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2011.08.30

新首相に寄せる欧米の視点

 民主代表選挙前になるがワシントン・ポストが日本の政権をメリーゴーラウンドに例えていた。国内紙にも言及が多少あった。一例を引こう。共同「菅首相:退陣表明 日本政治はメリーゴーラウンド 毎年トップ交代に米紙苦言」(参照)より。


 【ワシントン共同】米紙ワシントン・ポストは27日、菅直人首相の退陣表明で日本の政権が再び短命で終わることを受け「日本政治の回転木馬」と題した論説記事を掲載、現状が「優れた政治制度への過渡期か、継続的な衰退の症状か、答えられるのは日本だけだ」と主張した。
 記事は、日本の政治状況について「ねじれ国会」により、米議会と同じ「行き詰まり状態」になっていることに加え「毎年大統領が選ばれる特徴がある」と指摘。政治が不安定なため、「日本は能力以下の仕事しかしていない」とした。
 2009年に政権交代があった日本が「2大政党制か、多党制かにたどり着くまでの道は平たんでない」と分析した。

 ワシントンポスト社説の要約としては簡素にまとまっているが、該当の社説にはもう少し陰影があった。「A political merry-go-round in Japan」(参照)がそれである。

WHEN JAPAN suffered its terrible earthquake in March, there was hope for a silver lining: Perhaps the squabbling, ineffectual leadership class in Tokyo would pull together and rally to the cause of reconstruction.

日本が3月、深刻な地震被害にあった時期には、好転の兆しとなる希望もあった。政権内で足の引っ張り合いをして、仕事をしない指導者たちでも、復興の大義に向けて力を合わせるのではないかと思われていた。

So far, no such luck. Ordinary people affected by the quake won the world’s admiration with their mixture of neighborliness and quiet determination. Japan’s leaders, by contrast, seemed confused, often absent, at times ill-informed and at times misinforming.

だが今に至るも、そのような幸運はない。震災の影響を受けた日本の庶民は、助け合いの精神と言葉少ない決意をもって世界の人々の称賛を得たが、日本の指導者たちは混乱しているようでもあり、しばしば放心し、時には誤報や誤解にまみれていたようだ。



Instead, the earthquake has given rise to a kind of anti-nuclear populism, with leaders promising to reduce Japan’s reliance on the atom without providing any road map for doing so.

合意形成ができないどころか、地震によって反原発といった大衆迎合主義が沸き起こり、日本の指導者達は、実施の見込みもないまま、原発依存を削減すると約束した。

On Friday the populist-in-chief on that score, Prime Minister Naoto Kan, resigned — becoming the sixth Japanese leader to step down in five years.

金曜日には、大衆迎合主義の筆頭たる菅直人首相が辞任し、この5年で6人目となる首相が登場することになる。


 米国としてはあきれてものが言えないという状態でもあるが、特に計画性のない反原発を大衆迎合主義と見ていることと、その筆頭にあるが菅首相であると見ていることがわかる。
 米国にとって日本の迷走が問題となるのは、単純に東アジアの権力バランスである。

This matters, and not just to Japan. As a rising China challenges democracies throughout East and Southeast Asia, Japan, with the world’s third-largest economy after the United States and China, should be helping to provide balance.

日本の迷走は日本だけの問題ではない。東アジアや東南アジア全般にわたり、民主主義を脅かす中国が台頭するなかで、米国、中国に次ぐ第三の経済大国である日本は、権力バランスに貢献すべきである。


 現実的にはこの問題で東アジアや東南アジアの大半が日本を見限りつつあり、ベトナムやフィリピンなどは個別に米国と組んで対中戦略に乗り出している。
 当然ながら米国としては前原氏に着目していた。ワシントン・ポスト社説も候補では前原氏の名前のみを取り上げていた。

The party will choose a new leader Monday, and a number of experienced candidates have emerged, including former foreign minister Seiji Maehara, who helped keep the U.S.-Japan relationship on an even keel during the DPJ’s rocky first year in 2009-10.

民主党は月曜日に新代表を選出するが、挙がっている候補には、民主党が多難だった2009年から2010年に、日米関係の安定に務めた前原誠司氏もいる。


 率直に言ってもいい時期ではあると思うので簡単に書くと、例の尖閣諸島・中国漁船衝突事件で采配をふるった前原氏は米国側の意向を酌んだものだったし、これで前原氏は米側の信頼を購入した。
 今回のワシントンポスト社説も、ようするに、首相なんかだれがなってもよいと諦めの境地にあるものの、外交または軍事の部門には前原氏を抜擢せよということだ。前原氏の突然の立候補もそうした文脈にあったのだろう。
 別の言い方をすれば日本の首相が誰になるかというのは、もはやジョークの範疇であり、問われると鼻から牛乳状態になることは、NHK「米報道官 日本首相交代巡り“苦笑”」(参照)も報じていた。

29日、国務省で開かれた記者会見の中で、新たな民主党の代表に野田財務大臣が選ばれたことを巡り、記者の1人が、国務省が日本の総理大臣が交代するたびに似たようなコメントを読み上げていることを念頭に「いつも同じことを言うから抗議しなければ」と冗談を言うと、会見を行っていたヌーランド報道官が一瞬笑いをこらえられなくなる一幕がありました

 ワシントンポスト社説に戻ると、共同のまとめにあるように、日本の問題は日本が答えることになるとしながら、多少の同情も寄せている。

Mr. Kan’s Democratic Party of Japan in 2009 unseated a party that had ruled pretty much uninterrupted for a half-century, so rookie mistakes should not surprise. Japan could be driving over inevitable bumps on the road to a competitive two-party or multi-party democracy, reshaping the bureaucratic state that had presided, most recently, over two decades of stagnation.

菅氏率いる2009年の民主党は、半世紀も政権政党として持続した自民党を退けた。ぽっとでに間違いがつきものなのは驚くほどのことではない。日本は二大政党か多政党の民主主義に至るでこぼこ道を進んでいるのかもしれないし、その進行には、現在に至るこの20年の低迷を引き起こした官僚主義の補修も伴うだろう。


 米国としては、日本を生暖かく見守るという風情であるが、それでも日本の官僚主義を敵視ている点は興味深い。端的にいえば、今回でも、財務相傀儡がぽこんと飛び出てくるように、日本はいまだに官僚主義国家として米国には映っている。
 米国的な見方が欧米の合意かというと、多少のずれがフィナンシャルタイムズの社説「Japan’s latest leader」(参照)に見られる。日本が曲がりなりにも国家を運営しているのは官僚のおかげだとしている。

The country continues to be managed pretty well thanks to its strong, professional bureaucracy.

日本がまがりなりとも快調であるのは、その強固で専門的な官僚のおかげである。


 公平に見ればそうとしか言えない。だがこう続く。

But it is strategically adrift. The big questions of how it rebuilds after the tsunami, how it manages its debt, how it eradicates deflation and how it deals with China have been postponed or fudged.

しかし国家戦略的に見れば、漂流の状態にある。津波後の復興、赤字の管理、デフレの払拭、中国との駆け引き、こうした大きな課題は引き延ばしや目眩ましでやり過ごしてきた。

The doomsayers, however, will be disappointed. Japan is well enough run to defy their most dire predictions. But that is despite the political pantomime, not because of it. To do better, Japan badly needs political stability.

そうはいっても、悲観論者は失望することになるだろう。政治的な演出に関わらず、日本はその最悪の運命に立ち向かう余力をもって運営されている。改善に向かうには、日本は政治的な安定が欠かせない。


 端的に言えば、日本の政治に求められるのは安定だけであり、もっと露骨にいえば、政治家が政治に口出ししないことだ。官僚に実直な仕事をさせるしか、現下の日本の運営はできない。
 身も蓋もないといえば身も蓋もないが、フィナンシャルタイムズの言うように考えれば希望がないわけでもない。
 日本がこの難局を乗り切れば、後世の歴史家は言うであろう、野田大仏はただの置物ではない、その建立事業は国家鎮護のためであった、と。


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2011.08.29

野田佳彦首相誕生へ

 民主代表選挙が終わった。昨日の私の予想に反して野田佳彦財務相が代表に選出された。これで実質野田首相が誕生ということになる。
 一回目の投票では、海江田143票、野田102票、前原74票、鹿野52票、馬淵24票だった。
 前原票が私の予想より伸びなかったこともあり、野田氏が譲るという読みも崩れ、海江田と野田氏の決戦では逆に前原氏が譲った形になった。
 この時点で、増税派の悩みは消えた。どっちも増税派である。野田内閣でも、もれなく与謝野馨氏が付いてくるだろう。三党合意も維持され、大連立も視野に収めるということで、菅内閣よりもぐっと自・公に近いコンセサス政権にができあがることになる。率直なところ、これって自民党政権となにか違うのだろうか。
 海江田対野田で増税派の悩みも消えた時点で、論点は小沢派か反小沢派というだけとなり、蓋を開けてみるとどっと反小沢に流れ、野田215票、海江田177票となった。
 馬淵票が24票というのは相応というところだが、鹿野票が52票というのは多少意外で、この票が最初から反海江田票となるだけで海江田は崩せたことになる。読みという点では、ここの読みが一番甘かった。同じ意味でもあるが前原票がこれほど弱いとも思っていなかったし、初手から野田氏への増税派の組み込みが海江田氏を超えて、ここまで強いとも思っていなかった。
 野田首相となれば、菅首相のような、やや極端な脱原発路線や、思いつきでぶれまくるということはなくなるだろう。自・公との摺り合わせもよりうまく進むようになるのではないか。安定政権への期待が少しだけだが高まる。もっとも、自民党時代の安倍晋三首相のように若い首相の誕生という点で、安倍氏には病魔の不運もあったが若さゆえの拙さもあり、同じ欠点が野田氏にもありうるだろう。
 今回の代表選だが、私は海江田氏に決まりだろうと関心を失っていて、たまたまお昼のNHKニュースを付けたら、野田氏の演説が流れていたので、彼の部分だけ聞いた。
 話は、子供時代のことがたらたらとてんこもりで、なんだこれはという違和感と、同い年なんで、そうだよね、そういう時代だったな、という共感の両方があった。
 いずれにせよ、政策的な話は出てこないわりに、終盤になって命をかけるみたいな異様な熱の入れようで、これは前原氏に譲る気はないということかとも思った。結果からすればそういうことでもあったのだろう。野田氏は、自分はドジョウだと力んでいた。ドジョウ内閣と呼ばれるのではないか。
 顧みると、前原氏の立候補はなんだったのだろうかという疑問も残った。童話・泣いた赤鬼ではないが、悪役の青鬼を前原氏が買って出て野田氏を立てたという遠謀があったとも思えない。前原氏の派閥としてのメンツのようなものと、野田氏ではダメだという認識があったのではないか。後者については共感しないでもない。
 小沢派にしてみると昨年の代表選で負け、議員だけの派閥の論理に持ち込んでも負けた。これで小沢派も少し静かになるだろうし、鳩山さんが表舞台に活躍して国民の肝を冷やすこともないという点では少しスリルが減る。
 野田氏の演説では、任期中に解散はしないとも強調していた。これはよいことだ。残りの民主党政権をまっとうしてもらいたい。来年9月にまた代表選をやるとかいう醜態はもう終わりにしていただきたい。今回の民主党代表選挙ほどナンセンスな騒ぎはなかったのだから。この結果なら菅政権の続行でも別段なんの不都合ということもなかった。

追記
 安倍元首相は就任時は52歳で野田氏より若かったので、その点を修正した。

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2011.08.28

2011年民主代表選挙はどうなるか

 民主代表選挙となる。事実上の首相選びでもあるが、関与できるのは民主党議員に限定されている。国民不在だし民主党員不在という印象もある。候補は、海江田万里経済産業相、前原誠司前外相、野田佳彦財務相、馬淵澄夫前国土交通相、鹿野道彦農相の五氏。
 なんなんだこの最悪のリバーは。
 海江田か前原かのハイカードなんだからビッグ・ブラインドの後、即フォールドだろ、普通。
 増税派は野田、アンチ増税派は馬淵でテンパっている。こんなところでオールインってどんだけというゲーム。
 これはいったいどういう事態なのかというと、簡単です。
 昨年の代表選で、小沢は菅か、という対決で、「民主党議員の票を数えたら小沢だろ、常考」というのに、民主党員まで含めたら、あれまぁひっくり返ってしまって、「糞ぉ、小沢チルドレンと鳩山食客の民主党議員でやりなおしだぜ」、というだけの話。
 若干、状況が変わったのは、小沢が党員資格停止で、民主党議員ではなくなったから、ご本人が出なくなったのと、菅が増税派にとってあまりに使えないタマだったので野田にすげ替えようとしただけの話。これでいい野田。あれれ? 前原ではなくて?
 そう野田では、反小沢路線もダメになるでしょという危機感からぴょこんと前原が飛び出したということ。

cover
僕が小沢政治を嫌いな
ほんとの理由

海江田万里
 そこで困った小沢派と増税派が妥協すれば、税金党という芸人野末陳平のお弟子で泣きが売りの海江田芸人が登場するという、もうパチンコの玉が万有引力の法則にもてあそばれるような風景である。
 いうまでもなく、海江田は小沢と組んでオークションしたら、当然小沢がデクレアラーになるわけで海江田はダミーとなる。このダミーの手札がどれほど使えるかというと、さほど使えるわけもないので、どうせまた短命政権になる。
 ついでに票読み。NHK「海江田氏先行 決選投票の可能性も」(参照)、時事「代表選、決選投票濃厚に=支持拡大へ動き激化―民主」(参照)などを参考。
 テーブル上の総数、398人。内、衆院が292人、参院が106人。党員資格停止中が9人。過半数は200人。それぞれのベットはというと。

