スティーヴン・ポール・ジョブズ(1955年2月24日 - 2011年10月5日)
スティーヴン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs)が亡くなった。悲しいことだなと思った。遠く、彼の泣き声を聞いたようにも思った。
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ジョブズは、シリア人でイスラム教徒の大学院生アブダルファン・ジョン・ジャンダリ(Abdulfattah John Jandali)を父とし、大学院生ジョアン・シンプソン(Joanne Simpson)を母として、未婚の子供として1955年、カリフォルニアに生まれた。
![]() ニューズウィーク日本版 2011年9/7号 |
両親が学生同士でしかも異文化の環境では赤ん坊は育てられないということで、生まれてまもなくジョブズは、ポール・ジョブズ(Paul Jobs)夫婦に養子に出された。ジョブズ姓なのはそのためである。
ジョブズ少年は親に捨てられたのだという思いを残したようだった。母に再会したのは30歳を過ぎてからである。
![]() ここではないどこかへ (モナ・シンプソン) |
ジョブズ少年は高校時代、1971年、地元のヒューレット・パッカードでアルバイトをしているときに、後に、共にApple社創業者となる、5年上のエンジニア、スティ-ブン・ウォズニアック(Stephen Gary Wozniak)と出会い、電話をハッキングして無料通話可能にする装置を開発した。ジョブズ少年は、これはいけるんじゃないかと売りさばいて儲けた。彼のビジネスの始まりであった。
大学進学は実の母の望みであったようだが、ジョブズ少年は大学を中退し、アタリに就職した。転機はウォズニアックから訪れた。
1976年にウォズニアックは、当時開発者のチャック・ペドル自身も手伝って安価に販売されていたCPU 6502を使ってパソコンを設計し、組み上げた。木製の箱に収められた手作り品である。ぜんぶウォズニアックがやった。これがApple Iとなる。ジョブズはこれに目を付けて売り出した。当初はあまり売れなかったが、そのうち売れ始め、次のApple IIできちんとビジネスに持ち上げようとした。が、そこは少年、大人がいないとビジネスなど無理な話であった。
大人役を買って出たのは、1942年生まれのマイク・マークラ(Mike Markkula)である。若い内に一財産築いて、暇な暮らしをしていたところであった。Appleの創業は二人のスティーブによると言われるが、実際のビジネスはマークラがお膳立てしたものだった。マイクロソフトを事実上創ったのがポール・アレンであるように、Appleを創ったのはマークラだと言ってよい。それと、1977年にもう一人の大人、ナショナル・セミコンダクターからマイケル・スコット(Michael Scot)を引き抜いて社長に据えた。
Apple IIはフルカラーで、インベーダーゲームもできるということで、よく売れ、社員も増え、じゃ、社員番号でも振るかというとき、ジョブズは、僕が1番でなきゃ、やだ、と言った(英語で)。1番はウォズニアックだろ常考、とマークラに言われた(英語で)。じゃ、僕はゼロ番だとジョブズ少年は言い張った。絵に描いたような、お子ちゃまである。邪魔なウォズニアックをどう消すかと考えてもいた。
幸いというのかわからないが、1981年、ウォズニアックは飛行機事故で大怪我をし、Appleを二年離れることになった。ジョブズのチャンス到来。他にもうるさい大人であるスコットを追い出した。マークラは残した。親に捨てられた少年は親代わりの人への愛着を持ち続けた。
ジョブズは技術にそれほど詳しいわけではない。ウォズニアックの穴を年配の技術者ラスキン(Jef Raskin)で埋め、後のMacintoshに繋がるLisaの開発を始めた。
Lisaは女の子の名前である。ジョブズの娘の名前である。母親はナンシー・ロジャーズ(Nancy Rogers)。籍は入れていない。娘が生まれたときも戸惑った。父のいない彼にとって父であることは理解できないことでもあった。父親であることも否定していた。娘は福祉施設に預けられた。本当に自分の子供なのかと苦悶し、血液検査までした。娘はその後、父を受け入れていく。その事が、たぶん、ジョブズの人生を根幹から変えることになる。
Lisaのプロジェクトは、Apple社にしても死活問題であり、お子ちゃまジョブズに任せるわけもいかなかった。糞。ジョブズは戦いを挑み、Appleを滅茶苦茶にした。社員の人生も滅茶苦茶になった。マークラも匙を投げた。これをビジネスの世界では影響力と呼ぶ。
