の助手の女の巨乳が顔面に迫ってきた、あの圧迫感がフラッシュバックする。えへへぇ~。いや、そんな場合じゃないぞ。
 ぐっちゃっ・ぐっちゃっ・ごっくん。俺はこの鍋焼きうどんのようなものを食わないことには、どうしようもないんだ。鍋焼きうどん? 違うだろ。じゃ、なんだよこれ。鍋焼きうどん2.0。
 多めに入っている生っぽい白菜を噛みしめる。ぎっしぎっし。うどんがぐっちゃっぐっちゃっ。労働者の正しい社会主義ユートピアに前進しているような倒錯した高揚感。どうにでもなれという感じで、進む。前進、文化大革命。海老天らしきものも、薄い蒲鉾も工場のベルトコンベアーを流れていく。つゆの味は? いや、もうそういう次元じゃないんだ、これは。
 人生つらいときは考えても、つらいばかり。永遠にこの鍋焼きうどんが続くわけでもない。考えるのはやめようと、とりあえず胃の腑に所定の粉の塊を流し入れていく。
 それでも驚愕。海からマンタのようなもの出現。手打ちうどんの端切れがそのまま三角形のうどん粉の塊になっていた。これなら、きちんと全部の歯形が取れる。
 ギブアップ。もうだめ。
 まわりを見回すと、田舎の同窓会みたいな熱気は続いている。淡々とみなさん、うどんを食っている。
 もしかして、これが正しいうどんなんじゃないか。自分は今、間違った価値観の洗脳が解けていくプロセスにあるんじゃないか。そんな気がしてくる。
 そうなのかもしれない。そうに違いない。そうでなくちゃと、なにかが胸にこみ上げてくるのか、消化しづらいうどん粉が胃にもたれているのか、よくわからない。
 会計するとき、千円と言われたので千円札を出す。何を買ったかといえば、経験である。
 入ったときと同じ戸を開くと、眼前に茫漠とした世界が拡がっていた。まだまだ未知な鍋焼きうどんだって、ある。空から声がする。参るぞ、悟空!
 
 

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2011.12.08

産後鬱病とか伝染性セックス依存症とか

 先日……、いや、ちょっと調べ直すと、5日だ。NHKの7時のニュースで「出産後冷める愛 夫しだいで保つ」(参照)という話をやっていた。300組の夫婦を対象にベネッセ次世代育成研究所が4年間の継続調査したところ、出産後、夫を愛していると感じる妻の割合が大きく減少していたというのだ。ニュースは報告を引いている。


 それによりますと、妊娠中は、夫も妻も「愛していると実感する」のは74.3%で、差はありませんでした。ところが、出産すると「夫を愛していると実感する」妻の割合は大きく減少し、子どもが0歳の時は、およそ30ポイント下がって45.5%。1歳の時は、さらに9ポイント近く下がって36.8%。2歳の時は、さらに下がって34%となりました。
 一方、「妻を愛していると実感する」夫の割合は、子どもが2歳の時に51.7%あり、妻に比べて減少幅は緩やかでした。また、「妊娠した時」も「子どもが0歳になった時」も、変わらずに夫を愛していると実感する妻の調査結果を調べると、「夫は家族との時間を努力して作っている(79.9%)」「私の仕事や家事をねぎらってくれる(71.5%)」などと感じている割合が高く、家族と一緒に過ごす努力や、妻をいたわることばが、愛情を保つ大切な要素になっていました。

 子供が二歳になるころ、夫を愛していると実感する妻は三分の一にまで減少する。
 すごい減少率だなと驚いたのだが、基点を妊娠中に取ると最初から夫に愛情を覚えるという人は四分の三くらい。全体としては半減くらいだろうか。それなりにこの夫でやっていけるかなと思っていた若妻の二人に一人は、とほほということなのだろう。
 しかし、「夫を愛していると実感する」というのが、必ずしも愛情とイコールいうものでもないだろうとも思った。新婚のころのような実感は減っても愛はあるということもある、とか。そう考えないとちょっと救われない話でもあるな。
 この話題、ツイッターでも多少話題になったので、反応を追ってみると、「そんなもんじゃないすか」みたいなつぶやきも見られた。うーむ。そんなものなのか。もわもわ。
 関連しているというわけでもないだろうが、今日のロイターで「Women's Post-Natal Depression Linked to Partners' Abuse」(参照)というニュースが流れていた。邦訳は見かけないが、話は「産後の鬱は夫からの虐待による」といったところ。虐待というのは、実際の暴力もあり心理的なものもあり。夫が冷たく当たる、というのも含まれるだろう。もちろん暴力のほうが悪影響が強い。
 いずれにせよ、夫からの虐待があると産後の妻の40%は鬱に苦しむというのだ。
 そうなのだろうなとも思うが、なんとなく連想したのは、鬱とまでいえない落ち込みの感覚ならもっと多くあるだろうし、夫からの虐待がなくても、出産自体の影響で鬱の傾向もあり、それが影響して夫の愛情への不満というのもあるのでは。相互作用というか。そんなことも思った。
 穏当な結論から言えば、妻が出産した後、夫の精神的なフォローはとても大切である、ということになる。
 だが、この話、そういうお行儀のいい教訓で終わるものでもなさそうだという印象も持った。いや、結婚し子供は産んだけど、恋愛の感情は、むしろ、いわゆる不倫の方向にずれていく萌芽もあるんじゃないか。
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Newsweek Asia
December 5, 2011
 こうした話と直接関係があるわけでもないが、Newsweekの12月5日号に「The Sex Addiction Epidemic」という記事があり、表紙もこのネタを暗示していた。なお、記事のタイトルは「This Man Is Addicted to Sex」ともなっていた。内容は英文のほうは無料で読むことができる(参照)。
 話はタイトルからもわかるように、「セックス依存症の伝染病」ということ。どうも現代人は、セックス依存症という伝染病に感染しやすいのではないか、ということだ。含みとしては、夫婦関係が維持できないということもありそうだった。
 日本版のニューズウィークに、この記事、翻訳されるのか、その後の2号を追ってみたがなかった。
 日本人向けの話でもないからなというのと、英語版のこのネタだが、同号に「Sex Addiction and the City」(参照)があるように、スティーブ・マックイーン(Steve McQueen)が監督した映画「Shame」から釣られたネタでもあるからだろう。同映画は、2011年ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞、主人公がヴォルピ杯男優賞(マイケル・ファスベンダー)を受賞し、ちょっとした話題になっていた。日本で上映するんでしょうかね。

 英国映画ではあるが、話は、ニューヨークの富裕なビジネスマン中年男ブランドンのセックス依存症を描くという作品。当然、エロなシーンは多くて18歳未満は鑑賞できない「NC-17」というレーティングとなった。まあでも、エロというより、薬物依存症のような陰鬱な映画だ。若者に見せると鬱になるからという配慮と受け取りたい。
 Newsweekの先の記事も、基本的にセックス依存症を薬物依存症と同系統に扱っている。記事は食いつきを狙ってか、女性の事例から始まっているが、実際には、当然という言うべきなのか、依存症は男性が多い。
 とはいえ、医学的な統計を元に語られているわけではなく、対処にあたる側の現場の声から導いている。背景としては、れいのIMFのドミニク・ストロスカーンやタイガーウッヅなどの話題もある。
 さらに背景として、流行の伝染病らしい部分にデジタル革命を置いている。いわく猥褻サイトが身近になりスマートフォンなどもそうした用途に使えるといったノリである。ただ、記事としては先にもふれたが、薬物中毒と同系統に落とし込んでいるので、セックスという特有の様相への考察は弱い。

