[書評]働かないアリに意義がある(長谷川英祐)
少し前になるが進化論関連の本で面白かったのは、「働かないアリに意義がある(長谷川英祐)」(参照)だった。昨年末に出された本書は、出版社側の売りの戦略や表題のせいもあるだろうが、ネットの書評などを見ていると一種のビジネス書のように受け止められているふうもある。本書の説明でも会社組織や人間社会の比喩がふんだんに使われていることからすると、それもあながち誤読と言えるものでもないだろうが。
![]() 働かないアリに意義がある 長谷川英祐 |
進化論といえば当然、ネオダーウィニズムを指すのだが、ネオダーウィニズムの成否を問うというより、ネオダーウィニズムというのは「意義」を説明する叙述の方法論であって、その説明の妥当性が、真社会性生物のありかたにおいて問われることなるのだが、そこには興味深い未知の部分が存在する。言うまでもないことだが、それをもって進化論なりネオダーウィニズムが否定されるといった話ではない。
以前「[書評]アリはなぜ、ちゃんと働くのか(デボラ・ゴードン)」(参照)に触れたが、真社会性生物の知のあり方が問われるという問題もある。本書では、「第1章 7割のアリは休んでる」「第2章 働かないアリはなぜ存在するのか?」で言及され、真社会性生物研究の入門的な役割と一般読者の関心を引く構成になっている。これはこれで面白い。
中心的な課題は進化論的な説明だが、真社会性生物が進化論の枠組みで問われることには、ダーウィン以降の伝統がある。
生物進化の大原則に「子どもをたくさん残せるある性質をもった個体は、その性質のおかげで子孫の数を増やし、最後には集団のなかには、その性質をもつものだけしかいなくなっていく」という法則性があります。「生存の確率を高め、次の世代の伝わる遺伝子の総量をできるだけ多く残したもののみが、将来残っていくことができる」とも言い換えられます。ところが真社会性生物のワーカーは多くの場合子どもをうまないので、「子孫を増やす」という右の法則とは矛盾する性質が進化してきた生物、ということになります。なぜそんな生物が存在するのか? この謎は進化論の提唱者チャールズ・ダーウィンが、自分の進化論を脅かす可能性があるとして、彼の著書『種の起源』のなかで紹介しています。この謎によって真社会性生物は、昔から生物学者の注目を集めていたのです。
この言及の後、真社会性生物は意外と1980年代までハチ、アリ、シロアリくらいしか知られていなかった。が、アブラムシやネズミ、エビ、カブトムシ、カビなどにも見つかってきていると続く。真社会性生物の拡がりからすると、その社会性の原理性は、いわゆる進化系統図とは異なる進化のタイプ論を形成するだろうし、さらに言えば、タイプ論も進化の原理性に関わってくるといえる。本書は直接的な言及はないが、人間社会での比喩を多用していることから暗黙裡に、人間のあり方にもその影響を見ていると言っていいだろう。
真社会性生物、とくにワーカーのように子孫を残さない個体を生み出した生物の進化を進化論(ネオダーウィニズム)でどのように説明するか? 私が子どものころに話題だったのは、ウィリアム・ドナルド・ハミルトン(William Donald Hamilton)による血縁選択説(Kin selection)だった。簡単にいえば、個体が自分の子を直接産むよりも、遺伝子を共有する血縁者を通したほうがより多く、自分の遺伝子を残せるというものだった。ハミルトンが当時影響力を持ったのはおそらくこれをハミルトン則として数式化した関係式で説明したせいもあるだろう。br-c>0、または移項して、C<BRともなる。
bが相手(女王)を助けることによって相手の生む子どものふえる量、rは自分と相手が遺伝子を共有している度合い(血縁度)、cが相手を助けなかった場合に自分が埋める子どもの数の変化分です。
ようするに血縁の濃い女王を助けると自分の遺伝子も効果的に残せるというものだった。
ところが、学説は巧妙に見えて、関係式が反証可能的ではない。単独性固体の適応度は計測できないのである。
ハミルトン則が登場して50年経ちますが、それが本当に現実の真社会性生物で成立していることを直接証明した研究は一つもありません。なぜできないのか? 理由はカンタン、真社会性生物で、単独で巣を営む個体が同じ集団内に共存しているものが見つからないからです。
このあたりから本書の面白さが頂点になる。血縁選択説については、メスとされるワーカーの性比を通して間接的に説明され、いちおうめでたしめでたしではあるのだが、群選択との対比が持ち上がる。
社会を作るということは、個体が集まってグループになることです。この場合、例えば2匹で協力して何かをやると、1匹でやるときの2倍以上の効率があがるとすれば、血縁選択上の利益がなくても協力する方向で生物は進化するはずです。
血縁選択なのか群選択なのかという択一ではなく、血縁選択は働くだろうとしてそれが群選択より強いもののか、どの程度の進化的な要因なのかということが問われる。本書はその総合説に至る入り口までを議論している。
本書の終盤は、働かない働きアリを通して、「適者生存」の意味を再吟味していく議論になる。この議論も面白い。
実はこの「適者」というのがくせ者です。ダーウィンの理論には「何に対して適しているものが適者なのか」という定義がなされおらず、したがってどんな性質が進化してくるのかもこの理論だけでは決められないのです。
もちろんそれでは科学にならないので「定常個体群」という考え方があり、理論内の整合はつくのだが、本書では、この条件が現実の自然界を意味しているかという研究はないという指摘がある。また、適応の未来のレンジはどこまでなのかという問題も提示してくる。
もしかすると、次世代の適応度に反応する遺伝子型と、遠い未来の適応度に反応する遺伝子の型がいまこの瞬間も、私たちの体内で競争しているのかもしれません。
本書はその状態を科学にとって未知なものとして素直に受け止めることで締めている。それは誠実な科学者らしい態度でもあるなと感心した。
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コメント
わたしは、いまのところ、「働かないアリ」。
でも、社会にとって無意味ではありません。
ちゃんと労力を使って、情報発信しているもん。
いまに、その意義がみんなにわかると思います。
投稿: enneagram | 2011.06.08 08:26
アブラムシ,カブトムシという表現は一般のかたには誤解をまねくような気がします.
投稿: KI | 2011.06.08 21:30
働かない人は会社の中では、排除されるような気がしていましたが違っていましたね。確かに存在しているものの何処かそのままでいい気になる、そんな位置にでしょうか?。
投稿: | 2012.03.02 18:52