代わりの人形としてジョブズは、ペプシコーラからスカリー(John Sculley )を引き抜いて社長に据えた。その時の口説き文句が、"Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to change the world?"(残りの人生、砂糖水を売りつづけたいか、それとも世界を変えてみたいか?)である。砂糖水だろ、普通。
Lisaは失敗して、ジョブズにチャンスが回ってきた。運強し。かくしてMacintoshが出来たが、それは新興宗教教団のようなプロセスの結果だった。会社の大混乱は、結局マークラが収拾するしかなく、つまり、荒れ狂うお子ちゃまジョブズは、1985年、Appleから放り出された。怒ったジョブズはApple社の株を二束三文で売りさばいた。
1979年にAppleに入ったトリップ・ホーキンス(Trip Hawkins)は当時のジョブズをこう評している(参照)。
スティーブは、本当の両親のことを何も知らなかった。彼は、あまりにも騒々しい人生を送っている。何に対しても大声で泣きわめくんだ。十分に大きな泣き声をたてれば本当の両親が泣き声を聞きつけて、彼を捨てたのは間違いだったと気がつくと思っているんじゃないかな。
彼はそして人生のどん底にまで落ちて、そしてまた立ち上がってきた。死に際して、天才だ、英雄だという声も集めた。おかげでツイッターのタイムラインが停滞した。
なるほどそれに値する人間にまで、苦難を経て、親ともなり、お子ちゃまジョブズは成長したと言える。が、もしかすると、その騒々しい人生は、ずっと親を求める大きな泣き声ではなかったか。
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コメント
はじめまして。いつも拝読しています。Mona Simpsonの父親は、Steveの父親と同じではないでしょうか?母親がその後離婚、再婚したのでStep Fatherの姓を名乗っているようです。Wikipediaでの知識なので間違っているかもしれませんが。
投稿: sauy | 2011.10.06 16:02
sauyさん、ご指摘ありがとうございます。記憶に頼って書いたので不確かだったかもしれません。「別の男性」を削除しました。
投稿: finalvent | 2011.10.06 16:14
>が、もしかすると、その騒々しい人生は、ずっと親を求める大きな泣き声ではなかったか。
まったくそうとは思いません、実父と会うのを(実父が望んだのに)拒否したというエピソードはご存知でしたか?
騒々しい人生は当の本人が望んだ騒々しさだったのであって、
余人の論する余地が無いのは、かの有名なスタンフォードのスピーチで明らかじゃないでしょうか。
投稿: | 2011.10.06 22:48
大学中退後の就職先はアタリでは
投稿: 自由の敵 | 2011.10.07 06:07
彼があと10年生きていれば、自分が開拓した時代が、次の時代にどんな実りをもたらすか、おおむね知ることができて、あの世に旅立てただろうと思います。
本当に惜しい夭逝だと思います。
投稿: enneagram | 2011.10.07 07:33
〉ずっと親を求める大きな泣き声ではなかったか
なんとなくスサノオを思い出しました。
文化英雄は親の幻影を求めて彷徨うものなのかもしれませんね。
投稿: ダンの花 | 2011.10.07 10:11
多層的な復讐劇、だったのでしょうかね。
愛に満たされた記憶の欠落が、彼に赦すことを学ばせなかった
投稿: Liez | 2011.10.07 10:34
ウォズニアックの自伝によれば、HPに勤めていたのはウォズニアックです。ジョブズはアタリに勤めたそうです。
投稿: | 2011.10.07 15:21
自由の敵さん他、ジョブズの初就職先の件、ご指摘ありがとうございました。アタリに訂正しました。
投稿: | 2011.10.07 15:50
あれ?ジョブズは「仏教徒」だったような・・・。
すくなくとも「ムスリム」ではないと思うデス。
投稿: | 2011.10.07 17:03
漢字talk2.0とSweetJAMを併用していた人間にとっては、懐かしいような、もの悲しいようなエントリーですね。
ここ数年のジョブズを見るにつけ、妙にいい人っぽいのが何か不思議でした。カリスマの死という感慨はあまりなくて、あのジョブズが56歳で病魔に斃れたという事実にそぞろ哀れを感じます。
投稿: jadis | 2011.10.07 23:35