[書評]幻聴妄想かるた+解説冊子+CD『市原悦子の読み札音声』+DVD『幻聴妄想かるたが生まれた場所』付(ハーモニー著・編集 )
世田谷区内の精神障害者共同作業所「ハーモニー」が2009年に作成して話題を呼んだ「幻聴妄想かるた」。これが従来からある添付の解説冊子に加え、CD『市原悦子の読み札音声』とDVD『幻聴妄想かるたが生まれた場所』を同梱し、11月の下旬からアマゾンなど一般書店でも購入できるようになった(参照)。
![]() 幻聴妄想かるた 解説冊子 CD『市原悦子の読み札音声』 DVD『幻聴妄想かるたが生まれた場所』 |
「幻聴妄想かるた」は名前のとおり、統合失調症など心の病にある人たちの幻聴や妄想の内容や経験、シーンから含蓄の深いものを「あいうえお」のひらがなごとに選び出してカルタにしたものである。カルタという点では普通のカルタでもあり、普通にカルタとして遊べる。他の遊び方は冊子に記されている。
例えば、あいうえおの「い」という絵札には、読み札として「いつの間にかご飯の食べ方がわからなくなった」がある。

どういう状況なのか。
ふと気がつくと、「いつの間にかご飯の食べ方がわからなくなった」という経験である。誰もがたまに経験することだ。あれれ、ご飯ってどうやって食べるんだっけ。ああ、そうだ、人差し指と中指を揃えて二関節目をくぼませてスプーンのようにして親指で添えて食べるんだっけ、そうそう、左手はダメ……いや、違う。
解説冊子を見ると、「幻聴・妄想のため混乱に疲れ果ててしまい、食生活に生涯が出ている様を表現しています」とある。なるほど。幻聴・妄想が激しいとちょっと食事なんかもつらいですよね。という経験は、例えば私にはないが、そういう経験を人間がすることは不思議でもないし、共感できる。幻聴・妄想のある人も落ち着けば、食事もできるようになるし、まわりの人もカルタを通してそうした状況が理解できれば、混乱している人を落ち着かせて、食事を共にすることができる。
「い」については、そういうこと。このどことなくおかしい感じが、たまらない。面白いというと不謹慎なのだろうか。いや、面白いということでよいのだろうと思う。そういう部分から、困難な経験をされているかたへの共感を育てていくことも、このカルタの主旨だろう。
妄想がきつそうだなと思えるものもある。「お」・「おとうとを犬にしてしまった」というがそれ。このかた、弟さんが犬に見えてしまったらしい。「に」・「にわとりになった弟と親父」というのもある。ふと見ると、弟さんとお父さんが、鶏だった、と。「14歳」(参照)な世界かもしれない。
数学者ナッシュも統合失調症で苦しんだ人で、彼を主題にした「ビューティフル・マインド」(参照)も、映画版では視覚の変貌を描いていた。が、私の知識では視覚にまで及ぶのは統合失調症でも珍しいのではなかったか。いずれにせよ、視覚の変貌は私などは少し想像が及ばない。
もっと身近なものもある。「れ」・「レストランでうんこの話がしたくてしょうがなくなる」。そうそう。この傾向は、私もある。会食でレッドカードネタはよくやる。政治ブログとか言われると、鍋焼きうどんの話で天麩羅をペニスに例えたくなる。ねえ、そうでしょ。ねえ。いやあ、この場でしてはいけない「話がしたくてしょうがなくなる」は、すごくわかる。
「む」・「むりやり私は天皇にされるところだった」 これもわかる。ここだけの話だが、少し年下で英国留学の経験もあってたまに大学で講演なんかもする、普段はきまじめな人なんだけど、海外出張も多く、奥さんの病気もあってストレスきつくて、たまに深夜に深酒して、ダイレクトコールがかかってきて、言うんだよ、「むりやり私は天皇にされるところだった」……次、行ってみよう!
「へ」・「ヘリコプターとジェット機はアメリカ軍諜報機関 監視されている」 これは私なんかにはわからないけど、そう感じている人は多いことはツイッターとかしてしみじみ理解するようになった。アメリカ軍は監視しているだけじゃない、アメリカという国家だと、なにやら英文字三文字の謀略条約で日本を支配しようとしている、とかいうツイートも毎日見かける。なんてね。
幻聴や妄想で悩む人の心は、普段平常だと思っている人となにか決定的な違いがあるというものでもなさそうなところも面白い。世界をどう認識するかというも、妄想とさほど決定的な違いがあるとも思えない。
であるなら、重要なことは、各種の、妄想もっているかに思える人と共同で生活する社会をどう構築するかにかかっているし、そこでは快活な笑いももてる、心の余裕が必要だろう。ブログコメントにあるような嘲笑ではなく。
今回の版で付いたDVD『幻聴妄想かるたが生まれた場所』ではそうした、統合失調症などで悩む人たちのと共同生活の一端もうかがわれる。「食事がおいしい」んだと満面に語る人たちの共同体には、共同体というものの本来の姿がある。
だから、このカルタは、小学生だとまだ理解しづらいだろうけど、中学生の授業で、特に人権問題の授業などで活用されてもよいだろうと思う。
もう一つCD『市原悦子の読み札音声』だが、これがまた面白い。市原悦子といえば、「家政婦は見た」、いやいや、「まんが日本昔ばなし」(参照)である。あの名ナレーションを彷彿とさせる愉快な声で、この楽しいカルタが読み上げられるのだ。もう、あまりにおかしくて、元気が出て来ますよ。
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