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2011.07.31

中国の高速鉄道事故についてあまり気の向かない言及

 中国の高速鉄道事故について言及するのは、あまり気が乗らない。中国を愛する隣国民として、いくらその愛ゆえの叱咤とはいえ、口を開いたらあまりにもきついものになりそうだし。それ以前に被害に遭われたかたにも同情するし、亡くなられたかたには哀悼したい。
 とはいえ、今朝の毎日新聞社説「論調観測 中国の高速鉄道事故 安全軽視に厳しい目を」(参照)を読んでいて、なんとも論点が外れているものだなと思った。同社説は、この間、中国の高速鉄道事故を論じた大手紙社説をブログのエントリ風に俯瞰している。
 読売は「安全軽視論」として、こうまとめられている。


 国内紙の社説では、高速鉄道が国威発揚に利用され安全が後回しにされた、との論調が目立った。例えば「安全軽視が招いた大事故だ」の見出しを掲げた読売は、「北京五輪や上海万博、共産党創設90年などに合わせて、短期集中の突貫工事で進められた」と指摘している。

 当の毎日新聞は「構造的汚職論」である。

 毎日は、国威発揚の体質と構造的な汚職を結びつけ、それが今回の事故の根底にあると論じた。前鉄道相、前副技師長らが総額二千数百億円相当の賄賂を建設業者から受け取った容疑で逮捕された例を紹介。「事故原因の徹底究明とともに汚職体質の改善が必要」と根っこからの改革を求めた。

 汚職がなんで事故に結びつくのか議論がよくわからないが、汚職で安全が軽視されてということなのだろうか。汚職があっても安全は重視される可能性もあるのではないか。汚職が払拭されると安全になるとか、まさかね。
 「日本ならこんなことはない論」としては、読売と産経が上げられていた。そういえば、NHKなどでもこうした識者の声をよく拾っていた。

 日本との違いに言及した社説もあった。「日本の新幹線は、完全に独立した専用軌道上を徹底したコンピューター制御によって走らせる方式で、中国のものとは根本から異なる」(産経)、「日本の新幹線は開業から47年目を迎え、列車事故による乗客の死者がゼロという輝かしい記録を持っている」(読売)といった具合である。

 韓国紙も取り上げていた。「他人事ではない論」ということころだろう。

比べてみると興味深いのが韓国の反応だ。主要紙の朝鮮日報と中央日報は、中国の事故を韓国高速鉄道(KTX)が抱える安全上の不安に引き付ける形で社説に取り上げた。KTXでも故障や事故が多発し、当局が韓国鉄道公社の監査に乗り出す事態になっているからである。

 かくして、この毎日新聞社説のまとめはというと、こうである。

「安全」には報道の厳しい監視と国民の要求度の高さも不可欠。それを抑圧し続けるようでは中国の安全向上は望めないのではないか。

 民度が上がると安全性も向上すると言いたいのだろうか。よくわからない。
 はて? 朝日新聞社説はどうした? 毎日新聞のまとめには朝日が名指しされていない。日経もか。
 25日付け朝日新聞社説「中国鉄道事故―背伸びせず原因究明だ」(参照)だが再読して、なるほどたいして論点もない。読売の「安全軽視論」と同じ。

 しかし中国の高速鉄道には、安全性に問題があるとの指摘が続いていた。
 肝心の技術が長年をかけて培ったものではなく、各国からの寄せ集めのため、不具合が起きやすいという見方があった。また、突貫工事で架線や信号などのシステムの安全性を軽視している、との声も出ていた。

 日経新聞社説「理解しがたい中国の高速鉄道事故対応」(参照)も似たようなもの。

 時速250キロ以上という高速鉄道が中国で本格的に運行し始めたのは2007年。それからわずか4年で運行距離は日本の新幹線の3倍にまで伸び、最新の区間では時速300キロ以上も達成した。当局者は「いまや日本の技術を上回る」と豪語し、海外輸出にも乗り出していた。
 一方で、車両技術の混在のほかにも安全面の不安を指摘する声が出ていた。国威発揚を兼ねて突貫工事を進めてきたうえ、今年2月の劉志軍・鉄道相解任が示したように汚職がまん延しているため、手抜き工事を疑う声も多かった。

 たいした論点でもないが、「海外輸出にも乗り出していた」は、ポイント。
 どこに? 米国へである。
 米国と高速鉄道網といえば、いろいろ誤解も受けて閉口もしたが、「新幹線など高速鉄道はどこの国でも重荷になるだけらしい: 極東ブログ」(参照)が連想される、というか、ワシントンポストは、この事件をどう見ているかな、と。
 28日付け「The politics of China’s high-speed train wreck」(参照)がそれなのだが、さすがに辛辣極まる。

Many of those who questioned the economics of high-speed rail in China also argued that authorities were cutting corners on safety in their rush to build the world’s largest bullet-train network. Those accusations, too, received tacit confirmation when China announced in April that it would cut the trains’ top speed by 30 miles per hour.

中国の高速鉄道の経済性に疑念をもった人の多くは他面、中国当局が、世界最大の高速鉄道網構築に際し、安全面の抜け道をしていたと非難していた。こうした非難がこっそりと受け止められていたのがわかったのは、中国が列車の最高速度を30マイル/時減速したからだった。


 中国が理論上の最高速度から、華人商売らしく、安全に対する分だけ速度の値引きをやってのけた。そこに、事前に律儀なメッセージ性があったわけだが、ワシントンポストの論調で重要なのは、「those who questioned the economics」というあたりだ。先のエントリでもロバート・サミュエルソンらの論にあわせて触れたけど、そもそも高速鉄道は経済性がないということだった。
 どういうことなのか。

After a minimum of public discussion and despite contrary expert advice, the nation’s unelected rulers decided to spend hundreds of billions of dollars on a mode of transportation that many, if not most, ordinary Chinese cannot afford to use. As the cash flowed, well-connected officials lined their own pockets.

ろくに議論もせず、専門家の助言に反してまで、選挙を経ない中国為政者たちは、「大半の」とまでは言わないにせよ、一般の中国市民が利用できないような輸送手段に数千億ドル使うと決めたのだった。現金が流れるにつれ、コネのある役人が私腹を肥やした。


 もともと採算性がなく、一般市民が利用できない高速鉄道に巨費を投じたのは、そもそもこれをカネヅルにして儲けるという、よくある中国ビジネスのネタだったからだ、とまでワシントンポストは言うのである。きついな。
 さらに言葉がきつい。

In short, the high-speed rail program operated pretty much as you would expect in a one-party state with a controlled media and no effective checks and balances.

手短に言えば、一党独裁でメディアを統制し、市民の目が届かなような状況で、ご期待通りの結果になりましたというのが、高速鉄道計画なのである。

The only mystery is why people in the West who should have known better looked at high-speed rail in China and saw a model for the United States — instead of an accident waiting to happen.

不思議なことは、分別をわきまえている西側諸国の人々が中国高速鉄道を注視して、米国のモデルになると見たのはなぜかということだ。こういうことが起きるんだろうと見るのではなくて。


 含意がありすぎて微妙なんだが、高速鉄道に対する"effective checks and balances(効果的なチェック&バランス)"というのは、文脈上、経済性ということでもある。高速鉄道の採算性というのが、安全性の確保を含むのだと理解していいだろう。
 ワシントンポストとしては、高速鉄道網というのは、日本が例外的にできる不思議なものというくらいの認識なのだろう。

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2011.07.30

エア・ハープ(Air Harp)、あるいは簡易チター

 iPadのジニアスが「君、これ欲しいだろ」ってエア・ハープ(Air Harp)を勧めてくれた。へぇ、そんなものかね。価格は、たしか無料ではないけど、最低レベルだったと思う。今なら85円かな。まあ、いいかの部類。で、落としてきて触って、ちょっと驚いた。ハマったというほどの深みはないけど、けっこう気に入った。なるほどこういうもの欲しかったよ。できたらリアルも欲しいよ。
 エア・ハープというのは、名前から連想が付くと思うけど、エア・ギターみたいに、ありもしない楽器のハープをそれっぽく演奏するということ。想像つくでしょ。そんな感じ。でも、こいつは普通に仮想の楽器で、普通に演奏するものだった。こんな外観。

 直感的にわかる。弦のところをぽろんとつま弾けば、ぽろんと音がする。iPadだから、タップで音がでちゃうけどね。ぽろろ~ん。ぽろろろろろろん。おお、これはいい。和音が楽しい。親指と人差し指で三度や五度の和音をつまむとか。同時に四音くらいは自然に出てくる。演奏はこんな感じ。僕のじゃないけど。

 見てすぐにわかるのは、楽譜が弦の下にシートで入っていること。この疑似楽譜をなぞっていくだけで曲が弾ける。
 この楽譜が追加、85円でいくつか買える。買ってみる。これはおもしろい仕組みだなあ。どうしてこういうこと考えるのかなと思ってちょっと調べてみると、これ、実楽器があるし、楽譜もそういうことになっている。

 米アマゾンなどを見ると4000円くらいで売っている。日本発送はしないとかあったり、ちょっとめんどくさいが、それでも欲しいなと思って見ていると、考えてみたら当たり前なのだけど、スチール弦の音はちと想像していたより高い。

 実楽器だと和音のストロークのとき、鳴らさない弦に指で触れておくということができるのかと感心する。
 この楽器ほかにもいろいろありそうだ。楽譜もいろいろあるらしい。この楽譜を見ていて、現代の五線譜というのもハープのタブ譜から出来たのではないかと想像して調べてみたが、そういう歴史はなさそう。

 今更にわかったことがある。Zitherと書いてあるように、これ、「チター」ですね。チターというともうちょっと大げさなものを連想していましたよ。
 話をiPadのエア・ハープに戻すと、音域はGからの2オクターブになっている。文部省唱歌とかアイルランド民謡とかは十分弾ける。でもそうは問屋が卸さない。
 グリーンスリーブスを弾いていて、終わりのほうであれれとひっかかったのは半音階は出ないこと。残念と思って、半音階も出る、類似の仮想ハープのアプリを使ってみたけど、それはそれでなんか楽しくない。
 一時的な半音階はでなくてもしかたないなとは思うが、短調の音階はあるといいなとは思った。実楽器だったら、そのあたり、弦の調整でできちゃうんだろうな。

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2011.07.29

菅直人首相はたぶん、嘘をついている

 考えようによっては些細な話でもあるのでブログで言及するまでもないことだと思っていたが、もう一度考えてみると不可解な話でもあり、視点を変えると意外に根の深い、悪質な問題が潜んでいるではないかとも思えてきた。簡単にメモしておきたい。
 話は表面的には難しくはない。菅首相が在日韓国人から違法献金を受けていたという話である。そしてそれゆえ、それ自体は大した話でもない。
 現実問題として、日本の政治家が在日韓国人・朝鮮人から献金を受けていたとしても、通名からであれば原則的にはわかりようもない。あるいはそういうタテマエになる。これを違法とするのは、パチンコ換金や道路ねずみ取りみたいなもので、ご都合主義の問題である。
 むしろ前原元外相がなぜか律儀にこの問題で辞任したのが逆に不可解な話で、現在の菅直人首相のように、万引き現行犯がばっくれて言うように、問題とわかってから返したんだからもう問題はないだろと、シラを切っていてもさしたる問題でもない。よって、国会ではがんがんやっていてもNHKのニュースや解説でもそれほど取り上げられてもいないように見えるのもわからないではない。
 ただ、今日の参院本会議で菅首相、言っちまったな感があった。
 今日付け産経新聞「菅首相の献金問題、返金領収書の日付は「3月14日」」(参照)より。


 菅直人首相は29日午前の参院本会議で、首相の資金管理団体が在日韓国人から違法献金を受けていた問題について「外国籍であることを知らずに受け取った寄付は弁護士を通じて3月14日に返金した。領収書も同じ日付になっている」と述べた。自民党の松村祥史氏への答弁。
 自民党などが求める返金時の領収書の国会提出については「過去の例や今後のこともあるので、委員会や理事会で議論をいただきたい」と述べ、改めて難色を示した。

 菅首相は、献金が在日韓国人だとわかったので、3月14日に返金し、その領収書が存在し、それには3月14日と記されている、というのだ。
 嘘でしょ。
 あるいはそれが嘘でなければ、自民党の礒崎陽輔氏が嘘をついている。そのどっちかである。
 7日時付け時事「拉致容疑者親族の周辺団体に献金=首相認める、6250万円」(参照)より。

 一方、草志会が在日韓国人から計104万円の献金を受けていた問題で、礒崎氏は「3月10日、神奈川県の保土ケ谷パーキングエリア(PA)で、首相のスタッフがこっそり返したのではないか」と追及。首相は「弁護士から、現金で3月14日に返金したと報告を受けている」と答弁した。
 首相への献金は、東日本大震災が発生した同11日に発覚。首相側は代理人の弁護士を通じ、3日後の14日に返却していたと4月になって明らかにした。 (2011/07/07-22:49)

 7日の礒崎氏の追究は辛辣なものであった。参院のサイトのビデオ(参照)の15分くらいからが該当する。これはと思って検索するとユーチューブ版もあった(参照)。
 

 

