[書評]サイバー・クライム(ジョセフ・メン)
日本でも、「サイバー・クライム(ジョセフ・メン)」(参照)がようやく今月13日に翻訳・出版されるというので予約を入れておき、読んだ。情報産業の業界と限らず、その他の産業人や政治家にとっても必読といえる書籍である。これからの情報社会の問題や国際情勢を語る上で、すでに避けがたい古典ともなっている。逆にいえば、本書通読が可能なくらいの予備知識がないと、ビジネスも政治も立ちゆかないだろう。
サイバー・クライム |
本書は、ノンフィクションではあるが、上質なフィクションのように読めるので、逆にこれはそもそも上質な小説なのではないかと誤解するかもしれない。二人の主人公たちのキャラクターは際だっているし、悪役や悪の組織も魅惑的だ。情報技術な部分への抵抗がなければ、物語に引き込まれるように読める。作者メン氏の筆致は鮮やかすぎる。そして、ふと、これがフィクションではなくリアルな現実世界なのだと知ったとき、背筋が凍る。だからこそ、本書の提起するリアルな問題提起を早急に社会が受け止める必要もある。
この点は出版社もよく理解しているようだ。この分野の専門家であり本書監修の福森大喜氏による「はじめに」は簡潔に書かれ、また巻末には筆者メン氏との対談が添えられていて、読書の便宜になっている。「はじめに」については、書店で手短に立ち読みもできるが、ネットでも公開してはどうだろうか。
原書は昨年年頭、英米圏では「Fatal System Error」(参照)という表題で出版された。直訳すると「致命的なシステムエラー」となり、よくあるパソコンのエラーメッセージのようだが、含意は、わたしたちのこの現代世界というシステムが孕んでいる致命的な問題ということである。インターネットに依存しその恩恵にあずかる現代世界は、それゆえに強烈な悪をも含みこんでいる。その意味で、本書が日本で「サイバークライム」つまり、情報化社会の犯罪と改題されたのは理解できる。
問題は、インターネットにメリットがあればデメリットがあるといったものではないことだ。現在世界の国家システムの本質的な悪がここに露出しているということが大きな問題なのである。
本書では、特に米国のマフィアの実体と、国家と関連したロシア・東欧のハッカー集団が悪の絵柄で登場するため、あたかも国家間のサイバー戦争といった構図にも読めるのだが、問題は現状もう一歩進んでいる。国家と結託したハッカー集団はすでに軍事的な要素と不可分になっているのである。だから、そこには国家間の軍事協定と類似の国家間の調整が必要になるのである。この意味が日本の政治家に通じなければ、日本は高齢化問題や貿易問題、表面的な軍事脅威以前に、早々に立ちゆかなくなるだろう。神経系が麻痺した生物が生存できなのと同じことが起こりうる。
本書は、2つのパートに分かれている。前半の主人公は、若き情報セキュリティの専門家、バーレット・ライアンである。天才的な能力を持つが、子供時代には読字障害も持っていた。日本では成功した天才を後から賛美する傾向があるが、今の時代に注目しなければならないのは、バーレットのような青年像である。
物語は、バーレット青年に、インターネットを使ったカジノ、つまり、オンラインのギャンブル会社の防衛が依頼されるところから始まる。オンライン・ギャンブル会社はインターネットで賭博を行っているのだが、ここにハッカーたちが、「インターネット攻撃によってギャンブルシステムを利用不能にさせるぞ」と脅して大金をせびる。その要求を拒めば大量の通信がギャンブルシステムに集中し、システムがダウンする。
バーレット青年はそれを当初、情報セキュリティの問題として対処していくのだが、彼自身、情報産業で起業したいという思いもあって、気がつくと、オンラインのギャンブルの世界に嵌っていく。そこにはマフィアに関連をもつダークな世界もあった。どうしたらよいのか。何が悪なのか。こうした問題を個人の倫理に問いかける、米国的精神風土の隠れた一面も興味深い。
この時期、米国では新種のポーカーとしてテキサス・ホールデムが流行し、それがオンラインゲームと関わりをもっていた。あの熱狂の時代を知っていると、パート1の物語はさらに面白みが増すだろう。
パート2は、英国サイバー犯罪対策庁(NHTCU)捜査官のアンディ・クロッカーの物語である。中年の彼はバーレット青年とは違い、根っからの情報技術分野の人ではない。むしろ、旧式な、いかにもタフでジョンブルの捜査官である。ハッカーを追い詰めるために、バーレット青年から情報を提供してもらい、単身悪の巣窟であるロシアに乗り込む。ロシアのなかでいかに味方を見つけていくのか、それは捜査以前に生存の条件でもある。パート2の物語は、上質なハードボイルドであると同時に、ロシアというものの本質をえぐり出す。この世界を熟知せず北方領土返還を息巻く日本人はいかに幼稚なことか。
パート1とパート2、この二つの物語は完全に分離しているわけではなく、有機的に繋がっている。そしてそれは共通にサイバークライムの本質も描き出していく。見事というほかはない。
しかし物語的に描かざるを得ないこともあって、サイバークライムの現状理解にとっては、筆者メン氏も理解しているのだが、すでに一時代前の話題になっている。古いのだ。
それでもベーグルと呼ばれるウイルスの歴史はもはや基礎知識ではあるし、スタックスネットについても本書で言及されている。スタクスネットは、イランの核施設制御のウィンドウズを破壊するウイルスで、言うまでもなくこれはもう軍事兵器そのものである。本書は、通説どおりこれがイスラエルと米国が関与して作成されたとしているのだが、本書を仔細に読むと、マイクロソフトに食い込んだロシアのスパイとの関連は仄めかされている。
現状、本書で言及されているボットネットの大半は昨年、マイクロソフトが尽力してかなり弱体化している。そのマイクロソフトの物語も別途読みたいところだが、なかなか見当たらない。
いずれにせよ、マイクロソフトのおかげで、依然ボットネットはサイバークライムのインフラではあるものの、従来のように多勢で押していくタイプの攻撃はもう一時代前のものになっている。現下、標的型のサイバークライムが出て来たのは、こうした背景がある。と同時に、現在は、アンドロイドがサイバークライムの前線となる夜明けである。
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