« [書評]絶頂美術館(西岡文彦) | トップページ | [書評]震災恐慌!~経済無策で恐慌がくる!(田中秀臣・上念司) »

2011.06.22

La mort du jeune Barra

 写真に見慣れた現代人にとって絵というものはまず見るものであるが、他の時代の人々にとっては、そしておそらくどの地域や文化であれ、見るために背景知識を要する記号の集合でもあり、その知識に偏在はあったとしても、見る者にまったくの不可解ということはなかった。あるいは、それらの知識やコードは同時代人には無意識に了解されるものでもあり、現代の絵画・写真においても同じことがいえる。にもかかわらず絵には、その知識なくして見る者にだけもたらす秘密というものがある。この絵についても、知識を持たない人がおそらくその本質を瞬時に看取するだろう。

 上半身を拡大する。

 フランスの新古典主義の画家、ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)が1794年に描いた"La mort du jeune Barra"である。「若きバラの死」であるが、"Mort de Barra"、「バラの死」と略されることもある。
 描かれているのは少年である。
 屍体として描かれている。
 少年の名前は、"François Joseph Bara"である。"Barra"とも綴られる。日本では「ジョゼフ・バラ」と呼称される。1779年7月30日に生まれ、1793年に殺害された。
 事件は同年・1793年、現在のヴァンデ県を含むポワトゥー、アンジュー、メーヌなどのフランス西部の地方で発生した「カトリック王党軍」を名のる王党軍と革命軍との戦いである。14歳のバラは少年鼓手として革命軍に加わり、王党軍の捕虜となり、王党軍の兵士から"Vive le Roi !"(国王万歳)と叫ぶよう強要されたが、バラは"Vive la République !"(共和国万歳)と叫んだために殺害されたという。
 日本ではこの戦いを「ヴァンデの反乱」と呼ぶこともあるようだが、フランス語では近年では"Guerre de Vendée"と呼ばれ、英語圏でもフランス語に習い"War in the Vendée"(ヴァンデ地方の戦争)としている。「反乱」という表現では共和国側の価値観が反映していると見られるからかもしれない。
 実態はどのようなものであったかについては、十分に解明されているとは言い難いが、死者数は20万人は下らないと見られている。ダヴィッドがバラの死を描いたのは1794年であり、殺戮のさなかであったとよい。戦闘は、ルイ=ラザール・オッシュ(Louis Lazare Hoche)の平定宣言の1796年までともされるが、ナポレオン皇帝が終結としたのは1801年であった。
 バラの死は、鳥居強右衛門勝商や木口小平のように英雄的行為として称賛されることになるが、そのプロパガンダの推進役はルソー主義のマクシミリアン・ロベスピエール(Maximilien François Marie Isidore de Robespierre)であった。バラの死の同月に顕彰の演説をぶち上げている。英語圏の資料を読むと"only the French have thirteen-year-old heroes"として「フランスのみが13歳の英雄を持ち得た」と語ったとあるが原語は確認できなかった。バラは実際は14歳で殺害されたので、ロベスピエールが13歳と語ったのであればその差違の由来が気にもなるがわからない。
 バラの遺体はその後、フランスにおける靖国神社とも言えるパンテオンに埋葬され、フランス国民が倣うべき小国民的英雄とされた。翌年・1794年に、エティエンヌ=ニコラ・メユール (Étienne-Nicolas Méhul)は共和国イデオロギーを鼓舞する"Chant du Départ"(門出の歌)を作詞したが、そこにもバラは象徴的に登場する。現代でもこの歌はフランスの愛国歌として歌われている(参照)。


Un enfant
De Barra, de Viala le sort nous fait envie ;
Ils sont morts, mais ils ont vaincu.
Le lâche accablé d'ans n'a point connu la vie :
Qui meurt pour le peuple a vécu.
Vous êtes vaillants, nous le sommes :
Guidez-nous contre les tyrans ;
Les républicains sont des hommes,
Les esclaves sont des enfants.