礒崎「いろいろありますがちょっと宿題となっていることをお聞きします。ハイハイ。この3月に前原外務大臣が外国人からの政治献金を受けてあることが発覚して引責辞任しました。そして東日本大震災の当日、菅総理も外国人のKさんから政治献金を受けてあることが報道されました。その後総理は「弁護士を通じて返金した」と言っていますが、その経緯について先の委員会で我が党の義家議員の質問に対し、明確に答えることが出来ませんでした。答弁で後刻報告すると言ったんだけれど全く何の回答もありません。あなたは平然と嘘を言います。ま仕方ありませんからもう一回お伺いします。Kさんからの政治献金は、いつどこで返金をしましたか? 現金でしたか? 振り込みでしたか? 領収書はありますか? 政治資金収支報告書は訂正しましたか?これは今日はちゃんと全部通告してますからきちんと答えてください。」
委員長「菅総理大臣」
「えーいくつかの点にご指摘をいたきました。えーこの件について、えーまず、返金ということでありますけれども、三月十四日に、弁護士を通じて現金で弁護士の方から返金したと、そういう報告をえー受けてえおります。えー返金が行った、あ三月十四かぁーに弁護士が領収書をぉぉぉ貰って、弁護士の方で預かっている、このように認識をいたしております。
委員長「礒崎陽輔君」
礒崎「えー委員長、今の領収書の提出を求めます」
委員長「えー理事会において協議をさせていただきます」
委員長「礒崎陽輔君」
礒崎「えーと今の領収書を提出してもらえますかというののー答弁をちょと逆になんなりましたけど、総理、もう一回、いただきたいと思います。どうですか?」
委員長「菅総理大臣」
「えー領収書をしゅっえーっと失礼しました(数秒沈黙)まずですね、えーちょっとあのーいろいろなあのーぉぉぉ(数秒沈黙)領収書はあーえーと、ほう、えぇ、いいですか、ちょっと説明しますので、まずあのーおーこれはぁ、新たに私のーいわゆるぅぅ後援会、政治団体から、えー返金という形で支出をすることに、えー法律的にはなります。えーそういう形で支出をしたことについての、領収書はえ今年度のー収支報告に領収書を添えて提出をいたします。えーそういう扱いをいたしますので、えーそっそういう形で、あのーきちんとした処理を,させていただくことにいたしました」
委員長「礒崎陽輔君」
礒崎「ま、領収書、今出さんという意味ですか。こりゃまあ理事会で引き続き協議をいたそうと思いますけどね。えー信頼できる筋からの情報があります。あなたの弁護士はたしかに三月十四日にKさん側の人と会っておりますけれど、現金を返したのはその日じゃないでしょ? 我々の把握しとるんじゃあ、あなたが初めて知ったという地震の当日三月十一日の前日、三月十日に神奈川県の保土ケ谷パーキングエリアで、あなたのスタッフがこっそりと返したと。そういう事実を我々は聞いておるんですが、そんなことはありえませんか?」
「私はあーこの件についてえー弁護士ぃぃの方にえーお願いをいたしておりまして、えー弁護士ぃぃから、あー本日本人ご本人に、お会いをしてそしてえー現金で三月十四日に返金したと、こういう報告をいただいております」
委員長「礒崎陽輔君」
礒崎「ま報告を受け取るというんでしょうけど、あなたは三月十一日の決算委員会で『今朝の新聞を見て初めて知った』と言ったわけでありますから、まあもし本当に三月前日の十日に返しているというんだったら、ま、これは大ごとになると言う事だけは申してぇおこうとぉ思います。で、この件でねえ、菅総理はあの刑事告発をされております。今週相手方のKさんが、東京地検から事情聴取をうけておりますが、この件についてKさんからご連絡ありましたか?」
「私にぃぃついてええ何のぉ連絡などは一切ありません。」
委員長「礒崎陽輔君」
礒崎「まこの件につきましては、もう総理が三月十四日に返したと明確にご答弁いただきました、いい答弁をいただきましたので、引き続きこの件ついては追求さしていただきたいと思います。」

 菅首相の動揺・棒読みといった印象からすると、礒崎氏の追究はかなり真実に近いのではないだろうか。つまり、どっちが嘘をついているかといえば、菅首相であろう。
 ただ、厳密に言えば、菅首相の弁護士が盾になっているので、弁護士は嘘をついていたが菅首相は当初は知らなかった、というストーリーは成り立つかもしれないし、菅首相を見ていると、そのストーリーが成り立ちそうな印象もある。
 と、すると、案外、菅首相としては、当初は嘘はついてなかったのだろうが、であれば弁護士から菅首相が嘘をつかれていたということになる。が、そのストーリーもそのまま引きずるには無理がある。主体性のないボクらの菅さんのことだから、弁護士からのシナリオを棒読みしたくらいなものだろうが、であれば、現時点では、やっぱり、菅首相は嘘をついていた、ということになる。
 話の大半は、当の領収書が出てくると明らかになるが、この間の経緯でさっぱり出てこないのも、菅首相側の嘘を暗示していると言ってよさそうだ。
 で、そこまでであれば、ダブロイド紙の話題くらいなのだが、考え直すと、礒崎氏の信頼できる筋とやらを国会に持ち込めば、菅首相側の嘘は一発で明らかになる。
 ということは、それ、礒崎氏の信頼できる筋とやらが出てこないのはなぜなのだろうか?
 これが「よんでますよ、アザゼルさん。」(参照)なみに奇っ怪なのは、「神奈川県の保土ケ谷パーキングエリア」での菅首相のスタッフの行動がバレているというのが前提になっているからだ。普通に考えれば、菅首相のスタッフを尾行していたか、Kさん側を尾行していたか。もしそうなら誰が尾行していたのか。
 あるいは尾行ではなく、関係者の誰かがゲロったか。ゲロったなら、どういう状況でゲロったのだろうか。
 礒崎氏の話を読み返すと、「菅総理は刑事告発をされております。今週相手方のKさんが、東京地検から事情聴取をうけております」とあり、当局側の関与の臭いがしないでもない。東京地検が真相を掴んでいて、自民党側にリークしたのだろうか。
 つまり、問題は、この部分の気持ち悪さである。しかも、それらの読み筋の妥当性はあまり高くない。
 自民党側の私的な組織が尾行していたというのなら、この話は表沙汰にはしづらい。そこまでするだろうか。
 東京地検がゲロったというなら東京地検はバッシングの現状ですらかなりのリスクをかけていることになる。そこまでするだろうか。
 薄気味悪いのは、国会ではK氏とされているが、菅首相の政治資金報告書は公開されており、K氏が誰であるかはすでに明らかになっているに等しく、むしろ、それゆえに「保土ヶ谷」という地名が出てくるということもある。
 K氏を国会に呼んで証言させても白黒は付く。が、日本社会としてはそこまで押すことは難しいのではないだろうか。
 私の印象では、K氏がらみで菅直人首相に巨悪が潜んでいるとは思えない。私の勘で言うなら、民主党の誰かが自民党にチクったのではないか。
 菅首相サイドがK氏が在日韓国人であることを知ってないわけもなく、「しまったこれが世間にバレると前原元外相のような事件になりかねないから、さっさとカネ返してなかったことにしとけ」と、いう姑息な対応したくらいだろう。ボクらの菅首相なら、愛すべき絵にもなる。

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2011.07.26

菅直人首相の資金管理団体は、なぜ特定の政治団体に献金していたのか

 この問題をどう解くべきなのかはわからないが、看過してはいけないのではないかと日に日に思うので簡単に言及しておきたい。テーマの分類としては、菅直人首相の資金管理団体の問題であるが、錯綜しているように見える。
 国会でも論じられているのでマスメディアに隠されているといった話題ではないが、NHKのニュースなどではあまり見かけないし、解説員の言及も聞いたことはない。率直に言えば、産経新聞以外にはほとんど見かけない話題なので、産経新聞特有のネタかと思っていた。が、ニューズウィーク日本語版7・20に「「北朝鮮」と菅「献金」の深い闇」(参照)として記事が上がっていたあたりから、そうなのだろうかと疑問がわいた。
 なにが問題なのか。問題の端緒は、そう難しくはない。
 「政権交代をめざす市民の会」という政治団体に、菅直人首相の資金管理団体「草志会」が6250万円献金していたことだ。ここで多少奇妙な感じがするのは、政治団体が政治家の資金管理団体に献金するというのはよくあることだが、この場合は逆で、菅首相の資金管理団体が、特定の政治団体に献金していたというのだ。なぜ?
 これが慈善団体への献金なら、そういうこともあるだろうと思う。だが、政治団体である。上納金のようにも、貢ぎのカネのようにも見える。弱みでも握られているのかという邪推の余地も残す。なぜなのだろうか。疑問は当然わき起こる。
 この政治団体が、「北朝鮮による日本人拉致事件容疑者の親族が所属する政治団体「市民の党」(東京、酒井剛代表)から派生した政治団体」であるという点に着目し、産経新聞が7月2日「菅首相側、北の拉致容疑者親族の周辺団体に6250万円献金」(参照)が大きく取り上げていた。


 菅直人首相の資金管理団体「草志会」が、北朝鮮による日本人拉致事件容疑者の親族が所属する政治団体「市民の党」(東京、酒井剛代表)から派生した政治団体に、計6250万円の政治献金をしていたことが1日、分かった。年間の献金限度額上限の5千万円を支出した年もあり、大口の献金者だったことがうかがえる。政府の拉致問題対策本部長でもある首相側の献金先としては「不適切」との批判を受けかねない。

 産経新聞としては、北朝鮮に関係する政治団体「市民の党」に関連する政治団体である「政権交代をめざす市民の会」におカネを出したのはよろしくないという主張のようだ。
 いくつか考慮しなければならないことがある。
 菅首相の政治資金管理団体が献金した「政権交代をめざす市民の会」は、「市民の党」の派生なのだろうか。派生とは何を意味しているのか。産経新聞記事はこう説明している。

 菅首相側が献金していたのは、「市民の党」から派生した政治団体「政権交代をめざす市民の会」(神奈川、奈良握(にぎる)代表)。
 「めざす会」は市民の党の酒井代表の呼びかけで平成18年に結成され、奈良代表も市民の党出身。めざす会には、市民の党の名を冠する会派に属している複数の地方議員が年間計1千万円近い政治献金をしているほか、事務担当者が同一だった時期もある。

 派生といってもよさそうではあるが、派生だからといって同じ会だとは言えない。ではどういう関係なのか。関係とは何を意味するか。
 ニューズウィーク記事では、「めざす会」代表の奈良握厚木市市議が「市民の党」に所属していて、またこの二団体の事務担当者が同じ人物だったことがある点から、こう述べている。

 名義上「市民の党」と「めざす会」は別だが、実質的には一体と見たほうが自然だ。

 そうであるなら普通に考えると、菅首相が資金管理団体を通して献金した先の「めざす会」は、「市民の党」の隠れ蓑のようにも見える。
 産経新聞としては、「市民の党」と北朝鮮の関係を解き明かそうとしているし、ニューズウィーク記事もその点についても触れている。同記事によれば、公安も2団体をマークしているとしている。が、決定打はなくこう述べることになる。

 2団体の活動が直接北朝鮮につながっているかは不明だが、公安がマークする不審団体に首相が献金していたこと自体が不適切であることに違いはない。

 ニューズウィークとしても、まずそこが問題だというのだ。
 しかし、それは公安がマークしているから不審というトートロジーに帰してしまうようにも思える。
 ニューズウィークは、しかし、もう一点問題を切り分けている。

 さらにこの献金には、公職選挙法違反を疑わせる要素もある。

 そこが問題なら、たしかに大きな問題だとはいえるだろう。別の言い方をすれば、北朝鮮のコネクションについては、とりあえず切り分けてもよいのではないか。
 では、菅首相に関連する、公職選挙法違反の疑義はどこにあるのか。ニューズウィーク記事の推論はこうである。

 もし仮に2団体が全国の無党派選挙に運動員を派遣し、その報酬が草志会や民主党から拠出されていたとすると、運動員の買収を禁じた公職選挙法に抵触する可能性がある。

 どういうことなのか。ニューズウィークは、政界関係者の言葉としてこう展開している。

「(2団体は)要するに選挙ブローカーだ」と、ある政界関係者は指摘する。全国のいわゆる市民派、無党派の選挙陣営に組織的な選挙運動を展開する「プロフェッショナルな運動員」を派遣していたのではないかと見られている。

 妄想だろうか。興味深い事例が語られている。

 選挙ブローカーとしての2団体の活動は、民主党関係者の証言からも裏付けられる。民主党の鷲尾英一郎衆院議員(新潟2区選出)は、05年の衆院選に初出馬する際、民主党関係者から酒井(当時は別名の「斎藤まさし」で活動)を紹介されたという。選挙運動には、酒井の関係者が多数運動員として参加し、鷲尾は初当選を果たす。
 酒井はその後、鷲尾の秘書となり、2つの資金管理団体を勝手に設立して(既に解散)、市民の党とめざす会へ合計約780万円を献金している。鷲尾の事務所によれば、資金管理団体の設立や献金に関して鷲尾本人は当時はまったく知らなかったという。

 関連する興味深い事例や、2団体を巡るカネの流れや、収支報告書の疑念など各種の問題もいろいろと関係している。
 だが、構図としては、「選挙ブローカー」であり、献金というのは運動員への対価ということになるかもしれない。なるほど、そうであれば、これは問題と言える。
 菅首相の資金管理団体から出された献金が、実際にはこの選挙ブローカーへの対価であったと見なせるなら、これは公職選挙法違反となりうるかもしれない。
 同様の構図は民主党の構造的な問題だとも言えるだろう。民主党から草志会への計1億2300万円の献金もあったらしい(参照)。
 私としては、この構図の真義はわからない。解釈の問題にすぎないのかもしれないとも思う。

