空想未来小説「サンフラワーサンクチュアリー」
「首相、お会いになりますか。30分ほどならお時間はありますが」
秘書に問われて、直子は少し奇妙な感じがした。伸男なら昨日までバンクーバーにいたはずだ。手元のスカーレットフォンでグローバルフェイスを起動し、伸男のアイコンをタップすると、「やあ、姉さん、フクシマで会いましょう」というメッセージが出て来た。つまり本人らしい。セキュリティチェックに手間取るのではないかと秘書に問うと、もう済んでいるとのことだ。気を回してくれたのだろう。
「姉さん、元気? 首相の仕事って大変そうだね」ドアを開けるなり明るい口調で語る伸男も35を過ぎた。結婚する気はなさそうだ。それをいうなら自分もだがと直子は苦笑する。
「お祖父さまほど、大変ではないわよ」
「だろうね。僕もお祖父さまの墓参りに来たんだよ」
「昨年の33回忌には来なかったのに」
「サンフラワーサンクチュアリーの、あんな盛大な雰囲気には耐えられないよ。みんながお祖父さまは偉かったしか言わないし、いろいろ詮索されるのも嫌だったんだ」
「お墓参りは済ませた?」
「これから。まず姉さんのスケジュールに合わせないとね。ビジネスも後回し」
「トリウム炉のバイヤー? いやな噂を聞くわよ」
「スマグリのほう」
「なんでもいいわ。あなたに会ったことも首相動静で公開するから変なことしないでね」
「ほんとはトリウム炉も関係している」
「聞かない」
「なんかそういうきついところ、お祖母さまに似てきたね」
「お祖母さまこそ偉い方よ。お祖父さまの窮地をすべて救ったのはお祖母さまなんだから。ああなれたら女子の本懐」
「らしいね。フクシマ遷都もお祖母さまのアイデアだし、お祖父さまが突然、私はフクシマに骨を埋める覚悟ですと言って国民をあっと言わせ、生前にフクシマに墓を建てたのも、お祖母さまの入れ知恵なんだろうな」
「お祖父さまにも覚悟はあったのよ。覚悟ができたと言うべきかもしれないけど。東北大震災とフクシマ原発事故に襲われた絶望の日本の風景のなかで、無我夢中だったみたいだけど、最後には覚悟したのよ」
「あれ、本当なのかな」
「あれって?」
「お祖父さまが原発を止めますとか言ったあと、TKY-ITの先輩で、なんでも大正時代生まれの偉い思想家がお祖父さまをこんこんと叱責したという話」
「知らないわ」
「不思議なんだよね、お祖父さまが急に原発推進に変わったのはなぜなんだろうとたまに思うんだよ。いつもの気まぐれとは違うんじゃないかって」
「私は、あの夏の終わりのグレートブラックアウトのせいだと思っているけど」
「あれはすごかったらしいね。おかげで姉さんが身籠もったし」
伸男のくだらないジョークに苦笑しながら直子は母から聞いた桎梏の夜の怖い話をふと思い出し、部屋一杯に飾ってある向日葵に目を向ける。日本の歴史で名宰相として菅直人を吉田茂に並ばせるに至ったのは、あのつらい経験だった。
伸男は直子の心を読むように言う、「お祖父さまは科学技術の意味を理解したんじゃないかな」
「科学技術の意味?」
「人類の科学的な知見というのは、まさにそれこそが人類を特徴付けるものとして決して後退はしない、ということ。誰の言葉だったっけ」
「知らないけど、そうするしかないと覚悟したのは確かね」
お祖父さまはフクシマ遷都を断行し、官庁のエネルギーをすべて原子力に頼ると言い張った。まずトリウム小型炉を官邸に設置した。原発事故で首相にもしものことがあればと野党に問われたとき、その用意もあると答えた。あんなに怖いお祖父さま見たことがなかったとお母さまも言っていた。直子が飾っている遍路姿の菅直人首相の写真からは想像もつかない。
「だいたいさ、原子力の平和利用なんて冷戦時代ですら、たちの悪いジョークだったんだよ」と伸男は言う、「核の平和利用とか言ってウランやプルトニウムに手を出すのは北朝鮮やイランだって真似て当然のことだった」
「北朝鮮。久しぶりに聞くわね、その国名」
「国名ではないよ。それにお祖父さまゆかりの国じゃないか」と伸男はまたジョーク言ったぜとにやけて笑っている。そのにやけた、それでいて憎めない笑い顔はどこかしらお祖父さまの若いころに似てきた。
「本当のパラダイム転換は」と直子は首相らしい口調になる、「核兵器と本当に縁を切ることだった」
あれから日本の技術と地域が復活した。50万人単位の行政区に原子炉と廃棄物処理所とデイケアを一体化させたトリニティ・システムを配備し、ネットワーク化して日本全土をカバーした。今では新清国への売り込みも始まっている。
「トリニティの大連市推進計画はどう?」と伸男は横目でさりげなさそうに言う。
「言わない」
「国家秘密?」
「新聞にも載っていることだし、政府には関係ない」
「新聞? なにそれ」
「なにそれはないでしょ。便利よ、そこに桃が新聞紙で刳るんであるから持っていって」
「新聞紙もすごいけど、この桃って?」
「お母さまが作ったのよ」
「お母さまも元気だなあ」
「元気よ、あたりまえじゃない」
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コメント
ご存知の上であえてかもしれませんが、TITという略語は公では使わないようになっているそうです(よくない意味があるので)。また、それが浸透しているのか、個人で使っているのもほとんど聞いたことがありません。
投稿: | 2011.07.17 18:30
伸男→伸人
投稿: YT | 2011.07.17 21:09
極東さんが壊れてくw
でも反原発・菅支持は腐るほどいるけど、珍しいスタンスですね。
投稿: 素直にワロタ | 2011.07.17 22:20
極東さんが壊れてくw
でも反原発・菅支持は腐るほどいるけど、珍しいスタンスですね。
投稿: 素直にワロタ | 2011.07.17 22:20
TITはTKY-ITとしました。コメントありがとう。
投稿: finalvent | 2011.07.18 08:03
感動しました(笑)
投稿: 吉本主義者 | 2011.07.18 14:15
>>原子力の平和利用なんて冷戦時代ですら、たちの悪いジョークだったんだよ
「ニューヨークの王様」ですかぁ…
投稿: てんてけ | 2011.07.19 14:00
あー面白かった。
これからの小説は、こうでなくちゃ、と思いました。
つまり現実をかなり土台にはしているけど、
現実の描写にとどまらないで
想像力と創造力で現実を逸脱していく
パラレルワールドのようなものが
モチーフになっている。
ともあれ、楽しい時間どーも ありがとうございました。
投稿: けん | 2011.07.20 01:57