[書評]知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで(イアン・F・マクニーリー、ライザ・ウルヴァートン)
思想や知識について現代日本人の私たちは、定式として扱いがちだ。例えば、リベラリズムなど何々イズム。あるいは概念。例えば、一般意志、絶対精神といったもの。そしてそれをつい思想家または思想家の系譜として考えてしまう。リベラリズムなら、ジョン・ロックやジョン・スチュアート・ミルなど。概念についてはそれを生み出した思想家としてルソーやヘーゲルといったふうに。その配列や一覧表が思想史や思想と呼ばれてしまい、あたかも現代社会に生きて知を営むありかたが、その帰結であるように考えてしまうことがある。
![]() 知はいかにして「再発明」されたか アレクサンドリア図書館から インターネットまで |
つまり、現代社会の思想や知の構築には、どのような制度的な仕組みと歴史を持っているのか、その遍歴を構造的に理解しなおす必要がある。これを俯瞰的にさらに未来の展望から描いたのが、「知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで(イアン・F・マクニーリー、ライザ・ウルヴァートン)」(参照)である。扱われている知の制度は、現代文明が宿命的に負っている西洋の知が問われるが、イスラムや中国、インドなど他文明における知の制度の比較も扱われている。
具体的に西洋知の制度は次の6つに分けられ、それぞれに章が当てられる。結論は第7章としてもよいかもしれない。
第1章 図書館 ―― 紀元前3世紀~西暦5世紀(library)
第2章 修道院 ―― 100年~1100年(monastery)
第3章 大学 ―― 1100年~1500年(university)
第4章 文字の共和国 ――1500年~1800年(Republic of Letters)
第5章 専門分野 ―― 1700年~1900年(disciplines)
第6章 実験室 ―― 1770年~1970年(laboratory)
結論 そしてインターネットへ
各制度はそれぞれその起源と終了あるいは最盛期の期限によって、歴史時間のなかで限界付けられている。年代を見ればわかるように、概ね知の諸制度の変遷と見ることができるが、各制度は時期的な重なりがあり、一つの時代から次の時代に転換するというふうに見られているわけではない。
これらの知の制度だが、一見すると、世界史なり、あるいは思想史なりの従来の書籍を読んできた人間には、ごく当たり前なものに思える。率直に言えば、各章で言及されている史実については、新発見もなくさほど創見と言えるものもない。もちろん、その叙述を裏打ちする厚い教養はそれ自体で読み応えはあり、巻末注釈は、邦訳されていない基礎文献の貴重なリストといった趣もある。このリストだけでも本書の価値があるかもしれないほどである。
本書にぐっと引き込まれるのは、これらの制度名とその時代を再考察したときだ。例えば、図書館というとき、初源が紀元前3世紀となれば、「薔薇の名前」(参照)からも連想されるが、ヘレニズム世界から続くアレクサンドリア図書館がすぐに想起されるだろう。そのとおりなのだが、ではなぜ本書ではこの制度が西暦5世紀に限界付けられているのだろうか。図書館は現代にも続くものであり、図書館学についてはむしろ近代が基礎になる。知の制度としてみるなら、図書館は紀元前3世紀に始まるとしても現代にまで続くものとして扱われるべきものであるように思われる。だが、本書はそうではない。そこに、本書の知の制度という手法の意味合いが強く反映している。文明がその存続と発展に依存する活動的な知の制度こそが問われている―そのことがこの限界付けに暗示されているのである。
図書館に続く、修道院や大学も、歴史に限界付けられる知の制度として扱われている。修道院については、これもまた「薔薇の名前」が連想されるが、ある時代の知の制度としてごく常識的に本書のような限界付けが理解できる。だが、大学はどうだろうか。大学もまた本書では16世紀までに限界付けられている。これらは、世界史に馴染み深い人なら、ルネサンス期の自由七学芸、リベラル・アーツ(liberal arts)(参照)を意味していることがわかるだろう。リベラル・アーツは今日において大学の起源や規範として議論されることがあるが、今日の大学はむしろ本書の専門分野(デシプリン)が近い。