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2011.07.23

[書籍]性格のパワー 世界最先端の心理学研究でここまで解明された(村上宣寛)

 本書「性格のパワー 世界最先端の心理学研究でここまで解明された」(参照)は、版元と形状からして「「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た」(参照)、「IQってホントは何なんだ? 知能をめぐる神話と真実」(参照)に続く、村上宣寛氏による心理学批判のシリーズ3のようにも見えるし、私などもそういう思いで読んだのだが、前二著に比べると、攻撃力というのも変だがパワーはやや弱く、性格学説について無難にまとめたという印象を受けた(注を見てもそれは納得できる)。

cover
性格のパワー
世界最先端の心理学研究で
ここまで解明された
村上宣寛
 別の言い方をすると、おそらく一般の読書人が読んで心理学的な、かつ有意義な「性格」を理解するには、本書が最適であろうと思う。なお、村上宣寛氏の著作の真骨頂というなら、地味なタイトルの新書だが「心理学で何がわかるか」(参照)だろう。
 本書執筆の動機は後書きによれば、宮城音弥氏の岩波新書青版390「性格」(参照)の現代版を依頼されたとのことだ。当然村上氏も宮城氏の「性格」を再読し、「残念ながら、再読しても得るものは何もなかった。すべての章が時代遅れで、当時は正しいと信じられていたが、今日では否定された学説や知識ばかりだった」と記している。そうであろうと思うが、得るものがゼロとも私などは言いがたい。ジュール・ベルヌの小説などを読むとその時代の性格学による人物描写などもあり、当時は人の性格はそのように考えられていたのだなと、宮城氏の本をしこたま読んだ私などは理解できる。とはいえ、科学的な意味合いはゼロだと言っていい。
 宮城音弥氏は私には懐かしい学者である。氏による岩波新書の解説書を私は中学生時代に大半を読んでいる。「天才 (岩波新書青版621)」(参照)や「神秘の世界―超心理学入門 (岩波新書青版435)」(参照)、「夢(岩波新書青版843)」(参照)、「精神分析入門 (岩波新書青版347)」(参照)などは、まさに中学生向きの面白い書籍だった。今読めばどれも滑稽にしか思えないが、「愛と憎しみ―その心理と病理 (岩波新書青版483)」(参照)は、今でも名著だと思っている。この本を読んで人生に大きな影響を受けた。愛とは何かという問いにまとわりつく虚妄を排して本質を強く描くところがあった。
 村上氏の本書なのだが、これまでの氏の書籍を読んでいる読者にはそれほど新しい展開はない。また心理学と性格について現代の動向を知っている人にとっても、ごく妥当な水準に思える。ただ、その妥当な水準が広く了解されているかというと、血液型性格分類などが政治家などの口から出るようにかなり低次なレベルにあるとは言えるだろう。
 本書が「性格」についての概説を目指したのはわかるが、実効性のあるビッグファイブだけに絞ってより深化させたほうが面白かったのではないだろうか。本書の帯に「あなたの性格特性をテストする「ビッグ・ファイブ」を掲載」とあり、たしかに掲載されているのだが、村上氏が作成した「主要5因子性格検査」のような信頼性のチェックや自動的に解釈できる部分などが、この掲載形式では実現できていないので、読者がビッグファイブの威力を実感するのは難しいのではないか。
 なお、同検査ソフトだが、数年前だが検査を販売していた版元に問い合わせたところフリーソフトと同じですと回答を得たことがある。Windows7でも動くのだが、基本的にプリンタ出力用になっているので、旧来のパソコンの心得のない人だと使いづらい。欲を言えば、本書の版元がFLASHなどに移植して本書とタイアップ的にすればよかったのではないかとも思える。と、提案しながら、実際にそうされるとかなり影響力があって、それも問題かもしれないとも思えてきた。
 帯にはこういうキャッチもある。

・幸福感は健康や所得とほとんど関係がなく、かなりの部分が遺伝で決まってしまう
・協調性は職業上の成功にとってマイナス要因
・親の養育態度は子供の性格形成にほぼ無関係

 前2点はビッグファイブの延長にある。
 この問題、つまり、ビッグファイブの5因子と遺伝の関係をどう見るかということだが、前提は「特定個人の内部の遺伝子の影響力」というものを特定する手法は存在していないということだ。遺伝子という実体への還元は方法論上不可能で、その機能の統計的な影響力が問われるだけである。「遺伝率」という場合は、「外向性特性の遺伝率が五〇%であるとすると、データ収集の対象となった全集団の外向性特性の得点の散らばり(全分散)のなかで、遺伝による得点の分散が五〇%であることを意味する」。つまり、もとから特定の個人の遺伝的特性は問われない。
 煩瑣になるのはしかたがなく、また日常的に言えば必ず無理解に至るような部分があるのだが、それでも、性格については、大半が遺伝的に決まると言っていいというのが先の帯の意味である。
 そして、人生に幸福感を覚えるかどうかは、健康であるとか所得が多いとかではなく、まあ、赤ちゃんのときからだいたい決まっているものだとしてよいだろう。図に乗ったような駄言になるが、結果的に「ある人間にとってその人生を生きるということ」が所与であるなら、幸福であるかどうかは、あまり意味があるものでもない。このあたり、得心すると人生観はけっこう変わる。

 主観的幸福感に最も大きな影響を与えるのは、ビッグ・ファイブという性格特性の背後にある遺伝的要因である。おそらく影響力は五〇%を超えると思われる。情緒が安定して、外交的な人は、主観的幸福感が高くなる傾向がある。
 どうすれば、幸福になれるのだろうか。幸福感は遺伝的要因の影響が強いが、人生のパートナーを見つけ、仕事や余暇活動などに積極的に関われば、かなり改善されるのではないだろうか。

 たぶんそういうことなのだろうが、このあたりは、村上氏の推測であって、この部分について科学的に言えることはまだない。

 ビッグ・ファイブは、寿命、離婚、勤務成績、職業での成功、政治的態度などにも深い関係があった。我々は自分の性格特性を基にして、生活方式を変更し、パートナーを選び、仕事を選び、人生を変えるのかもしれない。しかし、この種の因果的分析は、現在、研究の途上にある。

 その研究は結ぶだろうか。
 おそらく結ぶのではないかと予想される。つまり、自分の性格というものをビッグ・ファイブで理解して、結婚相手や仕事を選択することで、より幸福な人生を得られる確率のようなものが上がるだろう。
 さて、そういう人生を生きたいだろうか?
 私はそうも思わない。不幸やつらい人生や失敗というのには、なんか別の意味があるんじゃないかと思って生きて来たし、そうして生きてみたいと思っている。

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2011.07.22

[書評]コーパス100!で英会話|コーパス・フレーズ練習帳(投野由紀夫)

 投野由紀夫先生のコーパス英語の書籍は他にもいろいろあるし、実用性という点では本書「コーパス100!で英会話|コーパス・フレーズ練習帳」(参照)以外にもお薦めしたい本はある。でも、この本は少し毛色が違い、知的にも面白い。たぶん、英語が苦手な人にとっても英語が得意な人にとっても、へぇと改めて思うところが多いのではないか。高校生も社会人にも興味深い内容だろう。

cover
コーパス100!で英会話
コーパス・フレーズ練習帳
投野由紀夫
 コーパスというのは、文例を集めたデータベースのことで、自然言語の解析で、実際の言語現象からという方法論をとる際に基点となるものだ。その分、どのようにコーパスを形成するかが難しいとも言えるし、投野先生の専門はそこにあるのではないかと思うが、学問的な部分の著書は見かけないのが少し残念でもある。余談だが、コーパスには屍体という意味もあり、現代英語では解剖学用語の含みがあるが、モーツアルトのアヴェ・ヴェルム・コルプス(Ave verum corpus)の"corpus"つまり、聖体の体のも同じ語源の言葉を使う。
 ようするに、コーパスというのは、英語のネイティブが実際に英語をどう使っているかというのを自然科学的に調査するというふうに理解してもよいだろう。本書は、それを英語の基本動詞100についてまとめたものだ。
 何が面白いのか。基本動詞100は、本当に基本動詞なので、中学でも学ぶ範囲のものだし、たいていの人はその意味も知っている語彙ばかりである。ところが、その現実の用例の傾向には、日本人にはやや意外に思える部分があり、その部分はどうやら意味の了解にも反映しているように見える。
 例えば、"have"。"I have a pen"のhaveである。意味は「持っている」だが、ではさて、何を持っているのだろうか。いろんなものを持つことができるけど、haveという動詞で持っていることが言明される対象は何か? そんな特定の傾向ものがあるのかという疑問すら持たなかった人もいるだろうし、ネイティブにしてみてもそんな疑問は持たないだろう。ところがコーパスを解析すると、haveの対象は頻度でリスト化でき、上位にはある傾向が現れる。何か? 時間や経験なのである。

  1. have a good[hard/great] time / have no time
  2. have an/no idea
  3. have a/the chance to DO
  4. have a look
  5. have nothing to do

 本書には書かれていないが、これらを見ていると、日本語表現で語感として対応するのは、「~たことある」「~てた」とあたりだろうか。いずれにせよ、「持つ」「所有する」というのとは違う(もちろん、その語義的な意味はあるのだけど)。ふと思うのだが、"I have a pen"というときでも、「ええと、俺、たしかペン持ってます」というふうなシチュエーションで経験の対象となるのではないか。
 "make"なども後置する名詞で見ていくと、へぇという傾向が現れる。

  1. make a/the decision
  2. make the/a point (of ...)
  3. make a difference
  4. make a lot of
  5. be able to make ...

 「作る」というと、decision、point、differenceなど心的な作為性の対象が頻度の上位に上がる。そしてこのリストからはわかりづらいが、money、friend、noiseというようなものを作るときは、a lot ofを介するようだ。どうやら、具体的な物や感覚対象を作るときは、その量的な閾値が意識されている。
 使役動詞の一種として学校英語では教えられることも多い"get+名詞+to DO"で、DOに何が多く出現するかを見ていくと、使役性のgetの含みが見えてくる。

  1. get 名詞 to come/go
  2. get 名詞 to think/understand
  3. get 名詞 to talk/listen/say
  4. get 名詞 to work/start
  5. get 名詞 to sign/agree/accept

 直接的に使役的な含みというより、主体が労苦して他者の行為を促すという含みがありそうだ。日本語だと「~てもらう」だろうか。本書では言及されていないのだが、"The heat has gotten to me."のgetの含みもこの用例と関係がありそうだ。
 気になるのは、これらのgetがどの程度口語的な表現なのかだ。フォーマルだとどう言い換えられるのかというのは本書からはわからない。このあたりはコーパスのテクニカルな扱いの問題になるだろう。
 本書の元になったのは、2009年のNHKの語学講座「コーパス100!で英会話」であり、私はこれをよく見ていた。福田萌さんとマシューまさるバロンさんの掛け合いが楽しい番組だった。特に、マシューさんがかなりの才人で楽しかった。声もルックスもよく普通に二枚目でとおるのにボケがすばらしい。たまに「親父によく言われましたよ」話があり面白かった。この人が本を書いたら絶対に読みますね。お兄さんの関連で語れない部分はあるのかもしれないけど、それ以外でもかなり面白そうだ。

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2011.07.21

[書評]こうして原発被害は広がった 先行のチェルノブイリ(ピアズ・ポール・リード)

 チェルノブイリ原発事故をソビエトという国家とそこに生きる人間のドラマとして描いた、ピアズ・ポール・リード著「こうして原発被害は広がった 先行のチェルノブイリ」(参照)が福島原発事故をきっかけに改題され、復刻された。1994年に翻訳・出版された邦題は「検証 チェルノブイリ刻一刻」(参照)である。事故後の変化だろうと思うが中古本でプレミアム価格がついていた。今確かめてみるとまだその状態が続いているようにも見える。1994年の同書は手元にないが、復刻本を読んだ印象では大きな違いはないと思われる。

