中国人二歳女児ひき逃げ映像の背景
すでに映像をご覧になっている人も多いと思うが、あまりに陰惨な映像なのでネットに溢れている動画へのリンクはしない。話は、中国南部、広東省仏山で13日、自動車にはねられ路上に放り出された二歳女児を道行く人は助けることなく無視し、そのため再度車に轢かれることになったことだ。女児の回復を祈りたい……と書いたものの、最新の状況を見るとすでに死んでいた。哀悼したい。
この話、誰が見ても残酷な話ではある。この事件自体がやらせのはずはない。だが、この報道はといえば、中国共産党のやらせだろう。こんなことを書くのもなんだとも思うが、ちょっと考えるといろいろパズルが解けそうでもあるので、触れておく。
報道の確認から。AFPがわかりやすい。「血まみれの少女を無視する通行人、ネットで怒りの声 中国」(参照)より。
【10月17日 AFP】中国南部、広東(Guangdong)省仏山(Foshan)で、車に2回はねられて路上に倒れ込んだ2歳の少女を通りかかった十数人の人びとが無視したと、国営の新華社(Xinhua)通信が17日、報じた。
この出来事に中国の人気ソーシャルメディアサイトでは激しい怒りの渦が巻き起こった。防犯カメラは、親の店の前でバンとトラックにはねられたユエユエ(Yue Yue)ちゃんの前を通り過ぎる人びとの姿を記録していた。
新華社によると、ごみ収集業者がようやく少女のもとに歩み寄り、路肩に運んで周囲に助けを求めたが、複数の買い物客が無視したという。最終的に少女の母親が気づき、病院に運んだ。
この出来事について、中国版ツイッター「新浪微博(Sina Weibo)」のあるユーザーは「この社会は深刻に病んでいる。犬猫だってあんな薄情な扱いを受けるべきでないのに」と書き込んだ。
中国のメディアを知る者というか、常識的に考えてもわかるが、中国共産党の息のかかった新華社が報道するというのは、共産党の意図による広報である。
ではなんの広報かと言えば、その反応を見ればわかる。「この社会は深刻に病んでいる。犬猫だってあんな薄情な扱いを受けるべきでないのに」ということだ。中国社会はひどいことになっている。こんなことでよいのか、もっと人倫を、道徳を掲げ、それを鼓舞すべきだ、と。そう、共産党の基本テーゼである。中国共産主義青年団(共青団)の主張と言ってもいい。
つまり、これは、共青団。つまり、胡錦濤・温家宝による現政権のキャンペーンの一環である。つまり、習近平で甘い汁を吸おうとしていた、太子党や上海幇の封じ込めといったところだ。
わかんない人もいるかもしれないから、別の方向から説明すると、これ、かなり悲惨な映像だが、それはこの女児に焦点をあてて見るから、見殺しに見えるのであって、この白っと行きすぎる人を見れば、ああ、こういうことは普通に中国にあることなんだな、ということは察せられる。今回はたまたま映像で出しただけで、こうした惨事が日常茶飯事なんだろうとは察せされる。ただし誤解なきように言うと、中国人全体がこういう人情のない人々かというとそんなことはないのであって、むしろ、この映像が中国人にアピールするのは逆の心情が基底にあるからだ。
AFPは先の報道では「以前、倒れた高齢の女性を助けようとした男性が、事故被害者への対応を定めた政府の規則に違反したとして起訴されたことがあった」としているが、その意識がどのくらい社会に浸透しているかはわからない。が、急患でも救急車を呼ぶには自腹を切ることになっている共産主義社会では、この状況で、人が過ぎ去るのはさして違和感はない。
いずれにせよ、この映像が殊更に、しかも国家メディアから出たというのは、政治メッセージ以外はありえない。余談だが、カダフィー大佐私刑惨殺映像もNATOも米軍も噛んでいないという口実である(そんなわけなかろうに)。
そこででは、その政治メッセージだが、当然時期というものが重要になる。そしてその時期については誰でもわかる。15日から18日にかけて、六中総会、中国共産党の第17期中央委員会第六回総会が開かれていたからだ。
六中総会のテーマは表向き「文化」だが、日本でいう文化とは意味が違い、当然だが、来年の党大会で総書記に就任する習近平国家副主席新指導部への準備になる。
六中総会はどうであったか。加藤青延NHK解説委員がさすがにきちんと読んでいる。時論公論「中国 改革の行方は」(参照)より。
「文化」という言葉からは、漠然とした幅広い分野の印象を受けますが、実は、きわめて切迫した、社会体制の本質にかかわるテーマでした。