 ダミー・海江田、100人
 烏帽子・前原、50人
 これでいい・野田、60人
 きっこ銘柄・馬淵、20人
 なんだ・鹿野、30人

 小計、260人。浮動、138人。

 138人の配分で決まる。
 まず、馬淵と鹿野は国政選挙の社民党票みたいなもので、ガチ票にどれだけふらふらと吸い込まれるかだが、初期状況的にはあまり動きはないし、影響力もなし。
 浮動票が、海江田、前原、野田のどこかに偏ると当然勝敗は決まる。
 党員を含めた選挙なら前回のように党員の顔色が大きく作用するが、今回は少なく、浮動票が動く最大要因は次回選挙のときに選挙ブローカーを配備してもらえるかが要点。
 すると当然ながら、小沢に、もとい、海江田に偏ると見てよさそうだ。海江田首相で民主党が解党という事態でも小沢につくっいとけということにはなるだろう。
 するとざっと見たかぎり、前原と野田が合体しない限り、海江田は敗れない。当然、この合体だが、決選投票で前原か野田かのどちらかが下りるという意味になる。
 増税派は国民のウケがないのに、前原人気がそれなりになぜかあるので、野田が下りるという事態になるのだろう。

cover
常識で生きるとこんな損をする
バカを見るのはあなただけ
野末陳平
海江田万里
 問題は野田を支えている増税派の票がそのまま前原に動くわけではなく、むしろ海江田に流れることだ。
 ということで、海江田首相ということになるのだろう。
 米国側としては、対中国の関係で前原を押したいところ。中国も24日、中国漁業監視船を尖閣諸島領海内に侵入させて前原を支援したが、日本のマスコミの動きは鈍い。
 海江田首相なれば、小沢の処分が緩和される。これで本来の民主党に立ち返る機会となり、鳩山さんもまた大活躍される機会ができる。
 明日があるさ。次回の首相がダメでも、その次の首相も早晩決まる。
 終わらないリフレイン。

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2011.08.27

Kindle(キンドル)を買った

 Kindle(キンドル)を購入してみた。Kindleはアマゾンが販売している電子書籍閲覧用の装置である(参照)。電子ブックリーダーとも言う。日本でもソニーなどが同種の装置を販売している(参照)。結論からすると、買ってよかった。大変に便利な装置である。

cover
【米国特別価格】
Amazon kindle3 WiFi
 ツイッターでフォローしている人が、先日Kindle(キンドル)を買い、満足しているという話を見かけた。そうなのかと思い、ドル円相場を見て、それと8月という月にはちょっとした思い入れもあって、やはり買おうと決めたのだった。
 それまで購入をためらっていたのには理由がある。それほど英書を読むわけでもない。英書もペーパーバック(粗製本)で買えばよい。わざわざ電子書籍で読むことはない。そうしたことが一点。
 ためらっていたもう一点は、iPad2を買ってそのアプリケーションとしてのKindleでけっこう満足していたことだった。性能的には、タッチ操作ができるiPad2アプリケーションのKindleのほうが、装置としてのKindleよりもよいかもしれない。
 iPad2には標準でAppleの電子書籍用アプリケーションとしてiBookもあり、これも便利だった。ちなみに、こちらのほうはちょっとした作業を加えると、英書を読むとき隠し機能の英和辞書が利用できるようになる。
 iBookとkindleのどちらのアプリケーションを使い分けるかというなかで、さらに装置としてのKindleがあっても使わないのではないかという思いもあった。もちろん、Kindle用の電子ブックは米アマゾンで購入できるが、Appleは日本向けには電子書籍の販売をしていない(配布されているのは無料の古典のみ)。コンテンツの点では圧倒的にKindleが有利である。しかも、Kindleとして購入した電子書籍は、iPad2やiPhoneのkindleのアプリケーションでも読むことができる。
 私にとってKindleの何がよかったのか。三点ある。一つ目は軽いということだ。軽いというのは決定的だった。iPad2もさほど重たいものではないが、一時間も手にしていると、年のせいか翌日腕に奇妙なコリができて数日痛かった。落としてはいけないという緊張感もあって力を入れすぎる面もあるだろう。iPad2はデスクにおいて使えばよいではないかという意見もあるだろうが、軽いKindleを使ってみて思ったのは、これなら普通に文庫本やペーパーバックのような感覚で手軽に読めるということだ。サイズ的にも手のひらに収まり、操作性もよい。
 二点目はバッテリー(電源)の保ちがよいこと。スマートフォンを使っていてなにが一番嫌かというとバッテリー消費が激しいことだ。これではまともにアプリケーションも使えない。必然的に予備バッテリーも持ち歩くことになる。その点で電子辞書などはバッテリー消費が少ないが、白黒表示のKindleにもそうしたメリットがあるとはわかっていた。実際に使ってみると数日バッテリー管理をしなくて済むのは、とても自然だ。読みかけの本をそのまま放置しておいてもなんの問題もない。コネクタもスマートフォンと同じUSBなのでアダプターが増えるわけでもない。
 三点目は読みやすいということ。電子ペーパー(E Ink)を使っているので液晶画面のようなぎらつきがなく、普通に紙に印字されたように読める。目の疲労も少ない。カラー表示はできず白黒表示のみだが階調があり意外なほど写真もきれいだ。スクリーンセーバーの写真が洒落ていて美しい。電子ペーパーについての個人的な印象に過ぎないのかもしれないが、ページ切り替えのときの、瞬時の暗転はソニーリーダーよりも自然だった。前ページの焼けも少ない。Kindleはこの表示部分だけでもかなりのクオリティーがあるようだ。なるほど漫画の自炊本(手製で作成する電子書籍)が流行るわけだ。
 購入してみてわかったその他のメリットもある。意外と日本語が読みやすい。書体がゴチックしかなく、しかも横書きなので、およそ書籍として読めるものではないなと当初から断念していたが、青空Kindleという無料サービスで青空文庫の書籍をPDF形式に変換すると、明朝系の書体で縦書きで読める。ルビも付く(若干これには問題もある)。試しに、「渋江抽斎」をKindleで読んでみたが、読んでいるうちにKindleを使っていることすら忘れる快適さである。もちろん印刷表示に近いPDF形式なので、「i文庫」アプリケーションで読むような辞書との連携はできない点は不便だ。ちょっと調べながら読みたいと思い、結局「渋江抽斎」については注釈の多い文庫本でさらに再読した。この話は別途エントリーに書きたいと思っている。
 Kindleにはブラウザーの機能もあり、機能的には遜色はないが、表示が白黒であるのとWi-Fi回線でも動作が低速だ。現状実験的機能とされているのも理解できる。カーソルしか使えないので操作性もよくない。
 そういえば当初、Kindle購入で、Wi-Fi版にするか、携帯電話のような3G回線付きの版にするか悩んだ。3G回線が無料で使えるというのは大きな魅力に思えたからだ。しかし、ブラウザーの機能が弱いのであれば、外出でも情報閲覧はスマートフォンに任せたほうがよい。
 ではなぜ3G回線のサービスがあるのか。Kindleを購入して使ってみたら、あっさりわかった。これは新聞のためである。読者がどこに居ても新聞を配送できるようにするには、3G回線を付けておくほうがよいという長期的な経営判断なのだろう。
 おまけの機能という点では、音声読み上げ機能(音読)も予想したよりよい。かなり自然に聞こえる。読み上げ機能の操作性はよくないが、さほど操作性が必要となる機能でもない。ちなみに、読み上げ時に、Aaボタンを押すと、読み上げの声を女性にしたり、速度が設定しなおせる。
 もう一ランク上の使いこなしということになるだろうが、Calibreというフリーソフトの併用も便利だった。パソコン内の電子書籍とKindleの管理が一元化できる。いわば、電子書籍向けのiTunesのようなもので、iBook用に作成したEpubの書籍もKindleのmobi形式に簡単に変換できた。そのほか、簡易な電子書籍も作成できる。
 話が散漫になってきたので、二点、余談で終える。辞書はさすがに英辞郎が優れていた。時計の機能がないと探していたら、Menuキーを押せば表示されるのであった。


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2011.08.25

[書評]決断できない日本(ケビン・メア)

 メア氏の自著「決断できない日本(ケビン・メア)」(参照)が出版されると8月の頭ごろだったか聞いて、出版前にアマゾンに予約しておいたが、なぜか配送は遅れ、そのため読むのも遅れてしまった。書店に先に並ぶほうが早かった。アマゾンの予約が殺到していたのだろうか。
 本書に期待される話題といえば、まず、共同通信による「沖縄はゆすりの名人」報道についての本人弁であるが、もう一点、事前の報道で「米政府が福島第1原発事故直後、東京在住の米国人約9万人や在日米軍を避難させる最悪のシナリオを検討していた」(参照)というのも興味深くは思えた。

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決断できない日本 (文春新書)
ケビン・メア
 共同通信による「沖縄はゆすりの名人」報道についてだが、もとから発言の原資料は残されていないので真義の確認はできない。そのあたりをどのように弁じるかに関心を持った。結論から言えば、共同通信が問題視した講義の真相についてはわからない。だが、関連して二点わかったことがある。共同通信石山記者の立場と、発言の背景となるメア氏の基本的な沖縄観についてである。
 共同通信による「沖縄はゆすりの名人」報道については、「メア氏問題の背景: 極東ブログ」(参照)で言及した内容が本人から確認できたという意味で、私には驚くような情報はなかった。だが、あの時点で疑問に思った次の点については多少驚いた。私はこう書いた。

 以上の経緯からすると、先の共同通信編集委員石山永一郎氏の署名記事も、証言の信憑性や評価を考える上では、重要性の低い証言となる。「再取材」という点からはおそらく、石山氏と猿田氏、バイン准教授の事前の関連も疑われる。

 では、事前の関連はあったのか。
 証言とされるメモを作成した学生について、本書にはこのような話がある。

 学生たちは十二月十六日から約十三日間、東京および沖縄に行っています。学生たちが自ら書き込んだブログによると、来日してすぐに、彼らのうちの幾人かは、なんと私の記事を配信した共同通信の石山記者の東京・葛飾の自宅に泊まっていることがわかりました。

 該当のブログは現在削除されているらしいが、共同通信の石山記者邸で学生たちが供応を受けたことは事実であろうと思われる。
 それだけで、石山記者と学生の事前の関連はあったことになり、さらにそれを率いる猿田氏との関連も繋がる。猿田氏は石山記者のインターンであるとメア氏に述べている。
 私の判断からすれば、以上の点だけでも、共同通信石山記者はこの事態の関係者であって報道の立場としては不適切である。
 メア氏が疑問に思うのも当然であろう。本書にある「記者としての5つの倫理違反」より。

①まず石山記者は東京在住であり、ワシントンにオフィスがない以上、猿田氏が石山記者のインターンであるとは考えにくい。なぜ沖縄旅行のリーダーであり弁護士の猿田氏がインターンと称して石山記者の取材を受けてくれと依頼してきたのか。
②記事のもとになった「発言録」を後に書くことになる学生たちを自宅に泊め食事で接待するなどということをしていいのか。双方の信頼性、客観性を損なうものではないか。
③なぜ石山記者は、自分の家に学生たちを泊めながら彼らの沖縄観察については何も触れずに、私に最初の取材依頼をしてきたのか。また私と直接会ったときには学生たちがつくったという「発言録」についてまったく触れなかったのはなぜか。アリバイづくりの取材ではないか。

 メア氏の意見は除き、事実と見られる部分だけ抜き出して考察しても、今回の報道にはかなりの問題があることはほぼ確実だろう。
 しかしこの問題だが、当初共同通信が配信したとき、他のメディアが採用するかためらい、空気が醸成されてから追従して扱い出したズレがあり、他メディアとしても実は内情の仕組みを知っていたのではないかと私は想像している。
 そしてその後の経緯についても、実際には各種メディア内でこっそりとあの失点についてはこれ以上言及しないという暗黙の合意があるようにも見える。この問題はメア氏がいくら弁明しても日本のメディア的な動きはもうないだろう。
 このことは、しかし、実際のメア氏の発言がどのようなものであったのかということとは独立している。では、それはどのようなものだったのか。本書に説明される背景から窺える部分がある。
 「怠惰でゴーヤーも栽培できない」についてが一例になる。この点について、背景となる彼の沖縄観を述べて、枠組みからの反論を提供している。