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不倫の恋で苦しむ男たち
(新潮文庫)
 これは何かなとぼんやり思って、ふと鞄の整理をしていたら、ぽろっと未読の「不倫の恋で苦しむ男たち」(参照)が出て来て驚いた。なんとも奇妙な偶然。
 この文庫本、どう考えても5年前に自分で購入したものだろうが、記憶にない。なぜ買ったんだろうか。当時自分が不倫の恋で苦しんでいたわけでもない。
 なんとも奇妙な偶然だと読み始めると、面白いには面白い。
 テーマは不倫男の生態だから当然、中年男がいろいろ登場し、50歳を超えた、自分の年代の男の話もある。状況的には共感できないが、男の心情としてそういうことはあるかもしれないと理解できる面もある。
 だが、これ、なんというのか、一時代前の話ではないか。古いな。と、疑問に思い、当初の出版年を見ると、2001年であった。つまり、収録されている話はどれも10年前であり、50代の男性は、私の年代と思いきや、現在は60代。団塊世代。なるほどな、自分とは世代的な感性が違うなとも思った。もちろん、本書の40代の男は、今の私くらいの年代ではある。
 この本の50代の不倫男性は今60代か。お相手が40代くらいの女性だと、50代か。不倫も老いの領域に突入していくものか。その前に破綻しちゃうのか。どういう人生の風景なのだろうかといろいろ想像してみた。
 
 

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2011.12.07

[書評]知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで(イアン・F・マクニーリー、ライザ・ウルヴァートン)

 思想や知識について現代日本人の私たちは、定式として扱いがちだ。例えば、リベラリズムなど何々イズム。あるいは概念。例えば、一般意志、絶対精神といったもの。そしてそれをつい思想家または思想家の系譜として考えてしまう。リベラリズムなら、ジョン・ロックやジョン・スチュアート・ミルなど。概念についてはそれを生み出した思想家としてルソーやヘーゲルといったふうに。その配列や一覧表が思想史や思想と呼ばれてしまい、あたかも現代社会に生きて知を営むありかたが、その帰結であるように考えてしまうことがある。

cover
知はいかにして「再発明」されたか
アレクサンドリア図書館から
インターネットまで
 だが思想や知識というものは社会への機能からすれば、それらを枠付ける、知の制度にこそ重要な意味を持つのではないか。別の言い方をすれば、リベラリズム、一般意志、絶対精神といった主義や思想を、再解釈したり、現代に文脈化するのではなく、知そのものの、歴史社会における運動の流れを正確に理解しなおし、社会のなかで再構築していくことが、人類に可能な知やそれに基づく社会の構築に大きな意味を持つのではないか。
 つまり、現代社会の思想や知の構築には、どのような制度的な仕組みと歴史を持っているのか、その遍歴を構造的に理解しなおす必要がある。これを俯瞰的にさらに未来の展望から描いたのが、「知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで(イアン・F・マクニーリー、ライザ・ウルヴァートン)」(参照)である。扱われている知の制度は、現代文明が宿命的に負っている西洋の知が問われるが、イスラムや中国、インドなど他文明における知の制度の比較も扱われている。
 具体的に西洋知の制度は次の6つに分けられ、それぞれに章が当てられる。結論は第7章としてもよいかもしれない。

第1章 図書館 ――   紀元前3世紀~西暦5世紀(library)
第2章 修道院 ――   100年~1100年(monastery)
第3章 大学 ――    1100年~1500年(university)
第4章 文字の共和国 ――1500年~1800年(Republic of Letters)
第5章 専門分野 ――  1700年~1900年(disciplines)
第6章 実験室 ――   1770年~1970年(laboratory)
結論 そしてインターネットへ

 各制度はそれぞれその起源と終了あるいは最盛期の期限によって、歴史時間のなかで限界付けられている。年代を見ればわかるように、概ね知の諸制度の変遷と見ることができるが、各制度は時期的な重なりがあり、一つの時代から次の時代に転換するというふうに見られているわけではない。
 これらの知の制度だが、一見すると、世界史なり、あるいは思想史なりの従来の書籍を読んできた人間には、ごく当たり前なものに思える。率直に言えば、各章で言及されている史実については、新発見もなくさほど創見と言えるものもない。もちろん、その叙述を裏打ちする厚い教養はそれ自体で読み応えはあり、巻末注釈は、邦訳されていない基礎文献の貴重なリストといった趣もある。このリストだけでも本書の価値があるかもしれないほどである。
 本書にぐっと引き込まれるのは、これらの制度名とその時代を再考察したときだ。例えば、図書館というとき、初源が紀元前3世紀となれば、「薔薇の名前」(参照)からも連想されるが、ヘレニズム世界から続くアレクサンドリア図書館がすぐに想起されるだろう。そのとおりなのだが、ではなぜ本書ではこの制度が西暦5世紀に限界付けられているのだろうか。図書館は現代にも続くものであり、図書館学についてはむしろ近代が基礎になる。知の制度としてみるなら、図書館は紀元前3世紀に始まるとしても現代にまで続くものとして扱われるべきものであるように思われる。だが、本書はそうではない。そこに、本書の知の制度という手法の意味合いが強く反映している。文明がその存続と発展に依存する活動的な知の制度こそが問われている―そのことがこの限界付けに暗示されているのである。
 図書館に続く、修道院や大学も、歴史に限界付けられる知の制度として扱われている。修道院については、これもまた「薔薇の名前」が連想されるが、ある時代の知の制度としてごく常識的に本書のような限界付けが理解できる。だが、大学はどうだろうか。大学もまた本書では16世紀までに限界付けられている。これらは、世界史に馴染み深い人なら、ルネサンス期の自由七学芸、リベラル・アーツ(liberal arts)(参照)を意味していることがわかるだろう。リベラル・アーツは今日において大学の起源や規範として議論されることがあるが、今日の大学はむしろ本書の専門分野(デシプリン)が近い。
 「第4章 文字の共和国」は本書でおそらくもっとも知的興奮を誘う。歴史用語の"Republic of Letters"の定訳語を私は知らないが、本書の「文字の共和国」という訳語には翻訳者の苦心があったと推測される。歴史学的な意味から考えれば、「文芸会」「文壇」といったこの時代の知的サロンがこの用語から想起されるし、ルソーの伝記などから彼がこの"Republic of Letters"にどう関わったかなど読書人の常識でもある。だが、この章では、"Letters"の書簡的な意味合いや、印刷による「文字」の強調から、あえて「文字の共和国」の訳語が捻出されたのかもしれない。
 いずれにせよ、西洋近代を生み出す知は、文字による書籍や手紙をメディアとして知が国家を超えて興隆した「文字の共和国」であったことは再確認できる。もちろん、この軸でのみこの時代が総括できるわけではなく、ミシェル・フーコーが古典主義時代の「エピステーメー」として特徴付ける博物学などは、本書の枠組みでは文字の共和国と専門分野にまたがってくる。
 実験室という視点も興味深い(参照)。アントワーヌ・ラヴォアジエやルイ・パスツールはまさに実験室という知の制度としてくっきりと浮かび上がる。本書には言及がないが、バラス・フレデリック・スキナーやヴィルヘルム・ライヒなどもこの知の制度のある独自の廃退に近い意義を持っている。
 さらに「第6章 実験室」が興味深いのは、この知の制度が、世界の冷戦構造に伴いビッグ・サイエンスの登場によって限界付けられることだ。考えてみれば、量子力学なども黎明期においては小さな研究所でも可能であり、思弁が大きな意味を持っていた。しかし、現在では国家を必然的に巻き込み出している。本書が大きな問いを提出しているのはここである。
 専門分野や実験室という知の制度が、冷戦期を経て民族国家から帝国的な国家に従属する知の制度と化している現在の動向と、あたかもそれを水平的に分散し世界化しているかに見えるインターネットとの拮抗の意味を問うている。
 しかし、本書はその問題にはやや抑制的でもある。おそらくそれは、知の制度としてのインターネットがまだ不定型であるということに対して、知の働きそのものの本質的な謙虚さによるものでないだろうか。インターネットの興隆がそのまま、人類の新しい知の制度になるわけでもないことは、初期のブログのコメント欄とその後の変容からも自明のようにわかることだ。
 本書は、翻訳文としては読みやすいが、内容からすると、世界史の素養を要するという点でそれほど読みやすいものではない。また、章ごとの各論はそれぞれに興味深いが全体の知の制度の関連に意識を統制するのは難しいかもしれない。
 本書は、各論に興味があるのではなければ、邦訳書に付された長谷川一氏による手短な解説を読み、それぞれの知の制度への概要を理解したのち、「はじめに」と「結論」を読まれるとよいと思う。
 本書における「結論」は、いわゆる結論ではなく、人類の知の制度がどうあるべきかという、まさに私たちに迫る命題を明確に形作っているという点で、熟読される大きな価値がある。
 