今回の総会で採択された決定。そのタイトルは実に長く、「文化体制改革を深化させ、社会主義文化大発展大繁栄を推進することに関する若干の重大問題の決定」というものです。このタイトルで重要なのは「若干の」というキーワードがついていることです。「若干の」というと、「いくらかの」というような軽い意味の印象を受けますが、実は、これまで、中国の政策転換やきわめて重要政策を打ち出すときに付け加えられてきた重みのある言葉です。
加藤委員は中国の「文化」をここでは言い換えていないが、これは後の文脈からでもわかるように、日本の左翼が嫌がる道徳的な支配である。
そしてこれが、中国語でいうところの「若干」つまり、日本語で言うところの「重大」な変更となるというのである。それはなにか。
では、その「文化体制改革」とはどのようなものなのでしょうか。実は、今回採択された文書そのものは、まだ公表されず、昨夜、発表されたコミュニケの内容から、その中身をさぐるしかありません。一般的には、中国という国を、経済と同様、世界屈指の大国、「文化強国」にすることをめざすものだと受け止められています。
と、加藤委員は前振りで誤解を解いているが、つまりそういう表面的なことではない。
私は、今回中国共産党が、「文化体制改革」を持ち出した本当の目的は、むしろ、中国共産党の支配体制を危うくしつつある、より根源的な問題、「モラルを失いつつある社会と荒廃する人々の心」にどう対処すべきかという点ではないかと思います。
道徳的な性質を持つ強権を維持していこうということで、大衆にも国際的にもわかりやすく、女児の悲惨な映像を出したきたわけである。
実際の方針はコミュニケに提示されるが、今回はこういう特徴があった。
そのひとつが「道徳」という言葉です。「道徳」という文字が5回。また、「徳を持って国を治める」「徳と才」を兼ね備えた人材登用といった、表現まで含めると、「徳」つまり、モラルの重要性をうったえているところが7ヶ所もあります。比較的短い共産党のコミュニケの中で、「道徳」がここまで強調されていることは異例といえるでしょう。
さらに、「社会主義核心価値体系」という、ちょっと聞きなれない言葉が5回も立て続けに出てくることも注目点です。この言葉は、高度なモラル社会、汚職腐敗のない社会を目指すときに使われるキーワードで、中国共産党が今回強調した文化体制改革の目標が、実は、高度なモラルによって構築される社会であるということがはっきりとわかります。
いま中国共産党が一番抱いている危機感。それこそ、モラルの欠如によって人々の心が荒廃し、社会そのものが崩壊の瀬戸際にあるという現実でしょう。
人々が安心して暮らせる社会でなければ、いくら経済が発展しても意味がありません。はたして文化体制改革をすすめることで、どこまで社会の大きなゆがみを正せるのか、中国共産党は、いままさに一党支配体制の真価を、根底から問われる大きな難題に直面しているといえるでしょう。
NHKとしてはこのくらいのまとめに納めるしかないが、これは先にも振れたように、共青団のイデオロギーである。排日運動や帝国主義的な軍拡で人心を掌握しようとてきた江沢民派のそれではない。上海幇や太子党的な方向性への挑戦である。
とすれば、おそらく習近平を立てる体制は表向き維持したとしても、かなり、共青団的な勢力が来年以降も残ると思われる。日本としてみれば、胡錦濤時代のように比較的外交しやすい状況になる可能性はある。
しかし、上海幇や太子党的が抑え込まれたのではなく、共青団的な動きが最後の足掻きと読めないことはない。そこがまだはっきりとは見えてこないが、おそらく前者であろう。
議論が粗くなるが、共産党が焦っているのは、実際には道徳の荒廃ではなく、経済の国家集権である。これは、「中国の高速鉄道事故についてさらに気の向かない言及: 極東ブログ」(参照)にも重なる。
わかりやすいのは、ちょうどロイターからレポートが出たが、「中国で膨張する地方債務、経済の「地雷原」に」(参照)にあるように、上海幇や太子党、また地方行政などが私腹を肥やしてきた地方債務が危険な状態にある。
中国における地方債務の拡大が深刻化の一途をたどっている。景気対策の名の下に行われた野放図ともいえる建設ラッシュの結果、地方政府が抱える債務は2010年末で10兆7000億人民元(1兆6700億ドル)に達し、少なくとも3割近くに不良債権化の恐れが出ている。
