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2011.08.25

[書評]決断できない日本(ケビン・メア)

 メア氏の自著「決断できない日本(ケビン・メア)」(参照)が出版されると8月の頭ごろだったか聞いて、出版前にアマゾンに予約しておいたが、なぜか配送は遅れ、そのため読むのも遅れてしまった。書店に先に並ぶほうが早かった。アマゾンの予約が殺到していたのだろうか。
 本書に期待される話題といえば、まず、共同通信による「沖縄はゆすりの名人」報道についての本人弁であるが、もう一点、事前の報道で「米政府が福島第1原発事故直後、東京在住の米国人約9万人や在日米軍を避難させる最悪のシナリオを検討していた」(参照)というのも興味深くは思えた。

cover
決断できない日本 (文春新書)
ケビン・メア
 共同通信による「沖縄はゆすりの名人」報道についてだが、もとから発言の原資料は残されていないので真義の確認はできない。そのあたりをどのように弁じるかに関心を持った。結論から言えば、共同通信が問題視した講義の真相についてはわからない。だが、関連して二点わかったことがある。共同通信石山記者の立場と、発言の背景となるメア氏の基本的な沖縄観についてである。
 共同通信による「沖縄はゆすりの名人」報道については、「メア氏問題の背景: 極東ブログ」(参照)で言及した内容が本人から確認できたという意味で、私には驚くような情報はなかった。だが、あの時点で疑問に思った次の点については多少驚いた。私はこう書いた。

 以上の経緯からすると、先の共同通信編集委員石山永一郎氏の署名記事も、証言の信憑性や評価を考える上では、重要性の低い証言となる。「再取材」という点からはおそらく、石山氏と猿田氏、バイン准教授の事前の関連も疑われる。

 では、事前の関連はあったのか。
 証言とされるメモを作成した学生について、本書にはこのような話がある。

 学生たちは十二月十六日から約十三日間、東京および沖縄に行っています。学生たちが自ら書き込んだブログによると、来日してすぐに、彼らのうちの幾人かは、なんと私の記事を配信した共同通信の石山記者の東京・葛飾の自宅に泊まっていることがわかりました。

 該当のブログは現在削除されているらしいが、共同通信の石山記者邸で学生たちが供応を受けたことは事実であろうと思われる。
 それだけで、石山記者と学生の事前の関連はあったことになり、さらにそれを率いる猿田氏との関連も繋がる。猿田氏は石山記者のインターンであるとメア氏に述べている。
 私の判断からすれば、以上の点だけでも、共同通信石山記者はこの事態の関係者であって報道の立場としては不適切である。
 メア氏が疑問に思うのも当然であろう。本書にある「記者としての5つの倫理違反」より。

①まず石山記者は東京在住であり、ワシントンにオフィスがない以上、猿田氏が石山記者のインターンであるとは考えにくい。なぜ沖縄旅行のリーダーであり弁護士の猿田氏がインターンと称して石山記者の取材を受けてくれと依頼してきたのか。
②記事のもとになった「発言録」を後に書くことになる学生たちを自宅に泊め食事で接待するなどということをしていいのか。双方の信頼性、客観性を損なうものではないか。
③なぜ石山記者は、自分の家に学生たちを泊めながら彼らの沖縄観察については何も触れずに、私に最初の取材依頼をしてきたのか。また私と直接会ったときには学生たちがつくったという「発言録」についてまったく触れなかったのはなぜか。アリバイづくりの取材ではないか。