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こうして原発被害は広がった
先行のチェルノブイリ
ピアズ・ポール・リード
 オリジナルは1993年、"Secker & Warburg"から出された「Ablaze: The Story of Chernobyl」だが、アマゾンやB&Nなどをあたると同年にRandom Houseから出た「Ablaze: The Story of the Heroes and Victims of Chernobyl」(参照)が現在では見つかる。AblazeとChernobylが重要なキーワードではあるが、話としては、英米圏では"the Heroes and Victims(英雄と犠牲者)"という視点で受け止められることを想定してのことだろう。そう読めないこともない。
 些細な話を先にして申し訳ないが、今回の復刻では原書について2011年のNew Editionと記載されているのだが英書の新版があったのだろうか。あるとすればその反映はどうなっていたのか気になったのだが、なさそうに見えた。加えて、書誌的なことだが、訳書の参照では、"Ablaze; The Story of Chernobyl"として、"Ablaze"をセミコロンで区切っているのだが、この書式はインディペンデント紙の当時の書評(参照)にもなく、他を調べてもなかった。Google Booksには"Secker & Warburg"版の扉写真があったが、"Ablaze"で改行していて、セミコロンもコロンもなかった。文藝春秋の訳書ではセミコロンの記法が2箇所あり校正漏れとも思えないので、どういう書誌記法なのか気になった。
 さて本書であるが、1994年の邦題は「検証 チェルノブイリ刻一刻」であったように、1986年のチェルノブイリ原発事故を詳述するという含みがあり、そのように当時の日本人に読まれることを想定していた。私なども、そういう事件であったのかという関心で同書を捲った。今回の改題では、「こうして原発被害は広がった 先行のチェルノブイリ」として、明確に福島原発事故の文脈に置かれている。端的に言えば、類似の状況かに置かれた日本人が、チェルノブイリ原発事故からその後の被害を学び、食い止めようという視点である。これも頷けるものがある。
 改題書を読み進めながら、しばしば嘆息した。以前はチェルノブイリ原発事故は特殊な原発事故であり、今回の福島原発事故とはあまり比較にならないものではないかと思っていたのだが、現下の文脈で読むと、あまりの相似に圧倒される。極端な言い方をすれば、同じではないか、原発事故というものの本質が本書に明確に示されているではないかとすら思える。
 だが同時に、その相似性は、原発事故の本質に根ざすというより、日本という国家が社会主義ソビエト連邦と相似であったことに由来するように思えた。率直なところ、それはこの時代に生きる一人の日本人としては、かなり悲痛な認識になる。そしてその悲嘆の認識から本書で示唆されるところは、ソ連がチェルノブイリ原発事故を実質象徴として解体したように、日本の政治権力も解体されなければならないという暗示でもあるだろう。ここから菅首相の個人的な意見である脱原発へあと一歩であるかのようにも見える。が、そうではない。原発事故の本質が問題というよりソ連型国家である日本の問題が根にあり、いかに市民社会を確立していくかのほうが先行する。
 私の誤読かもしれないが、なぜチェルノブイリ原発事故が起こったのかという問題の技術面での解明は、本書ではわかりづらい。明確には記載されていないと見てよいかもしれない。私が読み取った範囲では、ソ連時代に喧伝されていた、操作員のミスというより、「第二章 科学の勝利をたたえる神殿」の最後にある事故前の異常性、特に制御棒の欠陥である。不思議に思うのだが、日本の原発でも制御棒に関連するトラブルは福島原発事故以前になんども発生しており、臨界の継続もあった(参照)。事故後、あまり注目されているふうはない。
 本書を読みながらなんども嘆息したと書いたが、思わず天を仰いだのは、次の箇所である。炉心が燃えるなか、砂を被せて消化せよという国家の指令のくだりだ。現場の異論を国家が押しつぶしていく。

「かまわない。原子炉をまるまる砂で埋めてしまえばいい」
「しかし、砂を落とすたびに、大量の放射性粒子が空中に放出されます。なにもしなければ、塵は原子炉のなかにとどまっているはずです」
 レガソフはしばらく考えてから言った。「だが、もし、われわれがこのまま放置しておけば、みんなはどう思う? なにかはしなければならないのだよ」
「すると、なぜ鉛は投下したんです?」とカルーギンが聞いた。
「鉛は融解して沸騰し、炉心の熱を奪う」
「しかし、鉛も大気を汚染するでしょう」
「核分裂反応よりは危険が少ない」
「私の考えでは、核分裂の危険はありません」
「それなら、君の案は?」
「そのまま放っておくのです。燃え尽きるまで」
 レガソフは首をふった。「国民は了解しないだろう。なにかをやっているというところを見せなければ」

 これがソ連型の国家というものだ。そして福島原発事故は日本がそのような国家であることを示してしまった。
 汚染されたあとの光景も相似と言っていいものである。ソ連は市民に対して沈黙した。

 グロジンスキーは、こうした沈黙をフィンランドのとった行動と比較した。かれは事故のわずか数日後に、「汚染地域では住民はどういうことをすればいいかを印刷物にして発表した……子どもたちはどこを歩けばいいか。牛の放牧はどこでどれくらいの時間すべきか、なにを食べ、なにを飲んだらいいか……」
 ソビエトにはこうした指針が存在しなかったので、人びとは心配のあまり牛乳を飲まず、カルシウム不足におちいった。

 読み進めながらそこに描かれているのはチェルノブイリなのか福島なのか失念しそうになるシーンもあった。

 デンマークの物理学者、ヘーデマン・イェンセン教授は、各国専門家たちの見解を明快な言葉でこう表現した。「われわれの結論はきわめてはっきりしています。もし費用と危険削減の観点から規制を強化しようとするなら、そうした方針は放射線防護の側面から見て正当とはいえないという、ということです」。


 とはいえ、チェルノブイリに関して科学者達が直面したのは、健康を異常に気にする流行病というよりは、科学そのものにたいする多くの人びとの不信感だった。

 その先にはぐっと息を呑む光景も描かれる。

 科学のなかにも迷信が存在するというのはいかにも哲学的な皮肉であるが、もうひとつ、歴史的皮肉も存在した。つまり、ソビエト共産党は、一九八六年には事故の深刻さを隠そうとしていたが、いまやその影響を誇張する方針をとりだしたのだ。そのためウクライナのチェルノブイリ対策大臣ゲオルギー・ゴトヴチッツはチェルノブイリ総合科学調査の調査結果を拒絶した。彼は言う。「チェルノブイリの放射線がもたらした影響に関してくだされた基本的結論のうちのいくつかは、あまりに楽観的にすぎ、それゆえ、汚染除去計画にとって害となるだけではなく、原子力安全問題全般にも悪影響をおよぼすと思われます」
 かれらの態度がこのように逆転したため、チェルノブイリの真実をつきとめようと懸命に努力した西側専門家たちは当惑し、落胆した。

 この問題はその後、ウクライナという「国家」とロシアのという「国家」の関係という文脈にも置かれていった。
 そのことが福島原発事故以降の日本に暗示するものについては、正直なところ、あまり考えたくもないというのが、現状の私の心境である。

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2011.07.20

[書評]原発安全革命(古川和男)

 山道を登っていてふっと木々の合間から、今来た道とこれから進む道が見えることがある。来し方行く末、こう辿り、こう進むのか。あるいはそう歩みたいものだと遠くを見る。書籍にもそう思わせるものが稀にある。「原発安全革命(古川和男)」(参照)はそうした一冊である。その描く未来を歩みたいものだと願わせる。

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原発安全革命
古川和男
 本書の前版は十年前に文春新書で出版され、当然のごとく絶版となっていた。再読したいと思い、実家をあさったが転居の際に処分してしまったのか書棚にはなかった。
 この機会に本書を再読したいと思った人は少なくはなかったのだろう。福島原発事故以降、「検証 チェルノブイリ刻一刻」(参照)同様、本書にもプレミアムがついた。幸い版元の文藝春秋に識者がいたものと見え、こちらの本は「こうして原発被害は広がった 先行のチェルノブイリ」(参照)と改題され復刻され、本書も書名内の括弧が取れたものの増補新版となった。
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こうして原発被害は
広がった
ピアズ・ポール・リード
 あれから十年、記述に大きな変化はあっただろうか。結論から言えば、ないと言ってもいいかもしれないが、福島原発事故の挿話が入っているからということだけではなく、まるで新しい本を読むようにも思えた。
 本書はトリウム炉推進の書籍である。そこでトリウム炉、つまり、トリウム溶融塩炉推進の物語として読まれてしまうだろう(十年前にはむしろそうした基調で読まれたものでもなかった)。それで間違いでもないのだが、そう読まれることを私はお薦めしない。トリウム炉、イコール原発、イコール賛成か反対か。そういう短絡的な枠組みで読まれるにはあまりに惜しい。トリウム炉研究という、山道の木々の隙間から見る眺望に関心を向けたほうがよい。
 誇張した表現は常に誤りを含むが、本書は、この一冊で原発というものがすべてわかると言ってもいいかと思う。正直なところ、十年前ですら奇矯にも思えたトリウム炉ではあるが、原子力発電の歴史の流れに置けば、実は正嫡なのである。人類最初の原子核エネルギー実用炉をを完成させた学者の一人、ユーゲン・ウェグナーが中心となって1930年代、原子炉の原則を打ち立てたが、それにもっともかなう。

――核分裂は原子核物質が変化する「化学反応」である。したがって、当然なこととしてこの反応を利用するものは「化学工学装置」となる。もっと明確にいうと、この核分裂反応遂行、その反応生成物処理・処分、使用可能な残渣の処理・再利用を経て、次の核分裂反応炉に循環させる「核燃料サイクル化学工学」を完成させる仕事が「事業の本質」である。直接有効な「発電」などは、そのごく一部の作業に過ぎない。――
 しかもウィグナーは、「化学工学装置ならば反応媒体は、”液体”が望ましく、その"理想形態の原発”はおそらく”溶融フッ化物燃料炉であろう」とまで予言していたのである。「溶融塩炉まで一気に論じていた」と聞いて、多くの読者は「本当か」と驚かれるであろうが、彼は初代所長として世界最高の原発開発センター・オークリッジ国立研究所を整備し、次いで高弟のワインバーグを次代所長に推進した。そのワインバーグが指導して、この「溶融塩炉」の基礎開発を成功させたのである(一九四五~七六年)。

 ではなぜ福島原発型の方向に人類は技術を開発させてしまったのか。その歴史説明が本書に淡々と述べられている。時代的な状況もあり、またトリウム炉の問題もあった。これらはかなり公平にきちんと述べられているように思えた。私が理解した範囲では、ネットなどで見られるトリウム炉への批判(腐食や放射性物質の漏出可能性)については本書の範囲ないで吸収できるように思えた。
 本書が書名「原発安全革命」の「革命」たる点は、トリウム炉の技術もだが、原子炉というものを市民社会のなかにどう位置づけるかといことを明瞭にしている点である。

 発電所は公共施設であり、特殊目的の工場ではない。いうなれば水道施設のように、町役場などで単独で管理できるようなものでなければならない。

 私は本書から思想的な意味で一撃を受けたのはこの原則だった。それが正しいというのではない。思想とは、正しい何かを信奉することではなく、人類に真に思考せしめる課題のことである。原発が水道施設のような公共施設であるということはどういうことなのか。それが可能である社会とは何か。技術の側だけではなく、それによって作られる人類社会をどう構想するか。
 筆者はこのテーマをこう補足している。

 しかし、原発の実態はそれからあまりにかけ離れ、みな人里離れた僻地の砦のような存在である。逃げる(?)から疑心が追いかけていくのである。当事者側も市民側も、この矛盾をまず抜本的に改善すべきだとは認識していないようである。

 私が加えるなら、電力事業は巨大であるために国家と接合し、そして従来の原発はその集団の地位を保つために巨大化してしまった。
 市民社会が国家より優位にあるためには、こうした装置を市民社会の側に移管できるまでに縮小化しなしなければならないという思想的な課題も明確になってくる。
 本書が描き出す小型トリウム炉FUJI・IIは、それゆえに市町村レベルのゴミ処理場ほどに小型化されている。工場内に設置することも可能なサイズである。
 しかしそれでも、トリウム炉は可能なのか? 本書は冷静に答えている。

 すぐにでもFUJI・IIそのものを造って運転してみるべきだ、との意見も少なくない。しかし、なにぶん実験炉MSREが運転されてから四〇年が無駄に経過し、関係者はほとんど亡くなっている。中核となるべき専門家・技術者が二、三〇〇人は必要だが、それだけの人材を急には要請できない。そこで、その養成のために、基本技術の再確認と包括的な技術習得の場として、「超小型の溶融塩発電炉」建設計画を立てている。今一番必要なのは、炉の全寿命間におよぶ運転体験である。見落とし、錯覚などの失敗を避けるためにも、一刻も早くこの炉型を運転し、実証・再確認し、技術を完成させたい。
 今から十数年でそれは可能と考えている。

 この言葉の奥から、本書でも言及されているが著者の先輩である西堀榮三郎の声を私は明確に聞きとる。

 先生の大学講座後輩である私は、日本原子力研究所入所以来、多大のお世話になった。あの剛毅な先生も一時、体質に呆れて原子力界を去られたが、やがて戻ってくださり、晩年は我々の「トリウム溶融塩炉」を社会に生かそうと、命を縮めるほどの尽力をしてくださった。

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石橋を叩けば渡れない
西堀 栄三郎
 トリウム炉と限らない。日本が技術で復興していくカギは西堀榮三郎の精神にあると私は思っている。凡百の自己啓発書など読む暇とカネがあるなら、西堀榮三郎著「石橋を叩けば渡れない」(参照)をお読みなさい。


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2011.07.19

アフメド・ワリ・カルザイ氏殺害を巡って

 アフガニスタン情勢はどうなっているのか。カルザイ大統領の"弟"・アフメド・ワリ・カルザイ(Ahmed Wali Karzai)氏が12日南部カンダハルの自宅で護衛に射殺された。17日夜には、首都カブールでカルザイ大統領の相談役だったジャン・モハマド・カーン(Jan Mohammad Khan)氏とウルズガン州議員および警官の3人が殺害された。両方の事件ともタリバンが犯行声明を出している(参照)。
 2014年に向けて米軍のアフガニスタン撤退及び、北大西洋条約機構(NATO)主導の国際部隊からアフガニスタン側への治安維持の権限移譲(参照)が始まるなかでの出来事として、今後のアフガニスタン情勢に暗雲が垂れ込めるといったふうに理解されてもしかたがない。
 そうなんだろうか。
 疑問というか奇妙な印象が私にはあった。語るとなると胡散臭い話になるし、陰謀論の類になりかねない。それでも最近のオバマ政権の動向を見ていると、この政権自体の独自の胡散臭さという印象はぬぐいがたい。
 例えば、デービッド・ペトレアス(David Petraeus)アフガニスタン駐留米軍司令官が退任し、中央情報局(CIA)長官に栄転するのだが、さて、ペトレアス氏はアフガニスタンでなにか功績を挙げたのだろうか。ないと言えないこともないが、まあ修辞の部類だろう。少なくともアフガニスタンでの評価といえば、間接的にだが、15日朝日新聞「アフガン民間人犠牲最悪ペース 11年上半期1462人」(参照)が示唆的だ。