 同様に「怠惰でゴーヤーも栽培できない」と発言したとする報道も完全に間違いです。
 私の説明は、学生からの「補助金の影響」についての質問に答えたものです。わかりやすい例としてゴーヤーを挙げました。亜熱帯の沖縄に赴任するとき、マンゴーやパパイヤといった果物や野菜がたくさん食べられると楽しみにしていましたが、行ってみると亜熱帯の果実はほとんどなくサトウキビばかりでした。なぜなら、サトウキビ栽培には補助金が出る。地元名産のはずのゴーヤーも沖縄では栽培量が足らず、ときには宮崎などから取り寄せていると沖縄の知人から聞きました。台湾や東南アジアと比べて価格競争力がない沖縄でサトウキビを栽培するのは、補助金がついているからでしょう。これも補助金システムの悪影響ではないでしょうか。
 農業に補助金が出るのはアメリカでも同じです。沖縄の方々が怠惰ゆえにゴーヤーを作ることが出来ないなどと私が言うはずもないことはおわかりいただけると思います。

 「発言録」に唐突にゴーヤーが登場する理由を考察すれば、沖縄人の怠惰を議論したものではなく、補助金の仕組みの議論であったことは想定できる。その点を差別的な発言として共同通信が暴露報道するのであれば、もう少し丁寧な手法が必要であっただろう。
 ただし、沖縄については、おそらくメア氏より詳しい私にしてみると、この説明にもいろいろと問題はある。そもそもサトウキビに補助金が付いているのは、米軍統治下での行政府の伝統があり、そのあたりはおそらくメア氏も理解していないだろう。
 本書で期待していたもう一点の「福島第1原発事故直後、東京在住の米国人約9万人や在日米軍を避難させる最悪のシナリオ」についてだが、この話の真相はメア氏の述べるところが正しいように思われる。理由は、このこのシナリオの存在はすでにNHK報道でもなされていることなので信憑性が高いこと、また、今回の事態でコーディネータとして米側タスクフォースに参加していたメア氏の日本観(「二人の息子と娘一人」の「二つの祖国」)から氏が十分に反論しただろうことも、本書の全体の主張から調和的であることからだ。
 私の驚きは、むしろ次の点だった。

 だが、タスクフォース発足早々、最初の不気味な情報が飛び込んできました。それはワシントン時間の三月十一日深夜(日本時間十二日午後)のことで、「東京電力から『在日米軍のヘリは真水を大量に運べないか』という問い合わせが駐日米国大使館にあった」との情報が寄せられたのでした。
 この時点では福島第一原発の現状に関する確たる情報は入っていませんでした。後に判明しるように、既に炉心溶融(メルトダウン)を起こしていた原子炉一号機格納容器の開放(ベント)をめぐって状況が錯綜していた時期に、東電は真水の大量搬送の可能性を探っていたことになります。


 この情報は、東電が原子炉冷却のための海水注入を躊躇していることをも示していました。海水注入は原子炉を傷め、最終的に廃炉を余儀なくします。福島第一原発事故の稚拙な初動対応は今後、多角的に検証されるでしょうが、事故発生直後、東電は廃炉を想定せず、あくまで原子炉を温存しようと考え、一刻一秒を争う待ったなしの局面で、真水を求めて右往左往し、貴重な時間を費やしていた疑いは否定できないのではないでしょうか。
 そして案の定、真水をめぐる情報が流れた数時間後、一号機は轟音とともに水素爆発を起こし、建屋の上部は骨組みだけの無残な姿に変わり果てていました。

 メア氏は東電の右往左往を問題視しているが、この事態で重要なのは、この東電から駐日米国大使館に入った情報がどうやら菅政権側には入っていなかったように見えることだ。「だから、福島の事故でも、官邸や経産省にもたいした情報は入っていなかったのだろうと私は睨んでいました」とメア氏も推測している。

 これは笑い話ではありません。未曾有の危機に際して情報を吸い上げる国家のパイプが目詰まりを起こしているという由々しい事態が日本を襲っていたのです。

 私のあの時点で日本政府は消えていたのだろうと考えている。
 関連した情報についても、当時このブログで想定した内容がほぼ裏付けられるように同書で描かれていることにも既視感があった。余談だが、次の箇所は、このブログを氏か氏の関係者が閲覧したのではないかとも興味深く思った(参照)。れいのヘリコプターによる撒水について。

 その後、「二階から目薬」といううまい言い回しが日本語にあることを知りましたが、海水投下作戦はその効果のほどはともかく、何かをやっているということを誇示せんがための、政治主導の象徴的な作戦だったと思います。

 さて、本書の評価だが、このブログとの関連もあり、当初の興味の部分から述べてきたが、通して一冊の著作としてみると、これらの論点はさほど重要ではない。むしろ、表題にある「決断できない日本」という根幹の問題について、わかりやすく総合的に解説されている点のほうに価値がある。日本という国がどういう状況に置かれているのかという問いに対して、高校生でもわかる答えの一例がここに書かれていると言ってもよいだろう。ただし、私と同じ意見ではないのは当然のことだが。
 そうした日本の根幹的な問題をどう考えたらよいのか。例えば次のような例ですらあまり日本では問われていないし、問われるときは奇妙なイデオロギーに着色されてしまう。

 最近、中国商務部は、息のかかった企業を通じて沖縄の不動産や土地を活発に購入しています。中国が日本各地の土地を買い漁っているという実態が次第に分かってきていますが、沖縄もそのターゲットになっていることは要注意です。私が沖縄米国総領事在任当時、中国が沖縄で総領事館を開く可能性を日本政府に打診したが、幸い断られました。何のために中国が沖縄で総領事館を開きたいかという点は想像にお任せします。

 私もこの状況について多少知っているが、多少の部分でメア氏の認識と異なる部分もある。
 本書については、日本のあり方についてメア氏がどう問うているのかということを論点にして、それについて私がどのように異論を持つかということが、エントリーの内容であるべきだろうが、率直に言って、メア氏関連のエントリーをできるだけ公平に書こうとしてもかなりのバッシングを受けてきたので辟易としている。これ以上の言及は気が進まない。
 それでも、共同通信報道やその他の日本観といったことをすべて抜きにして、今回の大震災の「トモダチ作戦」において、氏が尽力してくれたことには微塵の疑念もない。
 ありがとう、メアさん。

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2011.08.24

トリポリ陥落の印象

 リビア、トリポリの攻略は見事なものだった。ここまでエレガントな展開になると予想もしていなかった。そう思うと同時に、これはいったいどういうことなんだろうかという疑問も残った。
 私の印象からすれば、これは「トロイの木馬」である。もちろん古典的な意味のそれではない。市街を安全に見せかけた状態で、外見、兵力とは見えないような偽装部隊を城壁の内部に引き入れて、夜陰に乗じて発動させたのだろう。トリポリの市民に見せかけたフランスや英国の特殊工作部隊だっただろう。種明かしの一部は、ガーディアンの「Battle for Tripoli: pivotal victory in the mountains helped big push」(参照)やテレグラフの「Libya: how 'Operation Mermaid Dawn', the move to take Tripoli, unfolded」(参照)などから窺える。国内の孫引き報道としては、テレグラフを引いた産経新聞「「参加せよ」議長の一声が蜂起の合図 英紙報道」(参照)がある。


 23日付英紙デーリー・テレグラフによると、英情報局秘密情報部(MI6)は反体制派組織「国民評議会」と10週間前に合意した攻略作戦を入念に点検。反体制派はトリポリに武器や通信機器を密輸して臨時集積所に隠す一方、戦闘に慣れた兵士を潜入させた。
 作戦が始まったのはイスラム教のラマダン(断食月)真っ最中の20日朝。英空軍の攻撃機トーネードなどがカダフィ大佐の本拠地である市内の通信施設や秘密情報本部を空爆。同日夕に国民評議会のアブドルジャリル議長がカタールのリビア向けテレビ放送に出演し、「イベントに参加せよ」と呼びかけ、これが一斉蜂起の合図となった。
 午後8時ごろ、潜入していた反体制派勢力が中心部のモスク(イスラム教の礼拝所)を占拠、スピーカーで「カダフィ大佐を打倒せよ」と叫び続けた。携帯電話のテキストメッセージでも市内の反カダフィ派に決起を呼びかけた。
 カダフィ派部隊はその日、トリポリ西48キロのザーウィヤで反体制派と戦闘中だった。首都で突然、反体制派が蜂起したことにカダフィ大佐は虚をつかれ、体制の崩壊を早めることになったとみられる。

 テレグラフ記事はさも種明かしふうに描いているが、ガーディアン記事のほうはさほど明確ではない。印象だが、伏せておくべき活動があるのだろうし、その理由は国連決議の範囲や他の独裁主義国への対応もあるだろう。もっとも、具体的にどのようにトリポリが制圧されたかという手順についてはいずれ解明されることだろう。
 米国側からは上空からの情報が提供されたようだ。結果からすれば、それらが非常に巧妙に機能したとしか言えないし、その意味では、先日のビンラーディン師暗殺の拡大版のようでもある。
 国際メディアへの広報も巧妙だった。すでに報道があった時点でトリポリは陥落していたかのようだった。これは本当なのだろうかという疑念を各種の映像が打ち消していったが、ある種のエンタテインメント感には後味の悪さも残った。
 いずれにせよ瞬時にカダフィ体制は崩落した。復活ももうないだろうと思われる。各国の高級紙の社説も今後のリビア体制について話題を転じている。テーマは、表向きはリビアの民主化ということだが、内実はイラクと同じように石油資源の問題がある。毎日新聞「リビア:「中露の原油利権排除」 支援なしで反体制派」(参照)がその部分を報じている。また韓国が早々にリビアでのオイルビジネスに乗り出したことをCNN「Korea stakes claim in post-Ghadafi Libya」(参照)などが伝えている。
 さて、一応、リビアのお話としてはそういうことだ。「アラブの春」というお話に仕立てられないわけでもない。それはそれとして、心にひっかかることが二点ある。
 一つは、結果からすれば誤報だったが、カダフィ大佐の次男で後継候補と見られてきたセイフイスラム氏が反体制派側に拘束されたというニュースである。CNN「リビア反体制派「カダフィ大佐の息子2人を拘束」」(参照)で確認しておこう。

トリポリ(CNN) リビアの最高指導者カダフィ大佐の打倒を目指す反体制派は22日までに、カダフィ大佐の次男で有力後継候補のセイフイスラム氏と、三男で元サッカー選手のサアディ氏を拘束したと発表した。政権側からのコメントはなく、真偽は確認されていない。
 東部ベンガジで結成された反体制派組織「国民評議会」の幹部は21日深夜、首都トリポリでセイフイスラム氏を拘束したと発表。続いて22日早朝、西部の反体制派報道官が同氏の拘束を確認するとともに、サアディ氏も拘束されたと述べた。
 同報道官はさらに、反体制派がトリポリ市街の大半を掌握し、政権側支持者らの集会の場となっていた中心部の「緑の広場」まで進攻したと述べた。
 セイフイスラム氏は20日夜、反体制派がトリポリを掌握しつつあるとの報道を一蹴していた。
 カダフィ大佐も同日、2度にわたる演説で、反体制派を「帝国主義者への協力者」「裏切り者」と非難。トリポリで起きているのは「ごく少数のグループ」による戦闘だとの主張を繰り返した。
 北大西洋条約機構(NATO)のラスムセン事務総長は声明で「カダフィ政権は明らかに崩壊しつつある」と述べ、「カダフィ大佐は自国民との戦いに勝てないことを一刻も早く認めるべきだ」と強調した。
 トリポリ市内には21日夜の時点で、銃声や爆発音が響いていた。外国人記者らが滞在するホテルの近くでも激しい銃撃戦があった。

 その後、セイフイスラム氏は市街に姿を現した。同じくCNN「カダフィ大佐次男、報道陣の前に姿現す「父は市内に」」(参照)より。

(CNN) 反体制派に拘束されたと伝えられたリビアの最高指導者カダフィ大佐の次男、セイフイスラム6 件氏(39)が22日夜から23日にかけ、首都トリポリで報道陣の前に姿を現した。
 セイフイスラム氏は父カダフィ大佐の所在について、姉妹数人とともにトリポリ市内にいると説明。セイフイスラム氏は反体制派の首都進攻について、カダフィ大佐の支持派が「あのネズミどもとギャング集団の背骨をへし折った」と公言。政府軍は「トリポリは無事だと人々に納得させる」と強気の姿勢を見せた。
 セイフイスラム氏については反体制派が先に身柄を拘束したと発表し、人道に対する罪の容疑で同氏を手配している国際刑事裁判所(ICC)が引き渡しを求める意向だと伝えられていた。しかしICCの逮捕状について尋ねられたセイフイスラム氏は、「ICCなどくたばれ」と吐き捨てた。
 さらに、自分の拘束が伝えられたのは反体制派のまやかしだと話し、自分はずっと部隊を連れてトリポリ市内を移動していたと主張した。