「第4章 文字の共和国」は本書でおそらくもっとも知的興奮を誘う。歴史用語の"Republic of Letters"の定訳語を私は知らないが、本書の「文字の共和国」という訳語には翻訳者の苦心があったと推測される。歴史学的な意味から考えれば、「文芸会」「文壇」といったこの時代の知的サロンがこの用語から想起されるし、ルソーの伝記などから彼がこの"Republic of Letters"にどう関わったかなど読書人の常識でもある。だが、この章では、"Letters"の書簡的な意味合いや、印刷による「文字」の強調から、あえて「文字の共和国」の訳語が捻出されたのかもしれない。
いずれにせよ、西洋近代を生み出す知は、文字による書籍や手紙をメディアとして知が国家を超えて興隆した「文字の共和国」であったことは再確認できる。もちろん、この軸でのみこの時代が総括できるわけではなく、ミシェル・フーコーが古典主義時代の「エピステーメー」として特徴付ける博物学などは、本書の枠組みでは文字の共和国と専門分野にまたがってくる。
実験室という視点も興味深い(参照)。アントワーヌ・ラヴォアジエやルイ・パスツールはまさに実験室という知の制度としてくっきりと浮かび上がる。本書には言及がないが、バラス・フレデリック・スキナーやヴィルヘルム・ライヒなどもこの知の制度のある独自の廃退に近い意義を持っている。
さらに「第6章 実験室」が興味深いのは、この知の制度が、世界の冷戦構造に伴いビッグ・サイエンスの登場によって限界付けられることだ。考えてみれば、量子力学なども黎明期においては小さな研究所でも可能であり、思弁が大きな意味を持っていた。しかし、現在では国家を必然的に巻き込み出している。本書が大きな問いを提出しているのはここである。
専門分野や実験室という知の制度が、冷戦期を経て民族国家から帝国的な国家に従属する知の制度と化している現在の動向と、あたかもそれを水平的に分散し世界化しているかに見えるインターネットとの拮抗の意味を問うている。
しかし、本書はその問題にはやや抑制的でもある。おそらくそれは、知の制度としてのインターネットがまだ不定型であるということに対して、知の働きそのものの本質的な謙虚さによるものでないだろうか。インターネットの興隆がそのまま、人類の新しい知の制度になるわけでもないことは、初期のブログのコメント欄とその後の変容からも自明のようにわかることだ。
本書は、翻訳文としては読みやすいが、内容からすると、世界史の素養を要するという点でそれほど読みやすいものではない。また、章ごとの各論はそれぞれに興味深いが全体の知の制度の関連に意識を統制するのは難しいかもしれない。
本書は、各論に興味があるのではなければ、邦訳書に付された長谷川一氏による手短な解説を読み、それぞれの知の制度への概要を理解したのち、「はじめに」と「結論」を読まれるとよいと思う。
本書における「結論」は、いわゆる結論ではなく、人類の知の制度がどうあるべきかという、まさに私たちに迫る命題を明確に形作っているという点で、熟読される大きな価値がある。
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コメント
マーシャル・マクルーハンの「メディアはメッセージである」という議論に近いものがあるのではないですか。
コミュニケーション能力の拡大と知の変遷見たいな考え方をすると、(鉄道を利用した)料金前納性郵便と(有線)電信がほぼ同時に生まれた1930年代あたりを境に、知のありかたがそれまでと徹底的に変化したということが考えられると思います。新聞もテレビも、料金前納性郵便と電報の延長上にあるコミュニケーション手段だと思われます。これを境に、売買伝達される情報が、かならずしもアカデミックである必要も、かならずしも政治的である必要もなくなったのです。
インターネットは、たぶん、既存の科学と哲学と教育の体系を揺るがすと思います。知識の発信地としての現在の大学を、現在の修道院と同じくらいまで陳腐化する可能性さえあります。でも、現在の科学と哲学に置き換わる知の前提もまた、インターネットの生まれるはるか過去に生み出されて、埋もれていたか価値が気づかれないでいた、過去に生み出されて現在までに周知されていた知識の体系であることは疑いないことだと思われます。
投稿: enneagram | 2011.12.08 08:36
本格的な近代郵便制度と電報が誕生したのは、「1830年代」です。時代が100年ずれていました。訂正させてください。
投稿: enneagram | 2011.12.09 09:15
先生のリベラルアーツ論に感化されて楽器を始めました。先生は沖縄をよくご存知なようなのでサンシンか何かをやられているんでしょうか?是非、今度聞かせてもらいたいものです。
投稿: zzz | 2014.03.11 15:31