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2011.11.10

ドラッカーが21世紀のグローバル化について語ったこと

 日本人はピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)の経営論が好きで、意外な分野――戦前さながらの旭日旗はためく高校野球とか――にも応用したいとまで考えるようだが、彼の晩年の思想はあまり顧みられていないようだ。日本の戦後の成功を理論的に支援したドラッカーではあるが、そしてそれゆえに懐かしの旋律として今も老人から、また老人のように保守化した若者世代にも好まれるのだろうが、彼自身はその後もずっと世界の変化をその第一線から見つめ続けていた。
 ドラッカーは21世紀におけるグローバル化のなかで、日本の産業をどのように見ていただろうか。失敗と見ていた。保護主義によって衰退したメキシコ経済と日本の現状を並べて「明日を支配するもの」(参照)でこう語っている。


 同じように日本も、金利の減免等によりいつかの産業を輸出産業として育てる一方で、多くの産業を外国の競争から守ってきた。この政策も、ついに失敗した。

 グローバル化のなかでの日本の産業政策は失敗したとドラッカーは見ていた。その考え方の背景を同書からもう少し追ってみよう。
 ドラッカーは21世紀企業の経営戦略に、考慮が欠かせないとする五つの前提を提示した。その一つが「グローバル競争の激化」である。21世紀の企業経営はグローバル化競争の激化を前提にしなくては語れないというのである。企業だけか。そうではない。

 あらゆる組織が、グローバルな競争力の強化を経営戦略上の目標としなければならない。

 企業だけがグローバル化競争の激化に晒されるわけではない。

企業、大学、病院のいずれにせよ、世界のどこかのリーダー的な組織が設定する事実上の基準に達しないかぎり、成功することはもちろん、生き残ることもおぼつかない。

 グローバル化された世界の牽引的な組織が設定する基準を満たさなければ、どのような組織であろうと存続は不可能になるとドラッカーは予言している。
 どういうことなのか。ドラッカーは敷衍する。

それは、もはや賃金コストの優位性によって、企業の発展や一国の成長をはかることは不可能になったということである。


このことは、とくに製造業についていえる。なぜならば、先進国の製造業においては、コスト全体に占める肉体労働の比重は、小さくなる一方だからである。すでに、コスト全体の八分の一が平均である。もちろん肉体労働の低生産性は企業の生存を危うくする。しかし、肉体労働の低コスト化が企業全体の低生産性をすべてカバーすることはできない。

 低賃金化によって製造コストを下げる競争では企業はもはや存続できない。それがグローバル化の世界における成長の大きな要因ではないからだ。同時にこのことは、安い労賃を求めて他国に製造拠点を点々と移すことにも限界があることを示しているだろう。
 ドラッカーは日本に対して、その警告を強く発している。日本のかつての発展モデルはもはや通用しない。

このことは、二〇世紀の経済発展モデル、一九五五年に日本が確立し、その後韓国やタイが採用したモデルが、何の役にもたたなくなったことを意味する。

 コスト削減による発展のモデルが最早通用しないだけではない。政府補助金による産業保護もまた無効になるとドラッカーは予言する。

世界最高水準の域に達することができなければ、いかにコストを削減し、いかに補助金を得ようとも、やがては窒息する。いかに関税を高くし、輸入割り当てを小さくしようとも、保護的措置では何ものも保護しきることはできない。

 ではどうすればよいのか。すでに言及されたとおり、グローバル競争の牽引的な基準を率先して受け入れ、願わくばその基準を策定する側に回るしかない。
 ところが、ここでドラッカーはこの遠望に対して、逆説的な近未来も予言している。21世紀を迎えた数十年間、具体的に世界はどのように動くか。反動するというのだ。

それにもかかわらず、今後数十年にわたって、保護主義の波が世界を覆うことになる。なぜならば、乱気流の時代における最初の反応は、外界の冷たい風から自らの庭を守るための壁づくりと相場が決まっているからである。とはいえ、グローバルな水準に達し得ない組織、とくに企業は何をもってしても、保護しきることはできない。さらに弱くなるだけのことである。

 むしろこう言うべきだろう。保護主義の波が世界を覆うことは、グローバル化が避けがたやってくることの確実な兆候なのだと。この保護主義の嵐を乗り切る組織や国家だけが21世紀の後半を生き延びるのだと。
 そしてドラッカーの経営論(マネジメント)は、次のような形を取ることになった。

企業に限らずあらゆる組織が、世界のリーダーが事実上設定した基準に照らして、自らのマネジメントを評価していかなければならない。

 経営とは、企業であれ国家であれ非利益団体であれ、グローバル化の最先端の基準から評価されるものであるとドラッカーは言う。グローバル化を牽引する基準を率先して策定することが、組織経営のもっとも重要な課題にもなるという意味である。
 
 

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コメント

>願わくば
→願わくは or 望むらくは

投稿: deresuke | 2011.11.10 20:10

ひさびさに拝見しました。

下記、思い付きで整理した記事です。「対価」と責任問題に対する私見をまとめたものです。
http://sagakashi.tumblr.com/post/15365768005/1-9-up

上記、ドラッカー氏の話、グローバル化における基準策定の側につくべし。TPPに関する議論においても、示唆的である。

競走における土俵の問題は、非常におもしろいと思います。海外に拠点を移すことの意味。価格競争が資本主義ではないこと。

投稿: sagakashi | 2012.01.10 06:59

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