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2011.07.20

[書評]原発安全革命(古川和男)

 山道を登っていてふっと木々の合間から、今来た道とこれから進む道が見えることがある。来し方行く末、こう辿り、こう進むのか。あるいはそう歩みたいものだと遠くを見る。書籍にもそう思わせるものが稀にある。「原発安全革命(古川和男)」(参照)はそうした一冊である。その描く未来を歩みたいものだと願わせる。

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原発安全革命
古川和男
 本書の前版は十年前に文春新書で出版され、当然のごとく絶版となっていた。再読したいと思い、実家をあさったが転居の際に処分してしまったのか書棚にはなかった。
 この機会に本書を再読したいと思った人は少なくはなかったのだろう。福島原発事故以降、「検証 チェルノブイリ刻一刻」(参照)同様、本書にもプレミアムがついた。幸い版元の文藝春秋に識者がいたものと見え、こちらの本は「こうして原発被害は広がった 先行のチェルノブイリ」(参照)と改題され復刻され、本書も書名内の括弧が取れたものの増補新版となった。
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こうして原発被害は
広がった
ピアズ・ポール・リード
 あれから十年、記述に大きな変化はあっただろうか。結論から言えば、ないと言ってもいいかもしれないが、福島原発事故の挿話が入っているからということだけではなく、まるで新しい本を読むようにも思えた。
 本書はトリウム炉推進の書籍である。そこでトリウム炉、つまり、トリウム溶融塩炉推進の物語として読まれてしまうだろう(十年前にはむしろそうした基調で読まれたものでもなかった)。それで間違いでもないのだが、そう読まれることを私はお薦めしない。トリウム炉、イコール原発、イコール賛成か反対か。そういう短絡的な枠組みで読まれるにはあまりに惜しい。トリウム炉研究という、山道の木々の隙間から見る眺望に関心を向けたほうがよい。
 誇張した表現は常に誤りを含むが、本書は、この一冊で原発というものがすべてわかると言ってもいいかと思う。正直なところ、十年前ですら奇矯にも思えたトリウム炉ではあるが、原子力発電の歴史の流れに置けば、実は正嫡なのである。人類最初の原子核エネルギー実用炉をを完成させた学者の一人、ユーゲン・ウェグナーが中心となって1930年代、原子炉の原則を打ち立てたが、それにもっともかなう。

――核分裂は原子核物質が変化する「化学反応」である。したがって、当然なこととしてこの反応を利用するものは「化学工学装置」となる。もっと明確にいうと、この核分裂反応遂行、その反応生成物処理・処分、使用可能な残渣の処理・再利用を経て、次の核分裂反応炉に循環させる「核燃料サイクル化学工学」を完成させる仕事が「事業の本質」である。直接有効な「発電」などは、そのごく一部の作業に過ぎない。――
 しかもウィグナーは、「化学工学装置ならば反応媒体は、”液体”が望ましく、その"理想形態の原発”はおそらく”溶融フッ化物燃料炉であろう」とまで予言していたのである。「溶融塩炉まで一気に論じていた」と聞いて、多くの読者は「本当か」と驚かれるであろうが、彼は初代所長として世界最高の原発開発センター・オークリッジ国立研究所を整備し、次いで高弟のワインバーグを次代所長に推進した。そのワインバーグが指導して、この「溶融塩炉」の基礎開発を成功させたのである(一九四五~七六年)。

 ではなぜ福島原発型の方向に人類は技術を開発させてしまったのか。その歴史説明が本書に淡々と述べられている。時代的な状況もあり、またトリウム炉の問題もあった。これらはかなり公平にきちんと述べられているように思えた。私が理解した範囲では、ネットなどで見られるトリウム炉への批判(腐食や放射性物質の漏出可能性)については本書の範囲ないで吸収できるように思えた。
 本書が書名「原発安全革命」の「革命」たる点は、トリウム炉の技術もだが、原子炉というものを市民社会のなかにどう位置づけるかといことを明瞭にしている点である。

 発電所は公共施設であり、特殊目的の工場ではない。いうなれば水道施設のように、町役場などで単独で管理できるようなものでなければならない。

 私は本書から思想的な意味で一撃を受けたのはこの原則だった。それが正しいというのではない。思想とは、正しい何かを信奉することではなく、人類に真に思考せしめる課題のことである。原発が水道施設のような公共施設であるということはどういうことなのか。それが可能である社会とは何か。技術の側だけではなく、それによって作られる人類社会をどう構想するか。
 筆者はこのテーマをこう補足している。

