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2011.09.22

小坂明子の「Pianish」と「Pianade」

 「小坂明子」という名前を聞いて、「ああ、あの少女か」と思う人は多分、昭和32年生まれの私と同年代か、それより上の世代だろう。彼女も昭和32年生まれだが、1月生まれなので私より学年は一つ上になる。まあでも同い年。同じ時代を生きた人。「明子」という名前は巨人の星の「星明子」を連想させる。声は白石冬美。チャコちゃん。私以外の人にとってみるとどうでもいいことだが、私の初恋の人の名前でもある。姓は知らない。
 小坂明子のデビューは1974年。その年の紅白歌合戦にも出演している。17歳である。朝イチレポーター篠山輝信のお母さんのデビュー年齢で見るなら、普通にアイドルといった年齢でもあるが、前年の世界歌謡祭最優秀グランプリを16歳で受賞というのは衝撃的だった。作詞作曲も彼女自身である。天才と言っていい。その曲「あなた」は一世を風靡し、誰もが、世界の中心で「あなたぁ~」と絶叫した。ここは昭和33年生まれのしりあがり寿のイラストが欲しいところ。


もしも私が家を建てたなら
小さな家を建てたでしょう
大きな窓と小さなドアと
部屋には古い暖炉があるのよ

真赤なバラと白いパンジー
小犬の横には、あなた、あなた
あなたがいて欲しい
それが私の夢だったのよ
いとしいあなたは、今どこに


 宅建のCMソングなのか、小犬の横に恋人を並べる、ジョン・ファウルズ的な世界なのかよくわからない。たぶん、チッチとサリーの世界というのが当時を知るものの証言である。水森亜土の世界というのも許す。

ブルーの絨毯、敷きつめて
楽しく笑って暮らすのよ
家の外では坊やが遊び
坊やの横には、あなた、あなた
あなたがいて欲しい
それが二人の望みだったのよ
いとしいあなたは、今どこに

そして私はレースを編むのよ
私の横には、私の横には、あなた、あなた
あなたがいて欲しい


 怖すぎるだろ、それ。逃げるだろう、男、フツー。
 おちゃらけはさておき、そして、描かれた詩の世界も1970年代。欧米でもビートルズの甘ったるい歌謡曲がべちょべちょ流れていた時代。しかし、そのピアノの旋律は、美しいものだった。
 その後彼女は、1982年「あきらめないで―小坂明子のやせる本」(参照)がベストセラーになり、それはそうだろうという世間の声と、彼女自身のヨーヨーな日々もあった。が、そのあたりから、普通に作曲家となって成熟していたらしい。セーラームーンのアニメソングなども作ったらしい。が、私はよく知らない。
 才能というものの一つの安定的な帰結であるかもしれないとも思っていたが、私は同年の親近感を超えて、気になることがあった。簡単に言えば、おちゃらけでなく言えば、「あなた」の絶叫は暗いのである。メロディは美しさよりも不安なのである。本当の才能というものが抱え込む、魔的な深淵のようなものが、そんな成熟なんぞで片が付くものか。
cover
Pianish
 それは2006年の「Pianish」(参照)に静かに覚醒していた。小坂明子のピアノ曲アルバムである。ジャンルとしてはニューエージになるだろう。ここに「あなた」のピアノ曲が収録され、それはiTunesでの販売を通して、世界のニューエージ・ピアノでも高く評価された。
 正確に言えば、それは1970年代の「あなた」ではない。よくある、サザンオールスターズや宇多田ヒカルの曲のピアノ・アレンジ曲のようなものではない。もちろん、旋律は活かされているから、聞きながらつい歌詞に引き込まれ、それはエレガントなメロディに流されていくのだが、人の声を誘った歌は、聴いたことのないピアノの旋律のなかに溶け込んでしまう。別の曲なのか、これがそもそも小坂明子という天才の本質なのか、戸惑っていると、最後のリフレインで、ピアノの響きではあるが「あなた」の絶叫がある。なぜ、この人は絶叫するのか?
 答えは、同アルバムの「Dark Clouds」にある。タイトルに暗示される、暗雲らしい不安な、そしてある意味でニューエージ・ピアノ曲らしい手法のなかから、ラフマニノフ的な展開が出現し、能「井筒」の怨霊のように舞始める。ああ、これだ。懐かしくゲドの影に出会うような戦慄がよぎる。おそらくこの曲は、もっと壮大な曲に自らを変化させたいという呻きのなかで、しかし、短く静かに悲しく終わる。北斗の拳のトキの命の悲しみのような何か。
cover
Pianade
 その悲しみを均衡させるような静寂はアルバム全体を覆い、その部分は後続の「Pianade」に継がれていく。「Dark Clouds」にあった深淵は、このアルバムの「春雷」に少し現れるが、舞おうとはしない。そこでワキのようなギターが入る。総じて、音楽的には「Pianade」が優れていると言えるだろうが、何かがまた消えてしまう。
 この世ならざるものに焦がれて人生を翻弄されてしまうしかない人にとって、偽装されたオアシスのような作品群のなかで、静かさに悲しみとして敗退する光景として、「初恋」も切ない。タイトルからして、ツルゲーネフ的な初恋のイメージに潤色されている戦慄だが、深淵のほつれが見える。たぶん、「あなた」という絶叫の隠喩は、あらかじめ失われた初恋として啓示された何かであったのだろう。
 
 
 

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コメント

2箇所ほど、「あたな」になってます。
彼女は紅白で誰に宛てた歌詞なのかと問われて、確か遠くに離れて行った友達のことを思って作った曲であると答えていたように記憶しています。恋愛イコール結婚するの固定観念が強かった時代ですよね。きっと想いは伝えられなかったのでしょうね。

投稿: Tammy | 2011.09.22 17:01

Tammyさん、ご指摘ありがとうございます。訂正しました。「16歳の少女の思い」ということなのでしょうね。

投稿: finalvent | 2011.09.22 17:08

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