 アフガニスタンの政府当局者は14日、北大西洋条約機構(NATO)主導の国際治安支援部隊(ISAF)が南東部コスト州で夜襲を行った際に、民間人6人を殺害した、と語った。AP通信などが報じた。同州では市民ら約1千人が抗議デモを行った。
 また、南部カンダハル州のモスクで同日、何者かが自爆し、内務省によると、5人が死亡、15人が負傷した。モスクでは12日に殺害されたカルザイ大統領の弟アフマド・ワリ・カルザイ氏の追悼式が行われており、同省は式を狙ったテロと見ている。
 国連は14日、アフガンで今年上半期に戦闘などに巻き込まれて死亡した民間人が1462人に上り、2001年以降最悪だった昨年の同期に比べ15%増加したとの報告書を発表した。(カブール=五十嵐誠)

 奇妙なのはイラク戦争のときは、民間人誤爆でブッシュ元大統領批判が日本ですら批判的に報道されたものなのに、さほどオバマ政権への批判の声も聞かないように思える。
 当の、大統領候補の声もあったペトレアス氏だが、マクリスタル司令官辞任後は、功績を挙げるか泥を被るかのいずれかとも思われていたものが、どうもいずれでもない。修羅場を逃げたんじゃないのかという展開にしか見えないし、栄転させることでオバマ大統領の再選側に取り込んむ手打ちでもあったんじゃないかという印象も残る。
 こうした状況下でのカルザイ大統領の"弟"・アフメド・ワリ・カルザイ氏の殺害というのだが、彼は長年にわたって米中央情報局(CIA)から定期的にカネを受け取っていた人物である。2009年10月28日のニューヨークタイムズ「Brother of Afghan Leader Said to Be Paid by C.I.A.」(参照)が報じていた。
 もちろん米政府に協力するのだからその見返りがあって何が悪いということでもあるだろうが、そこまでで話が済めば、である。そうもいかない。麻薬の密輸に関わってきた。CIAとしても事実上、黙認してきたし、そうせざるを得ない状況というものがあった。
 この話はアフガニスタン情勢を見る人には常識の部類とされてきたが、言わないお約束の部類でもあった。日本も民主党政権になってインド洋上給油を止めるという歌舞伎の演出と国際社会のペナルティで鳩山元総理が多額の資金援助をアフガニスタンに拠出するということでもあったが、まさかそれがずるずると麻薬密輸にまで繋がっているというのでは洒落にならないでしょ。言うなよ、それ。
 アフメド・ワリ・カルザイ氏に関わる暗部について、2009年10月28日のニューヨークタイムズが報道したときもタイミング的にこれはどういう意味なのかという疑問があったものだが(参照)、今回の暗殺もどうもタイミングというか文脈がないとも思えない。
 というわけで、思考実験的にかつ自覚的に陰謀論的な読みを読みをすると、CIAによる、アフメド・ワリ・カルザイ氏の口封じとカルザイ大統領への威嚇ではないのだろうか。
 しかし、犯行声明を出しているのはタリバンではないか?
 その疑問は当然で、ちょっと無理筋な読みになるのかもしれないけど、CIAおよびオバマ政権は、タリバンとなんらかの手打ちをしているのではないか。もちろん、露骨なものではないけど、麻薬利権のシフトの容認くらいでアフメド・ワリ・カルザイ氏は吹っ飛ぶだろう。
 日本では、アフメド・ワリ・カルザイ氏はカルザイ大統領の"弟"と報じら、間違いでもないが、異母弟であり、カルザイ大統領からしてみると、暗殺に涙するくらいの人情の関係とはありながらも、部族の利権のネットワークを介した関係にあり、そう近しいというものでもない。
 もうちょっと言うと、アフメド・ワリ・カルザイ氏の口封じというより、カルザイ大統領のフリーハンドの領域を広げるために、問題となりそうな部分をこの機に排除したということかもしれない。
 陰謀論的な読みはここまでとして。
 いずれにせよ、西側諸国はアフガニスタンを民主化するというより、タリバンと共存していくという選択しかないし、NATOが壊滅するよりはましではないかという合理的な選択とみるなら、さすがに切れ者だなあ、オバマ米大統領とも思える。
 そして、この方式は、たぶん、リビアにも適用するのだろう。

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2011.07.17

空想未来小説「サンフラワーサンクチュアリー」

 「首相、お会いになりますか。30分ほどならお時間はありますが」
 秘書に問われて、直子は少し奇妙な感じがした。伸男なら昨日までバンクーバーにいたはずだ。手元のスカーレットフォンでグローバルフェイスを起動し、伸男のアイコンをタップすると、「やあ、姉さん、フクシマで会いましょう」というメッセージが出て来た。つまり本人らしい。セキュリティチェックに手間取るのではないかと秘書に問うと、もう済んでいるとのことだ。気を回してくれたのだろう。
 「姉さん、元気? 首相の仕事って大変そうだね」ドアを開けるなり明るい口調で語る伸男も35を過ぎた。結婚する気はなさそうだ。それをいうなら自分もだがと直子は苦笑する。
 「お祖父さまほど、大変ではないわよ」
 「だろうね。僕もお祖父さまの墓参りに来たんだよ」
 「昨年の33回忌には来なかったのに」
 「サンフラワーサンクチュアリーの、あんな盛大な雰囲気には耐えられないよ。みんながお祖父さまは偉かったしか言わないし、いろいろ詮索されるのも嫌だったんだ」
 「お墓参りは済ませた?」
 「これから。まず姉さんのスケジュールに合わせないとね。ビジネスも後回し」
 「トリウム炉のバイヤー? いやな噂を聞くわよ」
 「スマグリのほう」
 「なんでもいいわ。あなたに会ったことも首相動静で公開するから変なことしないでね」
 「ほんとはトリウム炉も関係している」
 「聞かない」
 「なんかそういうきついところ、お祖母さまに似てきたね」
 「お祖母さまこそ偉い方よ。お祖父さまの窮地をすべて救ったのはお祖母さまなんだから。ああなれたら女子の本懐」
 「らしいね。フクシマ遷都もお祖母さまのアイデアだし、お祖父さまが突然、私はフクシマに骨を埋める覚悟ですと言って国民をあっと言わせ、生前にフクシマに墓を建てたのも、お祖母さまの入れ知恵なんだろうな」
 「お祖父さまにも覚悟はあったのよ。覚悟ができたと言うべきかもしれないけど。東北大震災とフクシマ原発事故に襲われた絶望の日本の風景のなかで、無我夢中だったみたいだけど、最後には覚悟したのよ」
 「あれ、本当なのかな」
 「あれって?」
 「お祖父さまが原発を止めますとか言ったあと、TKY-ITの先輩で、なんでも大正時代生まれの偉い思想家がお祖父さまをこんこんと叱責したという話」
 「知らないわ」
 「不思議なんだよね、お祖父さまが急に原発推進に変わったのはなぜなんだろうとたまに思うんだよ。いつもの気まぐれとは違うんじゃないかって」
 「私は、あの夏の終わりのグレートブラックアウトのせいだと思っているけど」
 「あれはすごかったらしいね。おかげで姉さんが身籠もったし」
 伸男のくだらないジョークに苦笑しながら直子は母から聞いた桎梏の夜の怖い話をふと思い出し、部屋一杯に飾ってある向日葵に目を向ける。日本の歴史で名宰相として菅直人を吉田茂に並ばせるに至ったのは、あのつらい経験だった。
 伸男は直子の心を読むように言う、「お祖父さまは科学技術の意味を理解したんじゃないかな」
 「科学技術の意味?」
 「人類の科学的な知見というのは、まさにそれこそが人類を特徴付けるものとして決して後退はしない、ということ。誰の言葉だったっけ」
 「知らないけど、そうするしかないと覚悟したのは確かね」
 お祖父さまはフクシマ遷都を断行し、官庁のエネルギーをすべて原子力に頼ると言い張った。まずトリウム小型炉を官邸に設置した。原発事故で首相にもしものことがあればと野党に問われたとき、その用意もあると答えた。あんなに怖いお祖父さま見たことがなかったとお母さまも言っていた。直子が飾っている遍路姿の菅直人首相の写真からは想像もつかない。
 「だいたいさ、原子力の平和利用なんて冷戦時代ですら、たちの悪いジョークだったんだよ」と伸男は言う、「核の平和利用とか言ってウランやプルトニウムに手を出すのは北朝鮮やイランだって真似て当然のことだった」
 「北朝鮮。久しぶりに聞くわね、その国名」
 「国名ではないよ。それにお祖父さまゆかりの国じゃないか」と伸男はまたジョーク言ったぜとにやけて笑っている。そのにやけた、それでいて憎めない笑い顔はどこかしらお祖父さまの若いころに似てきた。
 「本当のパラダイム転換は」と直子は首相らしい口調になる、「核兵器と本当に縁を切ることだった」
 あれから日本の技術と地域が復活した。50万人単位の行政区に原子炉と廃棄物処理所とデイケアを一体化させたトリニティ・システムを配備し、ネットワーク化して日本全土をカバーした。今では新清国への売り込みも始まっている。
 「トリニティの大連市推進計画はどう?」と伸男は横目でさりげなさそうに言う。
 「言わない」
 「国家秘密?」
 「新聞にも載っていることだし、政府には関係ない」
 「新聞? なにそれ」
 「なにそれはないでしょ。便利よ、そこに桃が新聞紙で刳るんであるから持っていって」
 「新聞紙もすごいけど、この桃って?」
 「お母さまが作ったのよ」
 「お母さまも元気だなあ」
 「元気よ、あたりまえじゃない」
 
 
 

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2011.07.14

福島原発が世界に残すかもしれないひどい遺産

 菅首相が昨日、脱原発の方針を目指すとして記者会見を行った。私はリアルタイムに聴いてなくてツイッターで話を知った。それによると「原子力は安全性確保だけでは律するのことできない技術だ」と述べたらしい。呆れた。本当にそう発言したのだろうか。NHKの7時のニュースでその記者会見が小ネタ扱いで報道されたので聴いた。たしかにそう発言していた。東京工業大学も情けない卒業生を出したものだな。
 最初に自分の立場を明確にしておくと、私は反原発でも原発推進でもない。現状の原発がこのまま推進できないことは明白であり、特に安全性対策と廃棄物処理について大きな変革が必要であるのは論を俟たない。また日本の原発をなくすとしても中長期的な問題であり、当面は安全性対策が重視される。であれば、反原発でも原発推進でも中期的な展望に異なる点はない。つまり、現下の問題ではない。菅政権は復興という現下の問題に取り組むべきであって、脱原発といった話は菅政権の任期が終わった後、日本のエネルギー政策がどうあるべきか、各政党が熟議して国民的な議論にすればよい。
 特に民主党についていうなら、この分野で本当にやらなければならないのは、スマートグリッドの推進だろう。それをベースに電力会社というものの本質を変えることで、この強大化したコングロマリットと国家との関係性を変えることが市民社会に重要になる。私の知る民主党とはそうした市民中心主義の政策を打ち出す政党であったはずだ。
 脱原発を推進するなら、スマートグリッド推進の派生になるはずで、現状の反原発勢力は戦前日本のような国家主義に堕落して不気味な印象を受ける。
 日本の電力需要は今後低下するのだから、実際のところ日本について言えば、スマートグリッドがあれば原発なしでもやっていくことは可能だろうし、そうした可能性から、北朝鮮やイランなどにも提言してゆくという政策もありえないことでもない。
 むしろ一定の電力を安定的に提供する原子力発電に電力会社が注力してきたのは、電気をジャブジャブ使える状況にしておけばスマートグリッドの必要性がなくなるからでもあっただろう。スマートグリッドが実現すれば、電力会社が現在のような巨大産業である必要はなくなるからだ。ただし、エネルギー政策の原則として多元的であることの重要性があり、その点からすると、原発のオプションは残しておいたほうがよいという議論はあるだろう。
 いずれにせよ、こうした議論は、老いていく日本という国家の問題であって、世界的には異なる。では、日本が福島原発の教訓から反原発を導くとしたら世界はどのように受け止めるだろうか。4月24日になるがフィナンシャルタイムズ社説「Time to revive, not kill, the nuclear age」(参照)が参考になる。


Fukushima will have left the world a terrible legacy if it freezes nuclear development over the next 25 years as effectively as Chernobyl has over the past quarter century.

チェルノブイリが過去の四半世紀間に及ぼしたのたと同程度の効果として、次の25年間、原子力開発を凍結するならば、福島はひどい遺産を世界に残したことになるであろう。


 福島原発事故で原子力発電が凍結されるなら、世界は負の遺産を負うことになるとフィナンシャルタイムズは言うのだ。それが恐らく世界の常識でもある。
 しかし菅首相は「原子力は安全性確保だけでは律するのことできない技術だ」と述べている。科学教育の欠落はここに極まる。
 フィナンシャルタイムズはこう説く。

One unfortunate feature of nuclear power today is that most of its generating capacity is old, because the 1979 Three Mile Island accident followed by Chernobyl put a long freeze on new approvals and construction. A substantial majority of the world’s nuclear plants were built more than 20 years ago, to designs that originated in the mid-20th century defence industry.