 何があったのか。3つの可能性が考えられる。(1)単なる誤報、(2)意図的な誤報、(3)誤報ではなかった。
 単なる誤報という可能性がないわけではない。だが、このトロイの木馬型の作戦では広報機関を初期に狙っているし、そこから情報が流されたという点で、作戦の一環としての意図性が疑える。そうであれば作戦とどのような関連があったのだろうか。
 誤報ではないとすると、逃亡したか、あるいはなんらかの陰謀論的なストーリーも考えられる。例えば、カダフィ側とトロイの木馬部隊にはなんらかの取引があったのではないか、など。
 この疑念はもう一つの疑念に関連する。当のカダフィ大佐はなぜ捕まらないのか。英仏の特殊部隊が指導した鮮やかな作戦なのに、なぜこの瑕疵があるのか。
 疑問に思うのは、私は当初、この戦争のエレガントな解決は、カダフィ大佐の暗殺か捕獲であろうと思っていたことがある。象徴たるカダフィ大佐が、ビンラディン師のように消えてしまえば、事態は収拾しやすいはずだと。
 ところが現実はその逆になった。案外、特殊部隊が練り上げた作戦は、当初からカダフィ大佐を暗殺しないことになっていたのではないか。
 それとも、早々にカダフィ大佐が捕獲されましたという報道が入るのだろうか。


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2011.08.23

朝日新聞「住民検査で初の1ミリシーベルト超検出」という記事の不可解さ

 不可解なことであるが些細な話とも言える。気になったのでメモがてらに書いておきたい。話題は、福島県南相馬市実施した住民の内部被曝検査についての報道である。
 気になったのは、13日付け朝日新聞「住民検査で初の1ミリシーベルト超検出 南相馬の男性」(参照)である。気になる部分は太字にしてみた。


2011年8月13日20時55分
 福島県南相馬市が住民の内部被曝(ひばく)を調べたところ、60代の男性1人から1ミリシーベルトを超える数値が検出されたことが分かった。市立総合病院が13日発表した。住民の検査で1ミリシーベルト以上の内部被曝が明らかになったのは初めて。
 今回はホールボディーカウンターと呼ばれる機器を使い、体内に取り込まれた放射性セシウムなどによる将来にわたる被曝量を評価した
。放射性物質の量が半分になる期間は、セシウム137では尿や便などに混じって排泄(はいせつ)される分も考えると0~1歳児で9日間、31歳以上で89日。放射性物質は現時点では相当減っていると見られている。
 調査は放射線量が高い地区で暮らしている16歳以上の569人と、原発事故時に市内に在校していた6~15歳の小中学生330人が対象。同病院によると、1.02ミリシーベルトが測定された60代男性は3月12日、水を確保するために山中に滞在していたという。

 さらっと読んで、年間で1ミリシーベルトを超える内部被曝となると、国が定めている1年間の線量限度を超えるので、懸念される事態ではないかと思う人もいるかもしれない。記事のトーンとしては、そういうふうに読まれてもしかたがない。
 実際はどういう事態なのか。同じニュースについて、同日の産経新聞記事「1人が内部被曝1ミリシーベルト超 南相馬市が900人調査「緊急治療必要なし」」(参照)は、こう伝えているので比較してみたい。比較として注目する部分は太字にしてみた。

 福島県南相馬市は、小中学生を含む市民約900人の内部被曝(ひばく)検査で、体内に取り込まれた放射性セシウムによる被曝線量が今後50年間の換算で1ミリシーベルトをわずかに超えた人が1人いたものの、ほとんどの人は0.1ミリシーベルト以下だったとの調査結果を13日、まとめた。
 一般人の1年間の線量限度は1ミリシーベルトで、「50年間で1ミリシーベルト」はこれを大きく下回る。南相馬市は「現時点では日常生活に伴う内部被曝量は少ない」としている。
 福島県民の内部被曝検査は浪江町や飯舘村などで先行実施され、測定した放射線医学総合研究所(千葉市)の公表分では、これまで1ミリシーベルトを超えた人はいない。
 南相馬市の検査を受けたのは、市内で空間放射線量が比較的高い特定避難勧奨地点に住む15~91歳の男女569人と、市内の小中学生330人。東日本大震災後に市外へ避難し、その後戻った住民も含まれる。

 問題となる福島県南相馬市の60代男性は、内部被曝1ミリシーベルトであるが、これは「50年間の換算で」ということである。一般人の1年間の線量限度である1ミリシーベルトを大きく下回る。産経新聞の記事にも強調されているように、ニュースの意味としては、緊急に懸念される内部被曝はなかったということになる。先の朝日新聞記事のトーンとは逆である。
 先の朝日新聞記事は、朝日新聞にありがちなミスリードなのだろうか。単なる勘違いではないと思われるのは、元になると思われる同日の署名記事「住民検査で初の1ミリシーベルト超検出 南相馬の男性」(参照)の追記的な部分についてである。前半は先の記事と同じ。

2011年8月13日20時55分
 福島県南相馬市が住民の内部被曝(ひばく)を調べたところ、60代の男性1人から1ミリシーベルトを超える数値が検出されたことが分かった。市立総合病院が13日発表した。住民の検査で1ミリシーベルト以上の内部被曝が明らかになったのは初めて。
 今回はホールボディーカウンターと呼ばれる機器を使い、体内に取り込まれた放射性セシウムなどによる将来にわたる被曝量を評価した。放射性物質の量が半分になる期間は、セシウム137では尿や便などに混じって排泄(はいせつ)される分も考えると0~1歳児で9日間、31歳以上で89日。放射性物質は現時点では相当減っていると見られている。
 調査は放射線量が高い地区で暮らしている16歳以上の569人と、原発事故時に市内に在校していた6~15歳の小中学生330人が対象。同病院によると、1.02ミリシーベルトが測定された60代男性は3月12日、水を確保するために山中に滞在していたという。

 小中学生の検査では2人から最大0.41ミリシーベルトが検出された以外は全員が測定可能な数値を下回っていた。16歳以上では98%にあたる561人が0.5ミリシーベルト未満だった。
 桜井勝延市長は「1ミリシーベルトを超えた人は事故当日の外出状況の影響が大きい。ほかの人の数値は想像よりかなり少ない量で、安心できるレベルだ」と話した。
 放射線影響研究所顧問の錬石(ねりいし)和男さんは「一般の人が年間に浴びる線量限度(1ミリシーベルト)を少し超えた程度で、身体影響はほとんど問題にならない。がんの発生や染色体の異常が現れる数字ではない」と話している。(木原貴之、鈴木彩子)

 署名記事では、錬石和男・放射線影響研究所顧問のコメントを加えているが、このコメントでは、「一般の人が年間に浴びる線量限度(1ミリシーベルト)を少し超えた程度」とあり、このコメントを加えることで、逆に前半の内部被曝が年間のような印象を与える修辞なってしまっている。
 あるいは、朝日新聞は、「50年間の換算」ということと「1年間」の差違がそもそも理解できていないのであろうか。ちなみに、この誤解はありがちとも言えるもので毎日新聞記事「記者の目:内部被ばくだけの数値明示を=小島正美」(参照)が参考になる。
 朝日新聞がこの程度のことを理解してないのでは困ったものだが、ありえないことでもない。そう思っているうちに、ふと奇妙なことに気がついた。同記事のはてなブックマークに該当記事の自動クリップの痕跡があるのだが、これが現在掲載されている記事と異なるのである。このような痕跡(参照)がある。

印刷 関連トピックス原子力発電所  福島県南相馬市が住民の内部被曝(ひばく)を調べたところ、60代の男性1人から1ミリシーベルトを超える数値が検出されたことが分かった。市立総合病院が13日発表した。ホールボディーカウンターと呼ばれる機器を使い、体内に取り込んだ放射性セシウムによる内部被曝の将来にわたる総量を50年換算(成人)で評価したもの。住民の検査で1ミリシーベルト以上の内部被曝が明らかになったのは初めて。  放射線量が高い地区で暮らしている16歳以上の569人と、原発事故時に市内に在校していた6〜15... > このページを見る
最終更新時間: 2011年08月13日21時43分

 先の記事と比べてほしいのだが、文章構成も先の記事とは異なっている。内容として決定的に異なっているのは、こちらの痕跡には「将来にわたる総量を50年換算(成人)で評価した」という明記が含まれている。
 ここから普通に推理されることは、はてなブックマークに残す痕跡が最初の記事で、その後、現在のバージョンに改訂されたということだ。しかし、現在表面的に残されている記事の時刻スタンプからは、はてなブックマーク痕跡のほうが新しいため、それは明瞭にはいえない。また、もしその推理が正しいなら、朝日新聞記事の時刻スタンプも改訂(改竄と言ってよいだろう)されていることになる。
 この問題が追及できるのはここまでだろうと思っていた。が、同記事がブログなどに引用されたものはないかと試しに調べてみると、阿修羅という掲示板に次の引用(参照)を見つけた。これははてなブックマーク痕跡と同一の文章であると思われる。

住民検査で初の1ミリシーベルト超検出 南相馬の男性 (朝日新聞) 
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/535.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 8 月 14 日 00:36:48: igsppGRN/E9PQ
住民検査で初の1ミリシーベルト超検出 南相馬の男性
http://www.asahi.com/national/update/0813/
TKY201108130355.html
2011年8月13日20時55分 朝日新聞
 福島県南相馬市が住民の内部被曝(ひばく)を調べたところ、60代の男性1人から1ミリシーベルトを超える数値が検出されたことが分かった。市立総合病院が13日発表した。ホールボディーカウンターと呼ばれる機器を使い、体内に取り込んだ放射性セシウムによる内部被曝の将来にわたる総量を50年換算(成人)で評価したもの。住民の検査で1ミリシーベルト以上の内部被曝が明らかになったのは初めて。
 放射線量が高い地区で暮らしている16歳以上の569人と、原発事故時に市内に在校していた6~15歳の小中学生330人が対象。同病院によると、1.02ミリシーベルトが測定された60代男性は3月12日、水を確保するために山中に滞在していたという。
 小中学生の検査では2人から最大0.41ミリシーベルトが検出された以外は全員が測定可能な数値を下回っていた。16歳以上では98%にあたる561人が0.5ミリシーベルト未満だった。

 はてなブックマークの痕跡と付き合わせて見ると、阿修羅という掲示板が朝日新聞記事を改竄している可能性はかなり低そうだ。この記事が原形であったかもしれない。そうであれば、2つの意味を持っている。(1)「50年換算(成人)で評価」という表現が意図的に削除された、(2)「2011年8月13日20時55分」というタイムスタンプは内容の改訂を意味していない。
 これはどういうことなのだろうか。普通に推理できることは、朝日新聞は内部被曝について無知であるというより、「50年換算(成人)で評価」という内容を除去することで、あたかも年間の内部被曝であるかのような印象を与えたかったのでないかということだ。この点については、先の署名記事の錬石和男・放射線影響研究所顧問のコメントの修辞とも調和しており、いっそう疑いを濃くする。
 ただし、タイムスタンプの謎はこれだけでは解けない。同朝日新聞記事をネタにした2チャンネルの掲示板にも引用があるが、そのタイムスタンプはさらに古く(参照)、現在のバージョンが記載されている。

住民検査で初の1ミリシーベルト超検出 南相馬の60代の男性 [08/13]
カテゴリ
1 ゴッドファッカーφ ★ 2011/08/13(土) 20:26:17.27 ID:???0
 福島県南相馬市が住民の内部被曝(ひばく)を調べたところ、60代の男性1人から1ミリシーベルトを 超える数値が検出されたことが分かった。市立総合病院が13日発表した。ホールボディーカウンターと 呼ばれる機器を使い、体内に取り込んだ放射性物質による内部被曝の総量を評価したもの。住民対象の 検査で、1ミリシーベルト以上の内部被曝が明らかになったのは初めて。
 放射線量が高い地区で暮らしている16歳以上の569人と、原発事故時に市内に在校していた6~15歳の 小中学生330人が対象。同病院によると、1.02ミリシーベルトが測定された60代男性は3月12日、 水を確保するために山中に滞在していたという。
 小中学生の検査では2人から最大0.41ミリシーベルトが検出された以外は全員が測定可能な数値を 下回っていた。16歳以上では98%にあたる561人が0.5ミリシーベルト未満だった。
▼asahi.com(朝日新聞社) [2011年8月13日20時15分]
http://www.asahi.com/national/update/0813/
TKY201108130355.html

 この情報も改竄されている可能性がゼロではないが低いと見てよいだろう。すると、該当朝日新聞記事の、私が追跡できる最古のタイムスタンプは「2011年8月13日20時15分」であり、この時点で現バージョンが存在していたことになる。これは阿修羅という掲示板のバージョンで追跡できる時刻より古い。いったん現在バージョンが出て、その後、「50年換算(成人)で評価」のバージョンが出たあと、現在バージョンに戻ったのだろうか。