 

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2011.12.06

[書評]さむらいウィリアム 三浦按針の生きた時代(ジャイルズ・ミルトン)

 本書「さむらいウィリアム 三浦按針の生きた時代」(参照)のメインタイトルはオリジナル「Samurai William: The Adventurer Who Unlocked Japan」(参照)のメインタイトルをそのまま受け、江戸という時代が築かれようとする時代に、英国人でありながら日本のサムライ(旗本)となったウイリアム・アダムス(William Adams)、日本名・三浦按針に焦点を当てている。

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さむらいウィリアム
三浦按針の生きた時代
ジャイルズ・ミルトン
 だが、白石一郎が三浦按針を主人公に描いた歴史小説「航海者―三浦按針の生涯」(参照)のような、フィクションを交えた、その生涯の物語描写とは異なる。かなり違うと言っていい。
 本書は、三浦按針に主軸を置きながらも、邦題の副題が示すように「三浦按針の生きた時代」という時代そのものを描き出している。実際のところ、ウイットに富む小説的な叙述の形式を取っているが、描き出す手法は正統の歴史学に近い。本書は、オリジナルの副題が示すように、西欧にとって未知の国であった日本をこじ開け、日本とはどのような近世の幕開けを持つ国かを開示してくる。
 繰り返すが、三浦按針の生涯の全貌が本書でわかるというものでもない。だが、按針の生涯への関心は欧米でも高い。オリジナルについた米国アマゾン評などからもうかがわれる。
 欧米人が按針に関心を持つのは、英国人がサムライになったという歴史の奇譚もだが、1980年に米国で放映されたテレビドラマ「将軍 SHOGUN」(参照)の主人公ジョン・ブラックソーン(John Blackthorne)のモデルとされているためだろう。
 本書は作者がジャイルズ・ミルトンであることからわかるように、彼が大航海時代の側面を描いた「スパイス戦争―大航海時代の冒険者たち」(参照)の続編または外伝といった趣きも強い。ポルトガル、イギリス、オランダの争いや東南アジアでの交易や香辛料の話は本書にも多く描かれている。だが本書の特徴は、交易より宗教、つまりイエズス会やフランシスコ会などカトリックと、日本を含めて展開されるイギリスやオランダなどプロテスタントの争いが興味深い。
 本書の前半は、按針が日本に至るまでの地獄のような航路のようすが史実にそって描かれる。よくこの悲惨を按針や、八重洲の地名の元になるヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン(Jan Joosten van Loodensteijn)が生き延びて日本に到達したものだと感嘆するとともに、歴史というものの不思議さも思わざるをえない。
 そして按針の幸運もだが、彼を見出して重臣とする徳川家康の、人物を見抜く人間的な力量にもあらためて驚嘆する。按針は大きく日本の歴史の方向を変えるのだが、その決定的な要因は家康にある。そのようすも本書が実に説得的に描いている。また、秀忠も狡猾な人物として印象深く描かれている。
 本書の後半は、大航海時代の東アジアの交易と日本の関わりに焦点が置かれ、ともすれば按針は脇役か、あたかも歴史の、重要だが小さな歯車のようにしか登場しない。代わりに、煮ても焼いても食えないような愚劣な英国人群像が登場する。
 率直なところ、この道徳観も持ち合わせないような人々が繰り広げるスラップスティックはなんなのだろうといぶかしくすら思える。しかも引き起こされる事件の尻ぬぐいは毎度、按針の役どころである。この経緯のなかで按針はまさに日本人のなかの日本人のようにも見えてくるのは、ペーソスのようでもある。
 滑稽な群像のなかでも群を抜いているのが、平戸商館長コックスである。彼は悪人とは言い難いが商才も知略もまるでない凡庸な人間である。中年に至っても女に振り回されるなさけない男でもある。だが、商館長としてそれなりのカネが使えるとなると、ガーデニングをしたり金魚を飼ったり、グルメに走ったり、あげく、日本の遊女に血道を上げる。
 いや、読みながら、こういうコックスのような人生に一抹の羨望も持つ。異国の美女を入れあげて放埒を尽くしてみたいものだなといったような。
 コックスを含めた英国商館の群像がここまで詳細に描けるようになったのは、1990年以降の歴史学の成果を取り入れているからだ。その意味では、本書は、この20年間のこの分野の新資料を駆使して描いている。
 実際本書を読みながら、いわゆる戦国時代物の通念から見る日本像とは異なる、意外な日本を感じることがなんどかあった。まったくの新しい知見とは言い難いのかもしれないが、全体像としては新しい視座のもとに日本の歴史を見直すという奇妙な体験が得られる。もっとも、史学者ならここは間違いと指摘できる箇所も多いようにも思えた(大坂冬の陣・夏の陣など)。
 按針については、一つ深く考え込まされることがあった。彼は日本人の妻を娶る。歴史小説だとどのようにも描けるが、実際のところは家康からあてがわれた女ではないかと私は思っていた。
 だが史実から考察するミルトンの描写を見ると、馬込勘解由の娘・お雪を妻としたのは、按針がお雪を愛したからにほかなるまいと思えてきた。愛以外に妻を娶る理由がない。そんなばかなことが歴史にあり得るのだろうか。愛などは物語にしか存在しない虚構にすぎないと思う疑念深い私だが、按針とお雪についてはそれ以外には理解できない。それはそれなりに自分には衝撃的なことでもあった。
 

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2011.12.04

[書評]河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙(河北新報社)

 今年はどんな年だったかといえば、東日本大震災の年だったと言うほかはない。NHKニュースに流れる災害報道の映像は見ていた。そのくらいは見るようにした。
 かつて大伴家持の晩年を偲んで一人旅して回った多賀城市の惨状は、胸抉られる思いがした。あまりの圧倒的な惨事に心がついて行けなくなった。自分について言えば、少し日が経って以降、震災についてはあまり考えないようにしていた。逃げていた。