 メア氏の意見は除き、事実と見られる部分だけ抜き出して考察しても、今回の報道にはかなりの問題があることはほぼ確実だろう。
 しかしこの問題だが、当初共同通信が配信したとき、他のメディアが採用するかためらい、空気が醸成されてから追従して扱い出したズレがあり、他メディアとしても実は内情の仕組みを知っていたのではないかと私は想像している。
 そしてその後の経緯についても、実際には各種メディア内でこっそりとあの失点についてはこれ以上言及しないという暗黙の合意があるようにも見える。この問題はメア氏がいくら弁明しても日本のメディア的な動きはもうないだろう。
 このことは、しかし、実際のメア氏の発言がどのようなものであったのかということとは独立している。では、それはどのようなものだったのか。本書に説明される背景から窺える部分がある。
 「怠惰でゴーヤーも栽培できない」についてが一例になる。この点について、背景となる彼の沖縄観を述べて、枠組みからの反論を提供している。

 同様に「怠惰でゴーヤーも栽培できない」と発言したとする報道も完全に間違いです。
 私の説明は、学生からの「補助金の影響」についての質問に答えたものです。わかりやすい例としてゴーヤーを挙げました。亜熱帯の沖縄に赴任するとき、マンゴーやパパイヤといった果物や野菜がたくさん食べられると楽しみにしていましたが、行ってみると亜熱帯の果実はほとんどなくサトウキビばかりでした。なぜなら、サトウキビ栽培には補助金が出る。地元名産のはずのゴーヤーも沖縄では栽培量が足らず、ときには宮崎などから取り寄せていると沖縄の知人から聞きました。台湾や東南アジアと比べて価格競争力がない沖縄でサトウキビを栽培するのは、補助金がついているからでしょう。これも補助金システムの悪影響ではないでしょうか。
 農業に補助金が出るのはアメリカでも同じです。沖縄の方々が怠惰ゆえにゴーヤーを作ることが出来ないなどと私が言うはずもないことはおわかりいただけると思います。

 「発言録」に唐突にゴーヤーが登場する理由を考察すれば、沖縄人の怠惰を議論したものではなく、補助金の仕組みの議論であったことは想定できる。その点を差別的な発言として共同通信が暴露報道するのであれば、もう少し丁寧な手法が必要であっただろう。
 ただし、沖縄については、おそらくメア氏より詳しい私にしてみると、この説明にもいろいろと問題はある。そもそもサトウキビに補助金が付いているのは、米軍統治下での行政府の伝統があり、そのあたりはおそらくメア氏も理解していないだろう。
 本書で期待していたもう一点の「福島第1原発事故直後、東京在住の米国人約9万人や在日米軍を避難させる最悪のシナリオ」についてだが、この話の真相はメア氏の述べるところが正しいように思われる。理由は、このこのシナリオの存在はすでにNHK報道でもなされていることなので信憑性が高いこと、また、今回の事態でコーディネータとして米側タスクフォースに参加していたメア氏の日本観(「二人の息子と娘一人」の「二つの祖国」)から氏が十分に反論しただろうことも、本書の全体の主張から調和的であることからだ。
 私の驚きは、むしろ次の点だった。

 だが、タスクフォース発足早々、最初の不気味な情報が飛び込んできました。それはワシントン時間の三月十一日深夜(日本時間十二日午後)のことで、「東京電力から『在日米軍のヘリは真水を大量に運べないか』という問い合わせが駐日米国大使館にあった」との情報が寄せられたのでした。
 この時点では福島第一原発の現状に関する確たる情報は入っていませんでした。後に判明しるように、既に炉心溶融(メルトダウン)を起こしていた原子炉一号機格納容器の開放(ベント)をめぐって状況が錯綜していた時期に、東電は真水の大量搬送の可能性を探っていたことになります。


 この情報は、東電が原子炉冷却のための海水注入を躊躇していることをも示していました。海水注入は原子炉を傷め、最終的に廃炉を余儀なくします。福島第一原発事故の稚拙な初動対応は今後、多角的に検証されるでしょうが、事故発生直後、東電は廃炉を想定せず、あくまで原子炉を温存しようと考え、一刻一秒を争う待ったなしの局面で、真水を求めて右往左往し、貴重な時間を費やしていた疑いは否定できないのではないでしょうか。
 そして案の定、真水をめぐる情報が流れた数時間後、一号機は轟音とともに水素爆発を起こし、建屋の上部は骨組みだけの無残な姿に変わり果てていました。