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2011.08.20

茶会党(ティーパーティー)バッシングという都合のいい物語

 ブッシュ政権時代、米国メディアによる政権への批判は激しいものだった。なぜかそれに便乗してブッシュ政権を叩けばいいとした日本のメディアもあり、滑稽だった。それが昨今では茶会党(ティーパーティー)叩きになっているように見える。こうした、どこかに悪のグループがいて叩けばいいとする短絡な政治観には困惑するし、メディアが図に乗るのは問題である。兆候が見えるうちに指摘してしておいたほうがよいだろう。言うまでもないし言っても無駄かもしれないが、私は茶会党を支持するわけではない。メディアが暴走しているときは市民が批判したほうがいいだろうと思うだけである。
 理不尽な茶会党叩きという点でわかりやすい記事があった。毎日新聞「米保守革命:第1部・ティーパーティーの実像/2 非妥協で政治が機能不全」(参照)である。こう切り出されている。


 米国で広がる草の根保守運動「ティーパーティー(茶会運動)」は、安易に妥協しない強硬姿勢がしばしば批判される。茶会の掲げる「原則論」が対立陣営との摩擦を呼び、政治が機能不全に陥りつつあるのが米中西部のウィスコンシン州だ。

 つまり、茶会党の強硬姿勢が対立陣営との摩擦を引き起こし、政治が機能不全になる、というのが記事の主題である。
 「しばしば批判される」と他人事にようにしているが前後の文脈からすれば、茶会党への批判記事と理解してもよいだろ。
 では、いかなる、茶会党の強硬姿勢が、対立陣営との摩擦を引き起こし、政治が機能不全になったのだろうか。その具体的な事例の事実関係はどうだろうか。見ていこう。

 州東部にある人口4万人の田舎町フォンデュラック。町中心部にあるレクリエーション施設に今月初旬、大型バスが乗りつけた。茶色の車体に描かれた全米地図と、「ティーパーティー・エクスプレス」の金文字が人目を引く。
 エクスプレスは、茶会運動の拡大を支えてきた代表的な団体の一つだ。昨年11月の中間選挙では「小さな政府」を目指す議員らを応援するため、全米をバスが走り回った。ウィスコンシン入りの目的は、リコール(解職)された共和党の州上院議員6人の出直し選挙を応援するためだ。

 ドキュメンタリー風の台詞はどうでもよい修辞である。事実関係を見ると、リコール(解職)された共和党の州上院議員6人の出直し選挙を応援するために茶会党が乗り出したということがまずある。
 「茶会党の強硬姿勢は対立陣営との摩擦を引き起こし、政治が機能不全になる」という主題からすれば、文脈上当然、共和党の州上院議員6人の出直し選挙が政治の機能不全ということになる。だがそのあたりから、もし茶会党=悪の組織とでもいうような短絡的な前提を置かなければ、常識的に考えて奇妙な話に思える。
 実際はどういう背景なのだろうか。

 州財政削減を公約に掲げた知事は昨年、茶会の支持を受けて当選。就任すると、州政府職員削減を視野に公務員の団体交渉権を剥奪する法案を提出した。反発する労組は州都マディソンの議事堂を占拠。民主党上院議員14人は定数不足に持ち込んで採決を阻止しようと隣のイリノイ州に「逃亡」した。
 結局、議会規則上、採決する方法が見つかり、法案は共和党議員の賛成多数で可決、成立した。しかし、与野党対立は収束せず、民主党と労組は共和党議員のリコール運動を繰り広げ、6人が辞職に追い込まれたのだ。

 話の発端は、茶会党支持の知事が公務員の団体交渉権を剥奪する法案を提出したことだ。当然、提出しただけで議会で議論される前のことだ。これに労組が反発して議事堂を占拠し、さらに民主党上院議員14人が「逃亡」し定数不足で採決を阻止しようとした。
 つまり、労組と民主党が議会手順を踏みにじり、議論を封じるという強攻策に出たということである。
 そしてそれが失敗すると今度は、労組と民主党は共和党議員のリコール運動を展開し、6人の共和党議員を辞職させた。リコールは民主主義の手続き上正当な制度であるから、それ自体は強攻策とも言えないが、文脈的には強硬な手段と見てもよいだろう。言うまでもなく、この強攻手段に出たのは、労組と民主党である。
 あれ?
 これはどう見ても、「強硬姿勢は対立陣営との摩擦を引き起こし、政治を機能不全」にしたのは、労組と民主党ではないか。
 毎日新聞記事の主張はまったく逆ではないか。
 なぜ、毎日新聞はこんなヘンテコな記事を出したのだろうか。
 おそらく、「公務員の団体交渉権を剥奪する法案を提出」ということが絶対的な悪といった前提になっているから、それに対して、非民主主義的な強攻策に訴えた労組と民主党は正しいとでもいうのだろう。スターウォーズみたいな発想だろう。そして、そもそもの強硬姿勢は「公務員の団体交渉権を剥奪する法案を提出」だというのだろう。そう仮定しないと理解はできない。
 しかしもし、そういう仮定でのロジックであるなら、「公務員の団体交渉権を剥奪する法案を提出」が間違っているということが、第一に支援される論点でなくてはならない。
 ところが、その論点が記事でどう支援されているかというと、次の一点である。

一方、世論調査によると、公務員の団体交渉権停止については州民の過半数が反対しているという。

 毎日新聞記事による茶会党叩きの根拠は、世論調査なのである。司法上の問題ではない。まして、議会運営の不当でもない。論拠は薄い。
 毎日新聞記事の論点も混乱するほかはない。というか、この部分は詐術に近い。

 今月9日のリコール選挙で共和党は6議席中4議席を維持し、上院(定数33)で過半数を確保した。「いま大事なのは雇用創出であり、共和も民主もない。協力できることから始めたい」。リコールされた後、そう話していたランディー・ホッパー議員(45)は惜敗、雇用創出に取り組む機会は失われた。

 話をすんなり読むなら、労組と民主党の強攻策でリコールされた共和党議員が返り咲いたのは、「ティーパーティー・エクスプレス」大型バスによる茶会党の運動であり、それこそが強攻であり、政治混乱を引き起こし、雇用創出機会も失われたというのだが、この話は、嘘と論点の錯綜である。錯綜というのは、雇用創出はまず当面の問題ではないということだ。
 ではどこが嘘なのか。
 フィナンシャルタイムズ「Obama needs a triple A campaign」(参照)が簡素に事態を伝えているので参照するとわかる。

The state’s GOP governor has assaulted public-sector unions; Democrats and their union allies responded with well-funded attacks on Republicans they saw as beatable. But they won only two out of six seats targeted – contests that the Republicans should have lost for other reasons anyway – and failed to topple the GOP’s state Senate majority. Democrats are not winning this argument.

ウィスコンシン州の共和党知事は公共部門の労働組合を攻撃した。対するに、民主党と労組の同盟は、共和党を打ちのめすことができると見て、潤沢な資金を元に応じた。ところが、民主党が勝ち得たのは、目標としていた6議席のうちの2議席にすぎなかった。しかもこの2議席については別の理由から共和党ですら失うと見られていたものだった。かくして、上院議員共和党多数の転換に失敗した。民主党はこの問題に勝ち得ていない。


 フィナンシャルタイムズが述べているように、真相は、労組と民主党が組織とカネにものを言わせて共和党議員潰しでリコール運動に持ち込んだが、返り討ちにあったというだけの話である。労組と民主党が議会手順を混乱させて政争にしたが、しっぺ返しを食らったということだ。その負け惜しみに、茶会党の宣伝カーなどを持ち出して茶会党を悪に見立てているだけなのである。
 政治の世界はスターウォーズではないのだから、悪を見立てるといった短絡な話にしないほうがよい。

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2011.08.17

馬淵澄夫前国土交通相は閣僚を辞していなければ靖国神社参拝をしなかっただろうか

 ブログを始めて7年目に入るせいもあるが、原爆のことや終戦のことは、読む人があるかどうかはわからないものの、自分としてはあらかた書き尽くした感があり、さらに繰り返すまでもないと思っていたし、実際のところ世間やマスメディアの認識と自分の考えとには大きな相違もあり、関心の持ち方も異なる。特に、と言うべきかはわからないが、単純な誤りではあろう「終戦記念日」と呼ばれる日の、靖国神社参拝についてはさらに関心もない。
 民主党の菅直人首相がこの機に参拝しないのは、自民党政権時の麻生元総理大臣がそうであった理由とさして変わるはずもない。閣僚については、人それぞれの思いもあるだろうが、閣僚としての規律意識のようなものもあるのかもしれない。たまたまNHKのニュースを聞くと、閣僚の参拝もなかったとのことだ。そういうものかとさして気にも留めなかったが、わずかに心にひっかかるものがあった。
 ニュースを確認してみた。「首相と閣僚 靖国神社参拝せず」(参照)より。


 「終戦の日」の15日、菅総理大臣と菅内閣の閣僚は、去年に続いて靖国神社に参拝しませんでした。
 菅総理大臣は、靖国神社参拝について、「A級戦犯が合祀されており、総理大臣や閣僚の公式参拝には問題がある」として、在任中は、参拝しない考えを表明しており、去年に続いて、ことしも参拝を見送りました。また、菅内閣の17人の閣僚も、去年に続いて参拝しませんでした。終戦の日に閣僚が1人も靖国神社に参拝しなかったのは、政府が把握している昭和60年以降では、民主党政権となった去年とことしの2回です。一方、総務省の森田高政務官と浜田和幸政務官、それに文部科学省の笠浩史政務官の3人の政務官は靖国神社に参拝しました。

 政府高官に言及がある以外は、文章で読み直して見ても気がかりなことは何もない。そしてなんとなく民主党国会議員の参拝者もいないのではないかという気もしたが、そんなこともないのではないかとも疑念のようなものが湧いた。朝日新聞「自民の谷垣総裁ら靖国参拝 超党派の国会議員50人も」(参照)を読むと、民主党議員の参拝についての言及はなく、さも自民党員が熱心に参拝しているような印象を受ける。

 超党派でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・古賀誠元自民党幹事長)の所属議員約50人が15日、東京・九段の靖国神社に参拝した。
 同会によると、菅内閣では森田高総務政務官が参加。自民党の谷垣禎一総裁や安倍晋三元首相らは同会とは別に参拝した。

 「超党派」に民主党は含まれなかったのだろうか。NHK「「国会議員の会」が靖国神社参拝」(参照)を読むと、一箇所だけだが民主党の言及がある。

 終戦の日の15日、民主党や自民党など超党派で作る「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の50人余りの議員が靖国神社に参拝しました。
 「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」では、午前11時に会長を務める自民党の古賀元幹事長や、たちあがれ日本の平沼代表らを先頭に、民主党、自民党、たちあがれ日本、国民新党の50人余りが参拝しました。総務省の森田高政務官も参拝しました。「国会議員の会」の事務局長を務める自民党の水落敏栄参議院議員は記者会見し、菅総理大臣と閣僚の中で、15日に参拝する意向を示している人がいないことについて、「残念のひと言に尽きる。どんな政権であろうが、国のために命をささげた方々が祭られている靖国神社に、総理大臣をはじめ閣僚に参拝していただきたい」と述べました。これに先立って参拝した自民党の安倍元総理大臣は、記者団に対し「菅政権の判断なのだろうと思うが、国のために命をかけた方々に敬意を表するのは当然のことだ」と述べました。また15日は、「国会議員の会」とは別に、自民党の谷垣総裁らも靖国神社に参拝しました。

 どうやら、自民党の谷垣総裁は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」には含まれていないが、それに含まれている民主党国会議員はいるようだ。
 誰なのだろうか。FNN「66回目の終戦の日 菅内閣は2010年に続き、2011年も17人すべての閣僚が参拝せず」(参照)を見ると、少し情報がある。

一方、靖国神社には15日午前、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバー53人がそろって参拝し、会長の自民党の古賀元幹事長や民主党の羽田参議院国対委員長、尾辻参議院副議長らが参加した。


しかし、政府からは「国会議員の会」の一員として、国民新党の森田 高総務政務官が参拝したほか、午後には民主党の笠浩文文部科学政務官、さらに浜田和幸総務政務官がそれぞれ参拝した。

 「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の民主党国会議員で、53名に含まれるとして、羽田雄一郎議員と尾辻秀久議員の二人が上がっている。ちなみに「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」を検索してみるとウィキペディアに該当項目があり、次の名前が挙がっていた。

網屋信介、石田勝之、小沢一郎、金子洋一、川内博史、木内孝胤、鈴木克昌、橘秀徳、中津川博郷、長尾敬、萩原仁、羽田孜(第80代内閣総理大臣)、羽田雄一郎、原口一博(第12・13代総務大臣。在任中、参拝せず)、前田武志、松原仁、笠浩史、渡部恒三

 FNNのニュースの締めには、こんな挿話がついていた。

 安倍元首相は「日本のために命をかけた行為に対し、あらためて尊崇の念を表し、哀悼の誠をささげました」と述べた。
 石原東京都知事は「それは『国を救ってくれ』って言ったんだよ」、「堂々とみんな日本人だから、参ったらいいじゃないか」、「(民主党の閣僚は誰も参拝しませんが?)あいつらは日本人じゃないんだよ」と語った。