今日の原子力発電で不運な点は、発電機構が旧式なことだ。理由は、1979年のスリーマイル島事故と続くチェルノブイリ事故のせいで、長期に渡って新しい承認と建設が凍結されたからだ。世界の原子炉設備の大部分は20年以上も前に建設され、設計について言えば20世紀の中頃の軍事産業から派生している。

Today’s “third generation” designs, such as the Areva EPR and Westinghouse AP1000, contain safety features such as passive cooling systems that would almost certainly have prevented the severe overheating that wrecked Fukushima after the tsunami.

アレバ社EPRやウェスティングハウスAP1000などの今日の「第3世代」の設計には受動式冷却システムといった安全機構があり、ほぼ確実に、津波の後に福島原発を壊滅させた激しい加熱を防止しただろう。


 原発技術を凍結することで原発技術が危険なものになっていく。それが福島原発マーク1そのものであった。
 受動式冷却システムなら完全だったか。もちろんそうではない。

But these designs are far from perfect, and more research is needed to develop better reactors for the future – for example ones that use thorium rather than uranium fuel, or operate deep underground. And of course there are other issues that need to be addressed, besides reactor safety, notably the long-term storage or disposal of nuclear waste.

それでも、これらの設計は決して完全ではなく、未来に向けて、よりよい原子炉を開発するために多くの研究が必要である - 例えば、燃料にウラニウムではなくトリウムを使う原子炉もあるし、地下深く稼働する原子炉もありうる。そして原子炉の安全性に以外にも問題はある。特に核廃棄物の長期保管や核廃棄物の処理である。


 しかし、これらを技術の課題として解決していくのが、科学技術というものなのである。
 人類の科学的な知見というのは、まさにそれこそが人類を特徴付けるものとして決して後退はしない。原子力発電の安全を求めるなら、技術にこそ注力しなければならない。原子力の安全性を世界に訴えるなら、その技術に踏み出すことが本来なら日本の課題だろうし、そうでなければ世界の人に、"Fukushima will have left the world a terrible legacy(福島はひどい遺産を世界に残したことになる)"。

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2011.07.13

パキスタン問題の焦点は3軍統合情報局(ISI)

 パキスタン情勢について日本側の報道にどうも奇妙な歪みがあるようなので言及しておきたい。奇妙さを感じたのは、米国によるパキスタン軍支援が一部凍結されたことについて、3軍統合情報局(ISI)への言及がなく、またその報道になにか日本側での合意でもあるかのような印象を受けるからだ。
 比較的プレーンなNHK報道から見てみよう、11日付け「米 パキスタン軍支援一部凍結」(参照)より。


 対テロ作戦を進めるうえでアメリカにとってパキスタンとの関係修復が懸案となるなか、アメリカ政府は、パキスタン軍の対応に不満があるとして、パキスタン軍への支援を一部凍結することになりました。
 これは、ホワイトハウスのデイリー首席補佐官がアメリカABCテレビの番組の中で明らかにしたものです。この中でデイリー補佐官は「パキスタンは対テロ作戦を進めるうえで重要な国だが、パキスタン軍への支援を思いとどまる事態が生じた」として、パキスタン軍の対応に不満を示し、現在の支援額の4割に当たる8億ドル(日本円にして640億円余り)の支援を凍結する考えを示しました。デイリー補佐官は具体的な理由を明らかにしませんでしたが、アメリカ国内では、パキスタン政府が、アメリカ軍関係者のビザの発給を拒否したり、テロに関する情報を提供してもパキスタン当局が現場に急行しないなどの事例が出たりしているという見方が出ています。パキスタンでは、国際テロ組織「アルカイダ」の指導者、オサマ・ビンラディン容疑者の殺害を巡り、アメリカ軍が事前の通告なしに国内で軍事作戦を行ったことに反発が強まっていますが、今回の措置によってさらに関係が冷え込むことも予想され、今月中にアメリカ軍のアフガニスタンからの撤退が始まるのを前に影響を懸念する声が出ています。

 普通に読んでも違和感を感じるだろう。「デイリー首席補佐官がアメリカABCテレビの番組の中で明らかにした」としてというのだが、何を明らかにしたのだろうか? 文脈からはもちろん「パキスタン軍の対応に不満」という読めるし、その判断の上にのって、「アメリカ国内では、パキスタン政府が、アメリカ軍関係者のビザの発給を拒否したり、テロに関する情報を提供してもパキスタン当局が現場に急行しないなどの事例が出たりしているという見方」を展開しているのだが、いや、ちょっと待て。
 この報道の要点は、「デイリー補佐官は具体的な理由を明らかにしませんでした」ということにある。そして明示された証言は、「パキスタン軍への支援を思いとどまる事態」というだけである。そこから外れる文脈は、思いつきのおしゃべりの域をさほど超えていない。普通に読んだだけでもこのNHKの報道には奇妙さを感じるだろう。
 毎日新聞記事「米国:対パキスタン軍事援助、大幅凍結…態度軟化狙い」(参照)も同じ傾向にある。

【ワシントン白戸圭一】米政府は「テロとの戦い」の同盟国として今年約20億ドル(約1600億円)の軍事援助を供与する予定だったパキスタンに対し、総額の4割に相当する8億ドル(約640億円)の援助を凍結する措置に踏み切った。

 ここまでは事実。

 米軍のパキスタン領内での活動に「主権侵害」と反発するパキスタン政府は、米特殊部隊による国際テロ組織アルカイダの最高指導者ウサマ・ビンラディン容疑者の殺害(今年5月)を機に、米国の対テロ戦に非協力的な姿勢を強めている。米政府は軍事援助の一部凍結で揺さぶりをかけ、パキスタン政府の態度の軟化を引き出したい考えのようだ。

 これは意見。
 この意見の裏付けはどうか。続く文脈で裏付けされているだろうか。

 今回の措置は、オバマ政権のデーリー大統領首席補佐官が10日の米ABCテレビの番組で明らかにし、クリントン国務長官が11日の記者会見で追認した。
 複数の米メディアによると、パキスタン政府は最近、軍事訓練のため駐留していた米陸軍の教官ら100人以上を国外退去処分にした。デーリー氏は番組で「(この処分が)軍事支援停止の理由になり得る」と述べ、援助凍結がパキスタン側への対抗措置であることを示唆した。
 米紙ワシントン・ポストが米軍当局者の話として伝えたところによると、アフガニスタン国境に展開しているパキスタン軍の駐留経費約3億ドルのほか、小火器、弾薬、夜間暗視装置、ヘリコプター備品などの供給が止まるという。
 米政府が同時多発テロ翌年の02会計年度から10会計年度までの9年間に、パキスタンに供与した軍事・民生援助の総額は約207億ドル(約1兆7000億円)。米政府は先月末、アルカイダ打倒に狙いを絞った新たな対テロ戦略を策定したばかりで、パキスタンとの連携は今後も不可欠だ。クリントン長官は11日の会見で「軍事援助凍結の決定は政策の変更を意味するものではない」と述べ、パキスタンを重要な同盟国とする方針に変わりがないことを強調した。
 ただ、米世論調査会社がビンラディン容疑者の殺害直後に実施した世論調査では、63%がパキスタンへの援助停止を求め、継続を望む声は15%に過ぎなかった。援助の凍結解除の是非を巡っては、財政難から対外関与の縮小を求める米世論の動向も影響しそうだ。

 意見の裏付けは読み取れない。
 「援助凍結がパキスタン側への対抗措置であることを示唆」までは穏当な読みだろうが、「ビンラディン容疑者の殺害(今年5月)を機に、米国の対テロ戦に非協力的な姿勢を強めている」という読み筋は裏打ちされていない。
 単純な話、パキスタンはどのように米国に非協力的なのか、なぜそれが重大な局面となっているかが示されてもいない。
 パキスタンは米国に何をしているのか。あるいは、米国はどのような理由でパキスタンが非協力的であるという判断しているのか。NHKの言う「アメリカ軍関係者のビザの発給を拒否したり、テロに関する情報を提供してもパキスタン当局が現場に急行しないなどの事例」は弱い。そのあたりの深刻さの文脈が日本側の報道からは、なぜかほとんど見えない。
 報道を探るとその理由の候補は皆無ではない。日本との関連でいうなら、北朝鮮との関連がある。8日付けAFP「北朝鮮がパキスタンに賄賂、核技術供与の見返りで 米紙」(参照)より。

【7月8日 AFP】米紙ワシントン・ポスト(The Washington Post)は6日、北朝鮮が1990年代、核技術供与の見返りとしてパキスタン軍幹部2人に300万ドル(約2億4000万円)以上の賄賂を渡していたと報じた。
 パキスタンの「核開発の父」アブドル・カディル・カーン(Abdul Qadeer Khan)博士が、北朝鮮の高官から受け取ったという極秘文書のコピーを英国の元ジャーナリストに託したことから明らかになった。
 文書には1998年7月15日の日付けと「極秘」の印、そして当時の全秉浩(チョン・ビョンホ、Jon Byong Ho)党中央委員会書記の署名が入っており、「(パキスタン軍幹部1人に)300万ドルを支払った」、「(2人目には)50万ドルと宝石を贈った」との文言が。そして、「パキスタンにミサイルの部品を送るわれわれ(北朝鮮)の飛行機が到着したら、核兵器関連の文書や部品などを積めるよう手助けしてほしい」と求めている。
 同紙によると、西側諸国の情報機関はこの文書が本物であると確信しているというが、パキスタン政府は文書は偽造されたものであると主張しているという。

 しかし、北朝鮮とパキスタンの関係は、おそらく中国も関与してさほど驚くような内容ではない。むしろ、ワシントンポストが時節に適合させて出してきたご都合のほうが米政府の意向を忖度しているだろう。
 私の読み筋はシンプルなものである。米報道を見ていてはっきりとわかる部分でしかない。パキスタン3軍統合情報局(ISI)が問題の焦点である。
 NHKでも毎日新聞記事でもビンラディン殺害にまでは言及しているがその背景として、なぜかISIに言及していない。
 こういう背景がある。6月24日時事「パキスタン側と連絡=ビンラディン容疑者の要員-米紙」(参照)より。

【ニューヨーク時事】国際テロ組織アルカイダ指導者ビンラディン容疑者が信頼を置いていた連絡要員が使っていた携帯電話の記録から、この要員がパキスタン軍の情報機関、3軍統合情報局(ISI)とつながりの深い武装組織と連絡を取り合っていたことが分かった。ニューヨーク・タイムズ紙が23日、米当局者の話として報じた。
 パキスタンがビンラディン容疑者をかくまっていたのではないかとの疑惑があるが、双方の関連を示唆するものと言えそうだ。
 携帯電話は5月、ビンラディン容疑者に対する急襲作戦時に押収された。電話相手の武装組織は同容疑者が潜伏していたアボタバード周辺に拠点を持つ「ハルカトゥル・ムジャヒディン」。同紙は当局者の見方として「この組織のネットワークを通じ、同容疑者がアルカイダメンバーに指示を出していた可能性がある」と指摘。指示により、物資などを入手し、生活の質を確保していたとみられる。

 私の推測を先にいうと、オバマ政権はニューヨークタイムズを使って、対パキスタン戦略の、間接的なアナウンスをしている。間接的である理由は、パキスタンの国民感情をあまり刺激しないことと、パキスタンの裏にいる中国への配慮であろう。ただ、そこまで日本の報道が配慮すべきなのか、ニューヨークタイムズ報道の吟味を経てから、食い込むべきではあるだろう。
 流れとして見れば、ニューヨークタイムズ報道にアウトラインがあると察しが付く。案の定、8日付け社説「A Pakistani Journalist’s Murder」(参照)にすっきりと描かれていた。
 前提となるのは、ジャーナリスト、サリーム・シャフザド氏の暗殺である。この点については、毎日新聞社のデリー側「パキスタン:「記者殺害に政府関与」 米軍トップが指摘」(参照)で報道されているのに、毎日新聞全体としては読み解けなかったのだろうか。

 米軍トップのマレン統合参謀本部議長は7日、パキスタンの著名なジャーナリスト、サリーム・シャフザド氏(40)が5月末に何者かに殺害された事件について「パキスタン政府が(殺害を)許可した」と語った。パキスタン政府報道官は8日、「極めて無責任な発言」と批判した。シャフザド氏は、国際テロ組織アルカイダなどのテロ集団とパキスタン軍との関係を明らかにする報道で知られ、殺害直後からパキスタン軍情報機関(ISI)による犯行説が浮上していた。ただマレン氏はISIの関与を裏付ける具体的な証拠は持っていないと述べた。【ニューデリー】

 べた記事だが重要な記事である。というのは、ニューヨークタイムズの先の社説に関連しているからだ。

Now the Obama administration has evidence implicating the ISI in this brutal killing. According to The Times’s Jane Perlez and Eric Schmitt, American officials say new intelligence indicates that senior ISI officials ordered the attack on Mr. Shahzad to silence him. Adm. Mike Mullen, chairman of the Joint Chiefs of Staff, confirmed on Thursday that Pakistan’s government “sanctioned” the killing, but he did not tie it directly to ISI.