 メア氏は東電の右往左往を問題視しているが、この事態で重要なのは、この東電から駐日米国大使館に入った情報がどうやら菅政権側には入っていなかったように見えることだ。「だから、福島の事故でも、官邸や経産省にもたいした情報は入っていなかったのだろうと私は睨んでいました」とメア氏も推測している。

 これは笑い話ではありません。未曾有の危機に際して情報を吸い上げる国家のパイプが目詰まりを起こしているという由々しい事態が日本を襲っていたのです。

 私のあの時点で日本政府は消えていたのだろうと考えている。
 関連した情報についても、当時このブログで想定した内容がほぼ裏付けられるように同書で描かれていることにも既視感があった。余談だが、次の箇所は、このブログを氏か氏の関係者が閲覧したのではないかとも興味深く思った(参照)。れいのヘリコプターによる撒水について。

 その後、「二階から目薬」といううまい言い回しが日本語にあることを知りましたが、海水投下作戦はその効果のほどはともかく、何かをやっているということを誇示せんがための、政治主導の象徴的な作戦だったと思います。

 さて、本書の評価だが、このブログとの関連もあり、当初の興味の部分から述べてきたが、通して一冊の著作としてみると、これらの論点はさほど重要ではない。むしろ、表題にある「決断できない日本」という根幹の問題について、わかりやすく総合的に解説されている点のほうに価値がある。日本という国がどういう状況に置かれているのかという問いに対して、高校生でもわかる答えの一例がここに書かれていると言ってもよいだろう。ただし、私と同じ意見ではないのは当然のことだが。
 そうした日本の根幹的な問題をどう考えたらよいのか。例えば次のような例ですらあまり日本では問われていないし、問われるときは奇妙なイデオロギーに着色されてしまう。

 最近、中国商務部は、息のかかった企業を通じて沖縄の不動産や土地を活発に購入しています。中国が日本各地の土地を買い漁っているという実態が次第に分かってきていますが、沖縄もそのターゲットになっていることは要注意です。私が沖縄米国総領事在任当時、中国が沖縄で総領事館を開く可能性を日本政府に打診したが、幸い断られました。何のために中国が沖縄で総領事館を開きたいかという点は想像にお任せします。

 私もこの状況について多少知っているが、多少の部分でメア氏の認識と異なる部分もある。
 本書については、日本のあり方についてメア氏がどう問うているのかということを論点にして、それについて私がどのように異論を持つかということが、エントリーの内容であるべきだろうが、率直に言って、メア氏関連のエントリーをできるだけ公平に書こうとしてもかなりのバッシングを受けてきたので辟易としている。これ以上の言及は気が進まない。
 それでも、共同通信報道やその他の日本観といったことをすべて抜きにして、今回の大震災の「トモダチ作戦」において、氏が尽力してくれたことには微塵の疑念もない。
 ありがとう、メアさん。

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コメント

メアさん、2011/08/22テレビ朝日の「TVタックル」に、08/24BSフジの「プライムニュース」にゲスト出演しておりましたが、発言についてはコメントしなかったのかカットされたのか、なんもありませんでした。
でもこれからも政治がテーマの民放番組に出てきたら、メディアも何か思うところはあるんだと思います。

投稿: てんてけ | 2011.08.25 19:35

ブログエントリーありがとうございました。きちんと日本政府として感謝の意が舞台裏で表明されていればいいのですが。

投稿: richmond | 2011.08.25 22:19

我が国の序列は、恣意の優先順位を表している。日本人に意思はない。
責任体制は、意思の優先順位を表している。
意思のあるところには責任がある。殺意を抱けば殺人罪である。
我が国は、序列体制の国で、自他ともに順位に関する責任感覚を伴わない。
国がひっくり返っても、責任者は出てこなかった。とかく、この世は無責任。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2011.09.01 11:52

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