 石原都知事が言いそうなことでニュース記事というよりは落語のオチのような味わいがあるが、いずれにせよ、民主党閣僚の参拝はなかったということではあるのだろう。
 民主党としては靖国神社参拝をどう考えているのか、民主党の菅首相や自民党麻生元首相のように特段の思い入れといったものはないのかもしれないと思いつつ、産経新聞「靖国ルポ 大震災と先の大戦からの復興なぞらえる 天皇陛下のお言葉がキー」(参照)を読むと、民主党としての問題意識もあるようにも見える。

 さらに、民主党自身も左翼・リベラル色が濃かった菅政権からの脱皮を模索しているようだ。今年は政権交代後初めて、党として靖国神社に戦没者追悼のための「献花」を行った。
 関係者によると、当初は拝殿から本殿に向かう中庭に松原仁衆院議員ら有志が「民主党有志」名で菊などを供えるはずだった。
 ところが、執行部側が「それでは格好が悪い。自民党が党として出しているのにメンツが立たない」と言いだし、最終的に民主党としての献花とした。
 「首相も閣僚も誰も参拝しなかったが、国のために命を落とした人の慰霊に行くのは当然だ。花の代金を出したことで党は自己矛盾に陥ったとも、少しは前進したともいえる」

 記事が事実であれば、松原仁議員ら「民主党有志」が献花をすることだったが、有志ではなく「民主党」として献花ということになったようだ。参拝ではないが献花ならよいということなのだろうか。合掌なら仏教みたいだが黙祷なら無宗教みたいなようなものなのだろうか。
 この記事だが、奇妙な続きがあり、わずかな嘆息に至る。

 松原氏はこう話すが、ただの混乱なのか、党は変わりつつあるのか。15日には政府内からも笠浩史文部科学政務官らが参拝したほか、次期首相候補の一人である馬淵澄夫前国土交通相も13日に参拝しており、一定の変化の兆しはある。

 馬淵澄夫前国土交通相が13日とはいえ参拝していたというのだ。
 小泉元総理を真似たのかもしれないがあのおりはよくマスメディアが騒いでいたものだったが、ようするに日にちを二、三日ずらせば本質が変わるということではないということは言いえるだろう。
 ここでわずかな疑念が私の愚昧な脳髄の中にあって3つの形を取る。(1)産経新聞の記事は本当なのか。(2)馬淵澄夫前国土交通相は閣僚を辞したからよって閣僚ではないから問題にはならないということなのか、(3)他のマスメディアはこの問題をどう報じているか。
 三点目からだが、私の探す範囲では報じていなかったように見える。まるであたかもそんな事実はなかったかのような静謐さである。ということは、一点目の疑念にも関連して、この産経記事はそもそも事実ではないのではないか。元閣僚である馬淵澄夫前国土交通相はこの機に靖国神社参拝などしていなかったのではないか。
 そうであれば、話は非常にシンプルである。
 だが、どうなのだろうか。普通にネットを検索すると「「さんごママ」のケアマネ日記」というブログの「元国土交通大臣 馬淵澄夫氏靖国神社参拝」(参照)というエントリーがひっかかり、こう記されている。

 所で話は変わるが演壇で報告された「靖国会事務局」の方が昨日13日9時15分に民主党の元国土交通大臣 馬淵澄夫氏を靖国神社境内で見かけたそうだ。
 「何しに来た!」と思い一部始終を見ているとお付きの者2名と古式ゆかしい作法で境内を進み昇殿参拝なさったそうです。
 その事は報じられませんね。
 リーゼントが目立ったそうです。

 印象としてだが事実であるように思える。「靖国会事務局」の方の裏を取れば事実であるかは判明するだろうが、そこまでブロガーとしてすべきことのようにも思えない。
 事実であるなら、それをマスメディアが知らないわけもなく、そうであるなら産経新聞記事の言及は正しく、そして産経新聞だけが報じたということになる。
 事実であると仮定してみてもよいだろう。
 問題は先の2点目に絞られる。馬淵澄夫前国土交通相は閣僚を辞したからよって閣僚ではないから問題にはならないということなのか。
 原口一博議員も、ウィキペディアの記載によるのだが、閣僚時には参拝はしていないとあるので、民主党でよくあることなのかもしれないが、私の記憶では、原口議員は閣僚になって郵政問題と同様ににころっと立場を変える人なので、あまり比較にはならない。
 馬淵澄夫前国土交通相となると、三つの疑問が生じざるをえない。(1)もし閣僚であったならこの機の靖国神社参拝はどうしたのだろうか、(2)彼は首相候補に名乗りを出ていることと、この機の靖国神社参拝はどういう関係があるのだろうか。(3)首相になったら参拝はしないのか。
 そもそも、こうした疑問がなぜマスメディアに湧かないのだろうか。
 私の疑念はむしろそこに滞る。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に含まれている小沢一郎議員と馬淵澄夫前国土交通相の関係についてはさほど考えも及ばない。
 靖国参拝問題となれば、ことさらにざわつくツイッターなどネットの世界ですら、この疑問が伏されているかのように静寂だ。ネタを拾う先のマスメディアの沈黙と関係はないのだろうか。

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2011.08.11

ロンドン暴動について

 ロンドン暴動について、映像としてはショッキングなものなのでニュースにしやすいし、議論としては背景に社会格差や民族差別があると言うとさもそれらしく聞こえる。そこで思考停止になりかねないが、映像を見ているとただの無法な略奪にしか見えないし、もっともらしい議論は特段に英国なりロンドンを特定してはいない。
 事件の発端は、ロンドン北部トットナムで4日、銃器犯罪の捜査中、警官が犯罪に関わると見られる黒人男性に発砲し射殺した事件だった。警官も1人負傷した。麻薬取引も関連していたらしい。そう聞けば、よくある事件にも思えるのだが、その後、この事件を人種偏見と見て抗議する集会もあった。それも特段に珍しいことでもない。そして?
 今朝の朝日新聞社説「英国の騒乱―なぜ暴力が横行したか」(参照)は、「騒乱のきっかけは、ロンドンで銃器犯罪を捜査中の警官による黒人男性への発砲事件だ。これを人種偏見と抗議する集会から暴動に発展した」とさらりと書いている。だが、その集会から暴動に発展した理由は不明である。事件がきっかけではあるかもしれないが、発展というなら、その暴動に抗議の主張が含まれているだろう。だが、それはない。
 朝日新聞も実際のこと、暴動を説明する理路がないために背景を浮かび上がらせようともしたようだが、それも無理があると認めている。


 逮捕者は700人を超えた。ツイッターやフェイスブックで暴動への参加を呼びかけた少年がいた。覆面姿で略奪に及んだ犯罪者もいた。真相解明を急いで欲しいが、移民や人種、貧困といった特定の要因が原因だとは言い切りにくい。

 今回のロンドン暴動は、「移民や人種、貧困といった特定の要因が原因だとは言い切りにくい」というのは、表面的にはそうであろう。
 かくして、朝日新聞は話を散漫にする。

 浮かび上がってくるのは、社会の恩恵を感じることがなく、やり場のない不満や怒りを心にたぎらせる若者の存在だ。

 修辞である。「社会の恩恵」の有無といった社会学的な対象をするりと、「社会の恩恵を感じること」という曖昧な主観に置き換えている。若者の心に同情して見せるのだが、結局は朝日新聞の主観でしかない。
 同社説には含まれていないが、今回の暴動ではブラックベリーといったスマートフォンによる匿名の暴徒集結が重要な機能をしていた。若者の憤懣と最新の通信機器による活動という点から見ると、いわゆる「アラブの春」と酷似しており、そうしてみると逆に、「アラブの春」と呼ばれていた現象も暴徒が本質ではなかったかとも思えてくる。
 どういうことなのか。いわゆるリベラルな論調に押し込みたいという欲望が先行すると、英国社会の格差解消や差別解消が十分ではないのだという枠組みで語りたくなるということなのだろう。
 ところが、今回の暴徒たちがスマートフォンを駆使できたように、食うに困る貧困ではない。職がないというのは大きな問題ではあるが、職の配分を均質にするには、基本的に異文化を社会に融合することが前提になる(同化せよというのではない)。
 それがうまくいってはいない。かくして、そもそもそれが必要となる社会に舵を切った英国ならではの問題でもあるとようやく言える。
 逆説的なのだが、オスロ事件の容疑者が賛美したように、日本のように異文化を社会に融合するニーズをそもそも少なくしている国家では、問題化しづらい。
 それでも異文化の協調を求め、若者に職を与える社会にすべきだというのは理念としては正論ではある。が、問題が深刻化する現実も他方には存在するだろう。そうした緊張がときに破局をもたらすという点では、2005年のパリ郊外暴動に類似した事件であると言える。
 日本での受け止め方と現地の報道での差違が際立つ事件でもあった。ロンドン暴動で、BBCの報道などから明白にわかることなのに、日本には伝達されてないのではないのかと思えることがあった。それは、被害の人々や、ロンドンの市民が口にしているのは、暴徒への怒りや同情ではなく、警察への不満という点である。
 つまり、今回の事件の直接的な誘因は、警察が機能しなかったということであり、現下、暴動が抑え込みになっているのも、警察力という暴力が強化されていることだ。
 そうして見るなら、警察という暴力をどのように統制するのかということが、今回の課題となってくることがわかる。フィナンシャルタイムズ社説などを読むと、まさにそこに論点は絞り込まれていた。

A firm response by the police is vital to stamp out the violence that has spread from London to other English cities. It is for the government and the Metropolitan Police to determine the precise rules of engagement. Non-lethal tools such as tear gas and water cannon should be considered rather than plastic bullets, which have an unhappy history in Northern Ireland. Above all, it is vital that steps are credible. A curfew would be impossible to enforce in a city the size of London.

ロンドンから他のイギリス都市に広がった暴力を根絶するためには、警察による手堅い対応が重要になる。それは、政府と警視庁が明確な対応規則を決定することである。北アイルランドにおいて不幸な歴史を持つプラスチック弾よりも、催涙ガスと放水銃など、致死的ではない手段が考慮されるべきである。何にもまして、手順を踏むことが重要である。夜間外出禁止令は、ロンドン規模の都市で実施することは不可能であろう。


 国家が暴力装置であるということは、このように各種の暴力を収納する権能を政府が担えることと、その行使する暴力が正統であることによる。
 フィナンシャルタイムズは英国に拠点を置く当事者だから厳しく見ているというというのもあるのかもしれないが、日本報道や日本での受け止め方には、かなりの差が感じられる。

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2011.08.03

BLOGOSへの転載をやめた理由について

 たまにBLOOGSさんからエントリーの転載を求められることがあって、次の新エントリーが上がった時点で「該当エントリーの転載、OKですよ」ということにしていた。だだ漏れ的に転載するのもなんなので、転載時にはエントリの新旧差を付けていた。
 転載を求められるエントリーはBLOGOS編集部から評価を頂いたものだと思うし、どういう基準で評価されるかはわからないでもなかった。
 そのうち、これは転載しないほうがいいなと思うエントリは、転載に不向きなような下品なギャグをわざと撒いておいたりもした。極東ブログというブログをそれなりに読んできた人や、それなりに読む価値があると思っていただける人でないとわからないエントリというのもあり、転載に向かない内容もある。その場合には自分なりの配慮をしていたつもりでもあった。口調が下品であることと内容の深みには関係ないが、広く公開される文章というのは逆の関係にあり、内容の深みがなくても口調がそれっぽいと多く支持されるものである。別の言い方をすれば、発表媒体がわかって合意しているなら、それっぽい文体に直して書くことはさほど難しいことでもない。
 その点で、「中国の高速鉄道事故についてあまり気の向かない言及: 極東ブログ」(参照)は、まあ、このブログをそれなりに読まれたことのあるかたにしてみると、レトリックだけ見れば、またやってらの類で、広く公開されるエントリーというタイプの趣向ではない。そこがわかればレトリックに拘泥もしないでしょ。
 はてなブックマークのコメントにryokusaiさんというかたが、「翁が韜晦しておきながらわかつてくれないと愚痴るのはいつものこと。韜晦した以上わからない奴が続出するのは当然だらうと私がブコメするのもいつものこと。」(参照)と書かれていたが、愚痴っているとか見るのは穿ちすぎだが、ああまたかの部類でしかないのはたしか。
 そうは言っても、BLOGOSのコメントのlparさんというかたが「すごい記事だな、新聞記事を並べただけで自説があるわけでもなく、理解できないって自分の馬鹿さをカミングアウトしてるだけ・・・」(参照)というのもしかたがないかとは思う。あー、馬鹿さをカミングアウトは毎度のことだけどね。
 同様、はてなブックマークコメントのA_Kamoさんの「なぜ人は自分の文章を読む人が、自分と同じ知識を持っていると期待してしまうのだろうか」(参照)だけど、いやいやそんな一般論じゃないっす。考えすぎ。
 まあ、うかつに転載許可を出しちゃった自分が、まさにうかつでしたねというのもあるけど、BLOGOSさんも炎上マーケティングネタだったのかなという疑念はちらとあった。が、そうではないというお答えもいただいた。素直に受け取っておきました。
 誤解なきように強調しておくと、BLOGOSの編集・運営にはなんら不満はありません。ついでに強調しておくと、BLOGOSに転載したからといって、なにか見返りということはありませんでしたよ。BLOGOS経由のPV(閲覧数)が増えるということはあるけど、このブログの場合、それほど大きな比率ではもない。大きな比率といえば、たまにYahoo!からリンクがあって、それはぐわんと来る。さほど見向きもされなかった過去エントリーにどかんとアクセスがあると感慨もある。よく過去エントリ見つけたね、というか。
 で、この件だが、潮時かなというのもある。このところ、ネット言論の劣化という大喜利があるが、劣化うんぬんというより、今回の事例でも思うのだが、書かれている内容への批判ではなく、書いている人への短絡的な罵倒が多い。率直なところ、私への罵倒だけという内容のコメントも増えてきた。さすがにこれは、公開したら訴訟するのが筋だろうみたなものは非表示にしたが、そろそろあれだなあ、エントリ内容への批判ではなく、私に対する罵倒や揶揄というコメントは、それだけで非表示にするかなと思うようにもなった。
 そうした矢先でもあり、転載先のコメント欄に、私に対する罵倒が並ぶのも、自分のうかつさはあるとして、もうなんか嫌だなと思うようになった。というわけで、罵倒OK牧場の転載はなしとし、またこのブログでも、私に向けた罵倒・揶揄というコメントは承認しないことにします。もちろん内容への批判は多いに受けます。誤解・誤訳の指摘はいただけるとありがたい。
 