現在、オバマ政権はこの残虐な殺害にパキスタン3軍統合情報局(ISI)が関与している証拠を握っている。ニューヨークタイムズのジェーン・パールズとエリック・シュミットによると、ISI高官がシャフザド氏の口を封じるために攻撃を命じたことを示す新しい諜報情報がある。マレン統合参謀本部議長は、パキスタン政府がこの殺害を「認可した」ことを確認したが、直接的にはISIに結びつけなかった。


 表向きにはISIへの言及はたしかに避けられている。だが、NHKや毎日新聞の報道とは異なる文脈をニューヨークタイムズは続いて示した。

The murder will make journalists and other critics of the regime even more reluctant to expose politically sensitive news. The ISI is also proving to be an increasingly dangerous counterterrorism partner for the United States.

この殺害によって、パキスタン内のジャーナリストや批判者は、政治的に差し障りのあるニュースの暴露を控えるようになるだろう。ISIは、米国にとっていっそう危険なパートナーになってきたことが判明しつつある。


 ISIがなぜ問題なのかは、日本ではあまり報道されていないが、米政府は次のように、しっぽをすでに掴んでいるからだ。

There is evidence that they were complicit in hiding Osama bin Laden in Abbottabad and that the ISI helped plan the Mumbai attack in 2008. They failed to prevent the recent attack on a naval base in Karachi. Mr. Shahzad disappeared two days after publishing an article suggesting the attack was retaliation for the navy’s attempt to crack down on Al Qaeda militants in the armed forces.

ISIがオサマ・ビンラディンのアボッタバード潜伏で共謀していたこと、またISIが2008年のムンバイ攻撃立案に支援していたことの証拠がある。またISIは最近のカラチ海軍基地攻撃防止に失敗した。シャフザド氏が失踪したのは、アルカイダ武装勢力を武力で取り締まる海軍への報復であると示唆した記事を公開して2日後のことだった。


 端的に言えば、ISIがタリバンやアルカイダと通じて反米主義の活動を行っているとオバマ政府が確信しているということがある。NHKや毎日新聞報道で曖昧にされているのはこの点なのだ。
 ニューヨークタイムズ社説はこのISIの問題が組織のどの点まで及んでいるのかどのような構造があるのかは明確にしていない。慎重を期すなら、証拠なるものが公開されない以上、オバマ政権の臆断にすぎない可能性もないわけではない。
 しかし、構図がこのように描けた以上、米政府の意向は明確になっている。ISI長官であるアーメド・シュジャ・パシャ中将(Lt. Gen. Ahmed Shuja Pasha)の解任要求である。

The United States needs to use its influence to hasten Mr. Pasha’s departure. It should tell Pakistan’s security leadership that if Washington identifies anyone in ISI or the army as abetting terrorists, those individuals will face sanctions like travel bans or other measures. The ISI has become inimical to Pakistani and American interests.

米国はパシャ氏の解任を早めるために影響力を行使する必要がある。米国政府がISIまたは軍内の者がテロリスト煽動をしていると認定するなら、その人物は渡航禁止になるかその他の手段で制裁を受けると、パキスタン安全保障の指導者に告げるべきだろう。ISIはパキスタンと米国の国益にとって不利益なものになってきている。


 今回のパキスタン軍への制裁やマレン米統合参謀本部議長の談話は、ISIパシャ長官辞任のための、いわば花道ということなのだろう。

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2011.07.09

なぜ江沢民は死んでいないのか

 この数日、江沢民前国家主席死亡の噂が飛び交った。私は死んでいないと思っている。その理由と事態の本質について、現在の記録として簡単に印象を記しておきたい。
 大手紙の部類に入れてよいと思うが産経新聞は7日、江氏死亡のニュースを流し、あまつさえ号外も出した。「江沢民前国家主席が死去 今後の日中関係にも影響か」(参照)である。結果としていくつかの点で興味深いニュースなので引用しておきたい。


 中国の江沢民前国家主席が6日夕、北京で死去したことが7日分かった。日中関係筋が明らかにした。84歳だった。遺体は北京市内の人民解放軍総医院(301病院)に安置されていると見られる。関係者は「脳死」と話している。
 江氏は1989年から2002年まで中国の最高指導者である共産党総書記を務め、改革開放路線を推進して高度経済成長を実現する一方、貧富の格差拡大を生み出した。次期最高指導者と目される習近平国家副主席の有力な支持者でもあり、江氏の死去は今後の政局や日中関係にも影響を与えそうだ。
 中国のメディア関係者によると、江氏は長期間にわたり膀胱(ぼうこう)がんで療養していた。4月ごろから体調を崩して入院、6月下旬から危篤の状態が続いていた。7月1日の中国共産党創建90周年の祝賀大会を欠席したため、重病説や死去説が流れていた。
 江沢民氏は江蘇省出身。1947年に上海交通大を卒業。55年、当時のソ連の自動車修理工場で研修した経歴をもつ。電子工業相を経て85年に上海市長、87年に上海トップの上海党委書記に就任。
 89年6月、民主化運動を弾圧した天安門事件直後にトウ小平氏ら長老たちに抜擢(ばってき)され、総書記の座に上りつめた。国家元首である国家主席は93年3月から03年3月まで務めた。
 97年のトウ氏死去後、名実ともに中国の最高指導者となった。
 在任中、企業家の共産党入党を積極的に認めるなど党改革を手掛けたが、言論の自由や民主化に向けた改革には消極的だった。
 引退後も、上海閥のリーダーとして政界に影響力を持ち続け、上海閥と良好な関係にある習副主席を支援してきた。

 しかし中国政府は江氏が死去していないことを公にしている。同日朝日新聞「江沢民氏死去のうわさ 新華社は否定の英文記事」(参照)より。

 香港や日本などの一部メディアが中国の江沢民(チアン・ツォーミン)前国家主席が病死したと報じ、中国国営の新華社通信が7日、複数の権威筋の話として「全くの流言に過ぎない」と否定する英文記事を配信した。死去説がネット上などで広がり、放置できなくなったと見られる。
 新華社は政府の公式見解を伝える役割を持ち、中国外務省の洪磊・副報道局長は7日の会見で「新華社がすでに報道している」と強調し、死去を否定した。情報の広がりを抑えるため、当局は報道やネットの規制も実施。ネット検索で江氏の名前や死去に関する情報を入力すると、「関連法規により結果を表示できない」となった。
 一方、6日に江氏を病死と報じた香港のテレビ局ATVについて、香港にある中国政府の出先機関は7日、「メディアの節度を著しく逸脱した行為に大きな憤慨を表明する」と厳しく批判。ATVは同日、報道を取り下げ、江氏らに謝罪するとの声明を出した。

 表面的に見るなら産経新聞が勇み足の誤報で朝日新聞が正確な報道である。しかしもう少し先がある。8日付け朝日新聞「江沢民前国家主席が危篤 数日中に重大発表との情報も」(参照)より。

 中国の江沢民(チアン・ツォーミン)前国家主席(84)が危篤に陥った。複数の外交筋や中国筋が明らかにした。中国国営の新華社通信は7日、一部メディアが報じた死亡説を「流言」と否定したが、中国外務省は同日の定例会見で、江氏の容体について確認を避けた。数日中に重大発表があるとの情報もある。
 関係筋の情報を総合すると、江氏は複数の持病を患っているとされ、7日までに病状が悪化。深刻な状態に陥った。生命維持装置で延命措置がとられているとの情報もある。江氏の家族は延命措置の停止に同意したが、中国共産党指導部の政治局常務委員会のメンバー9人のうち、賀国強(ホー・クオチアン)氏が外遊中のため、党が対処方針の最終決断を先送りしている、との見方もある。
 江氏は1日に行われた共産党創立90周年の記念式典を欠席。健康悪化説が飛び交うきっかけとなった。
 中国筋によると、中国政府は6日、閣僚級の幹部に出張を控える禁足令を出し、中国メディアに対しては、江氏の死亡を報じる際のガイドラインを通達。こうした動きを見た香港や日本などの一部メディアが6日から7日にかけて、江氏の死亡を報じ、ネット上などでも死亡説が広がった。

 どういうことなのか。何が中国政府内で起きているか。
 それ以前にこれらの報道は矛盾しているだろうか。
 私は矛盾していないと思っている。誤報に見える産経新聞記事だが、「遺体」という表現はさすがにまずいとは思うが、要点は「関係者は「脳死」と話している」にある。8日付けの朝日新聞記事も「生命維持装置で延命措置がとられているとの情報もある。」として脳死を示唆している。脳死と見ると文脈は整合的だ。
 私は江氏は心拍停止という意味では死去していないと見ている。
 理由は、中国人は政治の文脈で多元化した情報の渦中におかれると嘘がつけなくなるからだ。日本人なら、小渕元総理の急死でクーデターまがいのことをやっても口裏を合わせて押し通し、ジャーナリズムもなあなあにして、事実とは解釈であるみたいに倫理性のフィルタをかけるが、中国人はこうした口裏合わせをするには決死の盟友間でないと無理で、それはごく数名に限定される。江氏の状況では無理である。
 江氏が心拍停止の状態であればそれを権力で押し隠すことはできても、いずれ押し隠すことはできなくなるし、しかもその暴露時には隠した者の弱点として政治の文脈にひきづり出されてしまう。リスクが高い。
 現在の胡錦濤・温家宝体制がそのリスクを一定期間抱え込むことはむずかしい。よって、私は江氏は存命していると見る。
 では、そもそも脳死ですらないということはあるのか?
 それもないだろうと思う。もし回復の見込みがあれば、それもまた同じように中国人の弱点に対する政治の心性からその動きが出て来てよさそうだが、それもない。
 江氏の死の情報がかくまでに抑圧されること自体が皮肉にもメッセージ性を持ってしまった。こういういとなんだが、江沢民は脳死ですということを事実上公言しているに等しい。
 となれば、江氏の死の問題は、いつ生命維持装置を外すか、あるいは突発的に心拍停止になるかのいずれかで、後者のリスクが弱点にならないように政治的な検討が現在進められていると見ていいだろう。
 江氏の死のメッセージ性は何か。
 具体的にキーとなるのは、朝日新聞が示唆しているように、この間フランスを訪問中だった賀国強・政治局常務委員であろう。賀氏といえば、江派と見られているので(参照)、その上海閥と胡派の共青団との対立で、次期主席と目される習近平に焦点が当てられるのはしかたながない。主席を目指しての権力闘争という構図で江氏の死を見ていくという読み解きもあるだろう。そうした構図がないわけではない。
 だが私はそう見ていない。
 象徴的なのは、200人の死者を出した中国新疆ウイグル自治区ウルムチ市の大規模暴動のちょうど2年目の記念日を迎えた7月5日の報道である。ここに賀氏、また同じく江派と見られる周永康・政治局常務委員の姿があった。5日付け毎日新聞「中国:ウルムチ暴動2年 民族間、不信根強く 当局、監視カメラ1万7000台」(参照)より。

 同自治区では、共産党指導部の視察も続いた。5~6月にかけ、賀国強・政治局常務委員や公安部門担当の周永康・政治局常務委員が自治区を訪問し、民族団結や社会管理の徹底などを訴えた。共産党創建90周年の記念日(7月1日)や暴動から2年という節目を前に、引き締めを図ったとみられる。

 表層的には、上海閥的な強権政治で中国が安定しているかに見えるが、事態が逆で、中国の内情は国民の不満で一触即発の状態にある。
 その象徴ともいえるのがウイグルなので、そこを着火点にしてはならないとして、今回の報道は着火を上海閥的な強権政治が抑えているというディスプレイであった。つまり、むしろ現実は上海閥的な強権政治の弱みが露呈しつつある。
 上海閥的な強権政治がイコール、軍閥割拠的な動向でないのは、地方政治的な利権の構図をそのまま中央に持ち込めば、中国国家が崩壊しかねない状態にあり、その認識をもとに現状では、胡氏の勢力と江氏の象徴される上海閥的な勢力の上部は、現実的な両者の妥協の道を模索していると見られる。
 そしてその妥協への反発が、今年になって目立つ南シナ海への物騒な軍事進出や国際犯罪者であるバシル・スーダン大統領の国賓待遇の背景にあるもだろう。ちぐはぐで、外交的には失点にしか見えない愚行が国際的に開陳されるのは、中国内部的な権力問題の宥和性が優先されるからだ。
 こうした現状、江氏の存在感はどれほどだろうか。
 引退した江沢民氏にどれほどの権力があったかは評価が難しい。人事の経緯や福田元総理の話(参照)などからすると、2年くらいまでは意外に強い権力を維持していたようにも見える。だが、胡氏の権力掌握の過程からすると、これらは胡氏側の宥和的な妥協であるかもしれない。いずれにせよ中央政府的には権力の均衡が模索されているなか、江氏の死がそれを崩す可能性は避けたいというのが今回の事態の背景だろう。
 さらに背景の全体構図だが、最大の動因は、中国国内の市民の不満にある。NHK時論公論「暴動頻発 中国共産党90周年の課題」(参照)で加藤青延・解説委員が説明しているように、経済成長に伴う貧富格差とインフレが課題になっている。

今の中国社会を、弱い立場の人の目線で眺めますと、経済成長の恩恵を一身に受けている既得権益層、富裕層と、絶大なる権力を握っている地方当局の役人たちが、強い発言権を持ち、そうした人たちが、利権を独占し、下から這い上がろうとしている人たちを押さえつけるかのような社会構図になっているのです。これでは、弱い立場に置かれた人たちは、いくら働いても、ちっとも幸せにはなれないと感じるのです。