ある子供
バラとヴィアラの運命は我等を羨望に満たす
彼等は死んだが、彼等は勝利した
年齢に苦しむ臆病者は生命を感じる事は無い
彼は人々が生きる為に死んだ
汝等は勇敢で、我等も勇敢である
暴君に対する為に我等を導き給え
共和主義者は男達で
奴隷は子供である


 バラとならぶヴィアラも同じような存在である。
 この歌、"Chant du Départ"(門出の歌)はフランス軍歌とも言われるが、一般的にも歌われているようだ。

 ミレイユ・マチューが歌い上げる勇ましさは岸壁の母を凌駕するもので、王制を忌避する共和国の精神性というのはこういうものなのだろうと知る点でも感慨深い。
 現代に残るバラの顕彰には、モディリアーニの伝記でも思い出深いパリ6区のバラ通りがある。よもやと思い、グーグルストリートビューで見たら、あった。

 バラの彫像が見られるのではないかと、ストリートビューでうろついたが、青山大学の裏通りのような雰囲気で目立つものはなかった。
 ダヴィッドの絵に戻ろう。
 横たわるバラが手にしているのは、現代のフランス国旗と同様のデザインの徽章である。が、その下にある書簡のようなものが見える。何であろうか。気になるのは、同じ精神的な文脈でダヴィッドがその前年描いた「マラーの死(La Mort de Marat)」(参照)において、フランス革命に殉じた死者の思いを書簡として手にしているからである。マラーの死の書簡は、 «Il suffit que je sois bien malheureuse pour avoir droit a votre bienveillance»(不幸なことに君の親切に値しない)と可読だが、バラのそれが書簡であれば可読性は想定されない。だがこれが心臓(ハート)の位置にあることから愛を意味していることは明らかであり、徽章はそれが共和国という国家を指しているのであれば、共和国への愛に余るなにかの言葉というものの示唆ではあるのだろう。
 ところで冒頭述べたように、この絵について知識のない人がこの絵を最初に見たとき、受けるおそらく圧倒的な美の感覚の後に生じるであろう一番大きな印象は、多少禁忌の感覚を伴うある不可解な状況への困惑であろう。
 あるいは逆に、バラがそうであった「少年鼓手」という制度を知るとその疑念はいっそう強くなるかもしれない。
 ナポレオンの戦争や米国南北戦争を描いた映画などを見ることわかりやすいが、軍隊の前面には少年鼓手が付く。音を使って多数の人員を抱える軍を指揮するために欠かせないものであったとも言えるが、なぜ少年なのかという問いには答えづらい。少年従者としての伝統でもあるだろうし、森蘭丸的な意味合いもあったのではないだろうか。
 なお、少年鼓手は軍隊の前面に配されるが、正式には側面なので人間の盾的な意味合いはないとされる。しかし、マーラーで有名な「少年の魔法の角笛」の詩からはそうとも言い難いかもしれない。余談だが、戦争を連想するイメージをことごとく嫌う戦後日本の教育をこってり受けた私ではあるが、小学校の運動会では鼓笛隊をやらされたものだった。
 少年鼓手というと「鼓」からドラムのイメージが強いが、鼓笛隊とすればわかるように笛もいる。その装束はマネの「笛を吹く少年」が日本人にはイメージしやすいだろう。なおこの装束はフランス第二帝政である。

 当然バラもそられしい装束で殺害されたはずであり、後の歴史絵画ではそのように描いている。以下、二点は19世紀に入ってからのものである。バラの死後100年近い後の歴史画と言ってよいだろう。


La Mort de Bara (1880) by Jean-Joseph Weerts (1847-1927)

La Mort de Bara by Charles Moreau-Vauthier (1857-1924)

 歴史的に見れば、ダヴィッドが同時代なので、冒頭の絵のほうが史実に近い作品ということになりかねないが、ここが歴史の妙味ともいうべきところで、映像ドキュメントの時代に生きる私たち現代人は史実をタイムマシンのカメラで見ることができるような錯覚を持つが、史実とはそれが語られた様式でもある。つまりバラの死とは、ダヴィッドが描くような幻想として始まったとしてよいという点で、これがオリジナルの幻想なのである。
 しかし、バラの死がダヴィッドが描く光景であったはずではないとするなら、この絵の、オリジナルの幻想は何を意味しているのだろうか。
 これを解くヒントが、高校生の歴史教科書などにも掲載されることが多い「球戯場の誓い」である。フランス革命直前、第三身分がヴェルサイユ宮殿の球戯場に集まり、憲法制定まで解散しないことを誓い合ったとされる事件であるが、ダヴィッドはこう描いている。


Serment du Jeu de paume(1792)

 この作品の前年の習作はかなり様子が異なる。あるいは構図は似ているが別系列の作品であるのかもしれない。


Serment du Jeu de paume(1791)

