鍋焼きうどん
ドアを開けて二、三歩。なにかを忘れている。立ち止まる。サイフでもケータイでもない。なんだろうかと思うや首筋がすっと寒くなる。そうかネックウォーマーかと思い、そうだ鍋焼きうどんだと思う。
混む時間帯を外して蕎麦屋に入ると今日は身障者がひとり。おばさんは熱いお茶を運んでくれる。「鍋焼きうどん」と私は言い、アダージョの四分休符を置いて「上」と言う。しわびた読売新聞を開いて珍妙な書籍広告を見ているうちに、ぐつぐつと泡を吹いて煮え立つ鍋焼きうどんが来る。こうでなくてはいけない。小盆に載せられた鍋は、逆さ返した蓋に鎮座している。
アフロディテを産み終えた泡が少し引いてゼウスの男根のように海老天がそそり立ち、満月が輝く。神々よ、鍋焼きうどんよ。時は来た。
祈りは短い。作業にかからねばならない。まず麩を探し、卵の黄金の輝きの上に載せ替える。その構築物の安定のために鳴門をワキに添える。よし。おっと、小皿のネギを散らす。
麩と鳴門の移動によって生じた間隙に静かに箸を差し入れ、二口分ほどのうどんを引き上げて取り皿に移す。瀬戸物の蓮花で汁を注ぐ。熱い熱い。取り皿のうどんを再び箸で引き上げふーと息を吹き付けて、食う。熱い。が、火傷はしない。うどんにコシはない。だらりと均質に柔らかいわけでもない。ゼリーにも似たとろっとした食感と、くにくにとした歯ごたえ。味も染みている。
取り皿が空になったらネギを摘んでボードウォークに進み、200ドルをゲットして、またうどんを進める。その間、鳴門を引き上げる。おっと、今、蒲鉾に手を出したら、ゴートゥー・ジェイル。
静かに絶望的に沈む貨客船のような海老天の、取り皿に移す頃合いを見計る。このために米軍が用意した専用クレーン船で海老天を引き上げるものの、衣の断片は大西洋に沈む。エイハブは言う、これでいい。あれには天カスの効果があるのだ。
海老天をほおばる。しっかりとした肉を噛みしめる食感にしばし鍋焼きうどんの存在が脳裏から消える。海老のしっぽをガリガリと奥歯で磨り潰すほどに海老の香りが拡がる。作業は順調。ついでに彩りのインゲン小片をかたづける。おっと筍、発見。
鍋焼きうどん、第二章。海老天巨艦の後から、さらなるうどんを引き上げて食べ進める。ふっと立ち止まり振り返るプブリウス・ウェルギリウス・マロの霊魂の物憂げな顔色を見て息をつく。待て。伊達巻を食え、と。少し遅かったか。伊達巻は汁を吸いすぎて「の」構造が中年女の太もものようにはだけてしまった。完璧は求めない。求めるものは熟れた甘美さのみ。
蒲鉾もよい頃合いだ。板わさの、ほのかにプラ消しのような食感は薄れて、煮たなこれというざらっとした食感が舌に当たり、痩せた女の乳首を噛むように甘噛みし、そしてそのシーンじゃねーぞと思い返して、ぐっと噛み込む。
深海から鶏肉を引き上げる。十分煮えている。が、すべてその調子というわけにはいかない。うどんが保有するもっちりエネルギーはすでに半減期を迎え、でろりん化してきている。具にかまけていはいられない。この切迫感で最後のエネルギーを回収して、小汗を吹き出す。鍋焼きうどんはスポーツでもある。
10パーセントほどのうどんの回収は諦めて、終盤の山場、卵に戻る。白身は蒲鉾を見習うかのように煮えている。問題は黄身だ。人生の重みのようにしなだれた麩をよっこらしょとのけると、金塊のような卵の黄身が現れる。箸でつつくが液状化はなく、ぷくんとした弾性がある。これだ。取り皿に移し汁をかける。Google+もこれを狙ったのかもしれないが、黄身の半熟+な食感と濃厚な味が拡がる。これこそ鹿島の太刀の秘伝。国摩真人申さく、最初に卵をぐじゅぐじゅかき回してはならぬ。
饗宴は終わりに近づく。最後のうどんを回収し、ごくろうだったなと麩をほうばる。麩は終盤。途中で食ったら、口、火傷するぞ。同じく熱気を失った冬菇を噛みしめる。汁に出し切らぬ出しの味に、天界のコロスの歌声が響く。
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コメント
いやー、今回も存分に笑いました。
この「うどんクエスト」は、続き物になるのでしょうか。
パロディを全部追えているわけではないんですけど、
それでも、レトリックが過剰だと、それだけで
笑いを誘うこともあるのだと、知りました。
ところで、実は昨晩、エロスとプシューケの物語を
CDで聞いていまして、なにかご縁を感じるわけです。
それならば、当方も やはり明日の昼飯あたりに、
鍋焼きうどんを食べねばなるまいと思ったわけです。
(いや実際、鍋焼きうどん、おいしいですしね。)
楽しい読み物、どうもありがとうございましたー。
投稿: けん | 2011.11.15 21:18
うどんの話題で盛り上げるのはこれから難しいだろうから、釜飯の話題を取り上げるといいですよ。
あとは、ドリア、パエリア、リゾットと続編を生み出すのが容易です。
投稿: enneagram | 2011.11.16 13:31
この間のうどんの話と比べると、表現がちょっとくどいですね。
わざとなんでしょうけど。
クリスマスストーリーも楽しみにしています。
投稿: | 2011.11.16 14:48
発酵学の小泉武夫先生の日経夕刊連載のコラムをさらに難解に捏ねましたな。
んでも、鍋焼きうどんの海老をオチンチンに例えるのは、食べものの表現としてはいかがなもんかと思うんですがね。その延長でいけば、チョコパフェとか朝食のオートミールお粥なんて....以下略。
投稿: とおりすがりの | 2011.11.19 22:22