中国経済の「地雷原」ともいえる借金バブルの膨張。だが、地方当局者の危機意識は薄く、投資収益が細る中で、事態がさらに悪化する懸念が高まっている。
問題はこの、「地方当局者の危機意識は薄く」の部分で、要するにここに粛清をかけるために、日本の戦前のような道徳的な圧力で、国家の全体支配に、中国共産党が持ち込もうとしているのが現状である。
ただ、この構造は共産党が善で、私腹を肥やす上海幇や太子党が悪という単純な図式ではない。中国共産党のシステムにも問題がある。
中国の地方官僚は、共産党の評価を得るために、雇用や成長を促すプロジェクトを通じて好調な経済を維持することが求められる。不動産バブルを防止するために融資が引き締められれば、住宅・不動産市場の低迷につながりかねず、その使命は果たせない。そこで登場するのが「影の銀行」だ。
彼らは闇の融資・信用業者として、正規の融資では不適格とされた個人や企業に信用を供与。供与した信用を細切れに別の投資商品に紛れ込ませる役割を担う。いわばアメリカの銀行がサブプライムローンで行っていたのと同様の手法だ。
現状の大きな歪みは共産党そのものが関与したシステム的な結果であり、これらは簡単に是正させることはできない。だが、少なくともこの問題を扱うためには、さらに現政権側に強権を集中させる必要があり、かなり強行な変化が進展していく。
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コメント
「若干意見」は毛沢東がよく使っていた言葉ですね。
微言大義が好きなお国柄はなかなか変わらないものです。
投稿: 3pj4 | 2011.10.22 18:20
私腹は「肥やす」ね。
投稿: deresuke | 2011.10.22 22:38
倒れた人を助けるのはリスクが高いという意識は、かなり広まっているみたいですね。特に倒れたお年寄りは危険だと思われているみたいです。
「日中文化交流」と書いてオタ活動と読む
「倒れた老人を助けるのは危険」
http://blog.livedoor.jp/kashikou/archives/51828082.html
進行の早いインフレでお年寄りの生活が苦しく、当たり屋的に訴訟を狙ってくるそうです。
助けたいと思ってもそれができない社会というのは…
政治的な背景も当然あるんでしょうが、そうだとしても放置できない問題ではないかと思います。
投稿: ぽぽん | 2011.10.22 23:47
地方政府が中央政府へ成果をアピールするために、という構図は、大躍進を謳った時代と本質的には変わらないのですね。
徳を取り戻すという方針自体は賛成できるとしても、そこに歴史を振り返って分析し、襟を正すという思考があるのかどうか、気になります。
投稿: mkp | 2011.10.23 12:21
すいません。
文後半の
>>私腹をこらして
>>私腹服をこらす
は、私腹をこやす では無いでしょうか?
あと、
>>日本の戦前のような道徳的な圧力で支配に、
も 日本の戦前のような道徳的な圧力の支配に、
では無いでしょうか?
投稿: 773 | 2011.10.23 14:43
deresukeさん、773さん、ご指摘ありがとうございます。誤用法と表現を訂正しました。
投稿: finalvent | 2011.10.23 15:04
人類社会が次のステップへ移る時期なのではないでしょうか。独裁国家は社会主義へ社会主義国家は民主主義へ民主主義国家は小さな政府的個人主義へ。WS占拠も含め日本を含む先進国では政府無能キャンペーンがはられているのではないでしょうか。
この先はアフリカでも革命が起きるでしょう。日本は中国の新植民地主義の様に進出しなくて良かったという結果が待っていると思います。結局は中国の金でインフラを整備させ、独裁政権が倒れれば以前の契約は無効です。
タイでは洪水が起きてますが国王制の国だからでしょうか?英国では皇太子婦人は不妊だそうですし、EUは財政危機問題で無能さをさらけだしています。やはり今はポストモダンであり、国民に真実を伝えない日本は厳しい結果になるのでしょう。先の大戦では無謀な戦争を起し多くの国民が被害を受け、負けると判っているのに特攻隊にバンザイ突撃等、国民の命など日本の統治者には昔から関係なかったのだと、震災でも確認できたのではないでしょうか。もうすぐ日本人は第二の敗戦を悟る事になるのだとお思います。
投稿: ヒロ | 2011.10.23 15:59