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河北新報のいちばん長い日
震災下の地元紙
 そうもいかない。震災を少しづつ考えようと思ったとき、まず言葉が欲しいとも思った。映像やニュースではなく、その経験のただ中にいた、人間の言葉が欲しい、と。それが、この「河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙(河北新報社)」(参照)にはあった。
 書名「河北新報のいちばん長い日」は第1章の章題でもある。3月11日の、その当日から、奇跡的と言ってもよいだろう、翌日の朝刊を作り上げる12日の未明までの河北新報の活動がドキュメンタリータッチで描かれている。
 その冒頭は皮肉にも、あの日の午後1時、震災など想像もできない時刻、翌日の朝刊のトップの話題はないかと思いあぐねていた報道部デスクの述懐から始まる。そうなのだろう。平穏な日々、新聞社はなにが話題だろうかと気を配っている。だが、デスクはその思いに「のちに激しく後悔することなる」。想像だにできないことが起きた。
 惨状が真に迫るのは、河北新報社をも襲う激しい地震のさなか、誰も叫び声を上げなかったことだ。「人間は本当の恐怖を感じ取ると言葉を失うものだ」と記されている。壮絶な体験がつづく。その災害のなかで不可能と思えるような困難のなかで、新聞を発行しようと同社が一丸となっていく。
 私は無神経に思う、そんな惨状で命がけで新聞を作る意義があるだろうか、と。無理なら無理として、しばし休刊すればいいのではないか。私は、そんな程度の人間であり、本書を読みながら恥じることになる。
 同社は停電にはなったが、自動発電装置は稼働した。報道部の素材管理システムと整理部の組版システムは被害があるものの使える。輪転機も無事だった。だが、組版基本サーバーは倒壊し、自社では新聞が発行できない。
 そこで新潟日報との非常時の協定(号外は2ページ、朝刊は8ページまで組版が依頼できる)を活かして新聞の作成に取りかかることになる。そういう非常時対策があったのかということに無知な私は驚きもした。
 かくして当日夜の号外、そして朝刊ができあがる。1897年創刊以来、休刊日を除いて一日も休むことなかった河北新報が続く。そのことの意味は、東京在の私などには想像しがたいが、地元では大きな支えになっていたのだと知る。
 3月12日以降続く現地の取材のようすは凄惨という他はない。映像やニュース報道とは異なり、人間の目を通して見られた地獄のような情景が、人の思いを介して言葉になっていく。読者はそれを言葉として読み取りながら、理解していく。どれほど情報技術が発達しようが、そこに変わりないだろう。であれば、新聞記者、特にその地域に生きる記者たちの基本的な仕事には変わりがあろうはずがない。新聞というのはすごいものだなと素直に思う。
 河北新報の「河北」の名称は、「白河以北一山百文」(白河の関より北には一山が百文の価値しかない荒れ地)という、明治維新の際の薩長からの侮蔑を逆手に取った独立心を表している。と同時に、白河という地名が一つの目安になると言ってもよい。私は西行や芭蕉を偲んで白河の関へ一人旅したことがある。南湖公園で一人寂しくボートにも乗った。福島県の思い出である。
 震災は福島原発事故も引き起こした。河北新報も地元紙として取材にあたる。福島には11人の記者がいる。そのようすを描いた「第6章 福島原発のトラウマ」は記者の当事者としての、息を飲む描写が続く。記者はその場を去るべきなのか。当初、社は避難指示を出す。
 中島記者は15日に福島に戻る決意をする。28歳の女性・菊池記者は、いったんは故郷、佐渡に避難したが、19日に福島に戻ってくる。記者として悩むその間の日々の記録も本書に記されている。
 危険を冒しても現場に居たい。新聞記者魂ではあるが、それだけにまとめることのできない心情が言葉として本書には滲んでいる。記者の思いが、その後の福島原発報道の背後に裏打ちされていく。
 第9章は「地方紙とは、報道とは」と題されているが、この章だけではなく、本書全体が、未曾有の危機のなかで、まさに「地方紙とは、報道とは」が問われたことを示している。
 地方がどうあるべきか。地方の再生はどうするか。そうしたいかにも明瞭な問いかけには答えとなる各種の議論があるものだ。だが、答えなどあまり意味はない。
 地方が生きているということは、その人々の生活を写し取り伝える基本機能なくして成立しない。当たり前のことと言えばそうだが、その当たり前は、命がけの仕事ともなりうる。そこまでの使命感を支えるもの、それを信じられることが大きな意味を持つ。
 
 

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2011.12.03

一川保夫防衛相は穏便にひっこめたほうがよさそう

 失言・揚げ足取りで閣僚を引きずり下ろすというのは、しないほうがよいと思うし、無能に見える政治家も正当な手順でその地位にあるなら、菅元首相のようにできるだけ職務をまっとうさせたほうがいいと思う。だが、一川保夫防衛相はさすがに防衛相として話にならない。できるだけ穏便にひっこめたほうがよさそうだ。
 政治家の資質といったうさんくさい話はさておくとしても、事は国家の安全保障にも関わり、今後難しい交渉を多方面に展開していく職務がこの人にできるとはとうてい思えない。ご老体の北沢俊美元防衛相をわずらわすのも忍びがたいが、ここは北沢さんに頼むしかないのではないか。
 話は最近のあたりから。関連ある話題として、一川保夫防衛相が監督責任を負う防衛省沖縄防衛局・田中聡局長の「犯す前に、犯しますよと言うか」発言について触れておく。
 まず、オフレコ発言の暴露はジャーナリズムとしてどうかという問題がある。そもそも「報道を前提としない酒席での非公式発言」を取りあげるのはジャーナリズム違反ではないのかという問題だ。
 初報道は琉球新報だったが、その後の続報については、時事「おことわり=沖縄防衛局長発言について」(参照)が代表的に弁明している。


 防衛省の田中聡沖縄防衛局長の28日夜の発言については、時事通信社の記者も懇談会に出席していました。基地問題の背景を説明するのを趣旨としたオフレコ前提の非公式懇談だったため、記事にするのは見合わせましたが、29日朝、一部報道機関が報じたことから、オフレコの意味はなくなったと判断。発言内容を報じることにしました。

 オフレコの意味がなくなった時点以降は、ジャーナリズムの対象となるということだ。それについては、ジャーナリズムのルールのうちと見てよいだろう。
 すると問題はまず、口火を切った琉球新報が問われることになる。この件について琉球新報は30日付け「「知る権利」優先 本紙、オフレコ懇談報道」(参照)でこう述べている。

 政府が年内提出を予定する環境影響評価(アセス)の評価書提出問題に話題が移った時、本紙記者が「政府はなぜ『年内提出する』と明言しないのか」と問いただした。すると、田中局長は女性を乱暴することに例えて「これから犯す前に『犯しますよ』と言いますか」と応じた。田中局長は、1995年の少女乱暴事件後に、「レンタカーを借りる金があれば女が買えた」と発言し更迭されたマッキー米太平洋軍司令官(当時)の発言を自ら話題にし、肯定する言いぶりもあった。
 公表を前提としないオフレコ内容を報道したことについて、沖縄防衛局報道室は「(懇談は)オフレコだ。発言は否定せざる得ない」とした上で、「(公表すれば)琉球新報を出入り禁止することになる」と警告してきた。

 ジャーナリズムの問題は、オフレコはすべて報道してしはならないということではない。ジャーナリストの責務においてそれを報道するかという問題である。
 つまり、(1)オフレコ内容を公的に知らせるという責務を琉球新報がもっていたか、(2)それに見合うほどの重要な問題であったか。この2点である。
 1点目については、琉球新報が沖縄防衛局報道室に打診し、「(公表すれば)琉球新報を出入り禁止することになる」と警告を受けたとのことだから、出し抜けの報道ではない。社を賭けて実施した、まさにジャーナリズムの価値が問われる活動であった。
 ではそれがジャーナリズムとして正しい行為であったか。
 その評価が難しい。今回の事態は、「犯す前に、犯しますよと言うか」という下品な発言内容が注目されるが、報道価値に関わるのは、誰が述べたのか、つまり、どれだけの権能者が述べたか、という点である。
 田中聡氏は沖縄防衛局長であり、政府側のこの問題の前線における最高責任者であると見てよいだろう。つまり、そのような権能者がどのような考えを持っているかを伝えることは、ジャーナリズムとしては基本的に重要な問題だとは言える。
 つまり問題は、「犯す前に、犯しますよと言うか」という下品な失言ではなく、その下品な発言の背景にある、政治問題の評価である。これに触れなければ、この問題を論じるに値しない。
 次に、オフレコ、つまり、密室発言でもあるから、その発言は正確であったかが、前提として当然問われる。発言の正確性についての疑問は、報道各社の報道のブレからも当然起きる。具体的に見てみよう。
 朝日新聞「沖縄防衛局長「犯す前に言いますか」と発言 辺野古巡り」(参照)では。

