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2011.11.04

老人はなぜ、うどんをあんなに食べるのだろうか?

 近所にうどん屋ができた。うどん屋といっても、大路に面した、駐車場の広いファストフードタイプの店である。ざっと見たところ、牛丼屋やラーメン屋の風体でもあるが、店の外観は黒ベースで和風の印象もある。大書した看板を見るに、うどんの種類は、さぬきうどんらしいが、釜揚げうどん、ともある。「花丸うどん」のようなものかもしれない。こういうものが流行っているのだろうか。気になって寄ってみた。
 駐車場のつまり具合から予想はしていたが店内に入ると、混んでいる。入り口の戸を開けるや自然に並ぶことになっている。おや? これは学食? セルフサービスらしい。プレートを手に取る。
 どんなメニューがあるのか、どういう支払いシステムなのか。よくわからない。まあ、二、三人前の人の真似をしていたら、なんとかなるだろう。先頭にいる村長さんが芋をすべらしたら、私も箸に刺した芋を振り払えばいい。いや、芋はない。だが、村長さんは、いた。
 もちろん村長さんではない。が、村長さんと呼んで遜色のない風体の老人が列の三人前にいる。そして私の前に老人が二人並ぶ。助役と出納役。
 かく言う私だって、ブログ界では爺の異名を取る者である。爺爺爺爺。これが蟹歩きしている。インベーダーゲームか。あるいはアルマゲストに記される静謐なる宇宙の秩序のようでもあるが、そのアルケーは、うどん。
 前方の爺列を見るに、うどん・アトムは二つの現象がある。ぶっかけと釜揚げ。最初にそのどちらかを選ぶのだ。選択は、ここにある。ぶっかけか、釜揚げか。そこが問題なのだ。
 暴虐な湯気を上げる釜から出でた白蛇のうどんに聖ヨハネのように格闘するのか、温玉うどんに刻みネギというもろもろの荷重に箸をとって立ち向かい、これを胃の腑に納めるか。どちらが立派な態度か。いや所詮は食事に過ぎない。食事によって、この肉体が受けなければならないカロリーと眠気。そうだそれこそ望ましき大願成就。食っては眠ること。眠るは多分夢見ること。おっと、まず食わねばならない。
 爺列は進み、時は迫り来るというのに決断ができない。どうするアイフル。
 前の爺のかまあげうどんの慣性にけおされ、にっこりを微笑む白衣のオバサンの威圧もあって、つい「かまあげ」と言ってしまった。もうしかたがない。ぶっかけで温泉卵ってちょっと気持ち悪いからなぁ。ましかも。
 あとは席を探して食えばいいのかとふとした気の緩みに、オバサンの一撃。「大? 並み?」 え? えええ?
 サイズがあるのか。並みだろ、並みな人間だしな、俺。「並み」と言って、風呂場の手桶の背を低めたようなものを受け取り、オートマトンの駒を進めると爺コンベアの次の工程は天麩羅。
 天麩羅が選べる。釜揚げうどんに天麩羅って初めての体験だな。コロッケはないのか、コロッケ(参照)。ないな。
 じゃ、かき揚げ、と見ると、駅蕎麦の2次元性はなく、オープン3Dで再現しましたみたいな立体的なかき揚げである。それもいいんだが、ここは、昭和生まれの並みの爺としては、磯辺揚げが狙い所。あった。おっとその手前にエビ天も。
 エビ天か、おお、これだ、これ、この衣たっぷりで実体が十二単に覆われた淑女のようなエビがよいのである。するとイカ天もあるに違いない。ある。ここでも選択しなければならないのか。この先は、トマトとピクルスか。
 で、エビ天。
 いや、ま、いいじゃないの。それとナス天。精進しないとね。
 百尺竿灯に一歩を進む。天つゆをもらって、かくして支払い。ワンコインで足りました。安いね。貿易自由化で安い小麦が輸入されるともっと安くなるんだろうか。いや、価格の大半は人件費と流通でしょ。
 支払いが終わると、爺列結合が分解されて、席を探すのだが、この時点になってようやく店内を見渡す。店内は広い。奥の方に座敷席もあるが、そこに爺がひとりぽつんと座るわけにもいかない。ボックスシートもある。ラーメン屋にも似ているな。カウンター席も当然。
 ということでカウンター席に座る。椅子は環境型権力を行使しているに違いないと思ったがそうでもない。
 右隣は爺。左隣は爺。爺再結合である。もういいよ爺。
 釜揚げうどんを食う。悪くない。腰もある。エビ天は期待通りぼってりと衣が脱皮するのだが、ほんのり暖かい。え? ナス天は、おおぉ、暖かいというか、ジューシーでよく揚げられているではないか。ラッキー。
 問題は、そう、問題はある。人生とは問題の連続である。飽きるのだ。味に。単調。うどんに腰があるのはいいけど、だんだん顎関節症のリハビリテーションになってくる。あれかな、爺さんたち顎の訓練でうどん食うのか。
 それに、食っても食ってもこの、釜揚げうどん減らないみたいなんだが、どういうトリックなんだ。
 右隣の爺さんをちらと見る。後から思い起こせばそれは釜揚げうどんであるのだが、その瞬間は視覚の遠近感が狂うような心的ダメージを受けた。で、で、でっかいタライ! そのタライはなんだ。これが「大」なのか。釜揚げうどんは、入っている。爺さん、もくもくと食っている。フィンセント・ファン・ゴッホ作『釜揚げうどんを食べる人々』のように。
 よもや、と見渡すと、店内のあちこちに、このでっかいタライ。ぶっかけのほうも、でっかいすり鉢みたい。
 店内の年寄り率が高いのはすでに描写したとおりなのだが、あっちこっちの爺さん婆さんが、なんで、こんな大量のうどんを食っているのだろうか。なにが起きているんだろう? ニッポン。
 老人たちは、一日一食なので食い溜ためているんだろうか。わからない。
 なんかとんでもないところに来ちゃったな。
 すごい敗北感で、食いきれなかった釜揚げうどんの小タライを戻して店内を出る。
 見上げるとすがすがしい秋の空が拡がっている。負けるな、俺。また、食いに来るからな。
 
 

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「食」カテゴリの記事

コメント

久々の名作でした。

投稿: | 2011.11.04 19:56

東海林さだお風ですね。
それとも、孤独のグルメ風かな?

投稿: | 2011.11.05 13:19

final先生にこういう記事を書いてもらうと安心しますよ。

これからも時々こういう記事も書いてください。

投稿: enneagram | 2011.11.05 13:37

いやー面白かったです。
片手の指の本数分くらい笑いました。

毎日ネット上で、そこそこの量の記事を読みますけど
なかなか笑えることはありません。
ですので、笑える記事ってすごく貴重だなーと
最近つくづく思っていたところに、この記事。

finalventさんのサービス精神に敬服します。
どーも、ありがとうございましたー。

投稿: けん | 2011.11.05 13:58

よいしょ!

でも、おもすろかったよ。

投稿: tamamusi | 2011.11.08 10:15

余韻漂う文でござんした。
「雑文館」というサイトを思い出しました。

投稿: | 2011.11.08 12:36

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