 しかし、原発の実態はそれからあまりにかけ離れ、みな人里離れた僻地の砦のような存在である。逃げる(?)から疑心が追いかけていくのである。当事者側も市民側も、この矛盾をまず抜本的に改善すべきだとは認識していないようである。

 私が加えるなら、電力事業は巨大であるために国家と接合し、そして従来の原発はその集団の地位を保つために巨大化してしまった。
 市民社会が国家より優位にあるためには、こうした装置を市民社会の側に移管できるまでに縮小化しなしなければならないという思想的な課題も明確になってくる。
 本書が描き出す小型トリウム炉FUJI・IIは、それゆえに市町村レベルのゴミ処理場ほどに小型化されている。工場内に設置することも可能なサイズである。
 しかしそれでも、トリウム炉は可能なのか? 本書は冷静に答えている。

 すぐにでもFUJI・IIそのものを造って運転してみるべきだ、との意見も少なくない。しかし、なにぶん実験炉MSREが運転されてから四〇年が無駄に経過し、関係者はほとんど亡くなっている。中核となるべき専門家・技術者が二、三〇〇人は必要だが、それだけの人材を急には要請できない。そこで、その養成のために、基本技術の再確認と包括的な技術習得の場として、「超小型の溶融塩発電炉」建設計画を立てている。今一番必要なのは、炉の全寿命間におよぶ運転体験である。見落とし、錯覚などの失敗を避けるためにも、一刻も早くこの炉型を運転し、実証・再確認し、技術を完成させたい。
 今から十数年でそれは可能と考えている。

 この言葉の奥から、本書でも言及されているが著者の先輩である西堀榮三郎の声を私は明確に聞きとる。

 先生の大学講座後輩である私は、日本原子力研究所入所以来、多大のお世話になった。あの剛毅な先生も一時、体質に呆れて原子力界を去られたが、やがて戻ってくださり、晩年は我々の「トリウム溶融塩炉」を社会に生かそうと、命を縮めるほどの尽力をしてくださった。

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石橋を叩けば渡れない
西堀 栄三郎
 トリウム炉と限らない。日本が技術で復興していくカギは西堀榮三郎の精神にあると私は思っている。凡百の自己啓発書など読む暇とカネがあるなら、西堀榮三郎著「石橋を叩けば渡れない」(参照)をお読みなさい。


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コメント

トリウム炉以前のレベルなんで、まず「チェルノブイリ 春」を読みました。
で、今日は岩波ジュニア新書の原発に関する本を借りてきました。

東京電力も、そもそもは東京都庁だか東京市役所だかの中の電気局がソースなのはご明察の通り。東京はガスは民間会社に任せてますが、例えば仙台市はガス局を持ってます。

たしかに市役所や町役場レベルで運用できるようにとなれば、少なくとも東京で23区でも運用できるレベルであればいいのであり、さすれば原子炉である必要はどこなんでしょうか。
 そのレベルで済むのならば、例えば自動車工場や半導体工場も自前で発電システムを持てばいいわけであって、それを固定資産としてどう課税するかしないか、エネルギー調達の国レベルでの補助や環境指標の明確かつ厳格な運用、そういうが検討されてしかるべきと思います。

投稿: とおりすがりの。 | 2011.07.20 22:55

『石橋をたたけば渡れない』、創意工夫の愉快さがよく伝わってくる本だと感じます。

 だいぶ前に読み終わりましたが、我が家のトイレの棚にずっと鎮座しています。

投稿: summercontrail(略して左近) | 2011.07.21 05:24

あと、放射性廃棄物を減らす用途に使える加速器駆動未臨界炉の研究も進めて欲しいと思います。

投稿: | 2011.07.21 05:51

大変興味深く読ませて頂きました。
この状況でこういった記事を書かれる事はとても難しいと思いますが、率直に書いて頂いた事に感謝と敬意を覚えます。

が、

ネット上にはこういった情報もありまして、
http://togetter.com/li/67710
http://togetter.com/li/74165
http://togetter.com/li/163166
こちらの記事よりはこのまとめの方を私は信用します。
要約すれば、トリウム溶融塩原子炉より高速増殖炉の方がまだ簡単。とのことです。
ご参考までに、

投稿: ナナシ | 2011.07.27 23:11

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