沖縄県名護市辺野古への米軍普天間飛行場の代替施設建設に向け、政府が環境影響評価(アセスメント)の評価書の提出時期を明言しない理由について、沖縄防衛局の田中聡局長が28日夜の報道各社との非公式の懇談で「これから犯す前に犯しますよと言いますか」などといった趣旨の発言をしていたことがわかった。

 読売新聞「女性を誹謗する発言…田中・沖縄防衛局長」(参照)では。

 沖縄防衛局の田中聡局長(50)は28日夜、沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設に向けた環境影響評価書の県への提出時期を一川防衛相が明言していないことについて、女性を乱暴することに例え、「犯す前に『やらせろ』とは言わない」と発言した

 毎日新聞「普天間移設:沖縄防衛局長が不適切発言 厳しく処分へ」(参照)では。

沖縄防衛局の田中聡局長(50)が28日夜、報道機関との非公式の懇談会で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先の環境影響評価(アセスメント)の評価書の提出時期を一川保夫防衛相が明言していないことについて、「犯す前に犯しますよと言いますか」と発言していたことが分かった。

 NHK「沖縄防衛局長が不適切発言」(参照)では。

防衛省沖縄防衛局の田中聡局長は、28日夜、那覇市で行った記者団との非公式の懇談会の席で、普天間基地の名護市への移設計画に伴う環境影響評価書の提出時期を一川防衛大臣が明確にしていないことについて、「犯す前にこれから犯すとは言わない」と発言しました。藤村官房長官は、29日午前の記者会見で、この発言について「事実であれば看過できない」と述べました。

 共同通信「沖縄防衛局長、女性誹謗で更迭へ 辺野古アセスで」(参照)では。
 田中聡沖縄防衛局長(50)が、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設計画に向けた環境影響評価(アセスメント)の評価書の提出時期を政府が明言していないことをめぐり「犯す前に、犯しますよと言いますか」と女性への乱暴に例える発言をしていたことが29日、関係者への取材で分かった

 以上三紙およびNHK、共同通信の報道には異同もあり、正確な発言はわからない。
 正確な発言について疑念の余地があることは、日経新聞と産経系Zakzakが報道している。
 日経新聞「男女関係に例え不適切発言 沖縄防衛局長」(参照)では。

 沖縄防衛局の田中聡局長は28日夜、報道陣との非公式懇談で、米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に必要な環境影響評価(アセスメント)を巡り、一川保夫防衛相が評価書の年内提出を明言していないことについて、女性への性的暴行に例えて「犯す前に犯しますよとは言わない」と述べた。
 田中局長は、防衛省が評価書の年内提出方針を明言しない理由を報道陣から質問されたのに対し発言。「やる前にやらせろとは言わない」とも述べた。

 産経系Zakzak「防衛官僚“オフレコ暴言”バレた!女性冒とく「犯す前に…」」(参照)では。

防衛省関係者は「犯す」という言葉は使っていないとしたうえで、「何かをやる前に、いちいち『やる』とは言わないとの趣旨の発言。女性への暴行という趣旨の発言はしていない」と説明している。

 日経及び産経系Zakzakからは、「犯す前に、犯しますよと言うか」という発言はなかったかもしれない様相が浮かび上がる。
 では、朝日、読売、毎日などは捏造報道をしたのだろうか? あるいは、仮定に基づく煽動を行ったのだろうか?
 この問題をブログのネタで浅薄に扱ってしまう前に、いくつか前提を考慮しなければならない。
 まず、事実は公開されていない。録音がされ、それが暴露されたということではない。おそらく、録音は存在していないだろう。
 であれば、事実とは証言による可能なかぎりの推認に重要性が置かれる。つまり、証言の信憑性が問われることになる。
 ではまず、証言者とは誰だろうか。それを見ていく必要がある。
 琉球新報記事は、証言者たりうる懇談会出席者についてこう記している。

 懇談会は各社負担する会費制で、県内外の9社の記者が参加した。午後8時ごろから始まった懇談は、テーブル中央に座った田中局長を記者が取り囲み、飲食を伴いながら、基地問題について意見を交わした。

 では、個別に可能なかぎりその出席記者を洗い出してみよう。そしてその後、直接証言の報道社の報道を分類して行こう。
 まず時事通信についてだが、先の報道からわかるように出席していた。
 共同通信は先の記事で伝聞であることを強調している。出席していなかったことについては、「公益性考えオフレコ報道 防衛局側は戸惑い」(参照)で明示している。

 懇親会に参加したのは新聞、放送、通信の約10社。共同通信社は参加していなかった。出席者によると、那覇市内の居酒屋で、記者らに囲まれた田中氏は「今日は何でも聞いて。完オフ(完全オフレコ)だから」と発言し、酒を飲んで懇談した

 共同報道には証言性はない。
 だが、共同記事からは、出席社に「放送」が含まれているとの指摘が興味深い。
 出席する報道機関を選んだ防衛局は、後で触れるが、読売新聞や日経新聞など全国系の本土紙を意識していることから、同じく全国をカバーするNHKが含まれていた可能性はあるだろう。
 朝日新聞記者については、出席していなかったことを30日朝日新聞社説「沖縄侮辱発言―アセス強行はあり得ぬ」(参照)で述べている。

 地元紙が報じ、表面化した。朝日新聞は発言時は、その場にいなかったが、補強取材をして記事にした。私たちも、あってはならない暴言だと考える。

 毎日新聞社も出席していない。「田中・沖縄防衛局長:普天間アセス「犯す前に言いますか」 提出時期巡り発言、更迭へ」(参照)より。

29日付朝刊で発言を報じた琉球新報や防衛省関係者によると、懇談会は防衛局側が呼びかけ、那覇市内の居酒屋で、地元報道機関など約10社が参加して開かれた。問題となった発言は、評価書の提出時期をめぐるやり取りの中で出たという。毎日新聞は懇談に参加していなかった。

 沖縄二紙の一つ沖縄タイムス記者は参加していたが、酒席の座の配置から該当発言は聞いていなかったとしている。「沖縄防衛局長更迭 アセスめぐり女性誹謗」(参照)より。

 沖縄防衛局が28日夜に居酒屋で主催した懇談会には、本紙を含む県内外の記者約10人が出席し、完全オフレコで行われた。田中氏は酒を飲んでいた。発言時、本紙記者は離れたところにいて発言内容を確認できなかった。29日に複数の出席者に取材し、確認した。

 沖縄タイムスは朝日新聞と本土復帰前から記者交換をしているので、おそらく朝日新聞は沖縄タイムスを介して記事確認をしたのではないか。
 日経新聞記者は出席していた。「沖縄防衛局長の更迭発表 防衛相」(参照)より。

田中局長の発言があったのは28日夜。沖縄防衛局側の呼び掛けで、那覇市内の飲食店で報道各社との懇談会が開かれ、日本経済新聞も含め9人の記者が参加した。田中局長は各社が報道しないとの前提で沖縄の基地問題などの質問に答えたが、琉球新報が29日付朝刊で発言の一部を報道した。

 読売新聞記者も出席していた。先の記事より。

 懇親会には、読売新聞を含め記者約10人が出席。報道を前提としない非公式の発言だった。

 産経新聞も出席していなかったが、興味深い表現になっている。「田中氏を更迭 女性や沖縄を侮辱」(参照)より。

 会合は那覇市内の居酒屋で、報道を前提としない非公式の形式で行われた。県内外の報道機関約10社が参加したが、産経新聞社は欠席した。地元紙、琉球新報が29日付朝刊で報じたことを受け、関係者に取材して発言内容を確認した。

