« 鍋焼きうどん | トップページ | [書評]ブロードウェイ 夢と戦いの日々(高良結香) »

2011.11.18

[書評]真鶴(川上弘美)

 主人公の京(けい)は、明確に年齢は書かれていないが、46歳の女性。中学3年生の娘がある。結婚したのは20代の終わりだろう。夫の礼(レイ)は2つ年上。12年前に突然、失踪した。娘にはだから父の思い出はない。なぜ夫は失踪したのか。「真鶴」(参照)というこの物語が後半にさしかかるまで、主人公の京も理由がわからないとしている。多少ミステリーの仕立てにもなっている。

cover
真鶴
川上弘美
 どこに失踪したのかもわからないが、礼の残したそっけない記述の日記には、失踪の暗示とも取れる「真鶴」と「9:00」という謎の言葉が残され、京は12年後に、神奈川の真鶴に小旅行する。冒頭はそのシーンから始まるのだが、その旅で彼女をつけてくる者がある。霊というか、あるいは京の幻覚か。そのいずれでもよい。
 物語は主人公・京の統合失調症的な幻想描写を交えながら展開されるが、それは精神病理ではない。あくまで文学のたくらみとしての設定であり、いわば人間の内奥の異世界的な描出する手法である。この異世界がまた「真鶴」という、神話的が幻想を誘う空間にも設定されている。
 ごく簡単に言えば、普通の女として普通に生きるはずの女が、なぜかその人生を奇妙に途絶されたことの意味を文学的に問いかけるのがこの作品のテーマである。それは多少なりとも文学的な感性を持つ人なら誰にもであるものだ。40歳を超えた人間にとって、いかに平凡に生きてこようがどこかしら、愛との関わりにおいて、なぜこの不条理な人生が自分にあったのだろうか、という、胸をえぐる問いはあるものだ。それがこの作品のテーマが重なる。
 当然と言ってよいのだろうが、その問いかけが作者川上弘美にあって文学の形式となって表出されたものだろう。そしてその問いかけを、いかにも文学的な趣向と情感のなかに上手に統合したのであれば、この作品は、文学愛好者や批評家が称賛するものであれ、駄作であっただろう。
 一見不合理に見える幻想的な描写は、実際のところ精神医学的にも理知的に解き明かされうる、理系的な構造を持っている。なぜ統合失調症的な幻想が生じるのかといえば、主人公の自我の記憶の物語を抑圧するためであり、よくある人格分裂の機構を借りているにすぎない。別の女に奪われそうになった自分の男を殺したいという欲望がうまく消化できなかったということだ。その精神機構自体はチープなトリックにも見える。
 この作品の真価は文学的な装置にはない。あえて言えば、統合失調症的な幻想も真鶴の異世界的な絢爛な描写にもない。私たち人間の等身大の、大人の性欲望のもたらす、ある種耐え難い性行為というもののおぞましさのようなものを暴き出した点にある。
 性交渉の実態は、青少年が愛好したりするエロス的な高揚を目的した映像的作品などとは異なり、およそ見るに耐えない行為である。この作品はそのおぞましさの光景を執拗に描き出すという趣向はないが、そのおぞましさが避けがたく人間性というものに関連してくる、ある感触を、性交から出産にまで、くっきりと描き出している。その身体的な性の欲望と実践の感触のなかで、現実の、肌の感触をもつ人間の母子の連鎖のようなものが描かれる。むしろ、母子がなぜ血によって繋がっていくのかという奇妙さを描くために男を方法的に排除したかのように読めないこともない。
 作者・川上は主人公の京を自分に引き寄せたり押しのけたりしつつ、その造型にためらいを見せる。状況と幻視から想定される内面を持つ女・京が、作者川上であるはずもないのだが、川上は自身の内省と、そして率直に言えば、その肉体的な自信を主人公の京の性意識に混入させ、あげく京を物書きに設定する。これはほとんど失敗に近いのだが、おかげで意図と意図せざるものが複雑に混じり合い、その部分だけが物語りの最後まで統合されない。一見、物語はきれいに仕上げたかに見えながら破綻している。
 しかし物語に無理を強いてしまうほどの、作者の人生のある過剰が、ちょうど作者の性と人生が特有の交錯をする時期として、結果的に出現する。文学とはこういう希有な顕現である。その暗示は、おぞましい痴態の記憶としての人生を、読み手のわたしたちもまた老いに向けて回収していく苦悩に対応している。
 
 

|

« 鍋焼きうどん | トップページ | [書評]ブロードウェイ 夢と戦いの日々(高良結香) »

「書評」カテゴリの記事

コメント

疾走→失踪でしょうか?

投稿: mqv | 2011.11.18 18:52

mqvさん、ご指摘、ありがとうございます。訂正しました。

投稿: finalvent | 2011.11.18 19:32

finalventさんの評価する人って糸井重里氏とかぶることが多いですよね
邱永漢、小倉昌男、ドラッカー、吉本隆明、川上弘美など。
春樹、宇多田もそうだったけか?
人物以外のレベルで関心が糸井氏に似てる某プチフリーライターがいますがその人は明らかに糸井氏を意識していているようでした。
finalventさんの場合は、分かりませんが、糸井氏に感性が似てるのか、
それともfinalventさんが最も多感だった時代の感性を彼とともに共有して今に至る(世代も近いですし)のか、そんな感じかなあと思ってます。

投稿: zero | 2011.11.18 19:47

zeroさんへ。糸井さんについては、この20年くらいフォローしていないので、似ているとすれば、時代的な感性かなとは思います。モノポリーとかも彼、好きみたいですしね。

投稿: | 2011.11.19 11:35

ずっと昔、ここに川上弘美には関心がないと書かれていたので、『真鶴』について書かれているのを見つけてびっくりしました。

私にとって『真鶴』は母娘の物語です。
知ってるけど誰にも言えないもの(それこそこういうものが自分を生み出したような、きれいごとではすまされないようなこと)がすごく生々しく描かれていてすごいと思いました。
なんというか、物語の破たんとかどうでもいいというか、気にさせないおぞましさが、この本のすごさだと思います。

投稿: こま | 2011.12.08 16:06

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: [書評]真鶴(川上弘美):

« 鍋焼きうどん | トップページ | [書評]ブロードウェイ 夢と戦いの日々(高良結香) »