中国の高速鉄道事故についてあまり気の向かない言及
中国の高速鉄道事故について言及するのは、あまり気が乗らない。中国を愛する隣国民として、いくらその愛ゆえの叱咤とはいえ、口を開いたらあまりにもきついものになりそうだし。それ以前に被害に遭われたかたにも同情するし、亡くなられたかたには哀悼したい。
とはいえ、今朝の毎日新聞社説「論調観測 中国の高速鉄道事故 安全軽視に厳しい目を」(参照)を読んでいて、なんとも論点が外れているものだなと思った。同社説は、この間、中国の高速鉄道事故を論じた大手紙社説をブログのエントリ風に俯瞰している。
読売は「安全軽視論」として、こうまとめられている。
国内紙の社説では、高速鉄道が国威発揚に利用され安全が後回しにされた、との論調が目立った。例えば「安全軽視が招いた大事故だ」の見出しを掲げた読売は、「北京五輪や上海万博、共産党創設90年などに合わせて、短期集中の突貫工事で進められた」と指摘している。
当の毎日新聞は「構造的汚職論」である。
毎日は、国威発揚の体質と構造的な汚職を結びつけ、それが今回の事故の根底にあると論じた。前鉄道相、前副技師長らが総額二千数百億円相当の賄賂を建設業者から受け取った容疑で逮捕された例を紹介。「事故原因の徹底究明とともに汚職体質の改善が必要」と根っこからの改革を求めた。
汚職がなんで事故に結びつくのか議論がよくわからないが、汚職で安全が軽視されてということなのだろうか。汚職があっても安全は重視される可能性もあるのではないか。汚職が払拭されると安全になるとか、まさかね。
「日本ならこんなことはない論」としては、読売と産経が上げられていた。そういえば、NHKなどでもこうした識者の声をよく拾っていた。
日本との違いに言及した社説もあった。「日本の新幹線は、完全に独立した専用軌道上を徹底したコンピューター制御によって走らせる方式で、中国のものとは根本から異なる」(産経)、「日本の新幹線は開業から47年目を迎え、列車事故による乗客の死者がゼロという輝かしい記録を持っている」(読売)といった具合である。
韓国紙も取り上げていた。「他人事ではない論」ということころだろう。
比べてみると興味深いのが韓国の反応だ。主要紙の朝鮮日報と中央日報は、中国の事故を韓国高速鉄道(KTX)が抱える安全上の不安に引き付ける形で社説に取り上げた。KTXでも故障や事故が多発し、当局が韓国鉄道公社の監査に乗り出す事態になっているからである。
かくして、この毎日新聞社説のまとめはというと、こうである。
「安全」には報道の厳しい監視と国民の要求度の高さも不可欠。それを抑圧し続けるようでは中国の安全向上は望めないのではないか。
民度が上がると安全性も向上すると言いたいのだろうか。よくわからない。
はて? 朝日新聞社説はどうした? 毎日新聞のまとめには朝日が名指しされていない。日経もか。
25日付け朝日新聞社説「中国鉄道事故―背伸びせず原因究明だ」(参照)だが再読して、なるほどたいして論点もない。読売の「安全軽視論」と同じ。
しかし中国の高速鉄道には、安全性に問題があるとの指摘が続いていた。
肝心の技術が長年をかけて培ったものではなく、各国からの寄せ集めのため、不具合が起きやすいという見方があった。また、突貫工事で架線や信号などのシステムの安全性を軽視している、との声も出ていた。
日経新聞社説「理解しがたい中国の高速鉄道事故対応」(参照)も似たようなもの。
時速250キロ以上という高速鉄道が中国で本格的に運行し始めたのは2007年。それからわずか4年で運行距離は日本の新幹線の3倍にまで伸び、最新の区間では時速300キロ以上も達成した。当局者は「いまや日本の技術を上回る」と豪語し、海外輸出にも乗り出していた。
一方で、車両技術の混在のほかにも安全面の不安を指摘する声が出ていた。国威発揚を兼ねて突貫工事を進めてきたうえ、今年2月の劉志軍・鉄道相解任が示したように汚職がまん延しているため、手抜き工事を疑う声も多かった。
たいした論点でもないが、「海外輸出にも乗り出していた」は、ポイント。
どこに? 米国へである。
米国と高速鉄道網といえば、いろいろ誤解も受けて閉口もしたが、「新幹線など高速鉄道はどこの国でも重荷になるだけらしい: 極東ブログ」(参照)が連想される、というか、ワシントンポストは、この事件をどう見ているかな、と。
28日付け「The politics of China’s high-speed train wreck」(参照)がそれなのだが、さすがに辛辣極まる。
Many of those who questioned the economics of high-speed rail in China also argued that authorities were cutting corners on safety in their rush to build the world’s largest bullet-train network. Those accusations, too, received tacit confirmation when China announced in April that it would cut the trains’ top speed by 30 miles per hour.中国の高速鉄道の経済性に疑念をもった人の多くは他面、中国当局が、世界最大の高速鉄道網構築に際し、安全面の抜け道をしていたと非難していた。こうした非難がこっそりと受け止められていたのがわかったのは、中国が列車の最高速度を30マイル/時減速したからだった。
中国が理論上の最高速度から、華人商売らしく、安全に対する分だけ速度の値引きをやってのけた。そこに、事前に律儀なメッセージ性があったわけだが、ワシントンポストの論調で重要なのは、「those who questioned the economics」というあたりだ。先のエントリでもロバート・サミュエルソンらの論にあわせて触れたけど、そもそも高速鉄道は経済性がないということだった。
どういうことなのか。
After a minimum of public discussion and despite contrary expert advice, the nation’s unelected rulers decided to spend hundreds of billions of dollars on a mode of transportation that many, if not most, ordinary Chinese cannot afford to use. As the cash flowed, well-connected officials lined their own pockets.ろくに議論もせず、専門家の助言に反してまで、選挙を経ない中国為政者たちは、「大半の」とまでは言わないにせよ、一般の中国市民が利用できないような輸送手段に数千億ドル使うと決めたのだった。現金が流れるにつれ、コネのある役人が私腹を肥やした。
もともと採算性がなく、一般市民が利用できない高速鉄道に巨費を投じたのは、そもそもこれをカネヅルにして儲けるという、よくある中国ビジネスのネタだったからだ、とまでワシントンポストは言うのである。きついな。
さらに言葉がきつい。
In short, the high-speed rail program operated pretty much as you would expect in a one-party state with a controlled media and no effective checks and balances.手短に言えば、一党独裁でメディアを統制し、市民の目が届かなような状況で、ご期待通りの結果になりましたというのが、高速鉄道計画なのである。
The only mystery is why people in the West who should have known better looked at high-speed rail in China and saw a model for the United States — instead of an accident waiting to happen.
不思議なことは、分別をわきまえている西側諸国の人々が中国高速鉄道を注視して、米国のモデルになると見たのはなぜかということだ。こういうことが起きるんだろうと見るのではなくて。
含意がありすぎて微妙なんだが、高速鉄道に対する"effective checks and balances(効果的なチェック&バランス)"というのは、文脈上、経済性ということでもある。高速鉄道の採算性というのが、安全性の確保を含むのだと理解していいだろう。
ワシントンポストとしては、高速鉄道網というのは、日本が例外的にできる不思議なものというくらいの認識なのだろう。
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