 産経報道の「欠席した」という表現から察するに、防衛局側からの出席の招待あったとも受け取れそうだ。
 以上をまとめると、懇談会出席の確認ができるのは、初報道の琉球新報、オフレコ解除を明示した時事通信に加え、本土大手紙では、読売新聞と日経新聞。さらに地元紙の沖縄タイムスである。
 産経新聞「欠席」したことは防衛局が本土紙を意識したと見られ、「放送」も参加していることから、NHKも出席していた印象はある。
 逆に出席していなかったことを明示している筆頭は、朝日新聞と毎日新聞だが、前者沖縄タイムス、後者は琉球新報と提携しているためだろう。証言の信憑性の観点からは、出席した記者に近いものと見てもよいだろう。
 反対に出席していないことを明示しているのは、共同通信と産経新聞である。よってこの報道は完全に他社記者に依存したことになる。
 では、この証言の審級性から報道を見直していこう。
 まず、証言者たりうるは出席者である。
 すると、琉球新報、時事通信、日経新聞、読売新聞、沖縄タイムスの五者になる。五者は共謀として単一の証言をしているわけではないので、その差違が事実性の認定に重要になる。なお、沖縄タイムスが証言しているように、出席していても直接証言者たりえないことを考慮する必要はある。
 分かる範囲で推定を深めよう。
 証言者たりうる、琉球新報と時事通信、および読売新聞と日経新聞の報道を見直すと、問題となる「犯す」という表現について、表面的な差違は見られない。
 だが、日経新聞と読売新聞では、初報道となった琉球新報とは異なる姿勢は明確になっている。
 日経新聞では、「犯す前に犯しますよとは言わない」に併記して「やる前にやらせろとは言わない」という表現を加えている。読売新聞もまた併記に近い、「犯す前に『やらせろ』とは言わない」としている。
 証言者たりえる二社報道では、「犯す」の他に「やる・やらせろ」という表現が併存していた可能性を浮かび上がらせている。
 他方、問題の発言者である田中聡沖縄防衛局長はどう弁明しているか。
 正確な報道はないが、時事通信が要旨を報道している。「田中沖縄局長の説明要旨」(参照)より。

 田中聡沖縄防衛局長が29日、自らの不適切な発言について、一川保夫防衛相らに説明した内容は次の通り。
 居酒屋での記者との懇談で、(米軍普天間飛行場移設に関する環境影響評価の)評価書の準備状況、提出時期が話題になり、私から「『やる』前に『やる』とか、いつごろ『やる』ということは言えない」「いきなり『やる』というのは乱暴だ。丁寧にやる必要がある。乱暴にすれば、男女関係で言えば犯罪になる」といった発言をしたと記憶している。
 ここで言った「やる」とは評価書を提出することを言ったつもりで、少なくとも「犯す」という言葉を使った記憶はない。しかし、今にして思えばそのように解釈されかねない状況、雰囲気だった。
 女性を冒涜(ぼうとく)する考えは全く持ち合わせていない。今回の件で女性や沖縄の方を傷つけ、不愉快な思いをさせたことは誠に申し訳なく、おわびしたい。(2011/11/29-21:24)

 時事通信による要旨であり、発言は引用ということことになるが、先の読売新聞と日経新聞報道にある「やる」表現の併記と付き合わせると、以下の発言は存在していたと推定できそうだ。

  • 『やる』前に『やる』とか、いつごろ『やる』ということは言えない
  • いきなり『やる』というのは乱暴だ。丁寧にやる必要がある。乱暴にすれば、男女関係で言えば犯罪になる

 「男女関係で言えば犯罪となる」という「犯罪」は、レイプの意味であり、文脈から「犯す」という意味になることは明白である。
 つまり、想定される文脈からは、「やる」は「犯る」(犯す)、という解釈は妥当の部類であり、この解釈について報道価値があるかと判断するのはジャーナリズムには問われることになり、捏造といった次元の問題ではないことは、妥当に推測される。
 別の言い方をすれば、今回の事態について、「捏造」だとすることや、仮定に基づく煽動と見ることは、失当である。
 ただし、報道の本質は、暴行の表現による失言というより、米軍普天間飛行場移設に関する環境影響評価書の準備状況について、政府側が強行するという意識を持っていることが暴露された点にある。
 別の言い方をすれば、暴行表現に着目しすぎれば、問題の本質を見失うだろう。
 とはいえ、暴行の比喩という文脈が、少女暴行事件のあった沖縄にとっては、本土とは異なる温度差で響くのも当然であり、政府側でも特段の配慮が必要になるのだが、その点で、残念ながら、野田政権は田中聡沖縄防衛局長更迭に手間取り、さらに本題と言えるのだが、一川保夫防衛相の対応は最悪だった。
 一川保夫防衛相は、表向きの謝罪の言葉の裏に、沖縄問題を理解していなかったことが暴露された。1日の参院東日本大震災復興特別委員会で、自民党・佐藤正久議員による、1995年の沖縄少女暴行事件の中身の理解を問われた際、一川保夫防衛相は「正確な中身を詳細には知らない」と言ってのけたからだ。
 本土側のメディアの反応も一川保夫防衛相の無理解に似たこともあって、事の重大さが認識されていないようだが、田中聡沖縄防衛局長の失言より、この発言ほうが深刻な問題である。沖縄県民はこの件で、一川保夫防衛相への信頼を完全に失ってしまった。このことが野田政権側にまったく理解されていないことが最大の問題であり、この無理解が野田政権の死亡フラグともなりかねない。
 この件についての一川保夫防衛相の弁明がまた情けない。毎日新聞社説「一川防衛相 資質に重大な疑義あり」(参照)に同意せざるをえない。

移設問題を担当する閣僚が、沖縄県民にとって癒やしきれない心の傷となっている事件について答弁する内容ではないだろう。一川氏はその後、事件関係者の立場を考慮して説明を控えたという趣旨の弁明をしたが、そう受け取るには無理がある。


 また、沖縄防衛局長(更迭)が先月末、普天間移設計画に基づく環境影響評価(アセスメント)の評価書の提出時期について「犯す前に犯しますよと言いますか」と発言したことの監督責任も問われている。「知らない」答弁はこの発言に関するやりとりの中で飛び出した。
 一川氏は2日夕、沖縄入りし、仲井真弘多県知事と会談し、前沖縄防衛局長発言を謝罪した。知事は「県民の尊厳を傷つけた」と批判し、会談を約10分間で打ち切って、強い不快感を示した。また、知事は会談前の県議会で、一川氏の「知らない」発言について「極めて遺憾であり、残念だ」と述べた。当然だろう。

 苦笑もしづらい笑話も付随した。産経系Zakzak「防衛相モ~辞任して!“少女暴行事件”を“乱交事件”と発言」(参照)より。

 一川保夫防衛相の新たな失言が飛び出した。2日午前の記者会見で、沖縄県民の怒りに火を付けた1995年の少女暴行事件について、「少女乱交事件」と発言したのだ。一川氏は午後に沖縄入りし、仲井真弘多知事に陳謝する予定。県民の怒りはさらに高まりそうだ。
 一川氏は1日の国会で「(少女暴行事件を)詳細には知らない」と答弁し、改めて大臣の適正を問題視された。このため、2日の会見で「国会の場で詳細に説明する事案とは異なると思った」などと釈明していたが、こうした中で「少女乱交事件」は飛び出した。
 記者らはあきれ果てていたが、一川氏は気付かずに知らん顔。会見後、防衛省広報が「訂正したい」と申し入れた。