 その深刻さは暴動が構造的な起因をもっていることだ。

 今月10日、中国南部の広東省広州郊外でおきた暴動は、その映像が海外にも伝えられ、世界に衝撃を与えました。四川省出身の出稼ぎ労働者ら数千人が暴徒化し、警察の車両をひっくり返したり、地元の役所の建物に放火するなどして、治安部隊との衝突を三日間にわたって繰り返しました。
 実は、こうした暴動や抗議活動は、このところ中国で頻繁におきています。
 こちらは、最近、地元当局に対する抗議活動や暴動が起きた場所です。ほとんどが数百人から千人規模の群集による抗議活動で、多くが、治安部隊と衝突しています。注目すべきことは、そうした、抗議活動が、わずか1ヶ月あまりという短い期間に、しかも、中沿海部から内陸部にかけて広い地域にわたって、次々と起きていることです。
 しかし、それぞれの事件に関連があるかといえば、まったくつながりはありません。
 広州市郊外の暴動の場合は、スーパーマーケットの前で、モノを売ろうとした出稼ぎの女性に対して、警備員が手荒な扱いをしたことがきっかけでした。他の事件も、発端は、環境汚染や土地の収用問題などまちまちですが、共通しているのは、人々の間に鬱積した不満が爆発し、その怒りの矛先が、地元の行政当局に向けられていること。そして、参加者の多くが、いまの中国社会で、とりのこされた弱者の人たちだということです。

 上海閥であれ共青団であれ、地方の不満を懐柔し、インフレに対応する以外に国家を存立されることは不可能な状態である。
 その要点は何かといえば、まさに中国の社会システムの根幹である戸口制度にある。6月11日付け中央日報「中国農民工の「反乱」」(参照)が詳しい。

農民工問題は中国の社会システムと関連した事案だ。戸口(居住地登録)制度が核心だ。彼らは農村に居住地登録をしている農民の身分だ。いくら都市生活が長くても農民にすぎない。彼らは住居・医療・教育など都市住民が受ける福祉の恩恵を享受することはできない。その不均衡が彼らを爆発させたのだ。様々な学者の非難にもかかわらず、戸口制度は健在だ。廃止に対する都市既得権層の反発が激しいためだ。

 問題を焦点化するなら、地方の暴動と戸口制度改革に対する都市既得権層の反発ということになる。言うまでもなく、都市既得権層が江派に深く関わっていることが、その死の話題性を高めている。
 
追記(2011.10.9)
 江沢民前国家主席が辛亥革命100周年記念大会に出席し、そのことで死亡説は否定された。本エントリで引いた産経新聞記事について産経新聞がお詫びを出していた。「「江沢民前中国国家主席死去」の報道について」(参照

2011.10.9 15:04
 7月7日の速報および号外(電子版)で、日中関係筋の情報として「江沢民前国家主席死去」の見出しとともに、「中国の江沢民前国家主席が6日夕、北京で死去したことが7日分かった」と報じました。しかし、江氏は10月9日、北京で開かれた辛亥革命100周年記念大会に出席したことが確認されました。見出しおよび記事の内容を取り消し、関係者と読者のみなさまにおわびします。

 エントリで想定したように江沢民前国家主席は存命していたが、この時点では脳死状態で回復の見込みはないと見ていた。今回江氏が短いスピーチをするかにに注目したが、報道からはわからなかった。
 人前に出てくるまでの回復は予想できなかったが、エントリを見直してみて、それ以外の点では大筋で特に意見を変える部分はないと思った。特に、江氏の死について「リスクが弱点にならないように政治的な検討が現在進められていると見ていいだろう」ということには変わりはないだろう。

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2011.07.08

[書評]奇跡を呼ぶ100万回の祈り(村上和雄)

 勧められて読んだ本。たぶん、今の自分なら自分から手にとって読むことはないのではないかという種類の本。表題が示すように、100万回の祈りがあれば奇跡も起きるだろうという。それはそうかもしれないと思う(母集団は大きいぞ)。でも、祈りが遺伝子にスイッチを入れて人は健康に長寿に幸福になるという話に及んで、私は反射的に苦笑してしまう。そして著者が著名な遺伝子学者であると知って、さてこの苦笑をどうしたものかと戸惑う。自分という人間は嫌なヤツだな。

cover
奇跡を呼ぶ
100万回の祈り
村上和雄
 私が何に対しても祈らなくなったのはいつだろうと思い返してみた。いつというはっきりとした区切りはなさそうに思えたのが奇妙だった。つまり祈っていたこともあった。
 高校二年の修学旅行のとき親友と三人組で奈良旅行を計画した。修学旅行とはいえ自由に計画して先生が認可すればそれでよいというものだった。僕が率先して計画した。郡山から斑鳩の散策である。当時熟読していた亀井勝一郎「大和古寺風物誌」(参照)を携えた。亀井は仏像とはまず拝まれる対象だとしていた。祈りの対象であると。仏像とは祈りの形であって美の対象ではないと。だから、祈りなさいと。私は仏に祈りを捧げつつ、閑散とした奈良の道を歩いた。
 それからどうして祈らなくなったのかよくわからない。いやキリスト教に傾倒してその神様にも祈ってもいたのだが、ひねくれた私がイエスから学んだのは、祈るなということだった。マタイ6章より。

祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。

 その後、イエスは祈りを授けた。主の祈りと言われている。

天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。

 書き写していて驚く。私はこれをよく祈る。祈りなんかしないと言ってるわりに、けっこう祈り続けている。信仰を失って久しいのに、主の祈りだけはいつも思い起こし口にしている。いや、アヴェマリアも唱える。こちらは古語で。

めでたし聖寵みちみてるマリア、
主、御身と共にまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
御胎内の御子イエズスも祝せられたもう。
天主の御母、聖マリア、
罪人なる我らの為に、
今も臨終の時も祈り給え

 若い頃になんとなく覚えてしまった祈りのせいか、エペソスの聖母マリアの家にも行ってみたものだった。
 祈りが自分に何をもたらしたのか、わからないといえばわからない。その程度の祈りに過ぎないというのもある。それでも、本書を読みながら、いやわかる部分もあるなとも思う。本書には、祈りというものに向き合った人には、さりげなくぞっとするような真実が書かれている。なるほど感じ得るものがある。

祈りによってもたらされる結果は「その人にとって最適なこと」であるのです。

 そう太字で書かれているて、反射的にそれはないだろ。そんなことはないだろと思いつつ、そうであるかもしれないという思いもある。パウル・ティリヒの祈りを思い出した。

自分の生涯を振り返るとき、それは長かろうと短かろうと、そこで出会ったすべてのことについて感謝します。自分が愛したもの、喜ばせてくれたものについてばかりではありません。失望や痛みや苦しみをもたらしたものについても感謝します。私どもがそのためにこそ生まれてきたはずのものを成就するためには、それもまた助けとなってくれたのだということを、今は悟っているからであります。そして、新しい絶望、新しい苦しみが私どもを捉え、感謝の言葉が消えるならば、思い起こさせてください。あなたが導いてくださった、暗黒のなかの道ゆえに感謝せずにはおれなくなる日がくることを。

 自分なりには、この本で「祈り」というものに再び向き合うことができたのは、ラッキーだったな。

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2011.07.01

[書評]「正法眼蔵随聞記」

 「正法眼蔵随聞記」は不思議な書物である。これに魅せられた人は生涯の書物とするだろうし、私も40歳を過ぎて絶望の淵にあるとき、ただ読みうる本といえば、この本だけでもあった。この本から生きることを学びなおした。
 「正法眼蔵随聞記」は鎌倉時代の僧・懐奘が師・道元の教えを記した書とされている。懐奘にこれを公開する意図があったかはわからない。現在の「正法眼蔵随聞記」という書名があったわけでもない。それでも「正法眼蔵随聞記」という書名は、道元の主著「正法眼蔵」を連想させ、その正法に「随い聞く」という主旨が反映されている。
 懐奘が30代半ば、新しく得た、そして真実の師である道元の教えを書き出したのは、その学び始めのころ、文暦元年(1234年)ごろとされている。北条泰時執権の時代である。書き記した文は、懐奘の死後、その弟子によって書写されていたが、広く世間に知られるようになったのは、現在の岩波文庫が採っている、面山和尚による明和6年(1769年)の改訂本である。江戸時代中期と言ってよい。
 この版は明和本または面山本とも呼ばれている。広く流布されたことから流布本とも言われ、「正法眼蔵随聞記」の書名も面本に由来していることから、長く「正法眼蔵随聞記」を代表していた。面山本は明治時代以降よく読まれたが、いわゆる古文といっても江戸時代の言葉に直されて読みやすいためもあるだろう。私もそのまま面山本を読んできた。
 「正法眼蔵随聞記」の板本として最古のものは慶安4年(1651年)というから、江戸幕府の権力が固まりつつある時代である。同年には家綱が将軍となり戦国時代的な最後の反乱ともいえる由井正雪の乱が起きた。
 この版は年号から慶安本とも呼ばれている。校訂は教家の僧とあるが、道元の研究者・水野弥穂子は天台僧と推測している。慶安本が道元の教統からではないことは、懐奘を「クワイジョウ」訓じていることからもわかる。時代的に類推されるのは、古事記の最初の版本とされる卜部系の寛永の版本が寛永21年(1644年)だろう。日本が安定化する時代に向かって古代の真理への遡及という欲望が喚起された時代である。
 慶安本は18年後の寛文9年、10年(1670年)に刷り直しされていることから、この間読み継がれ評価されていたことがわかる。面山和尚もその一人で、彼が27歳(1709年)のおり、慶安本の原本が存在することを知り、20年の探求後、若狭・空印寺で古写本を知り、さらに30年近い年月をかけて研究し76歳で校訂を終えた。出版されたのは、さらに12年後の面山没翌年であった。
 「正法眼蔵随聞記」研究に大きな変化が起きたのは、近代に入ってからである。昭和17年、大久保道舟が愛知県の長円寺から慶安本より古い写本を発見した。長円寺本と呼ばれている。長円寺本は、寛永21年(1644年)、長円寺二世・宋慧和尚が58歳で書写したもので、さらにその原本は康暦2年(1380年)宝慶寺浴主寮で書写されたものであることがわかっている。
 宝慶寺は、宋・天童山慶徳寺・如浄和尚の弟子・寂円が開いた寺であり、寂円は道元が入宋のおりに知り合い、如浄没後道元を慕って来日した僧侶である。映画「禅ZEN」(参照)で鄭龍進が好演であったのが印象深い。道元亡きあと、寂円は懐奘に師事したことから、長円寺本によって「正法眼蔵随聞記」が道元の謦咳にまでようやく達したことになる。寂円の弟子で永平寺中興の祖・義雲はも「正法眼蔵随聞記」も熟読したことだろう。
 長円寺本の発見が衝撃的だったのは、面山本との相違が大きいせいであった。この差違に対する逡巡は、和辻哲郎が校訂し昭和4年に、当時の道元ブームに乗じて刊行した岩波文庫「正法眼蔵随聞記」(参照)を1981年に改版する際の責任者・中村元による後書きにもある。私が高校生のころ安価に入手できる「正法眼蔵随聞記」といえば、この岩波文庫と角川文庫であったが後者も面山本であり、私は以来、「正法眼蔵随聞記」を読書として読むなら面山本を読むことになる。
 現在では、長円寺本による、水野弥穂子・校訂の「正法眼蔵随聞記」(参照)がちくま学芸文庫で比較的安価に購入できる時代ともなり、「正法眼蔵随聞記」といえば、水野校訂本とその現代語訳が先に読まれるようになった。
 原典に近いのがどれかといえば、水野校訂本であるといえるし、その原文は平安時代人の道元の肉声を残しているともいえる。だが、校訂によって補われているとはいえ、水野校訂本は漢字・カタカナ・ひらがなの混在で素読には難しく、現代日本人が「正法眼蔵随聞記」を読むといえば、水野訳の現代語を読むという趣向になる。そのことで、面山本以降の日本の近代文化における「正法眼蔵随聞記」の伝承の一部は失われる部分もある。
 話を懐奘の時代に戻すと、彼が「正法眼蔵随聞記」を記していたのは、道元に師事した最初の3年間に限定されていて、その点から言うのであれば、「正法眼蔵随聞記」は道元の教えを記したというより、懐奘が道元という人の出会いからその教えが彼の身体に血肉化されるまでの探訪の記録ともいえる。道元自身が師・如浄との邂逅を綴った宝慶記にも似ているので、「宝慶記・正法眼蔵随聞記」(参照)として合本として編まれることがあるのも頷ける。
 「正法眼蔵随聞記」はともすれば、道元の教説集のようにも読めるし、そのように読んで間違いでもないが、懐奘がこれを記していた時期は、懐奘とその母の別れの苦悩時期であり、その物語が秘められている。この話は水野弥穂子による「『正法眼蔵随聞記』の世界」(参照)に詳しいが、彼女は、懐奘が母の臨終を看取りたいとする苦悩を、仏教の観点から押しとどめた道元という構図で描いてる。
 道元は厳しい師でもあったし、水野は、道元自身の母との死別、師・如浄の死別への共感の洞察を保ちながらも、人間的な共感として描き、その文脈で後の、懐奘による義介への配慮を読み取ってもいる。その解読は大きなドラマでもある。
 しかし、私は「正法眼蔵随聞記」に秘められた道元の配慮は、少し違うのではないかと思うようになった。道元は本当に懐奘が苦悩から救われることはただ禅にしかないと確信していただけなのではないか。禅のみのが人の苦悩を救う、その一点にのみ立つ道元には懊悩する者への優しさがあり、「正法眼蔵随聞記」はそれを伝えている。

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