 ちょっとおまけ。
 前回のdenden-cafeさん(参照)。


中国は日本からきちんと学んでいる」→国有鉄道の解体は日本から学んだけど、安全設計は学ばなかったって言いたいのかな。やっぱり何が言いたいのかさっぱりだ。このブログを読むには私の知性が足りないんだろう。 2011/08/02

 主語を補うとわかりますよ。「国有鉄道の解体は日本から学んだ」の主語と、「安全設計は学ばなかった」の主語ですね。知性の問題ではないですよ、ご心配なく。
 manga_kojiさんのツート(参照)。

中共が大きくなりすぎた鉄道利権を解体するイイチャンスだと思ってるだろう。とは思ってたよ。借金は方便でしかないでしょ。国鉄と同じで。資本主義では借金こそが財産だから。何で気が重いのかわからない。 / 中国の高速鉄道事故についてさらに気の向か… http://htn.to/V8Jvq

 簡単に「信用の問題」と返信しておいたけど、「資本主義では借金こそが財産」になるのは、信用がある場合。この程度の事態で、中国という信用は揺るがないというのは究極的にはそう。最悪、国家所有の土地を租界で売っぱらうとかいうのは冗談だけど国家にはその手の芸当ができる。それでいいじゃないかというのが、鉄道部。そうじゃなくて、その借金を特定の権力集団に集中させるのではなく、分割して国民の信頼に変更しようというのが今回の北京政府側の遠謀。これ、つまりかつての日本の基本政策と同じ。中国としては、あるべき共産主義を過去の日本に見ているというのが、21世纪网にCaves&Christensenの「The relative efficiency of public and private firms in a competitive environment:The case of canadian railroads」が引かれている理由。
 関連して、zi1chさんのツイート(参照)。

今回の方が何言いたいか分かりづらい気が…まぁ引用が多くて字面が長い、というのが読んでる側にとっては…ねw 要は中国は寄せ集めた鉄道一式を途上国に売りつけたい、のですかね?>中国の高速鉄道事故についてさらに気の向かない言及: 極東ブログ http://ow.ly/5TilG

 すでに返信しておいたけど、北京政府は債務という形であれ、より公平な中国国民が責任を持てる資産の形にしたいのですよ。まあ、それを郵貯みたいなもので吸い上げたらもう完璧かもしれないけど。
 もひとつおまけ。MFさんというかたのコメント。

 中国の鉄道省が上海(江沢民)派の巣窟で、今回の事故を奇禍として北京(共青団)派の胡錦濤等が上海派潰しの権力闘争を仕掛けているなんてことは、チャイナ・ウォッチャーにとっては常識的な見方に過ぎず、なぜ論点ぼかしをする必要があるのか分かりません。
http://melma.com/backnumber_45206_5245350/

 宮崎正弘さんがソースで比較されてもなあとは思うけど、「今回の事故を奇禍として北京(共青団)派の胡錦濤等が上海派潰しの権力闘争を仕掛けている」は全体構図のなかではポイントではないのですよ。なので、そう思われると論点がぼけてしまうのはしかたないでしょう。
 高速鉄道問題は、利権がからみ、言論が歪んでいるのは、かつての原発と似たような構造があって、なかなか発言しづらい。
 繰り返すけど、21世纪网にCaves&Christensenの「The relative efficiency of public and private firms in a competitive environment:The case of canadian railroads」が出てくるあたり、中国さらに大きく変わる可能性を秘めているんだなと、びっくりしていいとは思う。
 
 

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2011.08.02

中国の高速鉄道事故についてさらに気の向かない言及

 中国の高速鉄道事故について言及するのは、あまり気が乗らなかったが、実際に言及してみると予想通りの声援をいただいて、ぐんにょりした。
 「これはひどい」タグで有名な、はてなブックーマークだとこんな感じ。


denden-cafe 中国, 極東ブログ
この人の文章はいつも読みにくい。これを一読で理解できる人はエライ!訳文も地の文も全部読みにくい。読んでてイライラする。あと、「最高速度を30マイル/時に減速したからだった」は恥ずべき誤訳。 2011/07/31 ★(szow)★(szow)★(Desperado)
rhatter
気が向かないなら言及しなきゃいいじゃない。 2011/07/31 ★(dogen)★(nagaichi)
mangakoji
一般市民が利用できないですか。400円じゃなかったっけ? 2011/07/3110

 BLOGOSにも転載したらこんな感じ(参照)。

結局何が言いたいのか、さっぱりわからない。論点がずれていると書きながら、どこがずれているのかという自分の意見もなし。某巨大掲示板より酷い内容。
abendwolf1時間前
「ワロタ」5時間前
「ヒドイ」5時間前
「ヒドイ」6時間前
欧米は人口密度が低いので鉄道網は不要なのだろう。アメリカも渋滞が起きるのは大都市とそのアクセスだけで、そこから外れれば走っているのは見渡す限り自分1台なんていう移動状況なら鉄道経営が成り立つわけがない。
hanami87156時間前
すごい記事だな、新聞記事を並べただけで自説があるわけでもなく、理解できないって自分の馬鹿さをカミングアウトしてるだけ・・・
lpar6時間前
「ヒドイ」7時間前
「フーン」10時間前
「汚職がなんで事故に結びつくのか議論がよくわからないが」> 流れた金の分が要所でケチられるというのはよくある話。「民度が上がると安全性も向上すると言いたいのだろうか。よくわからない。」> 上がる可能性は十分にありますね。作ったのも運転しているのも人なんだから。新聞記事にケチをつけたいだけの空っぽ記事。
sijour10時間前
「フーン」11時間前
「ヒドイ」11時間前
「ヒドイ」12時間前
「フーン」13時間前
なんだこれ?
goo_goo_zzz13時間前
「ワロタ」14時間前
「スゴイ」16時間前
「ワロタ」18時間前
「ワロタ」18時間前
「ヒドイ」18時間前
「ワロタ」19時間前
「スゴイ」20時間前
「ヒドイ」20時間前
「フーン」20時間前
「ヒドイ」20時間前
「ワロタ」20時間前
「ワロタ」20時間前
この人って一般人?
matuyama5121時間前
「ワロタ」21時間前
分からないなら勉強してから記事を書いて欲しいですね。
sweetie100422時間前
「フーン」22時間前
何が言いたい? 含意がありすぎて微妙? それはアンタの訳がおかしいだけだろ。 instead of an accident waiting to happen. は<事故が発生するのを待たないで> つまりこういうことだ。 当然より良きものを知っている西側の人間が、事故発生を待たず、なんでシナの高速鉄道に着目し、それを合衆国のモデルだと考えたのか? と自嘲気味に問うているわけだ。 こんな糞技術、使い物にならんだろ! 誰だ、こんなものを導入しようとしたヤツは! という怒りが言外にある。 アメリカさんは分かりやすいわ。
golgochan1323時間前

 すごいね。
 ちょっと論点をぼかして書いたらこういうことになるんで、もうちょっと明確に書いたらどんなことになるのだろうかと、もうもうちょっと思った。ぐんにょり。
 さて、どうするかな。さらに気が向かない言及でもしてみますか。
 というのも、どうも、中国人なら常識レベルでわかることが、日本のニュースなど見るかぎり、誰も指摘しているふうもないようなので。
 まず前回のエントリだが、どこをぼかしたかというと、ワシントンポスト紙の前回の主張の部分をリンクに留めた点だった。たぶん、リンクをクリックして全体構図を読もうなんていう人はいないだろうなと。
 実は一番重要な点は、そのリンク先、2月16日のワシントンポスト社説「A lost cause: The high-speed rail race」(参照)の以下の部分なのである。

Chinese Academy of Sciences asked the government to reconsider its high-speed rail plans because of the system's huge debts.

昨年、中国科学院は中国政府に対して、高速鉄道建設案の再考を促したが、その理由は、巨額の債務を産むからであった。


 中国政府と中国科学院の関係は存外に難しい。いちおう中国科学院は行政に対する第三者機関であるというタテマエではあるだろうが、おそらく、特定の派にとって有利な政治的な提言として機能している。ということは、中国国内に、「高速鉄道建設案の再考を促」す勢力が存在しているのである。
 ここが、一番のキー。答えを先に言うと、そいつらは共青団、胡錦濤政権。ただ、他の勢力も利権の分散に預かる部分はあるのでグレーっぽい面はある。
 さらに何が問題なのかということを、これも結論から言うと、中国の高速鉄道事故で最大の問題は、技術力でも汚職でもなんでもなく、この高速鉄道事業を、事故をダシにして、体よく正義にかこつけて停止させること。
 さらに言うと、停止というのは、単に菅さんが原発を停止します、という軽薄なものではなく、高速鉄道を含めて現行の鉄道事業の権力集団を解体することにある。
 これでもわからない人が出て来そうだからもっと露骨に言うと、高速鉄道事故を推進している鉄道省を解体させることにある。
 なぜか。
 鉄道省が汚職の巣窟だからではない。この点は前回のエントリでも書いたけど、そもそも高速鉄道事業が利権のネタでしかないからだ。
 もっと重要なことは、ワシントンポストにある中国科学院が、なぜ、高速鉄道建設案の再考を促したかというキーの部分だ。
 なぜか。
 明確にワシントンポストに書いてあるが、「巨額の債務を産む」からだ。
 つまり、すでに中国の高速鉄道というのは、予想される「巨額の債務」をどうするかという問題なのである。
 さらにわからない人がいるかもしれないので、バナナのたたき売りみたいに簡単に言うと、日本の国鉄みたいに売り払ってしまえ、ということなのだ。
 現状の、中国の高速鉄道事故は、そうした政治的なフレームのなかで最適になるように、各勢力が毎度の中国活劇風に、奮闘している図なのである。
 妄想のように思われてもなんだから、もう少し補足しておく。
 矛先が鉄道省というのは、日本のメディアでも読めてきているし、東京新聞記事ではその利権の背景も記している。「「独立王国」高まる批判 鉄道省改革 避けられず」(参照)より。

 【北京=渡部圭】中国の高速鉄道事故で、温家宝首相は原因究明と調査過程の公開を約束したが、鉄道省や政府に対する国民の批判は依然根強い。政府は責任者の処分を迫られると同時に、これまで何度も失敗した鉄道省の改革がどこまで進むかが注目される。
 インターネット上では二十九日、温首相の発言を評価する一方、「高速鉄道は鉄道省だけでなく政府が認めた計画。誰が責任を取るのか」といった批判的な意見が噴出。上海鉄道局長ら三人の更迭だけでは国民の怒りは収まりそうにない。
 高速鉄道建設の巨額投資に伴い、鉄道省の権益は拡大した。同省は行政と企業が同一組織に存在する「政企合一」が特徴。計画も車両もシステムも自分たちで作り、強い独自性と権限から「独立王国」と言われる。一九八〇年代から何度も改革が試みられたが、独立は守られたままだ。
 今年二月、劉志軍・前鉄道相ら幹部が汚職容疑で更迭されたところに今回の事故が起き、国民の批判に拍車をかけた。行政と企業部分を切り離し、航空・道路行政と一体化した「大交通省」をつくる構想があり、政府関係者は「今回こそ改革は避けられない」と話すが、鉄道省側の激しい抵抗も予想される。

 老婆心的に言えば、くどいが、高速鉄道の問題は、技術の問題でもなければ、中国のあちこちで普通に発生する悪代官風汚職とかいう問題では全然ない。
 中国科学院が指摘するように、「巨額の債務を産む」だけのネタのお尻にもう火が付いて、中国政府が火消しの権力闘争に繰り出しているという図なのである。
 この事故で資金調達が健在化してボウボウと火が付いてもいる。WSJ「中国鉄道省の資金調達に支障も―高速鉄道事故が追い打ち」(参照)がわかりやすい。東京新聞と同じく、鉄道省と経済面の背景はこう。