 防衛相広報が、うっかり聞き漏らしていたら、どういうことになっただろうか。もちろん、これについては失言というよりは単純な言い間違いではあるだろうが、「少女乱交事件」はあまりといえば、あんまりである。
 一川保夫防衛相が「正確な中身を詳細には知らない」と言うのであれば、どこまで知っていて何を知らないのか、知っていることについてはどういう意味を持つのかということを、声明の形で明確に述べ、野田首相もこれを支持する大芝居でも打って、しかる後に、二人で雁首揃えて沖縄に弁明なり謝罪に行くべきだった。それができなかったのである。
 そもそも普天間飛行場移設問題は、自民党と沖縄県知事や名護市議が苦労してようやく合意の端緒についたところで、民主党がぶち壊した経緯がある。
 仲井真沖縄県知事は本心では移転容認派というように本土では見る向きもあるが、名護市の承認のあるうちでなければ事は進まないという認識をかつて示していただけに過ぎない(参照)。
 別の言い方をするなら、「辺野古移設をするなら自民党時代までの合意を民主党さんは形成してください」ということでもあり、それができそうにもないし、容認派と誤解されても困るので仲井真沖縄県知事は、合理的に反対を表明している。
 話を少し戻すなら、先日の今回の問題は、先日のTPPバカ騒ぎとまったく同じ構図をしていることがわかる。
 TPPにオブザーバー的に参加するというのは、菅政権時代に決まっていたことで、この秋にはただそれをスケジュール的に進めるだけのことだったのだが、APECが迫る際、仕掛け人に釣られて土壇場で決断するかのようなバカ騒ぎに引っかかった。
 同様に、今回の環境影響評価書の提出も、米国オバマ政権にせっつかれたから、米国の手前、土壇場で押し出して来たものである。
 そして事後に「理解してください」と沖縄に押しつけるのは対話だろうか。沖縄県民にしてみれば、政府の対米政策をきっちり理解するための対話が先行していなければならない。
 この件で馬鹿の上塗りをしたのが玄葉光一郎外相である。
 地位協定の運用改善がさも沖縄県民のために野田政権が尽力したのだから評価してくれという態度に出たのである。
 地位協定というのは国家と国家が結ぶものだということを、外相たる人物が理解していないことが露呈しただけだった。
 地位協定の不備が問題になるのは、Yナンバー自動車が行き交うように米基地を沖縄に押しつけた随伴事象に過ぎない。
 そしてそもそも沖縄県民が少女暴行事件で求めたのは、地位協定の改定であって、運用改善はそれなりに地味に自民党も積み上げていた。なにより、2009年の政権交代の民主党マニフェストでは地位協定の「改定を提起」するとしていた。
 民主党のマニフェストは壊滅したとも言えるが、関係者である沖縄にそのことをきちんと伝えようとしたことはない。子ども手当は雲散霧消したが看板だけは残せばいいというような話ではないのである。
 さて、本題だが、一川保夫防衛相はあまりにダメすぎる。
 「安全保障については素人です」発言も唖然としたが、補佐する人がいたらなんとかなるだろうとは期待した。
 ブータン国王招いての宮中晩餐会に欠席して、「私はこちらのほうが大事」と自分の政治資金パーティー出席したのは、まあ、自民党でもそういうのがあったけど、随分と素直に言うものだとは思った。
 だが、その後、「ブータンの領事館に伺っておわびしたい。(ブータン国王に)手紙を出すことを含めてしっかり対応したい」(参照)という釈明には、なんというのだろ「これ、大臣なのか?」というか落胆を通り過ぎて、へなへなな気分になった。
 ブータン国王は小国とは言え、国王である。だから天皇の宮中晩餐会に招かれるわけだが、その国王に対して、別の国の大臣が直接「ブータン国王様、ごめんね、日本の大臣より」って手紙出しちゃうものか。
 このケースだと天皇の不備とも言えないから、無礼に当たるなら、野田首相が「私の内閣の不届き者が」と対応するのが筋ではないのか。
 そういう常識を持ち合わせた人が内閣や一川保夫防衛相のまわりにいなかった時点で、一川保夫防衛相はすでに終了していた。
 後は、すみやかに穏便に幕引きさせたほうがいいだろう。
 
 

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2011.12.02

[書評]幻聴妄想かるた+解説冊子+CD『市原悦子の読み札音声』+DVD『幻聴妄想かるたが生まれた場所』付(ハーモニー著・編集 )

 世田谷区内の精神障害者共同作業所「ハーモニー」が2009年に作成して話題を呼んだ「幻聴妄想かるた」。これが従来からある添付の解説冊子に加え、CD『市原悦子の読み札音声』とDVD『幻聴妄想かるたが生まれた場所』を同梱し、11月の下旬からアマゾンなど一般書店でも購入できるようになった(参照)。

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幻聴妄想かるた
解説冊子
CD『市原悦子の読み札音声』
DVD『幻聴妄想かるたが生まれた場所』
 以前は直接購入の3,000円のみだったが、新版は税込みで2,415円。広く販売できるようになったのも、多くの人に支持されてきた結果と言えるだろう。
 「幻聴妄想かるた」は名前のとおり、統合失調症など心の病にある人たちの幻聴や妄想の内容や経験、シーンから含蓄の深いものを「あいうえお」のひらがなごとに選び出してカルタにしたものである。カルタという点では普通のカルタでもあり、普通にカルタとして遊べる。他の遊び方は冊子に記されている。
 例えば、あいうえおの「い」という絵札には、読み札として「いつの間にかご飯の食べ方がわからなくなった」がある。

 どういう状況なのか。
 ふと気がつくと、「いつの間にかご飯の食べ方がわからなくなった」という経験である。誰もがたまに経験することだ。あれれ、ご飯ってどうやって食べるんだっけ。ああ、そうだ、人差し指と中指を揃えて二関節目をくぼませてスプーンのようにして親指で添えて食べるんだっけ、そうそう、左手はダメ……いや、違う。
 解説冊子を見ると、「幻聴・妄想のため混乱に疲れ果ててしまい、食生活に生涯が出ている様を表現しています」とある。なるほど。幻聴・妄想が激しいとちょっと食事なんかもつらいですよね。という経験は、例えば私にはないが、そういう経験を人間がすることは不思議でもないし、共感できる。幻聴・妄想のある人も落ち着けば、食事もできるようになるし、まわりの人もカルタを通してそうした状況が理解できれば、混乱している人を落ち着かせて、食事を共にすることができる。
 「い」については、そういうこと。このどことなくおかしい感じが、たまらない。面白いというと不謹慎なのだろうか。いや、面白いということでよいのだろうと思う。そういう部分から、困難な経験をされているかたへの共感を育てていくことも、このカルタの主旨だろう。
 妄想がきつそうだなと思えるものもある。「お」・「おとうとを犬にしてしまった」というがそれ。このかた、弟さんが犬に見えてしまったらしい。「に」・「にわとりになった弟と親父」というのもある。ふと見ると、弟さんとお父さんが、鶏だった、と。「14歳」(参照)な世界かもしれない。
 数学者ナッシュも統合失調症で苦しんだ人で、彼を主題にした「ビューティフル・マインド」(参照)も、映画版では視覚の変貌を描いていた。が、私の知識では視覚にまで及ぶのは統合失調症でも珍しいのではなかったか。いずれにせよ、視覚の変貌は私などは少し想像が及ばない。
 もっと身近なものもある。「れ」・「レストランでうんこの話がしたくてしょうがなくなる」。そうそう。この傾向は、私もある。会食でレッドカードネタはよくやる。政治ブログとか言われると、鍋焼きうどんの話で天麩羅をペニスに例えたくなる。ねえ、そうでしょ。ねえ。いやあ、この場でしてはいけない「話がしたくてしょうがなくなる」は、すごくわかる。
 「む」・「むりやり私は天皇にされるところだった」 これもわかる。ここだけの話だが、少し年下で英国留学の経験もあってたまに大学で講演なんかもする、普段はきまじめな人なんだけど、海外出張も多く、奥さんの病気もあってストレスきつくて、たまに深夜に深酒して、ダイレクトコールがかかってきて、言うんだよ、「むりやり私は天皇にされるところだった」……次、行ってみよう!
 「へ」・「ヘリコプターとジェット機はアメリカ軍諜報機関 監視されている」 これは私なんかにはわからないけど、そう感じている人は多いことはツイッターとかしてしみじみ理解するようになった。アメリカ軍は監視しているだけじゃない、アメリカという国家だと、なにやら英文字三文字の謀略条約で日本を支配しようとしている、とかいうツイートも毎日見かける。なんてね。
 幻聴や妄想で悩む人の心は、普段平常だと思っている人となにか決定的な違いがあるというものでもなさそうなところも面白い。世界をどう認識するかというも、妄想とさほど決定的な違いがあるとも思えない。
 であるなら、重要なことは、各種の、妄想もっているかに思える人と共同で生活する社会をどう構築するかにかかっているし、そこでは快活な笑いももてる、心の余裕が必要だろう。ブログコメントにあるような嘲笑ではなく。
 今回の版で付いたDVD『幻聴妄想かるたが生まれた場所』ではそうした、統合失調症などで悩む人たちのと共同生活の一端もうかがわれる。「食事がおいしい」んだと満面に語る人たちの共同体には、共同体というものの本来の姿がある。
 だから、このカルタは、小学生だとまだ理解しづらいだろうけど、中学生の授業で、特に人権問題の授業などで活用されてもよいだろうと思う。
 もう一つCD『市原悦子の読み札音声』だが、これがまた面白い。市原悦子といえば、「家政婦は見た」、いやいや、「まんが日本昔ばなし」(参照)である。あの名ナレーションを彷彿とさせる愉快な声で、この楽しいカルタが読み上げられるのだ。もう、あまりにおかしくて、元気が出て来ますよ。
 