 習作のほうがダヴィッドが意図的に描きだしたという点で本来のダヴィッドの意思を表したものであろうし、この対比からバラの死が読み取れるとするなら、バラの死の映像こそ、ダヴィッドが見た共和国の精神性というものだろう。
 そこまで言っていいものだろうかと長く迷っていたが、「[書評]絶頂美術館(西岡文彦): 極東ブログ」(参照)の同書にも同じ理路で解説されていて、我が意を得たりというところだった。が、詰めの解釈は異なる。西岡氏はこう言う。


 人としてもっとも大きな幸福のひとつである「性」の歓びを享受することなく、若くして革命に殉じたバラへの、これ以上に悲痛な哀悼の意の表明はないかもしれない。


 「絶たれた生」への抗議として描かれたはずのこの作品が、強烈な同性愛的な官能性をただよわせ、むしろ見る者の「いまだ絶たざる性」を物語ってしまうのは、そのためであるのかも知れない。

 逆であろう。
 ダヴィッドの描出こそが共和制への愛を貫徹した至福の姿なのである。
 鳩山由紀夫元首相が語る友愛(参照)、すなわちフラタニティ(fraternity)というものの、「強烈な同性愛的な官能性」とは、このような形象を有するものであり、むしろ武士道の至高に近い。
 三島由紀夫ならそんなことは自明ことであったに違いないが、奇妙なのは彼にとっては、本来は共和制のエロスであるものが戦後日本の文脈では王制のエロスに偽装されていたことだ。
 むしろ共和国・共和制と限らず国家への愛を誘う政治的イデオロギーには、その表層の差違や論争的な対立の背後に、すべてこの情念の起源を隠し持っているのではないだろうか。

|

« [書評]絶頂美術館(西岡文彦) | トップページ | [書評]震災恐慌!~経済無策で恐慌がくる!(田中秀臣・上念司) »

「歴史」カテゴリの記事

コメント

興味深い記事をありがとうございます。
「フランスのみが13歳の英雄を持ち得た」の原語についてですが、1793年12月30日付け官報の国民公会議事録においてRobespierreの発言の第二段落に"Les Français seuls ont des héros de treize ans: c'est la liberté qui produit des hommes d'un si grand caractère."とありました。原文のリンクです。
http://books.google.com/books?id=94tXAAAAYAAJ&pg=PA81
googleってすごいなあ

投稿: | 2011.06.24 20:26

三島由紀夫は、「ホモ」でしたから、そんな情念は持ちえたでしょうけど、普通の人間は愛国心の中にそんな同性愛的な愛情は持ち合わせていない、と思いますがね。

というのはさておき、このBarraの絵を見ると、かなり奇妙な点が多すぎるんですよね。
a.この絵は完成品ではない。ダヴィッドは新古典派の時代なのだから、背景がこのような状況で「完成」とするはずがない。(もちろん、これがセザンヌの時代以降だと評価されるようになるだろうが。)
b.ではこれは何なのか?完成度から考えて、作品を完成させる前に描かれた、いくつかの習作のうちの一つだと思う。
c.しかも、この絵の完成したものが今に至るも発見されていない。これだけが遺されたのが、ダヴィッドが亡命してしまったため、デッサンなどの資料が散逸してしまったのだろうが、この下書きだけが残ったのも奇怪至極。
d.つまり、この絵はいわば、非常に特殊な「性癖」を持つ依頼人が、秘密裏に発注された代物の下書きじゃないかと思うんですがね。

投稿: F.Nakajima | 2011.06.26 20:59

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/657/52011689

この記事へのトラックバック一覧です: La mort du jeune Barra:

» 「La mort du jeune Barra」-finalventという案内人による絵画鑑賞 [godmotherの料理レシピ日記]
ジャック・ルイ・ダヴィッド『自画像』、1794年。ルーヴル美術館蔵  歴史上では例えば、今から約130年前に亡くなったダーウィンという自然科学者がいた。彼の説いた生物の進化に大きく関係した自然選択の理... [続きを読む]

受信: 2011.06.23 06:05

» フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh) [godmotherの料理レシピ日記]
 ここ二日ほど、二人の案内人による「絵画鑑賞」が続いた(1・2)。この一連とと相俟って昨日、ゴッホの自画像の一枚が弟テオドルス(通称テオ)の肖像画ではないかと、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館が発... [続きを読む]

受信: 2011.06.24 06:26

« [書評]絶頂美術館(西岡文彦) | トップページ | [書評]震災恐慌!~経済無策で恐慌がくる!(田中秀臣・上念司) »