死者40人、負傷者191人を出した7月23日の高速鉄道追突事故は、一般国民の怒りを買った。管轄の鉄道省は財務省以外では唯一国債発行を認められている政府機関で、政府内部でも投資家に対しても強大な力を持っていたが、今後は同省の影響力が弱まる公算が大きい。事故を受けて、既存債務を返済し、高速鉄道網建設に必要な追加資金の調達能力に関する疑問が浮上しているほか、一部では鉄道省の再編ないし解体を求める向きもある。

 くどいけど、正確にいえば、この事故をダシにして、胡錦濤政権側は、鉄道省解体を狙っている。
 ケツに火のついている状況に戻る。

 スタンダード・チャータード銀行のエコノミスト、スティーブン・グリーン氏は調査リポートで、「今回の事故で、鉄道省の運営慣行が注目を集めただけに、同省が債券市場に戻れるのはしばらく先かもしれない」と指摘。「資金繰りに困難が生じ、必然的に利払いが圧迫されるだろう」と語った。
 同氏は、鉄道省の鉄道運行によって、債務利子返済に十分なフリーキャッシュフロー(純現金収支、余剰資金)が得られるかどうか疑問だとしている。同氏や他のアナリストは、財務省がある時点で資本注入のため介入せざるを得ない公算が大きいと予想している。

 というか、そもそも、高速鉄道事業には、「資本注入のため介入せざるを得ない」ご事情があり、この機会に露見したということ。

 中央政府にとっては、鉄道省の苦境は、経済浮揚計画に伴う債務をめぐる懸念をさらに大きくするものだ。地方政府によって創設された特別借入機関もまた、膨大な債務にあえいでいる。その額は中国の審計署(会計検査院に相当)によれば、昨年は約1兆6500億ドルと、国内総生産(GDP)(GDP)の27%に達した。民間部門の推定は、これをさらに上回っている。

 この問題はさらに巨大なのでさすがにここでは触れない。鉄道省の実態に戻る。

 北京交通大学のツァオ・チェン教授(経済学)は、究極的には鉄道省は再編の必要があり、鉄道網の商業部分を政府管理から分離すべきだと説いている。
 中国では、鉄道事故以前からでさえ、高速鉄道網は汚職や一般市民の手の届かない高額の乗車料金などを批判されてきた。
 同教授は「高速鉄道を建設しても十分なキャッシュフローは得られない。キャッシュフローは乗客の数から来る」と指摘。「通常の鉄道を建設すべきだったが、市場の需要に呼応しない高速鉄道網を建設してしまった」と述べた。

 当初から採算性は無理だった。そして、「鉄道網の商業部分を政府管理から分離」とは、日本の国鉄のような売却を意味している。
 つまるところ、鉄道省の資産を売却して経営を分割すれば、そもそも高速鉄道なんか作れなくなる。いや、そこは中国だから、メンツは守るみたいなものは作るだろうけど。

 鉄道省の債務は近年、大きく膨らんだ。今年第1四半期末現在、同省の債務は1兆9800億人民元(約3070億ドル、約24兆円)で、中国のGDPの約5%相当と、2007年の約2%を大きく上回っている。
 事故前の7月14日付の鉄道債発行のための目論見書によれば、鉄道省は第1四半期の営業コストが営業収入を38億人民元上回ったと述べており、債務負担がさらに拡大した場合、利払い返済資金を確保するのに四苦八苦するとの見通しが強まった。
 グリーン氏は「営業収入の増加ペースが営業コストのそれを大幅に上回る兆候は全くない。実際にはその逆が真の姿になるかもしれない兆候がある」と述べた。

 鉄道省の債務と中央政府の関係は、こうなっている。

 鉄道債は中国政府の資金的な裏付けのあるソブリン債だ。それだけに、鉄道省が発行債券についてデフォルト(債務不履行)に陥るとの懸念はないが、地合いは発行元の鉄道省にとって逆風になっている。
 鉄道省と取引関係のある証券会社の上海駐在アナリストは、鉄道省は今年末までに1400億-1600億人民元の債券を発行し、昨年実績の2倍以上になると予想していた。しかし現在は、鉄道債への需要が弱まっているため発行規模は削減されるとみているという。鉄道省は今年これまでに既に1050億人民元の債券を発行済みで、昨年全体の1155億人民元を上回っている。

 中国政府としては国の建前上、対外的にも、鉄道省が発行債券についてデフォルト(債務不履行)にさせるわけにはいかない。かといって、鉄道省を温存させるわけにもいかないし、カネの問題はどっかでケツを拭かなくてはならない。
 中国国内の識者の世論でも全体方向性の準備を開始している様子は、21世纪网「改掉铁道部」(参照)などでも伺われる。訳はエキサイトを借りた。
 債務問題を明示している。

一旦铁路大建设期完成,必然形成两个局面:一个是大铁路网的完善,一个是债务问题的浮现。前者相当于形成了一个完整结构的路网资产,可以进行有序划分;后者则是改革前的消化,铁道部总负债现在是1.89万亿,几年之后数字会更庞大,利润却很微薄,可能最终需要进行财政的负担消化,从而完成“类银行改革”式的过程。

いったん鉄道の大きい建設期限は完成したら、必然的に2つの局面を形成します:ひとつは大きい鉄道網の完備で、ひとつは債務の問題の浮かぶことです。前者は1つの完備している構造の道路網の資産を形成したのに相当して、秩序がある区別を行うことができます;後者は改革の前の消化で、鉄道部の総括的な借金は今1.89兆で、数年(以)後に数字ができるのは更に巨大で、利潤はとてもわずかで、恐らく最後に財政を行わなければならない負担の消化、それによって“種類銀行の改革”の式の過程を完成します。


 その解決の方向性もちゃんと示している。

自从经济学家Caves和Christensen在JPE发表经典论文《The relative efficiency of public and private firms in a competitive environment:The case of canadian railroads》以来,英美式私有化下的网运分离改革有了对抗性的理由,而日本的成功改革证明了论文所言的“所有权和生产效率是无关的,可以将路网资源划分给不同的客运货运公司,让其先在管辖的区域内优化,然后鼓励跨界竞争(包括渗透到对方公司区域建设新路网),同样达到好的效果”。

経済学者CavesとChristensenからJPE発表のすばらしい論文で《The relative efficiency of public and private firms in a competitive environment:The case of canadian railroads》になるから、英のアメリカンの私有化のおりるネットが分離の改革を運んで対立性の理由があって、日本のみごとには証明の論文の“の所有権の生産効率がなことと関係がないを改革して言った、道路網の資源を異なる旅客輸送貨物輸送会社に区別することができて、初めは管轄の地区の内で合理化することを譲って、それから界の競争(相手会社の地区にしみ込んで新しい道路網を建設することを含む)にまたがることを励まして、同様に良い効果を達成します”。


 自動翻訳なので日本語として読みづらいが、ようするに中国政府は、日本の国鉄売却をきちんと学んでますよということだ。
 そう、中国は日本からきちんと学んでいるということなのだ。

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2011.08.01

オスロ事件の印象

 もうさほどニュースにも上らなくなったオスロ事件だが、あれはなんだったのだろうか。亡くなられた方を哀悼したい。
 私が当初連想したのは三菱重工爆破事件とテルアビブ空港乱射事件だった。菅首相の世代の日本人が引き起こした事件と言ってよいのではないか。日本人もやりそうな事件だなとまず思った。
 英米圏はどう受け止めているのだろうか。渦中、いくつかニュースにあたってみると、彼らはオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件を連想しているようだった。ティモシー・マクベイがよく引き合いに出されていた。なるほど、類似点はある。
 その後、容疑者がインターネットにアップロードしたとされる1500ページもの文書にユナボマーの引用があるというのも話題になあり、その線の話や、また「ターナー日記(The Turner Diaries)」を引いた論評なども見かけた。なんとか、この事件を物語り的に理解したいということなのだろう。
 日本ではというと、移民排斥の右派思想が暴走したというストーリーが好まれていた。容疑者が会いたい人物として、麻生太郎を上げていたので、これ幸いと右派的な傾向と結びつけている短絡な反応もツイッターなどでよく見かけた。
 容疑者が一番会いたい人物が教皇で、自身もテンプル騎士団になぞられているのだから、まずキリスト教の文脈でもありそうなものだが、人はそれぞれ自分の正義に都合のいい勝手な物語を事件に投げかけていた。不安で思想的に誰かを攻撃したいという心情があるのかもしれないが、それこそがこの事件と相似の印象を与えてもいた。
 そしておそらく、それがこの事件の副作用的な本質なのかもしれないが、そうした物語の読みはたいがい、ハズれている。
 この事件はなんなのか。
 ネットを探ると該当の1500ページの文書は容易く入手できた。ワードで書いたものがPDF化されていた。パラパラと読むだけでわかるが、端的に言うと、コピペ集だった。
 容疑者自身の文章もあるにはあるが、危険思想といったほどの思想的な趣はない。一種の文明史観の亜流のような印象があり、日本でいうと、意外と「ネオリベ」をキーワードに批判している一群の評論のような、反グローバルな思想に近い。
 他、想像の逸脱は諸処にあるものの、神秘主義やオカルトが強く漂うということはないようだった。もっとも、同じく公開されたユーチューブの映像のほうは、寄せ集めた映像のせいか、かなり馬鹿馬鹿しさが漂っている。
 該当文書で多数引用されているのは、Fjordmanというブロガーによる議論である。ブロガーといっても、この人はそれなりに体系的な思索をする人で、日本で言ったら西尾幹二に近い印象を持った。事件後だが、Fjordman自身もこれには迷惑を覚えたようで、自分はこの血なまぐさい事件には関係ないですよといった声明を出していた。
 容疑者の右派思想とされている根にあるものは、多分にこのFjordmanの思想なのだが、大手のメディアでもブログなどでも、それを論じ分ける人は見かけなかったように思う。それも不思議といえば不思議な印象を受けた。みなさん、現物を読まなかったのだろうか。
 つまらない文章だなと思いつつ、私はパラパラと捲っていた。が、さすがにこれは奇っ怪だなと思ったのは、今回利用した爆弾を製造していく日記の部分である。そこには、計画的に、緻密に、素材を集めて、実験して作成していく勤勉な人のようすがあった。これもどことなく業務日誌といった風情に近い。作っているものは市民社会を爆破するとんでもないものなのだが、文章に狂気が漂うというふうでもない。
 巻末近くは、面白いというのもなんだが、想定問答集が載っている。容疑者にインタビューしているといった趣向で、先の麻生太郎の名前もそこにあるのだが、これを読めば、まあ、ご当人有名人物気取りでいる心情がわかって、痛い。
 メディアに流布されている写真も、この文書の巻末に写真集としてまとめられていたもので、それを見ても、普通に立派になったボクちゃん幻想が滲んでいる。

 本人談では、数世紀にわたるイスラム教徒によるヨーロッパへの植民地化を終わらせるための革命を準備した先制攻撃だというのだが、一歩一歩念入りに作り上げちゃった幻想なのではないのか。
 なんというのか、地味に着実にポジティブに事業計画を遂行していくことで、せっせと自己幻想がきちんと成長していって、どっかで引き返せなくなっていったのではないかという印象が私にはある。方向性が違っていたら、鳥かなんかを神風特攻隊に模したスマートフォン向けゲーム会社でも作って成功していたかもしれない、といったような。
 BBCには容疑者の学生時代の知人の談話があった(参照)。学生時代の友人は、容疑者の写真を見てご当人だと認めつつも、そんなやつではなかったんだがなあという話になっている。
 重大な犯罪者の過去を探ってもなにもないという類型の一つのようだが、その話を聞きつつ、描かれる青年の凡庸さが、むしろ、あの文書の凡庸さと釣り合っている。
 学生時代の思い出で容疑者で多少変わった点といえば、ウエイトリフティングへの固着があったことだ。そのあたりも、今回の爆弾作りと似ている印象はぬぐえない。他にも「コールオブデューティ、モダン・ウォーフェア2(Call of Duty: Modern Warfare 2)」 といったゲームが好きだと漏らしていたようだし、そのあたり、うへえ気持ちわるいなコイツ、といった像も描けないわけでもない。でも、そんなやつは世界にごろごろしている。
 容疑者の個人史などもいろいろ研究もされるのだろうが、なんとなくの印象だが、大事件を説明する、詰めの決定的な要素というのは出てこないのではないか。
 「継続は力なり」、赤尾の豆単に載っていた言葉ではなかったかと思うが、凡庸な人間でも継続していけば力がつくといった意味だった。今回の容疑者を見ていると、凡庸な人間が、小さな継続していくと大きな狂気になるのではないかとも思える。
 むしろ狂気というのを見るなら、地味にこつこつ1500ページのコピペ集を作ってしまうという律儀さにあるかもしれない。それをいうなら、きちんとブログを何年も書き続けている人間なんていうのも、ご同輩。

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