 

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2011.12.01

[書評]リアル・シンデレラ(姫野カオルコ)

 シンデレラの物語はいろいろバリエーションがある。基本は継母と姉に虐待された娘シンデレラ(灰かぶり)が魔法使いに会い、魔法の力を借りて、魔法の馬車に乗り、王室の舞踏会に行き、王子に見初められ探され、幸せになったというオトギ話である。


リアル・シンデレラ姫野カオルコ

 現実にはありえないが、現実ならどうか。その含みが姫野カオルコの「リアル・シンデレラ」(参照)という書名にある。が、この小説もまたオトギ話である。魔法使いに会い、魔法の力を借りて魔法の馬車に乗る。「幸せ」にもなる。王室舞踏会で見初められたかはわからないが、熱心に探索される。
 物語の展開には入念に仕上げられたミステリーの趣向もあり、読み進めるにつれ、ぞくぞくと秘密に肉薄し、最後の、ある種どんでん返しに驚愕した後、冒頭から再読を強いられる。
 リアル・シンデレラは倉島泉(くらしま・せん)という、1950年4月生まれの女性である。「二十歳の原点」(参照)の高野悦子が1949年の1月生まれだから、その一つ下。高野は関西の学生運動のただ中にいたが、倉島泉は長野県諏訪の温泉宿の娘で、高校生時代には郷士の家庭に私淑して躾を得たとしても、あの時代の大学生ではない。二人の立ち位置は異なるのだが、泉の背景には高野悦子と共通する時代の息遣いが濃く出ている。1960年代から1970年代の風景を知る人には、胸がきゅんとするような逸話にも溢れている。ナッチャコのラジオ番組や「スカイセンサー5800」など。
 話は、姫野カオルコ本人が暗示されるライター業の「筆者」が、編集プロダクションを経営する団塊世代の矢作俊作から、現代版シンデレラ書籍編集という仕事の話のついでで、半ば仕事として倉島泉という人の人生を調べてほしいと頼まれることから始まる。「シンデレラ」の話で矢作は、彼の人生に深く影響を残した倉島泉のことを思い出したのである。泉は彼の友人の親族でもあった。
 物語は「筆者」によるドキュメンタリーを模して展開する。泉を知る人々に「筆者」はインタビューし、各種の伝言のなかから、多角的に泉という人の人生を描き出す。
 泉はシンデレラに模されるつらい子供時代を過ごしていることが明らかになるが、知るほどに泉という人は、謎の人物であり、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンのような聖女のようでもある。「筆者」もまたその人生に引き込まれていく。
 物語の場である長野県・諏訪の、いかにも田舎社会と人間関係も興味深い。私の両親は長野県人なので、あの空気はわかる。泉も行ったという小諸の動物園などは目に浮かんでくる。
 作品には明示的に描かれていないが、おぼっちゃま潤一が進学したのは明治学院大学だろう。長野県人ならうんざりするほど叩き込まれる郷土の文豪・島崎藤村のゆかりの大学である。
 さては作者姫野も長野県人だったかと思ったが、滋賀県の人だった。この詳細な長野県文化の知識は、編集者からのサポートによるものだろう。諏訪にならんで登場する松本という町もこの物語で主要な意味を持つが、今も残るあの風景の描写も生き生きと展開され、思い出深い。
 倉島泉という人は、どのような人生を送ったのか。
 客観的にあるいは結果的に見れば、幼年期から少女期、シンデレラのように親や姉妹から虐待されたに等しいニグレクトに置かれた。その後も、郷士のおぼっちゃま潤一との縁談もあったが、潤一は婚約者もあった妹と東京の矢作を当てにして駆け落ちする。残された泉は、妹の婚約者だった男を当てがわれ、諏訪の温泉旅館を取り仕切るものの、その夫は旅館の女中に寝取られる。あの時代の田舎によくある話である。
 泉はつらい少女期を過ごして青年になっても踏んだり蹴ったりの状況だが、彼女はそれをいっこうに不幸とはしない。旅館さえも奪ったに等しい女将も、泉について「なぜ」と疑問に問わざるを得ない。泉は深い陰謀でも隠しているのか。隠された恋人でもいるのか。
 女中上がりの若女将はそこで、やくざ社会にも関係していた小口という若い放浪者を使い、泉の素行を丹念に調査させる。物語では、泉の平素の生活が深く探索される。が、何もない。泉は傍から見れば踏んだり蹴ったりの人生だが、独り身の人生をひっそりと自適に生きていただけだった。なぜ? なぜ、そんなことが可能だったのか。
 ここで物語はじわじわと読者の首に匕首を押しつける。幸せとはなんですか? あなたは幸せですか。読者を含めて、大半の俗人は、泉を結果的に虐待するような世俗の社会側にいてうごめいているものだ。そんな私たちでも、「ふと、そういえば」と誰もが、多少なり泉のような人生を送った人のことを思い出す。あの不幸そうに見えた、あの人の人生はなんだったのだろう。
 泉の人生の謎は、ある意味で最終部で解かれる。が、その存在の根底、どうしようもない人間存在の孤独のようなものは、解かれていない。それどころか、泉の深淵な孤独の生涯は、取り巻く人々の頽落した存在を露骨に暴き出す。女の醜悪さが漫画のように露呈する部分もある。この快楽と汚辱に満ちた私たちの人生とは何なのだろうか。
 読後、感動もしたが私はこの難問に苦悶した。泉は、夏目漱石「こころ」の「お嬢さん」の無私にも似ている。折口信夫「死者の書」の中将姫にも似ている、とまず補助線を引く。
 いや、泉はシンデレラというより中将姫に似ているかもしれない。そう思い至るとき、「死者の書」の死霊が姫に向ける性的な欲望のことを思いだし、呆然とする。
 「リアル・シンデレラ」の装幀にはポール・デルヴォー(Paul Delvaux)のChrysis(参照)が使われている。デルヴォーの絵を装幀に使って欲しいとしたのは作者・姫野のようだが、Chrysisのこのカットはデザイナーが本書をよく読み取った証でもある。
 泉には、人々を俗世にくくりつけるエロスが失われていたが、エロスそのものが失われていたわけではなく、死霊が欲望するような裸体も有していた。
 姫野カオルは「リアル・シンデレラ」の倉島泉について、巧みに、ある意味では、幸福な洒落を饒舌に語ったが、死霊の性の欲望については文学的な無意識から暗喩的に描くに留めている。だが、ここが文学としての本質だろう。

 

 

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